毎日コンビニの新商品を食べ続けていただけの俺、なぜか食品開発会社のエースになる 作:赤坂龍之介
翌日の午後。
商品開発部の会議室に、いつもより少し多くの人が集まっていた。
黒川主任。
田村さん。
企画担当の人。
製造担当の人。
そして俺。
テーブルの中央には、昨日試作した第三の試作品が置かれている。
「これから、改良版の簡易消費者モニター評価について報告します」
企画担当の女性が資料を配った。
「今回のモニターは、弊社が継続的に協力をお願いしている消費者モニターの中から、今回の商品ターゲットに近い年齢層を中心に選定しています」
「なるほど」
俺は資料を見る。
今回の対象者は二十代から四十代。
仕事帰りにコンビニを利用する人を中心にした、簡易的な評価。
本格的な市場調査ではない。
あくまで開発途中の方向性を見るためのものだ。
「今回の試作品は、前回のGとIの長所を参考にして改良したものです」
企画担当の女性が説明を続ける。
「評価項目は、味、香り、食感、満足感、価格評価、購入意向、再購入意向などです」
「……」
俺は少し緊張しながら資料をめくった。
「では、結果です」
最初に出てきたのは、味の評価だった。
五段階評価。
平均――4.3。
「……高い」
思わず呟いた。
前回のIより高い。
Gと比べても、ほとんど差がない。
香り――4.1。
食感――4.0。
満足感――4.2。
「かなり良くなっていますね」
黒川主任が言った。
「はい。自由回答でも、味については好意的な意見が多く見られました」
俺は少し嬉しくなった。
昨日まで、自分たちが作った試作品だった。
それが実際に食べた人から評価されている。
なんだか、自分まで褒められているような気がした。
「じゃあ……」
俺は次のページをめくる。
「購入意向は……」
そこで。
手が止まった。
「……2.9?」
会議室が静かになる。
俺はもう一度、数字を見る。
味――4.3。
香り――4.1。
食感――4.0。
満足感――4.2。
なのに。
購入意向――2.9。
再購入意向――2.8。
「……なんで?」
思わず口に出した。
「私も最初に見たとき、そこが気になりました」
企画担当の女性が答える。
「味の評価はかなり高いんです。でも、『店頭で見かけたら買いたい』になると、評価が下がっています」
「……」
俺は資料を見つめた。
「美味しいのに?」
「はい」
「美味しいなら、買うんじゃないんですか?」
誰もすぐには答えなかった。
やがて黒川主任が口を開く。
「そこが、今回考えなければならないところです」
「……」
俺は自由回答欄を見る。
『美味しいけど、少し値段が高そう』
『この価格なら他の商品を選ぶかもしれない』
『味は好きだけど、見た目が普通』
『似た商品が多い』
『仕事帰りに食べるなら、もう少しボリュームが欲しい』
『美味しいけど、一度食べれば満足しそう』
「……」
俺は黙った。
味は評価されている。
なのに。
買いたいとは思われていない。
「これ……」
「はい?」
俺は資料を指差した。
「もしかして、商品そのものじゃなくて、商品を選ぶ理由が弱いんじゃないですか?」
黒川主任が俺を見る。
「どういう意味ですか?」
「味は悪くない。むしろ評価は高い。でも、似た商品が他にもある」
「はい」
「だったら、『わざわざこれを選ぶ理由』が必要なんじゃないですか?」
企画担当の女性が小さく頷いた。
「確かに……」
俺はさらに資料を見る。
「この商品って、コンセプトは『仕事終わりに食べたくなる、濃厚で満足感のある惣菜パン』ですよね」
「はい」
「でも、モニターの意見を見ると……」
俺は一つずつ確認する。
「『味は好きだけど、一度食べれば満足』」
「はい」
「『もう少しボリュームが欲しい』」
「はい」
「『値段が高そう』」
「はい」
「……」
俺は試作品を見る。
「これ、コンセプトと実際の商品が少しズレてませんか?」
田村さんが資料を見る。
「具体的には?」
「『濃厚』はあります」
「はい」
「でも、『仕事終わりに食べたくなる』っていう部分が弱い気がします」
「……」
「仕事終わりって、俺だったら……」
考える。
疲れている。
腹が減っている。
コンビニに入る。
そこで惣菜パンを見る。
「美味しそう」だけじゃなくて。
「これ食べたら満足できそう」
そう思えるものを選ぶ。
「……そうか」
俺は呟いた。
「満足感って、味だけじゃないんだ」
田村さんが俺を見る。
「続けてください」
「濃厚で美味しいだけなら、他の商品でもいい。でも、『これを食べれば仕事終わりの腹を満たせる』って思えるなら、選ぶ理由になる」
「なるほど」
企画担当の女性がメモを取る。
「つまり、味の改善だけではなく、商品コンセプトそのものをもう一度見直す必要がある、と」
「……たぶん」
俺は自信なさげに答えた。
「すみません。俺、企画のことはまだ全然分からないので……」
「いえ」
黒川主任が首を横に振った。
「今の意見は大事です」
「……」
「ただし、まだ仮説です」
「はい」
「だから、確認しましょう」
「どうやって?」
田村さんが答える。
「まず、モニターの自由回答をもう少し細かく分類します」
「分類?」
「『味』『価格』『ボリューム』『見た目』『購入理由』などに分けて、どこで評価が落ちているのか確認する」
「なるほど」
「それから、必要なら試作品を調整する」
俺は頷いた。
「やっぱり、仮説を立てて確認するんですね」
「そういうことです」
*
その日の夕方。
俺は企画担当の女性と一緒に、モニター評価の自由回答を整理していた。
「佐伯さん、これ見てください」
「はい」
画面には、モニターのコメントが並んでいる。
『味は美味しい』
『ソースの濃さがちょうどいい』
『パンも美味しい』
『食べ応えはある』
そこだけ見ると、かなり好評だ。
ところが。
『値段を考えると、もう少し具が欲しい』
『この値段なら弁当を買う』
『見た目が普通』
『商品名だけでは特徴が分かりにくい』
『美味しいけど、他の商品との違いが分からない』
俺は画面を見つめた。
「……これだ」
「何か見つかりました?」
「『美味しいけど、他の商品との違いが分からない』です」
「はい」
「これ、かなり重要じゃないですか?」
「私もそう思います」
「つまり、味の問題じゃない」
「そうですね」
「『選ぶ理由』の問題だ」
俺は少し興奮していた。
昨日までなら、ここまで考えられなかった。
美味しい。
なら成功。
そう思っていた。
でも。
今は違う。
商品を作るというのは、ただ美味しいものを作ることではない。
数ある商品の中から、
「これを買おう」
と思ってもらう理由を作ることでもある。
「……」
俺はふと、自分のコンビニ通いを思い出した。
十年以上。
俺は新商品を見つけるたびに買ってきた。
でも。
どうして俺は、その商品を手に取ったんだ?
味が分かっていたからじゃない。
食べる前には、味なんて分からない。
パッケージ。
商品名。
写真。
価格。
新商品ということ。
そして、
「なんとなく美味しそう」
という感覚。
「……」
俺は椅子から立ち上がった。
「佐伯さん?」
「すみません。ちょっとコンビニ行ってきてもいいですか?」
「今からですか?」
「はい」
企画担当の女性が驚いた顔をする。
「何を見るんですか?」
「……競合商品を」
「なるほど」
黒川主任に事情を説明すると、
「勤務時間内ですから、ちゃんと仕事として見てきてくださいね」
と言われた。
「はい!」
俺は会社近くのコンビニへ向かった。
*
コンビニに入る。
惣菜パンの棚。
俺は商品を眺めた。
いつもなら、新商品を探すところだ。
でも今日は違う。
「……」
商品を見る。
手に取る。
戻す。
別の商品を見る。
また手に取る。
「なるほど……」
商品のパッケージには、
『濃厚』
『ジューシー』
『具材たっぷり』
『食べ応え』
『新発売』
など、様々な言葉が並んでいる。
写真も大きい。
具材が見える。
断面が強調されている商品もある。
「……競合、強いな」
俺たちの商品には、何がある?
味は悪くない。
むしろ高評価だった。
でも。
棚に並べたとき、
「これを選びたい」
と思わせる何かが足りない。
俺はスマホを取り出した。
メモを開く。
『味は評価されている』
『購入意向が低い』
『競合商品との差が分かりにくい』
『価格に対する満足感が不足している可能性』
『店頭で選ぶ理由が弱い』
そして最後に。
『商品そのものだけではなく、店頭での見え方も考える必要がある』
と書いた。
「……」
俺はスマホを見つめる。
十年間。
俺はコンビニの新商品を食べてきた。
でも。
俺が本当に見ていたのは、食べた後の味だけじゃなかった。
棚に並んでいる商品を見て、
「これ食べてみたい」
と思った瞬間。
その感覚も、ずっと積み重なっていた。
「……もしかして」
俺の十年間は。
ただ食べていただけじゃなかったのかもしれない。
*
会社に戻る。
「どうでした?」
黒川主任が聞いてきた。
「競合商品を見てきました」
「何か分かりました?」
「はい」
俺は資料を机に置いた。
「俺たちの商品は、味だけなら十分勝負できると思います」
「はい」
「でも、店頭に並んだときに、『これを選ぶ理由』が弱いです」
「……」
「だから、味をさらに良くするだけじゃなくて、商品の特徴そのものをもっと分かりやすくした方がいいと思います」
黒川主任が資料を見る。
「たとえば?」
「そこは……俺にはまだ分かりません」
正直に答える。
「ただ、『濃厚で満足感がある』というコンセプトを、もっと一目で分かる形にする必要があると思います」
「……」
黒川主任は少し考えた。
「分かりました」
「はい」
「企画側で検討してみます」
「ありがとうございます」
俺は席に戻った。
自分の意見が、また商品開発の材料になった。
でも。
今回は少し違う。
俺は味を分析したわけじゃない。
食品化学の知識を使ったわけでもない。
製造技術を理解しているわけでもない。
ただ。
十年間、コンビニの商品を買ってきた。
そして、
「なぜ俺はこれを買ったんだろう」
と考えただけだ。
「……」
それでも。
それが誰かの役に立つなら。
俺が今までやってきたことにも、意味があったのかもしれない。
*
数日後。
改良案がまとまった。
商品コンセプトを見直し、パッケージ上で「仕事終わりの満足感」が伝わるようにする。
さらに、具材の見せ方を変更。
価格についても、原価を大きく上げずにボリューム感を出せないか検討する。
味については、今回のモニター評価を踏まえ、現状を大きく変えない方針になった。
「……味を変えないんですか?」
俺が聞くと、田村さんが頷いた。
「今のところ、味について大きな問題はありませんから」
「なるほど」
「問題がない部分まで変更すると、別の問題が出る可能性があります」
「……」
それもそうだ。
改善というと、全部を変えたくなる。
でも。
良い部分は残す。
悪い部分だけを変える。
それも商品開発なんだ。
「佐伯さん」
「はい?」
黒川主任が言った。
「今回の件で、何か分かりましたか?」
「……はい」
俺は少し考えてから答えた。
「美味しいものを作るだけじゃ、商品にはならない」
「はい」
「そして、商品になっただけでも駄目で……」
俺はコンビニの棚を思い出す。
「お客さんに、『これを選びたい』と思ってもらわないといけない」
黒川主任が笑った。
「正解です」
「……」
俺は照れくさくなって視線を逸らした。
まだまだ知らないことだらけだ。
食品化学も。
製造も。
原価計算も。
マーケティングも。
商品企画も。
何一つ、一人前とは言えない。
それでも。
少しずつなら。
俺にもできることがある。
そう思い始めていた。
――ただ、このときの俺は知らなかった。
今回の改良を進める中で、俺が提出した一つのメモが、商品開発部だけではなく、営業部まで巻き込むことになるなんて。
そして。
そのメモをきっかけに、俺は初めて、
「消費者の感覚を、会社の言葉に変える」
という仕事の難しさを知ることになる。
俺はまだ、ただの新人だった。