毎日コンビニの新商品を食べ続けていただけの俺、なぜか食品開発会社のエースになる 作:赤坂龍之介
翌週。
俺は朝から落ち着かなかった。
理由は簡単だ。
今日は、初めてコンビニ本部への正式な商品提案に同行する日だった。
「……大丈夫か、俺」
会社へ向かう電車の中で、何度目か分からないため息をつく。
昨日まで、俺が話していた相手は基本的に社内の人間だった。黒川主任。田村さん。企画担当。製造担当。多少緊張しても、何度も顔を合わせている相手だ。
でも今日は違う。
相手は、俺たちが作った商品を実際に採用するかどうか検討する側。
営業の高橋さん。
黒川主任。
企画担当の女性。
そして俺。
俺だけ、明らかに場違いな気がする。
「……そもそも、俺って人と喋るの苦手だったよな」
面接では何度も失敗した。グループディスカッションでも、話そうと思っているうちに話題が次へ移っていった。
そんな俺が、企業との商談に参加する。
数か月前の自分が知ったら、絶対に信じない。
*
会社に到着すると、高橋さんが入口で待っていた。
「おはようございます、佐伯さん」
「おはようございます」
「緊張してます?」
「……してます」
「顔に出てますよ」
「ですよね」
高橋さんが苦笑する。
「今日は基本的には私が説明します。佐伯さんには、開発担当として技術面や実際の試食経験について質問された場合に答えてもらいます」
「必要なときだけ……」
「はい」
「それでも怖いです」
「昨日まで一緒に準備したでしょう?」
「……はい」
「それに、今回先方に同行してもらうのは、開発側から商品の経緯や特徴を説明できる人間が必要だからです」
「……なるほど」
少しだけ安心した。
俺が商談を仕切るわけじゃない。
あくまで開発担当として同席する。
今回提案する商品は、例の惣菜パン。
俺が最初に、
「冷めると少し重い」
と感じた商品だ。
そこから、パンの条件を変え、具材を変え、油っぽさを調整し、原価を見直し、製造条件を確認し、消費者モニターにも食べてもらった。
そして今。
『仕事終わりの一個で満足』
というコンセプトへたどり着いた。
もちろん、まだ完成品ではない。
あくまで正式提案の段階だ。
先方から条件や意見が出れば、そこからさらに修正する可能性もある。
「……」
俺は資料を握り直した。
これまでの二か月間が、全部ここに詰まっている。
*
コンビニ本部の会議室。
俺は指定された席に座った。
向かい側には、先方の担当者が二人。
こちらは、高橋さん、黒川主任、企画担当の女性、そして俺。
「それでは、始めましょう」
高橋さんが資料を開く。
「本日は、秋冬向けの新しい惣菜パンについてご提案させていただきます」
説明が進む。
想定販売価格。
ターゲット。
商品コンセプト。
味の特徴。
競合との差。
消費者モニターの評価。
製造条件。
原価。
俺は静かに聞いていた。
社内で何度も聞いた内容だ。
なのに。
相手の反応があるだけで、全然違って感じる。
「なるほど」
先方担当者が資料を見る。
「『仕事終わりの一個で満足』というコンセプトですね」
「はい」
「この価格帯で、満足感をどう出すのかがポイントになりそうですね」
「その点につきましては――」
高橋さんが説明を続ける。
俺は資料を見る。
今のところ、順調。
そう思った。
ところが。
「一つ、気になるのですが」
先方担当者が言った。
「はい」
「この商品、既存の商品と何が違うんですか?」
「……」
俺の心臓が跳ねた。
昨日、社内で何度も練習した質問。
まさか、本当に来るとは思わなかった。
高橋さんが説明する。
「濃厚さと、仕事終わりの満足感を両立させた――」
「それは、既存の商品でも言えるのでは?」
「……」
会議室が少し静かになる。
俺は資料を見る。
そうだ。
俺たちは、
「美味しい」
「濃厚」
「満足感」
と言ってきた。
でも。
それが他の商品とどう違うのか。
まだ、完全には説明できていない。
高橋さんが続けようとした、そのとき。
「佐伯さん」
黒川主任が小さく俺を見る。
言葉にできるなら、話してみろ。
そんな目だった。
俺は一度、息を吸う。
「……すみません」
先方担当者がこちらを見る。
「はい?」
「僕、開発担当なんですが……最初にこの商品を食べたとき、正直、『美味しいけど、少し重い』と思ったんです」
「……」
声が少し震える。
「だから、そこから何度も試作しました」
俺は続けた。
「味を薄くすればいい、という単純な話ではありませんでした。油っぽさを減らすと、今度は具材の味や香りが弱くなることもありました」
田村さんに教わったこと。
失敗したこと。
何度も試したこと。
全部思い出す。
「それで」
俺は商品資料を見る。
「濃厚さそのものをなくすんじゃなくて、最後まで食べたときに『重すぎた』と感じにくいバランスを探しました」
先方担当者が黙って聞いている。
「なので、僕たちが考えている『満足感』は、単純に量が多いという意味じゃありません」
「……」
「最初はしっかり濃い。でも、最後まで食べ終わったときに、『重すぎた』ではなく、『ちゃんと食べた』と思ってもらえることです」
言い終えた。
心臓がうるさい。
何か変なことを言っただろうか。
先方担当者が資料へ視線を落とす。
「……なるほど」
高橋さんが言葉を継ぐ。
「その点については、今回の消費者モニターでも――」
商談が続いた。
俺はようやく息を吐いた。
*
しばらくして、別の質問が出た。
「価格についてですが」
「はい」
「競合商品より少し高くなっていますね」
「はい」
「この価格差を埋めるだけの価値は、どこにありますか?」
来た。
価格の問題。
美味しいだけじゃ駄目。
商品として成立しなければならない。
高橋さんが答える。
「原材料と製造条件を見直しながら、価格上昇を抑えています。また――」
俺は資料を見る。
目標価格。
原価。
競合。
そして。
「……」
少しだけ、引っかかった。
俺は高橋さんに小声で声をかける。
「この価格差って、内容量の違いもありますよね?」
「あります」
「それなら、そこも説明した方がいいんじゃないですか?」
高橋さんが一瞬考える。
「なるほど」
先方へ向き直った。
「価格差については、単純な原価差だけではなく、内容量や商品のコンセプトも含めてご説明しますと――」
高橋さんが説明する。
俺は黙って聞いた。
自分が価格を決めるわけじゃない。
価格戦略を説明するのは営業や企画の仕事だ。
俺ができるのは。
モニターの声。
実際に食べて感じたこと。
消費者としての目線。
そこから気づいたことを渡すこと。
少しずつ。
自分の役割が分かってきた気がした。
*
商談が終わった。
会議室を出る。
「……疲れた」
俺は廊下の壁にもたれた。
「お疲れさまでした」
高橋さんが笑う。
「どうでした?」
「心臓が三回くらい止まりました」
「三回なら大丈夫ですね」
「よくないです」
黒川主任も笑っている。
「でも、ちゃんと話せましたね」
「……」
「社外の人間相手に」
俺は少し考えた。
「……はい」
確かに。
怖かった。
緊張した。
声も震えた。
それでも、逃げずに話した。
「ただ……」
俺は会議室の扉を見る。
「質問されて、答えられないことも多かったです」
「当然ですよ」
黒川主任が言った。
「まだ入社二か月です」
「……」
「今日の目的は、完璧な説明をすることではありません」
「じゃあ?」
「何が分かっていて、何が分かっていないのかを知ることです」
「……」
俺は頷いた。
今日、いくつも質問された。
価格。
競合。
満足感。
商品コンセプト。
まだ知らないことばかりだ。
「……もっと勉強しないとな」
自然に、そう口から出た。
「その意気です」
田村さんが笑った。
*
会社に戻る。
自分の席に座ると、俺は今日の商談で出た質問を書き出した。
『既存商品との違い』
『価格差の理由』
『満足感の具体的な定義』
『ターゲットがこの商品を選ぶ理由』
『発売後、どんな売れ方を目指すのか』
最後の項目を見て、手が止まる。
「……売れ方を目指す?」
これは完全に、俺の知らない領域だ。
「これ、企画の仕事か」
そう呟くと。
「いいところに気づきましたね」
「うわっ!」
振り返る。
黒川主任だった。
「いつからいたんですか?」
「今来たところです」
「……またですか?」
「何がです?」
「そのやり取り、前にもありましたよ」
黒川主任が笑う。
「その質問は、企画担当に聞くべきです」
「はい」
「ただし」
「はい?」
「『なぜこの商品を買うのか』という質問は、佐伯さんにも考えてもらいたい」
「俺に?」
「はい」
「でも、マーケティングは素人ですよ」
「だから、消費者として考えてください」
「……」
「市場分析や売上予測は企画が担当します。佐伯さんは、自分がどういう場面ならこの商品を選ぶのか、それを具体的に考えてみればいい」
「……なるほど」
俺は少し黙った。
自分が得意なことと。
自分が知らないこと。
その境界が、少しずつ分かってくる。
「……分かりました」
*
その夜。
いつものコンビニに立ち寄った。
惣菜パンの棚。
俺は商品を眺める。
新商品。
定番商品。
期間限定。
値引き商品。
そして、俺たちが開発している商品と似た競合商品。
もし。
この商品が店頭に並んだら。
俺なら買うだろうか。
「……」
スマホを出す。
メモを開く。
『仕事終わり』
『300円前後』
『空腹』
『時間がない』
そして。
『濃厚だけど、重すぎない』
「……」
さらに考える。
俺なら。
弁当を買うほどではない。
でも、おにぎり一個では足りない。
そんな日に。
「これ一個なら、ちょうどいいかも」
そう思える。
俺はスマホに書き込む。
『仕事終わりに、短時間で満足できる』
そこで手を止める。
少し考えてから、その下に。
『ただし、これは俺個人の感覚』
さらに。
『他の消費者が同じとは限らない』
と書いた。
以前なら、そんなことは考えなかった。
今は。
自分の感覚と、市場の事実を分けて考えるようになった。
それが。
この二か月で俺が一番学んだことかもしれない。
*
翌朝。
「佐伯さん」
「はい?」
企画担当の女性が近づいてきた。
「昨日の商談ですが」
「はい」
「先方から、追加資料の依頼が来ました」
「……」
嫌な予感がした。
「どんな内容ですか?」
「『仕事終わりの一個で満足』というコンセプトについて、具体的にどのような利用場面を想定しているのか。もう少し詳しく説明してほしいそうです」
「……」
俺は資料を見る。
昨日、商談で答えた。
満足感。
濃厚さ。
後味。
でも。
今度は、もっと具体的にしなければならない。
「……なるほど」
俺は少し笑った。
「また宿題ですね」
「そういうことです」
企画担当の女性も笑った。
俺は資料を受け取る。
仕事終わり。
一個で満足。
濃厚。
でも重くない。
それを。
誰に。
いつ。
どんな状況で。
なぜ必要なのか。
言葉にする。
それが、次の課題だった。
俺はまだ食品開発の素人だ。
でも、少しずつ。
「美味しい」だけじゃなく。
「なぜ、この商品が必要なのか」
まで考え始めていた。
そして。
それこそが。
俺が食品開発者として初めて学び始めた、
「商品を作る」ということだった。