こいつは……そこらの羽虫どもとは決定的に違う。
その事実を本能で察した俺は、いつの間にかその人間と正面から向き合う「対話の席」に着いていた。
すると、あいつはまたしても、俺の野生の常識では理解不能な行動をしてみせた。 無防備に、俺に対してその背中を向けたのだ。
いつでも殺していい。
こちらの生殺与奪の権利をすべて俺に委ねる、とでも言っているかのように。 そのままあいつは、右手を無人の街へと大きく広げ、俺に振り返る。
「見ての通りだ、レウス。ここに人間はもう一匹もいない。残っているのは、お前の前にいる俺だけだ」
ああ、そうだな。お前の言う通り、この巨大な人間の巣には、もうお前しかいない。
「お前の家族を害する奴らは、ここにはもう誰一人いない。……なんなら、俺たち人間の縄張りだったこの街を、丸ごと、お前たちファミリーに献上することもギルドとして決定した。ここをお前の巣の一部にして、これから産まれてくるたくさんの子どもたちの遊び場にしてくれたって、俺たちは全然構わない」
街を……人間の縄張りを丸ごと献上…。
そして「子どもたちの遊び場」という言葉に、俺の心は妙に惹かれてしまった。
実家で見た、飢えて死んでいったあの小さな弟妹たちの骨。
そして、今の我が家で元気に駆け回っている愛しい子どもたちの顔が交差する。
もし、この広大で頑丈な人間の街が俺たちの縄張りになれば、子どもたちは飢えることも、他の大型モンスターに脅かされることもなく、どこまでも安全に伸び伸びと育つことができるのではないか。 俺が静かに思考を巡らせていると、人間はさらに言葉を重ねた。
「……しばらくしたら、この異変を察知して、他のハンターギルドから新しい人間が調査に来るかもしれない。だが、心配するな。あいつらは、お前を一番よく知るこの俺が、命に代えても全員説得してみせる。絶対に!お前の家族に手を出すな!とな」
ほぉ……? お前がか?
人間同士の揉め事は、人間が盾になって収めるというのか。 それは……群れの長として、非常に魅力的な提案だった。お前が防波堤になって羽虫どもの襲撃をすべて未然に防いでくれるというのなら、俺が胃を痛めながら戦いに赴く必要もなくなる。
「だからどうか……その怒りを鎮めてくれないだろうか……絶倫王」
だから!!!絶倫王って呼ぶの、マジでやめてくれって!!!
「――その恥ずかしい呼び方を二度としねぇってんなら、その条件、呑んでやってもいい!」
俺は心の中でそう猛烈にツッコミを入れながら、ふんっと鼻から盛大に煙を吹き出し、喉の奥の炎を完全に消火した。
理不尽に命を奪われた親父たちの無念は、さっきの混成部隊を全滅させたことで精算した。
そして今、この男は、俺たち家族の「絶対的な安全」と「広大な新しい領土」を、何一つ傷つけずに差し出すと言っている。
ならば、これ以上ここで無益な破壊を尽くすよりも、この男を配下に置き、この街を我がファミリーの第2の拠点にしてやる方が王として、何より父親として大正解の選択だ。
「……フゥ…交渉成立だ、人間」
俺は大きく羽ばたき、地響きを立てて街を飛び去っていった。こうして、人間の街への復讐劇は、まさかの「街丸ごと一棟の割譲」と、謎のハンターとの「奇妙な同盟」という、これまた誰も予想しなかった驚愕の結末を迎えることになったのだった。
◆
やれやれ……本当に恐ろしい男だった。まさか俺の身を焦がすほどの殺意の炎が、あんなちっぽけな羽虫との「対話」によって、綺麗さっぱり鎮火されるなんて思ってもみなかった。
……まあ、あの『絶倫王』呼びだけは、生涯絶対に許すつもりはないがな。
だが、家族の未来、そして子どもたちの安全を丸ごと買い取れたのだ。あの狂気じみた怒りの炎に比べたら、今の不満なんて湿気た火炎袋みたいなものだ。
そう考えながら翼を羽ばたかせ、俺は我が家へと舞い戻った。
「パパお帰りー!」
「パパァッ!」
巣に着地した途端、小さな可愛い弟妹たちの姿……ではなく、今の俺の、最高に愛しい子どもたちが一斉に俺の胸元へと飛び込んできた!
「おお、ごめんよ子どもたち。パパが帰ってきたぞ〜!」
さっきまで人間の街を滅ぼしかけていた魔王の面影はどこへやら、俺は顔を思いきりニヤケさせながら小さな我が子たちを大きな翼で一抱えに包み込んだ。
実家で見たあの悲劇は、俺の子どもたちには絶対に味わせない…そう誓いながら。
「ふふ、遅くなったお詫びに、パパは最高の『お土産』を持ってきたからな!」
俺の言葉を聞いて、レイア、サクラ、ミツネ、ゼクス、ナルガ、ティガ、ベリーの妻たち全員が、それぞれ疑問を浮かべたような顔でこちらに近づいてきた。
「ちょっと旦那様、無傷で帰るって言ったのに随分と遅かったじゃない。お土産って何よ?」
「バカ旦那、まさかまた新しい雌を連れて帰ってきたんじゃねぇだろうなァ!?」
ゼクスがトサカをバチバチさせながら睨んでくる。
「ははは、違う違う! 今見せてやるよ。……みんな、子どもたちを連れて『引っ越し』だ!」
引っ越し、という俺の言葉に、今度は妻たちだけでなく子どもたちまで「ええっ!?」と一斉に目を丸くした。
「ここから少し飛んだ先にある、人間の頑丈な街を丸ごと俺たちの新しい縄張りにしたんだ。あそこなら罠も爆薬もないし、他の大型モンスターに襲われる心配もない。これから産まれてくる子たちの遊び場にも最高だぞ!」
俺がそう告げると、常識枠のサクラが「人間の街を丸ごと……!? 旦那様、一体何をしてきたのよ……」と頭を抱え、レイアは「あら、楽しそうね!」と相変わらずの天然全開で喜び始めた。
「パパ背中乗せて!」
「僕頭がいい!」
「飛べる子は自分で飛んできなさい! 」
可愛さのあまり、我が子を叱ることが出来ない親は悪人を育ててるのと同じだ。駄目な物は駄目だとしっかり言わなければならないし、悪いことをしたらちゃんと叱る。これが子育てする上で大事だ。
「ええ〜…やだぁ!」
「パパの背中がいい〜!!」
「甘えるんじゃないの。今日のパパの背中は弟妹たちに譲りなさい。自分でちゃんと飛べたら、今度パパが一緒に狩りに行ってあげるからな」
「本当!」
「勿論。パパが嘘をつくわけないだろう?」
翼をパタパタさせて俺の背中に乗ろうとしていた我が子達を優しく地面に降ろし、頭を撫でてやる。
「いい子だ。みんな愛しているぞ」
「パパも大好きー!」
「パパもお前たちが大好きさ。さぁ――最高の新居へお引っ越しだ!」
俺は我が子たちを先導するように、そして愛する7頭の妻たちを優しく見守るように、大きく、力強く翼を広げた。
夕陽が沈み、美しい星空が広がり始めた大空へと、俺たちはファミリー全員で一斉に舞い上がる。
行く先は、俺たちが新しく手に入れた、絶対に誰も脅かすことのできない不滅の楽園。
これからさらに賑やかになるであろう我が家の未来へ向けて、俺たちレウスファミリーは大空へ羽ばたいた。
◆
「…………」
ナルガとティガの子ども達、そしてまだ幼く飛べない雛の我が子たちを背中に乗せ、そして少し大きく成長した子たちの羽ばたきを隣で見守りながら、俺は陽の光が優しく降り注ぐ大空を、ゆっくりと滑空していた。
パタパタと必死に、だけどどこか楽しそうに小さな翼を動かして空を泳ぐ、俺と妻たちの血を引く子どもたちを見て、俺は感傷に浸っていた。
(親父も……俺が初めて自分の力で大空を飛んだ日は、こんなに気持ちだったのだろうか……?)
かつて巣立ちの日に俺を力づくで追い出した、あの厳しかった親父。今、自分が親という立場になって、あの時の親父の胸の奥にあったであろう複雑な、だけど底知れない愛の深さが、風のように優しく俺の胸に染み渡っていく。
我が子の成長が、どうしようもなく愛おしい。最初に産まれたレイアとサクラの子ども達は既に巣立っているが、あの子達の時もこんな気持ちだったな…。
あの子たちが巣立った後に産まれた子ども達は、まだまだ飛行も狩りも未熟で、隙だらけの雛たちだけれど……その分、教え甲斐と育て甲斐があるというものだ。
(……親父たちにも、この光景を見せたかったな……)
切ない想いが胸をかすめるけれど、もう涙は出さねぇ。俺の隣にはレイアたちがしっかりと寄り添って飛んでいるし、俺たちの未来は、この広い空のようにどこまでも明るく広がっているのだから。
「――さあ! 街に着いたぞ!」
俺がそう声をかけると同時に、雲海を抜けた俺たちの視界に、整然と並ぶ巨大な建造物の群れ――人間どもから無血開城で勝ち取った、新たなる俺たちの『縄張り』がその全貌を現した。人間は一人しかいない。完全に俺たちレウスファミリーだけの、広大な新天地だ。
「わあぁぁ〜〜〜っ! おっきなお家がいっぱい!!」
「パパ、あっちのたかーい建物まで競争しよーっ!」
「お人間さん?なんで倒れてるんですか〜?」
着地するやいなや、背中から飛び降りた子どもたちが、初めて見る文明の巨大な建物に大興奮して、四方八方へと一斉に走り出そうとする。
電撃をパチパチさせて、泡を撒き散らして、影に隠れようとしてとにかくみんな自由奔放だ。
「って、こら! みんな、あまりはしゃぐんじゃない! 街は広いんだ、迷子になるぞ!」
慌てて俺が翼を広げて声を荒げるが、子どもたちは俺を振り返って、無邪気極まりない満面の笑顔でケラケラと笑い声を上げた。
「大丈夫だよ〜! 迷子になっても、パパが絶対に見つけてくれるも〜ん!」
「っ……!」
そりゃ……お前たちの気配なら、どんなに離れていても、例えナルガの隠密を引き継いでいようとも、パパが見つけてやるが……。
「……はぁ。分かった、分かったよ。好きに遊びなさい!」
子どもたちのその絶対的な信頼の瞳に、俺の親馬鹿スイッチは一瞬で陥落した。やれやれ、本当に俺の妻たちも子どもたちも、俺を甘やかす天才ばっかりだ。
◆
「ははは……まじかよ……」
リオレウスが去ってから数分後。無人の街へと続く赤く染まった大空から、今度は無数の羽音が響いてきた。双眼鏡を覗くまでもない。
レウスが引き連れてきたであろう、何頭もの番たち。そして、その周囲を無邪気に飛び回る、たくさんの小さな子供たちの姿がはっきりと見えた。近づいてくる奴らの瞳を見て、俺は思わずその場に力が抜けてしまった。
――敵意が、まるでない。むしろ…
「新居だー!」
とでも言いたげな、ものすごくワクワクした、幸せそうな空気を纏っていた。
「ははは……。どうやら交渉は成立していたらしいな……」
世界を滅ぼしかねない天災を、あの『絶倫王』の一言で見事に鎮火させてみせたのだ。緊張の糸がプツリと切れ、俺は地面に仰向けになってドサリと倒れ込んだ。
冷たい地面の感触が、生き残った実感をじんわりと伝えてくる。これで街もギルドも、そして俺の命も救われた。
そんな風に、一人で極上の達成感に浸っていた、その時だった。バササッ、とすぐ近くに巨大な紅蓮の翼が舞い降りた。
俺を見下ろすのは、先ほど対話を交わしたあのリオレウスだ。すると、彼の後ろからワラワラと這い出てきた小さな小さなレウスの幼体たちが、地面に倒れている俺の体に興味津々で近づいてきた。
そして、小さな嘴や爪で、俺の鎧をツンツン、ツンツンと無邪気につついてきたのだ。
「……おい?」
あまりのチクチク感に上半身を起こし、俺は目の前のレウスを見上げた。当のレウスはといえば、俺と子供たちの様子をじっと見つめながら、どこか「あー、うん。よろしくな」とでも言いたげな、ものすごく面倒事を押し付けたような目をしていた。
「……リオレウス、その目は何だ?」
嫌な予感しかしない。俺のハンターの勘が、ここ数年で一番最悪な、そして一番平和な未来予想図を弾き出した。
「……まて、まてまて! まさかお前、俺に『ベビーシッター』をやらせる気か!?!?」
人間の縄張りを献上し、ここを子供たちの遊び場にしていいと言ったのは確かに俺だ。だが、その遊び場の『管理人』に、この俺を指名するなんて誰が言った!
「ちょっと待て、俺はただのしがない監視人で、ギルドマスターの専属ライターで、これでもベテランのハンターなんだぞ!?」
俺の悲鳴のようなツッコミなんて知らん顔で、レウスは「じゃ、俺たちは新居の縄張り主張があるから」とでも言うように、嫁たちを連れて街の奥へとズンズン歩き始めてしまった。
残されたのは、俺の体を楽しげに登り始めた大量のチビ飛竜たち。
「……ギルマス……助けてくれ。これじゃ『赤い竜の君』の次巻のタイトルは『絶倫王の託児所日記』になっちまう……!!」
俺は小さな翼に顔をペチペチと叩かれながら、これから始まるであろう、かつてないほどに過酷で賑やかな第二の監視という名の育児生活に、ただただ天を仰ぐのだった。
こうして、かつての人間の街は、世界で最も危険で、世界で最も愛情深い『竜の都』へと生まれ変わった。
宣言通りにハンターは死にました。
これから彼はベビーシッターになってもらいます。
執事と正妃を地獄に落とすならどれが良い?
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