人間の街を俺たちの新たな縄張りにして、早くも1年という月日が経過した。最初は「どうなることか」と野生の飛竜としての本能が少しばかり身構えていたが、蓋を開けてみれば、案外ここでの住み心地は悪くない。
「パパ、こっちこっち! 捕まえてごらーん!」
「あ、 お姉ちゃん待ってよー!」
俺の目の前を、少し大きくなった翼を一生懸命に羽ばたかせながら、たくさんの我が子たちがキャッキャと楽しげに駆け回っている。俺はだらしなく口元を緩めながら、その小さな影たちの後をのんびりと追いかけた。
振り返ってみれば、この街は今や完全に俺たちの『家族のための巨大な巣』として機能している。かつて人間たちがひしめき合っていたあの大通りは、今や子供たちの格好の鬼ごっこや駆けっこのレースコースだ。障害物も適度にあって、ナルガとティガの子たちが走り回るにはちょうどいい。
街の中心にある広い中央広場は、日当たりが抜群で、レイアやミツネたちが子供たちとゴロゴロとする最高の昼寝場所になった。
そして、かつて人間の王とやらが踏ん返り返っていたあの頑丈な城は、今や俺たち夫婦の広々とした寝床兼、夜の大乱交会場だ。
何より、街全体をぐるりと囲む巨大な防壁。あれは、俺が狩りや晩酌(※主にあのハンターとの)で留守にしている時でも、残された家族を外敵から完全に遮断してくれる最高の防壁として、そのまま役立っている。
「……人間というのは、ずいぶんと便利な巣を作るらしいな」
かつて親父と暮らしていた荒々しい自然の巣も悪くなかったが、この至れり尽くせりな環境は、自然よりも便利だ。子供たちの無邪気な笑い声を聞きながら、俺は改めて、あの日あのハンターとの『対話』に応じて本当に良かったと、心の底から満足感に浸っていた。
「パパー! こっちにも来てー!」
「今行くぞ」
俺が子供たちの元へ楽しげに駆け出そうとした、まさにその瞬間だった――
「レウス?」
背後から、鼓膜に突き刺さるような、そして嫌な予感しかしない声が聞こえた。
「……ん?」
恐る恐る振り返る。そこには、いつも通りニコニコとしてるレイアが立っていた。その隣にはサクラ。さらにミツネ、ゼクス、ナルガ、ティガ、ベリーまで、俺の自慢の妻たちが完璧なフォーメーションで勢揃いしていた。
……なんだ……この空気が一瞬で氷結するような、この妙な圧力は……。
「さっきから子供たちとばっかり遊んでるけど?」
「旦那様、私たちとの大切な時間も、まさか忘れていませんか?」
「逃げられないわよ」
「今日の旦那、捕まえた」
「ふふ、逃がしませんよ……」
ゼクスとティガが不敵な笑みを浮かべながら左右から音もなく間合いを詰めてくる。
「ちょ、待て待て! 俺はまだ子供たちと――」
バサァッ!!危機を察して咄嗟に大空へ逃げようと翼を広げた瞬間、背後からレイアとサクラにがっちりと抑え込まれた。
「はい、確保〜」
「旦那様、今日はしっかり私たちにも構ってくださいね?」
「お、おい!? ちょっとタンマ、タンマだって……!」
俺の哀れな抵抗などどこ吹く風。肉食獣の目をした妻たちに、俺の巨体はズルズルと城の寝床の方へと引きずられていく。
「パパー!がんばってー!」
「すまん子供たち! パパはちょっとママたちに連行されてくる!夜ご飯までには戻るから……ッ!」
子供たちの無邪気な応援?の声を背中に浴びながら、俺は愛すべき妻たちに文字通り揉みくちゃにされ、押し潰されていく。
……まぁ、いいか。こんな風に、毎日体力と命の危機を感じるような、めまぐるしい日常も悪くない。
いや、むしろ――最高だ。
人間の街を奪った。新しい広大な縄張りを手に入れた。子供たちは毎日楽しそうにこの大通りを走り回り、妻たちは以前にも増して自由に、我が物顔で暮らしている。
そして何より――もう、俺の家族が誰かに突然襲われるかもしれない、という不安が、この街にはどこにもない。
かつて実家で見たあの冷たい悲劇は、この俺が統べる新たな城では二度と起こり得ない。これほどまでに、心穏やかに過ごせる幸せな日々が、かつて俺の竜生にあっただろうか。いや、ないな。
そして俺たちの街での新生活を、大自然時代とは比べものにならないほど豊かにしてくれたのは、紛れもなくあのハンターだった。
「レウス、こっちだ」
「ん? なんだ?」
ある日、ハンターが案内してくれた大きな建物の地下に足を踏み入れた俺は、その光景に目を見張った。そこには、俺たち野生のモンスターには理解不能なほど巨大な、鉄でできた『冷凍室』や『冷蔵室』が残されていたのだ。
「……こんなものまで作っていたのか、人間は」
「人間はな、食料を腐らせないために色々と工夫してたんだよ。便利だろ?」
そして、俺たちが特に重宝したのが、その冷凍室だった。獲物を仕留めたら、その日のうちに全部食べ切らなければならない。食べ残した肉は腐り、腐敗臭で別の捕食者を呼び寄せる。そんな野生の常識が、ここでは完全に覆された。
余った肉や魚を凍らせて保存できる。これだけで、俺たちの食料事情は劇的に、それこそ生態系の限界を超えるほどに安定したのだ。ただし――
「……で、これをどうやって動かしてるんだ? 人間がいないのに」
俺が不思議に思って聞くと、ハンターはニヤリと笑って、俺の背後にいるゼクスの方を指差した。
「あそこの充電係」
「誰が充電係だてめぇ!」
そう、ゼクスが朝と夜、定期的に人間の発電設備へとその強烈な電撃を流し込み、巨大なバッテリーを充電する。そのおかげで、冷蔵設備は二十四時間稼働することになった。
……かわりに、ゼクスから「頑張ったご褒美」として、夜の爆発的で情熱的な交尾を以前にも増して激しく求められるようになった。別に今更だが、俺の腰と体力がさらにピンチになったことだけが想定外だ。
人間の街を奪ったら、まさか電力のすべてをゼクスに丸投げすることで利用できるようになるとはな。文明ってすごいな。そして、思わぬところでも人間の設備は役に立った。
「ここは水を溜めておく場所だ」
「成る程。じゃあ、こっちは?」
「浴場だな」
「……浴場?」
そうしてハンターに街の仕組みを一つずつ教えてもらいながら、俺たちは街の中にある水場を少しずつ整備していった。飲み水、水浴び。そして――温泉。街の奥に、極上の温泉施設まで残っていたのには、さすがに驚いた。
「ここ、私たちも使っていいの?」
ミツネが、その綺麗な目を爛々と輝かせてハンターに詰め寄る。
「……まぁ、建物を壊さないならな」
「やったぁ!」
その日から、ミツネと子供たちの温泉好きが始まった。因みに、俺もあの温かい湯がすっかり気に入った。妻たちに搾り取られてボロボロになった疲れた身体に、あの熱い湯がじんわりと染み渡るのだ……。
意外かもしれないが、ベリーとその子供たちはあまり温泉を気に入らなかった。
「熱すぎる……湯船なんかより、旦那様の身体の方がいい……」
「パパの上がいい〜……」
だそうだ。やれやれ、雪山育ちのあいつらには、温泉は少々刺激が強すぎたらしい。
種族が違えば、当然、食の好みも違う。リオ一族の子供たちが肉を奪い合っている横で、ミツネの子供たちは川から獲ってきた魚を嬉しそうに食べている。ゼクスの子どもたちは、どこからか集めてきた虫を大量に抱え込んで、パリパリと美味そうに齧っている。そして――
「パパ! これ、すっごくおいしい!」
ベリーの子供たちが、地下の冷凍室から持ってきたカチカチに凍った小魚を、ボリボリと嬉しそうに齧っていた。
「そんなに気に入ったのか?」
「うん! 冷たくて硬い!」
「でもおいしい!」
どうやら本来の生息地が雪山であるあいつらにとって、凍った魚の食感はたまらないらしい。
その様子を見ていたナルガやティガの子供たちが、「えー! 俺も食べたい!」「こっちは肉あるよ!」「僕の虫と交換しよう!」などと言い始める……気がつけば、巣のあちこちで子供たちの食料交換会まで始まっていた。
因みに、このカチコチの小魚のお陰でベリーの子供たちは牙が自然と研がれ、鋭くなっていくのと同時に、伸びすぎている牙を嫌がらずに削ることができるようになった。これまでは牙を削ろうとすると地味に嫌がって暴れるから大変だったんだよな……。
本当に、あの人間の冷凍室には助けられている。そして、そんな俺たちの至れり尽くせりな生活の中で――あの人間のハンターの生活も、完全に変わってしまった。
街の一角。そこでハンターは、大量の子供たちの抜け毛や、成長の過程でポロポロと抜け落ちた鱗をせっせと仕分けしていた。
それらは、定期的に街まで訪れる人間の学者たちへ渡される。普通なら有り得ない、異種族の混血の子供たち。その驚異の成長記録。体毛や鱗の劇的な変化。それらは人間の生態学者にとって、国家予算を投げ打ってでも欲しい、とてつもなく価値のある研究資料らしい。
その生体サンプルの謝礼金とやらは、もちろんすべてハンターの懐へ入る。
さらに、あのギルドマスターから定期的に送られてくる依頼。『恋愛小説の次回作の参考になるような、絶倫王の新しい修羅場の話を至急探してくれ』……という、もはやハンターとしての尊厳はどこへ行ったんだと言いたくなるような仕事まである。
そして、あいつが今、最も忙しく稼働している仕事、それは冷凍室の管理、発電設備の点検、水道の整備、温泉の温度調節、倉庫の在庫管理……人間の街に残されたあらゆる設備の維持管理だ。
もはや、俺たち家族にとって、彼は「ハンター」というより――我が家になくてはならない、唯一無二の『文明担当』だった。
最初は、ただの空っぽになった、人間の抜け殻のような街だった。そこへ俺たちが住み着いた。誰かが緻密な計画を立てたわけでもない。ただ、俺たちそれぞれが「ここで家族と生きたい」と願い、不器用に行動した結果に過ぎなかった。
だが、そんな奇妙で、優しくて、どこか歪な街の噂が、少しずつ壁を越えて外の世界へと流れ始めていた。
――人間の街を、一頭の紅蓮の飛竜が奪った。
――そこには、本来相容れないはずの、様々なモンスターが集まっている。
――あそこに行けば、食料を分けてもらえる。
――凍えることのない、安全な寝床がある。
――外敵が来ても、圧倒的な強さを持つ『王』が守ってくれる。そして何より。
――一度そこへ行けば、もう二度と、独りではなくなる。
最初は、ただの風が運ぶ不確かな噂だった。だが……噂というものは、不思議なほど遠くまで届く。山を越え、森を越え、広大な川を越え、そして――遥か遠く離れた不毛な荒野へも。
◆
冷たい雨が、容赦なく降り注いでいた。草木も生えぬ荒れ果てた大地を……一頭の雌が、ただ一頭だけでトボトボと歩いていた。
濡れそぼった碧青の甲殻から、冷たい雨粒が音もなく流れ落ちていく。疲れていた。五体を動かす身も、明日を見据える心も、限界だった。
何より――この広大な世界で、たった独りでいるという事実に、彼女の精神は擦り切れかけていた。
彼女はまだ、成熟して間もない若い個体だ。かつては共に狩りをし、地を駆ける仲間がいた。愛してくれる家族がいた。羽を休める温かい帰る場所があった。
だが、あの日……理不尽な天災が、そのすべてを一瞬にして奪い去った。そして今、彼女の手元には何もない。飢えを満たす食料もない。身を隠す安全な寝床もない。頼れる群れも、もうどこにもいない。ただ、冷たい雨の中を、倒れないためだけに歩き続けるしかなかった。
そんな絶望の淵にいた彼女の耳に――ふと、どこからともなく奇妙な噂が届いた。
『竜の都』
彼女はピクリと耳を震わせ、泥にまみれた足を止めた。
『そこへ行けば、どんな種族であれ、王が守ってくれる』
『弱い者であっても、決して追い払われたりしない』
『お腹いっぱい、食べ物を分けてもらえる』
そして――『もう、独りではなくなる』
彼女はしばらく、何も言わずに霞む遠くの空を見つめていた。周囲には、激しい雨音だけが、静かに荒野へ響き渡っている。やがて、彼女はゆっくりと顔を上げた。
濁りかけていたその瞳に、ほんの僅かな、だが確かに消えない希望の光が宿る。
「…………」
声にならない鳴き声を小さく漏らし、彼女は、まだ見ぬ遥か彼方の『都』へ向かって――静かに、確固たる一歩を踏み出した。
新ヒロイン登場!ヒントは碧青の甲殻!
執事と正妃を地獄に落とすならどれが良い?
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