レスリングスライムが現れた!【マットの上では格は不要!】   作:ヒツジ(ラム肉

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スライム。

それは冒険者なら誰でも知っている、最弱の魔物である。

柔らかい。

弱い。

ぷるぷるしている。

街道脇の草むらにもいる。

森の浅い場所にもいる。

下手をすれば、冒険者になったばかりの少年少女ですら倒せる。

討伐依頼の報酬も安い。

素材としても大して価値はない。

危険度も低い。

そして何より――

弱い。

誰もがそう思っていた。

当然だった。

実際、弱いのだから。

――だが。

誰が決めた?

マットの上でも弱い、と


第一章 始まりの戦い
第1話 誰が決めた? マットの上でも弱い、と


「押せ! 押せ押せ押せェ!」

 

「いけぇぇぇ!」

 

「そこだ! 投げろォ!」

 

地方都市ラグナ。

 

大通りから一本外れた広場には、普段なら野菜や布、干し肉などを売る露店が並んでいる。

 

だが今日、その中央を占拠していたのは巨大な四角い台だった。

 

木組みの土台。

 

その上に敷かれた厚手の布。

 

四方には柱が立ち、太い縄が三段。

 

即席ではあるが、立派な試合場だった。

 

リング。

 

近年、この地方で妙に人気を伸ばしつつある格闘興行である。

 

拳。

 

投げ。

 

組み。

 

押さえ込み。

 

武器は原則禁止。

 

魔法も制限。

 

相手を殺してはいけない。

 

勝つだけでは足りない。

 

観客を沸かせてこそ一流。

 

そんな少し変わった競技だった。

 

「赤コーナー! 北門衛士隊所属! 鉄壁のガルドォォォ!!」

 

「うおおおおおお!」

 

歓声を浴びながら、一人の男がリングへ上がった。

 

ガルド。

 

三十代半ば。

 

分厚い胸板。

 

太い腕。

 

街の衛士として何度も荒くれ者を取り押さえてきた男であり、この格闘興行にもたびたび参加している。

 

戦績は十二戦九勝。

 

地方興行としては、十分な人気選手だった。

 

「今日は新人潰しかー!」

 

「手加減してやれよ!」

 

「誰が新人だ!」

 

ガルドが観客へ怒鳴り返す。

 

客席が笑う。

 

本人も口元を緩めた。

 

このやり取りもいつものことだった。

 

問題は。

 

今日の対戦相手がまだ来ていないことだった。

 

「……遅いな」

 

リング中央のレフェリーが眉をひそめる。

 

興行主はリング下で青い顔をしていた。

 

「どうした?」

 

ガルドが聞く。

 

「その……対戦予定だった傭兵が」

 

「逃げた?」

 

「腹を下しました」

 

「もっと締まらねえ理由だった」

 

観客席にも事情が伝わり始める。

 

ざわざわ。

 

「試合なし?」

 

「金返せよー!」

 

「ガルドに一人芝居させろ!」

 

「やらん!」

 

ガルドが即答した。

 

そのときだった。

 

会場の端。

 

酒場《跳ね鹿亭》の裏口から。

 

ぬるり。

 

青緑色の何かが出てきた。

 

「ぷる」

 

大きかった。

 

普通のスライムなら、せいぜい桶に入る程度。

 

だがそいつは違う。

 

大型犬どころではない。

 

人間の腰ほどの高さがあり、横幅もある。

 

水を詰めた巨大な革袋のような身体が、陽光を受けてぷるぷる震えていた。

 

「おい」

 

「スライムだ」

 

「でっか」

 

「跳ね鹿亭のところのやつじゃないか?」

 

街では少し知られた存在だった。

 

酒場の娘がいつの間にか懐かせていた大型スライム。

 

危害を加えることもなく、酒場裏で残飯を食べ、日向で寝る。

 

たまに客の落としたパンを勝手に食べる。

 

その程度の魔物。

 

「ぷる」

 

そのスライムが進む。

 

興行会場へ。

 

「おいおい、入ってくるぞ」

 

「誰か止めろよ」

 

「まあスライムだし」

 

誰も本気で警戒していなかった。

 

なにせスライムだ。

 

最弱の魔物である。

 

スライムはリング脇まで来た。

 

止まる。

 

見上げる。

 

ロープ。

 

リング。

 

その上のガルド。

 

「ぷる?」

 

身体が傾いた。

 

「なんだ?」

 

ガルドも見下ろす。

 

次の瞬間。

 

スライムが縮んだ。

 

ぐにゅっ。

 

「ん?」

 

そして。

 

ぼよんっ!

 

跳んだ。

 

「うおっ!?」

 

リングの端へ、べちゃっと着地する。

 

ロープをくぐったというより、ロープの隙間から身体を変形させて入り込んだ。

 

観客が笑う。

 

「乱入だ!」

 

「今日の対戦相手こいつでいいんじゃねえか!」

 

「ガルド対スライム!」

 

「一秒で終わるだろ!」

 

興行主が頭を抱えた。

 

「お嬢さん! お嬢さんは!?」

 

酒場の裏口から少女が顔を出す。

 

「ぷるちゃん?」

 

「あんたんところのスライムです!」

 

「あー……」

 

少女はリングを見る。

 

スライムを見る。

 

「ぷるちゃん、何してるの?」

 

「ぷる」

 

返事だけはした。

 

戻る気配はない。

 

「……遊びたいのかな」

 

「リングで!?」

 

興行主が叫ぶ。

 

観客は喜んでいた。

 

予定外。

 

事故。

 

だが、興行主という生き物は時として事故を金に変える。

 

彼は数秒だけ悩んだ。

 

そして叫んだ。

 

「特別試合だ!」

 

レフェリーが振り返る。

 

「本気か!?」

 

「このまま中止よりいい!」

 

「相手スライムだぞ!」

 

「ガルド!」

 

興行主がリング上を見る。

 

「軽く相手してやってくれ! 危なくなったら止める!」

 

ガルドはため息をついた。

 

「……まあいい」

 

観客席から歓声。

 

「やれやれー!」

 

「スライム頑張れ!」

 

「一発耐えたら酒奢るぞ!」

 

「飲めるのか!?」

 

スライムは、そんな声を聞いているのかいないのか。

 

リング中央へ移動した。

 

「ぷるん」

 

その身体の中に。

 

一本の妙な物が浮かんでいた。

 

白い。

 

細い。

 

先端が割れている。

 

スプーンのようでもあり、フォークのようでもある。

 

安っぽい。

 

非常に安っぽい。

 

数日前、街外れの川辺で拾ったものだった。

 

誰も正体を知らない。

 

魔道具屋へ持っていっても、

 

「魔力反応ほぼなし」

 

と言われた。

 

素材も不明。

 

金属ではない。

 

木でも骨でもない。

 

妙に軽い。

 

強いて言うなら――

 

ゴミ。

 

そんな扱いだった。

 

だがスライムは気に入ったらしい。

 

ずっと身体の中に入れて持ち歩いていた。

 

「なんだそれ?」

 

ガルドが首を傾げる。

 

スライムの表面が動く。

 

先割れスプーンが、ぬるりと外へ押し出された。

 

細い触手状の身体がそれを持つ。

 

「……武器か?」

 

レフェリーが警戒する。

 

興行主も慌てた。

 

「危険物なら没収――」

 

スライムは。

 

先割れスプーンを。

 

高く掲げた。

 

「ぷるるるるるる!!」

 

一瞬。

 

会場が静まった。

 

誰も理由を説明できない。

 

なのに。

 

妙に。

 

格好よかった。

 

「……なんだ今の」

 

「煽った?」

 

「ガルドを指してるぞ!」

 

「『来い』って言ってる!」

 

「いや『かかってこい』だ!」

 

ガルドが額に青筋を浮かべた。

 

「なんで意味が通じてんだ!?」

 

その瞬間。

 

空気が変わった。

 

魔法陣はない。

 

光もない。

 

雷も鳴らない。

 

だがリングの内側だけ。

 

何かが。

 

ほんの僅かに。

 

揃った。

 

ガルドは衛士隊所属。

 

戦闘経験豊富。

 

武装した盗賊とも戦った。

 

街では名の知られた男。

 

一方。

 

相手はスライム。

 

最弱魔物。

 

本来なら比べるまでもない。

 

なのに今だけは。

 

そんなものが。

 

どうでもよくなった。

 

リングの上。

 

二者。

 

対戦相手。

 

ただ、それだけ。

 

レフェリーが妙な違和感を覚えながらも、両者を見た。

 

「……始めるぞ」

 

ガルドが構える。

 

「怪我する前に終わらせてやる」

 

スライム。

 

「ぷる」

 

「開始!」

 

鐘が鳴った。

 

カァァン!

 

ガルドが踏み込む。

 

最初は軽く。

 

本気で殴るつもりはなかった。

 

大型とはいえスライムだ。

 

拳で小突いて場外へ押し出せば済む。

 

右拳。

 

真っ直ぐ。

 

「ほらよ!」

 

ぼすっ。

 

拳がスライムへ入った。

 

深く。

 

肘近くまで。

 

ガルドは止まった。

 

「……ん?」

 

抜こうとする。

 

抜けない。

 

「…………」

 

もう一度。

 

ぐっ。

 

抜けない。

 

観客席が静かになる。

 

「……おい」

 

誰かが言った。

 

スライムの身体が。

 

ガルドの腕の周りへ。

 

ゆっくりと。

 

ぬるぬると。

 

巻き付いていく。

 

手首。

 

前腕。

 

肘。

 

上腕。

 

「ちょっ」

 

ガルドの顔色が変わった。

 

「待て待て待て」

 

スライム。

 

「ぷる」

 

身体を傾ける。

 

ガルドも傾く。

 

「おい」

 

さらに傾く。

 

「おいおいおい!」

 

スライムが一気に転がった。

 

「うおおおおお!?」

 

ガルドの身体が宙を舞った。

 

ドォン!!

 

背中からマットへ叩きつけられる。

 

会場。

 

沈黙。

 

レフェリー。

 

沈黙。

 

興行主。

 

口が開いたまま。

 

酒場の娘。

 

「あ」

 

スライムだけが。

 

「ぷるん」

 

元の形へ戻った。

 

観客席の一人が、立ち上がる。

 

「……投げた」

 

隣の男も立つ。

 

「今、ガルドを……」

 

「スライムが?」

 

そして。

 

爆発した。

 

「うおおおおおおおおお!!」

 

「なんだ今のォォォ!!」

 

「もう一回やれェェェ!!」

 

「ガルド立てぇぇぇ!!」

 

「スライム強ええええ!!」

 

ガルドが跳ね起きた。

 

「……てめぇ」

 

顔が変わっていた。

 

さっきまでの余裕が消えている。

 

そして。

 

笑った。

 

「面白ぇじゃねえか」

 

拳を構え直す。

 

今度は。

 

手加減なし。

 

レフェリーが一歩退く。

 

観客が総立ちになる。

 

リング中央。

 

大型スライムが震える。

 

「ぷるるるるるる!!」

 

観客がさらに沸く。

 

「来たぞォォォ!!」

 

「やれぇぇぇ!!」

 

「王者ァァァ!!」

 

ガルドが叫んだ。

 

「まだ王者じゃねえだろ!!」

 

誰も聞いていなかった。

 

この日。

 

誰も知らないところで。

 

世界最弱と呼ばれた魔物が。

 

自分の土俵を見つけた。

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