百鬼夜行に通う普通の生徒が忍者の少女に助けられ、彼女に叶わぬ恋をするお話。
その日、私は恋をした。
———なんて言うと、まるで少女漫画みたいで、少し恥ずかしい。
けれど、私にとっては本当に、それくらい突然の出来事だった。
ある春の夕暮れ。
百鬼夜行連合学院からの帰り道、私は一人で商店街を歩いていた。
部活には入っていない。
特別な委員会に所属している訳でもなかった。
勉強が飛び抜けてできる訳でもなければ、何かしら特別な才能がある訳でもなく。
私は、百鬼夜行のどこにでも居る普通の生徒だった。
学校が終われば家に帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、宿題をして寝る。
そんな毎日。
それが嫌だった訳じゃない。
寧ろ、平和で良いと思っていた。
百鬼夜行には変わった人が多い。
忍者みたいな格好をして走り回る生徒もいるし、突然路上で怪談話を始める人もいる。
商店街を歩いていれば、どこからともなく騒ぎが起きる事だって珍しくなかった。
「……ん?」
商店街を抜けた所で、私は足を止めた。
前方に、数人の生徒が居る。
制服は百鬼夜行のものだったけれど、明らかに学校帰りという雰囲気ではない。
道の真ん中にたむろして、何かを話している。
嫌な感じがした。
私は少しだけ歩く速度を落とす。
反対側へ回ろう。
そう思った。
けれど……
「おい」
声をかけられた。
心臓が跳ねる。
「……私、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
振り返る。
三人。
私と同じくらいの年齢に見える生徒が二人。
そして、その後ろに腕を組んで立っている大柄な生徒が一人。
別に銃を向けられている訳でもない。
なのに、足が動かなかった。
「一人?」
「……はい」
「へえ」
大柄な生徒が私の横を通り過ぎる。
そして、進行方向を塞ぐように立った。
「ちょっとお金貸してよ」
「え?」
「良いじゃん、少しくらい」
笑っている。
けれど、その笑顔が怖かった。
私は一歩後ろへ下がる。
「すみません、家に帰らないと……」
「別に良いじゃん」
「でも……」
「良いから」
肩を掴まれた。
「———っ」
怖い。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
私だって、キヴォトスの生徒だ。
銃は持っている。
けれど、人に向けて撃った事なんて今まで一度もなかった。
早く撃って、逃げないと……
そう思うのに、身体が動かない。
怖い……
「ほら、来いって」
「……離して下さい」
「聞こえねえな」
肩を掴む手に力が入る。
「痛っ……」
その時だった。
「———そこまでです!」
声が響き渡る。
良く通る声だった。
明るくて、迷いが無くて。
その場に漂っていた嫌な空気を、一瞬で吹き飛ばすような声。
全員が振り返る。
そこに、一人の少女が立っていた。
綺麗な黒髪。
狐の耳と尻尾。
桜柄の羽織を着た少女。
私は、その姿を知っていた。
「……久田イズナ?」
思わず呟いていた。
久田イズナ。
百鬼夜行連合学院、忍術研究部の部員。
学校の中でもかなり有名な生徒だ。
本人は忍者を自称していて、任務の為ならどこへでも駆けつける。
そんな噂を聞いた事がある。
でも、実際に会ったことはなかった。
イズナさんは私達の方へ歩いて来る。
「そこのお主等!」
私の肩を掴んでいた大柄な生徒に指を向ける。
「嫌がっている生徒から無理矢理お金をせびるなんて、忍者として……いや、人として見過ごせません!」
「は?」
「今すぐその手を離してください!」
「なんだよ、お前」
大柄な生徒が鼻で笑った。
「一人で何ができんだよ」
その言葉を聞くと、イズナさんはにっと笑った。
次の瞬間。
イズナさんの姿が消えた。
「え?」
私は瞬きをする。
大柄な生徒の手が、いつの間にか私の肩から離れていた。
そして……
「ぐっ!?」
大柄な生徒が地面に倒れた。
何が起きたのか分からない。
イズナさんはいつの間にか、大柄な生徒のすぐ側に立っていた。
「隠れ身の術!です!」
「この……!」
別の生徒が銃を抜いた。
「危ない!」
私が叫ぶ。
けれどイズナさんは動じなかった。
———銃声。
その瞬間には、イズナさんはもうそこに居ない。
「こっちです!」
「なっ———」
大柄な生徒が立ち上がる。
しかし……イズナさんは笑っていた。
そして、軽く手刀を叩き込んだ。
「ぐえっ!」
大柄な生徒が倒れた。
残った二人が顔を見合わせる。
「逃げろ!」
「覚えてろよ!」
二人の生徒は逃げ去っていく。
あっという間だった。
私は呆然とその場に立ち竦む。
イズナさんは倒れた大柄な生徒を確認すると、何事も無かったようにこちらへ歩いて来る。
そして、私に向かって手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「……え?」
「怪我はないです?」
「あ……はい」
私は自分の肩を見る。
さっき掴まれていた場所が少し痛い。
けれど、それだけだった。
「良かったです!」
イズナさんは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間……胸が、変な音を立てた気がした。
「……あの」
「はい?」
「ありがとうございました」
「いえ!礼には及ばないです!」
イズナさんは胸を張った。
「困っている人を助けるのは、忍者の務めですので!」
その言葉が、妙に眩しい。
夕暮れの光を背にして立つイズナさんは、私にはまるで物語の中の人みたいに見えた。
強くて。
優しくて。
迷いが無くて。
私には何一つないものを、全部持っているように見えた。
「……イズナさん」
「はい!」
「本当に、ありがとうございました」
「いえ!」
イズナさんは満面の笑みを浮かべた。
「では、気をつけて帰ってくださいね!」
「あ……」
イズナさんが背を向ける。
そして、そのまま走り去っていく。
その背中が見えなくなるまで、私はずっと見つめていた。
胸が苦しい。
でも、それはさっきまで感じていた恐怖とは違う。
もっと熱くて。
もっと苦しくて。
でも、嫌じゃない。
私は胸元に手を当てた。
「……何、これ」
私は、生まれて初めて抱いたその感情に戸惑いを隠せなかった。
◆◇◆
翌朝。
私は教室に入ると、友達に挨拶をした。
「おはよう」
「おはよー」
いつも通りの、何も変わらない朝。
それなのに、私の頭の中は昨日の事でいっぱいいっぱいだった。
久田イズナ。
イズナさん。
彼女の笑顔……それを思い出すだけで、顔が熱くなる。
私は机に頬杖をついた。
「……はぁ」
「どうかしたの?」
「えっ!?」
友達に声をかけられて、私は飛び上がった。
「なんでもない!」
「なんでもなくはないでしょ、ずっとニヤニヤしてるよ」
「ニヤニヤなんてしてない!」
「してるって」
「してない!」
慌てて否定する。
友達は不思議そうな顔をした。
私は視線を窓の外へ向ける。
今日は会えるだろうか。
イズナさん。
いや、もしかしたら、学校で会えるかもしれない。
そう考えるだけで、胸が高鳴った。
そして、昼休み。
廊下を歩いていると———
「……あ」
見つけた。
廊下の向こう。
黒いショートヘアと、大きな尻尾が揺れている。
間違いなくイズナさんだった。
一瞬、足が止まる。
声をかけたい。
昨日助けてもらったお礼を、もう一度言いたい。
だから、私は勇気を出して歩み寄った。
「イズナさん!」
その声を聞いて、イズナさんの狐耳がぴくりと反応する。
「ん?」
目が合った。
昨日と同じ、明るい笑顔。
私は嬉しくなった。
「イズナに何かご用ですか?」
「あの、昨日のお礼を改めて言いたくて……」
「昨日?」
イズナさんが首を傾げる。
「……え?」
「えっと……」
イズナは私の顔をじっと見る。
そして、申し訳なさそうに笑った。
「す、すみません!」
「……は、はい」
「どちら様でしょうか……?」
時間が止まった。
周囲の声が遠くなる。
廊下を歩く生徒たちの足音も、窓の外から聞こえる鳥の声も。
何も聞こえなくなった。
「……昨日、会いましたよね?」
「うーん、と……?」
「その……夕方頃に」
「……あっ!」
イズナさんの顔が明るくなる。
「昨日の!」
「はい!」
胸が少しだけ軽くなる。
思い出してくれた。
けれど……
「不良の方に絡まれていた方ですね!」
「…………」
「無事に帰れたようで何よりです!」
「……はい」
私は笑う。
それから数回会話を交わした後、イズナさんとその場を別れた。
廊下の角を曲がる。
誰にも見えない場所まで来た所で、私は壁に背中を預けた。
「……そっか」
胸の奥が、少し痛い。
昨日の事は、私にとって特別だった。
危ない所を助けられて。
その人の事を好きになった。
でも、イズナさんにとっては、良くある出来事の一つだった。
当たり前だ。
イズナさんは忍者なのだから。
きっと、私みたいに助けた人がたくさんいる。
私だけが特別な訳じゃない。
「……でも」
私は小さく呟いた。
「……別に、良いもん」
私にとってそれは特別な思い出だ。
あの日。
夕暮れの道。
差し出された手。
眩しい笑顔。
そして———
『大丈夫ですか?』
という優しい声。
全部。
一つも忘れない。
だから、私は決めた。
明日も、イズナさんに話しかけよう。
明後日も、その次の日も。
いつかイズナさんが、私の事をちゃんと覚えてくれるようになるまで。
◆◇◆
次の日の朝。
私はいつもより少しだけ早く家を出た。
理由は簡単だ。
イズナさんに会いたかったから。
イズナさんはいつも朝早くから学院に来て、忍術の練習をしていると聞いた。
私は百鬼夜行の街を歩く。
早朝の商店街は、普段とは違う顔をしている。
店先を掃除する人や、開店準備をする人。
眠そうな顔で学校へ向かう生徒。
そんな光景を眺めながら歩いていると———
「……あ」
見つけた。
特徴的な狐の耳と尻尾。
見間違える筈が無い。
「イズナさん……!」
少し前を、イズナさんが歩いている。
どうやら一人らしい。
私は足を速めた。
声をかける。
ただそれだけなのに、緊張する。
昨日も話したじゃないか。
何をそんなに緊張しているんだ。
そう思う。
けれど、好きな人に話しかけるというのは、それだけ勇気の要る行動なのだ。
「イズナさん!」
私は勇気を振り絞り、声をかけた。
イズナさんが振り返る。
「おや?」
私は笑顔を作った。
「おはようございます!」
「……」
イズナさんは一瞬、目を丸くした。
それから、にっこり笑う。
「おはようございます!」
それだけだった。
でも。
それだけで、胸がいっぱいになった。
「今日も良い天気ですね」
「そうですね!」
「学校、今日も頑張りましょうね」
「もちろんです!」
「じゃあ、また……」
「はい!」
イズナさんが手を振る。
私も手を振り返す。
そして、そのまま別れた。
……
……
……何これ。
私は歩きながら、口元を押さえた。
嬉しい。
物凄く嬉しい。
たった数秒。
挨拶をしただけ。
それだけなのに、今日は一日頑張れるような気がした。
「……単純だなあ、私」
自分で笑ってしまう。
でも、仕方がない。
好きな人と話せたのだから。
◆◇◆
それから暫く。
私は毎日のように、イズナさんに挨拶をした。
最初は少し緊張してたけど、何日も続けているうちに段々と慣れてくる。
イズナさんも、私を見つけると手を振ってくれるようになった。
毎朝、言葉を交わせる。
それだけで、私は幸せだった。
そしてとある日の朝の事。
「おはようございます、イズナさん!」
「はい!おはようございます!」
いつものように挨拶する。
イズナさんは笑顔だった。
そして、私の横に並ぶ。
「今日も元気ですね!」
「え?」
「いつも、元気に挨拶してくれます!」
「……!」
胸が跳ねた。
覚えている。
イズナさんが、私の事を。
「覚えて……くれてたんですか?」
「もちろん!」
イズナさんは胸を張った。
「毎朝会いますから!」
「……!」
嬉しい。
物凄く嬉しい。
私は思わず笑った。
「ありがとうございます!」
「……?イズナは、お礼を言われるような事はしておりませんよ?」
「大丈夫です!」
「??」
イズナさんはその言葉に不思議そうな顔をした。
私はその横顔を見ながら隣を歩く。
今日は最高の日だ。
そう思った。
だって、イズナさんが私のことを覚えてくれた。
私の事を、毎朝挨拶する女の子として。
嬉しい。
私にはその気持ちだけで十分だった。
◆◇◆
「そういやさ」
休憩時間。
友達が私の顔を覗き込んできた。
「最近、朝早く来てない?」
「そうかな?」
「そうだよ、前はチャイムぎりぎりに来てたじゃん」
「……そうだっけ」
「うん」
私は弁当を食べながら、目を逸らした。
「最近ちょっと早起きしてるだけ」
「ふーん」
友達は疑うような目を向ける。
「なんか良い事あった?」
「ないよ」
「絶対ある」
「ないってば」
「恋?」
「ぶっ……!」
飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
「な、なんでそうなるの!?」
「分かりやすいから」
「何が!?」
「最近ずっと楽しそう」
「……」
私は黙った。
そうなのだろうか。
自覚はなかった。
でも。
確かに。
朝、イズナさんと会えると思うだけで、家を出るのが少し楽しみになっていた。
学校へ行くのも楽しい。
朝が来るのが楽しみ。
友達は笑った。
「まあ、好きな人ができるのは良い事じゃん」
「……うん」
好きな人。
そう言葉にしてみる。
胸の奥がくすぐったくなった。
イズナさん。
私の好きな人。
そう思うだけで、顔が熱くなる。
◆◇◆
その日の放課後。
私はいつもの道を歩いていた。
ふと、前方にイズナさんが歩いているのが見える。
「イズナさん!」
「ん?」
声をかけると、イズナさんも私に気がついた。
「おお!」
手を振ってくれる。
私は嬉しくなって駆け寄った。
「今、帰りですか?」
「はい!そうです!」
「えっと、その……私も一緒に帰っても良いですか?」
「もちろん!良いですよ!」
即答だった。
胸が高鳴るのを感じながら、隣を歩く。
肩が触れそうな距離にイズナさんが居る。
それだけで緊張してしまう。
「今日は学校どうでした?」
「楽しかったです!」
「何かあったんですか?」
「先程、任務で主殿と———」
そこで、イズナさんがとても嬉しそうな顔をした。
「……主殿?」
「シャーレの先生殿でござるよ!」
先生。
その言葉が出た瞬間。
イズナさんの声が一段明るくなった。
「先生がどうかしたんですか?」
「実は———」
イズナさんは楽しそうに話し始めた。
今日、先生と会った事。
先生から任務について褒められた事。
先生がどんな顔をしていたか。
先生が何を言ったか。
先生が———
「……」
私はその話黙って聞いていた。
イズナさんはとても楽しそうだ。
とても、とても嬉しそうだった。
その顔を見ていると、こっちまで嬉しくなる。
好きな人が楽しそうにしていた。
それは、良い事だ。
だから私は笑った。
「イズナさん、本当に先生の事が好きなんですね」
「はい!もちろんです!」
即答。
迷いなんて一つもない言葉。
「主殿は本当に凄いお方です!お優しくて、とても頼りになる……そんなお方なんです!」
「……そうなんですね」
私は笑った。
でも。
胸の奥が、ほんの少しだけ痛い。
その痛みを、私はまだ知らないふりをした。
◆◇◆
数日後。
私は、少しだけ勇気を出す事にした。
放課後。
イズナさんを見つけ、いつものように挨拶をする。
そして……
「あの……イズナさん」
「はい!なんですか?」
「今度の休日って、何か予定ありますか?」
「休日?」
「は、はい」
心臓がうるさい。
「その、もし予定がなかったら……」
言葉が詰まる。
でも。
言わなきゃ。
「一緒に……」
喉が乾く。
「一緒に、どこか遊びに行きませんか?」
言った。
言ってしまった。
イズナさんは目を丸くする。
私は思わず俯きそうになった。
断られる。
きっと断られる。
そう思った。
でも……
「良いですよ!」
「……え?」
顔を上げる。
「休日ならば、予定空いていますよ!」
「本当に……?」
「はい!」
イズナさんは笑った。
「どこへ行くのですか?」
「えっと……」
頭の中が真っ白になる。
嬉しすぎて、何も考えられない。
「甘いもの……とか」
「甘味処ですね!」
「はいっ!」
「良いと思います!」
「ありがとうございます!」
私は笑う。
笑いながら、心の中で何度も叫んでいた。
やった。
約束した。
イズナさんと二人で出かける。
これって、もしかして……
デート、なのかな。
その夜。
私はベッドの上で何度も寝返りを打った。
眠れない。
どんな服を着よう。
髪はどうしよう。
何を話そう。
イズナさんは何が好きなんだろう。
嫌われたくない。
変に思われたくない。
でも、少しでも可愛いと思って欲しい。
私は枕に顔を埋めた。
「……どうしよう」
顔が熱い。
楽しみ。
凄く楽しみ。
ふと、ほんの少しだけ……期待してしまった。
もしかしたら……私がイズナさんにとって、少しだけ特別になれるかもしれない。
そんな、身の程知らずな期待を……私は抱いてしまった。
◆◇◆
休日。
待ち合わせ場所に、私は予定時刻の三十分前に着いた。
早過ぎた。
自分でも分かっている。
でも、遅れるよりずっと良い。
何度も時計を見る。
あと二十分。
あと十五分。
あと十分。
……そして。
「お待たせしました!」
「———!」
振り返る。
イズナさんが居た。
制服ではない私服姿。
いつもと違う。
それだけで、胸が苦しくなる程可愛く見えた。
「イズナさん……」
「……?どうかしましたか?」
「……いえ」
言えない。
可愛いです、なんて。
そんな事言ったら、絶対変に思われる。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ!よろしくです!」
イズナさんが笑う。
私はその隣に並んだ。
そして、二人で歩き始める。
私にとって、それは初めてのデートだった。
……少なくとも。
私は、そう思っていた。
◆◇◆
待ち合わせ場所から少し歩いた所に、百鬼夜行でも評判の甘味処がある。
古い木造の建物を改装した店で、入口には小さな暖簾がかかっていた。
私はそこへ向かって歩きながら、何度も隣を見てしまう。
イズナさん。
私服姿のイズナさん。
それだけで、頭がいっぱいだった。
「イズナの顔に何か付いておりますか?」
「えっ?」
「先程から、何度もこちらの方を見ているようでしたので……」
「み、見てません!」
「もしや!イズナの勘違いでしたか!?」
「え、えっと……」
「こ、これは自意識過剰な真似をしてしまいました……」
そう言って顔を赤らめるイズナさん。
可愛い。
私はそんなイズナさんの様子を見て一度落ち着く。
……危なかった。
イズナさんの事を見ていたのが本人バレる所だった……
顔が熱い。
私も絶対に赤くなっている。
今日の私はどうかしているかも。
昨日までなら、学校で少し話せただけで嬉しかった。
それなのに今日は、プライベートで一緒に居る。
しかも二人きり。
これが嬉しくない訳がない。
「それはそうと!楽しみですね!」
「はい!」
イズナさんが笑った。
「ここの甘味処、評判が良いんですよ!」
「知ってたんですか?」
「実は、前々から気になっていたんです!」
その言葉に、私は少しだけ嬉しくなった。
「じゃあ、誘って良かったです」
「はい!ありがとうございます!」
イズナさんが明るく笑う。
その笑顔を見ると心が浄化されていく。
「今日はたくさん食べましょう!」
「そんなに食べられるんですか?」
「忍者たるもの、いついかなる時でも動けるよう食事は大切です!」
「なるほど……」
「それに、甘いものは別腹ですから!」
「それ、忍者関係あります?」
「あります!」
イズナさんは自信満々に言った。
思わず笑ってしまう。
「ふふっ」
「む?」
「いえ……なんでもないです」
楽しい。
凄く楽しい。
こんな時間がずっと続けば良いのに。
そんな事を考えてしまう。
店に入る。
案内された席に向かい、二人で向かい合って座った。
「何にしますか?」
「私は抹茶パフェにしようかな」
「ほう!とても美味しそうですね!」
イズナさんがメニューを覗き込む。
「では、イズナはこれにします!」
「どれですか?」
「特製あんみつ!」
「美味しそうですね」
「絶対に美味しいです!」
注文を済ませる。
料理を待つ時間すら、私には特別だった。
イズナさんは窓の外を眺めている。
私はそんなイズナさんを眺めていた。
何を話そう。
折角二人きりなのだから、もっとイズナさんのことを知りたい。
好きな食べ物。
好きな場所。
好きな本。
好きな音楽。
……好きな人。
「……」
最後の質問だけは、胸の奥に閉まった。
「そういえば」
イズナさんがこちらを向く。
「毎朝、いつも話しかけに来てくれてありがとうございます!」
イズナさんは笑った。
「朝から元気な挨拶を聞くと、こちらも元気になりますから!」
「———っ!」
私はその言葉に思わず声にならない声をあげる。
「……私も一つ良いですか?」
「はい!なんでしょうか?」
「イズナさん、改めてあの時は助けてくれてありがとうございました。私……凄く怖くて、何もできなくて……でも、イズナさんが助けてくれて」
言葉にすると、あの日のことが蘇ってくる。
「本当に嬉しかったんです」
「そう言ってもらえると、忍者冥利に尽きます!」
「だから……」
私は少しだけ俯いた。
「もっとイズナさんと話してみたいと思って」
「なるほど!」
イズナさんは嬉しそうに頷いた。
「それで、毎朝話しかけてくれていたのですね!」
「はい」
「納得しました!」
本当は、少し違う。
私が毎朝会いたかったのは、それだけじゃない。
助けてもらったお礼だけでもなく、私はあなたの事が好きだから会いたかった。
でも、それは言えない。
「あ!来ましたよ!」
店員さんが料理を運んできた。
抹茶パフェ。
あんみつ。
色取り取りの甘味がテーブルに並ぶ。
「わあ……」
「美味しそうですね!」
イズナさんが目を輝かせる。
その顔が可愛くて、私はまた笑った。
「頂きます」
「頂きます!」
二人で食べ始める。
「……!」
イズナさんが目を見開いた。
「美味しいです!」
「本当ですか?」
「はい!」
私は抹茶アイスを一口食べた。
「美味しい……」
自然と笑顔になる。
「最高ですね!」
暫く二人で甘味を楽しんだ。
他愛のない話をした。
学校の事。
最近見つけたお店の事。
百鬼夜行の祭りの事。
イズナさんの部活の事。
話しているうちに、時間があっという間に過ぎていった。
私は何度も思う。
来て良かった。
誘って良かった。
この時間が幸せだ。
そして、店を出る。
「次は、どこへ行きますか?」
「え?」
私は少し驚いた。
これで終わりだと思っていたからだ。
「まだ、時間はありますよ!」
「……良いんですか?」
「もちろん!」
嬉しかった。
「じゃあ……少し歩きませんか?」
「はい!」
二人で街を歩く。
休日の百鬼夜行は賑やかだった。
商店街には観光客も多く、店先には季節限定の商品が並んでいる。
「これ、可愛いですね」
私は小さな狐のぬいぐるみを指差した。
「おお!」
イズナさんが目を輝かせる。
「可愛いです!」
「イズナさん、こういうの好きなんですか?」
「はい!」
イズナさんはぬいぐるみを手に取った。
「狐は忍者と相性が良いですから!」
「そうなんですか?」
「きっとそうです!」
「ふふっ、そうだと良いですね」
また笑う。
イズナさんも笑う。
「すみません、これ下さい」
私は店員さんにそう言って、その小さな狐のぬいぐるみを購入する。
「お、欲しかったんですか?」
「いえ……」
私は恐る恐る、その購入したぬいぐるみをイズナさんに差し出した。
「ど、どうぞ!」
「え?い、良いんですか!?」
「は、はい!是非もらって下さい!」
「お金払います!」
「い、いえ!お金は大丈夫です!ほ、ほら!出会った時に助けてくれたお礼という事で……!」
「で、でも……」
「大丈夫ですから!」
「そ、そこまで言うなら……」
イズナさんは、ぬいぐるみを受け取るとそっと優しく撫でた。
「ふふっ、ありがとうございます。大事にします」
「え、へへ」
イズナさんにプレゼント渡しちゃったぁ〜。
そんな風に浮かれていると、ふと店の中にあった小さな鏡に、二人の姿が映っているのに気がついた。
並んで立っていて、距離が近い。
それはまるで、本当に恋人みたいに見えた。
私は思わず鏡から目を逸らす。
……駄目だ。
浮かれるな、私。
期待しちゃいけない。
これはデートじゃない。
ただ一緒に遊びに来ただけ。
イズナさんは優しい。
誰にでも優しい。
きっと私じゃなくても、頼まれれば一緒に出かけてくれる。
そう、分かっている。
それでも……今だけは、少しくらい夢を見ても良いじゃないか。
「どうかしましたか?」
「……なんでもないです」
「そうですか?」
「はい」
私は笑った。
◆◇◆
午後。
私達は、川沿いにある桜並木の道を歩いていた。
イズナさんのカバンには、先程の小さな狐のぬいぐるみが付いている。
風が気持ちいい。
桜の花びらが時々、風に乗って舞っている。
「綺麗ですね」
「はい!」
イズナさんが空を見上げる。
「春は良い季節ですね!」
「イズナさんは春が好きですか?」
「好きです!」
その言葉に一瞬だけドキッとした。
「そ、それはどうしてですか?」
「新しい事が始まる季節だからです!」
「新しい事?」
「はい!」
イズナさんは嬉しそうに言った。
「新しい出会いがありますし、新しい任務も!」
「なるほど」
「それに———」
イズナさんが少し照れたように笑った。
「主殿と出会ったのも、この頃でした」
「……」
胸が、きゅっとした。
「先生と?」
「はい!そうです!」
イズナさんは楽しそうに話し始めた。
「主殿は、本当に凄いお方なのです」
「……はい」
「イズナが困っていた時に助けて下さって」
「そうなんですね」
「だから、イズナは主殿を助けられる忍者になりたいと思ったんです」
「……」
そう語るイズナさんの顔は、とても嬉しそうで……
……先生。
また、先生。
さっきまで楽しかった筈なのに。
少しずつ、胸が苦しくなる。
「イズナさん」
「はい?」
「先生の事……好きなんですか?」
聞いてしまった。
イズナさんは驚いた顔をして……
けれど、すぐに笑った。
「好きです!」
即答だった。
「主殿は、イズナの大切な人ですから!」
胸に何かが突き刺さったような気がする。
分かっていた。
ずっと。
知っていた。
イズナさんが先生の事を大切にしている事。
それでも。
実際に聞くと、胸がとても痛かった。
「……そうなんですね」
「はい!」
イズナさんは嬉しそうだった。
「主殿の話をすると、つい長くなってしまいますね!」
「……ふふ」
私は笑った。
「本当に、先生の事が好きなんですね」
「はい!大好きです!」
その笑顔が眩しい。
私は思わず目を細めた。
———ああ。
勝てない。
そう思った。
私がどれだけ頑張っても。
どれだけイズナさんの側に居ても。
この人の心の中には、もう大切な人がいる。
それでも……
「……イズナさん」
「はい?」
「今日は、楽しかったです」
「イズナも、楽しかったです!」
「……本当に?」
「もちろん!」
イズナさんは笑う。
「また、一緒に遊びに行きたいです!」
「……!」
胸が熱くなる。
「……はい!」
私は笑う。
先生の話をされて苦しかった。
それでも。
『また、一緒に遊びに行きたい』
そう言ってもらえたことが、心底嬉しかった。
矛盾している。
苦しいのに、嬉しい。
悲しいのに、幸せ。
私はその気持ちを、まだうまく言葉にできなかった。
◆◇◆
夕方。
その帰り道。
駅へ向かう分かれ道で、イズナさんが立ち止まった。
「今日はありがとうございました!」
「こちらこそ」
「甘味も美味しかったですし!」
「また、行きましょう」
「はい!喜んで!」
イズナさんが手を振る。
「では、また明日!」
「はい、また明日」
イズナさんが去って行く。
私はその背中を静かに見送る。
そして暫く、その場から動けなかった。
今日は楽しかった。
たぶん、今までの人生で一番楽しかった。
でも、同時に……分かってしまった。
私はイズナさんの事が、本当に大好きなんだ。
ただ憧れているだけじゃない。
助けてもらったから好きなだけでもない。
もっと近くに居たい。
もっと私を見てほしい。
私の名前を覚えてほしい。
私と一緒にいる時間を、特別だと思ってほしい。
———できれば。
先生じゃなくて、私を見てほしい。
「……」
そこまで考えて、私は自分の頬を叩いた。
「何考えてるの……」
そんな事、無理に決まっている。
イズナさんは先生が好き。
それは今日、本人の口からはっきり聞いた。
それでも……諦められない。
私は帰り道を歩きながら、スマートフォンを取り出した。
交換した連絡先と、今日撮ったイズナさんと二人の写真を眺める。
今日の出来事を思い出すだけで笑顔になれた。
「……また、誘おう」
今度はもっと普通に。
友達として。
そうすれば、いつか。
いつか私の事を、見てくれるかもしれない。
そう思った。
◆◇◆
それから、私はイズナさんと前よりも少しだけ仲良くなった気がする。
毎朝、イズナさんに挨拶する。
放課後、偶に一緒に帰る。
時間が合えば、一緒にお昼を食べる事もある。
たったそれだけ。
けれど、私にとっては大きな変化だった。
「おはようございます!」
「はい!おはようです!」
朝の挨拶。
「イズナさん、授業どうでした?」
「物凄く眠かったです!」
休み時間の会話。
「今日、一緒に帰りませんか?」
「はい!是非!」
放課後。
そんな小さな出来事が、一つ一つ嬉しかった。
そして。
私は少しずつ、欲張りになっていった。
最初は名前を覚えてもらえれば、それで良かった筈だ。
次は、顔を覚えてもらいくて。
その次は、毎朝挨拶する相手として覚えてもらいたかった。
そして今は、もっとイズナさんの事を知りたいと思っている。
何でもいい。
イズナさんの中にあるものを、もっと知りたかった。
そして同じくらい、私の事も知ってほしい。
けれど———
私には、一つだけどうしても越えられない壁があった。
「主殿が———」
イズナさんの口から、その名前が出る度に。
私は笑顔のまま、胸の奥を押さえつける。
「主殿がですね!」
イズナさんは今日も楽しそうだった。
「この前の任務で、イズナの事をたくさん褒めてくださったんです!」
「へえ……」
「『良くやったね』と、仰ってくださりました!」
「そうなんですね」
「それだけでイズナ、もう一週間くらい頑張れる気がします!」
「ふふっ」
笑う。
ちゃんと笑う。
「イズナさんは、本当に先生の事が好きなんですね」
「はい!もちろん!」
また即答。
迷いがない。
……その度に、私は思う。
強い。
私の恋敵は、あまりにも強い。
顔も知らないその人に、私はいつも負けている。
そもそも私は、その人と戦う事すらできていない。
先生。
ただの呼び名なのに。
その二文字だけで、私の心を簡単に沈ませる。
◆◇◆
「……という訳で」
放課後。
私は机に突っ伏していた。
「どういう訳?」
友達が呆れたように聞く。
「恋敵が強すぎる」
「またそれ?」
「だって……」
私は顔を上げた。
「でも、イズナさんが先生の事好きなのは本当だもん」
「本人から聞いたの?」
「うん」
「どれくらい?」
「……物凄く」
「なるほど」
友達は少し考えた。
「じゃあ、諦めれば?」
「……」
胸が痛んだ。
その言葉は、きっと正しい。
「それができたら苦労しないよ」
「まあ、そうだよね」
友達は笑った。
「好きになっちゃったものは仕方ないし」
「……うん」
そう、仕方ない。
好きになってしまった。
それだけ。
理由なんて、もう関係ない。
あの日、助けてもらったから。
優しかったから。
笑顔が素敵だったから。
忍者として格好良かったから。
そういう理由、それ等全部をひっくるめて。
私はイズナさんが好きだった。
「……よし」
私は立ち上がった。
「何?」
「決めた」
「何を?」
「もっと頑張る」
「何を?」
「イズナさんに好きになってもらえるように!」
「……」
友達が黙る。
「何その顔」
「いや……」
友達は苦笑した。
「頑張って」
「うん!」
私は拳を握った。
まずは、自分磨きだ。
好きな人に振り向いてもらうなら、少しでも可愛くならなきゃいけない。
そう思った。
◆◇◆
翌日。
私は髪型を変えた。
いつもより髪を整えて、髪留めも新しいものにした。
鏡を見る。
「……良し」
多分大丈夫。
いつもより少しだけ可愛い。
……気がする。
学校へ向かう。
いつもの場所。
いつもの時間。
そして……
「おはようございます、イズナさん!」
「はい!おはようございます!今日も元気ですね!」
イズナさんがこちらを見る。
「おや?」
「……!」
「今日はいつもと少し違いますね!」
気づいた。
気づいてくれた。
胸が高鳴る。
「分かります?」
「はい!」
イズナさんは私の髪を見た。
「髪型が違います!」
「はい!」
「とてもお似合いですよ!」
「……!」
一瞬、息が止まった。
「……ありがとうございます」
「どういたしましてです!」
イズナさんは笑った。
私は顔を隠すように俯いた。
駄目だ。
嬉し過ぎる。
「イズナさん」
「なんでしょうか?」
「今日も……可愛いですね」
「?」
イズナさんが首を傾げる。
「急になんの話です?」
「……なんでもないです!」
逃げるように歩き出す。
心臓がうるさい。
成功した。
多分。
今日は少しだけ、イズナさんに意識してもらえた。
そんな気がした。
◆◇◆
次は料理。
イズナさんは甘いものが好き。
だったら、手作りのお菓子を作ってみよう。
そう考えた。
放課後、私は家に帰ると、台所に立った。
「……クッキーくらいなら」
できる、多分。
レシピを見ながら材料を混ぜる。
生地を作り、型を抜き、オーブンに入て焼く。
「……!」
焦げた。
「……」
私は無言でオーブンを見つめた。
真っ黒。
炭。
「……これは食べ物じゃない」
二回目。
少し焦げた。
三回目。
今度はなんとか成功した。
そうして翌日。
「イズナさん、これ……」
「何ですか?」
「クッキーです」
「クッキー!」
イズナさんの目が輝く。
「手作りでござるか!?」
「はい」
「ありがとうございます!嬉しいです!」
イズナさんがクッキーを受け取った。
そして、一枚食べる。
「……」
「……どうですか?」
「美味しいです!」
「本当ですか!?」
「はい!」
嬉しい。
頑張って作って良かった。
イズナさんが二枚目を食べて言う。
「こんな美味しいものを作れるなんて、凄いです」
「い、いえ……それ程でも」
その言葉だけで、今までの苦労が全て報われたような気がした。
「……あれ?」
その時、ふと気がつく。
イズナさんの肩に、オシャレな紙袋がかかっている事に。
「イズナさん、その紙袋は……」
「ん?あ!これは主殿からのプレゼントです!」
「プレ、ゼント……」
「いつもイズナは頑張ってくれてるからって、新品の手裏剣と苦無を買ってくださったんです!」
「……そ、そうなんですね」
私の心が沈んでいくのが分かる。
先生からのプレゼントを語るイズナさんの表情が、私がクッキーをあげた時とは明らかに違う。
……それはまさしく、乙女の表情だった。
「……」
私は笑った。
「はい!」
イズナさんは頬を少し赤らめて、とても可愛らしく、それはもう嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
私はこれ以上その顔を見ていられなくて、イズナさんと別れた。
イズナさんが去って行く背中を見つめる。
さっきまでは物凄く嬉しくて……
でも、今は……途轍もなく苦しかった。
◆◇◆
それでも私は諦めなかった。
今度はイズナさんの好きなものを調べる。
忍者。
甘いもの。
任務。
先生。
「……先生」
そこだけは、どうしようも無かった。
でも、私にも勝てる所があるかもしれない。
そう思った。
忍者について勉強する。
イズナさんが読んでいる本を読んでみる。
忍者の歴史を調べる。
忍術について調べる。
そしてある日……
「おお!」
イズナさんが驚いた。
「もしや、アナタも忍者に目覚めたのですか!?」
「はい!」
「なんと……!」
「イズナさんが好きだから……」
言いかけて、止まった。
「……好きだから?」
イズナさんが首を傾げる。
「忍者が好きだからです!」
「なるほど!」
危ない。
危うく心臓が飛び出るかと思った。
油断するな〜、私!
「同志が増えてイズナ、とても嬉しいです!」
「ほ、本当ですか?」
「はい!」
イズナさんが笑う。
「自分が好きなものを一緒に好きになってもらえるのは、とても嬉しい事です!」
「……」
その言葉を聞いた瞬間。
私は、ふと思った。
だったら。
もっとイズナさんの好きなものを好きになろう。
そうすれば。
いつか。
いつか私も———
◆◇◆
そんなある日のことだった。
放課後、一緒に帰る為に廊下でイズナさんを待っていると……
「お待たせしました!」
「いえ、私も今来た所です」
こ、恋人みたいなやり取りをしてしまった……
そんな事を考えながら、二人で歩き始める。
暫くして、イズナさんが言った。
「そういえば」
「なんですか?イズナさん」
「最近、良く一緒に居ますね、」
「……!」
「毎朝挨拶してくれるし、一緒に帰ることも増えましたね」
「……嫌ですか?」
「まさか!」
イズナさんは笑った。
「嬉しいですよ!」
「……」
「アナタと一緒に居ると、とても楽しいです!」
その言葉に、胸が熱くなった。
「……私もです」
「では、これからもよろしくです!」
「はい!」
私は笑う。
幸せだった。
今なら……少しくらい、期待しても良いんじゃないか。
そう思った。
———その日の帰り道。
私たちは駅前で、とある人物と出会った。
「……あ!」
イズナさんの顔が、ぱあっと明るくなる。
「主殿!」
私は足を止めた。
イズナさんが先生に駆け寄って行く。
「主殿、今日は百鬼夜行に一体どうされたのですか!」
少し離れた所で、私は立ち尽くしていた。
イズナさんの表情が、私と話している時とは違う。
もっと嬉しそうで。
もっと眩しくて。
もっと特別だった。
私はその顔を見た瞬間、理解してしまった。
私がどれだけ努力しても。
髪型を変えても。
お菓子を作っても。
忍者の事を勉強しても。
毎朝挨拶しても。
イズナさんの心の中で、一番大切な場所には、最初から先生が居る。
そして。
その場所に、私は届かない。
「……そっか」
私は小さく呟く。
恋敵は、あまりにも強かった。
それでも……
私は帰らなかった。
その場から逃げなかった。
ただ二人を見ていた。
イズナさんが嬉しそうに先生と話している。
その笑顔を見ながら……胸が痛くて、苦しくて。
それなのに……やっぱり私は、イズナさんの事が好きだった。
◆◇◆
その日の夜。
私は布団の上で、天井を眺めていた。
———眠れない。
目を閉じると、今日の光景が浮かんでくる。
『主殿!』
イズナさんの嬉しそうな声。
駆け寄っていく姿。
私と話している時よりも、ずっと楽しそうな表情。
「……」
枕を抱きしめる。
分かっていた、最初から。
イズナさんは先生が好き、それは何度も聞いていた事だ。
だから、今日見たものだって、別に驚く事じゃない。
それなのに。
実際に目の前で見てしまうと、こんなにも苦しい。
「……私、何やってるんだろ」
誰も居ない部屋で呟く。
少しでもイズナさんに近づきたくて。
少しでも自分を見てもらいたくて。
色々な事をした。
でも。
そんな努力なんて、イズナさんにとってはきっと些細な事なんだ。
先生が笑えば、それだけで嬉しい。
先生に褒められれば、それだけで幸せ。
先生の為なら、どこへでも行く。
そんな相手に、私なんかが勝てる訳がなかった。
「……諦めた方が良いのかな」
口にした瞬間、胸が痛くなった。
嫌だ。
その言葉だけは、どうしても受け入れられなかった。
「……嫌だよ」
私は枕に顔を埋めた。
「だって、好きなんだもん……」
泣くつもりなんて無かった。
でも。
気づいたら、目から涙が流れていた。
声を出さないように、枕を強く抱きしめる。
悔しい。
悲しい。
惨めだ。
でも、それ以上に。
イズナさんが好きだった。
好きだから。
嫌いになれない。
◆◇◆
翌朝。
私は鏡の前に立っていた。
目の下が少し腫れている。
「……最悪」
昨日泣いたせいだ。
冷たい水で顔を洗うと、何度も深呼吸をする。
大丈夫、学校へ行こう。
いつも通り……イズナさんに会ったら、いつも通り挨拶する。
それで良い、昨日の事なんて忘れよう。
そう自分に言い聞かせた。
学校へ向かう。
いつもの道。
いつもの時間。
そして……
「おはようございます!」
イズナさんが居た。
私を見るなり、笑顔になる。
「はい!おはようございます!」
「……」
一瞬、昨日の事を思い出した。
先生の所へ駆け寄っていったイズナさん。
胸が痛い。
でも……
私は笑った。
「……どうかしましたか?」
「え?」
「今日は少し、いつもよりも元気がないような気がします」
「そんな事ないですよ」
「本当ですか?」
「はい」
イズナさんがじっと私を見る。
その視線に耐えられなくなって、私は笑った。
「大丈夫です」
「……そうですか」
イズナさんは納得したような、していないような顔をした。
「では、今日も一日頑張りましょう!」
「はい」
「何かあったらイズナに言ってくださいねー!」
そう言って、イズナさんと別れる。
私はその背中を見送った。
そして、小さく息を吐く。
……やっぱり、好きだ。
昨日あんなに苦しかったのに。
顔を見た瞬間、嬉しくなってしまった。
「……」
私はこれで、良いのだろうか。
本当に、このままで……
◆◇◆
それから数日。
私は少しだけイズナさんと距離を取るようになった。
朝の挨拶はする。
話しかけられたら話す。
でも、自分から一緒に帰ろうとは言わない。
遊びに誘う事もしない。
毎日一緒にいると、また期待してしまうから。
先生の話を聞く度に苦しくなるから。
だから。
少し離れた方が良い。
そう思った。
けれど……
「……?」
ある日の放課後。
教室を出ようとしたところで、廊下にイズナさんが立っていた。
「イズナさん?」
「待っていましたよ!」
「私を?」
「はい!」
イズナさんは当然のように頷いた。
「最近、一緒に帰ってくれませんね」
「……」
「何か……ありましたか?」
「何もないですよ」
「本当に?」
「はい」
「……」
イズナさんが私の顔を覗き込む。
「嘘です」
「え?」
「前より笑顔が少ないです」
「……」
「イズナ、何か悪い事をしましたか?それならば謝ります、だから……」
「違います!」
思わず強く言ってしまった。
イズナさんが驚く。
「……ごめんなさい」
「い……いえ、イズナの方こそ……」
沈黙。
私は目を逸らした。
言える訳がない。
イズナさんが先生と一緒に居る所を見たから。
イズナさんの事が好きだから。
先生の話を聞くと苦しくなるから。
そんな事、言える訳がなかった。
「……少し、疲れてるだけです」
「……本当ですか?」
「はい」
「……ならば」
イズナさんが笑った。
「今日は一緒に帰りましょう!」
「え?」
「疲れているなら、一人より二人の方が安心できて良いですよ!」
「でも……」
「……嫌、ですか?」
「……」
悲しげな顔をしながら、私にそう問いかけるイズナさん。
……ずるい。
そんな顔されたら、私が断れる訳なかった。
「……嫌じゃないです」
「では、決まりですね!」
イズナさんが嬉しそうに笑う。
私も、つられて笑った。
◆◇◆
久しぶりに、二人で歩く。
以前なら、隣にイズナさんが居るだけで幸せだった。
もちろん今も幸せだ。
でも、少しだけ苦しかった。
「最近、忙しいですか?」
「どうしてですか?」
「元気がないご様子だったので……」
「……」
イズナさんは、ちゃんと私を見てくれている。
それが嬉しかった。
同時に、胸が痛い。
「……ちょっとだけ」
「何か悩みがあるのなら、イズナに話して欲しいです!」
「……」
話したい。
本当は全部話したい。
あなたが好き。
だから苦しい。
先生が好きだって聞くたびに胸が痛い。
でも、あなたのことが好きだから離れたくない。
全部。
全部言ってしまいたい。
だけど……
「……大した事じゃないです」
結局、そう言った。
「そう、ですか……」
イズナさんは少し寂しそうにした。
「ならば!いつか話したくなったら言ってください!」
「……はい」
「イズナは、その時まで待ちます!」
その言葉が、胸に染みた。
———本当に、この人は。
「ありがとう、ございます」
「はい!」
イズナさんがいつものように明るく笑った。
私は、その笑顔を見つめながら思う。
やっぱり私は、イズナさんの事が……好きなんだ。
◆◇◆
数日後。
私は体調を崩した。
朝から少し頭が重かったけど。
でも、休む程ではないと思って学校へ行った。
昼休み。
中庭で一人になったところで、急に目の前が揺れた。
「……あれ?」
地面に手をつく。
熱い。
体が妙に熱い。
「大丈夫……」
そう呟いたところで。
「———大丈夫ですか!?」
声がした。
「……イズナさん?」
顔を上げる。
するとイズナさんが、驚いた顔でこちらを見ていた。
「顔が真っ赤です!」
「大丈夫、です」
「大丈夫ではないです!」
「でも……」
「早く保健室へ行きましょう!」
「自分で、行けます」
「駄目です!」
イズナさんは私の腕を取った。
「歩けますか?」
「はい……」
「ゆっくりで大丈夫です」
イズナさんが肩を貸してくれた。
……温かい。
触れ合うイズナさんの体温を感じる。
それだけで心臓が跳ねた。
「……重く、ないですか?」
「全然!」
「でも」
「忍者を舐めてはいけないですよ!」
イズナさんは胸を張った。
「これくらい朝飯前です!」
思わず笑ってしまった。
「……ふふ」
「ほら、少し元気出ましたか?」
「はい。……イズナさんの、お陰です」
「それなら良かったです!」
そんな事を話しながら、保健室まで連れていってもらう。
保健委員に診てもらうと、少し熱があることが分かった。
「今日はもう早退した方が良いでしょう」
「でも……」
「駄目ですよ」
隣からイズナさんが言った。
「ちゃんと休んでください!」
「……はい」
私は頷いた。
帰り支度をする。
その間も、イズナさんはずっと側に居てくれた。
「イズナさん、部活は?」
「今日はもう大丈夫です!」
「け、けど……」
「友達が具合悪いのに、放ってはおけないです!」
友達。
その言葉が、少しだけ胸に引っかかった。
私はイズナさんにとって、友達。
それ以上ではない。
分かっている。
でも今は、それだけでも嬉しかった。
◆◇◆
帰り道。
イズナさんは、私を家まで送ってくれた。
「ここまでで、大丈夫です」
「本当ですか?」
「はい」
「ならば、ゆっくり休んでくださいね」
「はい」
「薬、ちゃんと飲むんですよ?」
「分かり、ました」
「ご飯も食べてください!」
「はい」
「水分も!」
「はいはい」
「返事が一回増えてます!」
「ふふっ」
笑ってしまう。
「大丈夫、ですよ」
「……それならば、良いです」
イズナさんが安心したように笑った。
そして……
「また明日です!」
「……はい」
イズナさんが帰っていく。
私はその背中を見送った。
玄関を閉める。
そして、その場にしゃがみ込んだ。
「……優しいなぁ」
思わず、涙が出そうになった。
優しい。
どうしようもなく優しい。
だからこそ困る。
こんなに優しくされたら。
もっと好きになってしまう。
◆◇◆
翌日。
私は学校を休んだ。
熱は下がっていたけれど、まだ少し身体が怠かった。
そんな昼過ぎの事だ。
家のインターホンが鳴った。
「誰だろう……」
玄関へ向かい、扉を開ける。
「こんにちはです!」
「……え?」
扉の先には、イズナさんが立っていた。
「イズナさん!?なんで……っ!?」
「お見舞いに来ましたよ!」
手には袋。
「これ、差し入れです!」
「え……」
中を見る。
ゼリー。
飲み物。
それから……
「……お団子?」
「病人には甘いものが必要ですので!」
「それは、本当に必要なんですか……?」
「必要です!」
イズナさんは胸を張る。
私は思わず笑った。
「ありがとうございます」
「はい!」
イズナさんは少し心配そうに私を見る。
「顔色は、昨日よりは良くなりましたか」
「はい」
「良かったです」
それから、イズナさんは玄関先で少しだけ話をしてくれた。
学校の事。
部活の事。
先生の事。
……やっぱり先生の話も出た。
でも。
昨日までとは少し違った。
今日は、その話を聞いても。
私は笑う事ができた。
多分。
イズナさんがわざわざ私の為に、家まで来てくれた事が嬉しかったからだ、きっと。
「イズナさん」
「はい?」
「どうして、ここまでしてくれるんですか?」
「どうして?」
「昨日も送ってくれて。今日も来てくれて」
イズナさんは、心底不思議そうに私を見た。
そして……
「友達だからです!」
そう言って、笑った。
「友達が困っていたら、助けるのは当然ですよ!」
「……」
友達。
やっぱり。
その言葉は、少しだけ痛い。
だけど……
私は笑った。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして!」
イズナさんは手を振った。
「元気になったら、また一緒に遊びに行きましょう!」
「……はい」
「約束です!」
「……約束です」
そうして、イズナさんが帰っていく。
私は玄関の前に立ったまま、その背中を見送った。
胸の奥が、じんわりと温かい。
私はまだ、イズナさんの特別じゃない。
先生の代わりにもなれない。
恋人でもない。
ただの、友達だ。
それでも……
イズナさんが、私を心配して来てくれた。
わざわざ、会いに来てくれたのだ。
その事が、私には心の底から嬉しかった。
「……私」
小さく呟く。
「やっぱり、イズナさんの事が……好きだ」
どうしても、嫌いになれない。
だから私は、もう一度だけ……この恋を続けてみようと思った。
叶わなくても良い。
すぐに振り向いてもらえなくても良い。
ただ、いつか……いつかイズナさんが私を見て。
『あなたと一緒に居たい』
そう言ってくれる日が来たら……
そんな夢を。
もう少しだけ、見ていたかった。
◆◇◆
それから暫くの間。
私は、以前よりも少しだけ穏やかな気持ちでイズナさんと接することができるようになった。
もちろん、先生の話をされれば胸は痛む。
イズナさんが先生の名前を口にする度、胸の奥に小さな針が刺さるような感覚は、今でも消えない。
それでも。
以前程、自分を責めなくなった。
イズナさんが先生を好きなのは、イズナさんの気持ちだ。
私にそれを変える事なんてできない。
だったら。
私ができる事は、私自身の気持ちを大切にする事だけ。
そう思えるようになった。
「おはようございます!」
「はい!おはようです!」
朝の挨拶。
「購買の激レアコロッケパン、買えて良かったですね」
「忍者にかかればちょちょいのちょいです!」
昼休みの会話。
「コンビニ寄ってアイス買いませんか?」
「わぁ!それは良いですね!」
放課後の帰り道。
何も変わっていない。
でも。
私の中では、少しだけ変わっていた。
イズナさんと一緒に居られる時間を、無理に『恋人みたいな時間』にしようとしなくなった。
友達なら、友達で良い。
そう思う事で、私は以前よりも自然に笑えるようになった。
……もちろん。
本当は恋人になりたい。
できるなら、私がイズナさんにとって一番大切な人になりたい。
その気持ちは、無くなっていなかった。
ただ、それを無理やり押しつけるのは違うと思った。
だから、もう少しだけ。
このままで居よう……そう決めていた。
◆◇◆
ある日の放課後。
私達は、いつものように並んで歩いていた。
少し冷たい風が吹いている、夕暮れの街。
「そういえば」
イズナさんが口を開いた。
「はい?」
「もうすぐ、百鬼夜行の春祭りですね!」
「ああ、そういえば」
街のあちこちに祭りの告知が出ている。
屋台が並び、夜には花火も上がるらしい。
「イズナさん、お祭り好きなんですか?」
「はい!大好きです!」
「……じゃあ、一緒に行きませんか?春祭り」
意を決して誘い文句を口にする。
以前なら、誘うだけで心臓が壊れそうなくらい緊張しただろう。
今は、少しだけ慣れた。
それは、きっとイズナさんなら一緒に行ってくれるという信頼ができたからだろう。
「もちろん!」
案の定、イズナさんは即答してくれた。
私は嬉しさに思わずニヤける。
「楽しみですね!」
「良かった」
「どこから回りましょうか!」
「まずは食べ物の屋台とかじゃないですかね?」
「イズナ!射的やりたいです!」
「でもイズナさん、銃を持ってますよね?」
「祭りの射的は別物ですよ!」
「そうなんですか?」
「全然違いますよー!」
二人で笑う。
その瞬間、私はふと思った。
こういう時間が好きだ。
イズナさんと並んで歩いて。
下らない話をして、一緒に笑う。
それだけで幸せだ。
だから、この時間を壊したくない。
そう……思った。
◆◇◆
春祭り当日。
夕方から街は大勢の生徒で賑わっていた。
屋台から漂って来る甘い匂い。
焼きそば。
りんご飴。
たこ焼き。
綿あめ。
チョコバナナ。
そして、遠くから聞こえて来る祭囃子。
「凄い人ですね」
「迷子にならないようにしてください!」
「子供じゃないんですから」
「お祭りでは、何が起こるか分からないですから!」
すると、イズナさんが私の手を掴んだ。
「こうしておけば安心ですね!」
「……」
心臓が止まるかと思った。
手。
イズナさんの柔らかい手が、私の手を包み込んでいる。
……温かい。
「どうかしましたか?」
「い、いえ!」
「顔が赤い……もしや、また熱が!?」
「お祭りで暑いだけです!」
「なるほど、そうでしたか!」
イズナさんは納得した。
私は心の中で叫んだ。
違う。
暑いんじゃない。
あなたのせいなんです。
「では、行きましょう!」
「はい!」
イズナさんと手を繋いだまま歩き出す。
人混みの中、イズナさんとはぐれないようにする為だ。
……分かっている。
これはただ、気を遣ってくれているだけ。
ただ……それでも嬉しかった。
暫く歩くと、イズナさんが射的の屋台を見つけた。
「射的!」
「やっぱりやるんですね」
「当然です!」
イズナさんが銃を構えると、店主が笑う。
「お嬢ちゃん、景品落とせるかな?」
「忍者を侮ってはいけないですよ!」
パンッ。
景品が倒れる。
「おお!」
周囲から歓声が上がり、イズナさんは得意げな顔をした。
「どうですか!」
「すごいです!」
「任せてください!」
その後もイズナさんは次々と景品を落としていった。
「……」
「どうかしましたか?」
「いや……」
私は笑った。
「格好良いなって」
「……」
イズナさんが固まった。
「?」
「……い、いや!」
イズナさんは慌てて顔を逸らした。
「そういう事を急に言うのは反則です!」
「え?」
「なんでもないです!」
イズナさんの耳が赤くなっている。
私は首を傾げた。
「変なの」
「変じゃないです!」
そう言ってイズナさんは取った景品を一つ、私に差し出した。
「はい」
「え?」
「これ、あげます」
それは忍者の格好をした、狐のぬいぐるみだった。
「私に?」
「はい!」
「どうして?」
「いつもイズナと仲良くしてくれてるお礼と、前にくれたぬいぐるみのお礼です!」
そう言って、カバンについた小さな狐のぬいぐるみを見せるイズナさん。
「これで、お揃いですね!」
「……っ!」
その言葉に、思わず感情がぐちゃぐちゃになる。
お揃い……イズナさんと、お揃い……!
嬉しさで顔がニヤける。
「ありがとう、ございます!」
「どういたしまして!」
私はぬいぐるみを大切に抱えた。
この日の事を私は、きっと私は一生忘れないと思う。
◆◇◆
祭りの終盤。
人混みから少し離れた川沿いで、私達は花火が上がるのを待っていた。
「もうすぐ始まりますね」
「はい」
夜空を見上げる。
周囲には、たくさんの人。
けれど、私達の周りだけ少し静かだった。
「今日は楽しかったです」
「イズナも楽しかったですよ!」
「……また、来たいですね」
「はい!」
イズナさんが笑う。
私はその横顔を見つめた。
この時間が終わってほしくない。
そう思った。
でも。
同時に、私は気づいてしまった。
ずっと逃げていた、自分の気持ちから。
本当は、イズナさんに伝えたい。
———好きだと。
私はあなたが好きだと。
振り向いてほしい。
恋人になりたい。
例え、それが叶わなくとも。
この気持ちを、ちゃんと言葉にしたい。
そう思った。
「…………イズナさん」
「はい!なんでしょうか?」
「少しだけ、聞いてほしい事があります」
「どうしたんですか?そんな急に改まって……」
イズナさんが私を見る。
優しい目だった。
私は胸の前で手を強く握る。
怖い。
怖くてたまらない。
———嫌われたら。
———今までの関係が壊れたら。
———明日から、挨拶すらできなくなったら。
そう考えると、声が震える。
でも……
それでも…………!
「私……」
声が出ない。
「……」
それでも、イズナさんは急かさなかった。
ただ、待ってくれている。
「…………」
深呼吸をする。
そして…………
「…………私、イズナさんの事が…………」
勇気を振り絞る。
「…………好きです」
……言った。
言ってしまった。
その時、夜空の向こうで、最初の花火が上がる。
大きな音。
光が夜空を染める。
けれど、私の目にはイズナさんの事しか映っていなかった。
「……」
イズナさんは目を見開いていた。
私は続ける。
「最初に助けてもらった日から……ずっと好きでした」
「……」
「最初は、ただ憧れているだけだと思ってました」
声が震える。
「でも、一緒にいるうちに、もっと好きになって」
涙が出そうになる。
「もっと、一緒に居たいって、思うようになって」
「……」
「イズナさんが、先生の事を好きなのも、知ってます」
イズナさんの表情が少し曇る。
「だから……迷惑なら、ちゃんと言ってください」
「……」
「私、イズナさんを困らせたい訳じゃないんです」
涙が頬を伝った。
「ただ……」
私は笑おうとした。
「好きだって、伝えたかっただけなんです」
イズナさんは黙っていた。
花火の音だけが、この場所に響いている。
やがて…………
「……ありがとうございます」
イズナさんが言った。
優しい声だった。
だから、分かってしまった。
答えを聞く前に。
私は、もう……分かってしまったんだ。
「イズナの事を、そんなに大切に思ってくれていたんですね」
「……はい」
「とても……嬉しいです」
イズナさんは微笑んだ。
「……でも」
その言葉で、胸が締めつけられた。
「イズナは———」
「先生が好き、ですよね」
私が先に言った。
「……はい」
イズナさんは頷いた。
「イズナは主殿の事が大好きです」
「……はい」
「だから……」
「大丈夫です」
私は笑った。
涙を拭う。
「分かってました」
「……」
「ずっと聞いてましたから、イズナさんの先生への気持ち」
無理やり笑う。
「だから、大丈夫です」
「でも……」
イズナさんが困った顔をする。
「……ごめんなさい」
「謝らないでください、イズナさん」
「……」
「イズナさんは、悪くないです」
それは本当だった。
誰かを好きになることは、悪い事じゃない。
私がイズナさんを好きなのと同じように。
イズナさんが先生を好きなのも、誰にも止められない。
「……ありがとうございます」
イズナさんが小さく言った。
「こちらこそ」
私は笑った。
笑えている、ちゃんと……多分。
でも……
胸の奥は、ぐちゃぐちゃだった。
「……今日は、もう帰ります」
「あ……」
イズナさんは心配そうに私を見る。
「一人で、大丈夫ですか……?」
「大丈夫です」
「でも———」
「本当に、大丈夫です」
食い気味にそう言うと、私は笑った。
「今日は、ありがとうございました」
「……はい」
イズナさんは頷いた。
「では、また……学院で」
「はい」
そう言って、私はイズナさんの元を去っていく。
振り返らなかった。
イズナさんの姿が見えなくなるまで、ずっと…………
◆◇◆
人の少ない道まで歩いた、街灯の下。
私は立ち止まった。
「……っ」
もう、無理だった。
目から涙が溢れ出て来る。
「う……」
声を押し殺す。
泣きたくなかった。
せっかくのお祭りだったのに。
せっかくイズナさんと一緒に居られたのに。
最後をこんな風にしたくなかった。
でも。
止まらない。
「……振られちゃった」
自分で言葉にすると、胸が痛くなった。
やっぱり。
苦しい。
分かっていたのに。
覚悟していたのに。
でも実際に振られると、胸がこんなに痛いだなんて。
「……馬鹿」
自分に言う。
「私の馬鹿……」
最初から分かっていた事じゃないか。
イズナさんには好きな人がいる。
それなのに。
勝手に期待して。
勝手に舞い上がって。
勝手に傷ついて。
「……」
私は涙を拭いた。
早く、帰ろう。
そう思った。
その時だ。
「———おい」
背後から声がした。
「……?」
振り返る。
少し離れた所に、数人の生徒達が立っていた。
祭りの帰りらしい。
明らかにガラの悪そうな雰囲気だった。
「そこのお前」
私は周囲を見る。
他に誰も居ない。
……嫌な、予感がする。
「……私ですか?」
「そうそう」
一人が笑った。
「ちょっと待てよ」
「何か、用ですか?」
「いや、別に大した事じゃねえよ」
生徒の一人が近づいてくる。
「ちょっと今日の祭りで金、使い過ぎちゃってさ」
「……」
「ちょーっとで良いんだよ、貸してくんない?」
そう言って目の前の生徒は私の肩に腕を回す。
「い、嫌———」
「あ?」
肩に回す腕の力が強くなる。
「ちょっとくらい良いだろ?な?」
「……」
私は逃げようとする。
しかし……
「おいおい」
別の生徒が私の逃げようとした先に回り込んだ。
「どこに行く気だ?」
「……どいて、下さい」
「おー、怖い怖い」
そう言ってケラケラ笑う生徒達。
……前にも、似たような事があった。
帰り道で、不良に絡まれた時。
その時助けてくれたのが、イズナさんだ。
あの日から、私は彼女に憧れて……好きになった。
そして今日。
その人に告白して。
振られた。
「……」
よりによって、今……私は一人だった。
「お嬢ちゃん、そんな怖がんなって」
「……」
私は思わず、イズナさんが取ってくれたぬいぐるみを、胸元に抱えるようにしてぎゅうっと抱きしめた。
「あ、そのぬいぐるみ」
一人の生徒がそのぬいぐるみを指差した。
「それ、私が射的で取れなかった奴じゃん。欲しかったんだよねー」
「あのクソ店主、絶対なんか細工してやがったわ」
「でも、丁度良かったじゃん」
「……え?」
次の瞬間、抱えていたぬいぐるみを掴まれる。
「い、嫌!」
「あ?おいなんだよ、良いだろ。ぬいぐるみくらい……大人しく渡せって!」
———ガッ
その瞬間、私のお腹に強い衝撃が走った。
「ごへっ!?」
———痛い。
私はお腹を抑えながら地面に崩れ落ちる。
……蹴られた?
「おぇ……っ!?」
強い吐き気を催した。
「うぇ、きったね」
「ったく、手間取らせやがって」
震える視界に、奪われたぬいぐるみが目に入る。
「かえ、して……っ!」
それは、イズナさんがくれた……イズナさんと、お揃いの……!
ぬいぐるみを奪った生徒の足に必死に縋りついた。
「邪魔だよ!」
蹴り払われる。
「う……」
自分の不甲斐無さに涙が出て来る。
好きな人に身勝手に想いを伝えて。
迷惑かけて。
プレゼントしてくれた大切な物も奪われて。
……何をしているんだろうな、私。
最早、動ける気力なんて残ってなかった。
目の前の生徒達が、私のぬいぐるみを持って立ち去ろうとする。
私には、その光景を眺める事しかできなかった。
———次の瞬間。
遠くから。
「……何を、やっているんですか」
凛とした声が響いた。
生徒達が振り返る。
「……あ?」
私も顔を上げた。
街灯の向こう側……祭りの明かりを背にして、一人の少女が立っていた。
黒くて綺麗な髪。
狐の耳と尻尾。
桜柄の羽織。
その姿を、私は知っていた。
「……イズナ、さん?」
声が震える。
「イズナの大切な友達に、何をしているんですか」
イズナさんが一歩前へ出る。
その表情には、いつもの明るさはなかった。
「その子から離れてくださいッ!!!」
「なんだお前?」
「おいおい、まさかヒーロー気取りかぁ?」
「ウケんだけど」
笑い声を上げる生徒達。
しかしその瞬間、イズナさんの姿が掻き消える。
「あ?消え———」
銃声が鳴り響く。
すると、目の前の生徒がゆっくりと地面に倒れた。
「な」
「ふざけ」
続け様に二発三発と、黙々と撃ち込んでいくイズナさん。
「クソッ!」
ぬいぐるみを奪った生徒が、銃を取り出して構えた。
しかし……
「遅いです」
イズナさんはその生徒に接近すると、構えられていた銃を蹴り上げ、そのまま流れるように拳を相手のお腹に叩き込んだ。
「ぐふッ!?!?!?」
生徒が膝から崩れ落ちると、ぽとりとぬいぐるみが地面に転がった。
イズナさんはそれを拾い上げると、汚れを払う。
そして、私の方へと急いで歩み寄った。
「遅くなって、申し訳ないです……怪我はないですか?」
「え、あ」
怖かった……ずっと。
でも……今、私の目の前には。
ずっと憧れて、ずっと好きだった人が立っている。
「……イズナ、さん」
「もう、大丈夫ですよ。イズナが来ましたから」
その言葉を聞いた瞬間、私の瞳からは再びとめどなく涙が溢れ出て来た。
———あの日と同じだ。
また、イズナさんが。
私を助けに来てくれた。
◆◇◆
二人並んで歩く帰り道。
そこには、無言の時間が流れていた。
……気まずい。
気持ちを伝えてしまった手前、どういう顔でイズナさんを見れば良いのか分からない。
そんな中、イズナさんが口を開いた。
「……申し訳ないです」
「え、な……なんでイズナさんが謝るんですか?」
「一人で帰らせてしまった事です。最初からイズナが一緒に居れば、あんな事にはならなかったですから……」
「い、いえ。そもそも一人で帰ったのは私のせいで……」
「そんな事ないです。大切な友達一人護衛できないなんて、イズナはまだまだ忍者として未熟ですね……」
「……」
大切な……友達。
まだ、私の事をそんな風に思ってくれてる事実が……途轍もなく嬉しかった。
「あ、そういえばこれ……」
「?」
イズナさんが私に、忍者の格好をした狐のぬいぐるみを差し出す。
「取り返しておきました」
「……!ありがとう、ございます」
私はそのぬいぐるみを受け取ると、優しく抱きしめた。
「……」
「……」
再び、二人の間に無言の時間が訪れる。
その静寂を破るように、イズナさんが口を開いた。
「……イズナは、本当に……心の底から嬉しかったんですよ」
「……?な、何がですか?」
「好きと言ってくれた事です」
「!?」
「さっき……ちゃんと伝わったか分からなかったから、もう一度言いました」
そう話すイズナさんの顔を伺う。
気を遣ってくれているのかと思ったが、頬を赤くした少し照れた様子のその表情は、とてもそうには見えなかった。
「その気持ちには……答えられないですけど、イズナは……これからも、友達で居たいと思っています」
それからイズナさんは、一つ一つ静かに語った。
毎朝挨拶をしてくれる私の事。
一緒にお昼ご飯を食べた時の事。
二人並んで歩いた帰り道の事。
休日に甘いものを食べに行った時の事。
私が忍者について調べて来てくれた事。
「イズナは、その日々がとても……とても楽しかったんです。だから……これからも一緒に、友達として……イズナと毎日を過ごして欲しいって、思ったり……したんで、すけどぉ……!」
ふと、イズナさんの言葉が途切れる。
見れば、イズナさんの目から涙が流れ出ていた。
「イズナさん……」
「もうイズナとぉ、ぐすっ……一緒にぃ、居るのがぁ、うっ、嫌なんだったらぁ……無理はぁ、うぅ……言わない、ですぅ……ううぅ」
そう号泣しながら言うイズナさん。
私はイズナさんの前に立つと、彼女の両手を握り締めた。
「そんな事、ないです!私は!イズナさんと!友達として!これからも!ずっと一緒に居ます!」
「ほ、本当ですかぁ……?」
「本当です!」
そう言うとイズナさんははにかむように笑った。
その表情が、本当に……本当に、とても可愛らしくて……私は思わず見惚れてしまった。
「……ずるいです」
「な、何が……ですか?」
「そんな顔されたら……」
私は笑いながら言った。
「もっと、好きになっちゃうじゃないですか……」
「……」
すると、イズナさんも困ったように笑う。
「それは……困りましたね」
「ふふっ……」
それから私達は、他愛もない会話をしながら家に帰った。
確かに私はイズナさんに振られてしまった。
それでも、イズナさんの隣に変わらず居る事ができる。
その事が、とても嬉しかった。
だから私は、もう少しだけ……この恋を続けてみようと思う。
友達として、いつか諦められる日が来るまで。
それまでは、好きで居ても良いじゃないか。
◆◇◆
それから、季節が少しずつ移り変わっていった。
桜はすっかり散ってしまい、百鬼夜行の街には初夏の風が吹き始めている。
私は今日も、いつもの時間に学院へと向かっていた。
そして———
「おはようございます、イズナさん!」
「はい!おはようございます!」
いつもの挨拶。
それだけなのに、私は少し嬉しくなる。
あの日、私はイズナさんに告白した。
そして、振られた。
あれから暫く経った今でも、先生の話をされると胸が少し痛んだりする。
イズナさんが先生から連絡をもらったと聞けば、少し落ち込む。
先生と任務に行ったと聞けば、更に落ち込んだ。
でも、以前と違うことが一つだけある。
それは、イズナさんへの気持ちを隠さなくなった事だ。
「イズナさん、先生の事好き過ぎません?」
「もちろんです!」
「ちょっと妬けます」
「……?」
イズナさんが首を傾げる。
「妬ける、ですか?」
「はい」
「どうしてです……?」
「好きだからです」
「……!」
イズナさんが固まる。
「まだ言うんですか!?」
「だって本当の事ですから」
「……」
イズナさんの顔が赤くなる。
「心の準備ができていないです!」
「ふふっ」
「笑う所ではないですよ!」
「ごめんなさーいっ!」
私は笑った。
振られたからって、好きな気持ちまで消える訳じゃない。
じゃあさ、別に無理に消す必要もないよね?
それに、私は知っている。
イズナさんにとって私は、もう『昨日助けた誰か』ではない事を。
毎朝挨拶をする友達。
ご飯を食べる友達。
一緒に帰る友達。
休日に遊びに行く友達。
それだけで十分だと思えるようになった。
「どうかしましたか?」
「え?」
イズナさんがこちらを覗き込んでいる。
「さっきからぼーっとしていますよ?」
「あ……」
私は笑った。
「なんでもないです」
「本当ですか?」
「はい」
「ならば良かったです!」
イズナさんはいつもの明るい満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見て、私は思う。
———やっぱり、この人が好きだ。
きっと、もう暫くは好きなままなんだろうな。
だけど……叶わなかったからといって、その気持ちが間違いだった訳でもない。
だから私は、この恋を大切にしまっておく事にした。
いつか、ずっと先の未来。
この恋を思い出して……
『あの頃の私は、馬鹿だったな』
なんて笑える日がやって来るかもしれない。
あるいは、何年経っても忘れられないかもしれない。
それでも良い。
ただ……今はまだ、この人の隣で笑っていたい。
友達として。
「そういえば!」
イズナさんが突然、声を上げた。
「今日の放課後、時間は空いていますか?」
「え?」
「新しい甘味処を見つけたんです!」
「……また甘いものですか?」
「もちろんですよ!」
そう言って胸を張るイズナさんに、私は思わず笑った。
「良いですよ」
「本当ですか!」
「はい」
イズナさんは嬉しそうに笑う。
「では、放課後に一緒に行きましょう!」
「分かりました」
二人で並んで歩く。
朝の光が、街を照らしている。
以前の私は、イズナさんの隣にいるだけで胸が苦しくなっていた。
もっと近づきたい。
もっと私を見てほしい。
恋人になりたい。
そんな事ばかり考えていた。
今も、その気持ちが完全になくなった訳ではない。
でも、少しだけ変わった。
イズナさんの隣に居る事そのものを、心の底から楽しめるようになった。
「……イズナさん」
「なんでしょうか?」
「これからも、よろしくお願いしますね」
「……!はい!」
イズナさんは笑った。
「こちらこそ、よろしくです!」
その笑顔を見ながら、私は空を見上げる。
夏の青々とした空。
桜の季節は、もう終わった。
けれど……私の中に芽生えた恋心は火は、まだ消えていない。
小さく。
儚く。
それでも確かに、胸の奥で灯っている。
いつか、この火が消える日が来るのかもしれない。
いつか、別の誰かを好きになる日が来るのかもしれない。
それでも私は忘れないだろう。
夕暮れの帰り道。
怖くて動けなかった私の前に現れた、一人の少女。
綺麗な黒髪。
狐の耳と尻尾。
桜柄の羽織。
そして———
『大丈夫ですか?』
そう言って差し伸べてくれた手。
あの日、私は恋をした。
初めて、誰かを好きになった。
初めて、告白をした。
そして、初めて失恋をした。
嬉しい事も。
苦しい事も。
泣いた事も。
笑った事も。
全部、私の大切な思い出だ。
だから、私は今日も歩いていく。
大好きな人の隣で。
彼女の友達として、いつかこの恋を笑って振り返られる日が来るまで。
そして、その日が来るまでは———
もう少しだけ、この火を胸に灯していたい。
それが私の、初恋だから。
———終わり。