値なきものの墓標   作:まねきまねき

1 / 13
本作は『メイドインアビス』の二次創作です。

オリジナル主人公・オリジナルキャラクターを中心に、独自の遺物や未踏領域を描いています。原作未読の方にも分かるよう、用語や世界観は作中で説明していきます。

独自設定・独自解釈に加え、物語が進むにつれて残酷描写や身体変異などが含まれます。あらかじめご了承ください。


ガラクタの値段

 南海の孤島、その中央には、底の見えない巨大な縦穴が開いている。

 

 名は《アビス》。どれほど深いのか、底に何があるのか、すべてを知って帰った者はいない。

 

 穴を囲むように築かれた街がオースだった。

 

 この街では、奈落へ潜って謎を持ち帰る者を探窟家と呼ぶ。彼らが目指すのは、奇妙な原生生物の肉や未知の地図だけではない。アビスに存在した何者かが残した、現在の技術では作ることのできない道具――《遺物》である。

 

 傷を瞬時に塞ぐ物。尽きることなく熱を発する物。使い方どころか、何のために作られたのかさえ分からない物。小さな遺物一つで、街や国の暮らしが変わることもある。

 

 その一方で、アビスは持ち帰ろうとする人間へ代償を求める。

 

 下へ進むだけならいい。だが、いったん潜った者が上へ戻ろうとすると、吐き気や目眩、全身の出血、感覚の喪失といった異常が起きる。深く潜るほど重くなるその現象は《アビスの呪い》、現れる症状は上昇負荷と呼ばれていた。

 

 それでも、人は潜る。

 

 オースで最も高いものは、いつも奈落の底から運ばれてくるからだ。

 

 それが持ち帰った人の命より高くなることも、珍しくはなかった。

 

「二百四十万!」

 

 張り上げられた声が、半円形の競売場へ響いた。

 

 客席を埋める商人たちが一斉に振り返る。番号札を掲げていたのは、北方の毛皮を肩に掛けた太った男だった。熱気で顔を赤くし、今にも椅子から立ち上がりそうになっている。

 

「二百四十万、入りました! ほかにはございませんか!」

 

 競売人が銀色の槌を振り上げた。

 

 舞台の中央には、子供の頭ほどの透明な球体が置かれている。内部では白い光が細い帯となり、一定の速さで回り続けていた。

 

 暫定二級遺物《朝継ぎ》。光を浴びせた植物の成長を早めるとされる遺物だ。

 

 遺物は、有用性や希少性、危険性によって等級を付けられる。数字が小さくなるほど価値は高く、二級ともなれば一つの国が大金を投じても不思議ではない。

 

 本当に説明どおりの働きをするなら、痩せた土地を抱える国には金貨の山より価値がある。

 

 もっとも、七日間の鑑定中に発芽した種は三つだけ。そのうち二つは、芽を出した直後に根まで白く変色して枯れていた。

 

 競売場二階の監視席で、ティセ・カルナは鑑定記録の端を爪で押さえた。

 

 その結果は、壇上の競売人から説明されていない。

 

「二百五十万」

 

 今度は細い声が上がった。

 

 客席前方に座った老女が、表情を変えずに札を掲げていた。その背後には武装した護衛が四人。胸元の紋章からして、西方の都市国家に雇われた代理人だろう。

 

 太った商人が舌打ちし、再び札を上げた。

 

「二百六十!」

 

「二百八十万」

 

 老女が即座に重ねる。

 

 場内がどよめいた。

 

 ティセの隣で、組合職員が嬉しそうに息を吐いた。

 

「さすが二級ですね。今回の潜った連中は運がいい」

 

「三人死んでいます」

 

「え?」

 

「これを持ち帰った探窟隊です。六人で潜って、帰還したのは三人。そのうち一人は上昇負荷で視力を失っています」

 

「……知っていますよ。言葉の綾です」

 

 職員は気まずそうに書類へ目を落とした。

 

 ティセもそれ以上は言わなかった。

 

 遺物の値段に、持ち帰られなかった者の名前は含まれない。競売記録へ記載されるのは落札額、等級、性質、買い手だけだ。

 

「三百万!」

 

 槌が鳴った。

 

 拍手と歓声が起こる。落札した老女はわずかに顎を引き、護衛の一人が契約台へ向かった。

 

 ティセは記録へ金額を書き込む。

 

 三百万。オースの一般的な家庭なら、何十年も暮らせる額だった。

 

 彼女は《朝継ぎ》の横へ、小さな三角印を付けた。追加観察が必要であることを示す、自分だけの印だ。

 

「続きまして、本日最後の特別出品です!」

 

 競売人の声に合わせ、舞台袖から黒い箱が運び込まれてくる。

 

 観客の視線がそちらへ集まった。

 

 そのとき、ティセは一階最後列に座る男へ目を留めた。

 

 正確には、男は座っていなかった。

 

 客席の後ろ、係員用の通路にしゃがみ込み、廃棄箱の中を漁っていた。

 

「あれは誰です」

 

 ティセが尋ねると、隣の職員が身を乗り出した。

 

「また来たのか、あいつ」

 

「知っているんですか」

 

「黒笛の探窟家ですよ。競売へ出せない品を引き取りたいと言って、月に一度は顔を出すんです。害はありません。見た目は、まあ……あれですけど」

 

 男の外套は、深層の泥が染み込んだような灰黒色だった。短く切った髪も同じように黒い。背中には、しゃがんだ身体より大きな背負い袋がある。継ぎ布だらけの袋には無数の小箱、筒、紐、布包みが結び付けられ、動くたびにかすかな音を立てていた。

 

 正規の競売場には、あまりに似つかわしくない姿だった。

 

 男は廃棄箱から、欠けた陶器の匙を拾い上げた。光へ透かし、指先で二度叩く。何も起こらない。それでも捨て直さず、腰の小袋へ収めた。

 

 次に拾ったのは、錆びた輪だった。穴の開いた布。表面が濁った小瓶。どれも鑑定済みの札が付いている。

 

 四級以下。作用不明。再現性なし。換金価値なし。

 

 早い話が、ガラクタだった。

 

「競売を見に来たわけではないんですね」

 

「あいつに払える額じゃありませんから。深層帰りのくせに、金になる遺物はさっさと組合へ渡してしまう。変わりに、誰も欲しがらない物ばかり抱えて帰るんです」

 

「探窟家として合理的ではありません」

 

「だから《屑拾い》なんて呼ばれてるんでしょう」

 

 ティセは男の動きを追った。

 

 確かに、やっていることは無意味に見える。しかし男は適当に品を袋へ放り込んでいるのではなかった。一つ拾うたび、鑑定札を読み、割れや汚れを確かめ、ほかの品へぶつからないよう包み直している。

 

 床に落ちていた小さな留め具まで拾い、元の箱へ戻した。

 

 高額な遺物が並ぶ舞台には、一度も目を向けていない。

 

「それでは、開封いたします!」

 

 競売人が黒い箱の留め金へ手を掛けた。

 

 場内の照明が落とされる。

 

 箱の中から取り出されたのは、細長い銀色の板だった。人の腕ほどの長さがあり、表面を幾何学的な溝が覆っている。

 

「深界四層から持ち帰られました、等級未確定遺物《遠見板》! この板へ風景を映すと、壁や岩の向こう側まで透かして見せると報告されています!」

 

 アビスの内部は、環境と深度によって幾つもの《層》に分けられている。第四層は地上から数千メートルも下にあり、到達することより、そこから生きて戻ることの方が難しい領域だった。

 

 競売人が板を客席へ向ける。

 

 溝の一部へ青い光が走り、壁の輪郭らしき像が空中へ浮かんだ。

 

 歓声が上がる。

 

 ティセは目を細めた。

 

 光が走った瞬間、廃棄箱の中で何かが動いた。

 

 しゃがんでいた男も顔を上げた。

 

 初めて、二人の視線が交わった。

 

 男の目は暗い灰色だった。

 

 驚いてはいない。

 

 彼はすぐに廃棄箱へ右手を突っ込んだ。

 

「待て」

 

 低い声が響いた。

 

 競売人には届かなかったのか、それとも無視したのか。《遠見板》をさらに高く掲げる。

 

 青い光が二度目の明滅を見せた。

 

 廃棄箱の底から、湿った音がした。

 

 次の瞬間、係員の一人が短い悲鳴を上げた。

 

「痛っ――」

 

 左手の甲に、黒い針のようなものが突き刺さっていた。

 

 係員が反射的に払おうとする。

 

「触るな!」

 

 男の声が飛ぶ。

 

 遅かった。

 

 黒い針が係員の皮膚へ沈んだ。手首から肘へ向かい、細い筋が皮膚の下を走る。

 

 係員の指が不自然に開いた。

 

 腕が跳ね上がり、自分の顔を殴る。

 

「な、なんだこいつ!」

 

 周囲の係員が後ずさった。

 

 男は廃棄箱を横倒しにした。

 

 中身が床へ散らばる。

 

 欠けた器や錆びた金具の間を、髪の毛ほど細い黒い生物が何十匹も這っていた。身体の前半に透明な脚が並び、後ろ半分は中空の針になっている。

 

 光へ引かれるように、すべてが舞台上の《遠見板》へ頭を向けた。

 

「ハリワタリだ」

 

 監視席の後方にいた年配の探窟家がつぶやいた。

 

 ティセも図鑑で見たことがあった。

 

 深界一層の小型獣へ寄生する原生生物。神経へ潜り込み、宿主を自分たちの巣へ移動させる。通常は人間を襲うほど大きくない。

 

 だが、床を這う個体は記録の倍以上ある。

 

 アビスの内部には、《力場》と呼ばれる目に見えない流れが満ちている。遺物を動かし、上昇負荷にも関わると考えられているものだ。

 

 ハリワタリは、遺物へ集められた微弱な力場を餌にして成長したのだ。

 

「遺物を箱へ戻して!」

 

 ティセは監視席から立ち上がった。

 

 場内の護衛たちは、まだ状況を理解していない。客を出口へ誘導する者、《遠見板》を守ろうと舞台へ集まる者、武器を抜く者が入り乱れた。

 

「殺すな!」

 

 廃棄箱の男が叫ぶ。

 

「そいつの腹に卵がある! 潰せば散るぞ!」

 

 寄生された係員へ、槍を持った警備役が踏み込んでいた。

 

 係員の首が横へ折れ曲がる。口が大きく開き、喉の奥から数本の黒い針が覗いた。

 

 警備役が槍を突き出す。

 

 男はその間へ入った。

 

 素手で槍の柄をつかみ、穂先の軌道を床へそらす。石床へ火花が散った。

 

「邪魔をするな!」

 

「説明を聞け」

 

 男が柄を引く。

 

 警備役の身体が簡単に浮いた。

 

 投げ飛ばすのではなく、肩で受け止め、そのまま客席の長椅子へ座らせる。乱暴に見えて、警備役はどこも打っていなかった。

 

 寄生された係員が男へ飛び掛かった。

 

 速い。

 

 人間なら筋を痛めることを恐れて出せない速度だった。両手の爪が剥がれ、その下から黒い針が伸びている。

 

 男は半歩だけ前へ出た。

 

 一撃目を首を傾けて避け、二撃目の手首を取る。肘を返し、背中へ回る。係員の身体を床へ押し付けながら、首の付け根を親指で強く押した。

 

 係員の両脚が痙攣する。

 

「袋。青い札の付いたやつをよこせ」

 

 男が言った。

 

 近くにいた職員は動かない。

 

「右から三つ目。早く」

 

 ティセは階段を駆け下りた。

 

 散らばった品を飛び越え、廃棄箱の横へ膝をつく。青い鑑定札が付いた布袋を見つけ、男へ投げた。

 

 受け取った男は、片手で袋を裂いた。

 

 中から出てきたのは、白く濁った薄い石板だった。鑑定札には《保冷作用・極微弱》とある。

 

 男は石板を係員の首へ押し当てた。

 

「何をしているんです」

 

「こいつらは熱い方へ潜る。出口だけ冷やせば、入った穴から出てくる」

 

「その程度の冷却では――」

 

「人間にはな」

 

 男は係員の襟を裂いた。

 

 首筋に、針で開けたような小さな穴がある。その周囲へ白い石板を当て続ける。

 

 係員の皮膚の下で、黒い筋が動きを止めた。

 

 数秒後、穴から細い頭が覗く。

 

「瓶」

 

 今度はティセもすぐに動いた。

 

 床へ転がっていた濁った小瓶を拾い、蓋を外して差し出す。

 

 男は係員の肩を叩いた。刺激されたハリワタリが一匹、また一匹と穴から這い出してくる。透明な脚が空気をかき、白い石板から離れようと身をよじる。

 

 男は指先でつまみ、小瓶へ落とした。

 

 三匹。

 

 四匹。

 

 五匹目は途中で向きを変え、男の指へ針を突き立てようとした。

 

 彼は指をわずかにひねり、針の根元を爪で挟んだ。迷いのない動きだった。

 

「全部で六匹だ」

 

「なぜ分かるんです」

 

「腕に入ったとき、筋が六つ見えた」

 

「あの一瞬で?」

 

 男は答えなかった。

 

 最後の一匹を瓶へ落とし、布切れを丸めて口へ詰める。

 

 係員の身体から力が抜けた。呼吸はある。

 

「医務室へ。穴を焼くなよ。中に卵が残っていたら熱で孵る」

 

 ティセが周囲を見回す。

 

 床には、まだ数十匹のハリワタリがいる。

 

 客たちの避難は終わっていない。《遠見板》は青く発光を続け、虫たちは次々と舞台へ集まり始めていた。

 

「光を止めて!」

 

 ティセが競売人へ叫ぶ。

 

「止め方が分からない!」

 

「鑑定もせず起動したんですか!」

 

「起動したのは鑑定官だ!」

 

 責任を押し付け合っている場合ではなかった。

 

 舞台へ達した一匹が《遠見板》の溝へ潜り込む。

 

 青い光が黒く濁った。

 

 空中に浮かんでいた壁の像が歪み、客席全体を映し出す。透けた人体の骨と内臓が、青白い輪郭になって並んだ。

 

 悲鳴が上がった。

 

 ハリワタリの群れが一斉に向きを変える。

 

 舞台ではない。

 

 映し出された人間の像へ反応し、客席へ散った。

 

「伏せろ!」

 

 男が床の廃棄箱を蹴り上げた。

 

 木箱が回転しながら群れの前へ落ちる。何匹かがぶつかり、飛ぶ方向を変えた。

 

 男は競売場を横切った。

 

 背負い袋を置こうともしない。何十キロあるか分からない荷物を背負ったまま、長椅子の背を踏み、客の頭上を跳ぶ。

 

 一匹を指ではじき、二匹目を外套で巻き取る。三匹目が老女の護衛へ迫ると、護衛の肩をつかんで身体ごと位置を入れ替え、自分の袖へ針を突き立てさせた。

 

 針は布を貫いたが、皮膚へ届く前に止まった。

 

 袖の下に、黒い金属のようなものが見えた。

 

 ティセが確認するより早く、男は袖を振った。虫が床へ叩き付けられる。

 

「入口の幕を閉じろ! 客は壁際へ!」

 

 命令を受ける理由などないはずなのに、護衛たちは従った。

 

 声が大きいからではない。

 

 男だけが、何をすべきか分かっていた。

 

 ティセは壇上へ駆け上がった。《遠見板》の鑑定票を引き寄せ、停止方法を探す。

 

「裏面、中央の溝を隠せ!」

 

 男の声が飛んだ。

 

「なぜあなたが知っているんです!」

 

「今見えた!」

 

 ティセは板を裏返した。

 

 幾何学模様の中、中央の溝だけがほかより強く光っている。厚手の鑑定布を押し当てると、青い像が揺れた。

 

 光は消えない。

 

「完全に覆え!」

 

「これ以上は布が――」

 

 目の前へ灰黒色の外套が飛んできた。

 

 男が脱ぎ捨てたものだった。

 

 ティセは受け取り、《遠見板》へ巻き付ける。

 

 光が閉じ込められた。

 

 空中の人体像が消える。

 

 行き場を失ったハリワタリが、床の上でばらばらに動き始めた。

 

「今だ。瓶へ集めろ。潰すな」

 

 ようやく警備役たちも動いた。

 

 冷却材を床へ並べ、虫を一か所へ誘導する。ティセも採取用の長い針を取り出し、一匹ずつ容器へ落とした。

 

 最後の一匹を収容するまで、十分とかからなかった。

 

 終わってみれば、死者はいなかった。

 

 寄生された係員一名。避難中に転んだ客が二名。護衛に踏まれた競売人が一名。

 

 高額遺物にも損傷はない。

 

 男は何事もなかったように、床へ片膝をついていた。

 

 散らばった廃棄品を拾っている。

 

 踏まれて粉々になった器の破片を一つずつ集め、布の上へ並べていた。

 

「それはもう使えません」

 

 ティセは《遠見板》を係員へ預け、男の前に立った。

 

「元から使えない」

 

 男は顔を上げなかった。

 

「では、なぜ拾うんです」

 

「俺が落としたからだ」

 

「あなたが箱を倒さなければ、被害は広がっていました」

 

「それでも落としたのは俺だ」

 

 男は欠片を拾い切ると、布を丁寧に畳んだ。

 

 その横には、ハリワタリの巣にされていた遺物が転がっている。赤黒い、穴だらけの球体だった。

 

 ティセは手袋を着け、鑑定針で表面をなぞった。

 

「微弱な力場を内部へ集める性質があります。虫はそれを餌にしていたようですね」

 

「ああ」

 

「どうして気付いたんです」

 

「捨て箱の中で、これだけ温かかった」

 

「先ほど使った冷却板も、鑑定上はほとんど効果がありません」

 

「ハリワタリは人間より小さい」

 

「それは聞きました」

 

 男がようやくティセを見た。

 

 間近で見ると、若かった。二十代半ばほどだろう。ただし頬や鼻筋には、古い裂傷の跡が幾つもある。深層の陽を知らない場所で過ごした者特有の、薄い顔色をしていた。

 

「なら、もう分かるだろ」

 

「理屈は分かります。あの状況で実行できることとは別です」

 

 ティセが言うと、男はわずかに眉を寄せた。

 

 褒められたことが理解できなかったような顔だった。

 

「あなた、名前は」

 

「ロウ」

 

「笛を確認します」

 

 ロウは首元へ手を入れ、紐を引き出した。

 

 煤けた黒い笛が現れる。

 

 周囲に残っていた職員たちの空気が変わった。

 

 探窟家は、首から下げた笛の色で階級を示す。見習いの赤笛から始まり、経験を積むごとに青笛、月笛、黒笛へ上がっていく。そのさらに上にいる白笛は、伝説として名を知られる者ばかりだった。

 

 黒笛は、深界四層へ到達し、そこから戻ってくる実力を認められた熟練者の証だ。その肩書だけなら、ロウがこの場にいる誰よりアビスを知っていても不思議ではない。

 

「《屑拾いのロウ》」

 

 ティセが呼ぶと、彼の眉がさらに寄った。

 

「その呼び方は嫌いだ」

 

「皆がそう呼んでいます」

 

「皆が間違ってる」

 

 ロウは黒笛を服の中へ戻し、赤黒い球体を拾い上げた。

 

「それも持っていくつもりですか」

 

「空になった」

 

「危険性の検査が先です」

 

「じゃあ、終わったらくれ」

 

「作用のある遺物だと分かった以上、競売へ回される可能性があります」

 

「いくらになる」

 

「追加鑑定次第ですが、寄生生物の捕獲や力場の収集へ応用できれば――」

 

「違う」

 

 ロウは廃棄箱を起こしながら言った。

 

「踏まれたやつだ」

 

 彼が尋ねているのは、布へ包んだ破片の値段だった。

 

 ティセは鑑定札を確認した。

 

「換金価値なし。廃棄予定です」

 

「なら、もらう」

 

「壊れています」

 

「だから置いていけない」

 

 ロウはそれだけ言うと、破片の包みを背負い袋の奥へ収めた。

 

 助けた係員の様子を一度だけ確認し、出口へ歩き出す。

 

 競売場の責任者が呼び止めた。

 

「待て! 損害の確認と事情聴取が――」

 

「虫の巣は一層北壁の群生地にある。持ち込んだ荷運び獣も調べろ。ほかにも卵が付いてるかもしれない」

 

「そうではなく、お前が箱を――」

 

「請求書は組合へ回せ」

 

 ロウは振り返らなかった。

 

 大きな背負い袋が出口の幕へ引っ掛かる。彼は少し身体を横へ向け、慣れた様子ですり抜けていった。

 

 ティセはその背中が見えなくなるまで立っていた。

 

「なんなんです、あの男は」

 

 遅れて降りてきた組合職員が、青ざめた顔でつぶやく。

 

「高級遺物には見向きもしないで、あんなゴミを……。黒笛は変人ばかりだ」

 

 ティセは答えなかった。

 

 床へ残された鑑定札を拾う。

 

 四級以下。

 

 作用不明。

 

 換金価値なし。

 

 その判定自体は間違っていない。

 

 だが、つい先ほど人命を救ったのは、三百万で落札された《朝継ぎ》でも、等級未確定の《遠見板》でもなかった。

 

 値段の付かなかった冷却板と、濁った小瓶だった。

 

 そして、それらの使い道を見抜いた男。

 

 ティセは監視席へ戻った。

 

 机には、新しい書類が一通置かれていた。彼女が席を離れている間に届けられたらしい。

 

 封には探窟家組合の印章がある。

 

 開くと、最初の行にロウ・エルガの名が記されていた。

 

 その下には、未申告遺物の一覧。

 

 番号は八十二まで続いている。

 

 最下部に押された赤い文字を、ティセは声に出さず読んだ。

 

 ――全点の確認、および必要と判断した場合の即時押収を命ずる。

 

 ティセは書類越しに、男が消えた出口を見た。

 

 競売場にはまだ、収容されたハリワタリが瓶の内側を引っかく音が残っている。

 

 危険なのは遺物ではない。

 

 あの男だ。




第1話をお読みいただき、ありがとうございます。

今回は、ガラクタと呼ばれる遺物ばかりを集める黒笛探窟家ロウと、彼を警戒する鑑定士ティセの出会いを描きました。

次回、遺物の押収命令を受けたティセがロウと正面から対決します。彼が背負う八十二個の遺物には、何が隠されているのでしょうか。

感想などいただけると嬉しいです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。