値なきものの墓標   作:まねきまねき

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第3話です。

ケルムの認識票を巡る聴取と、新たな遠征隊の結成を描きます。ロウが背負うガラクタ遺物も、少しずつ明らかになります。


監視役ティセ

 探窟家の認識票が地上へ戻るとき、その持ち主は二つのうち、どちらかになっている。

 

 帰還者か、死者だ。

 

 ティセの兄ケルムは、そのどちらでもなかった。

 

 三年前、深界四層で行方不明。遺体も装備も見つからず、組合の記録には今も《消息不明》と書かれている。

 

 認識票さえ戻らなかったため、家族は墓へ入れる物を何一つ持っていなかった。

 

 その認識票が、今はティセの手の中にある。

 

「本人から預かったという言葉に、間違いはないんですね」

 

 探窟家組合本部の聴取室で、監察官ハルムが尋ねた。

 

 石造りの狭い部屋だった。

 

 中央に机が一つ。窓はなく、壁には記録用の音写器が取り付けられている。皿のような遺物が、室内で交わされた声を細い針の動きへ変え、紙へ刻んでいた。

 

 机の片側にはロウ。

 

 反対側にはティセとハルム。

 

 ロウは椅子へ座っているが、大きな背負い袋を下ろしていない。袋が背もたれへつかえ、身体が机の方へ傾いていた。

 

「間違いない」

 

「ケルム・カルナを最後に確認した時期は」

 

「三年前。失踪してから二十七日後だ」

 

 ティセは認識票を握った。

 

 左端に付いた星形の傷が、掌へ食い込む。

 

「場所は」

 

「深界四層」

 

「それは分かっています。第四層のどこです」

 

「巨人の盃から西へ下った先」

 

「西のどの経路です」

 

「今はない」

 

 ハルムが眉をひそめた。

 

「経路が消失したと?」

 

「入口が閉じた」

 

「岩盤の崩落ですか」

 

「違う」

 

「では、何が閉じたのです」

 

 ロウは答えなかった。

 

 沈黙まで音写器が拾い、紙へ長い直線を刻んでいく。

 

 ティセは机へ認識票を置いた。

 

「兄は、どのような状態だったんです」

 

「生きてた」

 

「怪我は」

 

「あった」

 

「どこに、どの程度の怪我ですか」

 

「言えない」

 

「なぜです」

 

「話すなと言われた」

 

「誰に?」

 

「ケルムに」

 

 ティセは椅子から立った。

 

「三年間も黙っていた理由が、それですか」

 

「そうだ」

 

「兄に頼まれたから、家族へ生存を知らせなかった?」

 

「知らせれば探しに来ると言ってた」

 

「当たり前です!」

 

 声が石壁へ返った。

 

 ハルムが片手を上げる。

 

「カルナ鑑定士。座ってください」

 

「でも、この男は――」

 

「聴取を続けます」

 

 ティセはロウを睨みながら椅子へ戻った。

 

 ロウの表情は変わらない。

 

 そのことが、余計に腹立たしかった。

 

「ケルムは、誰が探しに来ても死ぬと言った」

 

 ロウが続けた。

 

「場所のことを話すな。入口がもう一度開くまで待て。認識票も家族へ返すなと言われた」

 

「認識票を返せば、死亡したと判断されるからですか」

 

 ハルムが尋ねる。

 

「ああ。捜索記録も閉じられる」

 

 ティセは言葉を失った。

 

 認識票が家族の元へ戻るのは、たとえ遺体がなくても、その者が帰らないと認められたときだ。

 

 ケルムは自分が生きていることを知らせず、それでも死者として処理されることは拒んだ。

 

 兄らしいと言えば、兄らしかった。

 

 だが、納得できるわけではない。

 

「なぜ兄を連れて帰らなかったんです」

 

「動かせなかった」

 

「怪我のせいで?」

 

 ロウはまた答えない。

 

「置いてきたということですか」

 

「水と食料、薬、通信具を残した」

 

「三年分も?」

 

「そんなにない」

 

「なら、今ごろ――」

 

 死んでいる。

 

 その言葉を、ティセは口にできなかった。

 

 ロウは視線を机へ落とした。

 

「十二回、戻った」

 

「え?」

 

「入口を探しに、十二回第四層へ潜った。一度も見つからなかった」

 

「組合への申請記録は七回だけです」

 

 ハルムが資料をめくる。

 

「残り五回は無許可ですか」

 

「別件の隊に混ざった」

 

「それを無許可と言うんです」

 

「そうか」

 

「黒笛でなければ資格停止では済みませんよ」

 

「今、関係あるか」

 

「あなたの聴取なので、すべて関係があります」

 

 ハルムはこめかみを押さえた。

 

 ティセはロウの横顔を見た。

 

 三年間に十二回。

 

 第四層まで降り、あの過酷な上昇負荷を受けて地上へ戻る。それを繰り返していた。

 

 兄を見捨てた男ではない。

 

 そう認めるには、まだ怒りが強すぎた。

 

「最初にその場所へ入った経緯を話してください」

 

 ハルムが言った。

 

 ロウはしばらく音写器を見ていた。

 

 やがて、短く息を吐く。

 

「第四層で、力場の流れが逆になった」

 

「逆流ですか」

 

「小さな範囲だけだ。原生生物に追われて、流れの薄い割れ目へ入った。奥に空洞があった」

 

「どのような場所でした」

 

「庭みたいな場所だ」

 

「植物が?」

 

「遺物が生えてた」

 

 音写器の針が一瞬止まり、また動き始めた。

 

 ハルムでさえ、すぐには次の質問を出せなかった。

 

「生えていた、とは」

 

「木や壁に、遺物がくっついてた。笛も、荷物も、人の骨もあった」

 

「それらを持ち帰りましたか」

 

「触ってない」

 

「あなたが?」

 

 ティセは思わず聞き返した。

 

 競売場の廃棄箱まで漁る男が、目の前にある遺物へ一つも触れなかったとは考えにくい。

 

「ケルムに止められた」

 

「兄は、そこにいたんですね」

 

「ああ」

 

「一人で?」

 

「見える範囲では」

 

「調査隊のほかの人たちは」

 

「見つからなかった」

 

「その場所に名前はありますか」

 

 ハルムの問いに、ロウは首を横へ振った。

 

「正式な名前はない。ケルムは《値無しの庭》と呼んでた」

 

「値無しの庭……」

 

 ティセが繰り返す。

 

「価値のない遺物が集まる場所だからですか」

 

「理由は聞いてない」

 

 ロウの答えは短い。

 

 だが、それが嘘であることをティセは感じた。

 

 知らないのではない。

 

 今は言わないと決めている。

 

 聴取室の扉が三度叩かれた。

 

 ハルムが返事をすると、若い職員が封筒を持って入ってくる。

 

「第四層観測所からの緊急報告です」

 

 ハルムは封を開き、紙を読む。

 

 途中で表情が変わった。

 

「いつ届きました」

 

「今朝です。深界二層の監視拠点を経由して、伝報船で上がってきました」

 

 アビスの内部では、地上のように遠くへ声を届けることが難しい。そのため各層の拠点が伝言や記録を受け渡し、何日もかけて情報を地上へ運ぶ。

 

 緊急時には、飛行する小型船型の遺物《伝報船》が使われることもある。ただし、上昇中に原生生物へ襲われたり、力場の乱れで失われたりすることが多く、必ず届くものではなかった。

 

「報告内容は」

 

 ティセが尋ねる。

 

 ハルムは紙から顔を上げた。

 

「巨人の盃、西側で大規模な地割れが確認されました。発生は六日前。地割れの内部から、人工的な打音が繰り返し観測されています」

 

 《巨人の盃》とは、深界四層に広がる巨大な盃状植物の群生地である。深い水を溜めた植物が幾つも重なり、その周囲には強力な原生生物が生息している。

 

「打音?」

 

「同じ間隔で十三回。その後、長く一回。半日ほど置いて、また十三回」

 

 ロウが立ち上がった。

 

 背負い袋が机へ当たり、音写器の皿が揺れる。

 

「場所は」

 

 ハルムが報告書を机へ広げる。

 

 簡略化された第四層の地図。その西端へ、赤い印が付いていた。

 

 ロウは身を乗り出した。

 

「ここだ」

 

「値無しの庭の入口ですか」

 

「入口があった場所だ」

 

 ティセも地図を見る。

 

 兄が最後に提出した調査計画と、ほぼ同じ経路だった。

 

「打音が兄のものだという証拠は」

 

「ない」

 

「では、別の原生生物や遺物の可能性もあります」

 

「ある」

 

「それでも行くんですね」

 

 ロウは答えなかった。

 

 答える必要がないほど、顔に出ていた。

 

 ハルムが新しい紙を取り出す。

 

「組合は調査隊を派遣します。第一目的は地割れ内部の調査。第二目的は消息不明者の捜索。未知の遺物を発見した場合は、可能な範囲で記録と回収を行います」

 

「私も行きます」

 

 ティセは即座に言った。

 

「許可できません」

 

 ハルムも即座に返した。

 

「なぜです」

 

「肉親の捜索では冷静な判断を失うおそれがあります。さらに、あなたは第四層での活動経験が二度しかない」

 

「二度でも、兄の調査記録を最も詳しく把握しているのは私です。《値無しの庭》が遺物に関係する場所なら鑑定士も必要です」

 

「別の者を選びます」

 

「兄を見つけても、本人だと判断できる者がいません」

 

「認識票と登録記録があります」

 

「三年も経っています。怪我や上昇負荷で外見が変わっている可能性もある」

 

 ハルムは難しい顔をした。

 

 ティセは机の下で拳を握る。

 

 ここで引けば、また地上で待つことになる。

 

 三年前と同じように。

 

「連れていけ」

 

 ロウが言った。

 

 ティセは彼を見た。

 

「ロウ・エルガ。隊員を選ぶ権限は、まだあなたに――」

 

「ケルムが生きてるなら、必要になる」

 

「なぜです」

 

「あいつは俺の話を聞かない」

 

「私の話も聞きません」

 

「お前の方がましだ」

 

「それはどういう意味ですか」

 

「兄妹だから分かるだろ」

 

「分かりません」

 

 ハルムが机を指で二度叩いた。

 

「口論はアビスへ入ってからにしてください」

 

 彼はしばらく二人を見比べた後、派遣書へ何かを書き足した。

 

「ティセ・カルナを遺物鑑定士として仮登録します。ただし条件があります」

 

「何でも従います」

 

「それを簡単に言う人間は信用できません。条件は、ロウ・エルガの監視を兼務することです」

 

「俺の?」

 

 ロウが顔を上げた。

 

「未申告遺物の押収命令は保留します。遠征までに可能な限り鑑定し、危険性を判断してください。探窟中に不正使用または隊員へ危害を及ぼすおそれが確認された場合、カルナ鑑定士の判断で使用を禁じます」

 

「嫌だ」

 

「あなたに拒否権はありません」

 

「荷物へ勝手に触るな」

 

「触らなければ鑑定できません」

 

「見るだけにしろ」

 

「性質によります」

 

「二人とも」

 

 ハルムの声が低くなった。

 

「出発は二日後です。それまでに話し合ってください。ここ以外で」

 

 音写器の針が、紙の端まで到達して止まった。

 

     ◇

 

 その日の午後、組合の装備室には八十二個の遺物が並んでいた。

 

 昨日競売場で見つけた赤黒い球体は、寄生生物の卵が残っていないか確認するため検査室へ隔離されている。ロウはすでに自分の物として数えていたが、まだ荷物には戻っていなかった。

 

 正確には、並び始めていた。

 

 すべてを袋から出すと戻すのに半日かかる、というロウの言葉は大げさではなかった。

 

 大きな机を三台つなげても足りず、床には色分けされた布が敷かれている。

 

 赤い布は、単独で保管する物。

 

 青い布は、水分を避ける物。

 

 黄色い布は、ほかの遺物へ近づけても問題のない物。

 

 黒い布は、ロウ以外が触れてはならない物。

 

「最後の分類は認められません」

 

 ティセが言った。

 

「触ると指がなくなる」

 

「先にそれを言ってください」

 

「今言った」

 

「昨日も聞きました、その返し」

 

 ティセは鑑定記録へ《接触禁止・理由未確認》と書き込んだ。

 

 装備室には、遠征へ同行する三人も集まっていた。

 

「指がなくなる遺物と一緒に二日後から寝るの?」

 

 医療箱を抱えた女が、机越しにロウを見る。

 

 メノ・ハルカ。三十三歳の月笛で、医療と調理を担当する。焦げ茶色の髪を頭の後ろで雑に束ね、白い外套の袖を肘までまくっていた。

 

「前から一緒に寝てる」

 

 ロウが答える。

 

「質問を変えるね。私たちは生きたまま帰れる?」

 

「努力する」

 

「そこは断言してほしかったなあ」

 

 メノは笑いながら、机へ紙包みを置いた。

 

 包みから焼いた穀物と干し果実の甘い匂いがする。

 

「食べながらやろう。空腹の鑑定士は、役に立つ物まで捨てそうだから」

 

「私は空腹で判断を変えません」

 

「そういう人ほど変わるのよ」

 

 ティセへ焼き菓子を一つ押し付け、メノはほかの隊員にも配り始めた。

 

 壁際では、大柄な男がロウの背負い袋を測っている。

 

 ガッド・ボル。三十六歳。索具と荷運びを担当する月笛だ。

 

 口数が少なく、先ほどから袋の縦、横、厚さを測っては手帳へ数字を書いている。

 

「重さは」

 

 ガッドが尋ねた。

 

「朝は八十六」

 

「単位はキロ?」

 

「そうだ」

 

「朝は?」

 

「水を飲むと減る物がある」

 

「どれだけ」

 

「日による」

 

 ガッドは少し考え、手帳へ《最大百二十を想定》と書いた。

 

「持つの、手伝いましょうか」

 

 甲高い声がした。

 

 最年少のプク・ネアが、机の反対側から顔を出す。

 

 十九歳の月笛で、音響測量を専門としている。小柄な身体へ大小六つの音叉と、反響を記録する筒を下げていた。話すたび装備同士が触れ、軽い音を立てる。

 

「無理だ」

 

「僕、これでも荷運び訓練は上位でしたよ」

 

「順番を覚えられない」

 

「八十二個全部に順番が?」

 

「ある」

 

「名前も?」

 

「ある」

 

 プクの目が輝いた。

 

「聞かせてください」

 

「嫌だ」

 

「一個だけ」

 

「仕事しろ」

 

「僕の仕事は、音が出る遺物を確認することです。名前を聞くのも仕事の一部です」

 

「今作っただろ」

 

「ばれました?」

 

「音で分かる」

 

「嘘の音が?」

 

「口調が軽くなった」

 

 プクは感心したように何度もうなずいた。

 

 ティセは三人を順に見た。

 

 医療のメノ。

 

 索具のガッド。

 

 音響測量のプク。

 

 そして、隊長兼戦闘役のロウ。

 

 ティセ自身は遺物鑑定と毒物、生物試料の判別を担当する。

 

 五人。

 

 兄の調査隊は六人だった。

 

 帰った者は一人もいない。

 

「鑑定を続けます」

 

 暗い考えを追い払い、ティセは黄色い布の上にある金属の蓋を取った。

 

 手のひらに収まる大きさで、表面に三本の溝がある。

 

「これは?」

 

「《空閉じ蓋》」

 

「正式名称ですか」

 

「俺が付けた」

 

「作用は」

 

「空の容器だけ閉じる」

 

「普通の蓋も閉じます」

 

「こいつは何にでも合う」

 

 ロウは形の違う三つの瓶を並べた。

 

 ティセが水入りの瓶へ蓋を置く。

 

 蓋は大きさを変えず、滑り落ちた。

 

 中身を別の器へ移し、空にしてからもう一度置く。

 

 三本の溝が淡く光り、蓋が瓶の口へ吸い付いた。持ち上げても、振っても外れない。

 

「開け方は」

 

「中へ何か入れる」

 

「閉じているのに、どうやって?」

 

「だから役に立たない」

 

「本当に開かないんですか」

 

「その瓶は諦めろ」

 

「先に言ってください!」

 

 プクが声を上げて笑う。

 

 メノは焼き菓子を食べながら、瓶を光へ透かした。

 

「空気は入ってるんじゃない?」

 

「こいつは空気を中身と数えない」

 

「妙に頑固ね。持ち主に似たのかな」

 

「似てない」

 

 ティセは記録へ《任意の空容器を密閉。解除方法なし。実用性・低》と書いた。

 

 次は、先端の丸い釘だった。

 

 長さは小指ほど。錆びた鉄に見えるが、鑑定針を近づけると、触れる前にわずかに動いた。

 

「これは何です」

 

「《名残り釘》」

 

「作用は」

 

「手を離すと、前の持ち主がいる方へ傾く」

 

「方角を示す遺物なら、役に立つのでは?」

 

「数ミリしか動かない。地図の上でも分からない」

 

「前の持ち主は誰です」

 

「知らない」

 

「どこで入手しました」

 

「第四層」

 

 ティセは平らな鑑定台へ釘を立て、指を離した。

 

 釘はすぐ倒れず、一度だけ震える。

 

 そして、ほんのわずかに斜めになった。

 

 装備室の扉側。

 

 その向こうには廊下があり、組合本部の玄関があり、さらに先にはアビスがある。

 

「アビスの方を指しています」

 

「たまたまだ」

 

「何度試しても同じなら?」

 

「たまたまが続いてる」

 

「鑑定に、その表現は使えません」

 

 ティセは釘の向きを変え、もう一度立てた。

 

 同じ方へ傾く。

 

 三度目も。

 

 記録へ《前所有者の方向を示す可能性。ただし移動幅が小さく測定困難》と書き込んだ。

 

「危険性は低い。携行を許可します」

 

「全部そう書け」

 

「一個ずつ確認します」

 

「二日かかるぞ」

 

「出発まで二日あります」

 

 ロウが露骨に嫌そうな顔をした。

 

 ティセは初めて、少しだけ勝った気がした。

 

     ◇

 

 日が沈むまでに確認できたのは、三十一個だった。

 

 ひびの入った鏡。片方の足しか水を弾かない靴。持ち主が眠っている間だけ光る灯。傷を治さず、痛みだけを僅かに弱める糸。

 

 何に使うのか分からない物ばかりだった。

 

 それでもロウは、能力と入手場所を一度も間違えなかった。

 

 遺物の名前だけではない。

 

 誰の荷物から見つかったか。どの探窟隊が持ち帰ったか。持ち主が何色の笛だったか。分かる範囲ですべて覚えている。

 

 ティセが記録へ書くより早く、答えが返ってきた。

 

 最後の遺物を布へ戻すと、メノたちは夕食の買い出しへ向かった。ガッドとプクも、明日必要な縄と測量具を確かめるため装備室を出る。

 

 残ったのはティセとロウだけになった。

 

 机の隅には、ケルムの認識票が置かれている。

 

「これは私が持ちます」

 

 ティセが言った。

 

「まだ返せない」

 

「もう生存の可能性が組合へ記録されました。認識票が戻っても、捜索記録は閉じられません」

 

 ロウはしばらく考えた後、うなずいた。

 

 ティセは認識票を革紐へ通し、自分の月笛の隣へ下げた。

 

 金属同士が触れ、小さく鳴る。

 

「三年間、兄は何を食べていたと思いますか」

 

「分からない」

 

「水は」

 

「庭には流れてた」

 

「安全な水でしたか」

 

「俺が飲んだ分は」

 

「兄の怪我は、自然に治るものだったんですか」

 

 ロウは答えない。

 

 まただ。

 

 ティセは怒鳴りたくなるのをこらえた。

 

「兄は、今も生きていると思いますか」

 

「分からない」

 

「あなたは分からないことばかりですね」

 

「見てないことは断言できない」

 

「では、可能性を聞いています」

 

 ロウは黄色い布の上から《名残り釘》を取った。

 

 机の上へ立てる。

 

 釘は震え、ゆっくりとアビスの方へ傾いた。

 

「これの前の持ち主は、三年前に庭で見た」

 

「その人も行方不明者ですか」

 

「ああ」

 

「生きていましたか」

 

「そのときは」

 

「今は分からない」

 

「そうだ」

 

 ロウは釘を横へ寝かせた。

 

「でも、入口が開いた。中から合図が来てる」

 

「兄のものとは限りません」

 

「限らない」

 

「期待させることを言わないでください」

 

「期待しろとは言ってない」

 

 ロウはティセを見た。

 

「覚悟しておけと言ってる」

 

「何の覚悟です」

 

「見つけたものが、お前の望む姿じゃなくても連れて帰る覚悟だ」

 

 ティセの胸元で、兄の認識票が冷たく触れていた。

 

 意味を問い返そうとしたが、ロウは先に背負い袋へ向き直った。

 

 三十二個目の遺物を取り出す。

 

 欠けた、小さな鈴だった。

 

「続けるぞ。二日しかない」

 

「先ほどは二日もかかると文句を言っていたでしょう」

 

「今は早く終わらせたい」

 

「私もです」

 

 ティセは新しい記録用紙を広げた。

 

 ロウが鈴を置く。

 

 鳴らないはずの鈴が、机へ触れた瞬間だけ、かすかな音を立てた。

 

 ティセが顔を上げる。

 

 ロウは鈴ではなく、アビスのある方角を見ていた。

 

「お前の兄は」

 

 低い声で言う。

 

「まだ生きてるかもしれない」




第3話をお読みいただき、ありがとうございます。

ロウとティセに加え、医師のメノ、索具師のガッド、音響測量士のプクがそろいました。《空閉じ蓋》と《名残り釘》は、今後の物語でも重要になる遺物です。

次回は第4話「八十二個目の荷物」。地上で過ごす最後の夜を経て、五人はいよいよアビスへ出発します。
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