五人の探窟が本格的に始まります。今回は隊の連携と、役に立たないはずの遺物を組み合わせるロウの戦い方を描きます。
認識票が十三回鳴った後、五人は一時間、その場から動かなかった。
プクが岩棚と周辺の壁を音で調べ、ティセは認識票を鑑定し、ロウはアビスの底を見続けた。
同じ現象は二度と起きなかった。
「内部に可動部分はありません」
ティセは認識票を光へ透かした。
「元から、音を出すための物でもない。兄が何か加工した形跡もありません」
「音の間隔は、第四層の報告と完全に同じです」
プクが記録筒を振った。
筒の内部で薄い膜が震え、先ほどの打音を再生する。
こつ、こつ、と十三回。
最後に長い摩擦音。
「偶然で同じになる可能性は?」
メノが尋ねる。
「限りなく低いです」
「兄が呼んでいるんでしょうか」
ティセの問いに、誰もすぐには答えなかった。
ロウが岩棚の縁から戻ってくる。
「呼んでるのがケルムとは限らない」
「分かっています」
「同じ音を出せる何かが、認識票に触った可能性もある」
「分かっています」
「なら、しまえ。出発する」
ティセは認識票を月笛と重ならない位置へ固定した。
ロウの言い方は冷たい。
だが、理由は理解できた。
アビスでは、希望に見えるものほど人間を深くへ誘う。
声、光、食べ物、帰り道。信じたいと思った瞬間、罠かどうかを疑えなくなる。
五人は隊列を組み、深界一層を下り始めた。
◇
最初の二日間は、予定どおりに進んだ。
先頭はロウ。数十歩後ろにプクとティセが続き、メノ、最後尾をガッドが守る。
ロウは地面や壁へ触れ、原生生物の爪痕や新しい崩落を確かめながら道を選ぶ。大きな荷物を背負っているのに、足音はほとんどしなかった。
プクは一定の間隔で金属棒を鳴らした。
返ってくる音の速さと方向を聞き分け、霧の向こうの壁、空洞、動く生物を記録していく。目で見えない場所を音で測る、音響測量という技術だった。
「前方、四十歩。右に大きな空洞」
プクが報告する。
「深さは」
ロウが尋ねる。
「反響が返ってきません」
「近寄るな。左を通る」
「返ってこないくらい深いだけかもしれませんよ」
「中で音を食う生物が口を開けてるかもしれない」
「そんなのいるんですか」
「いる」
「どこに?」
「二層」
「これから行く場所じゃないですか」
「だから覚えろ」
プクは反響筒を抱え直した。
ティセは二人の会話を記録しながら歩いた。
隊内の合図も決められている。
笛を一度短く吹けば停止。二度なら危険。長く一度なら集合。声を出せない状況では、命綱を引く回数で同じ意味を伝える。
メノは休憩のたびに全員の脈、呼吸、手足の傷を調べた。
ガッドは通過した難所へ補助縄を残し、帰路でも使えるよう結び目に印を付ける。
五人のうち、単独での戦闘力が突出しているのはロウだ。
しかし、探窟は敵を倒すだけでは続かない。
道を見つけ、身体を守り、帰る経路を残す。一つ欠ければ、どれほど強くても地上には戻れない。
三日目の昼、周囲の景色が変わり始めた。
岩壁へ張り付く低い草が減り、代わりに天井から太い根が垂れ下がる。霧は濃くなり、空気に甘い匂いが混じった。
深界二層《誘いの森》が近い。
第二層には、上下の感覚を狂わせるほど複雑に樹木が生えている。地上の森と違い、根が天井へ、枝が横壁へ伸び、巨大な葉が縦穴の中を覆う。
原生生物の種類と危険性も、一層とは比べものにならない。
ここから先へ赤笛が許可なく入れば、無事に帰っても重い処罰を受ける。それほど生還率が下がる境界だった。
「今夜は境界手前で休む」
ロウが言った。
「まだ明るいですよ」
プクが上を見る。
空は直接見えないが、穴の上から届く光で時刻は分かる。
「二層へ入ったら、安全な野営地まで遠い」
「ここは安全なんですか」
「今から調べる」
「安全だと分かってから言ってくださいよ」
選んだのは、大きな岩から横へ突き出した棚だった。
背後は壁。前方は深い谷。左右の道は狭く、原生生物が近づけば発見しやすい。
プクが反響音を調べ、ガッドが岩の強度を確かめる。ティセは土、水、植物の表面から試料を採取した。
「毒性の強い物はありません」
「地下に空洞なし。岩も崩れない」
ガッドが報告する。
「小動物の音が、谷の下に三つ。こちらへ上がる動きはありません」
プクも続けた。
ロウは周囲を一周し、ようやく荷物を下ろした。
「野営する」
「今のところ、問題なしですね」
ティセが言う。
「今のところは」
「毎回、不安になる言葉を足さないと気が済まないんですか」
「後で変わる」
実際、日が落ちるころには変わった。
◇
最初に異変へ気付いたのはプクだった。
五人は火を囲み、メノが煮た乾燥肉と豆のスープを食べていた。
プクは三杯目を要求し、メノに二杯までと断られたところだった。
「けち」
「帰りの食料を今食べるつもり?」
「帰りは荷物が軽くなるから、早く進めます」
「その前に動けなくなるよ」
「――プク」
岩棚の右側から、メノの声がした。
「おいで。まだ残ってるよ」
プクの顔が明るくなる。
「ほら、あるじゃないですか」
「何が?」
メノは彼の正面に座っている。
鍋を抱え、首を傾げていた。
右側の暗闇から、もう一度声がする。
「プク。こっち」
全員が動きを止めた。
メノと同じ声だった。
高さも、話し方も、最後の息の抜け方まで似ている。
ロウが火へ蓋をかぶせた。
周囲が暗くなる。
「返事をするな」
低い声で言う。
「もう名前を呼ばれましたけど」
「次に来る」
「何がです」
今度は左から、プクの声がした。
「何がです」
たった今、本人が口にした言葉だった。
プクが両手で口を塞ぐ。
「声を借りる生物だ」
ロウは荷物へ手を伸ばした。
「《コエカリ》。聞いた声を使って、群れから離れた相手を呼ぶ」
「一層にもいる生物ですか」
ティセが小声で尋ねる。
「二層の浅い森にいる。ここまで上がってくることは少ない」
「何匹?」
ガッドが縄を手首へ巻きながら言う。
「まだ分からない」
プクが音響棒を持ち上げた。
「音を出して調べます」
「駄目だ。新しい音を覚えさせる」
暗闇から、ロウの声が返る。
「駄目だ。新しい音を覚えさせる」
続いてティセの声。
「まだ生きてるかもしれない」
第四話の最後にロウが言った言葉だった。
「近くにいたんですか」
ティセは短弓を構える。
「降下場から付いてきた可能性がある」
「なら、私たちの会話を全部聞いている」
岩棚の下から、複数の笑い声が重なった。
メノの笑い。
プクの笑い。
ニアの小さな笑いまで混じっている。
メノの顔から表情が消えた。
「その声を使わないで」
一歩、谷の方へ出る。
ロウが肩をつかんで止めた。
「だから呼ぶ」
細い物が闇を横切った。
ティセが矢を放つ。
短い鳴き声。何かが岩へ落ち、すぐ谷へ逃げていく。
一瞬だけ姿が見えた。
猫ほどの大きさ。皮膚は灰色で、四本の脚が異様に細い。頭の代わりに、口のような裂け目を持つ丸い袋がある。袋を膨らませ、人間の声を出していた。
「矢には眠り毒を塗っています。命中すれば、遠くへは行けません」
ティセが次の矢をつがえる。
「追うな」
ロウが止めた。
「群れの巣へ誘ってる」
ガッドが全員の腰を一本の縄でつないだ。
ロウは荷物の外側から、小さな革袋を外す。
中に入っていたのは、獣の歯に似た白い遺物だった。
「《毒震え歯》」
ティセが記録した名を口にする。
「強い毒の近くで震える。ただし方角は分からない」
「今は方角が分かる」
ロウは地面へ歯を置いた。
遺物が細かく震え、石へ触れて音を立てる。
彼は少し場所を変え、もう一度置く。
右の道では激しく、左では弱い。
「コエカリの唾液に麻痺毒がある。右に多い」
「方角が分からない遺物を、場所を変えて比較したんですね」
「そうだ」
単純な使い方だった。
鑑定中、ティセは一度も試していない。
震えるか、震えないか。それだけを記録し、役に立たないと判定した。
右の暗闇から、石を擦る音が増えている。
群れが集まってきた。
「十より多い」
ガッドが言う。
「正面から来るなら倒せます」
ティセは矢筒を確かめた。
「正面からは来ない。声で一人ずつ外へ出す」
ロウは別の包みを二つ取り出した。
一つは、指ほどの短い笛。
もう一つは、掌に収まる渦巻き形の貝。
「《声真似笛》と《後鳴り貝》」
ティセが言う。
「笛は聞いた鳴き声の一音だけを再現する。貝は聞いた音を十二秒後に一度返す」
「覚えてたか」
「監視役ですから」
ロウは谷の下へ耳を向けた。
コエカリの声が重なる中、一つだけ人間ではない音がある。
く、く、と喉を二度鳴らす短い声。
群れが動くたび、最初に聞こえた。
「集まる合図だ」
ロウは《声真似笛》へ息を吹き込む。
笛から、同じ音が出た。
く、く。
闇の中の声が止まる。
ロウは続けて《後鳴り貝》の口へ笛を当て、もう一度吹いた。
「ガッド」
貝へ細い縄を結び、ガッドへ渡す。
「向こうの木へ」
ガッドは重りを付け、谷の反対側へ投げた。
貝が闇を越え、横壁から伸びた木の枝へ引っ掛かる。
「あと五秒」
プクが数える。
「四、三、二――」
反対側から、合図が響いた。
く、く。
岩棚の下で何十本もの脚が動く。
コエカリの群れが一斉に谷を回り、声のした木へ向かった。
ロウは縄を引く。
枝に付いていた《後鳴り貝》が外れ、谷を振り子のように渡って戻ってきた。
群れは、誰もいない枝へ集まっている。
「今、移動する」
五人は火も食器も最小限だけ回収し、左側の道へ走った。
コエカリが騙されたと気付くまで、数分は稼げる。
狭い岩の割れ目を抜け、二層へ下る太い根へ到達した。
ガッドが縄を掛け、全員が順に降りる。
最後のロウが根へ足を掛けたとき、背後から声がした。
「ティセ」
彼の動きが止まった。
ティセも振り返る。
暗い道の奥に、一匹だけコエカリが立っていた。
ティセの矢を受けた個体だ。肩から矢を生やし、足元をふらつかせている。
口の袋がゆっくり膨らむ。
「ティセ」
同じ声を繰り返した。
男の声だった。
少し低く、呼ぶ前に息を短く吸う癖がある。
幼いころから何度も聞いた。
「兄さん……?」
コエカリは、ケルムの声でティセの名を呼んでいた。
この三日間、誰もその声を出していない。
認識票にも、声を記録する機能はない。
ロウが一歩戻る。
コエカリは身を翻し、暗闇へ飛び込んだ。
プクが音響棒を鳴らす。
「反響なし。消えました」
「追います!」
ティセが根から足を外す。
ロウが腕をつかんだ。
「罠だ」
「でも、今の声は――」
「だから罠になる」
握る力が強くなる。
「ここで戻れば、全員が囲まれる」
「放してください」
「先へ行く。声の出どころは、下にある」
ティセは暗い道を見続けた。
兄の声は、もう聞こえない。
代わりに、二層から吹き上がる甘い風が頬へ触れた。
五人は深界二層へ降りた。
その背後で、誰もいない一層の暗闇が、もう一度だけティセの名を呼んだ。
5話をお読みいただき、ありがとうございます。
《毒震え歯》《声真似笛》《後鳴り貝》を組み合わせ、五人は最初の襲撃を切り抜けました。しかし、コエカリが使ったケルムの声には別の理由がありそうです。
次回は第6話「落ちるほど強く」。深界三層の大断層で、ロウの強力な遺物《墜腕》が初めて本格的に使用されます。