前世は男。今世は女。
だけど、そんなことを除けば私はどこにでもいる普通の女の子――のはずだった。
家ではケーキ屋の手伝い。学校では友達と普通に過ごす毎日。
プリパラというアイドルの世界が身近に存在していても、特に興味を持つことはなかった。
……あの日までは。
ケーキの配達で初めてプリパラを訪れた私は、そこで出会った少女に誘われ、ひょんなことからライブへ出演することになる。
前世は男。今世は女。
だけど、そんなことを除けば私はどこにでもいる普通の女の子――のはずだった。
家ではケーキ屋の手伝い。学校では友達と普通に過ごす毎日。
プリパラというアイドルの世界が身近に存在していても、特に興味を持つことはなかった。
……あの日までは。
この物語の主人公『紫藤ルナ』という少女を知る人間に、彼女がどんな子なのかと尋ねれば、おそらく似たような答えが返ってくる。
──明るくて、よく働く普通の女の子。
学校では友達と笑い合い、休み時間には他愛もない話で盛り上がる。特別目立つわけではないが、かといって人付き合いが苦手というわけでもない。
少し変わっているところがあるとすれば、家の手伝いを嫌がらないことくらいだろう。
彼女の家は、街の一角に店を構える小さなケーキ専門店だった。
放課後になると、ルナは制服の上からエプロンを身につけ、店の手伝いを始める。
「いらっしゃいませ!」
明るい声で客を迎え、注文を聞き、出来上がったケーキを箱に詰める。
両親が厨房でケーキを作っている間には、ショーケースの掃除をしたり、焼き上がったお菓子を運んだりすることもある。
「ルナ、そこの苺取ってくれる?」
「はーい!」
呼ばれればすぐに返事をして、ぱたぱたと厨房へ向かう。その姿は、店に訪れる常連客から見ても微笑ましいものだった。
「ルナちゃん、すっかり看板娘ね」
「ありがとうございます!」
そんな言葉をかけられると、ルナは嬉しそうに笑う。
両親にとっても、娘が店を手伝ってくれることはありがたいことだった。
学校では普通の女の子。家では両親を手伝う働き者。
少なくとも、周囲の人間から見れば──紫藤ルナは、どこにでもいる普通の少女だった。
そんな彼女には、周囲の誰にも知られていない秘密があった。
私には、前世の記憶がある。
前世の私は男だった。
けれど、今世では女の子として生まれ育った。
物心ついた頃には、すでに前世の記憶があった。だからといって、特別なことをするわけでもない。
今の私は、普通の女の子として毎日を過ごしている。
「男の子」から「女の子」になることへの違和感は、今でもゼロではない。
でも、どう扱えばいいのか分からないまま、ここまで来てしまった。
女の子として生まれたんだから、女の子として生きていけばいい。
そうやって、何となく折り合いをつけてきた。
だから——今の私は、普通の女の子だ。
そんな事より、もう一つ。
私がこの世界で生きていくうえで、少しだけ変わった事情がある。
ここは、俺が前世で知っていた世界とよく似ている。
いや、正確に言えば──『プリパラ』の世界だ。
街にはプリパラがあり、テレビではアイドルたちのライブが放送されている。
街中を歩けば、プリチケを手にした女の子たちを見かけることも珍しくない。
「今日プリパラ行くんだ!」
「新しいコーデ出たんだって!」
そんな会話も、日常の一部になっている。転生したばかりの頃なら、きっと大騒ぎしていただろう。
けれど。
実際の俺はというと──
「へぇ、そうなんだ」
だいたい、それで終わりだった。別にプリパラが嫌いなわけじゃない。むしろ前世では、テレビで見たこともあるし、登場するアイドルたちのことだって知っている。
ただ、それだけだ。
前世の俺は男だった。
当然、女の子向けのアイドルコンテンツを熱心に追いかけていたわけでもない。
せいぜい、姉か見ていたのを惰性で一緒に見ていたぐらいでその姉も最初の何話か見てプリリズシリーズとの路線変更が受け入れられず、すぐに卒業していたので、知ってるのも最初だけ。
それに、今の俺は普通の女の子として生活している。学校へ行って、友達と話して、家に帰れば家業のケーキ屋を手伝う。
毎日それなりに楽しい。
わざわざプリパラへ行ってアイドルをする必要性なんて、俺にはなかった。
「ルナ、今日もプリパラ行かないの?」
ある日の放課後、友達にそう聞かれた。
「うん。今日は家の手伝いあるから」
「そっかー。新しいコーデ出たのに」
「へぇ、どんなの?」
「すっごく可愛いんだよ!」
「じゃあ、今度見せてよ」
そんな会話をして、俺はそのまま家へ帰った。
別に羨ましいとは思わなかった。
──少なくとも、その時までは。
家に帰れば、甘いバターと焼き菓子の香りがする。
「ただいまー」
「おかえり、ルナ。手を洗ったら苺の下処理お願いね」
「はーい」
エプロンを身につけ、厨房に立つ。
苺を洗い、ヘタを取って、形の良いものを選んでいく。
そんな何気ない日常の方が、私にとってはずっと身近だった。
(まあ、プリパラはプリパラ。私は私だし)
そう思っていた。
プリパラという場所がすぐそばにあることも。
そこでは毎日のようにアイドルたちがステージに立っていることも。
そして──自分もいつか、そのステージに立つことになるなんてことも。
この時の俺は、知る由もなかった。
⸻
朝。カーテンの隙間から差し込む光に、ぼんやりと意識が浮かび上がる。
「……んぅ」
まだ重たい瞼をこすりながら、ベッドからゆっくり起き上がる。
ふわぁ、と小さくあくびをして、枕元の時計を確認する。
午前7時ちょうど。いつも通りの時間だ。
布団から抜け出し、机の上のカレンダーに目をやる。
「今日から中学生か……」
つい先日、無事に卒業式を迎えたばかり。
小学生としての生活は終わり、来週からは中学1年生としての新生活が始まる。
とはいえ、明日はまだ春休み中。
(まあ、別に急ぐ用事もないし……)
そんなことを思いながら着替えを済ませ、1階の店舗へと降りていく。
「おはよう」
「おはよう、ルナ。早速だけど、悪いんだけど頼まれてくれる?」
開口一番、母が困ったような笑顔を向けた。
「どうしたの?」
「実は今日、特別なケーキの配達があってね。でもパパもママも他の仕事が立て込んでて……」
そう言って母が指差した先には、冷蔵庫に入れられた白い箱があった。中身は見えないが、相当大きそうなのがわかる。
「お客さんがどうしても今日中に欲しいらしくて。場所はね……」
母が差し出したメモ書きには、簡単な地図と一緒にお店の名前が書かれていた。
【配達先:プリズムストーンショップ 前で待機】
「……プリパラ?」
思わず口に出していた。
「ええ。なんでもプリパラ内のイベントで使うみたいなの。ごめんね、お願いできる?」
「う、うん。別にいいけど」
断る理由も特にない。ただ、なんとなく胸のあたりが落ち着かない。これまで一度も行ったことがなかった場所。
クラスメイトが楽しそうに行ってると言っていた場所。
テレビ越しでは何度も見たことがあるけれど、自分には関係のない世界だと思っていた場所。
まさか、ケーキ屋の仕事の一環でそこへ行くことになるなんて。
(まあ……届けるだけだし)
「じゃあ、行ってくるね」
「ありがとう。気をつけて行ってきてね」
箱を包む紙袋を受け取り、深呼吸をひとつ。
(さて……プリパラにケーキを届けに行くとするか)
こうして俺は、生まれて初めてプリパラへと向かうことになった。
────
駅前のロータリーを抜けると、目的地はすぐに見えてきた。
ピンクが眩しい建物。大きなモニターには可愛らしいアイドルたちが映し出され、ポップな音楽が辺り一帯に響いている。
──プリズムストーンショップ。
プリパラに入るための入り口であり、同時にアイドルグッズやファッションアイテムを販売している場所だ。
何度か前を通ったことはあるけれど、実際に足を踏み入れるのはこれが初めて。
自動ドアをくぐると、店内は若い女の子たちで賑わっていた。
きゃっきゃと弾むような話し声。カラフルな服やアクセサリーの並ぶ棚。試着スペースでは自分のコーディネートを見せ合う女の子たちの姿もある。
「うわぁ……」
圧倒される。
普段の商店街や学校とは全く違う空気が流れている。
みんなキラキラしていて、楽しそうで。自分がここにいることがどこか場違いな気がしてくる。
(早く渡して帰ろう)
そう決めて、店員さんがいるレジカウンターに向かった。
「あの……ケーキをお届けに来たんですけど」
「あ! いらっしゃいませ! 紫藤さんですね? ご注文いただきありがとうございます」
「えっと、これ……」
紙袋から白い箱を取り出して見せると、店員さんはぱっと表情を輝かせた。
「確かに! 奥でお待ちかねですので、こちらへどうぞ!」
案内されたのは、店の奥にある小さな個室のような場所だった。
扉を開けると、そこには、赤い髪を揺らしながらこちらへ駆けてくる少女がいた。
「こんにちは、ケーキの配達ですよね?」
「はい。紫藤洋菓子店です」
「わぁ……!」
少女はケーキの箱を見るなり、ぱっと顔を輝かせた。
「ここのケーキなんですか?」
「そうです。今日のイベント用の特注品で……」
「本当ですか!?」
少女は箱を覗き込みながら、嬉しそうに笑う。
「こんな素敵なケーキが食べられるなんて……とってもハピラキです!」
「……ハピラキ?」
聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。
「はい!」
少女は元気よく頷いた。
「嬉しいことがあると、ハピラキなんです!」
「へぇ……」
そんな会話をしているうちに、少女がケーキをもう一度覗き込もうと身を乗り出す。
その瞬間──
「わっ!」
ぐらり、と身体が傾いた。
「危ない!」
私は慌てて箱を支える。
「ぎゃふん!」
少女は驚いたように目を丸くした。
「ご、ごめんなさい! ケーキ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫です。たぶん……」
箱を確認する。
幸い、中身は無事だった。
「よかったぁ……」
少女はほっと胸を撫で下ろす。
そして、少し恥ずかしそうに笑った。
「えへへ……ちょっと張り切りすぎちゃいました」
……なんというか。
感情がそのまま表情と声に出る人だった。
初対面なのに、妙に印象に残る。
(……変な人)
そう思いながら、改めてケーキの箱を確認する。
「……よかった。飾りも大丈夫そう」
「本当ですか?」
「うん。たぶん問題ないです」
「よかったぁ……!」
少女は胸を撫で下ろす。
「ところで、今日はどんなイベントなんですか?」
何気なく尋ねると、少女の顔がまたぱっと明るくなった。
「今日はね、プリパラでちょっとしたイベントがあるんです!」
「へぇ」
「それで、このケーキもイベントの演出で使うんですよ!」
「演出?」「はい!」
少女が頷いた、その時だった。
「すみません! ケーキはこちらですか?」
慌ただしい声とともに、店員らしき女性が部屋へ入ってくる。
「はい。今、受け取ったところです」
「よかった……!」
女性はほっとした様子で息を吐いた。
「本番前に届いて助かりました。こちらのイベントで使わせていただきますね」
「はい。では、これで配達は完了ですね」
私は空になった紙袋を持ち直す。これで仕事は終わり、あとは帰るだけだ。
「それじゃあ、私はこれで──」「待ってください!」
声をかけてきたのは、さっきの少女だった。
「ルナちゃん、このあと予定ありますか?」
「え? 特にはないですけど……」
「だったら、一緒にプリパラに行きませんか?」
「プリパラ?」「はい!」
少女は嬉しそうに頷く。
「せっかくここまで来たんですし、ちょっと遊んでいきましょうよ!」
「でも……」
私はプリパラへ続くゲートを見る。
そういえば、実際に中へ入ったことは一度もない。
「プリパラって、マイチケが必要なんですよね?」
「そうですよ!」
「じゃあ、無理ですね」 「えっ?」
「私、マイチケ持ってないので」
年頃になると、いつの間にか届く。そんな話は、友達から聞いたことがある。
けれど、私のところにはまだ届いていない。
「だから、今日は帰ります」
「そうですか……」
少女が残念そうに肩を落とす。
「せっかく一緒に来られたのに……」
「また機会があれば──」
その時だった。頭の上に何かが落ちてきた。
「……ん?」
ぽすっ。
「?」
髪に何かが引っかかった感触。
私は首を傾げながら、頭へ手を伸ばす。
「……何これ?」
指先に触れたものを、そのまま掴んで取り出す。
一枚のチケットだった。
「…………」
見覚えはない。けれど、このデザインは。
「……マイチケ?」
「えっ!」
少女が声を上げる。
「届いたんですか!?」
「……たぶん」
カードを裏返す。
そこには、私の名前が記されていた。
「紫藤……ルナ」
「やっぱりマイチケですよ!」
「……私にも届いたんだ」
年頃になると、いつの間にか届く。
そんな話は友達から聞いていた。
まさか今日、このタイミングで届くとは思わなかったけれど。
「これならプリパラに入れますよ!」
「……そうですね」
手の中のマイチケを見る。
これがあれば、プリパラに入れる。
つまり──女の子たちがアイドルとして楽しんでいる、あの場所に。
さっきまでなら「マイチケがないから」という理由で断れた。
けれど、今はもうその理由がない。
「…………」
胸の奥が、少しだけざわつく。
(……本当に、入るの?)
前世の俺は男だった。
女の子として生まれ変わった今も、その記憶は消えていない。
プリパラなんて、自分には関係のない場所。
そう思っていたはずなのに。
──もし中に入ったら。
今の私は、何を感じるんだろう。
「ルナちゃん?」
「……あ」
少女が心配そうにこちらを見ている。
「どうしました?」
「いや……」
私はマイチケを握り直した。
「やっぱり、今日はやめておきます」
「えっ?」
「初めて入るなら……もう少し、心の準備をしてからにしたいというか」
「……」
少女は少し驚いた顔をした。
でも、すぐに柔らかく笑う。
「そうですよね。初めてなら、ちょっと緊張しますよね」
「うん」
「だったら──」
少女が私の手をそっと取る。
「私が一緒にいます」
「……え?」
「大丈夫です。分からないことがあったら、私が教えますから」
まっすぐな目だった。
「一人で行く必要なんてないですよ」
「…………」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
別に、無理に誘っているわけじゃない。
ただ、本当に私を案内してくれようとしている。
「それに……」
少女が笑う。
「せっかくマイチケが届いたんですから、一緒に行けたら嬉しいです!」
「……」
その笑顔を見ていると、また断るのが申し訳なくなってくる。
(……ずるいな)
そんなことを思う。
怖い。
少しだけ、踏み込むのが怖い。
それでも──。
「……分かりました」
「本当ですか!?」
「はい。ただ……」
私は少しだけ苦笑する。
「本当に、今日は一緒に行くだけですよ?」
「もちろんです!」
少女は嬉しそうに頷いた。
「とってもハピラキです!」
「……ふふっ」
思わず笑ってしまう。
結局、私は彼女に押し切られる形で、マイチケを握りしめた。
「じゃあ……行きましょうか」
「はい!」
────
私は少女に手を引かれ、プリパラへ続くゲートの前に立った。
「ここにマイチケを入れてください」
「こう?」
言われた通り、マイチケを機械に差し込む。
ピッ。『マイチケを確認しました♪』
機械から明るい声が響いた。
「それじゃあ、行きますよ!」
「うん」
一歩、ゲートをくぐる。
その瞬間──
「えっ?」
身体が光に包まれた。
「な、なにこれ!?」
「大丈夫ですよ!」
少女は慣れた様子で笑っている。
「プリパラチェンジです!」
「プリパラチェンジ……?」
光が身体を包み込み、ふわりと髪が揺れる。
身長が少し伸びたような感覚。
身体のラインもわずかに変わり、さっきまでより大人びた印象へと変わっていく。
鏡を見る。
「…………私?」
そこに映っていたのは、確かに自分だった。
顔立ちそのものは変わっていない。
けれど、いつもの幼さが少し薄れている。
メイクや髪型も整えられ、表情までどこか大人っぽく見えた。
「すごい……」
「これがプリパラのルナちゃんですよ!」
「プリパラの……私?」
鏡の中の自分を見つめる。
学校にいるときの自分とは、明らかに違う。
少し背伸びをしたような姿。
まるで、普段の自分より少しだけ未来の自分を見ているようだった。
「なんだか……変な感じ」
「でも、似合ってますよ!」
「そうかな……?」「はい!」
少女は迷いなく頷いた。
「とっても素敵です!」
「……ありがとう」
少し照れながら、もう一度鏡を見る。
プリパラの中だけで変わる姿。
そして、ここから外へ出れば元の姿に戻る。
そう考えると、なんだか不思議だった。
「さあ、行きましょう!」
「うん!」
少女について歩き出す。
ゲートを抜けた先に広がっていたのは、今までテレビの画面越しにしか見たことのなかった景色だった。
色とりどりの建物が並ぶ街並み。
可愛らしい看板を掲げたおしゃれな喫茶店や、最新のコーデが並ぶ服屋。アクセサリーショップや雑貨店まで、通りのあちこちに様々な店が軒を連ねている。
その中央には、大きな噴水があった。
水しぶきがきらきらと光り、その周囲ではアイドルたちが楽しそうに話したり、写真を撮ったりしている。
そして、街の一番奥。
他の建物とは比べものにならないほど高くそびえ立つ、大きなビルが見える。
ライブ会場や受付などが集まっている、プリパラの中心ともいえる場所だ。
その周囲を、たくさんのアイドルたちが行き交っている。
(……本当に、プリパラに来ちゃったんだ)
思わず足を止めそうになる。
どこを見ても華やかで、きらきらしていて。
まるでテレビの中に、そのまま入り込んでしまったようだった。
────
街を巡りながら私たちは、ライブ受付へ向かった。
「ここでライブの受付をするんです」
「へぇ……」
受付カウンターには、何人もの女の子たちが並んでいる。
私は少し離れたところから、ステージの方を眺めていた。
さっきまで外から見ていた景色とは、何もかもが違う。
色鮮やかな街並み。
行き交うアイドルたち。
そして、遠くから聞こえてくるライブの音楽。
(……本当に別世界みたいだ)
「受付、終わりました!」
「お疲れさま」
彼女が戻ってくる。
「これからライブを見るんですよね?」
「はい! 客席から応援します!」
「そっか」
私は頷いた。
どうやらここからは別行動らしい。
「じゃあ、私は客席の方へ──」
「大変です!」
その時だった。
受付の奥から、慌ただしい声が響いた。
「どうしたんですか?」
彼女が振り返る。
「出演予定の子が一人、急に来られなくなってしまって……!」
「えっ?」
「このままだと予定していた人数が足りません!」
スタッフたちが慌ただしく動き始める。
ライブ開始まで、もう時間がないらしい。
「どうしましょう……」
「代わりに出られる人を探さないと!」
そんな会話が飛び交う。
私は少し離れたところから、その様子を眺めていた。
(大変そうだな……)
けれど、自分には関係ない。
私は今日、ライブを見に来たわけですらない。
ケーキの配達をして。
せっかくだからプリパラに入って。
あとはライブを見て帰る。
それだけのつもりだった。
「……そうだ!」
彼女が突然、こちらを向いた。
嫌な予感がした。
「ルナちゃん!」
「……はい?」
「ライブ、一緒に出ませんか?」
「…………え?」
思わず固まる。
「いや、待って」
「はい?」
「私、観客ですよ?」
「分かってます!」
「だったら、どうして……」
「だって、人数が足りないんです!」
彼女は困ったように両手を合わせる。
「それに、ルナちゃんはマイチケを持ってます!」
「いや、それはそうだけど……」
「プリパラチェンジもしてます!」
「それもそうだけど……」
「歌ったことは?」
「ない」
「ダンスは?」
「学校の体育くらい」
「大丈夫です!」
「何が!?」
思わずツッコんでしまう。
彼女はにっこり笑った。
「私も一緒にいますから!」
「…………」
スタッフもこちらを見ている。
「本当に助かります! もちろん無理にとは言いませんが……」
私はステージの方へ目を向ける。
さっきまで遠くから眺めていた場所。
今度は、そこに立つかもしれない。
「……私、何もできませんよ?」
「大丈夫です!」
「失敗するかもしれない」
「一緒に頑張りましょう!」
「……」
断る理由を探す。
けれど──なかなか見つからなかった。
「……一曲だけですよ?」
「はい!」
「本当に一曲だけ」
「もちろんです!」
彼女の顔がぱっと明るくなる。
「やった!」
「そんなに喜ぶ?」
「とってもハピラキです!」
その笑顔を見て、私は思わず苦笑した。
「……分かった。やってみる」
「ありがとうございます!」
スタッフが急いで準備を始める。
「では、こちらへ! ライブ開始まで時間がありません!」
「えっ、もう!?」
「大丈夫です!」
彼女が私の手を取る。
「行きましょう、ルナちゃん!」
「ちょっと、引っ張らないで!」
そのまま私は、観客席へ行くはずだった道を引き返していく。
向かう先は──ステージ。
────
ステージ袖。
私は、目の前に広がる客席を見て固まっていた。
(……人、多いな)
さっきまで普通に話していたのに。
いざステージに立つとなると、身体が動かない。
照明が落ちる。
客席から歓声が上がった。
「行きましょう!」
「えっ、ちょっと──」
彼女に手を引かれ、ステージへ飛び出す。
眩しい照明。
目の前に広がる客席。
「…………」
足が止まった。
さっきまで普通に歩けていたのに、今は一歩も動けない。
(……どうすればいいんだ?)
歌もダンスも、まともに練習したことなんてない。
頭が真っ白になる。
(どうすればいいんだ……)
歌う?
踊る?
それとも、ただ立っていればいい?
何も分からない。
【Let's dance together, Go for it! Go for it!】
そんな私の隣で──彼女は笑っていた。
楽しそうに。
嬉しそうに。
音楽に合わせて、軽やかに身体を動かしている。
(……すごい)
その姿を見ているうちに、胸の奥から何かが湧いてきた。
(私も……)
あんな風に踊りたい。
あんな風に、みんなを楽しませたい。
そう思った瞬間だった。
(……え?)
彼女の動きが、少し違って見えた。
次に踏み出す足。
伸ばす腕。
身体を回すタイミング。
まるで、次に進む道が薄く浮かび上がっているようだった。
(ここ……!)
考えるより先に身体が動く。
一歩。
腕を伸ばす。
身体を回す。
ぴたり。
音楽と動きが重なった。
(……できた)
けれど、次の瞬間には道筋が消える。
(あれ……?)
もう一度、彼女を見る。
するとまた、ほんの一瞬だけ見えた。
次はこう動けばいい。
そんな感覚。
まだ曖昧で、途切れ途切れ。
それでも、さっきまで何もできなかった私の身体は、少しずつ動き始めていた。
そして──
【空の色と春の香り、混ぜてみれば 恋の予感】
声を出した瞬間、不思議と身体が軽くなった。
音楽が身体を押してくれる。
歌に合わせて、足が動く。
腕が動く。
さっきまで途切れていた「次の動き」が、少しずつ繋がっていく。
(……歌に合わせればいいんだ)
完璧じゃない。
時々、次にどう動けばいいのか分からなくなる。
それでも、音楽を聴いていると自然と身体が動いた。
そして──
(もっと……)
客席を見る。
笑っている人。
手を振っている人。
私たちを見つめている人。
(もっと、この歌を届けたい)
もっと近くへ。
もっと遠くへ。
ここにいるみんなに、この歌を届けたい。
その思いが強くなった瞬間──
【今はまだ早いと言うけど】
(……!)
声が、どこまでも伸びていく。
今まで出したことのない声。
それなのに、不思議と苦しくない。
歌声が客席の奥へ、さらにその向こうへ届いていくような感覚。
隣で踊っていた彼女が、驚いたようにこちらを見る。
何が起きたのかは、私にも分からない。
ただ──
(もっと届けたい!)
その気持ちだけが、はっきりと胸の中にあった。
客席を見たら。みんな、私たちを見ている。
「ルナちゃーん!」
その歓声に、自然と笑顔になった。
【我慢出来ない さあ Let's, Let's Dance! Let's Dance!!】
曲が盛り上がる。
2人で一緒に踊る。
【MEGA楽しい! MECHA盛り上がろ!】
私は夢中で歌う。
彼女も笑顔で合わせてくれる。
歓声がさらに大きくなる。
「メイキングドラマ.スイッチON──」
「ダンスと」 「ランウェイと」「「歌で目指せ、レッツゴープリパラ」」
「「サイリウムチェ──ンジ」」
最後の歌が始まる。
【やんちゃな娘(こ)はチャンス手にする】
私は胸いっぱいに息を吸った。
そして──
【Let's Dance!】
最後のフレーズを、かのしと一緒に歌い切る。
音楽が止まった。
次の瞬間──
「わあああああっ!」
会場いっぱいに歓声が響き渡った。
私はそのまま笑顔で手を振る。
やがて照明が落ち、私たちはステージ袖へ戻っていった。
「はぁ……はぁ……」
舞台袖に入った途端、足から力が抜けそうになる。
「つ、疲れた……」
「お疲れさまでした!」
彼女も息を弾ませながら、嬉しそうに笑っている。
「こちらこそ。……なんだか、すごく楽しかった」
「私もです!」
彼女はいつものように、明るく笑った。
少し話をしたあと、そろそろ帰る時間になった。
「じゃあ、私もそろそろ帰らないと」
「はい!」
彼女が何かを思い出したように、ポケットから一枚のチケットを取り出す。
「そうだ!」
「?」
「これ、交換しませんか?」
差し出されたのはトモチケだった。
「トモチケ……?」
「はい! また一緒にライブできるかもしれませんから!」
「……なるほど」
私は自分のトモチケを取り出し、彼女と交換する。
「じゃあ、これ」
「ありがとうございます!」
「こちらこそ」
それだけ言って、私たちは別れた。
「また会いましょうね、ルナちゃん!」
「うん。またね」
手を振る彼女を見送り、私は家へと帰った。
────
その日の夜。
「……なんだったんだろう」
ベッドに横になり、ぼんやり天井を見上げる。
今日は、本当に色々なことがあった。
プリパラに入って。
知らない女の子と出会って。
そのままステージに立って。
歌って、踊って──。
「……楽しかった」
思わず呟いてしまう。
その言葉が、妙に引っかかった。
(……楽しかった、か)
確かに楽しかった。
緊張したし、何度も失敗しそうになった。
それでも、ステージの上に立っている間だけは、そんなこと全部どうでもよかった。
笑って。
歌って。
みんなの声を聞いて。
もっと届けたいと思った。
(……なんでだよ)
胸の奥がざわつく。
今の私は女の子だ。
それは分かっている。
でも、前世で俺は男だった。
そのどちらも、自分の中から消えたわけじゃない。
だから俺は──いや、私は。
今までずっと、その間にいた。
男だった自分を完全に捨てることもできず。
今の自分を完全に「女の子」と言い切ることもできず。
ただ、女の子として生まれたんだから、そのまま生きていけばいい。
そう思っていた。
なのに。
今日、ステージの上で笑っていた私は──。
(……あれ、本当に私だったのか?)
目を閉じる。
あの時の感覚が蘇る。
嬉しかった。
楽しかった。
またやりたいとさえ思った。
「……」
胸が苦しくなる。
そんな自分が、少しだけ嬉しい。
でも──。
「……嫌だ」
口から漏れた。
何が嫌なのか、自分でも分からない。
女の子としての自分を、好きになってしまいそうなのが嫌なのか。
それとも、今まで必死に守ってきた「俺」という感覚が、少しずつ薄れていくことが嫌なのか。
どちらなのか分からない。
たぶん、両方だ。
(……私って、結局どうなりたいんだろう)
答えは出ない。
ただ、今日まで曖昧なまま保っていた何かが、確かに崩れてしまった。
だから、嬉しいのに。
嬉しいことが、怖い。
「……変なの」
布団を頭まで被る。
考えるのをやめようとする。
けれど、目を閉じるたびに、ステージの光景が浮かんできた。
そして最後に残るのは──。
(……また、やりたい)
その気持ちだった。
それが余計に、私を悩ませた。
そんなことを考えているうちに、ふと机の上に置いたものが目に入った。
今日、彼女と交換したトモチケ。
「そういえば……」
手に取る。
改めて眺めてみる。
写真。
コーデ。
そして──名前。
「……あれ?」
そこに書かれていた名前を見て、私は固まった。
春音あいら。
「…………」
しばらく、何も言えなかった。
「……春音、あいら?」
その名前には、覚えがある。
前世の記憶。
プリティーリズムを姉が見ていたのを惰性で見ていて、プリパラになってすぐに卒業したから、詳しく調べていたわけじゃない。
でも、プリリズ3作での主人公の1人。
そして──
「……待って」
ベッドから起き上がる。
スマホを手に取る。
検索欄に名前を入力する。
「春音あいら」
検索結果を見る。
次々と表示される情報。
そして、そこから関連する名前を辿っていく。
「……セインツ?」
その名前を見た瞬間、嫌な予感がした。
さらに調べる。
「…………」
現在のセインツの情報。
デビューランク。
まだ、伝説になる前。
まだ、神アイドルになる前。
「…………え?」
頭の中で、前世の記憶と今まで見てきたものが繋がっていく。
プリパラ。
セインツ。
春音あいら。
そして──今の時期。
「……まさか」
そして、もう一度スマホを見る。
「…………」
数秒後。
「──らぁら世代じゃないの────!?」
静かな夜の部屋に、私の叫び声だけが響いた。
こうして紫藤ルナは、ようやく気づいた。
自分が転生したこの世界は──
前世で知っていた『プリパラ』より、ずっと前の時代なのだと。