勇者ユーリルと仲間達が、天空の剣について話し合う話です。
仲間達と、小高い丘の上で休憩をしている時だった。
「え……またですか?」
翡翠の髪を靡かせる気の優しそうな青年は、顔に苦笑いを浮かべていた。
馬車の近くでこちらを見ていたジプシーの姉妹も、やはり苦笑いを浮かべている。
「トルネコ殿も執念深いのう」
歩み寄ってきたブライが、背後で自慢の髭を撫でていた。
もちろん、ブライが本気でトルネコの事をこんな風に思っているわけではない事は口調で分かる。トルネコの研究熱心さと、そのにしつこさに辟易し始めたユーリルを外から見て、どちらの気持ちも分かると暗にアピールしているだけなのだ。この老人は若い仲間の多い中、誰よりも老いていながら誰よりも茶目っ気があったが、同時に変なところが少し捻くれてもいた。気心の知れた者同士でなければ分からない、皮肉じみたジョークを良く口にする。
「はっはっは、武器屋の性ですかな」
トルネコは、いつもそう言ってブライのジョークを受け流す。ブライの言っていることも、ユーリルの気持ちも良く分かっていた。これでも人の親である。
しかし、それでもトルネコは武器屋として、伝説の剣の一探求者として、どうしても研究せずにはいられなかった。
捜し求めていた伝説の剣……天空の剣を。
「うむ、気持ちは分からぬではない。トルネコ殿が天空の剣を研究したいという気持ちは、世の戦士達が伝説に語られるような名剣を一度は振ってみたいと思うことと似ているような気がする」
珍しくライアンが話に入ってきた。
おもむろに近くへと歩み寄ってくると鞘から剣を抜き放ち、黒光りする刀身を天に、透かすように掲げた。
刀身に光が反射し、煌めく。
「天空の剣とは、まさにこの輝きのようだと拙者は思う」
それだけ言って、ライアンはその場に腰を下ろし、剣に打粉を打ち始めた。
天空の剣に並ぶ伝説の名剣、はぐれメタルの剣とはいえ、斬り続けていればやはり何か違和感でもあるのか。最近のライアンは、この剣の手入れの仕方を良く相談しにくる。ただそこらで売っている剣とは違い、伝説に語られる程のアイテムの手入れなど、誰もが初めての経験なのだ。どう手入れするべきか悩むのも当然だと言えた。
ただ、ライアンの持つはぐれメタルの剣は、半ば生命体のような特殊な剣である。例え刃が欠けようが剣が折れようが、放っておいても勝手に修復する。しかし手入れをしておかねば、剣に変な癖がつく可能性もあった。そこいらの市販の剣とは全く別の代物なのだから、おそらくは杞憂だろうとトルネコは思っている。しかし確実に杞憂であるという根拠はどこにもないのだ。
それをライアンは危惧していて、昔から自身の精神統一の儀式のようになっている剣の手入れを、伝説の名剣を得た今でも続けている。
効果の程は不明であるが、どことなく手に入れた当初よりも、ライアンの技や手に、剣が馴染んでいる気がした。
「僕は、ときどき思うんです」
ライアンの姿を、憧れに似た眼差しで見つめていたユーリルが、ため息を吐くようにぽつりと声を漏らす。
「僕は初めて剣を手にした時、その重さに戸惑いました。村での特訓は木剣でしたから、初めて手にする鉄の塊の重さは、ちょっとした驚きでした。とにかく重くて……」
トルネコは、その言葉の裏にあるユーリルの気持ちを悟った。
重かったのは剣の重量だけでないのだろう。木剣と違い、鉄製の剣は、容易く命を奪える。殺せる。その重さの事も言っているのだろう。
守りたい命を守るためには、奪いに来る敵の命を奪うこともある。結果だけを見れば、他の命を奪うことには変わりないのだ。その単純な命のやりとりには正義も悪もない。だからこそ悩む。
物理的重さだけでなく、そういった心や命の重さも、人は剣を通して感じるべきなのだ。
少なくとも、剣によって正義を成そうと考えるのならば。
「お察しします。私も初めて剣を握った時は、怖くなったのと逃げてはならないという気持ちに挟まれ、そのまま身動きが取れなくなってしまいました」
全くそんなことがあった素振りも見せず、柔和な笑顔を浮かべたクリフトがやってきた。
「お前は元々臆病じゃならのう。儂がお前くらいの時は……」
「ブライの昔話はもう聞き飽きた。ユーリルの話を聞こうよ」
有るか無きか分からないブライの長々とした武勇伝に入りそうになった流れを、うまい具合にアリーナが断ち切った。過去に何度も同じようなことがあったのだろう。まさに合いの手と言えるような、実に慣れたタイミングだった。
「さ、続きを話してよ。ユーリル」
少し残念そうな顔のブライを横目に、アリーナに促され、ユーリルは話を続けた。
剣の重さにいきなりくじけそうになったこと。思うように扱えなくて落ち込んだこと。面倒くさがって剣の手入れを怠け、トルネコに怠け癖が治るまで毎日のように説教されたこと。重さに慣れた頃、剣を軽業のように見せびらかしてライアンに拳で殴られたこと。アッテムトの地下で古の魔王と斬り結んだ時、自身のあまりの力不足に愕然としたこと。
それは今までの旅の中でユーリルが歩んできた、若き勇者の剣と冒険の物語だった。
「僕が今こうしてこの剣を手にしていられるのは、みんなのおかげだ。特に剣の心と向き合うという事を教えてくれたトルネコとライアンには感謝してもしきれない」
ユーリルの手には伝説の白銀の剣が握られていた。
「剣の心と向き合う事を知らなかったら、いかに剣に選ばれた人間だったとしても、おそらく僕はこの剣に認めてもらえることは無かっただろう」
「ま、ユーリルは最初の頃、本当に弱々しい少年に見えたからねえ」
「ちょっと姉さん、ユーリルさんにも事情があって気落ちしていたんだから、そう見えたのは仕方ないじゃない!」
「ミネア……ユーリルが弱々しかったのは認めるんだ?」
「あ……いや、その……」
真面目な話に入りたがらないジプシーの姉が痺れを切らしてやってきた。真面目な話は苦手なのに、人の集まるところには無性に入りたがる性分なのがマーニャという人間だった。
そしてそれを見て、ひとこと何か言ってやろうと常に身構えているのが妹のミネアという人間だ。自分に無関係の事でも、筋の通らない話には横槍入れてでも筋を通そうとする性分だというのは、姉のマーニャの言葉である。
「まあまあ、マーニャさん」
そう言ってトルネコはマーニャをなだめた。姉妹の微笑ましいやりとりを見ているのも悪くは無いが、今は伝説の剣に選ばれた伝説の勇者の話を聞きたかった。
ユーリルは剣を自分を映す鏡のようなものだと言った。
心気が内に充実しているとき、剣はあらゆる生殺与奪を可能とする。斬りたいものを斬り、斬りたくないものは決して斬らない。しかし心が乱れていると、途端に太刀筋がおかしくなり、斬りたいものが斬れず、斬る必要のないものを斬ってしまう。心が剣に現れる。
ライアンは剣を生業とする戦士でありながら「剣とは凶器である」と、絶えず言い続けていた。その意味が、その境地に至って初めて理解できたとユーリルは嬉しそうに話した。
そんな頃、ユーリルは天空の剣と出会った。
「天空の剣は素晴らしい。どんなに斬っても刃こぼれひとつしないし、常に手入れされたばかりのような状態のままだ。剣は僕の意思で重くも軽くもなる。常に僕の身体が自然に求めているように合わせてくれる。それにまるで僕の為に作られたかのように……手に、馴染む……」
ユーリルはそこまで言って言葉を詰まらせた。
天空の剣を讃える言葉ではあったが、それはどこか不満を抱いているようにも聞こえた。
話を聞く限り、至れり尽くせりで自分の為の無二の剣であるのが、天空の剣だということなのだろう。そのどこに不満があるというのか。
トルネコは少しだけ、苛立ちを覚えた。それが嫉妬から来るものなのは分かっていたが、それも無理からぬ事だと自分に言い訳をした。
天空の剣を求めた自分は剣に選ばれず、特に求めているわけでもなかった選ばれし勇者が、どうやら不満を抱いているのだから。
「何か、不満でもあるのですかな?」
しかしトルネコは、ユーリルをいたわるように、相談に乗る年配者の態度で声をかけた。
心中は心中であり、それは単なる私事に過ぎない。それを他に知らしめようとしたり、自分の理屈を人前で雄弁に語るような事はしない。あくまでも控えて話を聞き、相手の意思を尊重する事を最優先とする。そこに自身の考えを少しだけ乗せるべきである。そう割り切れるのは、やはり商売人としての自身の性なのだろうとトルネコは思っている。
「不満……というわけでもないのですが」
そこまで言うと、ユーリルは少し困ったような顔を天に向け、再び言葉は途切れた。代わりに、さらさらと風に靡く草の音が聞こえた。
肌を滑るように、そよ風が頬を通り抜ける。
そのまましばらく皆で沈黙した。
「馴染み過ぎるのであろう?」
沈黙を破ったのはライアンの言葉だった。ユーリルはその言葉に無言で頷いた。
「剣と人は共に育つものだ。血と肉と骨で作られた人間と、火と土と鉄で作られた剣は、本来馴染みあうものではない。だからこそ剣を己が一部と思えるよう、時間をかけて修練するのだ。おそらく天空の剣にはそれがないのであろう」
ライアンは打粉を打つのを終え、剣を布で拭いていた。
「それって要するに楽ってことなんじゃないの? 楽なのに駄目なの?」
マーニャが隣のライアンに身を乗り出すように聞く。間近に迫るマーニャの顔からライアンの目線が少し……下に落ちた。
否、落ちてしまったと言うべきか。
「ま、まあ……その辺りはユーリルに聞くのが宜しかろう」
そう言って身を翻したライアンは、突然思い出したように馬車へ油を取りに行った。
素っ気無いライアンの態度に、マーニャは口を尖らした。その後ろではミネアがくすくすと小さく笑っている。
せめてもう少し露出の少ない服装でいてくれないと中年男性には刺激が強いよマーニャさん、とトルネコは心の中で言ってあげた。
届くことはないが。
「さっき剣の心と向き合う話をしたけれど、天空の剣にはそれが不要なんです。剣は己を映す鏡のようだとライアンに教わったし、僕もそうだと思う。けれど、天空の剣だけは別だ。この剣は僕の身体の一部などではなく、僕そのものだ。剣と一体になるとか、心をひとつにするとか、そんな格好良い事じゃない。天空の剣が僕で、僕が天空の剣なんじゃないかと思うことがある。意思を持っているのは剣の方で、僕はただその剣の意思を収める器。天空の剣が武器なんじゃなく、僕が天空の剣の武器なんじゃないか……と。そんな気味の悪い一体感が天空の剣にはある。正直な話、僕はそれを少しだけ恐ろしいと思っている」
「ちょっと待ってください、ユーリルさん。それじゃ天空の剣が呪いの剣みたいじゃないですか」
「呪いか……なるほどの。確かにそう言えるかもしれぬ。魔王を倒して世界に平和を取り戻す使命を帯びているのは、ユーリルではなく天空の剣の方なのかも知れん。そして使命も呪いも、要はその持ち主に何かを強制するものと考えれば、確かに天空の剣は呪いの剣じゃ。しかも魔王を倒して世界に平和を取り戻さねば解けぬという、極大の呪いじゃ」
「いや、ブライ様……そんな不吉なことを活き活きと語らないで下さい。そんな事はありませんから。天空の剣は神が人間に授けた最後の希望の光であって……」
「しかし呪い云々はともかく……ユーリルさんは剣に自身を動かす何らかの意思のようなものを感じている、ということでしょうか?」
そう言って、ミネアは不意に荷袋から占い用の水晶玉を取り出し、目を瞑って天空の剣に引き合わせた。
「どう……ですか、ミネアさん」
トルネコは自身の唾を飲み込む音の大きさに少しだけ驚きながら、黙ってミネアの言葉を待った。
結局、ミネアの占いでは、天空の剣に意思があるような結果は見えなかった。自分の力の及ばないものなのか、あるいは本当に無いのか……それは分からないと付け加えたが。
ユーリルは考え込むようにまじまじと天空の剣を凝視したり、天にかざしてみたり、あさっての方に向って振ったりし始めた。
いつの間にか剣の手入れを終えたライアンが、ユーリルの前に立っている。
「剣によって生まれた雑念、剣によって払うも道理。ならばこの戦士ライアンがお相手つかまつろう」
おもむろに剣を抜き、手入れを終えたばかりの黒く光る刀身が、手入れの不要な白く煌めく刀身と相対する。
「……で、トルネコさん。天空の剣の研究はいいのですか?」
交錯する白と黒の閃きが、空を斬り裂き、音となってトルネコに伝わる。
ライアンの持つ黒光りする剣は、手入れを受けたからか、どこか活き活きとしているような気がした。
そしてユーリルの持つ白く煌めく剣もまた、何もしなくても、どこかライアンの剣と同じような感覚が伝わってくる。
二振りの剣も、それを扱う二人も、自ら曲を奏でて踊っているかのようだった。
「野暮なことをするなという事なのか……」
長年、武器に携わっていると分かることがある。
それは剣も生きているということ。
意思があるというような感覚とは違う、もっと根源的で極々微細ではあるものの、そこに何かがあるのをトルネコは知っている。
「なにやら他人の恋路に首を突っ込んでいるような気がしてきましたよ、ミネアさん」
「ふふふ、そうですね。おそらく私の感じているそれも、トルネコさんと同じものだと思います」
トルネコはミネアと目を合わせ、互いに小さく笑った。
「しかしまあ……」
ミネアはそこに微笑ましいものでもあるかのように、まだ口を尖らせている姉を見つめていた。
「はっはっは、そうですね。首を突っ込んだ方が良い恋路もあるかもしれませんね」
マーニャの見つめる先には、白と黒の閃きが踊り、時にぶつかって星を散らせる二人の姿があった。
ふと、天空の剣から舞い散った煌めきが、トルネコには涙のように見えた気がした。
「そう――、ですか」
気がつくと、そんな言葉を漏らしていた。
白き剣の乙女が涙する理由を、トルネコはなぜだか理解できた。
不意に家族に逢いたくなった。
しかしそれは言葉になる前に飲み込んだ。
-了-