黒咲瑠璃に転生してしまった…… 作:絶望神サガ
ピチャリ、ピチャリ、と。
それは水滴のような何か。背後から垂れ落ち、床に跳ねる音が聞こえる。
ピチャリ、ピチャリ、ピチャリ、と。
その音は止まることを知らない。足音ならいい。だが、明らかに違う。靴からピチャリ、という音が鳴るというのは聞いたこともないし考えたことすらもなかった。
「……兄さん」
「ああ」
兄さんにもその音は確かに耳に届いているようだ。彼の横顔に、一筋の冷や汗が流れ落ちるのが見えた。私もおそらくそうだろう。確かめるまでも無い。背後からの不快な水音は、這いずるように段々と、そして着実かつ確実に大きくなってきているのが分かる。
どうしようか。雨も降っていないのにびしょ濡れの警備員が私たちの侵入に気づいて、近づいてきたということか。いや、それだけならまだいい。
なんだ、この異様な気配は。なんなんだ、背中から全身の血液が凍り付くような、この抗いようのない本能的な恐怖は!?
「誰だ、貴様は!?」
兄さんが見えない重圧を振り切るように、振り返って叫ぶ。私も釣られるように背後を振り返り、音の発信源を、見た。
「無礼な……」
殺風景だったはずの空間に、どす黒い亀裂のような歪みがそこにはあり。全身から絶え間なく血を滴らせながら、それでも尚、絶対的な強者としての眼光で私たちを塵芥のように見下す──
「我が名はe・ラー……!希望を消し去る、絶望の神こそが我と知れ……!!」
──血塗れの、絶望神がそこにはいた。
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e・ラー……目の前で全身から血が噴き出しているのが、e・ラー……
その名乗りを聞いた瞬間、私の思考は完全にキャパシティを超えたのが自分でも分かるくらいに、その存在は場違いで、おかしいものだった。
嘘だろ。いや、なんでここにいる、何故ここに現れた!?
思考の渦に巻き込まれながら、足元がおぼつかずフラフラと立ちながらもe・ラーはこちらが立つ方向へと歩み、一歩、また一歩と向かってくる。
満身創痍であることは一目で分かる。だが、同時にその身体から発せられる威圧感は明らかに尋常のものでは無い。当然だ、神なのだから。
「瑠璃、下がれ!」
即座に兄さんが私を背後に庇い、警戒の声を上げる。デュエルディスクこそ構えていないが、いつでも臨戦態勢に入れる身構えだ。
でも、絶対に兄さんでは叶わない相手だってことは、私でも本能で感じるし兄さんでも直感で分かっているはずだ。
漫画版ZEXALのラスボス。
格で言えばドン・サウザンドと等しいほどの悪役。それが、今目の前にいる。何故漫画版ZEXALのラスボスが、ARC-Vのエクシーズ次元、そしてここにいるのか。私の思考は全くもって理解不能、という演算結果しか叩き出すことができない。
「絶望の神だと……?狂人が、訳分からないことを……!」
私の内心のパニックをよそに、兄さんが鋭く吼え、左腕のデュエルディスクを突き出した。バチィッ!と光る刃が薄暗い空間に展開され、攻撃的な光を放つ。
だけど私には分かる。それは、虚勢だ。
「兄さん、待って……!」
「ここは俺が受け持つ!お前は黙って、逃げろ!!」
制止の声は遅かった。兄さんは完全に私を庇い、守るための戦う思考に突入してしまった。既に臨戦態勢に入っている。不審者から妹を守る、彼としては当然の行動だし、私も納得できるし当然だろうと思える。
だけど、相手が最悪すぎる。初期の初期、それこそ1枚しかエクシーズモンスターが入っていないRRで、あのバケモノに勝てるわけがない!
脳内の兄さんも早く逃げろ、と鬼のような形相で叫ぶけれど、絶対にダメだ。兄さんを失うなんてことが、許せる妹などもはや妹ではない。
「下等な虫ケラ共め。我が傷ついているからといって、貴様らごときに後れを取るとでも思ったか? デュエルディスク……そうか、希望などという下らぬモノにしがみつき、足掻こうというのだな」
失いたくない。だけれど、力が無い。希望など存在しなかった。
ピチャリ、と。
e・ラーが一歩、こちらへ足を踏み出した。ただそれだけで、心臓を鷲掴みにされたような悪寒が走り、緊張が一気に跳ね上がった。
息が詰まる。空気が、重い。
「這いつくばれ。貴様らのような塵芥に与えるのは……純粋なる絶望のみだ」
血に塗れた腕がゆっくりと持ち上がり、タワーの最上階をどす黒いオーラが侵食し始めた。e・ラーの手が、目の前に立ち塞がる兄さんへと延びていく。
私は、恐怖から目を閉じることしかできなかった。
##
だが、e・ラーのその手は兄さんへと到達することは無かった。禍々しいオーラを放ちかけた次の瞬間、ガクリ、と。
「グッ」
膝を折ったe・ラーの巨体が、ズシンと音を立てて床に崩れ落ちた。
「──え?」
床一面に広がるのは、赤黒い血の海。圧倒的な威圧感は一瞬で霧散し、ただ荒い息遣いと常識的に考えれば絶望的なまでの出血量が空間を支配していた。
「おい、大丈夫か!?」
つまり、出血多量で意識を手放しかけていたのだ。
慌ててデュエルディスクを閉じ、駆け寄ろうとした兄さんが、事態の異常さにブレーキをかけようと試みる。考えてみれば、異様な雰囲気は放ちながらも、彼女は今血が噴き出るほどの重症を負っているのだ。こんな異常存在を前にして異常と思えど、同時にそれは極々一般人の思考回路からしてみれば当然の判断だった。
「瑠璃、救急車を……いや、一旦出るぞ!」
私は兄さんの言葉に同意するも、e・ラーのその身は凡そ人間のスケールでは考えられないほどの巨躯。恐ろしいほどの質量を持っていることなど見て分かる。とても子供が私と兄さんの二人がかりで持ち上げられるほどの大きさでは無い。
「無理だよっ、こんなデカい図体なんて運べないっ!」
ここはタワーの最上階、これを地上まで運び出すのは不可能とハッキリと断言できた。私の叫びに、倒れ伏した血塗れの絶望神が、血反吐を吐き出しながらこちらを睨みつけた。
「貴様ッ……我を侮辱するかッ、永き流転の果てに漸く復活の時が訪れたのだ、こんな場所で倒れる訳にはいかぬ! 小僧、道を開けろ!!」
「その出血量じゃ無理だ、じっとしてろ、e・ラーとやら!」
必死に立ち上がろうとする巨体を、兄さんが力任せに押さえつける。私は恐る恐るその傷口を覗き込み、息を呑んだ。
「兎に角兄さん、まずは止血を……っ!十字に切られてッ!?」
胸元に鋭く、そして深々と刻まれた傷跡。確か、漫画版ZEXALの最後は禁止カードの方のホープ・ゼアルがe・ラーを倒してた……つまり。
「下民に言うことなど何も無いッ……グッ、あ、あッ……」
「兄さん、服脱いで!血が止まらない、傷口を塞さぐ必要がある!」
「あ、ああ!」
この傷は、遊馬とアストラルが決着をつけた時に放たれた攻撃の跡と言うことだ。兄さんが即座に上着を脱ぎ捨て、裏に引っ繰り返し溢れ出る血に押し当てる。けれど、傷口から流れ出すドス黒い血液は上着をも染め上げて、もはや止まる気配を完全に見失っていた。
「グッ、あ、グッ……もはや肉体の維持は不可能……永き時を経て再生した我の肉体を、まさか捨てアストラル体になるとはッ……最悪だ」
e・ラーの身体が、徐々に血の泡と共に、引きちぎれるような黒い粒子となって崩れ始めていた。その肉体の崩壊と引き換えにするように、立ち昇る殺気と執念が爆発的に跳ね上がった。
狂気と怨嗟に満ちたその目が、目の前にいる兄さんと、私を捉えて。
「九十九遊馬、アストラル、そして彼奴ら全てが……忌々しいッ!!下民ッ、その肉体を……寄越せェェェぇええッッ!!」
粒子が束となり、私たちに襲い掛かってきた。