Side??? ――とある60階建てビルの通り
笹塚と烏間は、異なる場所で異なる人物から同様の報告を受けていた。
「……応援が、送れない? それは、一体――」
「――どういうことですかっ!! 本部長!?」
笹塚は、60階通りの高架下に近い物陰から、由香が聞き耳を立てる横で。
烏間は、同じく60階通りの某全国チェーンアパレル店舗の一階の奥で、平が後ろではわわと言っている傍で(バンダナ――徹行を探しに行こうとした時に、携帯が鳴り、連絡が届いた)。
両者のその言葉に、それぞれの電話の相手は、やはり同内容の言葉を届けた。
『……すまない。応援部隊を配備している内に、政府から連絡が入ったんだ』
『東京湾から上陸を果たした、未確認巨大生物の討伐に迎え、とね』
笛吹直大は、笹塚へと連絡をしている傍ら、その光景を忌々しく見据えていた。
彼の目の先では、警視庁の特殊部隊と自衛隊が、共同である化け物と対決している。
全長20mは下らない、魚のような頭と、人間のような身体の――紛うことなき、異形の怪物。
その光景は、まるで昭和の怪獣映画のようで、笛吹はこの距離感で、自らの肉眼で捉えていても、未だ現実だとは受け止めきれていなかった。
「早く一般人を避難させるんだっ!! 絶対に市街地へは侵入させるな!!」
「う、撃てぇ! 撃ち殺せぇ!!」
「馬鹿野郎!! 早まるな!!」
どこかの部隊が、仁王立ちのその不気味な魚人に向かって、手に持つマシンガンを発砲する。
だが魚人は、魚特有の感情を示さない眼のまま、その鱗で銃弾の全てを受け止めている。
そして、唐突に四つん這いになり、その気持ち悪い挙動に呆気に取られていた警察隊・自衛隊の者達に向かって、ぱかっと口を開け――大砲のような水流を吐き出した。
「ぐぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!!」
「ひ、怯むな!! 後陣隊は救出に向かえ!!」
「くそっ! 戦車の使用許可はまだ下りないのか!?」
「銃が効かない!! もっと火力のある武器を寄越せ!!」
笛吹は離れた場所で警察隊の指揮官の一人として呼ばれていたが、その悪夢のような光景に、思わず携帯を握り締める。
「……笹塚。そちらにも、正体不明の化け物がいるそうだな」
『……ああ。サイズは人間と同じくらいだが、全身を岩に変えたり、炎を出したり……既に、先発で送られた部隊は全滅してる』
「――それでもっ! こちらの戦力だけでは、最早対処不可能です! 大軍でなくても構わない! せめて一個小隊――私の部下だった者達だけでも――」
『烏間君。落ち着きたまえ。何も、君達だけで対処しろと言ったわけではない』
烏間は、本部長の淡々とした、だがどこか感情を押し殺しているような声に対し――裏を感じる。
本部長ではない。彼に何かを言った――もっと上が、動いている。
(……この期に及んで、一体何を企んでいるんだっ!?)
烏間は携帯を握り締めるが、本部長は更に淡々と続ける。
『既に池袋周辺は封鎖してある――そして、更なる情報として、その包囲網を、“中から外へ”突破しようとする怪物は、未だ現れていない』
「……現れていない? それは、一体――」
『烏間君――いるのではないかね? 今、その池袋には、怪物に対する抑止力――対抗策となり得る、“何者か”が?』
烏間はその言葉に、この建物の外で炎と岩石の怪物と戦う、二人の少年戦士の姿を見遣る。
「……本部長。あなたは何を知っているのですか? ――いえ、どこまで、知らされているのですか?」
『……とにかく、私達は、池袋の戦況は現在膠着状態にあると判断した。勿論、応援は必ず送る――だがそれは、今、現在、その池袋に向かって進行している
「……つまり、そっちが片付くまでは、現存戦力で――こっちで何とかしなくちゃいけないってわけか」
『……すまない』
「……気にするなよ。まぁ、こっちはこっちでなんとかして――」
『一時間だ』
笛吹は、そう力強く言ってのけた。
『――いや、三十分。三十分であの魚もどきを片付け、そちらに駆けつけてみせる。……だからお前は、余計なことはせずに、大人しく残された一般人の命を守ることだけを考えろ。くれぐれも余計なことはするなよ!』
「……ああ。善処する」
ぶつっ! と荒々しく、電話はそこで切られた。
笹塚はその携帯を無表情で眺めていると――
「――大丈夫?」
由香が、心配げに笹塚を見上げていた。
「……ああ。なんとかする」
笹塚はそんな由香の頭をぽんと撫で――再び、怪物と戦士が殺し合う、大通りの戦場に目を向けた。
笛吹は、笹塚との通話を終え、再び戦場を険しい表情で見据える。
「――笛吹さん。自衛隊の方から戦車と戦闘機と使用許可が下りたとの報告が。今すぐ指揮車に来てほしいとのことです」
「――了解した」
彼の背後から一人の大柄で無表情の刑事――筑紫候平が、笛吹にそう呼びかけた。
笛吹はその筑紫の後に続こうとして、最後にもう一度――足元の警察隊や自衛隊を物ともせずに蹴散らしていく巨大な魚人を見て、忌々しげに吐き散らす。
「……一体、何が起こっているのだ」
『――烏間君。故に、君は事態の解決に動かなくても構わない。人命救助を最優先に行動するんだ』
「……事態の解決は……彼等に任せるということ――ですか」
『……とにかく、そういうことだ。それでは、健闘を祈っている――』
本部長は電話を切る間際、烏間にこう言い残した。
『――あまり、深入りするなよ、烏間。……戻って来れなくなるぞ』
今度こそぶつりと、通話は切れた。
平が「ど、どないしたんや」と問いかけてきて、それに答えようとした、その瞬間――
「グルルルルルルルルルルルルルルルァァァァァァァァァァァ!!!!!」
――と、突如、60階通りに怪物の嘶き声が響き渡った。
「な、何? 何なの!?」
由香は驚愕し、思わず笹塚にしがみ付く。
笹塚は、そんな由香の背中に反射的に手を回して、声の方向――上空を見上げる。
「…………な――」
その嘶き声は、殺し合いを演じる渚と火口、東条と岩倉の動きを、思わず止めてしまう程の迫力だった。
「――え!? な、何、あれ……」
「ん? ……なんだ、ありゃ?」
渚は驚愕し、東条は頭に疑問符を浮かべていたが、岩倉と火口は、それを見ても全くの無表情だった。
ただ、火口は、ゆっくりと静かに――
「――来たか」
と、呟いた。
+++
Side??? ――とある池袋上空の怪物の背中
そして、上空。
昆虫の足のように――ダンゴムシの足の如く、人間の腕を腹から生やしている不気味な翼竜の背に、氷川は立っていた。
三人の黒金グループのメンバーは、この池袋の街の何処かにとっくに放り捨てられている。正確に言えば、氷川に懇願して氷を溶かしてもらい、着地のことなど考えずに一目散に飛び降りて行った。
一刻も早く黒金の革命の一助に――という思いもあったのだろうが、それ以上に、アクロバット飛行とばかりにグチャグチャの運転を続けるこの翼竜に、これ以上乗っていたくないという思いが大きかったのだろう。
端的に言えば――大志は限界だった。
「……まぁ、よく持った方だな」
既に大志は、翼竜と同じ真っ白の外殻に体中を覆われている。その外殻が時折パキ、パキパキと罅割れて、そして更なる外殻が生み出され、罅を修復するするように、更なる強固な外殻を纏い直しながら――翼竜と同化しかけている。
そんな大志を見て、上下左右無軌道な高速旋回飛行の中、氷川はそう淡々と告げた。
大志の異能は、分類上は化野と同様に『希少種』に当たる。だが、特殊な能力を操るということで言えば『災害者』でもありうる。
異能名は――『操作』。
特殊な電磁波を発信することで、対象の駆動系に干渉し、意のままに操ることを目的とした、目標として開発された能力。
相手の頭脳に直接命令を下す電気刺激を送り込むので、催眠術や洗脳などとは違い、強制的に己の支配下に置く。また電磁波を発しているので、究極的には機械などの無機物すらも支配することが、理論上は可能。
元々この能力は、吸血鬼としては避けては通れない副作用――『邪鬼化』に対する制御装置として研究されていた。
吸血鬼の持つ異能は、その強過ぎる力によって、制御できなかった者は異能に呑み込まれ、自我を失い、醜悪な正真正銘の怪物と成り果てる。
それを、その末路を――吸血鬼達は『邪鬼』に堕ちると呼び、本人の支配下すら脱した邪鬼は――自我を失った邪鬼は、例え
これまでは、邪鬼化した者達は地下牢に閉じ込めるか、返り討ちにして殺してきたのだが、それでも長年の間異能の研究をしていた者達の中には、こう考える者がいた。
どうにか、異能で邪鬼達を抑え込むことが出来ないか――と。
それは例え邪鬼に堕ちようと同族であることには変わりないのだから殺すのは忍びないという考えだったのか、それとも黒金のようにいつか表舞台へと進出を考えていてその時の切り札としての戦力とすることを目論んでのことだったのか、それは分からない。
だが結果として、それは燃え滾る野望を抱えていた黒金の目に留まり――長年の研究の末、遂に完成した試作品の能力発現薬を、大志は強制投与させられた。
そして、その試作品は見事に効果を発揮し、大志はその『操作』の異能によって、千葉からこの池袋の地まで、三体の邪鬼を連行することに成功した。
だが――あの毒使いの女吸血鬼ですら、何年も反復使用しても――練習しても、修行しても、終ぞ使いこなすことは出来なかったのが、その“異能”という力である。
無理矢理それを覚醒させられた大志が、身の丈に合わぬ――自分の化け物の身体に合わぬ異能を、研究段階の試作品によって強引に引き出された異能を、身体に馴染む間もなくそんな風に乱暴に使って、乱用して、身体に負担がない筈がなかった。
「ぁぁ……ぁぁぁぁ………ぁぁあああああああああああアアアア!!!!」
大志は最早翼竜の背中に突っ伏すようにして唸りながら、その口からだらだらと唾液を垂らしながら、意識を保つのが精一杯になってしまっていた。
頭が割れるように痛い。まるで、吸血鬼として目覚めた頃のように。今にも気絶してしまいそうだった。
事実、何とか池袋に着いたものの、来て早々に翼竜に持たせていた牛人の邪鬼を落としてしまっていた。
魚人の邪鬼も、池袋に来いという命令を擦り込みのように命じているだけで、細かい動きなどは操作出来ていない。
翼竜に対しても、旋回させているというよりは、池袋から出るなという命令を何度も送り込んで制御しているだけで、細かい操作など出来ていない。それ故のこの滅茶苦茶なアクロバット飛行である。
大志は、もう限界だった。
翼竜に取り込まれそうになっているのも、それが原因である。
翼竜は、大志を自らの体内に取り込もうとしている。
己を意のままに操ろうなどという不届き者を成敗してやろうとしているのか、ただ単純に大志を栄養源として摂取しようとしているのか、それは分からない。
だが、大志にはもう既に、それに抵抗する力すら、残されていなかった。
氷川はそんな大志に対して、ポツリと無表情で冷たく告げる。
「血が足りてねぇな、大志」
大志は、それが聞こえているのかいないのか、ただ荒い息で悶えるだけだった。
氷川は尚も告げる。氷のように、冷たく。
「能力の変化に、身体の変化に、エネルギーが付いて行ってねぇ。……お前、最後に血を飲んだのはいつだ? そういえば、昨日も飲んでなかったよな。……本当は、今日、あのアジトに、血を飲みに来たんじゃねぇのか?」
おかしいとは思っていた。
いくら大志でも、表の世界の知り合いと狩り場で遭遇して、その知り合いに
裏切り者として罰を受ける危険性も理解して――事実その可能性は現実になってしまったが――それでも尚、あのアジトに行かなくてはならなかった理由があるとすれば。
「……はぁ……はぁ……ぁぁ……ぁぁぁぁあああ……アアア」
大志は、何も答えない。ただ無様に無残に苦しむだけだ。
例えそうだったとしても、氷川は何も出来ないし、しない。
野生の動物と同じだ。自分の
だからこれは、自業自得だ。いつまでも自分の怪物性から――運命から目を背け、抗おうともしなかった、ただ流された、愚か者に相応しい末路だ。
氷川は、ここで自分の腕を差し出したりしない。吸血鬼が吸血鬼の血を飲むという行為には恐ろしい危険性が付き纏うというのもあるが、それ以上に、もうそんな義理はないからだ。
コイツは、殺される為に、此処に来たのだから。池袋まで、飛んで来たのだから。
だから化け物として、取り返しのつかない化け物として死ぬのも――最期に、そんな人間らしい意地を張って死ぬのも、一興というものだろう。
氷川はそう断じて、眼下の景色に、池袋の地獄と化した街並みに目を移す。
「……いい感じに、戦場がばらけているじゃねぇか」
幹部達と黒金、そしてハンター達は、それぞれが一対一か二対二で相対し、バラバラの戦場で白熱の殺し合いをしている――が。
そんな中、とあるビルの屋上で、誰とも戦っていない漆黒のスーツを発見した。
「……いただけねぇな」
大志の死に様を見に、この池袋までやってきた氷川だったが、いつまでもここに自分がいては、大志の最後の――最期の戦いの邪魔になるだろう。
ならば、それまでいっそ、クライマックスまでちょっとだけ、自分も楽しんでも罰は当たるまい。
今まで少し興が削がれていたが、それでも夕方の和人との戦いが中途半端に終わり、消化不良だったのも確かだ。
一人くらい、つまみ食いをしてもいいだろう。
「…………」
氷川は、そう脳内で結論づけて、足元の氷を溶かしていく。
「……ひ、かわ………さ………ん」
それを感じ取ったのか、身体の半分以上が翼竜に取り込まれた、大志が呻く。
氷川は、振り返ることも、言葉を返すこともしなかった。
「………ありがとう、ございました………俺を……見つけてくれて………俺を……助けてくれて」
――飲め
あの日、そう言って、千切った人間の腕を大志に差し出してくれた氷川に、確かに大志は
人間ではないこと、怪物であること、それを冷たく、氷のように冷たく己に突き付けた氷川に、大志は最後に感謝を告げた。
「…………」
そして大志は、翼竜の体内に取り込まれていく。
氷川は、振り返ることなく、暴れ狂う翼竜の背から、地上に向かって飛び降りた。
+++
Sideパンダ&『死神』――とあるどこかのビルの屋上
相も変わらずこのビルの屋上の上に佇んでいた彼等は、この戦争の初めから最後まで文字通りの高みの見物を決め込む気でいたパンダと死神は、自分達に向かって落下してくる一人の金髪の吸血鬼を見て、表情を変えず淡々と呟いた。
「……はぁ。これは参りましたね。まさか『邪鬼』だけでは飽き足らず、最高幹部まで援軍とは。……それも篤ならばともかく氷川ですか。これはさすがに予想外ですね」
「それで、お前はどうするのだ?」
「逃げますよ。当たり前でしょう。ここで彼等と敵対するメリットがありませんし、恐らく彼はあなたの着ているスーツに引き寄せられたのでしょうからね」
そう言って『死神』は、闇夜に紛れて逃亡を図った。
「それでは、ご武運を。――“組織”の技術の集大成である『機獣』と、若き戦闘の天才である吸血鬼の最高幹部である氷川、どちらが強いのか、安全圏から楽しませていただきます」
背後を振り向かずとも、パンダには『死神』が姿を消したことを理解した。
「……まったく、自由な『死神』だ。奴に言われるのは癪だが、確かに氷川は、生かしておくには危険な才能だ」
パンダは溜め息のようなものを吐きながら、ゆっくりと夜空を見上げる。
そして、パンダの纏うガンツスーツが変形し、そこから大きな二本のロボットアームが飛び出してきた。
「っ!? ほう、パンダと戦うのは初めてだ。面白いっ!」
落下する氷川は、相手の姿を捉えると、それが武装したパンダだと気づき、一瞬驚愕するもすぐにその表情を笑みに変えた。
瞳の色を灼眼に変え、掌から日本刀を作り出し、その刀身に氷の冷気を纏わせる。
対してパンダは、背中に二本のロボットアームを背負いながら、ゆっくりと、ビルの外壁に二本脚で立ち上がった。
そして、こちらに向かって墜落してくる氷川を見据え、ぱかっと口を開き――そこから砲身を出現させる。
「――何だ、それは?」
『ビームは男の浪漫だ。感性を磨くがいい、若人』
口から砲身を突き出しているからか、急に機械的な音声をどこからか発したパンダは、その言葉通り、砲身に何かしらのエネルギーを収束し――――カッ!!!! と破壊光線を発射した。
「―――――ッッッ!!!!」
氷川は、急速に氷の鎧を纏い――擬態を完全解除する。
全力の吹雪の一閃で、そのビームを斬り裂くべく、渾身の一撃を繰り出した。
そして、轟音と共に、両者の激突によって、周辺のビルが球形に抉り取られた。
次々と役者が揃い始める、加速する戦場――池袋。
その片隅で、今、新たな二つの最強が決戦する。
凄惨極まる戦場たる池袋に、更なる災厄を撒き散らす邪なる鬼共が来訪する。