比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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――例え、世界を滅ぼしてでも、他の人類全てと引き換えにしてでも……死んでも生き返らせますから。

 Side八幡――とある五叉路の大きな交差点

 

 

 黒金は得意げに語った。

 

「どうだ? 俺達の切り札は」

 

 切り札――あの気持ちの悪い翼竜が、黒金達の切り札か。援軍といっても、仲間のピンチに万難を排して駆けつけたというよりは、予定調和の演出だったらしい。

 

 確かに憎い演出だ。文字通りの意味で。憎悪する演出だな。ああ殺したい。

 

 ……さて、この場合はどういうことになるのだろう。

 あれだけ五月蠅く喚く化け物だ。まさか、ミッションの間、ずっと何処かで隠れていたというわけでもないだろうな。言葉通り、今、まさに今到着した援軍なのだろう。

 

 つまりミッション開始時、奴はガンツが指定した範囲には居なかった――標的(ターゲット)に指定されていない、ということになる。

 

「…………」

 

 俺は一応マップを見て確認するが――やはり、あの翼竜は赤点で描かれない。故に、このミッションで倒さなくてはならないノルマではないということだ。

 

 もちろん奴は黒金達が用意した切り札で、つまり敵で、こちらを容赦なく襲ってきて、俺等が躊躇なく殺すべき化け物なのだろうが――

 

「――どうでもいいな。今はあんななんちゃって翼竜よりも、お前を殺す方が先決だ」

 

 そうだ。

 あんな点数にならない敵よりも、今は優先すべきことがある。

 

 黒金を――このミッションのボスを、殺すことだ。

 コイツは明確に殺さなくてはならないノルマに含まれていて、尚且つ、このミッション最強のボスだ。

 

 俺は満身創痍とはいえ、陽乃さんはまだ雑魚としか戦っていないという、ほぼ万全な状態。二対一のこの状況を、逃すことなど有り得ない。

 

 ちらっと陽乃さんを見ると、こちらにコクリと頷いてくれた。

 

 そうだ――そうだ。

 奴が用意した切り札だろうが、クライマックスの演出だろうが、俺等がそれに律儀に付き合ってやる必要なんてない。

 

 対処を間違うな。対応を間違えるな。俺等は正義の為に此処にいるんじゃない。あの怪物に一般人が、他のメンバーが何人やられようが知ったことか。

 

 俺の第一目標は、まず生き残ること。そして、第二にミッションをクリアすること。その他は二の次、三の次だ。

 

「くっくっくっ、そうかいそうかい、残念だな」

 

 だが、黒金はそれに対し、激昂するでも、落胆するでもなく、くつくつと笑みを漏らす。

 

 ……なんだ? こいつ、まだ、何か企んでるのか?

 

 俺が訝しんでいると、黒金は「ところで、話しは変わるんだが――」と俺の方を三日月形に歪めた瞳で見据え、こう問いかけた。

 

「――お前、うちの大志から、随分と色んなことを教えてもらったみたいじゃねぇか?」

 

 ピク、と。Xガンを持つ指が震えかけるが、俺は声色を変えずに答える。

 

「……何のことだ?」

「ほう、動揺を見せないか。流石だな。――だが、裏切りはいけねぇよな。いただけねぇよなぁ。うちの部下達もブチ切れてよぉ。だが、安心しろ。俺は寛大だから、殺しはしてねぇ」

 

 ……殺しは、か。上手い言い方だ。

 

 陽乃さんは、ちらりと俺を見て、小声で問う。

 

「……大志、って?」

「……俺のクラスメイトの弟で、小町のお友達です」

「それって――ううん、そうか。分かった」

 

 陽乃さんなら今の俺の言葉で、おそらく俺が得ているのと同等以上のことを理解するんだろう。

 

 吸血鬼というものがどういうものなのか。それがどれほどの危険性を秘めているのか。

 そして、大志が俺に情報を漏らしたということが、どういうことなのか――そして、何も聞かないでくれた。

 

 ……だが、コイツは何故今、ここで大志の話を持ち出す? 俺の動揺を誘う為か? いや、コイツはこと戦闘において、そんな俺みたいな小細工はしない。

 

 だと、すれば――

 

「――まさ、か……」

 

 俺がその答えに行きつき、絶句する中、黒金はにぃいと、笑みを深めながら、上空を激しく飛び交う翼竜を指さす。

 

 

「その通り――あの邪鬼をこの池袋(せんじょう)に連れてきたのは、他ならぬ大志だ」

 

 

 っっ! やはりか、そういうことか……っ!

 

 つまりこいつは、大志が此処に来ているということで、動揺する俺の“様”を見たかっただけなのだ。

 

 ただ、それだけの為に、あんな怪物を、この戦場に連れてきた。

 

「…………ッッ」

 

 ふざけ――やがって……ッ。

 

「さぁて、どうする、ハンター?」

 

 ……どうする? どうするだと?

 決まってる。何も変わらない。――お前を殺す。只、それだけだ。

 

「このままだと、大志は他のハンターに殺されてしまうかもしれないぞ?」

 

 はっ、それがどうした。

 

 俺はハンターで、アイツは吸血鬼だ。遅かれ早かれ、こうなっていた。

 

 それが俺の――アイツの、運命だ。

 

 此処で死ぬとしたら、それがアイツの――

 

 

 

『……俺は、まだ、“こっち側”でいたいっす。……だから、お兄さん――』

 

 

 

「ふっ、それとな。これは、大志にも言ってなかったんだが――」

 

 黒金は、更にそう、にやにやとした笑みのまま、俺を嘲笑するように言う。

 

「――あの翼竜型の邪鬼は、捕食型なんだ。同族を食うんだよ。いや、取り込むと言った方が正しいか」

「……取り、込む……だと?」

 

 俺は、黒金のその言葉の意味が分からず、呆然と問い返す。

 

 何故か俺の頭の中には、今日、昼間に大志と交わした言葉が、何度も何度もリフレインしていた。

 

 

 

『――俺が、完全にあっち側に行ったら……』

 

 

 

「本来、吸血鬼ってのは“共食い”はご法度なんだ。基本、俺達はどんな生物の血液でも――個人的な好みはあるにせよ――飲み干せるんだが、同族の、吸血鬼の血だけは、身体が拒絶反応を起こし、最悪の場合は死んじまう。だが、あの邪鬼はちょっと変わった特性を持っていてな――体内で生殺しにして飼うんだよ。同族をな。あの腹から飛び出てる腕が、その取り込まれた連中の成れの果てだ」

「――――ッッッ!?」

 

 俺は反射的に、バッと上空のその個体を見上げる。

 

 あの、ダンゴムシの足のように飛び出す――無数の人間の腕。

 

 あれが、全部、元吸血鬼で――元人間だっていうのか?

 

 奴に取り込まれた者達の、末路だって、いうのか?

 

「…………結局、お前は何を言いたいんだ?」

「なぁに、ちょっとした情報漏洩だよ。全く、今日は口が滑っていけねえ、大志のことをとやかく言えねぇな。――おっと、また口が滑るが、大志は千葉からここまで奴等を連行してもらう役割だった。ってことは、当然、奴の背中に乗ってくるよな?」

「――――ッッッッ!!!」

 

 ……落ち着け。落ち着けっ。落ち着けッ! 奴の言葉に耳を貸すな。これは奴の、俺に対する――

 

「さあて、ハンター。大志は今――何処にいると思う?」

 

 

 その瞬間、怪物の嘶き声が響いた。

 

 

「っ!? 八幡っ!!」

「ッッ!!」

 

 陽乃さんは俺に飛びつき、地面に伏せる。

 

 俺達の背後――この大通りを滑空するように、件の翼竜が超低空飛行で通過した。

 

 ただ闇雲に飛び回っているだけで、俺達を襲おうとしたわけではなく、たまたまアクロバット飛行の一環として通りすがっただけなのだろうが――

 

 

――その時、俺は、見た。

 

 

 黒金の言う通り、奴の背中に――翼竜の背中に、大志はいた。俺は()()が、その成れの果てが、何故か大志だと、瞬間的に理解した。

 

 大志は、全身が真っ白の外殻に覆われ、変わり果てていた。

 

 

 そして――肩から下の全てが、翼竜の中に埋まっていた。

 

 

 取り込まれていた。

 

 

「ッッ!! たい――」

 

 その瞳は虚ろで、最早、何も映っていないようだったけれど、何故か、どうしてか、大志はこちらを向いていた。

 

 俺を、見ていたかのようだった。

 

 そして――その瞳は――まるで――

 

 

 

『俺が、完全にあっち側に行ったら……』

 

 

 

――お兄さんが、殺してくれないっすか?

 

 

 

「――――っ!!??」

 

 翼竜は、再び天高く飛び上がっていく。

 

 俺はそれを、ただ見上げることしか出来なかった。

 

 Xガンを握る右手を、何も掴んでいない左手を、ただ、強く、強く握った。

 

「―――――ッッッ…………っっっ!!」

 

 俺は――俺は――

 

 

「八幡。行ってあげて。……そして、あの子を――」

 

 

――殺してあげて。

 

 

 陽乃さんは、漆黒の槍を黒金に向けて、俺の方を全く見ずに、そう言った。

 

 黒金の口元が、更に醜悪に歪んだ気がした。

 

「……………………」

 

 俺は、無様に口を開けたまま、ゆっくりと陽乃さんの方を向いて――

 

「で、でも――」

「例えミッションに関係なくても、アレは邪魔。あれだけの怪物だよ? 何をしてくるか分からないし、早めに殺しておいた方がいい。誰か一人はアレの対処に向かうべきなんだよ。分かるでしょ」

 

 陽乃さんは淡々と、聞き分けのない子供に言い聞かせるように言う。

 

 …………その通りだ。

 確かに、点数にならないのだとしても、俺達が殺すノルマではないのだとしても。

 

 あんな怪物が滅茶苦茶に縦横無尽に暴れ狂う中、そんなコンディションの中、例え二対一だとしても、黒金とまともな戦争が出来る訳がない。まともに戦うことすら……そんな状況で、あの最強を、殺せる筈がない。

 

 二人とも、無残に、残酷に――殺される。

 

「……………………ッ!」

 

 だが――それでも――

 

 俺がうだうだと情けなく葛藤し続ける中、陽乃さんは凛々しく、微塵の迷いも葛藤も見せず、黒金を冷たく、真っ直ぐに見据えて――

 

「――コイツは、わたしが殺すから。徹底的に」

 

 いや、徹底的にって怖いな。なんて言ってる場合じゃない。

 

 俺は陽乃さんのに向かって――陽乃さんはこちらを全く見てくれないが――焦ったように情けなく言い募る。

 

「は、陽乃さん! ……でも………でもッ! それは――」

「分かってる」

 

 陽乃さんはそう短く断じて、続けて言った

 

「こいつはきっと、あの千手観音より強いんだよね。千手観音に負けたわたしが――殺されたわたしが、一人で挑むなんて、無謀。八幡は、そう思ってるんだよね」

「…………………………はい……ッ」

 

 ここで誤魔化す意味はない。

 

 ………そうだ。……………………そうだ。

 

 陽乃さんが死んでから、一人で半年間ミッションに挑み、そして黒金と何度も一対一で戦った俺だから分かる。

 

 ……………無理だ。

 

 

 陽乃さんでは、黒金には勝てない。

 

 

 だから、一対一で戦うことなど許容できない。此処に――この戦場に、陽乃さんを一人で置いていくことなど、出来る筈が――ない。

 

「……………ッ………………ッッ」

 

 俺は誓ったんだ。もう二度と、絶対に死なせないと。

 俺は失いたくないんだ。もう二度と、絶対にこの女性(ひと)を。

 

 だから、俺は、何も出来ない。

 銃を黒金に向けることも、あの翼竜を追いかけることも、何も出来ず、ただ糞餓鬼のように見苦しく――

 

 だが、陽乃さんは小さく笑って「まぁ、死んじゃったわたしが言っても説得力がないんだけど」と言い、冷たく、鋭く、俺に言った。

 

「今のボロボロの八幡じゃ、今のグラグラの八幡じゃ、はっきり言って、足手纏いよ。わたしが一人で戦った方が、マシ」

 

 陽乃さんの厳しい言葉に、俺は思わず表情が歪み、胸に激痛を覚える。

 鼓動が早くなり、嫌な汗が出てくる。

 

 あの時も、俺はこうして拒絶された。

 

 

『今の八幡が一緒に戦っても、私は八幡に気を取られてまともに戦えない』

 

『私を死なせたくないなら、ここでじっとしてて』

 

 

 その言葉と共に、彼女は無様に動けない俺を置いて、たった一人で千手との戦いに臨み――

 

 そして――

 

「――ッッ!! ………俺はッ! 陽乃さ――っ!?」

 

 いつの間にか、こちらを向いていた陽乃さんは、人差し指一つで俺の口を封じると、俺が見たことがない、あの雪ノ下陽乃の、泣きそうな、今にも壊れてしまいそうな顔で、こう言った。

 

「――お願い。わたし、あなたに置いて行かれたくないの。あなたの足手纏いだけには――守られるだけの女には、絶対になりたくないの」

 

 その言葉に、その表情に、俺は――

 

「……………………………っ」

 

――唇を噛み締め、胸の中に荒れ狂う葛藤を抱え込んで、陽乃さんの手を優しく退かしながら、震えた声で、絞り出すように言った。

 

「――絶対に、死なないでください。死んだら、俺は何度でも生き返らせます。あなたが嫌だと言っても、もう死なせてくれと泣いて喚いても、例え俺がどれだけ死にそうな目に遭ったとしても、絶対に、何度でも」

 

 俺は――俺も、きっと、泣きそうな顔をしていた。

 

 無様に、情けなく、子供のように――それでも、陽乃さんを、真っ直ぐに、縋るように、見つめて。

 

「――例え、世界を滅ぼしてでも、他の人類全てと引き換えにしてでも……死んでも生き返らせますから」

 

 ……言葉にしてみて、なんと俺は女々しく、陽乃さんに依存しているのだろうと思った。

 俺は、黒金のことを、何も言えやしない。

 

 きっと、孤独(ひとり)が怖いんだ。だから俺は、他の何を犠牲にしてでも、この人を守りたいと思ってしまう。

 

 そんな彼女を、あんな怪物と二人っきりで残して、背を向けて逃げ出さなくてはならないことに――俺がそうしたいと思っていることに、また俺は、比企谷八幡のことが嫌いになった。俺は、何処まで俺を失望させれば気が済むんだ。

 

 陽乃さんは、そんな俺に苦笑するようにして微笑みながら、そっと抱き締めてくれる。

 

「ありがとう――でも、いらないよ。死ぬ気なんてさらさらないから。もう、二度と、あなたを孤独(ひとり)にしないって言ったでしょ」

 

 泣きじゃくる子供をあやすように、そんなことを言われる。

 とんでもない羞恥を感じるが、客観的に見て、今の俺は駄々っ子と大差ないだろう。

 

 全く、情けない。

 

 陽乃さんは、身体を離し、いつもの小悪魔を通り越して魔王な笑みで、明るく言う。

 

「それに、八幡の方こそ大丈夫なの? そんなボロボロで、あのデッカイ怪物に勝てるの? 八幡こそ、死んだらわたしは世界を滅ぼしちゃうぞ☆」

 

 ははは――やりかねない。この人なら、本当に。

 

 ……はぁ。全く、絶対に死ねないじゃねぇか。嬉しすぎるぜ。

 

 俺は、陽乃さんの腰に手を回し――

 

「!」

「………」

 

 驚く陽乃さんの頭をギュッと抱き締めて、そっと囁く。

 

「ふはは、ラブラブだな。殺したくなるぜ」

「ああ、お前と違ってイケメンリア充なんでな」

「戯言は生まれ変わってその目を治してからほざけ」

 

 うるせえ。なんで化け物にまで目をディスられなきゃいけねぇんだ。

 

 俺は、翼竜が飛んでいった方向――南池袋公園の方角に目を向ける。

 

 そして、最後に振り向き、陽乃さんと目線を交わす。

 陽乃さんはパチッとウインクをして、俺はそれに苦笑で答えた。

 

「あの邪鬼に勝てたら、また此処に戻ってこい、ハンター。最終決戦と行こうぜ」

 

 黒金はそう言って、駆け出そうとした俺に向かって言葉を掛けた。

 

 俺は首だけ振り向くと、奴はこれまでで最高に――最低に腹の立つ嘲笑で、こう言った。

 

 

「お前の大事なこの女の屍をプレゼントしてやるからよ」

 

 

 その言葉に――俺の頭は真っ白に染まった。

 

 足を止め、身体を反転させ、そのまま奴に向かって突撃しようした――その瞬間に。

 

 

 

 空間を斬り裂くような、漆黒の半月を描く剣閃が、黒金を襲った。

 

 

 

 奴はそれを間一髪で仰け反ることで躱すが――ヴォン!!! と、音が数瞬遅れて聞こえる程に、それは鋭い一閃だった。

 

 

「これ以上――わたしの八幡を虐めないでくれる?」

 

 

 陽乃さんは、そう笑顔で言う。

 

 

「殺すわよ」

 

 

 笑顔だからこそ、少し離れたこの場所からも分かる程に――それは恐ろしく冷たかった。

 

 ……俺は、また思い上がっていたようだ。勘違いも甚だしい。

 

 たった半年――陽乃さんよりもガンツミッションを経験した程度で、俺はどれほど強くなった気でいたのだろう。

 

 

 当たり前のことだろうが。

 

 

 雪ノ下陽乃が、比企谷八幡よりも、遥かに強いことなんて。

 

 

 俺が勝てないから、陽乃さんも勝てない――全く持って恥ずかしい。なんて愚か者なんだ、俺は。

 

「――ほう。アイツの他にも、こんなハンターがいたのか。……どうやら、結構楽しめそうだな」

 

 黒金が、バチバチバチと雷電を纏う。

 どうやら陽乃さんを本気で戦うべき相手だと認めたらしい。

 

「悪いけど、楽しむ間もなく殺すよ。――こんなところで、あなたなんかと遊んでいる暇、わたしにはないの。早く八幡とイチャイチャしたいのよ」

 

 そして陽乃さんは、ガンツソードを仕舞い、その漆黒の槍を華麗に振り回して、構える。

 

「…………………」

 

 俺は、その頂上戦争に背を向け、己のやるべきことを果たしに向かう。

 

 一刻も早く、アイツを解放する為に。

 

 

 

『安心しろ――死にたくないって言っても殺してやる』

 

 

 

 川崎大志との、約束を果たす為に。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 Side和人――とある駅の近くの大通り

 

 

 和人は、ゆっくりと、剣崎の屍を路面に横たわらせる。

 

 道路の上に直接寝かせることには少し抵抗があった和人だが、それでも歩道には一般人がいるので、つい先程まであれだけの剣劇を演じていた怪物の屍を近づけたらパニックになってしまうと思い、そのまま寝かせた。

 

 いつまでも此処にいるわけにはいかない。あの部屋に転送されない以上、まだ敵は残っていて――戦争は、続いているのだ。

 

「……………………」

 

 和人は目を瞑り、眠るように死んでいる剣崎の顔を見る。

 

 既に角は引っ込んでいて、瞼を下しているので瞳の色は分からないが、剣崎は死ぬ前には普通の黒い眼に戻っていた――おそらくは、擬態を解除する前に戻ったというだけで、人間に戻ったわけではないのだろうけれど。

 

 こうしていると、只の人間の死体のようだった。

 

 人間のようだった。

 

「………………行かないと、な」

 

 きっと、他のメンバーも戦っている。

 

 和人はそう心中で呟き、立ち上がる。早く此処を去らないと、さっきから歩道の一般人が声を掛けたそうにこちらを見ている。話しかけられたら厄介だ。どこまで事情を話していいのか、和人には判別がつかない。

 

 そして、とりあえず駅の方に行ってみようかと、五叉路の内、和人から見てカラオケビルの左の道――池袋駅東口へと繋がる道に向かって歩き出そうとした時――

 

 

 

――ドゴォォォオン!!! と、和人の背後に何かが落下した。

 

 

 

「なっ!!?」

 

 和人が驚愕し振り向くと――ビュオオオン!!! と、和人の頭上を何かが通過する。

 

 再び首を激しく動かして見上げると、それは巨大な翼を広げてビルのほんの少し上を滑空する、異形の怪物。

 

(翼竜!? い、いや、違う! なんだ、あの化け物は!!?)

 

 そして、和人が空を飛ぶその化け物に目を奪われ、気を取られていると――

 

「う、うわぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!」

「ば、ば、ばばばばばばばばばば化け物ぉぉぉぉおおおおお!!!」

 

 先程までしんと静まり返っていた歩道の一般人がそう叫び散らした。

 

 そして、ズシンッ!――と、重々しい、足音。

 

 和人はその足音に硬直し、ゆっくりと、ゆっくりと――振り返る。

 振り返るのならば、こんな風にゆっくりではなく、素早く、今すぐにでも振り返り、その背後の足音の正体を確認すべきだと分かっているのに、身体が思うように動かない。

 

 そして、そんな和人を急かすように、もう一度、ズシンッッ!! と、より、重々しくその音は響いた。

 

 和人が遂に振り返り、確認したその足音の正体は――

 

 

「グォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 

――およそ4m程の、牛頭の怪物だった。

 

 和人は、そんな怪物を、かつて見たことがある。

 あの鋼鉄の城の、第二層。ファンタジーゲームではお馴染みの、だからこそ、現実世界に居る訳がない、居てはいけない、お伽噺の怪物――

 

「――ミノ、タウロス……」

「グォォォォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 そのミノタウロスのような、牛のような頭と、牛のような角と、筋肉組織が剥き出しの人体模型のようなやせ細った強靭な体と、四足歩行を前提としているかのような細長い手足の怪物は、頭を振り乱し、遮二無二に無茶苦茶に暴れながら、何かに苦しむように、何かから解放されたかのように身体を捩りながら――

 

「グゥゥゥゥゥゥォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

――突如、四つん這いに、四足動物のように走り出した。

 

 牛としてはまさに正しい走行法なのだろうが、人間のような見かけの身体が四足歩行――四足走行で、けれど頭部は牛そのものな怪物が走る様は、まさに異様という言葉以外に見つからなかった。

 

 進行方向にいた和人は、反射的に横に飛び退いて躱す。

 

 だが、おそらくはスペインの闘牛のように再びこちらに突っ込んでくるのだろうと二刀を構えたら――

 

「――え? あれ?」

 

 牛人はそのまま、和人には目もくれず、駅の方向に走っていった。

 

(……俺が、見えてなかった? 眼中になかった? ……まるで、何かに苦しんでいたかのような……それで、とにかく我武者羅に暴れているだけなのか?)

 

 いや、だとしても。

 あんな怪物が、問答無用で前後不覚で暴れ尽くしたら、それこそ惨劇しか生まれない。

 

 とにかく追いかけなくては――と、駆け出そうとして。

 

 

 

 バタ、バタバタバタ――と、一般人のギャラリーが次々と倒れ伏せていった。

 

 

 

(――――え?)

 

 次々に驚愕の展開が訪れることに、和人の頭はとっくに真っ白だったが、この現象はあまりに奇異過ぎる。

 

 あの牛人の叫び声で、遂に精神的負荷が限界だったのだろうか。

 いや、確かにあれは気絶するに値する迫力と恐怖だったけれど、だからといってこんな風に全員が全員、同じタイミングで気を失うだろうか。

 

 和人は、とりあえず駆け寄った方がいいかと、一番近くの人間に向かって駆け出そうとして――

 

 

「――心配はいらないよ。寝ているだけだからね」

 

 

 和人は、その声を聞いた瞬間、思わず臨戦態勢をとっていた。

 

 その声は、五叉路の、和人がいる道の先――南方面の道から聞こえてきた。

 

 

 それは、二人の人間のようなシルエット――一組の男女だった。

 

 

 男女と言っても、その両者はかなりの身長差と年齢差がある。

 

 男の方は、着流しの地味な色の着物。腰に真っ白の鞘――恐らくは日本刀を差している。

 身長はおよそ180センチ程度。無造作に一つに纏めて垂らしている墨色の黒髪。顔は端正に整っていて、年齢は和人には十代後半から少なくとも二十代前半のように見えた。息を呑むほどの美男子だった。瞳は、これだけの距離が離れているにも関わらず、和人にもはっきりと見える程、澄んだ蒼色だった。

 

 女の方は、男の肩にちょこんと座っていた、少女よりも幼女と表するのが相応しい外見年齢。

 何よりも目を引くのが、その紅蓮のようで鮮血のような真紅の紅髪。瞳の色は黄金。そして、荘厳な、豪奢な、気品溢れるオーラを放っていた。

 男の肩に座っているのも、まるで妹が兄に甘えるようでもあるが、それでいて姫が従者を従えているようでもあった。人間の物とは思えない程に整った――美しく整い過ぎている容姿が、その夜のように真っ黒の豪奢なドレスが、幼女の、姫のような、女王のようなオーラに拍車をかけているようであった。

 

 そう――女王。そして、騎士。

 

 かたや和風の武士のような恰好の青年と、かたや西洋の姫のような恰好の幼女。

 黒髪と、紅髪。蒼眼と、金眼。

 

 何もかもちぐはぐで、決して同じ世界観ではないのに、まるでそれがあるべき姿のように違和感がなくて、一緒に居るのが当然のようで――まるで。

 

 女王と、その傍に侍る騎士のようだった。

 

 和人は思わず二刀を構えるが――その切っ先を、彼女等に向けられない。

 

 それは、幼女の放つオーラ故か、それとも、青年が秘める得体のしれなさ故か。

 

 だから和人は、動かない身体の代わりに口を動かし、恐る恐る、探るように問い掛ける。

 

「寝ているだけって――じゃあ、彼等を眠らせたのは、お前なのか?」

「そうだけど、お前っていうのは無礼だな。頭を下げろとは言わないけれど、せめて敬意は示してほしいね」

 

 幼女は、青年の肩の上で不敵に微笑みながら、和人に向かって身分を明かした。

 

 

「僕は、リオン――吸血鬼リオン・ルージュ。この子は、家族の狂死郎。吸血鬼の【始祖】と、その【懐刀】だよ。よろしくだね、ハンターくん」

 

 

 




比企谷八幡は哀れな白鬼を追い掛け、雪ノ下陽乃は最強の雷鬼の前に立ち塞がる。

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