比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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次はお前の番だ。楽しもうぜ――台無しをよ

 Sideリュウキ――とある湿った道外れ

 

 

「……ハハ…………ハハハ………ギャハハ」

 

 その男は、路地裏の地面にどかっと座り込みながら、この目の前の状況に対する滑稽さに堪えきれなくなったように、断続的に笑いをこみ上げる。

 

「ギャハハ、ギャハハ、なんだコレきったね! ハハハ、何だよコレ超ウケるわマジで」

 

 ビシャンビシャンとリュウキが地面を叩く度に、濁りきった血液と肉片が跳び撥ねる。その滑稽な光景に対し、リュウキが再び爆笑する。

 

「ハハハハハアハッハハハハハハ!! や、止めろ……死ぬ………笑い死ぬ……ヤバいマジで死ぬわこれ俺終わったわギャハハハハハ!!!」

 

 リュウキはくるんと仰向けになりながら、ゴロゴロとゴロゴロと転げ回る。

 

 

 湿った路地裏の一面に敷き詰められた、最早ただの肉片の絨毯と変わり果てた()()の上で。

 

 

「ハハハハハッハ!! 死ぬ! 死ぬ! 死ぬ! いやマジで死ぬって面白過ぎるだろ! 死んだ後も笑わせてくれるとか親友かよマジで!!」

 

 それは、今日の午後まで、いつも通りに馬鹿なことをやっていた愛すべきクズ共の成れの果てだった。

 

 いきなり目の前に現われた正体不明の怪物。

 その怪物達にこの上なく理不尽に惨めに殺され、哀れ肉片の絨毯と成り果てた彼等の成れの果てに、哀れ極まる滑稽な末路に、リュウキは笑わずにはいられなかった。

 

 笑うしかない。だって、こんなことってあるのか? 自分達が一体何をしたというのか。

 

 どうして自分達が、自分達だけがこんな目に遭わなくちゃいけないのだ。

 

「ハハハハハッハハハハハハ!!! ハァーッ、ハァーッ、あヤベウケ過ぎて涙出て来た。ハハハッハハ泣けるわマジで。お前やっぱセンスの塊だわー」

 

 なぁ――と、肩を叩くように地面の肉片を叩く。バチャと水溜まりを踏み抜いたような音がするのみで、何の応答もなかった。

 

「あれ? そういえばお前誰? イメチェン?」

 

 正体不明だった。

 

 リュウキの仲間達の漏れなく全員がぐちゃぐちゃに混ぜ込まれ――その上、自分達を見世物にしながら処刑していた化け物達も混ざり込んでいるのだから、最早どの肉片が、元は誰のどの部位だったのかも判別不能だった。

 

「ハハハハハッハハハハハハ!! 何なんだよお前訳が分かんねぇよ死ねよオラァッッ!!!!」

 

 突如そう叫びながらリュウキが、顔半分が辛うじて肉片の絨毯の底に残っていた化け物の残滓に、そこらへんで拾った誰かの何処かの尖った骨の先端を突き刺した。

 

 リュウキのスーツは既に死んでいる。それどころか全身のあちこちが破けていて、深刻なレベルの深さの裂傷も負っている。

 

 こうして化け物の彼等が肉片になっていて、リュウキは生きているのだから、彼は勝ったのだろうか。

 

 そしてこれが、化け物達との戦争に一戦とはいえ勝利した男の勝利の姿だった。

 

 

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねやオラァァァァァァ!!!!! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!! 台無しだぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!! 死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ殺せよ殺せよ殺せよ殺せよ殺せよぉぉおおおおおお!!! てめぇ何で死んでんだよぉぉぉぉおおおおお!!!!」

 

 何度も何度も何度も何度も何者かの骨を突き刺していたリュウキは唐突に立ち上がり、真っ暗な路地裏から覗く夜空に向かって叫び、そして何度も何度も何度も何度も肉片の絨毯を踏み荒らす。

 

「殺してくれぇぇぇぇええええ!!!! 殺してくれぇぇぇえええええええ!!!」

 

 ただ無我夢中だった。

 恐怖に完全に支配されていた。

 

 脳内を自身の叫びのみがリフレインし、目の前が真っ白になり、何もかもが真っ黒になった。

 

 水中の奥深くに潜ったかのように、息苦しく、何も聞こえなかった。

 分厚いフィルターを何枚も通したかのように鈍くくぐもって届く泣き声、怒声、そして絶叫。

 

 早く連れてってくれ。ここではない遠い何処かへ。

 もう何でもいい。誰でもいい。助けてくれ何だってするから。だからこいつ等のいない何処へ。頼むから頼むから頼むから――

 

「アアアアアアアアアアア!!!! アアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 気が付いたら一人だった。汚い赤で染まりきった空間に、たった一人。

 

 全身が痛い。満身創痍とはこのことだ。

 髪もぐしゃぐしゃで歯も折れて。この後、どっかの優等生ぶってる箱入り娘気取りの女でも探しにゲーセンにでも行こうと思ってたのに――

 

「台無しじゃねぇか………」

 

 リュウキは吐き捨てるように呟く。なんだかまた笑えてきた。

 

 何だ。何なんだこれは。どうして自分達ばかりが、こんな目に遭わなくてはならない。

 

「全部……全部……台無しだ」

 

 最悪だ。最悪過ぎて笑えてくる。

 

 何だ。何だこれは。ぐちゃぐちゃで元が人間なんか化け物なのかそれすら分からない。原型を留めていないどころか、原型があったのかすら疑わしいこの死に様は。

 

 まさしく、無様だった。

 憐憫すら出来ない。こんな肉片を見たところで吐き気しか催さない。只の汚物だ。汚物として死んだ。

 

「ハハハハハハギャハハハハハハハハッハ!!!」

 

 リュウキは腹を押さえて仰け反りながら哄笑した後――

 

 

 

「―――――――――――――ッッッッッ!!!!!!」

 

 

 

 文字通り――声にならない、慟哭を迸らせた。

 

 

「―――――――――――――ッッッ!!!!!!   ―――――――――――――ッッッッッ!!!!!!!!」

 

 喉を叫ぶすかのような絶叫。

 

 リュウキは涙を流しながら、声にならない何かを吐き出しながら走った。

 

 ただ、真っ直ぐに走る。壁に何度となくぶつかりながら、それでも走る。逃げるように逃げるように逃げるように逃げるように。

 

 何処か遠くへ行きたった。此処ではない何処かへ。地獄ではない何処かへ。

 

 何だ。何なんだ。

 どうして自分達ばかりが、こんな目に遭わなくちゃいけない。

 

 どうして自分達ばかりが、最悪で最悪で最悪で最悪なんだ。

 

「クソッタレがぁぁぁあああああああああ!!!!」

 

 リュウキは、何処かの大きな通りに出ると、再び真っ暗な夜空に向かって吠えた。

 

 そこでも多くの死体が転がっていた。だが、今のリュウキの目には入らない。

 

 叫び散らし、慟哭を撒き散らした結果、激情が一旦は消化したリュウキの目に入ったのは――

 

――投げ捨てられたかのように、無造作に転がっている女物のヒールだった。

 

「………………」

 

 リュウキはそれを一瞥すると、真っ先にある一つの施設に目を付ける。

 

 かつて、幾度となく訪れたこの街で、自分達の行きつけとなっていたあのアミューズメント施設。

 

 あぁ。あの時は楽しかった。馬鹿言って、馬鹿やって、馬鹿みたいに楽しかった。

 

 貴重な青春の時間を台無しにして、お利口そうな奴等を見つけては台無しの楽しさを教えて――――あぁ。あぁ。あぁ。

 

「……ギャハハハ、ギャハハハアハハハハ」

 

 リュウキは込み上げてくる滑稽さに対する笑いを漏らしながら、フラフラと引き寄せられる様にその場所へと向かう。

 

「おいおい、俺も混ぜろや。お前等ばっか楽しんでんじゃねぇよ。何なんだよ哀れんでんじゃねぇよ馬鹿高だからって馬鹿にしやがってよぉぉおおおおおおおお!!!!」

 

 ぎゃはははっはっはははっはっはは   はははっははははははは  ぐひゃははははははは ははは はっははははははは ひゃーーはははははははっはは

 

 狂った男の、狂った笑い声が響き渡る。

 

 理解不能な被害妄想を最後の原動力に、リュウキという名前の少年だった何かは、傷だらけの真っ赤な身体を引きずるように池袋の街を跋扈する。

 

 何もかもを失い――人としての理性すら失った世界に逃げ込んだリュウキは、涙を流しながら、ただ笑い、笑い、笑う。

 

 

 

 そして、彼が這入って数分後。

 そのビルディングは、瞬く間に豪快に燃え上がった。

 

 

 

 

 

 +++

 

 

 

 

 

 Side陽乃――とある五叉路の大きな交差点

 

 

 比企谷八幡がこの戦場を去った後――僅か、数十秒。

 

 分にも満たないこの僅かな時間で、東口五叉路周辺一帯は、見るも無残に荒廃していた。

 

 路面は抉れ、辺りに転がっていた車はひっくり返って燃え上がり、最早舗装されている場所を探す方が難しい程に、荒れ果てていた。

 

 二本の足で立っているのは――もしかしたら生きているのは、かもしれないが――その荒れ果てた戦場で、ただ二人。たった二つの、影。

 

 巨大な角を(たてがみ)のように生やして黄電を纏う雷鬼――黒金。

 漆黒の長槍の切っ先を足元に向けるように構えて微笑を浮かべる魔王――雪ノ下陽乃。

 

 この二人の最強の数十秒の戦闘により、この見るも無残に死に絶えた戦場は生み出された。

 

「――くはは。驚いたぞ。まさか、これほどまでにこの俺と真正面からやり合える人間がいたとはな。歓喜だ」

「――ふふふ。確かに八幡は真っ向勝負なんて言葉から嫌いそうだよね。わたしはそんな八幡が大好きだけど♪」

 

 そして、再び激突する。

 

 ドォン!! という落雷のような轟音と共に、黒金は瞬時に陽乃に肉薄する。

 

 だが陽乃は、その閃光の如きスピードを見切ったかのように、その漆黒の槍をその肉薄のタイミングに合わせて強烈に突き出した。

 

 ガキンッッ!! と黒金は、その突きを――顔の横から生えている角で弾いた。

 

 不敵な笑いを交わし合う両者。

 陽乃はそのまま槍を支点に黒金の突進を回転するように受け流す。

 

 ズザザザッ、と突進の勢いを殺した黒金は、Uターンするようにして「ガァァァアアアアア!!!」と両手を広げ、怪物に相応しい形相で再び襲い掛かる。

 陽乃は槍を斜めに構え、その猛襲に相対する。

 

 ガキンッ! ガキンガキンガキンッ!! と、黒金の金棒のように太く雄々しい両腕の強撃を、それでいて雷光の如き瞬きの速さで襲い掛かるその連撃を、陽乃は黒槍のみで華麗に受け流す。

 

 否、受け流すだけではない。時折鋭い一撃を、喉元を突き破るかのように差し込むように――刺し込むように放ち、黒金を怯ませた。

 

 まさしく、蝶のように舞い、蜂のように刺す。

 その華憐且つ妖艶な姿は、敵に凶兆を運ぶ黒蝶のようであり、また敵を死に至らしめる女王蜂のようであった。

 

 黒金は思わず頬を緩むのを感じ、「かはっ!」と笑い声が漏れた。

 

「やるな、女ぁ! ならば――」

「――ッ!?」

 

 黒金は左腕で陽乃を弾き――右腕を上げる。

 陽乃はそれを瞬時に感じ、すぐさま黒金と距離を取る。

 

「――これはッ! どう凌ぐ!!」

 

 そして、黒金が右腕を振り下ろすと――ピカッ! と雷光が瞬いた。

 

 陽乃は地面に転がっている破壊された道路――コンクリートの塊を槍で頭上に打ち上げる。

 

 ドゴォォォォォン!! と、そのコンクリートを容易く破壊した雷は、そのまま陽乃の目の前に落ちるが、なんとか直撃は避けられた。

 

(――ッ!! やっぱり、あんなものじゃ防げないか……本当に厄介だなぁ。たぶん直撃すれば――下手すれば一発でスーツが……いや、もしかしたら普通に即死かも。………それにしても――)

 

 ここまで数発、黒金は雷を落としているが、連発はしない。して、いない。

 そして雷を纏うことはあっても、電撃そのものを放ったりもしない。決まって攻撃方法は落雷だ。

 

(……この辺りが制限なのかな? 後、雷を落とす時は、いつも右腕を振り上げて、振り下してる……これも必要動作……? いや、これは決まった動きをすることでどんな風に雷を落とすか、自分でイメージし易くしているのかな? つまりはルーティンってこと?)

 

 陽乃は分析する。

 そして、この凄まじい強敵との戦争の――勝機を探る。

 

 対して黒金は、戦闘が――戦争が壮絶に、ハイレベルになっていくにつれ、その笑みを凶悪に深めていく。

 

「見誤ったか……てっきり、お前達のチームの最強は、あの目が腐った男だと踏んでたんだが」

「スコアで言うなら、間違いなくわたしの八幡が一番だろうね。……それに、強さにもいろいろあるでしょ」

「はっ、違いない。まあ、俺としてはどっちが最強でも構わん。全員、漏れなく隈なく殺すからな」

 

 そう言って黒金は、両拳を作り、肘を引いて、顔を俯かせ――

 

「――ハァッ!」

 

 と、気合のようなものを込めて――突如、全身を発光させた。

 そして、その中でも両腕の光は一際強く、バチチチチチチと。雷電が強く瞬いていた。

 

 それを見て陽乃は、額から一筋の汗を流しながらも微笑し、黒金は腰を落として獰猛に狂笑した。

 

「――行くぞッ!!」

 

 そして、次の瞬間――黒金が立っていた場所の地面が粉砕し、その巨躯が消えた。

 

(――速いッッ!!?)

 

 これまでよりも遥かに――そう頭が考える時には、陽乃は黒金の突進を受け流す体勢に入っていた。

 完全には防ぎきれない。おそらくは大きく弾かれることになるだろうが、それでも直撃は――

 

(――ッッ!! ダメっ!)

 

 陽乃は強引に膝の力を“抜いて”無理矢理体勢を崩し、そして次の瞬間には再び膝の力を入れて外側に跳ぶように避けた。

 

「――ッッ!!」

 

 スーツを着ていなければ膝の靭帯に甚大なダメージを残しかねない挙動だったが、それ故になんとか不格好ながらも黒金の突進を受けることなく躱すことが出来た。

 雪ノ下陽乃でなければ出来なかったであろう回避だったが、それでも恰好としてはやはり無様で、通常ならば陽乃がこのような姿を見せることは有り得ない。

 

 これが陽乃と八幡の違いで、どちらも目的の為ならば清濁も好悪も併せ持ち、利用し実行するが、それでも陽乃は、八幡と違い形振(なりふ)りは、構う。

 

 常に覇道。どんな手段を使ってでも、敵を完膚なきまでに叩きのめす。

 その為に陽乃は、その勝利までの過程で決して自分が低く見られたりすることは許さず、愚かで無様な姿を見せたりはしない。例え最後には逆転し、覆すのだとしても――その為の振りで、布石だったとしても、敵に見くびられたり、他者に侮られたりすることを、決して自分に――雪ノ下陽乃に許さない。

 

 八幡ならば、むしろ敢えて自分を低く見せ、愚かに見せて、油断させ、慢心させ、足元を掬うだろうが――その過程で敵にどう見られようが、むしろ最終的評価として自分が相手にどう思われようが委細構わず、目的を遂げられればそれでいいと歯牙にもかけないだろうが、陽乃はその体面には拘るのだ。

 

 これは、決して比企谷八幡に雪ノ下陽乃が劣っているというわけではなく、陽乃が驕っているとか、誇りを捨てきれていないということでもなく――むしろ、その逆である。

 

 誇り。比企谷八幡が決して持ちえないその強さを、雪ノ下陽乃は持っている。誇りを持てるだけの強さを、プライドを持つのに相応しいだけの強さを、雪ノ下陽乃は持ち得ている。

 

 陽乃はその体面を守り、誇りを守りきれるだけの、それに相応しい力と才能が――強さが、備わっている。そしてその誇りが――女王であり、魔王であり、強者であるという誇り誇り(プライド)が、自負が、雪ノ下陽乃の強さに繋がっている。

 

 つまりそれは、雪ノ下陽乃は、比企谷八幡が持ちえない強さを持ち、八幡が捨てることで手に入れた強みを以てしても、尚、届かぬ遥かなる高みに、彼女が君臨していることの証左でもある。

 

 だが、この時、陽乃はその誇りを捨て、敵に無様を、何より己に自身の無様を晒すことになることを承知で、ただあの手刀から逃れる為に形振りを構わなかった。

 

「――うッ!」

 

 地面に転げながら陽乃は、その突撃の先を見た。

 

 黒金の強烈な突進は陽乃というターゲットを外しても止まらず、そのまま盛り上がっている地面、そしてその先に転がっていた反転した車までも貫いた――否、切り裂いていた。

 

「――ッ!!」

 

 派手に粉砕するのではなく、その障害物に綺麗な軌跡を残して、まさしく刀のように道中の障害物をその手で――その手刀で貫いていた。突破していた。それは、先程までの(パワー)任せの攻撃ではなく――

 

(――雷を腕に纏わせることで、貫通力、切断力を段違いに…………ッ!? あれじゃあ攻撃を受け止めることも、受け流すことも出来ない……ッ!)

 

 おそらく受け止めようとした時点で、この槍は――おそらくはスーツも、その下の柔肌も、肉も骨も臓物も血管も、容易く切り裂かれ、貫かれるだろう。

 

 そして、電気を薄く全身に纏うことで、その化け物の中でも群を抜いて化け物なその肉体性能も、更に異端に跳ね上げている。

 

「――ふん。上手く避けたな。だが、いつまで奇跡は続くかな?」

 

 両腕を黄金の雷で光らせた黒金が、再び陽乃に襲い掛かる。

 その金棒の如き腕を豪快に右斜めに振るい、左腕で掬い上げ、そして右腕を地面に叩きつける。

 

 陽乃はそれをただ一心不乱に避けた。陽乃程の能力――動体視力や動きの先読みを持ってしても、黒金の攻撃は只の閃光にしか見えなかった。無理に動きを目で追おうとすれば、却ってその雷光の閃きで網膜を焼かれかねない程の高速――否、雷速の攻撃。

 

 最早、陽乃は己の戦闘センス――直感のみを頼りに、その攻撃を回避し続けていた。

 

 しかし、そんな奇跡は長くは続かない。ここまで避けられただけでも、数瞬の寿命を獲得出来ただけでも、雪ノ下陽乃が傑物であることの証明になる程に、その黒金の攻撃は常軌を逸していた。

 

「――ッ!!」

 

 陽乃は片膝を折って、その攻撃を躱した。そして己の僅か上を、黒金の雷電の左の手刀が擦過する。

 

 だが、陽乃がその体勢に至る前に、既に黒金の右拳がしゃがみ込む陽乃に照準を合わせていた。

 陽乃はそれに対し、反射的に槍の柄を盾のように構える。黒金はそれを見て――笑みを深めた。

 

 黒金の雷電を纏った両腕は、どんな障害物も貫いて切り裂く、ガード無効の一撃必殺。

 黒槍を掲げたところで、それは陽乃の命を守る盾とは成り得ない。

 

 陽乃は歯噛みし、黒金はその笑みのまま黒槍に向かって――その先の陽乃の頭部に向かって、雷光の右拳を振るう。

 

 その瞬間、陽乃は無邪気な魔王の笑みを浮かべ――槍を分解した。

 

「――――ッ!!」

 

 黒金は、な、という形で口を開ける。雷速の拳はそのまま真ん中で、まるで門が開くように二つに分かれた槍の間を通り過ぎる。

 

 陽乃は槍を意識させ――掲げた槍を意識させ、己の頭を撃ち抜くような軌道だった黒金の拳を上方に向け、更にグッと頭を下げて、しゃがみかけていた膝のばねを前方に向かって射ち出すようにして加速することで、ギリギリで躱した。

 

 ジッ、という擦過音。靡いた髪が雷電によって焼かれたのかもしれない。例えそれでも、この絶好のチャンスを逃すわけにはいかない。女の命が傷んだとしても、最強の怪物の命を狙うことの方が遥かに優先事だ。

 

 全力で、大きなモーションで拳を放った黒金は、その陽乃に追撃することは出来ない。

 

 両手に二本の短槍を携えた陽乃は、交錯際に、右の短槍で黒金の脇腹を切り裂く。

 

「ッッ!! がぁっ!?」

 

 更に陽乃は急ブレーキを掛け、地面に手を突いて反転し、そのまま強く地面を蹴り出す。

 そして無防備に晒す背びれのように複数の角のような突起が生えている背中に――その不気味な背中とジーパンの間の腰に、左の短槍を突き刺した。

 

「ぐぉぉぉっ!! きさ、まぁああ!!」

 

 黒金が憤怒の形相で振り向く――と、陽乃は既に、その右の短槍を振り上げていた。

 

 ザバッッ!! と。

 

 豪快な音を立てて、雷光を纏っている腕部分を避けるようにして、腕と肩の付け根を断ち切るように――

 

 

――陽乃の垂直に振り上げた短槍が、黒金の左腕を吹き飛ばした。

 

 

 そして、黒金は――

 

 

「――――ッッ……ぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 と、雄叫びを上げ、己の全身から全方位に向けて、膨大な雷電を放出した。

 

 

「――――――――っっ」

 

 それは、まるで大きな爆発の如き一撃。

 

 全力の一撃を放ったことで咄嗟の動きが取れなかった陽乃は、その雷電の大波に為す術もなく呑み込まれた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 Side神崎――とある燃え盛るアミューズメント施設

 

 

 神崎は無我夢中に駆けて、止まっていたエスカレーターを自力で下り、一階へと降りてきた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 そして、その階段の途中、一階のフロアの一面を眺めることが出来る場所で――叫声は轟いた。

 

 

「燃ええええええええええええええええええええええええええええええええ」

 

 

 その声に、神崎は足を止め、恐る恐る、その悲鳴の方向に目を向けた。

 

 

 叫びは――悲鳴だった

 

 

「てるぅぅぅうううううううううううううう!!!! 僕がぁっ!! 僕が燃えてるぅぅうううううううううううう!!! 燃えキャラになってしまうぅぅぅうううううう!!!」

 

 

 そこでは、一人の男が文字通りの意味で燃えていた。火達磨になって、燃え盛っていた。

 

「――――ッッッ!!!」

 

 男はゴロゴロと転がり、必死に炎を消そうとするが、自らが作り出した火の海に突っ込むばかりでまるで消火出来る気配はなかった。

 

「うわぁぁぁあああああああああ!!! 熱っちィィイイイイイイイイイ!!!」

 

 そして、やがて男は、その場から――火の海から動かなくなった。時折、身体をびくんと動かしながら、ただ悲鳴を上げるだけの火達磨になった。

 

「っ!?」

 

 だが、最後の力を振り絞ったとばかりに突然、唐突に、炎を纏った状態で異様な挙動で起き上がる。

 

 

「ウワァァァアアアアアアアアアアアア!!!! シニタクナイ!! ジニダグナイィィイイイイイイイイイ!!!」

 

 

 その光景を見て、思わず神崎は、決して小さくない悲鳴を漏らしてしまった。

 

「ひッ、ひぃいい!!!」

 

 そして動揺し、恐怖し、エスカレーターの段差を踏み外してしまう。

 

「――ッ!?」

 

 ガタタタ!! と転げ落ちる。それほど高さはなく、そして落ちた先が奇跡的に炎がなかったこともなって、神崎は身体中に激痛を覚えるも、なんとか命は助かった――この、時点では。

 

「――な」

「……え?」

 

 神崎は余程混乱していたのか、それともあの場所からは死角だったのか、その男の存在にまるで気付いていなかった。

 

 そして、気付かれた。神崎(じぶん)が、この現場に、居合わせてしまったことを。

 

 この事件の、目撃者に、なってしまったことを。

 

 目の前の漆黒の全身スーツを纏った中年の男――平清は言う。

 

「ち、違うんや!」

 

 神崎の姿を確認したその中年は、絶望したような顔で、こちらに向かってフラフラと近寄ってくる。

 

「わ、ワシは……ただ……身を守っただけなんや! こ、これは、あのボンがやったことで……ワシは……そんなつもりはなかったんやっ!!」

 

 神崎は、平が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。

 だが、その中年が着ているスーツが、そして、その不安定に揺れる瞳が――あの、上の階で、二人の人間を哄笑と共に殺害した、あの狂った男と重なって。

 

 痛む身体を必死に起こして、神崎はエスカレーターをもう一度上がろうとする。この男から――逃げようとする。

 その様子を見て、平は焦ったように、その歩みのスピードを上げながら「違う……違う……違うんやっ!」と、両手をうろうろと彷徨わせながら、神崎に向かって叫ぶ。

 

 

「殺すつもりなんて――ワシはなかったんや!!」

 

 

 その言葉で、神崎は全てを理解した。

 

 あの火達磨になった男は――この人が、()ったんだと。

 

「――――い、いやぁぁああああああッッッ!!!」

 

 神崎は、全力でエスカレーターを駆け上がった。

 

「ま、待つんや!! ま、待って、待ってくれやっ!! 後生や!!」

 

 この燃え盛る煉獄のような戦場で、明らかに人間を殺している者の言葉を大人しく聞くような一般人はいない。そんな女子中学生などいるわけがない。

 神崎は瞳から涙を流し、嗚咽を必死に堪えながら、二階へと到達し――

 

(――ッ! どうしよう……上には、あの人が――)

 

 上には、また別の殺人者が――あの狂ったもう一人の黒スーツが待ち構えているかもしれない。

 そう考えて、そう考えてしまって、神崎は三階へと上ることは出来なかった。

 

「……………………っっ!!」

 

 そして、必死に恐怖を堪えて、そのまま二階のなるべく奥に、炎がない場所を、まるで導かれるように走る。

 

「…………ぁ」

 

 そして、当然、行き止まりにぶつかり立ち止まる。

 神崎はぶるぶると震えながら、その場所で必死に身を小さくして隠れた。

 

(…………私、何やっているんだろう。…………逃げたって、どうせ死んじゃうのに)

 

 例え、殺人鬼達から逃げおうせても、こんな燃え盛る火事現場にいたら、数分で死に至るだろう。

 

 どんなに逃げたって、死からは逃げられない。それでも神崎有希子は、この期に及んでも、逃げて、逃げて、逃げている。

 

(……どうして、こんなことになっちゃったんだろう。……逃げてばっかりいるから、神様が怒ったのかな……)

 

 罰が、当たったのだろうか。

 逃げて、逃げて、堕ちて、逃げて。

 

 逃げてばかりで、不貞腐れてばかりで、終ぞ、一度も何かに立ち向かい、戦うことをしなかった――神崎有希子という少女(エンド)に対する、これは罰なのだろうか。

 

「……けほ、けほ、けほ」

 

 その結果が、その結末が火刑というのが、何とも洒落が効いている。

 マドンナだと持て囃されていた神崎有希子の正体が、実は只の魔女だったと、まるで暴かれたかのようではないか。

 

 清廉潔白な聖女などではなく、自分はまさしく魔女だ。自分のことしか考えていない。

 

 自分ばかりを守って、痛みから逃げて、重みから逃げて、辛さから逃げて、逃げて、逃げて、逃げて――

 

 

「――見つけたぜぇ、お嬢ちゃん」

 

 

 神崎は、座り込む自分の目の前に現れた人物を見て、最早、悲鳴すら上げられなかった。

 

(…………ああ。私、死ぬんだ)

 

 平ではなく、この男――リュウキが現われたということは、平は更に上の階に上って、この男と入れ違いになったのだろうか。

 

 どっちにしろ神崎にとっては、どちらに殺されるのかという違いでしかないのだが。

 

「ひっひっひ。あそこにいた連中は、お前以外は全員ぶっ殺してやったぜぇええええ! アイツ等の人生は、俺のお蔭でめでたく盛大に台無しだぁぁぁあああああ!!! ヒャーハッハツハッハ!!!!」

 

 リュウキは座り込む神崎の髪をウィッグごと掴み上げて、無理矢理引っ張って立ち上がらせる。

 

「…………っっ!!」

「次はお前の番だ。楽しもうぜ――台無しをよ」

 

 そう言って、リュウキは神崎を舐めようと、その舌を彼女の顔に伸ばして――

 

「――――ッッッ!!!」

 

 神崎は、リュウキの頬を全力で引っ叩いた。

 

「……ああ?」

 

 その拍子にリュウキの拘束から、ウィッグを犠牲にすることで逃れ、派手な色のそれから、服装と合わない――だが、だからこそ彼女本来の色を表す艶やかな黒髪を露わにしながら、リュウキからふらりと少し距離を取った。

 

 リュウキは一瞬呆然としていたが、すぐにその表情を狂気に染める。

 

「ッッッ!! ああああああああああああ!!! アァどいつもこいつも……バカ高校だからって見下しやがってクソがッ!! 全員纏めて俺等レベルまで台無しに突き堕としてやんよぉおおおおおおおおおおおおお!!」

「――――ッッッ!!」

 

 神崎は――逃げ出した。

 

 この期に及んでも、絶体絶命に追い詰められても、それでも、神崎は逃げた。

 

 死から――逃げた。

 生きることから――逃げなかった。

 

 神崎有希子は、確かにこれまでずっとずっと逃げ続けてきたのかもしれない。

 親から逃げて、勉強から逃げて、期待から逃げて、嘲笑からも逃げ続けてきた。

 

 必死に必死に必死に、現実から逃避してきた。

 

 けれど、それでも――死にたくなかった。生きたかった。

 

(…………こんなところで、死にたくないっ! 惨めなままで逝きたくない!! ――エンドのままで、終わりたくないっ!!!)

 

 ずっと、心のどこかで常に思っていた。その火種が、心の中で燻っていた。

 

 どこかで見返さなくちゃ。やれば出来ると、認めさせなきゃ。

 

 自分達は、エンドなんかじゃないと――証明しなくては。

 

 だから、神崎は逃げた。逃げて、逃げて、必死に逃げた。

 逃げてばかりの神崎だったけれど、この時の逃避は、死からの逃走は――戦いだった。

 

 神崎有希子という少女が、初めて現実に立ち向かった瞬間で――戦争だった。

 

「ああああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁあああああああ!!!!」

 

 その神崎の背中に、地獄へと引きずり込む悪魔のようにリュウキの魔の手が迫る。

 例えリュウキのスーツが既に死んでいたとしても、リュウキは男子高校生で、神崎は女子中学生、身体能力の差によって、追い詰められるのは自明の理だった。

 

 そのプレッシャーに耐え切れず、神崎が転倒する。

 この時点で、神崎の逃走の失敗は確定したも同然だった。

 

 リュウキの顔に愉悦が滲む。神崎は思わず目を瞑った。

 

 だが、一人の少女の勇敢な逃避は、神崎有希子が必死に必定の死から逃れようと奮起したこの小さな戦争は――結果として、一人の少女の寿命を延ばすという莫大な戦果を獲得した。

 

 神崎がエスカレーター前まで辿り着いたことで――水色の少年が間に合うことが出来たのだから。

 

「ごふぁっらぁ!!!」

 

 神崎に迫った魔の手ごと、リュウキが軽々と吹き飛んだ。

 その身体がリズムゲームの筐体に激突した轟音により、神崎は恐る恐るその目を開ける。

 

 そして、目に映ったその光景に、瞠目した。

 

 

「……な、ぎさ……くん?」

 

 

 神崎の目に映ったのは、リュウキや平と同じ、漆黒の全身スーツを纏った、水色髪の小柄な少年の背中だった。

 




逃亡者の少女は、死からの逃走の末――エンドの同胞と燃え盛る戦場で邂逅する。

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