比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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――ありがとうございました。

 Side渚――とある燃え盛るアミューズメント施設

 

 

 平が四階に辿り着くと、辺りは只々火の海で、渚達の姿は何処にもなかった。

 

「……ごほっ……ごほっ、ごほっ、ごほっ」

 

 平は座り込み、大きく咳込みながら、己の意識が薄れているのを感じる。

 

 このビルが燃え盛り始めてから、一体どれほどの時間が経ったろうか。

 

 炎が燃える為には酸素が必要。それはつまり、燃えれば燃える程に、大気中の酸素がみるみる使われているということである。

 そして炎が燃えるのに必要な空気中の酸素濃度は、約17%。よって、炎が燃えれば燃える程、その値に近づいていく――消費し、減少していく。

 通常の大気中での酸素の割合は約21%なので、当然それよりは少なく、頭痛や吐き気など体調に影響を及ぼす数値。

 

 平は、既に限界に近かった。

 

 意識が朦朧とし、真っ直ぐに歩くことすら満足に出来ない。

 

 それでも覚束ない手つきで、腰に手をやり、残ったBIMを取り出そうとして――愕然とした。

 

(……そ……そんな……)

 

 平が持つ残りのBIMは、たったの二つだった。

 

 バリア式BIMと、烈火ガス式BIM。

 攻撃力が皆無の防御専用BIMと、こんな密閉空間では己ごと巻き込みかねない広域殲滅用BIM。

 

 とても、渚とのこの決戦には、使えそうもないBIMのみだった。

 

(………ど……ない……すれば……)

 

 ただでさえ薄れゆく意識が落ちかけるのを感じる。がっくりと両手を床に突き、膝も落として、項垂れる。

 

 そんな時、平は足元に何かが落ちているのを見つけた。

 

(…………BIMや)

 

 平はそれを見つけ、這うようにして向かう。

 それはフレイム式のBIMだった。自分が徹行(バンダナ)を殺した時に使用した、一人の人間を一方的に殺すには十分過ぎる程の決戦兵器。

 

 あれは、おそらくは渚のBIMだろう。必死になって逃げる時に、思わず落としてしまったのだ。そうに違いない。平はそう思い込んだ。

 

 平は知っている。

 BIMは、基本的にはケースを開けた人間のみにしか使えないようになっているが、頭頂部のスイッチを長押しすると、所有権が移り変わる仕組みになっていると。

 

 これはゆびわ星人との戦いのときに、平が渚と検証した事実だ。

 

 だからこれを拾えば、このBIMは平の武器になる。渚を殺せる武器になる。家族を守れる武器になるのだ。

 

「柚彦……昭子……やる……お父ちゃんは……()るで……っ」

 

 殺意と酸欠で目が眩む中、平がガシッと、フレイム式BIMを掴んだその瞬間――

 

 

 

――ピッ、と。何処かでリモコンを押す音が鳴った。

 

 

 

(………へ――)

 

 ドゴォォン!! と、フレイム式BIM近くのゲーム機の筐体の下に隠していた――リモコン式のBIMが爆発した。

 

「が……が……がぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 吹き飛ばされる平。

 

 悶え苦しむ彼の元に、爆煙の中から、一人の水色の少年が、ゆっくりとその姿を現した。

 

「………………」

 

 その瞳に、煉獄の戦場に似合わぬ、冷たい殺意を携えながら。

 

 その背に、中性な容姿に似合わぬ、冷たい毒蛇を纏いながら。

 

 

 平の元へと、哀れな男を全てから解放する、幼い『死神』がやって来る。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 この階へと逃げている最中、神崎がその意識を微かに取り戻した。

 

 そして渚は神崎を気遣いながらも、問い掛けた。平さんは、どんな風に人を殺していた、と。

 神崎は、人を殺した瞬間は見ていない、だが、火達磨になった人の前に平がいて、平自身が、殺すつもりはなかったと言って、逃げる私を追ってきたと言った。

 

 渚はそれを聞いて、平は反射的に、フレイム式BIMでその何者かを殺したのではと考えた。

 

 そこまで分かれば後は単純だった。

 平は、あの公園での戦いで、クラッカー式と爆縮式BIMを使っている。

 そして、このビルでの戦いで、タイマー式とホーミング式とリモコン式を使っている。

 その上で更にフレイム式も使用しているとなれば、平は八種類のBIMの内、六種類を既に使用していることになる。

 

 そうなると、残るは、バリア式と、烈火ガス式。とてもこの環境(せんじょう)での殺人に使えるとは思えない。

 

 更に、渚は知っていた。平清とは、人を一人殺しておいて耐えられる程、まともで居られ続ける程の強い精神力を、持っている大人ではないことを。

 

 この火事による低酸素の環境。これまでの極限の戦争経験。そして、人を殺してしまったという紛れもない事実。

 

 これだけ重なって、平清という弱く臆病な男が、正常な精神状態である筈がない、と、渚は確信する。

 

 そして、罠を張った。

 フレイム式のBIMをこれ見よがしに置き、餌とする。やったことは、子供騙しという批評も甘んじて受けなければならない程に単純な、作戦とも言えないような作戦。

 一応、念の為、拾われなくても最悪注意さえ惹ければいいと思い、離れた所でXガンを構えていた渚だったが、想定以上に、平は見事に食いついてくれた。

 

 地面を四足で這い、文字通り餌に喰いつく動物のように。見ていて哀れに思ってしまいそうな有様だった。

 

 そして渚は、平に仕掛けられた意趣返しをするように、リモコン式BIMで平を吹き飛ばした。

 

 あの時懸念した、平に爆縮式BIMを――最強の切り札を早々に使わせてしまった後悔が、まさかこんな形で自分に、益として返ってくるなんて、と。渚は皮肉めいた、宿命じみた何かを感じる。

 

 だが、それを一切表に出さず、感情に出さず、ただ殺意だけを纏い、標的(たいら)に向けて放ったまま、渚は――

 

「……それじゃあ、神崎さんはここにいて――大丈夫。すぐに戻るから」

 

――そう言って、神崎を物陰に隠したまま、平に向かって歩み寄っていった。

 

 神崎は、朦朧とする意識の中、それでも、その背中から、潮田渚から、その目を離すことが出来なかった。

 

 今から行われるのが、同級生の――今から執行されるのが、エンドの仲間による、一人の人間の命を奪う殺人行為だと、理解していても、尚。

 

 見届けずには、いられなかった。

 

「ぐぅぅ………ふーッ……ふーッ………」

 

 渚は平が痛みに悶える様子を上から眺めて、平のガンツスーツからオイルが漏れていることを確認した。

 

 そして、念の為に左手に持っていたXガンを躊躇なく振り下す。

 

「――――ッ!! うがぁぁああああああああ!!!」

 

 そして、その瞬間を狙い澄ましたかのように、残った力を振り絞って、平が渚に襲い掛かった。

 猛然と立ち上がり、自分が渚に対して唯一勝る、体格というその武器で最後の勝負を仕掛けた。

 

 渚は、そんな平を冷たく見据えて――Xガンを、見当違いの方向に(ほう)った。

 

「っ!!?」

 

 平は、思わずそのXガンに目を奪われる――そして、渚は、その瞬間を逃さなかった。

 

 暗殺者は――その数瞬を逃さない。

 

 左腰に下げていた、そのバトン型の漆黒のスタンガンを右手で抜いて、居合斬りのように、平の右脇に叩き込んだ。

 

 

「ギッ――ぁ――」

 

 

 平は、ゆっくりと、崩れ込む。

 膝を着き、そして前にゆっくりと、倒れ込んでいく。

 

 その時、脳裏に過るのは、愛する息子と、妻の姿。

 

 

――お父ちゃん

 

 

(……ゆず、ひこ…………あき……「こふッ!!」

 

 平がそんな回想に沈みゆくのを、渚は冷酷に阻害する。

 

 倒れ込む平の喉元に突き刺すように、漆黒のスタンガンを突きつけた。

 

「……………」

 

 渚は、スタンガンでぐいっと、平の顔を上に向かせる。

 

 白目を剥き、口を無様に半開きにさせた平を見て、渚は思った。

 

 この人は、自分の理想の父親だった。

 

 例え、何も出来なくとも、具体的な解決案を出せなくても、この人は、ずっと息子の傍に居ると言った。

 

 一緒に苦難に立ち向かうと言った。嫌われるのを承知で叱咤し激励してくれると言った。

 

 渚はずっと、そんな父親が欲しかった。父親に、父さんに、そんな風に一緒に苦難に――母親に立ち向かって欲しかった。

 

 それが叶わなくとも、母に敵わなくとも、せめて傍に居て欲しかった。

 

 一緒に、戦って欲しかった。

 

 だから渚は、この人に理想の父親を見た。

 

 そんな“父親”は、最後に渚に教えてくれた。

 

 

 渚は、この人から――殺意を、教わった。

 

 

 この人は、きっと渚達のことを憎くて殺そうとしたんじゃない。

 

 殺すことで、何かを――家族を、きっと、守ろうとした。この人の行動原理は、全てが家族だから。

 

 そんな殺意が、あることを知った。

 

 大事な人を守る為の殺意を、守る為に殺すという殺意を、渚はこの父親(ひと)に教わった。

 

 だから、渚はこの人に返す。教わったことを、実践する。

 

 

 大事な友達を守る為に、この父親(ひと)を殺そう。

 

 

 渚はちらりと神崎を見て――そして、笑う。

 

「っ!!」

 

 神崎は、その笑顔を見て、ドキッと息を呑んだ。

 

 その笑顔は、とても綺麗で――とても、恐ろしかった。

 

 素敵な、殺意に、満ちていた。

 

 神崎がその笑顔に心を奪われているその間に、渚は視線を平に戻す。

 

 聞こえているかは分からないが、渚はその笑顔のまま、平にそっと呟いた。

 

 

「平さん――ありがとうございました」

 

 

 バチチィ!! と、首に突き付けたスタンガンから、電流が平の身体を突き抜ける。

 

 がくっと、今度こそ倒れ伏せたが、所詮はスタンガンだ。ガンツ製とはいえ、確実に死に至るかは分からない。

 

 だから渚は、痙攣する平の身体を引き擦って、仰向けにし、その腹に爆縮式BIMを張り付けて、そして――

 

 

「さようなら」

 

 

 

――笑顔で、階段から突き落とした。

 

 

 

()りましたよ、“()()”」

 

 そうどこか晴れやかに、誇らしげに呟く渚の姿を、神崎はずっと見つめていた。

 

(……これが…………渚君……)

 

 自分が絶望した煉獄の地獄で、それでも彼は、不気味に、けれど美しく輝いていた。

 

 恐ろしい、けれど美しい。

 

 怖い、けれど――

 

「綺麗……」

 

 神崎は、そんな渚の姿を心に焼き付けながら、炎に囲まれて意識を落とした。

 

 渚は神崎の元に駆け寄ると、首筋に指を触れ、ほっと一息を吐くと、そのまま神崎の背中と膝裏に手を回し、隣のビルへと繋がるドアへと向かった。

 

 スーツの力は途中で切れてしまうかもしれないけれど、そうなったとしても、ゆっくりでいいから、運びきってみせようと渚は決意した。

 

 同級生のマドンナを抱える機会などもうないだろうから、カッコつけても罰は当たらないだろうと、そんなことを思いながら。

 

 渚は一度振り返り、誰も居なくなった、燃え盛る処刑場を眺めて――

 

「…………………」

 

 背を向けて、静かに、戦場を後にした。

 

 

 こうして潮田渚は、生まれて初めての殺人を経験した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 烏間惟臣と『死神』は、燃え盛る地獄で、見事な戦争を繰り広げていた。

 

 途中まで拳銃を向けていた烏間は、だがすぐに自分の射撃の腕では例えこの距離でも――否、この距離だからこそ容易く避けられてしまうと、決して銃弾を当てることは出来ないと悟った。

 

笹塚(かれ)程の腕前ならば分からないが――)

 

 そして即座に己の得意分野――格闘戦へと切り替えた。

 

『死神』は、その猛攻を上手くやり過ごしながらも、内心ではその格闘技術に舌を巻く。

 

(素晴らしい人材だとは認識していましたが、ここまでとは……。世界を見ても、彼程の戦闘力を持つものはおそらくは一握りでしょう)

 

 さて、どうしましょうか、と『死神』はガスマスクの中で額から汗を流しながら笑みを作っていると――

 

 

――ドゴ、ドガ、ドゴン、と、上階から何か重い物体が転がり落ちてきた。

 

 

『っ!』

「何だッ!?」

 

 烏間と『死神』は、戦闘を中断してそちらに目を向けると――その物体の正体は、気絶した平清だった。

 

「なっ!?」

 

 それを見て烏間は目を見開き駆け寄ろうとするが、その腹に何か接着されているのを見つけて――それが、唐突に爆発した。

 

 一気にBIMが爆縮し、真空状態を作り上げ、平の大きな身体が顔の上半分や手足の先のみをこの世に残し、この上なく無残に惨殺された。

 

 烏間はその爆発の衝撃と、その余りの死に様に呆然としかけるも、すぐに意識を取り戻し、辺りを素早く見渡す。

 

 

 だが、既に『死神』の姿は何処にもなく、烏間はただ一人、燃え盛るビルの中に取り残されていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

『死神』は、その時、既に隣接するビルの階段に移動しており、先程の光景を脳内で振り返っていた。

 

 あれは、間違いなく渚がやったもの――渚が()った死体(もの)だろう。

 

 彼は見事に、殺し屋としての――『死神』としての、その第一歩を踏み出した。

 

(まさか、あそこまで見事にやり遂げるとは……やはり、彼は面白い)

 

 その時、ビィィィイインという電子音が何処からか聞こえた。

 

 そちらの方へと向かってみると、既に肩の辺りまで転送されている――潮田渚の姿があった。

 

 神崎有希子は、すぐ傍で壁に寄りかかるような体勢で座らされている。どうやら咄嗟に転送が始まる前に手放したらしい。

 

『死神』はくすりと笑みを浮かべる。彼はどうやら姫君を最後まで、ビルの外までエスコートすることは出来なかったらしい。だが、今の『死神』はそこまでケチをつけるような気分ではなかった。

 

「――頑張りましたね」

 

 そう言って、『死神』は王子様の代わりに姫のエスコートを引き継いであげることにした。

 

 ビルの外に横たわらせておけば、烏間が見つけて保護してくれるだろうと。

 

 転送されていく渚に背を向けた『死神』の笑顔は、これまでの彼の戦略的な笑みと比べて、幾分か柔らかいようにも見えた。

 




そして潮田渚は、父親を殺し、殺意を学び――その身を『死神』へと変えていく。

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