比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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彼こそ英雄――黒の剣士です!!

 

 Side??? ――とある剣士の独白

 

 

 始まりは、只のありきたりな現実逃避だったのかもしれない。

 

 ある日、俺が勝手に踏み込んだせいで、知りたくもなかった事実を知った。

 

 

 この家の家族の中で、俺だけが本当の家族でないことを。

 

 

 迫害されていたわけではない。虐待など微塵も受けたことはない。

 義妹はその時は何も知らなかったし、義父も、義母も、実娘と――直葉と同じように、本当の息子のように、俺にもたくさんの愛情を注いでくれた。

 

 ただ、俺が逃げただけだ。勝手な疎外感を感じ、勝手な孤独感を感じ――VR(バーチャル)世界に逃げ込んだんだ。

 

 

 そして、俺はSAO――ソードアート・オンライン――に取り込まれた。

 

 

 そして、その世界で俺は、アスナと出会った。

 

 

 アスナだけじゃない。あの世界は、俺に多くの出会いをくれた。

 クライン、エギル、リズベット、シリカ、ユイ――そして、ヒースクリフ。

 

 あの世界で俺は、多くの掛け替えのない仲間と出会って、圧倒的な強敵に出会って、そして――剣士になった。

 

 剣士に、なれた。剣士で、いることが出来た。

 

 誰よりも、強く在りたかった。

 あの残酷な世界で、たった一人で生き残るには、強くなるしかなかったから。

 

 安全な街の中で平穏に暮らすという選択肢はなかった。

 

 ビーターという悪名が、何よりも俺自身が、そんなことは許さなかった。

 

 はじまりの街で見捨てたクライン。そして多くの初心者(ニュービー)達。

 ゲーム開始直後にこの世界に絶望し、自ら命を絶った二千人の人々。

 そして、第一層攻略パーティのリーダー――ディアベル。

 

 その時、既に俺は、死ねない理由を、戦わなくてはならない理由を――強くならなくてはならない理由を持っていた。

 

 強さを求めた。たった一人で、あの死と隣り合わせの鋼鉄の城を生き抜き、その頂上に辿り着く為の強さを。

 

 二年間の戦いの中で、死ねない理由が増えていった。戦う理由が増えていった。

 

 俺のせいで壊滅した月夜の黒猫団――必ず守ると誓ったのに、死なせてしまった幸せの名を持つ少女。

 迷いの森で出会った、どこか義妹(すぐは)を思い起こさせる、竜使いの年若い少女。

 豪雪の雪山で共に遭難した、闇を払う剣を託してくれた気風の良い鍛冶師の少女。

 

 俺達の前に現れた朝露の少女――俺と彼女の、かけがえのない娘。

 

 そして、生まれて初めて出会った、己の全てを明け渡し、命を捧げたいと思う程に恋し愛した閃光の少女。

 

 

 アスナ――彼女の為に生きたいと思った。彼女を必ず帰すと誓った。

 

 

 戦わなくてはならない。強くならなくちゃいけない。

 

 今度こそ、絶対にこの誓いを守り抜くと、アスナだけは、どんな魔の手からも守り抜き、愛し抜くと、俺は――

 

 

 ご め ん ね

 

 

 さ よ な ら

 

 

――…………俺は………………俺は、俺は、俺は俺は俺は――ッッッ!!!

 

 

『ああ……甘い、甘いッ! ほら、もっと僕のために泣いておくれよ!!』

 

 強くなりたい。

 

 誰よりも強く、強く、強く、強く。

 

 この世の何からもアスナを守れるように。どんな魔の手からもアスナを救えるように。

 

 どれほど絶望的な窮地だろうと、深淵の暗闇だろうと切り裂いて祓えるような、そんな強い剣士になりたい。

 

 

『……キリト。お前は、あとで、ちゃんと殺す』

 

 強くなりたい。

 

 何よりも強く、強く、強く、強く。

 

 過去は消えない。罪は消せない。俺は人を殺した――その事実はなくならないし、決して忘れてはならないことだ。

 

 だから、強くなりたい。罪科の十字架に押し潰されない程に――それを背負い、受け止めながらも、倒すべき敵に立ち向かい、そして屠れるような、そんな剣閃を振るうことが出来る、そんな強い剣士になりたい。

 

 

『ヒャーハッハッハ!! ねぇよ!! お前の背中には、もう剣なんかねぇんだよ!!』

 

 ……弱い。俺は弱い。

 

 どれほどアバターのレベルを上げても、VR世界で華麗に剣を振るうことが出来ても、所詮は仮想(バーチャル)強さ(ステータス)に過ぎない。

 

 現実世界の桐ケ谷和人は、注射器一本で死んでしまうような、何の力もない、只の貧弱なガキでしかなかった……っ。

 

 

『私こそ、ゴメンね。……君をずっと、永遠に守り続けるって約束……また、守れなかった』

 

 だから俺は、あれほど守ると誓った明日奈を、あんな風に危険に晒した。

 

 俺が弱いから。どうしようもなく弱いから――結城明日奈を守れなかった。

 

 こんな情けない存在が、【黒の剣士】? 【英雄キリト】? 笑わせる。

 

 

 桐ケ谷和人は、たった一人、この世の何よりも大切な愛する人を守れない程度の弱者じゃないか。

 

 

 強くなりたい。

 

 

 強くなりたい。強くなりたい。強くなりたい。

 

 

 この世の何からもアスナを守れるように。どんな魔の手からもアスナを救えるように。

 

 どれほど絶望的な窮地だろうと、深淵の暗闇だろうと切り裂いて祓えるような、そんな強い剣士に――なりたい。

 

 

『ヒャーハッハッハ!! ねぇよ!! お前の背中には、もう剣なんかねぇんだよ!!』

 

 ……そうだ。

 

 この手に剣を持たない俺など、只の弱者だ。剣を持たない俺になど意味はない。剣士でない俺になど何の価値もない。

 

 剣だ。俺は、剣士になりたい。

 

 どんな世界の誰よりも強い剣士に。どんな絶望すらも斬り祓える剣士に。

 

 

 最強の剣士に、俺はなりたい。

 

 

 全てを剣に捧げ、剣に生き、剣に死ぬ。

 

 愛する人を守る為、愛する人の為に生きる為、愛する人の為に死ぬ為に。

 

 

 万人を救う英雄キリトなんかじゃなくていい。奇跡を起こす黒の剣士じゃなくてもいい。

 

 

 俺は。

 

 

 剣士に、なりたい。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 Side和人――とある駅の出口付近

 

 

 陽乃は遠巻きに、歓声を上げる人達の外側からそれを眺めていた。

 

 既に、吸血鬼共は此処にはいない。

 邪鬼と和人の戦いに恐れをなして逃げるか、あるいは巻き込まれて、またある者は和人(ハンター)を殺そうと向かって行って返り討ちに遭っていた。

 

 陽乃もこっそりと、こちらに向かってきた数体をXガンで仕留めている。

 

 故に今、あの戦いを見守っているのは、吸血鬼達に凌辱され、蹂躙されて、身も心もズタズタに踏み躙られ、絶望していたか弱い人間達だけだ。

 

 そんな彼等に囲まれるように、池袋駅東口――この地獄の革命の号砲が放たれたその場所で、絶望と恐怖の象徴たる牛頭の怪物を相手に、一人の黒衣の少年が紫光の剣で立ち向かっている。

 

 件の少年の、民衆の儚い希望を背負うその一身は、余りにも小さかった。

 

 強者の雄叫びを轟かす、己の倍以上の体躯の牛人に向かって、それでも少年は戦い続ける。

 

 ふらふらと、今にも倒れ込みそうな有様で、紙一重で攻撃を避け続けて、その小さな身躯に裂傷をみるみる増やしながら、それでも少年は、目の前の怪物に立ち向かい続ける。

 

「グルォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

「おおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 怪物が咆哮する。少年が吠える。

 

 誰もが恐怖する異形の怪物に向かって、たった一本の剣だけを携え、小さな少年が勇敢に立ち向かって行く。

 

 その姿に、民衆は熱狂し、目を奪われ、心を掴まれる。

 

 この光景は、まさに英雄譚の一(ページ)

 

 誰かが、ポツリと呟く。

 

「……黒の、剣士だ」

 

 そう呟いた人間は、元SAO生還者(サバイバー)だったのか、それとも、今、この戦争を見て、その言葉が心に浮かんだのかは分からない。

 

 だが、陽乃はその言葉を聞いて、不敵に口角を吊り上げた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

『……黒の、剣士だ』

 

 誰かが呟いたこの言葉は、明日奈達の見ているテレビ画面にこの戦争の映像を届けているカメラも拾っていた。

 

 その呟きを聞いて明日奈達は、その心の騒めきを大きくする。

 

「な、なんで! どうしてキリトさんが、あそこにいるんですか!?」

「何やってんのよ、アイツ……どれだけ、わたしたちに心配かけたら気が済むのよっ!」

 

 珪子が、里香が、震える声でそう叫ぶと、直葉は涙を浮かべながら、ユイがいる携帯端末をギュッと握り締める。

 

「こ、これって、ゲームじゃないんですよね……GGOの時みたいに、どこかのVR世界の映像を、映してるわけじゃ、ないんだよね……」

『……はい。調査の結果、この映像は……まさしく今、現在の池袋の映像を、ライブ放送していることが分かりました』

 

 そしてユイは、AIながら、辛そうに、泣きそうに、父親の暴挙に心を痛めている娘のように、言った。

 

 

『パパは……今、戦っています。……現実世界の池袋(せんじょう)で……あの……怪物と――』

 

 

――命を、懸けて。

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、直葉は泣きながら端末を抱き締める。

 そんな直葉の肩を、詩乃は優しく抱き締めて――

 

――明日奈はバッ! と、パジャマ姿のままベッドから降りようとした。

 

「ちょ、ちょっとアスナ! 何してるのよ!」

「決まってるじゃない!!」

 

 明日奈を止めようと肩を掴んだ里香の手を振り払い、明日奈は叫ぶ。

 

「池袋に行くのよ! キリトくんが戦ってる! 命懸けで! あんなにボロボロになって! だったらわたしは!! キリトくんの! キリトくんの傍に――」

 

 パァン! と、詩乃が明日奈の頬を叩いた。

 

 呆然とする明日奈と里香達だったが、明日奈はすぐに表情を険しく歪め、詩乃を問い詰める。

 

「何するのよシノのん! どうして――」

「……池袋に行ったって、あの中に侵入れるわけないでしょう」

 

 だが詩乃は、激昂する明日奈に対して、淡々と冷たく事実を、現実を告げる。

 

「警察だって馬鹿じゃない。今頃はあの化け物達を抑え込む為に、あの周囲は封鎖している筈よ。それに、此処から池袋までどれだけかかると思ってるの。あなたがあそこに着く頃には、もう全部が終わってるかもしれない」

「――ッ! でも――」

「今! わたしたちがするべきことは!」

 

 詩乃は、明日奈以上の大声を上げて、明日奈の両肩を掴んで、俯きながら病室の床に向かって叫び、そして、顔を上げて、瞳に涙を浮かべながら、掠れるような声で、明日奈に言う。

 

「あそこで、あんなに一生懸命に戦ってる馬鹿を……あの馬鹿の、命懸けの戦いから……目を逸らさないで……応援してあげることでしょう? あの馬鹿が――キリトが、生きて帰ってくることを……祈ることしか……できないでしょう?」

 

 詩乃のその言葉を聞いて、珪子も、里香も、直葉も、顔を俯かせる。

 何も出来ない自分が悔しいのは明日奈だけではない。居ても立っても居られないのは明日奈だけではない。

 

 ここにいる誰もが、自分達が大好きな桐ケ谷和人の無事を祈り、心中に渦巻く恐怖と戦っている女の子達なのだ。

 

 明日奈はそれを理解し、「……ごめん、シノのん。リズ。シリカちゃん。直葉(リーファ)ちゃん。ユイちゃん」と、俯きながら謝罪し、みな瞳に涙を浮かべながら首を振る。

 テレビの真ん前に戻って、ベッドに腰を下ろした明日奈の肩を、後ろからリズが支える。

 

 そして明日奈は、テレビカメラマンも目を奪われているのだろうか、臨場感あふれるカメラアングルで撮影されているその映像を、愛する人と怪物の戦争を、ギュッと両手を握り締めながら見守った。

 

(………頑張って………死なないでっ! キリトくん!!)

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 身体の重さを感じなかった。

 否、既に身体という縛り、制約を感じず、ただ無心に剣を振るっていた。

 

 まるで幽体離脱を行い、天の目線から身体を動かしているかのように――それこそまさに、自分が異空間でコントローラを握り、自分というアバターを自由自在に動かしているかのように。

 

 こんな時も、こんな極限でもゲームかと、和人は思わず笑みを浮かべる。

 

「……笑っ……てる?」

 

 左肩をだらりと下げ、額から流れる血で右目を塞がれている民衆の一人が呟く。

 だが、和人には既にそんな声も、いや、これだけ大気を震わせている民衆の歓声すら聞こえない。

 

 今の和人の世界にあるのは、己と、怪物。それだけで完結していた。

 

 この怪物を殺す。和人の頭には、身体には、魂には、それだけだった。それだけが全てだった。

 

 魂が燃え盛る。殺せ! 殺せっ! 殺せッ!!

 

 勝つんだ。倒すんだ。強く、なるんだッッ!!

 

「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「グルォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 牛人の不気味な程に長い腕が、大薙ぎに振るわれ和人を襲う。

 和人は身を屈めることで己の黒髪を擦過したそれを避け、そのまま懐に入り込み、光剣を振るう。

 

 紫閃は牛人の胸の皮膚の表面のみを切り裂き、吹き出た血液によって、和人の視界が一瞬、汚い赤に染まる。

 

 だが、和人は目を閉じない。一瞬でもこの怪物から目を逸らしたら、目視することから逃げたら、その瞬間に自分の敗北は――死は、確定する。

 

「ガァァアアアアァァアアアアアアァァァァアアアアアアア!!!」

 

 雄叫びを上げた牛人は、そのまま左腕で懐に潜り込んだ和人を刈ろうと――狩ろうとするが、和人はその足が長い分大きな隙間となっている股下から滑り込み、再び距離を取る。

 

「カァッ! ……ハァ! ……ハァ! ……ハァ! ……」

 

 和人の体力はとっくに底を突いていた。

 体力だけではない。ギリギリの攻防を何度も潜り抜けたことによる精神力も、幾多の戦いを終え無数に負った傷によるダメージも、とっくの昔に限界だった。

 

 膝は震え、腕は垂れ下がり、意識が薄れ、油断すればすぐにでも瞼も落ちてしまいそうだった。

 これほどの緊張の場面なのに、眠気すらも感じる。

 

「…………………………………」

 

 最早、これ以上、戦闘を引き延ばす余力など和人にはなかった。

 

(…………やるしか――ないッ!)

 

 和人はブンッ! と紫光の刀身を後ろに下げ、残った力の全てを引き絞り、雄叫びを上げながら牛人に向かって特攻する。

 

「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 それに対し牛人も、その長い手足に似つかわしくない四足の体勢をとり、がすっ、がすっと闘牛のように何度か後ろ足を蹴り出しながら、たった一歩でトップスピードに乗り、突進した。

 

 

「………バカだね」

 

 

 陽乃は、その激突の瞬間、冷たい眼差しでそう呟いた。

 

 

 

 そして和人は――錐揉み回転しながら、天高く吹き飛ばされた。

 

 

 

 その瞬間、病室は絶望に包まれる。

 

「――――ッッ!! キリトくん!!」

 

 

 陽乃は、和人が最後に、残った全ての力を振り絞って一撃に賭けるという選択をした瞬間、この勝負の勝敗は決したと悟った。

 

 それはあの最強の黒金が、自分に対して行ったのと同じ選択。

 

 もちろん、その意味合いはまるで違う。

 

 黒金は己の美学の為に。そして和人は最後の希望に賭ける為に。

 

 陽乃は、その強者の慢心に漬け込むことで、実力で敵わない相手にジャイアントキリングを起こした。

 だが、そんな奇跡は、そう何度も起こるものではない。

 

 一騎打ちは、基本的に、その実力差がそのまま(けっか)として現れる。

 

 確かに、既に和人は限界だったのだろう。だが、易々と一撃勝負に出たのは、恐らくは心の中に邪念があったはずだ。

 

 この死ぬほど辛い戦争から、早く解放されたい――そんな気持ちが。そんな弱音が。

 

 本来敗北する予定の弱者が、生き残る為の思考を止めた末の選択に、勝利の女神が微笑む筈がない。

 

 世界は、この冷酷で冷徹な世界というものは、そんなに易しく――優しく、ない。

 

 陽乃はその瞳を、スッと細めた。

 

(……ここまで、かな?)

 

 そして、牛人はくるくると回転しながら落下してきた和人の左腕に、その凶悪な顎で喰らいついた。

 

 民衆からどよめきが漏れる。病室の明日奈達も悲鳴を漏らした。

 

 そして、牛人はそのまま地面に叩きつけようとすると――

 

 

 

――ザバッ! と、桐ケ谷和人は己の左腕を斬り落とした。

 

 

 

 瞬間、あれほど荒れ狂っていた民衆が、そしてテレビの向こう側の明日奈達も、息を呑んだ。

 

「――――!」

 

 あの陽乃も、細めていた瞳を大きく見開く。

 

 そして和人は、そのまま空中で光剣を横薙ぎに振るい――

 

 

――牛人型邪鬼の首を、紫光の一閃で斬り飛ばした。

 

 

 まるで時間が止まったような静寂。

 

 ドガッ! と、和人が受け身すら取れず地面に倒れ込み、牛人邪鬼が、首が落ち、首を失った巨躯が、ズズズーンッ! と倒れ込んだ所で、ようやく――

 

 

 ワッ!! と、民衆の歓喜が膨れ上がった。

 

 

『や、やりましたッ! やりましたッ!! やってくれましたッッ!!! 謎の黒い服を纏い、ライトセイバーのような武器を持った謎の少年が! あの! ミノタウロスのような恐ろしい怪物に勇敢に立ち向かい! そして! 遂に奇跡を起こしてくれました! 我々を! 我々を助けてくれました! 英雄! 彼こそまさしく英雄です! 黒の剣士! 彼こそ英雄――黒の剣士です!!』

 

 カメラマンが興奮冷めきらないとばかりに歓喜と賞賛の声を送り続ける。

 

 病室では、明日奈達が歓喜と混乱で慌てふためいていた。

 

「か、勝った! お兄ちゃん勝った!! すごい! やった! あ、で、でも、腕が! お兄ちゃん左腕が! あ、あれ!? どうしよう、どうしたらいいの!? 救急車!? お医者さん! あ、でも、ここ病院だし! あ、あの! すいません!! 誰か! いませんか! お兄ちゃんが! お兄ちゃんがぁ!」

「すごい! すごい! 勝ったやったやったぁ! さすがキリトさん! キリトさんやったぁ! あ、で、でも腕が! 左手がどうしよう! どうしようズバってどうしよう! 大変! どうしようどうしよう! り、リズさん! キリトさんが! キリトさんがぁ!」

「あー! もうー! 直葉もシリカも落ち着きなさい!」

 

 直葉と珪子を落ち着かせようとする里香も、だが、その表情はとても落ち着いているとは言えない。

 詩乃も、ほっとはしたが、それでもその表情は険しいままだ。

 

 怪物との死闘に勝利したとはいえ、あそこまでバッサリと腕を斬ったりしたら、恐らくは封鎖されているであろうあの場所に救急車が駆けつけるまで、果たして人は――キリトは持つのだろうか。

 

 ユイが『一刻も早く救急車が駆けつけるように手配します! お願い! パパ、死なないで!』と涙声で叫んでいるのを聞きながら、不安を誤魔化すように、詩乃は明日奈に目を向ける。

 

 すると、テレビから更なる声が届いた。

 

『怪物を倒した英雄の少年は、未だ立ち上がりません! 大丈夫でしょうか!? あ、今、彼に救われた民衆が彼の介抱に向かいます! お願いします! この放送を見ている警察の皆さん! 自衛隊の方々! 一刻も早い助けを求めます! 彼を! 我々を救ってくれた英雄を助ける為に! どうか――――うわぁッ!!』

「――――ッ!!」

「え、何ッ!?」

 

 テレビから突然、空気を切り裂くような音が響き、和人に駆け寄ろうとしていた民衆がザッ! とその道を開けた。

 

『な、なにやら物凄い音が響いた後、人々が突然何者かに道を開け始めました。……あっ! そこから何やら女性が――あの英雄の少年と、おそらくは同じものであろう黒い全身スーツを着た、恐ろしく美しい女性が、少年の元へと歩み寄っています! 彼の仲間なのでしょうか?』

 

 明日奈は、その光景を食い入るように見ている。

 

(……キリトくんの、仲間?)

 

 

 自分が知らない、全く見たこともない、遠目だけれど、それでも物凄い美人だと分かる女性が、自分の知らない事情を和人と共有しているであろう女性が、和人に歩み寄っていく。

 

 陽乃は、左腕を斬り落とした場所を押さえ込みながら、粘つきのある唾液を口から悶えるように吐き出す和人を、見下ろすように傍に立つ。

 

「桐ケ谷君、まだ生きてる?」

「……陽、乃さん……無事、だったん……ですね……よかっ……た」

「少なくとも君よりはね。立てる?」

「は、はは。……少し、厳しい、ですかね」

「全くしょうがないなぁ。今回だけだよ」

 

 そう言って、陽乃は和人の残った右腕を自分の肩に回し、起き上がらせる。

 

「――ッ!」

 

 それを見て、明日奈は思わず唇を噛み締めているのを自覚した。

 

 嫉妬をする場面ではないことは分かっている。和人は今、とんでもない重傷を負っていて、彼女はその介抱をしてくれているのだということは。こんなテレビの向こう側で歯噛みすることしか出来ない自分よりも、今は彼女が彼にああしてあげるべきだということが。

 

 それでも、妬ましかった。

 

 自分が知らない彼の何かを知っている彼女が。自分と違って彼と同じ場所で戦っていただろう彼女が。何か小声で、自分が理解できないであろうことを共有している彼女が。傷ついた彼を支え、密着しているのが、自分ではない、別の美しい女性の彼女だということが。

 

 悔しくて、悔しくて――途轍もなく、悔しかった。

 

「さて、どうしよっか。このままじゃあ、文字通りの意味の英雄(ヒーロー)インタビューが始まっちゃいそうだね」

「……どう……しましょう……か…………ガンツの……ことは……まだ……話すべきじゃ……ないと……思うん……ですけど」

「そうだねぇ。でも、さすがにそろそろだと思うよ」

 

 そう言って、陽乃はマップを彼に見せる。

 差し出されたそれを見て和人は、声に出さず、ただ静かに瞠目した。

 

 画面には、青点は全て消え、赤点が戦場に点々と表示されている画が表示されていた。

 

「………」

 

 陽乃も、おそらくは八幡であろう赤点が残っているのを確信して、内心でほっと一息を吐つく。

 

 つまりこれは、全てのノルマのターゲットを殺し終えていることを意味していて――

 

「っ!」

「来たね。何気にこれ初だよ、わたし」

 

 陽乃と和人の頭上に、天から光が照射された。

 

『な、これは一体どういうことでしょうか!? あ……ありのまま、今、起こっている事を話します! 天から突然、二筋の光が降り注いだと思いきや、英雄の少年と、その仲間だと思われる女性の頭上に照射され……そして……そして、その身体が――消えていきます! 頭のてっぺんから、徐々に、徐々に……消失していきます! な……何を言っているのか、分からないとは思いますが、私も何が何だからさっぱり分かりませんっ! もう頭がどうにかなりそうですっ! 一体、今日は何て日だッッ!! 催眠術だとかそんなちゃちなものじゃ決して――』

 

 テレビカメラマンが混乱しながら喚き散らす言葉も、明日奈達にはさっぱり耳に届いていなかった。

 

 彼女達も、同じくらい衝撃を受け、そして混乱していた。

 

「……何が、起こったんでしょう? ……いえ、何が起こってるんでしょうか?」

「………お兄ちゃんが……お兄ちゃんは、助かったんでしょうか?」

「分かんない……もう、訳が分かんないわよ……」

 

 珪子と直葉と里香が困惑する中、詩乃は明日奈の後ろ姿を見ていた。

 

「………………」

 

 明日奈は、何も言わず、ただテレビ画面を睨み付けるようにして見入っていた。

 

 ギュッと強く、強くベッドのシーツを握りしめているその手が、何故か詩乃には、とても不安に思えた。

 




桐ケ谷和人は、こうして――現実世界で、取り返しのつかない英雄譚の一頁目を紡ぐ。

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