比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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小町は、お兄ちゃんが大好きだよ

 たった一人の、妹だった。

 

 たった一つの、こんな俺に残された、最後の、守り抜きたい、大切な存在だった。

 

 雪ノ下雪乃を壊し、由比ヶ浜結衣を傷つけた。陽乃さんだって、俺は一度――死なせてしまった。

 

 そんな俺でも、そんな俺だからこそ、小町だけは、絶対に守り抜きたかった。巻き込みたくなかった。けれど――結果として、やはり小町も巻き込んでしまった。

 

 

 だから俺は、今回のミッションを終えたら、あの家から出ていくつもりだった。少なくとも、カタストロフィが片付くまでは。もう二度と、小町と会うつもりはなかった。

 

 大志を殺す俺は――これからも、多くの命を奪うだろうこんな俺は、もう小町の兄だと、名乗る資格はないと思っていた。

 

 だけど、それでも、小町が兄だと思ってくれなくても、俺にとっての小町は、掛け替えのない、たった一人の妹だから。

 

 胸を張って名乗れることはないのだろう。金輪際、有り得ないのだろう。俺はもう、既にそんな存在では在り得ないのだろう。

 

 

 それでも俺は、小町の兄だから。たった一人の妹で、たった一人の兄だから。

 

 

 絶対に、守り抜くと誓っていた。

 

 この誓いだけは、この決意だけは、何があっても、何があろうとも、自分の命などいくらでも懸けて――世界を敵に回しても、守り抜く覚悟だった。

 

 その為なら、なんだってして見せると――小町が俺の元から去っても、小町が俺から逃れる日が来ても、俺は小町を守ると、俺は、きっと、小町を、守り切って、守り抜いて、絶対に、俺は、どんなことでも、どうなったとしても、何からも、全てから、世界から、俺は、俺は。

 

 なのに――なんだこれは? どういうことなんだこれは?

 

 

 

――やめてぇ! お兄ちゃん!!

 

 

 

 どうして――何が――一体――――これは――どうして――

 

 

 

 ギュイーン

 

 

 

 

      と

 

 

 

 甲高い    発射音と

 

 

 

 

   青白い        閃光     

 

 

 

 

         が

 

 

 

 

 

 

 どうして……   

 

 

 

 

 

        どうして、俺は――

 

 

 

 

 

 俺――は――

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

――お兄ちゃん。大好きだよ

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 バン――――と。

 

 

 

 鮮血と――肉片が――俺の顔に、飛び散った。

 

 

 俺は、小町の屍体に、塗れた。

 

 

 

 …………………………なんだ?

 

 

 

 

 

 なんだ、これは?

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」

 

 

 小町の亡骸を、白い外殻を纏った怪物が抱き締めて吠える。

 

 怪物は――大志は、俺に向かって、先程までは人間と同じ色だった瞳を真っ赤に染めて、血の涙を流して、俺に向かって、俺に向けて、吠えた。

 

 

「どうしてだッ!! どうして彼女を撃った!?」

 

 

 大志は、怪物は、その白い外殻をみるみる内に変化(へんか)させ、禍々しく変化(へんげ)させ、俺に牙を剥けて咆哮する。

 

 

「どうして比企谷さんを撃ったッ!! 妹だろう!? あなたの妹じゃないか!! どうしてっ……なんで小町さんを殺したんだッッ!!!」

 

 

 ……ころ、した?

 

 

 俺が……小町を……殺した?

 

 

 大志に抱かれている小町は、背中が吹き飛んでいて血塗れで、あれほど強く抱き締められても、ぐったりとして死んでいるかのように動かなかった。

 

 

 死んでいる……死んでいる?

 

 

 なんでだ? どうして……小町が死んでいる?

 

 

 

 ああ、殺したんだ。

 

 

 俺が――殺したんだ。

 

 

 殺した――俺が殺したんだ。このXガンで。小町を撃った。妹を撃った。殺した。死んだ。俺が。小町を。嘘だ。真実だ。殺した。守ると。誰が。小町を。誓った。俺が。死んだ。小町が。俺が。俺が。俺が俺が俺が俺が俺が俺が 俺が  俺が俺が 俺が 俺が俺が俺が俺が 俺が 俺が  俺が  俺が俺が    俺が俺が 俺が俺が 俺が 俺が 俺が 俺がががががががががががががががががががががががががが

 

 

 

 

 小町を――――――コロシタ。

 

 

 

 

「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 立ち上がった大志が、化け物の力で俺を殴り飛ばした。

 

 スーツは既に死んでいる。身体に激痛は走っている筈だ。

 

 だが、何も感じない。痛みを感じない。こんなにも痛い筈なのに。

 

 頭の中では、未だに小町を殺したというその事実だけが、グルグルとぐるぐるとぐちゃぐちゃにグチャグチャに渦巻いている。

 

 立ち上がれない。体に力が入らない。変な形で痙攣している。ごふっ、と血を吐き出した。

 

 真っ白な外殻に覆われ、涙を流す大志が、俺の上に跨り、拳を握って――俺を殴りつけた。

 

 大志は、何度も、何度も、何度も俺を殴りつける。泣きながら、喚きながら、人間のように、駄々をこねるように――悲しみながら、殴り、殴り、殴りつけ、殴り続ける。

 

「どうして! どうしてだよ!! 俺を殺してくれるんじゃなかったのか!! なんで比企谷さんなんだよ!! なんで、なんで、なんでなんでなんでぇッ!! なんでぇぇぇえええええ!!! 化け物は俺だ!! 俺だろうがッ!! 比企谷さんは関係ない!! 彼女は……関係ないッ!! 絶対にッ!! 彼女は絶対にッッ!! 幸せに――ならなくちゃいけなかったのに!!」

 

 そうだ。小町は関係ない。小町はこんな、無残な戦争にはまるで無関係な筈だった。

 

 笑顔が似合って、天使で、可愛くて、天使で、生意気で、でも天使で、要領が良くて、小悪魔で、時々俺のことをごみいちゃんと呼んでくるけど、けどやっぱり天使だった。

 

 幸せにならなくちゃいけなかった。幸せになるのが当然で、不幸になるなんてあってはならなくて、まして――

 

 

――死んでしまうなんて、有り得ない。有り得てはならなかった。

 

 

 殺されるなんて、絶対に有り得ない。有り得ない。有り得るか。有り得てたまるものか。

 

 ふざけるな。そんなことは認められるか。

 

 

 誰だ? 小町を殺した奴は誰だ? 

 

 そんな奴は許されてはならない。誰が許しても、世界中が擁護しても、俺だけはソイツを絶対に許さない。

 

 

 死ぬべきだ。殺されるべきだ。この世で最も惨たらしく死ぬべきだ。この世で最も惨めに死ぬべきだ。この世で最も悲惨に惨憺に凄惨に惨烈に死ぬべきだ。

 苦しめて、痛めつけて、殺して、殺して、殺すべきだ。殺して、壊して、殺害して、蹂躙して、凌辱して、破壊して、虐殺すべきだ。

 

 

 

 

 そうか――俺は、死ぬべきだ。

 

 

 

 

「――なんで! なんで、ナンデッッ!!! ナンデダァァァアアアアア!!」

 

 

 大志が一際強く、渾身の一撃を俺に叩き込む。

 

 

 だが、足りない。まるで足りない。こんなもので――許されてたまるものか。

 

 

「……ころ……せ……」

 

 

 俺は、腫れ上がった顔の筋肉を無理矢理動かす。ズタズタに頬が切れて、血が喉に詰まって上手く言葉を発せない。

 

 駄目だ。早く発しろ。早くしなくては。早く、早く、早く――

 

 

「……ころせ……俺を――」

 

 

 

――殺してくれ

 

 

 

 その言葉と共に、俺の目から、何かが流れた気がした。

 

 

 そして、俺の意識が、ゆっくりと薄れていく。

 

 

 

 

 ……ごめん。

 

 

 

 

 

 ごめんな、小町。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――ちゃん! お兄ちゃん!」

 

 

 ……ん~。誰だ。俺の愛する布団との愛の語らいを邪魔する奴は。

 この温もりを手放すなど考えられん。布団……俺のことを分かってくれるのは、やはりお前だけのようだ。これからも存分に俺のことを甘やかしてくれ。

 

「お兄ちゃん! いい加減にしなさい! 炬燵で寝ると風邪引いちゃうよ! つい数十分前にお兄ちゃんが小町にそう言ったんでしょ!」

 

 小町がゲシゲシと炬燵の中で俺の足を蹴り飛ばしながら言った。

 

 ……そうか。この温もりは炬燵だったのか。俺の布団への愛を揺るがすとはやるなこやつめ。だが、駄目人間製造機とも名高い炬燵と、駄目人間としての完成度が著しく高い俺の相性は案外最高なのかもしれない。ゴメン炬燵、俺、本当の愛にやっと気づいたよ。これからも末永くよろしくな。え? 布団? ああいい奴だったな。今頃は冷たい部屋の中で冷えきってるんじゃないの? 俺達の愛のように。……我ながらキモいな。

 

「……ふっ」

「うわ、お兄ちゃん、何、急に笑って。キモいよ。あ、キモいよ」

「二回言わないで、大事なことじゃないから」

「そうだね。分かりきったことだもんね。繰り返すほどのことじゃなかったよね」

「小町ちゃんも冷たい……」

「も?」

 

 そんな風に兄妹の軽いスキンシップを取ると、炬燵で寝たからか、俺はちょっと喉が渇いていてマッ缶が飲みたくなったが、愛する炬燵の元から離れるなど考えられないので、そのままもぞもぞと炬燵の中に両手を突っ込む。

 

 すると小町がそんな俺の挙動不審な様子を見て、眉を顰めながらじとっと睨み付ける。あらやだ可愛い。うちの妹か~わ~うぃ~うぃ~。

 

「もう、どうしたのさ、今日のお兄ちゃん。小町が帰ってきたらソファでバタバタバタ足してるし、いきなり『放っておいてくれ。お兄ちゃん、今ちょっとアイデンティティクライシスだから』とか言ってくるし。本当に大丈夫? 頭」

 

 なんだソイツきもっ。そして面倒くさっ。え? 俺、そんなこと言ってたの? そして小町ちゃん、さりげなくお兄ちゃんの頭をディスらないで。

 

 ……まぁ、記憶にはないが、小町が言うにはそうなんだろう。ちょっと釈然としないが。

 

 そう思っていると、小町は急に、さっきまでの不機嫌な顔が嘘のように、にししと笑い出す。ここでおいキモいぞ、なんて言うと百倍返しされて、更に親父と母にチクられてお年玉を落とされなくなる可能性が微レ存なので、ここは素直に問うてみる。

 

「おい、何笑ってんだ?」

「ん~? いやぁ、それでも、そんな風にいつも通りキモいお兄ちゃんを見るのは久しぶりだなぁって。生徒会選挙が終わってからも、お兄ちゃんなんか元気なかったし」

「…………」

 

 小町はそんな風にいたずらっぽく笑ってから、しゅっと炬燵の呪縛から抜け出して、未だ炬燵に捕らわれ続ける俺の背中に回って、ひょいっと抱き付いてくる。

 

「ん? なんだ? 随分珍しいな。こんな風に甘えてくるなんて」

「んふふ~。べ~つに♪」

 

 そう言って小町は、猫のように俺に擦り寄って、俺に優しく語り掛けてくる。

 

「……結衣さんと雪乃さんと、仲直り出来た?」

「……別に喧嘩してたわけじゃねぇよ」

「そっか~♪ そっか~♪」

 

 小町は俺の言葉などまるで無視して、ご機嫌にぐいぐいと俺に体重を掛けてくる。こら、やめなさい、嫁入り前の娘がはしたない。小町は嫁には絶対に出さないがな!

 

 そして小町は、きゅっと俺に抱き付く力を強くして、慈しむような声で囁く。

 

「……よかったね、お兄ちゃん」

「…………」

「……お兄ちゃん。小町は、お兄ちゃんが大好きだよ」

 

 小町は、静かに、俺の中に染み渡らせるように言った。

 

「お兄ちゃんは捻くれてるし、面倒くさいし、格好つけだし。……それでも、いつも小町の傍に居てくれて、大事な人の為なら頑張れて、誰よりも優しい、小町の自慢のお兄ちゃんなのです!」

「お、おい、本当にどうしたんだ? 小町?」

 

 いや嬉しいけど。泣いちゃいそうだけど。急にどうしたんだ? え、死んじゃうのん? そしたら俺、号泣するよ。そして神的なものに喧嘩を売るまである。

 

「いつかきっと、そんなお兄ちゃんのことを好きになってくれる人が出来るよ。ううん、もう現れてるかも! お兄ちゃんが気付かないふりをしてるだけでね」

「……おいおい、ブラコンが過ぎるぞ小町。そんな奴がいるわけ――」

「だから」

 

 小町は静かに、けれど強くそう言うと、自分の温もりを俺に伝えようとするように、優しく、更に強く、抱き付く。

 

 あるいは、残そうと――何かを、遺そうと、するように。

 

「そんな人を見つけたら……お兄ちゃん――幸せになって。……小町のこと、忘れても構わないから。あ、今の小町的にポイント高い!」

「……小町?」

「幸せにならないで死んじゃったら、絶対に許さないよ! 小町的に超ポイント低いんだからね!」

「小町! 小町!」

 

 何故か、後ろが振り向けない。小町の顔を、見ることが出来ない。

 

 背中に感じてた小町の重みが、温もりが――ゆっくりと消えていく。

 

 

 ……いやだ。いやだ。いやだっ! 待ってくれ! 逝くな! まだ逝かないでくれ、小町!

 

 

「ありがとう――お兄ちゃん。小町ね……」

 

 

 

 お兄ちゃんの妹で、すっごく幸せだったよ!

 

 

 

「――――ッッ!! 待ってくれ! 逝くなぁぁあああああ!! 小町ぃぃいいい!!」

 

 

 俺は、虚空に向かって手を伸ばし――()()()()()

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ビィィイイイイイイイン、という電子音と、見慣れた――黒い球体の部屋。

 

 

「………………八、幡」

 

 

 こちらを呆然と見つめる陽乃さん。

 

 そして、桐ケ谷、新垣、渚、東条、パンダ――そして、湯河とかいう少女。

 

 

 チーン、と、気が抜けるような音が鳴って――

 

 

 

【それぢは ちいてんを はじぬる】

 

 

 

――戦争は、終わった。

 

 

 

 俺から、掛け替えのない、大切なものを――またしても奪って。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 八幡が転送され、それと同時に近くのビルの屋上から何かが転送されていった後――大志は、八幡が転送されていった地面を、何度も何度も殴り倒していた。

 

 小町の死体に背を向け、何もない何の罪もない地面を、只管に殴り続ける。

 

 

 分かっていた。理解していた。

 

 

 八幡に、小町を殺すつもりなど、まるでなかったということを。

 

 

 小町は自分を庇ったことを。そのせいで死んだということを。己のせいで――殺されたということを。

 

 

 分かっていた。分かりきっていた。否が応でも、分からずにはいられなかった。

 

 それでも、大志の心は、既にとっくに限界だった。この上で、この有様の上で、小町の死など、とても受け入れられるものではなかった。

 

 別の誰かのせいにしたかった。別の何かに押し付けたかった。

 

 

 でも、それでも――

 

 

『……ころ……せ……』

「――ッッ!!」

 

 

 浮かび上がる。あの顔が。あの言葉が。

 

 

 絶望に彩られ、暗闇に支配された――鏡を見ているかのような、あの男が。

 

 

 

『……ころせ……俺を――』

 

 

 

 

――殺してくれ

 

 

 

 

 その時、ドグンッ!! と、一際強く、何かが胎動する。

 

 

「――ッッ!!! ぁぁ……ぁぁ……ァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 バキバキバキ、と外殻が剥がれ、そして再生する。

 より強固な皮膚に。より強固な鎧に――生まれ変わっていく。

 

 化け物になっていく。怪物に成り下がっていく。

 

 

(……このままじゃ……本当に……邪鬼に……ッッ)

 

 

 嫌だ。それだけは嫌だ。

 

 それだけは、それだけは――人間だけは、殺したくない。

 

 この手を汚したくない。この手で殺したくない。

 

 

 分かっている。こんなのはただの汚い自己擁護だ。我が身可愛さだ。

 

 今日、この戦場で、自分の異能によって連れてきた怪物が、何人の罪のない人間を虐殺した? これまで自分は、何人の人の血を飲んだ? 今日、小町は、一体、誰のせいで、その命を落としたんだ?

 

 

「――――ッッ!!」

 

 

 大志は思い切り、地面に頭を打ち付ける。外殻は罅割れ、そして再生した。

 

 最もらしい理屈をつけて、ただ、自分は、己が操っていたあの邪鬼達のように、醜悪な化け物に、世にも悍ましい化け物に、なりたくないだけではないのか。堕ちたくないだけではないのか。

 

 

(…………この期に及んで………こんなことになっても……………俺って……奴は…………俺は……俺は――――ッッ)

 

 

 大志は天を仰ぎ、ごくりと強く――唾を飲み込む。

 

 

(血が……血が、飲みたい……ッ! 血が飲みだいッッ!!)

 

 

 自分が人間でないことを、化け物であるということを如実に理解させられる、吸血鬼の吸血衝動。

 

 大志は、これが、川崎大志という存在を破壊するかのようなこの衝動が、己の身体が告げる――最後通告なのだと、直感で理解した。

 

 

 今、ここで血を飲まなければ、大志(じぶん)は間違いなく理性を失う。

 

 そして、あの牛人や、翼竜や、魚人と同じ、悍ましく醜悪な、この上ない程の怪物へと成り下がるのだろう。

 

 

 それだけは……それだけは――嫌だ。

 

 

 そして、何より――

 

 

 

「――()にだく……ない……ッ」

 

 

 

 大志は無様に啜り泣きながら、地面に顔を(こす)りつけて、何かに土下座するように嘆いた。

 

 

「死にたくない……逝きたくない……っ」

 

 

 八幡に殺される時には、まるで感じなかった恐怖が湧き起こる。

 

 嫌だ。死にたくない。化け物として死にたくない。あんな怪物の姿で逝きたくない。

 

 なんて傲慢。なんて無様。

 

 大志は今こそ、己が化け物だと思ったことはない。

 

 

 あれだけの犠牲を生み出しておいて、邪鬼として死ぬのなら――化け物になってでも、生きたいと願うなんて。

 

 もう、八幡は此処には居ない。自分を人間として見て、化け物として殺してくれる男は存在しない。

 

 

 大志にとって、選べるのは二つだ。

 

 

 一つは、このまま吸血衝動を堪え、最後通告を無視して、その身を邪鬼へと変えて、理性を失い、異能が暴れ狂うままに、人間を殺し、化け物を殺して、きっと、氷川辺りが、自分を殺す。いや、邪鬼を操るという異能が暴走する以上、己が邪鬼になった際、その危険度は計り知れない。もしかしたら、最高幹部が総勢で殺しにくるかもしれない。そうなれば、どれだけの被害をもたらすのか分からない。

 

 あらゆる者達から恨まれ、あらゆる人達に憎悪されながら、きっと死に物狂いで殺されるのだろう。

 

 

(――――嫌だッ!! 嫌だッッ!! それだけは嫌だっっっ!!!)

 

 

 大志は泣きながら、その姿をより異形に、禍々しく変化させながら――――小町を見る。

 

 

 後ろを振り向き、無残な姿で転がる、小町の亡骸を、見る。

 

 大志の表情が歪む。涙が溢れ出す。だが、それでも――喉が、ごくりと、それを欲する。

 

 

 大志が選べる、もう一つの選択肢。

 

 

 それは――

 

 

「~~~~~~~~ぁぁぁぁぁぁっっ!!!」

 

 

 大志は、ゆっくりと、ゆっくりと地面を這っていく。

 

 大好きだった少女の死体の元へ。憧れていた少女の亡骸の元へ。

 

 泣きながら、泣きながら、それでも身体は、小町を求める。

 

 

 小町の――血液を、求める。

 

 

 大志は今まで、自分の手で、自分の牙で、人間(えもの)を仕留めたことがなかった。

 

 だから、いつも与えられるのは誰かが千切った腕や指で、転がり落ちていた肉片で、首元にかぶりつき、太い血管からごくごくと喉を鳴らしながら血液を摂取したことは、なかった。したいとも、思わなかった。

 

 

 だが、大志は、小町の亡骸を改めて抱きかかえた時、自分の中の吸血衝動が更にドクンと膨れ上がるのを感じた。

 

 小町は背中を吹き飛ばされたので、こうして向かい合うように抱きかかえた小町の死体は、まるで眠っているだけであるかのように穏やかで――そして、綺麗だった。

 

 

「――――――ッッッ!!!」

 

 

 大志は震えながら、泣きながら、それでも顔は――牙は、ゆっくりと小町の、白くて綺麗な首筋へと近づいていく。

 

 

 人間の血など飲みたくなかった。ましてや、小町や家族の血だけは、絶対に飲んでなるものかと誓っていた。決意していた。そんなものを飲むくらいなら、舌を噛み切って死んでやると。

 

 

 だが、ここまで邪鬼に近づき、吸血鬼性が高まっている自分は、舌を噛み切ったくらいでは死なない。死ねない。

 

 

 もう、大志は、自分では死ねない――死にたくない。

 

 

 京華の顔が――沙希の顔が()ぎる。

 

 

 そして、そして――自分に笑いかける、小町の顔が、脳裏に()ぎった。

 

 

 それは、途端に、泣き顔に変わる。

 

 

 

――……小町のお兄ちゃんを…………嫌いにならないで。

 

 

 

「――――っっッッ!!!!!!」

 

 

 大志はグッと一度、口を閉じて、何かを吐き出すのを堪えるように噛み締めて――

 

 

 

――ガブリッ! と、深く、深く、小町の首筋に、牙を突き立てた。

 

 

 

「~~~~~~~~~~~~~~っっっっ!!!!」

 

 

 大志は涙を流しながら、ごくごくと喉を鳴らして、小町の血液を飲み干していく。

 

 

 どうしてこんなことになったんだと呪いながら、身体が欲する衝動に任せて、小町の血液を味わっていく。

 

 

 それは悲しくなるくらい、呪いたくなるくらい――途轍もなく、美味しかった。

 

 

 きっと、これから先、何百年生き続けたとしても、これ以上の血液(あじ)に、出会うことはないと確信する。そんな確信、絶対に抱きたくなかったと嘆きながら、それでも大志は、小町を飲み干す。

 

 

 大志の身体を覆っていた外殻が、ボロ、ボロボロと剥がれていく。

 

 再生は――しない。小町の血液を摂取することで、吸血鬼として、異能を支配する力を手に入れていく。

 

 

 そして、それと反比例するかのように、小町の身体は干からびていった。

 

 あの綺麗だった死に顔は、どんどん老婆のように醜くなっていく。ミイラのように、見るに堪えなくなっていく。

 

 

 それでも、大志は吸血を続けた。涙を流しながら、鼻水を垂らしながら、それでも吸血を、小町を殺すのを、止めることが出来ない。

 

 

 

 こうして――川崎大志は、完全に人間を止め、化け物となった。

 

 

 

 サァぁ! と、血を、生命を絞り尽された小町は、灰になって夜の池袋へと舞い上がっていく。

 

 

 吸血鬼のように、黒灰ではない。ただの灰色の、正真正銘の遺灰だった。

 

 吸血鬼という化け物に、その生命を()われ尽くした、哀れな食糧(エサ)の成れの果てだった。

 

 この特性故に、吸血鬼は証拠を残さず、今日も殺人(しょくじ)を続けることが出来る。

 

 

 大志は、その灰を抱き締めるようにして、地面に蹲り続けた。啜り泣き、嘆き苦しみながら、想い人を絞り殺し、化け物として生き長らえた自分を呪うように。

 

 人間の姿に完全に戻った大志の髪は、色素を失い真っ白になっていた。

 

 川崎大志という人間(ばけもの)を、表すかのように。

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

 戦争が終わった池袋に、哀れな白鬼の慟哭が響く。

 

 その咆哮によって、怪物の腕の中の白灰が、真っ黒な空をふわりと舞い、怪物を包み込んだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その光景を、氷川はビルの屋上で見届けていた。

 

「…………」

 

 そして、一度、道を挟んで反対側の、忌々しい獣が転送されていった屋上を一瞥した後、ビルを飛び降り、大志の元へと歩み寄って行った。

 

 

 己の運命に殺されて誕生した、新たな同胞を、自分の手で迎える為に。

 

 

 氷川は真っ暗な夜空を、白灰が舞う黒空を見上げながら、冷たく、誰にともなく呟いた。

 

 

 

「……ようこそ――このクソッタレな世界へ」

 




こうして、色々なものを奪った、池袋の戦争は――幕を閉じた。

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