比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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僕達は綺麗じゃない。僕達は正義じゃない。だけど、僕は、君の味方だ。



Side和人――②

 

「――この黒い球体は、GANTZとは、何なのか。それはたった一つの言葉で言い表すことが出来る」

 

 マリンブルーの髪を鋭く尖った耳の上に掻き分けながら、その水妖精族(ウンディーネ)は眼鏡を片手で押し上げた。

 

 ALO――アルヴヘイム・オンライン。

 妖精の国の名の通り、多種多様な妖精達が暮らす、まるで夢のような世界の中で。

 

 一羽の水妖精族(ウンディーネ)と、一羽の影妖精族(スプリガン)は、一人の大人と、一人の英雄として向かい合っている。

 

 水妖精族のクリスハイトは――菊岡誠二郎として。

 影妖精族のキリトは――桐ケ谷和人として。

 

 夢のような世界の中で、悪夢のような地獄の話を始める。

 この世の全ての悪夢を凝縮したかのような、地獄を生み出し続ける――とある黒い球体の正体を端に。

 

 菊岡は言う。

 

 黒い球体――GANTZとは、すなわち。

 

 

「――謎だ」

 

 

 その男は、まるでこの世の真理を告げるかのように言った。

 

 

 

+++

 

 

 

「GANTZ――あれは、正しく謎そのものだ。それ以外では言い表せない程に。文字通りのブラックボックス、いや、ブラックボールと呼ぶべきかな。黒い球体だからね」

「……菊岡さん。俺は哲学の授業を受けにきたわけでも、ブラックジョークを聞きにきたわけでもないんだぜ」

 

 飄々と語る菊岡に対し、和人は文字通り闇のように昏い瞳で睨み付け、低く重い声色で言う。

 

「伝わらなかったのか――俺は、そういう話をしに来たんじゃないんだ。……その為に、俺をここに呼んだんだろ」

「……分かっているよ。別に、ここまで来て何かを誤魔化すつもりなんてないよ。ちゃんと真面目な、真剣な話さ」

 

 菊岡は肩を竦めながら、大人が子供を労わるような目で和人を見つめて――己の蟀谷(こめかみ)に細い指を当てる。

 

「まず、これだけは言っておこう。ここでは頭の爆弾のことは心配しなくてもいい。“上”にも、君の担当黒球にも話は通してあるし、ALO(ここ)での会話は記録(ログ)に残らないように『レクト』側に手を回して設定してある。更に念の為、その部分の記録はこちらが回収、管理する手筈になっているから。だから、発言に気を遣う必要はない。全てを話し、全てを尋ねてくれ」

「………」

 

 和人は菊岡のその言葉に何も返さなかったが、ゆっくりと体を菊岡の方に向けた。

 

 正直言えば、今の今まで、頭部の爆弾のことなど頭から消えていた。物理的に消えてなくなったわけではないというのに。今もしっかりと埋め込まれているというのに。

 こうして菊岡と今まさに黒い球体の秘密について話そうとしている時点で、情報隠蔽に対しての強制協力などとっくに意味を失くしていると――そう、無意識に思い込んでいたのか。

 

 だが、わざわざこうして念を押してくることを考えると、今が特別なだけで、平常時ではこれまで通りということで――つまり、ガンツはこの期に及んで、一般人に対して少しでも情報を隠すことを諦めていないと、その義務を自分達に課し続けることを止めるつもりはないと、そういうことなのか。

 

(……だとすれば、そんなシステムの操作権限を、少なくとも一時的には預かることが出来る菊岡さんは、やはり――)

 

 菊岡誠二郎という目の前のこの男が、自分が巻き込まれた荒唐無稽な黒い球体の物語に、自分よりも遥かに深い場所で関わっている――それも黒い球体(ゲームマスター)側として――そのことに、和人は今一度、強い確信を得ると共に、形容しがたい感情が湧き起こってくる。

 

 自然と視線が鋭くなる。水妖精族(ウンディーネ)のアバターも相まって、目の前の男が人外のような謎めいた不気味な存在に思えてくる――そう、まるで、ここ数日に殺し合った星人のように。

 

「それと、もう一度言わせてもらうけれど、僕は何も誤魔化すつもりはない。黒い球体を、GANTZを謎と称したのも、偽りない僕の本心だ。桐ケ谷君が今思っているように、僕はアレについてそれなりに詳しい立場にいるけれど、桐ケ谷君が今思っている程には、知っていることは少ない。何も知らないに等しい。それほどまでに――あれは異質な物体なんだよ」

 

 異常な球体なんだよ――菊岡は、和人の鋭利な視線に、そして、そこに少なからず含まれた殺意に、表面上はまるで動じずに説明を続ける。

 

「――そもそもの話、だ。桐ケ谷君は、GANTZについてどこまで分かっているのかな。憶測を含めてで構わない。現時点での、桐ケ谷君から見たGANTZというものを教えてくれ」

 

 まるで授業中に生徒にあてる教師のように、子供を試す大人のように、柔和な笑みで菊岡は、険しく表情を固める和人に尋ねる。

 

 和人はしばし睨み付けるように沈黙しながら、ゆっくりと固く閉じた口を開いた。

 

「――現代の技術では考えられない……オーバーテクノロジーによって作られた……死人を利用した……厳選式、兵士育成システム」

 

 探るように紡いだ和人の言葉に、菊岡は目つきを変える。

 和人は、俯きながら記憶を辿るように、話しながら自分の考えを纏めるように語っていく。

 

「……一体、どんな目的があって、こんなことをしているのかは分からない。星人――宇宙人を撲滅する為の戦力作りだというのなら、それこそあのシステムを、そのまま軍隊やら兵隊やらといった、所謂プロの連中に使った方が、遥かに効率的で効果的だと思う。……だが、あの黒い球体を作った連中が、俺達のようなずぶの素人の一般人を、より強い兵士に……ゲームのように、育成することを目的としていることは明らかだ」

 

 和人は顔を上げて、再び鋭く菊岡を見据える。

 腕を組んだ手が、ギュッと強く、自らのアバターの二の腕を握り締めていた。

 

「――なぁ、菊岡さん。まずはそこから教えてくれ。GANTZは、あの黒い球体は何処の誰が作った? 何の為に作ったんだ? どうして一般人の、それも死人なんかを使う? どうして星人と戦わせる? ……どうして――俺達なんだ?」

 

 星人という化物が、この地球に存在するのは分かった。

 平和に暮らす日常の裏で、見たこともない怪物達が隠れ潜んでいることは、理解した。

 

 そんな存在に対抗する為に、誰がやったかは知らないが、どうやってかは分からないが、黒い球体――GANTZが生み出された、というところまでは、まぁ理解出来る。

 

 だが、どうしてそれに、自分達が巻き込まれなくてはならない?

 

 この世界には、戦うことを生業とする者達がいる。

 戦闘を職業とする戦士達がいる。戦争を使命する兵士達がいる。

 

 未確認生物との戦闘――宇宙人との、戦争。

 

 もし、本当にそんなものに対する戦力を整備する必要があるのだとしたら――星人に対する戦士を、兵士を育成する必要があるのだとしたら。

 

 あの黒いスーツを纏うのは、あの黒い武器を手に取るのは――あの黒い球体の部屋に集められるべきなのは、絶対に自分達ではない筈だ。

 

 もっと相応しい人達がいる筈だ。

 

 もっと、強い人達がいる筈だ。

 もっと覚悟を持った人達がいる筈だ。

 もっと使命に燃える人達がいる筈だ。

 

 なのに、どうして――俺達なんだ。

 

「――全て答えよう、桐ケ谷和人君」

 

 菊岡は、柔和な笑みを消し、鋭い視線を向けて来る和人を真っ向から見据え、言う。

 

「これから話すのは、君達が送り込まれた、あの黒い球体の部屋の外の話――黒い球体の背後の、真っ黒な黒幕の話だ。そこは決して綺麗な世界じゃない。むしろ黒く、醜く、悍ましい陰謀と策謀が渦巻く、大人の世界だ」

 

 人間離れした容姿の水妖精族(ウンディーネ)は、まるで異世界へ誘うように少年に語り掛ける。

 

「君は激怒するだろう。憎悪、殺意を抱くかもしれない。君は愚かな大人に巻き込まれた子供だ。それは正当な感情だろう。……だけど、これだけは、信じて欲しい」

 

 妖精が言葉に何かの色を込める――少なくとも、黒色ではないと、黒の剣士と呼ばれる少年は感じた。

 それは、いつもどこか本心を隠し、底の見えない瞳を向ける菊岡が見せた、剥き出しの感情であるように、和人は思った。

 

 菊岡は頭を下げなかった。ただ、真っ直ぐに、眼鏡の中の、水色の瞳を――彼女と同じ、水妖精族(ウンディーネ)の瞳を、桐ケ谷和人に向けて、言った。

 

「地球に危機が迫っている。このままだと地球は、今年の終わりと共に、終焉を迎える――これは、紛れもない、予言された真実なんだ」

 

 

――我々は、それをカタストロフィと呼んでいる。

 

 

 妖精は――菊岡誠二郎は、微塵の揺らぎない表情と瞳で、桐ケ谷和人に終焉を告げた。

 

 英雄が――桐ケ谷和人が瞠目し、口を開いて硬直する中で、菊岡は尚も和人に告げる。

 

「僕達は綺麗じゃない。僕達は正義じゃない。だけど、僕は、君の味方だ——キリト君」

 

 そして目の前の大人は、手を差し伸べながら、数多くの伝説を残してきた、ごく普通の少年に言う。

 

「君こそが、世界を救う英雄になると信じている。だからこそ僕は、これから君に真実を話そう」

 

 菊岡は再びモニタに目を向け、手を振って操作し、とある文字列を表示させた。

 

 

「僕達は、Cosmopolitan Integration OrganizatioN――通称、CION(シオン)

 

 

 終焉(カタストロフィ)から世界を救い、地球を守る為に結成された、秘密組織だ——菊岡は、呆然とする和人に、そう厳かに告げた。

 

 

 

+++

 

 

 

「ちょ、ま、待ってくれ、菊岡さん! 確かに俺は答えを求めたけど、ちょっと話が急展開過ぎる!」

 

 和人は菊岡を手で制止し、額に手を当てて思考する。

 

 いきなり世界が終わるとか言われても、地球を守る組織だとか言われても、話のスケールが大きすぎてついていけない。

 

(……いや、それは今更か。そもそもが宇宙人との戦争、死者の蘇生とかいうところから始まってるんだ。世界が終わる、地球を守る——むしろ、それくらいのスケールの話が出て来て当然なのか……)

 

 偶々、これまで自分の身に起こっていた戦争(こと)が、日本の関東圏内に収まっていただけで、むしろ相手が宇宙人なのだから、そんな地域限定で事が収まる筈がないという考えの方が道理だろう。

 

「……現時点で、既に聞きたいことは山のようにあるけれど、それをいちいち納得できるまで聞いてたらキリがない。……質問は最後に纏めてするから、取り敢えず菊岡さんは、出来る限り順序立てて分かりやすく説明してくれると助かる」

「はは、そうだね。ちょっと性急過ぎた。時間は限られているとはいえ、そう余裕がないわけでもない。ちゃんと分かりやすく説明していくよ」

 

 和人が困り切った様子でそう言うと、菊岡はいつも通りの笑顔に戻る。

 だが、せっかく話が仕切り直された所だとは理解していたが、菊岡の言葉に流石に看過できないワードがあった。

 

「え? 時間制限があるのか? 具体的にはどれくらいがリミットなんだ?」

「出来ることなら、昼前には終わらせたい。桐ケ谷君には、その後に少しやってもらいたいことがあるんだ。まぁそれとは別に——いつ、ユイ君に見つかってしまうか分からないということがある」

 

 菊岡の言葉には幾つもの気になるポイントが新たに見え隠れしていたが、それらを差し置いてでも、和人は最後の言葉に食いつかずにはいられなかった。

 

「……ユイ? ユイが、一体、何に関わっているっていうんだ」

「ユイ君がこの事態に関わっているというわけじゃない。ただ単純に――知られなくないだろう? 彼女達を、桐ケ谷君は巻き込みたくはないだろう?」

 

 だから信用の置けない僕達の誘いに乗って、こうして仮想(VR)世界にフルダイブしてくれたんじゃないのかい——と、菊岡は言った。

 

 それに対し、和人は何も言えずに口を閉じる。

 

 紛れもない事実だったからだ。

 

「こうしてALOで会談をすることにしたのは、偏にそれが理由だ。まず先に伝えておいてしまうけど、昨夜の――ほんの数時間前の、池袋での戦争。あれは、一部始終がテレビ放送されていた。桐ケ谷君、君とあの牛人の怪物の、最終決戦もね」

「っ!?」

 

 和人は菊岡の言葉に息が詰まる。菊岡は、そんな和人に言い聞かせるように告げた。

 

「故に、今、日本中の報道機関、調査機関が、君を――桐ケ谷和人を捜索している。自宅から連れ出し、あの病院に来てもらったのはその為だ。一応、あの病室は総務省権限と、それからCION権限で秘匿されている。恐らくは誰も立ち入り出来ないだろう。念の為に、僕自身がそこに行くわけにはいかなかった。ここ最近の付き合いで、僕と桐ケ谷君の関係を知っている者も少なくないからね」

 

 更に加えて念の為に、君がこの部屋に入った時点で、この部屋の中はシステム的に隔離しているんだけど――と、そこまで言って菊岡は、笑みを消して和人に向き直った。

 

「――それでも、この隔離されたエリアに、侵入出来るかもしれない可能性を持つのが、ユイ君だ」

「ッ! ……確かに、ユイなら……」

 

 運営側がログの消去などの方策を取っているだろうこの仮想(VR)世界の一室に、それでもユイならば、もしかすれば侵入してくるかもしれない。

 

 あの戦いがテレビ放送されていたというならば、間違いなくユイは、和人の無事を確認すべく、今、ありとあらゆるデータベースを捜索していることだろう。

 つい数時間前まで現実世界の池袋で戦争をしていた和人が、まさか数時間後にALOにログインしているとは思わないだろうが、それでも此処は――この世界は、間違いなくユイの領域(テリトリー)だ。

 

 もし、この可能性に行き着いた時、ユイがその気になれば、もしかするということも十分にあり得る。

 

「だからこそ、要点をかいつまんでの説明になる。君が望むなら、後日再びこのような場を設けることを確約しよう」

「…………その前に、これだけは聞いておきたい」

 

 和人は、本題に入る前に、菊岡に鋭い目つきで単刀直入に問うた。

 

「――アンタは俺に、何を求めるんだ? 菊岡さん」

 

 この男は、これまで何度も桐ケ谷和人に接触してきた。

 

 その全てにおいて、この男には思惑があり、何かしらの目的を持って動いていた。

 

 今回の事件においても、それは変わらないだろう。

 

 偶々、和人が巻き込まれた事件の、偶々、その黒幕となる組織に菊岡が在籍していて。

 偶々、和人の存在が世間に露見したタイミングで、偶々、菊岡が和人の知らなかった機密情報を説明する機会を設ける。

 

 そんな偶々の奇跡的な重なりを信じる程、桐ケ谷和人は菊岡誠二郎の人間性を信用してはいない。

 

「アンタは、俺に、何をさせたい?」

 

 菊岡は、いつも通りの、あの笑みで答える。

 

「言っただろう、桐ケ谷君――否、キリト君」

 

 僕は君に、英雄になって欲しいんだよ。

 

 そう言って、菊岡は、黒い球体の背後に広がる、真っ黒な闇について語り出した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 桐ケ谷直葉は、その扉の前で微かに身体を震わせながらも――意を決して、一度ノックをし、ドアノブに手を掛けてゆっくりと開けた。

 

「……おにい、ちゃん?」

 

 開けた扉の先に広がっていたのは、カーテンを閉め切っているが故に真っ暗で、ベッドとPC机くらいしかないシンプルな部屋模様。

 

 夏も近いというのに、熱の無いひんやりとした空気を感じる。

 

 直葉は主のいない部屋に――義兄の自室に、一歩、また一歩と恐る恐る足を踏み入れる。

 

「…………お兄ちゃん」

 

 ベッドの上に広がるのは、乱れてはいないが誰かが寝ていた形跡がある布団、伸びた携帯端末の充電コード、そして丁寧に置かれたアミュスフィア。

 

 直葉は――開かれたままになっているクローゼットを見て、痛ましげに表情を歪めた後、ぼすんと兄のベッドに腰掛け、僅かに乱れていた布団を握り締める。

 

「……どうして……お兄ちゃん……ッ」

 

 ギュッと握り締めた布団は――兄の温度をまるで残していない、ただの冷たい布団だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 顔を俯かせながら桐ケ谷家一階のリビングへと降りてきた直葉を迎えたのは、四人の少女達だった。

 

 篠崎里香(リズベット)

 綾野珪子(シリカ)

 朝田詩乃(シノン)

 

 そして――結城明日奈(アスナ)

 

「………………」

 

 顔を俯かせていた直葉は、手を組みながら冷たい眼差しでテーブルを見詰める明日奈を見て、更に小さく唇を噛み締める。

 

 そんな明日奈を一瞥した後に詩乃は、戻ってきた直葉へと顔を向けて「……どうだった?」と尋ねた。

 

 直葉はリビングの椅子に腰を掛けながら、ポツリポツリと呟くように答えた。

 

「……兄の部屋には、書置きとかメッセージとか……そういったものは何も残されていませんでした。……悪いとは思ったんですが、兄のPCも立ち上げて、ユイちゃんに中を探してもらったりもしたんですが……」

『…………手掛かりになりそうなメールとか、それらしい記録(ログ)などもまるで残されていませんでした。……パパの携帯端末も、未だ電源が切られているのか、繋がらなくて……』

 

 テーブルの上に画面が見えるように立て掛ける立てられた携帯端末のモニタから、妖精姿のAI――ユイが、申し訳なさそうにしょげながら言う。

 そんな『ごめんなさい……』と謝るユイに、「ユイちゃんが謝ることじゃないわよ」と返した里香は、力無い笑みをユイに向けた後、彼女らしかぬ沈痛な面持ちで言う。

 

「……こっちも、結局は何の情報も得ることは出来なかったんだから」

「池袋に居た警察の方も、自衛隊の方も、テレビ局の方も……誰も、何も分からないみたいでしたね」

 

 あたしたちと、同じで――そう呟いた珪子の言葉に、桐ケ谷家のリビングは重苦しい沈黙に満たされた。

 

 

 夜明け前に病院を出た、ここにいる明日奈以外のメンバー達は、その後、真っすぐに、昨夜の戦場となった――虐殺現場となった池袋へと向かった。

 

 まともな公共機関は既に麻痺していたが、ある程度の時間を掛けて何とか辿り着いた直葉達は、その場に居た人達に手当たり次第に声を掛けて情報収集していたが――テレビ画面越しではなく、自分の目で、耳で感じた池袋は、正しく本物の地獄だった。

 

 無論、直接の戦場となった池袋駅周辺には立ち入ることは出来なかったが、直葉達が辿り着くことの出来た、警察や自衛隊によって形成された包囲網の外側ですら――見るも無残な光景が広がっていた。

 

 自分達と同じく、恐らくはテレビ画面に映った自分達の家族、恋人の安否を確かるべくやってきた者達。

 包囲網の中から運び出されてくる、目を背けたくなるような怪我を負った被害者達。

 

 ある意味では、包囲網の中よりも混乱してるかもしれない場所で、少女達は息を吞み、唾を呑み込んで――それでも、必死に己を奮い立たせて戦った。

 

 全ては、自分達の英雄(ヒーロー)たる少年の安否を――不明な行方を知る為に。

 

 時にはそんなもの知るかと罵声を浴びせかけられ、時には逆に相手の家族や恋人の行方を縋りつかれながら尋ねられ、時には恐怖で震えていて言葉が通じない者を目の当たりにもした。

 

 心に冷たく重い何かが積み重なっていき、それでも探してる少年の手掛かりはまるで掴めず――遂には。

 

 池袋を救ってくれたあの『黒の剣士』の関係者がいるらしいという噂が先行し、自衛隊や警察関係者の方から、直葉達に接触し、こう尋ねてきた。

 

 彼の少年は、今、何処にいるのだ――と。

 

(…………そんなことは、私達の方が知りたいわよ……っ)

 

 詩乃が、今朝の情報収集の――国や警察ですら何も知らないという情報しか得られなかった聞き取り調査の結果を反芻しながら、直葉が淹れてくれたコーヒーの入ったマグカップを思わず両手で握り締めている、と。

 

(……でも、それにはあくまで、あそこにいた――失礼な言い方を承知で言えば、現場レベルの人達は、って注意点がつく)

 

 ちらっと詩乃は、一縷の望みを掛けて、自分達の望む情報が流されるのではと点けっぱなしにしてあるテレビを観る。

 答えの出ない疑問と不安を煽る大人達の混乱する様を朝からずっとお届けするばかりで、お世辞にも有用な情報を齎しているとはいえないメディアだが、ただ一つ、今の状況を少しでも明るくする可能性を持つのは、全局が揃って画面右上にテロップとして表示してある知らせ――本日、午後六時から開かれるとされる、内閣政府による此度の池袋大虐殺に関する、()()会見。

 

(………………説明、ね。一体、何を説明してくれるっていうのかしら)

 

 ふうと溜息を吐きながら詩乃は、このままでは首相官邸に乗り込んで直接説明を求めかねない様相の少女に向かって「……そうなると、今の所、手掛かりらしい手掛かりといえば、やっぱりあれだけね」と呟きながら、問い掛ける。

 

「――ねぇ、アスナ。本当なの? あの戦争の後に、キリトが、あなたの病室に訪れたって」

 

 隣に座る詩乃の言葉に、明日奈は冷たい眼差しのまま、直葉や里香や珪子、そしてユイの注目が集まる中、ゆっくりと頷いた。

 

「…………うん。昨日、まだ夜が明ける前に。……シノのん達が病室を出て、しばらくしてから。……あれは、間違いなくキリトくんだった」

 

 明日奈は己の組んだ手を唇に当てて――あの漆黒の手袋の無機質な感触を思い出しながら――目を細める。

 

 詩乃はそんな明日奈の表情に何かを言い掛けるも、口を閉じる。

 代わりに、未だ俯いたままの直葉が「……それは、間違いないと思います」と、口を開いた。

 

「さっき、兄の部屋には何もメッセージは残ってなかったと言いましたが……兄が居たと……恐らくはあの戦場の後に、自室に寄ったのだと思われる痕跡は残ってました。……アスナさんが見たと思われる私服も、クローゼットからなくなっていましたし」

 

 直葉のその言葉に、珪子が意識して発しているのであろう明るい口調で言う。

 

「そ、それじゃあ、キリトさんは生きてるってことですよね!」

 

 勿論、それは喜ばしいことだ。

 何よりも求めていた朗報だ。

 少年の左腕の切断シーンをテレビ越しに目撃していた少女達にとって、それは何度も危惧していた可能性だったのだから。

 

 だが、それは同時に、少女達にとって、別の嫌な可能性を、否定したい可能性を、どうしても思い起こさせる。

 

「……そうね。だけどつまりそれって、あの馬鹿は生きているのに……()()()()()で、あたし達に何も連絡してこない、ってことよね」

 

 里香の言葉に、再び少女達は沈黙する。

 表情を曇らせながら珪子が座り込むのを痛ましげに見詰めながらも、詩乃はその可能性は高いと見ていた。

 

 直葉曰く、和人(キリト)の自室に彼が帰宅した痕跡は残されていた。

 明日奈の病室に現れた彼は、戦争の時に着ていた不可思議な漆黒の全身スーツではなく――否、それも着用していたがその上に、いつも彼が好んで着るような黒の私服を纏っていたと聞いた時、少なからず期待した。

 

 携帯端末は――何らかの事情で電源が切られているのだとしても、恐らくは着替えに戻ったのであろう彼の自室には、何らかのメッセージが残されているのではないか、と。

 だが、結果として、それは何も残されていなかった。それが意味する所とは――。

 

(……キリトは、また何かとんでもないことに巻き込まれている。……だけど、少なくとも彼は――私達に、助けを求めては、いないということ)

 

 むしろ、積極的に、自分達を遠ざけようとしている。

 自分が巻き込まれていることに、巻き込むまいとしている――ということ。

 

 詩乃は、恐らくは少年のそんな意思を、最も直接的に受け取ったであろう少女を見詰める。

 

――『……ごめん、アスナ――まだ、終われないんだ』

 

 明日奈は、細めた瞳で、テレビ画面の左上の表示を見る。

 時刻は――『10:25』。

 

――『――行ってくる』

 

 朝までに戻るといった少年は、いってらっしゃいと言えなかった少女の元に、未だ――帰ってこない。

 

「…………………っ」

 

 明日奈は、何も掴めなかった手を、唇を噛み締めて歪めた表情で見詰める。

 

「クラインとかには、何も連絡が言ってないの?」

「……クラインさんにも、エギルさんにも、電話してみたんですけど……何も知らないみたいです。あの人達からの電話もメッセージにも、返信はないみたいで」

 

 里香の問い掛けに、直葉は首を横に振る。

 和人は数少ない男友達にすら、何も告げずに行方を(くら)ましているらしい。

 

「キリトさんが何処に行ったのか……探す方法はないんでしょうか?」

『……ママが入院していた病院周辺の監視カメラ映像から、パパがバイクで移動したことは分かっているのですが……途中で痕跡が消えて――いいえ、()()()()()()

「消されている?」

 

 珪子の問いに、ユイが答える。

 そして、そのユイの回答に、今度は詩乃が疑問を呈した。

 

「それってどういうこと?」

『何者かが、途中で映像を書き換えている――というより、すり抜いている痕跡があったんです。逆ハッキングを試みたのですが……途中で……弾かれてしまって』

「ユイちゃんでも無理なんて……只者じゃないよね」

 

 そして、その只者ではない誰かは、今現在、行方不明中の英雄――キリトの関係者である可能性が高い。

 

 英雄を匿っている、あるいは隠している誰か、あるいは――何か。

 だが、そんな何かが、SAOの英雄であり池袋の英雄となった『黒の剣士』キリトを、そして電脳世界の妖精たるユイの追跡すらも弾く只者ではない何者かを、匿い、隠し、抱えている何かが、普通である筈がない。

 

 何処にでも隠れられるような、小さい何かである筈がない。

 

 それ相応の大きさが必要になる。

 力か、地位か、規模か――それ相応の、大きい何かだ。

 

 あれだけの大災害、大虐殺を、終結に導ける何か。

 それこそ国家レベルの大事件の中心に関われるような――国家レベルの、巨大さ。

 

 結城明日奈が知る、桐ケ谷和人の関係者の中で、そんな位置で動けるのは――ただ、一人。

 

「――ねぇ、直葉ちゃん。クラインさんとエギルさんには連絡をしたけど……あの人にはまだ、だよね?」

 

 直葉の向かい側に座る少女が、組んでいた手を解き、その美貌を露わにし、鋭く細めた瞳を彼女に向けた。

 

 思わず息を吞む直葉。迫力に満ちたその表情は、彼女のことを良く見知った直葉にすら、僅かに恐怖を感じさせるものだった。

 

 詩乃が僅かに目を細めたことにも、直葉の一瞬の怯えにも気付くことなく、少女は――結城明日奈は、言う。

 

「――総務省仮想課、菊岡誠二郎。あの男は、今、何処で何をしているのか――調べてもらえる?」

 

 ユイちゃん――と、少女は、探し人の少年との愛娘の名前を呼んだ。

 




黒の少年は、この世の何よりも黒い組織の、その真っ黒な真名を知る。


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