比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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…………だったら、どうして、未だに俺達は戦争をしているんだ?



Side和人――③

 菊岡誠二郎。

 

 総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二分室、通信ネットワーク内仮想空間管理課――通称『仮想課』の職員。

 

 名目上は国家公務員であり、トバされたキャリア組を自称するこの男が、自分達の――和人達の前に現れたのは、桐ケ谷和人が、つまりは『キリト』が、かの始まりのデスゲーム『ソードアート・オンライン(SAO)』をクリアし、現実世界へと目覚めた、その病室だった。

 

 鋼鉄の城を攻略し、魔王を打倒した勇者を、誰よりも早く出迎えた菊岡は、史上最大のネットワーク犯罪となった『SAO事件』の攻略の立役者となった和人(キリト)と関係を築き上げ、その後、GGO事件を始めとする事件に和人を巻き込み、時にサポートし、いつの間にか、明日奈達を含む仲間達と顔合わせするまでに至るのだが――和人を含め、明日奈達の彼に対する印象は、一言に尽きる。

 

 信用ならない男――と。

 それは、この飄々とした大人が、自ら誘導しているようにすら感じられる節もあるけれど、短くない付き合いとなった今でさえ、和人とその仲間達は、このクリスハイトという水妖精族(ウンディーネ)として、共にALOのクエストすらこなすようになったこの男に、心を開いているとは言えなかった。

 

 確かに、怪しい男だ。混じりけのない友情を築いたとはとても言えない、只の善意で接触してきているとは感じられない、ただならぬ含みを持つ男だけれど――それでも。

 

「……それだけで、疑ってかかるのはどうなの? アスナ」

 

 朝田詩乃――シノンは、直葉すら息を吞む程の、大袈裟な表現だと承知で言わせてもらうならば、殺気のようなものすら放っているのではと思える形相の明日奈に物申す。

 すると、間髪入れずに、その形相が詩乃に向けられる。

 

 思わず自分に向けられたわけではない里香や珪子も肩を強張らせるが、詩乃は組んでいた手を組み替えるだけで、そのまま明日奈から目を逸らさずに言った。

 

「……確かに、キリトの現状には、何か大きな、とんでもなく巨大な何かが動いているとは思う。それでも、それだけであの菊岡って人に疑いをぶつけるのは、あまりにも性急じゃない?」

 

 警察や自衛隊すら出動する程の大事件を、解決に導いた『黒い服の戦士』。

 恐らくは、何らかの理由でその一員となっている和人。

 

 そして、それらについて何かを知っていて、今晩の午後六時から会見をすると発表している日本政府。

 

 ならば一応は省庁勤めということになっている、総務省役員である菊岡ならば、何かを知っているかもしれない――そういう意味では、彼に連絡を取るというのは悪い手ではないだろう。

 むしろ、現状取れる唯一の有効手であると言ってもいいかもしれない。

 

 だが、今の明日奈からは、そういったものを通り越して、まるで自分から和人を引き離した存在に対する怒りのようなもので動いている気がする。

 そうならば――それは、間違いなく、暴走といっていい状態だ。

 

「……分かってる、アスナ?」

 

 詩乃は、明日奈に端的に問い掛ける――自覚は、あるかと。

 それに対し、明日奈は冷たい眼差しのままで頷き返す。

 

「……分かってるよ、シノのん。私も、菊岡さんが《敵》で決まりだとは、まだ思ってない」

 

 明日奈はそう言って、そのままグッと腕を伸ばすようにして身体を解す仕草をする。

 それによって室内の空気もまた弛緩するが、詩乃は、明日奈の言葉に小さく眉根を寄せた。

 

(…………《敵》、か)

 

 恐らくは本人も無意識だろう、つまりは自覚するまでもなく出た言葉に、詩乃は改めて危うさを感じる。

 明日奈は、そんな詩乃の視線に気付くことなく続ける。

 

「それでも……この状況で一番有効なのは、菊岡さんからのアプローチ。あの人の立場なら、大きな何かに対する情報は得やすい筈。……でも、クラインさんやエギルさんと違って、クリスハイトには彼自身にも連絡がつかないの」

 

 総務省にも直接連絡をしてみたけど、海外出張中ですって返答しかなかったから――明日奈は事もなげに言う。

 自分達が池袋へ行っている間、そして和人との邂逅を終えた後から今に至るまでに、総務省に直接電話を掛けるアプローチまでしていることにも瞠目だが、明日奈はそんな詩乃達の驚きに構うことなく、その視線はただユイだけに向いている。

 

「……本当に菊岡さんが海外にいるなら、それでいいの。でも、もし国内にいるならば……キリトくんは、まずあの男の所に行くと思う」

「……分かりました、ママ。探ってみます」

 

 お願い――と、電子の海に消える娘に、明日奈はそう呟いた。

 

 それは、推理とすらいえない、只の直感。

 

 もし和人が、それこそ国レベルの大きな何かに巻き込まれているのなら――それでも、ただ流されるままで使われたりはしないだろう。

 必ず、情報を得ようとする筈だ。客観的に、多角的に己が置かれている状況を把握すべく、使える手は使おうとする筈だ。

 

 しかし、それでも、桐ケ谷和人は一般的には只の高校生。

 使える手は、人脈は限られている。それこそ、今回のように、親しい仲間は巻き込みたくないという状況に置いて――和人が選べる選択肢は、それこそ、ただ一つ。ただ一人。

 

(……それに――)

 

 思い起こすのは、今朝の、深夜の病室。

 明日奈は和人に聞いていた。あの時も、彼に、自分の病室の情報を与えたのは、自分と彼の再会を導いたのは、あの男だったと聞いていた。

 

 数時間前まで池袋で死闘を演じていた桐ケ谷和人へ、その数時間後に結城明日奈の病室を訪れることが出来るように手配することが出来る人物。

 それはつまり――自分と彼の、桐ケ谷和人と結城明日奈の関係を知っている人物の関与があったからではないか――。

 

 明日奈は歯噛む。

 分かっている。これは、推理というよりこじつけだ。

 もっと言えば――自分の推測出来る範囲で、自分の手の届く場所へ、彼が居て欲しいという願望。

 

 自分の知らない場所で、自分の知らない仲間と、自分の知らない戦争をしていた和人をテレビ越しに観た時から、胸の中で騒めく焦燥を否定したいがばかりの、願望。

 

 桐ケ谷和人が、キリトが、まだ―――自分の知る世界から、結城明日奈が居る世界から、いなくなってはいないのだと、そう思いたい、自分の、願望。

 

 まだ間に合うのだと、まだ届くのだと、まだ――まだ――まだ。

 

(――――お願い……ッ)

 

 美麗な相貌を歪め、何かにしがみ付く様にテーブルの上で手を握る明日奈。

 そんな明日奈を、直葉が、里香が、珪子が――そして詩乃が見詰める中で。

 

「――ただいま戻りました、ママ」

 

 どれだけの時間が経ったのか、数分にも数十分にも思えたが、明日奈は間髪入れずに「ありがとう、ユイちゃん、それで――」と調査の成果を待ちきれないとばかりに、端末のモニタに顔を近づける。

 

「はい。……結論から言えば、菊岡誠二郎氏の渡航記録は、どの航空会社にも記録されていませんでした」

「――――ッ! それじゃあ――」

 

 やはりあの男は、日本国内に居るのか――と、ほんの僅かだが、光明が見えたと表情を明るくし掛けた少女達に――「――ですが」、と。

 

 妖精姿のAIは、その表情を曇らせたまま、彼女達に言い淀みながら、己の調査結果を告げた。

 

「…………見つからなかったんです」

「――え?」

 

 どういうことと、言葉ではなく表情で返した明日奈に、ユイは――重く、告げた。

 

「――日本国内にも……何処にも、菊岡誠二郎という男性の現在地を、特定することが出来なかったんです」

 

 まるで――真っ暗な闇の中にいるかのように。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「まず初めに断っておくと、僕も全てを知るわけじゃない。それくらい、GANTZに関わるこの物語は、とんでもなくスケールが大きい。それこそ世界、宇宙に広がる程にね。

 

「僕も一応CIONという組織の幹部に名を連ねてはいるけれど、それこそ規模が大き過ぎる組織だから、幹部の一人といってもたかが知れているんだ。滅茶苦茶に広い会議室の末席に座れる程度で、発言権も大したことはない。でも、一応は会議に出席できるくらいは偉いから、それなりに情報を持っている。今日はそれを、君に話せる限り話したいと思う。

 

 

「まず話すのは全ての始まりからだ。CIONという組織の誕生――創成期の話だ。

 

「秘密組織CIONは、ほんの数十年前、とある二人の天才が出会ったことで始まった。そして、たった数十年間で――世界を征服した。

 

「そう、文字通りの世界征服だ。CIONという組織は、この世界を掌握し、支配している。各国の首脳も、ありとあらゆる大企業も、CIONはその手に収め、治めている。

 

「といっても、CIONが国やら企業やらを掌握して(おこな)ったのは、あくまでも黒い球体と武器の量産と配置であって、GANTZを生み出したのは、始まりの天才の一人である、《天子様》と呼ばれる、とある人外だ。

 

「もう一人の天才であり創設者である男は既に死亡している為、今の組織はこの《天子》が支配していると言ってもいい。

 

「世界を支配する組織の支配者――まさしく、世界の支配者だ。

 

「といっても、僕はかの人物を、かの人外を見たことはない。本名不明。男なのか女なのか、大人なのか子供なのか老人なのか、人間なのかも闇の中だ。黒い闇の中だ。

 

「会議にもモニタのみの参加で、《天子》の兄であるらしい、《CEO》と呼ばれる仮面の男が実質全てを取り仕切っている。

 

「CIONという組織の体制としては、《天子》が不動のトップとして君臨し、その脇に六人の『主要幹部』がいる形だ。CEOはこの主要幹部一人で、実質的な組織の№2だ。まぁCEO以外の五名は正確にはCIONの一員といえるかも怪しいVIPなのだが――この辺りの話はややこしくなるから、また後日にしよう。

 

「彼等を別格、別枠として考えると、《天子》や《CEO》の下には、CION主要国支部を治めるリーダー枠の幹部が、五名いる。

 

US(アメリカ)EU(ヨーロッパ)CN(中国)RU(ロシア)、そしてJP(日本)。それぞれの『支部』の戦士(キャラクター)ランキングトップの者が『最上位幹部』として名を連ねる。

 

戦士(キャラクター)ランキングとは、CIONが各支部に所有する『部隊』と呼ばれる戦士達の格付けを行ったものだ。これは、来きたる終焉――カタストロフィにて、CIONがそれぞれの戦士の有用性を把握しやすくする為の制度で、上位であるほどに組織に必要とされている戦士であることの証明となり、より大きな特典と権威を得られる。

 

「事実、先程言った通り、各支部の戦士ランキングにてトップとなれば、戦士(キャラクター)の頂点として支部を治めることが出来るわけだしね。ちなみに、それぞれのランキングのトップ10までが『上位幹部』として、CION組織内での幹部としての資格を得ることが出来るんだ。

 

「桐ケ谷君がここまで辿り着くには、流石に時間が足りないかなぁ。君はまだ『部屋』の住人だから、まずは『部隊』に勧誘(スカウト)されなくちゃいけないからね。『部隊』にスカウトされる為には、各『部屋』で格別の成績を収めるか、偶に『住人』の中に紛れ込んでいる本部の視察メンバーから個人的に勧誘を受けるしか――って、流石に脱線が過ぎたか。この辺りの話はまた後で話すよ。

 

 

「さて、少しごちゃごちゃしたので纏めさせてもらう。

 

「CIONという組織のトップである《天子》の側近として、別格の権威を持つのが《CEO》を筆頭とする六名の『主要幹部』。彼等は色々な意味でVIPな立ち位置なのだけれど、カ-ストとしては最上位に位置するのは間違いない。

 

「その下のカーストが戦士(キャラクター)ランキングの上位陣が位置する『上位幹部』。その中でもトップに立つのが、ランキング一位の『最上位幹部』だ。彼等は五つの『支部』のそれぞれのリーダーとして、各支部が保有する『部隊』の指揮権を持っている。カタストロフィの時は、彼等が司令塔として、主力として敵を迎え撃つことになるだろうね。

 

「更にその下に位置するのが、CIONという組織のそれぞれの部門を取り纏める役職リーダーとしての『下位幹部』達。一応、幹部という名を貰ってはいるが、会議での発言権は、己が治める分野以外の議題ではないに等しい。僕はこの位置だ。

 

 

「さて、少し長くなってしまったけれど、これがCIONという組織の簡単なピラミッドだ。

 

「そして、CIONの組織としての主目的は、《天子》が予言した、終焉――カタストロフィへの対策。

 

 

「数百年先の文明の技術でGANTZを作り上げ、数十年で世界を征服した人外が予言した――カタストロフィ。

 

「それは、一度、この世界を滅ぼすものだ。

 

「詳しいことは、今はまだ明かせない。……そんな顔をしないでくれ。時が来れば、必ず君にも話す。今は、もっと他に話すことがあるんだよ。

 

「話を戻すと、CIONの目的は、そのカタストロフィから、人類の絶滅を回避させ、滅びた世界を――今度こそ、()()()()()()()だ。

 

「地球を一つの国にする。全ての主義を、統一の政府で纏め上げ、崩壊した秩序を再建する。

 

「それこそが、CION――Cosmopolitan Integration OrganizatioN。世界主義統合機構。

 

「我々が所属する、世界を救い、地球を守る秘密結社なんだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 菊岡はそこまで語ると、「さて、桐ケ谷君もいつまでもそんな端っこにいないで、こっちに来たらどうかな」と、和人を手招きする。

 

 和人は、険しい顔をしながらゆっくりと立ち上がり、ソファの菊岡から最も離れた位置に腰を下ろした。

 

(……未だにスケールが大き過ぎて理解が追いついたとは言えないが、菊岡さんの言うCION――GANTZの背後の組織の規模が世界的であるいうことは……理解した)

 

 世界規模どころか、文字通り世界を支配しているらしいのだが、そこまではまだ実感できない。それこそ、正しく漫画やアニメの世界だ。宇宙人と戦っている身分で、今更だが。

 

「……アンタ達が、何かとんでもなく大きな目的の元で動いているというのは分かったけど――」

 

 和人は、必死で頭の中を整理しながら、菊岡に問い掛ける。

 

「――それが、俺達が戦わされる理由と、どう繋がるんだ? CIONとやらがそれほどまでに大きな組織なら、俺が最初に言った通り、何も俺達じゃなくていい筈なんじゃないのか。軍隊やら特殊部隊やら、星人との戦争にうってつけの人材なんて、いくらでも用意出来るし、育成出来るんじゃないのか」

「ああ、その辺りも、これから説明していくよ。ここまではCIONという組織の簡単な基本情報を紹介してきた。次はCIONが、その設立理由であるカタストロフィに対して、どのような対策を、これまで具体的にどのような手段で行ってきたかについて、だ」

 

 そう言って菊岡は、CIONについての説明資料を表示していたモニタの画像を、手を振り上げて操作する。

 

 次に表示されたのは――恐竜。

 幕張を蹂躙する、火球弾を発射するT・レックスだった。

 

「っ!?」

 

 和人の脳裏に、あの始まりの戦争が過ぎる。

 だが、そんな和人の混乱醒めぬ内に、モニタは次々と怪物を表示し始めた。

 

 六本木で暴走する漆黒の巨大騎士。

 池袋に君臨する黒服の男達――そして、駅前で決闘する牛人と少年。

 

「………………」

 

 更に幾つものウインドウが開く。

 

 小さな白い羽のようなものを持つ天使のような悪魔。

 不気味な人型ロボットの中から飛び出す鳥人。

 深夜の寺院を破壊しながら飛び出す大仏。

 買い物袋を携える緑色の怪人。

 

「だけど、次の議題に入る前に、和人君に聞いておきたいことがあるんだけど――」

 

 和人が見たことのない化物の画像を次々と映し出すモニタを示しながら、菊岡は冷たい汗を流す和人に問い掛ける。

 

「――君は、そもそも星人について、どれくらい知っている?」

 

 この仮想世界でも、真っ黒な黒衣を纏う影妖精族(スプリガン)の少年は、ただ手をギュッと握るだけで、何も答えることが出来なかった。

 

「オーケー。ならば、まずは簡単に星人についてレクチャーしよう」

 

 菊岡はモニタの画面を操作しながら、まるで授業をする教師のように話し始める。

 

「星人――これは文字通り、宇宙から来た地球外生命体を指す上で我々が用いている表現だけれど、それがフィクションで描かれてきた、いわゆるエイリアンのような生物ばかりではないのは、桐ケ谷君も理解しているよね」

「……最初に戦ったのが、そもそも恐竜だったわけだしな」

 

 桐ケ谷和人にとって、初めてのガンツミッション。

 生まれて初めて死んで、生まれて初めて再生した——あの始まりの夜。

 T・レックスに追われながら単輪(モノホイール)バイクで深夜の幕張を疾走した夜のことを、和人は生涯忘れることは出来ないだろう。

 

 その他に和人が知っている星人――出会い、出遭い、殺し合った星人は、たったの二種類。

 六本木に出没した漆黒の黒騎士と、池袋を地獄に変えた吸血鬼もどきの化物達。

 

 そう――化物。

 和人にとって――たった三種の星人しか知らない和人にとっては、星人とは、宇宙人という言葉よりも、化物という言葉の方が余程しっくりきていた。

 

「いや、その認識は正しいよ。さっきも言った通り、あくまで星人は地球外生命体のことを指す。人、という字を使ってはいるが、別の惑星の人間達――そんな星人もいるだろうが――という言葉を指すわけではない。それよりも、やはり化物――宇宙原産の、地球外産の、正体不明の怪物。そういう理解の方が正しいと思う」

「……そんな化物が、地球の何処かに潜んでいる――それを見つけ出し、見つけ次第に排除する……ゲームってことか。ガンツがやっていることは。俺達がやらされていることは」

「……君の現時点での見解がそうなるのは致し方ないことだ。けれど、そんな君の見解を正しく直すのが、今の僕の仕事だから、訂正すべきところは訂正させてもらうよ。まず――」

 

 菊岡は眼鏡を直しながら、まるでテストの答案を添削するかのように言った。

 

「何処か、ではなく――何処にでも、だよ。桐ケ谷君」

「…………は?」

 

 目の前の大人は、何も知らない子供を、ただただ無表情で諭すように告げる。

 

「星人は、何処かに潜んでいるものではなく、何処にでも隠れている化物だということだ。星人は何処にでもいる。この地球上の何処にでも――人間達が、気付いていないだけでね」

「ど……どういうことだ! 星人ていうのは、地球の外から、宇宙から来た――化物なんだろう! 恐竜が、黒騎士が、あんな化物が、そこら中にいてたまるわけ――」

「でも――吸血鬼はいただろう?」

 

 猛然と反論する和人に、あくまで菊岡は冷静に――冷たく、静かに、容赦なく返す。

 

「桐ケ谷君――君は見た筈だ。君は知っている筈だ。吸血鬼が普段は人間に化ける性質を持った化物だったことを。彼等のように、普段は化けの皮を被っている化物というのは、この地球上の至る所に存在しているんだよ」

 

 和人は浮かしかけた腰を、ボスンと落としながら絶句する。

 

 吸血鬼もどきの化物。吸血鬼もどきの――元、人間。

 昨夜、池袋をこの世の地獄に変え、日常を混乱の坩堝へと落とし込み――そして、和人に殺された怪物達。

 

 恐竜や黒騎士のように、見るからに怪物な存在ではなく――見た限りでは、人間とまるで変わらない化物。

 

 怯えることも、恐れることも、違和感を覚えることすら出来ない程に――人間に、擬態している、星人。

 

(……あんなのが……まだ、他にもいるのか? 俺達が暮らす世界の、至る所に?)

 

 己の暮らす街。毎日のように歩く道。

 

 溢れる人――人――人。

 

 前を歩くサラリーマンが――実は化物かもしれない。

 転びそうになる男の子が、それをあやす母親が――本性は怪物かもしれない。

 

 楽しそうに会話する女の子達が――道に迷う老人が――肩で風を切って歩く不良が――志望校合格を目指す受験生が――アルバイトに精を出すフリーターが――夢を追って上京する田舎人が――都会の汚い空気に嫌気が差して退職願を突き出す都会人が――星人かもしれない。

 

 どいつもこいつもあの子もその子も化物かもしれない。

 あいつもそいつもこの子もどの子も怪物かもしれない。

 

 極端な話――隣を歩く人が、自分の家族や恋人が、あるいは自分自身が。

 

 そんな可能性を、和人は笑い飛ばすことが出来ない。

 

 何故なら、自分は、そんな化物を――そんな可能性を。

 

 

――地獄で、待ってるぜ

 

 

 そんな剣士を――そんな、人間だった生命を。

 

 この手で、斬り殺したばかりなのだから。

 

「すまない、僕の言い方が悪かったね。確かに、人間に擬態する術を持つ星人も大勢いる。でも、ちゃんと組織は、人間と化物を見分ける装置を――GANTZを持っているから大丈夫だ。あの黒い球体は、そういった機能も持っているんだ」

 

 だから、青い顔をしないでほしい――そう、青い髪の水妖精族(ウンディーネ)は言った。

 

 この仮想世界において顔色など分からないだろうにと、ゲーマー思考が病巣のように根付いている和人は反射的に思ったが、もしVRMMOに現実(リアル)の顔色まで反映される機能があったら、確かに今の自分は間違いなく青い顔しているだろうと確信できる。

 

 和人は何も言わず、ただ目を合わせることで、菊岡に続きを促した。

 

「……あくまで、星人はありとあらゆる方法で隠れ、この人間の世界に紛れ込んでいると言いたかったのさ。例えば、君が先程言った恐竜。奴らは幕張で開催される予定だった恐竜博の展示品として隠れていた。黒騎士は商店街の骨董品店で埃を被っていた人形として世界に紛れていた。オニ星人は特殊な例だが、人間などの地球生物の体を乗っ取るといった性質を持つ星人は、他にも確かに存在する」

 

 君も考えていたんじゃないのかい? ――と、菊岡は恐らくは笑みとして分類されるであろう表情で尋ねる。

 

「自分だけが、自分達だけが、あんな戦争(ゲーム)を強いられているわけではないだろうと。その通りだ。化物は――星人は、世界中の至る所に棲息している。そして、黒い球体の部屋は世界中に存在する。星人と人間は、今も昔も戦い続けているんだ」

 

 どれだけ突飛な事件に巻き込まれたとしても、それは別の世界の物語だと思っていた。

 

 鋼鉄の城を登り続けていた時も、妖精の国で囚われの姫を助け出した時も、銃と疾風の世界で決闘した時も――そして、黒い球体によって戦争に送り出された時も。

 これは非常事態で、異常事態で――異世界の物語なのだと。

 

 戦い続ければ、戦いが終われば、いつか元の世界に帰れるのだと――穏やかで、平和な、日常という楽園に帰れるのだと、そう思って戦い続けてきた。

 

 そんな日常は――あくまで化けの皮であり。

 戦いが終わっても、戦争から帰還しても――自宅への帰路ですれ違う普通の人は、実は化物かもしれない。

 

 安息の地なんて存在しない。

 この世界は――どこもかしこも、戦場なのだと。

 

 奇しくも、オニ星人が日常と戦場の境界線をぶち壊した、その直後に。

 奇しくも、穏やかな日常の最中に、ごく普通の住宅街で殺された経験を持つ、桐ケ谷和人は――そう突き付けられた。

 

「――――ッ」

 

 だが――和人は。

 己の心が拠り所を失いかけ、漠然とした強烈な恐怖に飲み込まれそうになるのを――必死で、堪える。

 

 今更だ――と。

 

――『一度殺しをやった人間が、平穏な日常なんて送れると思ってんな』

 

 和人の中で、金髪の氷鬼が耳元で囁く。

 

(……あんな化物が……人間を化物に変える化物がいるって知った時点で、今更だ。日常が保証される世界なんて、とっくの昔に終わってた。今すべきことは、その上で、どうやって、立ち向かっていくか。そんな世界で、アスナを――俺の大切な人達を、守る為に俺が何をすべきかだ……ッ)

 

 戦うと決めたのだ。剣士になると――誓ったのだ。

 

 この世が化物で溢れているというのなら、その全てからアスナを守ればいいだけだ。

 

「…………菊岡さん。今も昔も、って言ったか?」

 

 和人は目の前の水妖精族(ウンディーネ)を、冷たい眼差しで見詰めながら問う。

 

 そうだ――今は、恐怖に囚われている暇などありはしない。

 

 この男が語る言葉は、あの残酷な戦争(デスゲーム)に囚われてから、自分が知りたくてたまらなかった真実の一端だ。

 一言一句、聞き逃してはならない。世界を暴き、世界を知るんだ。

 

 仮想(VR)世界に逃げ込んでいた自分が、目を背け続けた――現実の世界と、向き合い、立ち向かう時なんだ。

 

「……そんな規模で、そんな深度で、星人が人間の世界に紛れ込んでいるってことは、星人が地球に来訪したのは、昨日今日って話じゃないんだろ? アンタは、CIONはたった数十年で世界を征服したっていったが――星人が地球に来たのは、そんな最近の話なのか?」

 

 例えSF映画のように巨大な未確認飛行物体(UFO)に乗って現れたというわけではないにしても。

 

 人知れずにこっそりと地球に降り立ったのだとしても、ここまで見事に、世界に、人間達に紛れ込むことが出来るというのか。

 もし、初めからそんな擬態能力を、全ての星人が揃って身に着けていたというのならば、とっくにこの世界は――地球は星人に征服されているだろう。

 

 だが――それが、長い年月をかけて、身に着けていった能力なのだとすれば。

 動物が、昆虫が、周囲に溶け込む為に、環境に適応する為に、効率よく狩りをする為に――生き残る為に。

 

 様々な特殊能力を身に付けていったように――進化していったように。

 星人達も、地球というこの惑星に、人間という天敵に対応する為に――進化していったのだとすれば。

 

 果たして――星人は、どれほどの年月、この惑星と戦い続けているのか。

 人間は、地球は――果たして、どれほど昔から、星人という外敵と、戦い続けているのだろうか。

 

 そもそも、自分は知っているだろう。昨夜、聞かされていただろう。

 あの剣士を、池袋を地獄に変えた化物達を――化物にした、元凶たる始祖によって。

 

 彼女は――千年前に、世界中に撒き散らされた己が灰によって、彼等は吸血鬼もどきとなった、と、そう言っていた。そう独白し、そう自供していた。

 ならば、数十年なんてちゃちな話じゃない――少なくとも、千年前には、この地球(ほし)には、宇宙からの侵略者が、星人が地に降り立っていたことになる。

 

「その通りだ、桐ケ谷君。CIONが設立したのは、確かにほんの数十年前だが――人間と星人は、星人と地球は、それよりも遥か昔から、ずっとずっと昔から、現代に至るまで戦い続けているんだ」

 

 和人は、菊岡が大きく頷いて首肯した答えに、ゴクリと強く唾を飲み込む。

 

 自分がたった三回――経験しただけでも、間違いなく地獄だったと表することが出来る凄惨な戦争。

 それは、自分が知らないだけで、世界が知らないだけで――遥か昔から繰り広げられてきた悲劇の記録の、ほんの一行にも満たないのか。

 

「いつから星人は地球にいるのか、その正確な記録は残されていない――残されていないという事実が、それほどに太古の昔から、星人が地球にいたという証拠ともいえる」

 

 菊岡は、モニタに様々な映像を映し出しながら、その戦争の歴史を語る。

 

「もしかしたら星人は、人間が誕生するよりも昔から、この地球にいたのかもしれない。あの恐竜の件もあるしね。あれが恐竜そのものだったのか、それとも恐竜の体を乗っ取った星人なのかは分からないけれど――とにかく、星人と人間、宇宙産の外来生物と地球産の在来生物は、この地球そのものを舞台にして、縄張り争いという名の戦争を、何万年という月日を掛けて、ずっと繰り広げ続けてきた」

 

 和人は、手を組みながら神妙な面持ちで、菊岡の語る言葉に耳を傾ける。

 

 自分達がここ数日に巻き込まれた深夜の星人との戦争は、それこそ人間が誕生する遥か昔から、人知れずに起こり続けていたものだった。

 何も知らなかっただけで――自分達が知らなかっただけで、夜の真っ暗な闇の中では、ずっとあんな地獄が生み出され続けていた。

 

「人間が生態系の頂点に立ち、陸地を支配し、地球人の座を獲得したその時から、人間は地球人として、地球代表として、地球外生命体と戦い続けていた――」

 

 自分が想像するよりも遥かに大きいスケールの物語に。

 

 世界よりも、宇宙よりも、あるいは想像がつかない――過去の、太古の、歴史の話に。

 

 和人は呆然としかけていたが、続く菊岡の言葉に、一気に意識を現代に、現実に引き戻された。

 

 

「――そして、人間は勝利した」

 

 

 え――と、小さな呟きを漏らす和人に、菊岡はいく時かぶりの、優しい笑顔を見せる。

 

「勝ったんだ。人間は、一度、星人達に勝利しているんだよ。まあ、君がこれまで戦ってきている事実から分かるように、全ての星人を駆逐しつくした完全勝利とはいかないまでも、少なくともこうして、世界が人間達の天下になるくらいには――星人を地球の表舞台から、昼の世界から駆逐することには、成功しているんだよ」

 

 これまで星人を日常の世界で目撃したことがなかったのは――無意識に、常識的に、地球が人間達のものだと思い込んで生活することが出来ていたのは。

 

 かつて、人間達が――明確に、星人達に勝利した、その証だというのか。

 

「だけど――夜の世界では、未だに人間は、星人と小規模ながらも小競り合いを続けていた。彼等は息を潜め、爪を研ぎながら反撃の機会を伺っていたんだ」

 

 まるで悪いのは懲りもしない奴等の方だと言いたげなこの言葉は、たった三種とはいえ星人と戦争をしてきた和人には否定しきれなかったが――菊岡という男への決してゼロとはいえない不信感からか、いまいち心の底から納得出来たとは言えなかった。

 

 只の少年特有の信用できない大人への漠然とした不信感か――それとも、あの男の影響なのか。

 

「人間が勝利した後の現代では、星人という存在は、表舞台からは、表の歴史からは完全に消去されて、伝説やお伽話の中の、空想上の存在とされていた。つまり、現代にまで伝わっているお伽話、神話、伝承等の多くは、実在した真実(ノンフィクション)の英雄譚なんだよ」

 

 さて、前置きが予想以上に長くなってしまったけれど、ここでようやく君の質問に答えることが出来そうだよ――と、菊岡は、文字通りの水色髪の水妖精族(ウンディーネ)の大人は、再びモニタの画面を変えながら言う。

 

「何故、世界の危機に対して、カタストロフィという終焉に対して立ち向かう戦士に、君達のような一般人が選ばれたのか――その答えを述べる前に、かつて、世界の危機に立ち向かい、世界を救い続けてきた、先達の英雄達について語ろう」

 

 哀れなる民衆を、美しい姫を、愛する家族を守る為に――立ち上がり。

 恐ろしい怪物に、醜悪なる化物に、跋扈する魑魅魍魎に――立ち向かい。

 

 奇跡を起こし、勝利を齎し、平和を取り戻してくれた――物語の、主人公のような英雄達。

 

「星人狩り――GANTZ(黒い球体)が、CION(秘密結社)が、誕生する遥か昔から、星人達と戦い、勝利し、地球を守り続けてきた戦士達。星人と戦う術を生み出し、磨き、受け継いできた、紛うことなき英雄達。そんな人間達が、確かに存在していたのさ」

 

 漆黒のスーツも、オーバーテクノロジーの武器も、黒い球体による回復(バックアップ)復活(コンティニュー)もなく。

 

 磨き上げた技術で、築き上げた歴史で、たった一つの生命で。

 

 世にも恐ろしい怪物と、世にも悍ましい化物と――戦い続けた、戦士達。

 

 地球を守り、世界を救い、平和を齎し続けた――英雄達。

 

「………そんな人達が、いたのか?」

「陰陽師、祓魔師(エクソシスト)といった星人と戦う術を受け継いだもの達もいれば、武器や鎧、魔力なんて代物を受け継いできた者達もいる。人間達が、星人という強大なる脅威に立ち向かう為、長い年月を掛けて磨き抜いてきた――力だ」

 

 人間の――力。

 

 例え、その怪物が、見上げる程に巨大な体躯を持っていたとしても。

 例え、その化物が、岩をも砕きそうな牙を持っていたとしても。

 炎を吐いたとしても。空を飛んだとしても。海を操ったとしても。嵐を呼んだとしても。

 

 たった二本の腕で。たった二本の足で。

 小さくて、弱くて、脆くて、非力で、何も出来ないくせに弱点だけは豊富な――そんな、分際で。

 

 それでも――人間は、戦った。

 

 考えて考えて考えて、頑張って頑張って頑張って――殺した。

 

 山のように巨大な鬼を。海のように雄大な蛇を。

 炎を吐く竜を。空を飛ぶ馬を。海を操る魚を。嵐を呼ぶ魔を。

 

 数えきれない程の奇跡を生み出して。

 殺した以上に殺されて――長い長い、年月を掛けて。

 

 人間は星人に勝利した。

 そして――英雄達は、姿を消した。

 

 自分達の存在を物語へと隠し、星人と共に――世界から消えた。

 

「星人狩り達は、その技術を、能力を、武器を、世界に広めるようなことは決してせず、文字通りの一子相伝として、本当にごくごく限られた弟子や家族に、極秘に継承させてきた。星人の存在と共にね。そして、現代に至るまで、誰にも知られずに星人を夜の世界へ押さえつけ続けてきたってわけだ」

「……どうして、彼等は……星人の存在まで隠したんだ?」

 

 英雄達が、自分達の存在を隠す――それは、理解出来なくもない。

 

 賞賛や栄光を求めて戦った者達もいるだろう――だが、彼等の多くは、平和の為に戦った筈だ。

 穏やかな日常を、愛する人との安らかな時間を、守る為に戦った筈だ。

 

 そんな彼等が、歴史の表舞台から消えようと思った理由は、理解できる。

 

 だが――。

 

「――いくら一度、星人に勝利したとはいえ、奴らが再び世界の表舞台を狙うことは、予想出来ていたんだろう? だから、英雄達も星人狩りを絶やそうとはしなかった。一子相伝とはいえ、現代に至るまで脈々と技術と力を受け継がせてきた。だったら、どうして、もっとはっきりと脅威を知らしめて、堂々と対策を準備しなかったんだ」

 

 星人存在の隠匿。

 あの黒い球体の部屋で、頭部の爆弾について聞かされた時から、それはずっと疑問だった。

 

 GANTZ程のオーバーテクノロジーを大量生産出来る組織――CION。

 世界を征服しているというこの組織は、どうして星人の存在を、今の今までずっと、人の頭に爆弾を埋め込んでまで、隠し通しているのか。

 

 社会の混乱を防ぐ為――というのが、大義名分ではあるのだろう。

 だが、今の話を聞けば、星人――少なくとも、お伽話の怪物が、実在の脅威として周知されていた時代はあった筈なのだ。

 

 にも関わらず、星人狩り達は、自分達の怪物討伐の英雄譚をお伽話にし、全てを空想のものとした。

 

 そのまま怪物との戦いを歴史として残してくれていれば、自分達が、日常世界とは隔離された真夜中の戦場で、こそこそと人知れずに星人狩りに――ガンツミッションに送られることなどなかったのではないか。

 

 もっと堂々と、民衆の支持を受けながら、胸を張って、誇りを持って、怪物打倒を使命とする戦士達が――自分達よりも、もっとずっと相応しい戦士達が、剣を取っていたのではないか。

 

 菊岡は、和人のそんな内心を知ってか知らずか、両の手の平を上に向けて、首を横に振りながら言った。

 

「さあ。そこまでは知らない。英雄の方々の心持なんて、僕みたいな平凡な人間には想像もつかないよ」

 

 和人は菊岡の言葉に目を伏せる――が。

 菊岡は、ただ――と、言葉を更に続けた。

 

「残された記録だと、星人を隠匿しようと尽力したのは、件の英雄達ではなく、その時代の世界を牛耳っていた権力者達だったらしい。英雄達は、星人狩り達は、何もしなかっただけだ」

 

 時代に身を任せただけだ――と、目の前の水妖精族(ウンディーネ)は言う。

 

「ど、どういうことだ? 一体、どういう目的で――」

「目的――という程、大した理由はなかったと思うけれどね。単純に、忘れたかったんじゃないかな」

 

 忘れたかった。なかったことに――したかった。

 

 そんな、壮大でもなく、深謀でもなく、けれど、ある意味ではとても――共感できる、有り触れた理由。

 

 人間らしい――弱さ。

 

「戦いが終わって、恐怖が去った。怪物に、化物に、怯える日々から、解放された」

 

 だから――忘れることにした。

 

 都合が悪いことからは目を逸らし、背を向け、忘却した――ふりをした。

 

 馬鹿になったふりをした。平和を愛するふりをした。

 真に平穏を守り続けたいなら、戦い続けるしかないことを知っているのに――それに気付かないふりをした。

 

「そ、そんなことを、そんな暴挙を、英雄達は黙って見ていただけだったのか!」

「いつだって、いつの世だって、英雄も戦争が終われば只の人だ。そう、英雄もまた、人間なんだよ」

 

 星人に勝利した、生き残った戦士達は、一様にその後、消息不明になっている。

 故郷に帰った者もいれば、世界を放浪する旅に出た者もいたけれど――共通的に、俗世から自分を切り離した者達が殆どだった。

 

 僅かに表舞台に居残り、平和な世界の権力に椅子にしがみ付いて、政治で人を動かす立場を手に入れようと、権力を求めた戦士もいたはいたけれど――戦争しか知らない戦士に、政争を生き残れる筈もなく、排除された。元英雄だろうと、容赦なく、人間は人間に残酷になれる。

 

 怪物は殺せても、人間に殺されるのが英雄というものだ。

 

 そして、星人狩りとは全く無関係の、戦争を知らない政争人達が、平和な世界を運営するようになり――世界は、人間は、星人を必死に忘れていった。

 

 やがて科学が発達し、夜の世界すらも人間の住処となっていった頃。

 

「誰も信じなくなったんじゃないかな。星人も、星人狩りも、全部お伽話になった。科学が発達し、何でも理論的に成し遂げられるようになって、説明不可能なオカルトを、空想として貶めたんだ」

 

 魔法使いの妖精族の姿のクリスハイトは――科学の力でその姿を得ている菊岡誠二郎は、そう人間の愚かさを語った。

 

 黒い球体の——GANTZの記憶操作のように、理不尽で巨大な力が働いたわけでもなく。

 

 世界中の人間が、自発的に、自己防衛的に、星人の存在を忘れようとした。

 

 自らを脅かし続けた、常識外れの怪物達の存在を――否、常識()()()天敵の存在を、戦争の勝利と共に忘却しようとした。

 

 流れた血と共に、積み上げた屍と共に、夜の闇の中に棄て去った。

 

 そして、背を向け、目を閉じ、耳を塞ぎ――昼の世界に逃げた。

 

「……けれど、星人は、今も生きている」

「ああ。勝者は忘れることが出来ても、敗者は決して忘れない」

 

 戦争の凄惨を忘れない。敗戦の屈辱を忘れない。

 同胞の痛みを忘れない。戦友を悼むことを忘れない。

 

 人間への、復讐を、決して忘れない。

 

「――勿論、それだけじゃあ、ないんだろうけれどね」

「……え?」

 

 ポツリと呟いた菊岡の言葉に、和人はきょとんと問い返す。

 

「…………戦争は、人を変える。ならば、星人だって、変えたっておかしくないだろう?」

 

 そんな和人に向かって、暗闇の中で菊岡は笑みと共に言った。

 

「僕も仕事柄、色んな星人を見て来たけれど、本当に様々だったよ。言葉を解すことも出来ない獣のような星人もいれば、人間よりも遥かに優れた知能を持った星人だっている」

 

 和人は菊岡のそんな言葉に、自分が知る数少ない星人のことを思い出す。

 

 初めて出遭った星人は恐竜だった。

 

 かつて地球の支配者だった恐竜。

 それは、奴等のような星人だったのか――それとも、()()()()()()()()()恐竜を、乗っ取った星人がいたのだろうか。星人へと変えた存在が、いたのだろうか。

 

 昨夜、池袋で戦った――星人にされた、人間だった、あの吸血鬼達のように。

 

「………っ」

 

 和人が唇を噛み締めていることに、気付いているのかいないのか、菊岡は和人の方を見ながら話し続ける。

 

「同じように、かつて人間との戦争を経験した星人達にも、色んなタイプがいるんだ。人間への復讐心に取り憑かれている星人もいれば、戦争に絶望し平和を望む星人もいる。人間との戦争に初めから関心を寄せずに世界の端で引き籠っている星人もいれば、そもそも人間との戦争を知らずに最近になって地球に来訪した星人もいる。一概には言えない。人間だって、国籍が違えば考え方が変わる。星人も一緒さ」

「…………だったら、どうして、未だに俺達は戦争をしているんだ?」

 

 切っ先を向けるように、和人は答えをくれない菊岡を睨み付ける。

 

 モニタの光が反射しているのか、菊岡の眼鏡の下の瞳の色を窺うことは出来なかった。

 

「人間と星人の戦争は終わった。完全に終戦とまではいかなくても、少なくとも昼の世界にまで影響を及ぼすようなものではなくなっていた。そうだな?」

「……ああ」

「なら、どうして俺達は巻き込まれた?」

 

 和人は立ち上がる。菊岡は和人をただ見つめた。

 

「俺はさっきこうアンタに言ったな――俺達じゃなくていいんじゃないのかと。星人との戦争にうってつけの人材なんて、アンタ等ならいくらでも用意出来るんじゃないかって、俺は言ったな。そしてアンタは言った。この世界には、星人狩りという英雄を受け継いだ戦士達がいると。彼等こそ正しく適任だ。その上で、アンタにもう一度問わせてもらう」

 

 和人は菊岡に向かって、一歩を踏み出しながら吠えるように言う。

 

「聞かせてくれ、菊岡さん。伝統の技術と伝説の武器を受け継いだ、対星人のスペシャリスト達を差し置いて、どうして、俺達が戦場に駆り出されているんだ。戦場の最前線に放り出されなくちゃならないんだ。一般人の死人をあんな形で蒐集して、その上であんなゲームみたいな形で、どうして戦争をさせるなんてことになってるんだよ! 英雄の後継者達は! 現代の星人狩り達は! 一体何処で何をしている――」

「――もう、いないんだ」

 

 和人の、言葉が止まる。

 仮想世界のアバターなのに、流れもしない冷たい汗が、頬を伝った錯覚がした。

 

 菊岡は、そんな和人を感情の見えない無表情で見詰めて、見下ろして、無味乾燥な口調で言う。

 

 英雄を受け継ぎし戦士達の――末路を、語る。

 

「滅ぼされたんだよ。地球各地に現存していた――秘密裏に、世界の裏側で、平和な日常を守るべく怪物と戦い続けていた、伝説の英雄の伝統を受け継いできた者達は、本職の星人狩り達は、星人よりも早く、絶滅したんだ」

「滅ぼ、されたって……星人に、負けた……のか?」

「……いいや――」

 

 菊岡誠二郎は、クリスハイトという水妖精族(ウンディーネ)は、静かに言う。

 

 世界を救った英雄を。世界を守り続けてきた戦士を。

 

 滅ぼし、駆逐した、その正体を――自供する。

 

 

「彼等を滅ぼしたのは、人間だ。正確には僕ら、秘密結社――CIONだよ」

 

 

 正確には、GANTZ(黒い球体)とその黒衣の戦士(なかま)達だがね――菊岡は、ずれてもいない眼鏡を押し上げながら、まるで何の感情も見せずにそう淡々と言い切った。

 




水妖精族の大人は、ただ冷たく残酷な世界を、無垢なる黒い少年に語る。

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