比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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――殺してでも、救ってみせる。


Side渚――①

 

 砂嵐が吹き荒れる画面を、いつまでも呆然と眺めていた。

 

(……………あれは、何だったんだろう?)

 

 今日――否、昨日の放課後、茅野カエデ――磨瀬榛名――雪村あかりは、同級生が消失する現場を目撃した。

 

 危うい彼に、壊れてしまいそうな彼に、何も言ってあげられなかったことが苦しくて、先に帰った彼を必死に探した末に、人気のない公園で、件の少年が見知らぬ大人と話し込んでいる場面に遭遇した。

 

 思わず姿を隠し、茂みの中でしゃがみ込みながら、彼にどんな言葉を掛ければいいのかを思案していく。

 あの大人と別れた後で、今度こそ彼と向き合い、そして言葉を届けねば、と。

 

 必死に浮かび上がらせては、消えていく。

 そのどれもが相応しくないような気がして、真っ暗な闇の中を模索していく感覚に陥っていく内に――光が降り注いだ。

 

 光は、彼女の心ではなく、背後を照らし出していて――その先には、彼がいた。

 

 

 潮田渚という少年に、真っ直ぐに降り注いでいた。

 

 

 呆然とし、目を疑った。だが、本当に目を疑ったのは、そのほんの数瞬後。

 

 消えたのだ。

 

 頭の先から、ゆっくりと、まるで天に還るかのように。

 

 

 そう――テレビ画面の向こう側の、あの地獄の池袋で、正体不明の黒い衣を纏った謎の少年と美女と、同じように。

 

 

(………………渚)

 

 茅野は、部屋の隅で小さな体を更にキュッと縮こませながら、瞼の裏にあの壊れかけの少年を思い浮かべる。

 

 人が消える。まるで神に隠されたように。

 

 そんな現場を目撃してしまった混乱は、時間と共に少しずつ落ち着いていった。

 

 池袋大虐殺という、同じようにこの世のものとは思えないショッキングな映像を見せられたことも一つの要因だろうが、幸か不幸か、その映像の最後で()()()()()()()を確認できた彼女は、ようやく現実と向き合う覚悟を固めつつあった。

 

 渚の身に、何かが起きている。

 

 昨朝――唐突に、より危うく、より恐ろしくなった渚。

 

 昨夕――渚を消し去った、天から降り注ぐ謎の光。

 

 昨晩――その謎の光によって同様に消失した、黒い衣を纏う怪物を屠った戦士達。

 

 何かが起こっている。渚の周りで、そして、この日本で。

 

(……………お姉ちゃん……っ)

 

 漠然とした、それでいて強烈な恐怖が茅野を襲う。

 何が起こっているかは分からない。それでも、きっと何か起こり始めている。

 

 茅野は反射的に己の最も頼れる安心源に救いを求めるが、先程から何度も、何度も掛けても、その番号に電話が繋がることはなかった。

 

 愛する姉と連絡がつかない。父親とは既に向こうから連絡が入ってきていてお互いの無事は確認している――が、父親も、姉とは連絡がつかないらしい。

 

 姉――雪村あぐりの安否。それも、あかりの胸を掻き乱す一因だった。

 苦渋の思いで連絡を試みた、姉の婚約者の柳沢の番号も、同じように音信不通であったことも色々な不安を搔き立たせる。

 

 だが、このまま部屋の隅っこで染みになっている場合ではない。

 本来の――雪村あかりとしての明晰な頭脳が、先程から恐ろしい推理を、けれど、決して無視できない可能性を、潮田渚の同級生である茅野カエデとしての自分に突き付け続けている。

 

 地獄という言葉以外では形容出来ない程の地獄だった、怪物の怪物による怪物の為の処刑場と化した池袋。

 やがて、そんな怪物達ですら、更なる怪物により処刑され始め、混沌の極みとなった戦争の終盤。

 

 それはまるで、お伽話の英雄のようだった。

 

 怪物を退治して、戦争に終止符を打った、返り血を染み込ませた漆黒の衣を纏う剣士。

 そして、そんな少年の仲間と思われる、同じように全身に黒衣を纏った美女。

 

(………………怪物は……あの真っ黒の剣士を………“ハンター”と呼んだ)

 

――ハンタァァァァァァァアアアアアアアアアアアアッッ!!!!

 

 まるで積年の恨みを晴らすかのような、宿命の天敵を憎むような、そんな怨嗟の咆哮と共に、黒衣の少年に襲い掛かっていった。

 

 そして、少年は、そんな怪物を一刀に伏せて、こう言ったのだ。

 

――早く逃げろ。アレは……俺が倒すから

 

 黒の少年はボロボロだった。

 

 牛頭の怪物と戦う前から、まるで、ずっと戦い続けてきたかのように。

 

 それでも、怪物へと向かっていった。まるでそれが使命であるかのように。

 怪物と戦うことが、まるで自分達の役目であるかのように。

 

 ただ――その為に、そこにいるのだと言わんばかりに。

 

「………………ッ」

 

 思ってしまう。どうしても、考えてしまう。

 

 あの黒衣の戦士達が、あの怪物達を駆除する為に、あの地獄の池袋に参上したのだとしたら。

 

 あの池袋が、黒衣の戦士達と、鬼のような怪物達の、戦争の、戦場だったのだとしたら。

 

 あの黒い少年と、あの黒い美女と同じように――あの謎の光によって消失した渚は。

 

 あの謎の光の関係者である渚は――もしかしたら――

 

 

――あの“黒衣”の、関係者でもあるのか?

 

 

「………………ちがう、よね?」

 

 そうではないと、思い過ごしだと、考え過ぎだと、そう言って欲しい。

 

 でも、消えない。

 一度思い浮かべてしまったら、一度辿り着いてしまったら、その想像は消えなかった。

 

 危うい渚が、あの冷たい眼差しの渚が、壊れてしまったかのような笑顔の渚が。

 

 あの近未来的な黒衣を纏って、返り血を浴びて――地獄の池袋で佇む姿が。

 

 脳の裏に、こびり付いて消えなかった。

 

「――――ッ!!」

 

 違う。関係ない。渚は、あの黒衣達とは関係ない。

 

 ただ続けて目撃してしまった、似たような超常現象を強引に――繋げてしまっただけだ。

 同級生の神隠しと、あの黒衣の二人の消失は、きっと似て非なるものに違いない。

 

 渚の変貌も、夕方に渚本人が語ったように、母親とのいざこざが原因だ。それだけだ。そうに違いない。だから、これはきっと思い過ごしなのだ。

 

 あの穏やかな少年が、あの危うい少年が、あんな、地獄の、地獄の、地獄の地獄の地獄の池袋に――いたかも――なんて――

 

「………ちがう………よね………………」

 

 声が聞きたい。

 寝惚けた声でも、不機嫌な声でもいい。

 

 どうか、こんな時間に無理矢理起こされた――そんな対応であって欲しい。

 

 そうじゃなくても、ただ声を聞くだけで。

 

 何処にも行っていないのだと。消えてなどいないのだと――死んでなどいないのだと、そう言って欲しい。そう聞かせて欲しい。

 

 ただ――あなたの声が、聞きたい。

 

「渚――」

 

 茅野の指が、携帯端末の、潮田渚の電話帳のページを呼び出す。

 

 そして、そのまま、縋るように電話を掛けようとして――

 

 

「――やめなさい。今度こそ、本当に消されてしまうかもしれませんよ。彼ではなく、あなたがね」

 

 

 パシッ、と。携帯端末の画面を覆い隠すように、綺麗な手が置かれた。

 

 傷どころか染みすらもない。穢れ一つないように見える――殺し屋の手が、置かれた。

 

 少女はハッと顔を上げる。そこには、満月の光を浴びて輝く――

 

 

――『死神』の、笑顔があった。

 

 

 茅野カエデ――雪村あかり――磨瀬榛名。

 三つの顔と、三つの名前を持つ少女は、この日、名も無き『死神』に、微笑みかけられた。

 

 呆然の顔を崩せない天才子役と、無色の笑顔を崩さない殺し屋。

 

 そんな二人の背後で、音もなく開けられた窓ガラスから吹き込む初夏の風が、ゆらゆらと静かにカーテンを揺らしていた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 静かだった。

 

 深夜の暗室。窓から差し込む月光。カーテンを揺らす涼風。

 

 そんな世界で、その『死神』は静かに微笑んでいた。

 

 まるでそこにいるのが当たり前であるかのように、溶け込んでいた。

 こうして面と向かっても、一切の恐怖心が湧いてこない。

 

 そんな感覚を――茅野カエデは知っている。

 雪村あかりも、磨瀬榛名も知らなくても、茅野カエデだけは知っている。

 

 どれほど異常でも、ただそこにいるだけで、あらゆる警戒心を解かされてしまう。

 

 受け入れてしまう――隙を、無防備を、晒してしまう。

 

 そんな存在を、そんな才能を――少女は、知っている。

 

「初めまして、茅野カエデさん。初めまして、磨瀬榛名さん。初めまして、雪村あかりさん」

 

 闇のように黒く、雲のように白く、海のように青く、血のように赤い男は。

 

 どんな色にでも染まり、どんな色にも見えない何かは、微笑みながら言う。

 

「私は、『死神』と呼ばれる殺し屋です」

 

 謎の男は――『死神』は――殺し屋は。

 

 そっと、茅野の手の中の携帯端末の電源を落とし――外部との連絡手段を遮断して。

 

 立ち上がり、窓を閉め、カーテンを閉めた――部屋を閉め切り、密室に閉じ込めた。

 

 唯一の光源である満月の月光が途絶える瞬間、『死神』はこう微笑む。

 

「――今からあなたに、授業をしましょう」

 

 それは――とある黒い球体と、一人の少年の物語です――と、男は語り始める。

 

 見知らぬ殺し屋と、真っ暗な閉鎖空間に二人きり。

 

 そんな異常な教室で行われた『死神』の個人授業は、茅野カエデという少女を、容赦なく――この暗室よりも暗い、満月の光すら届かない夜の世界へと引きずり込む。

 

 怪物が跋扈する戦場を、闇のような黒衣を纏った狩人達が、殺意を迸せながら駆け回る。

 

 涙を流しながら、恐怖に怯えながら、それでも戦士達は怪物と戦う。

 

 見たこともない(スーツ)と、見たこともない武器だけを頼りに、見たこともない怪物へと立ち向かう。

 

 殺して、死んで、生き返って――ただ、戦い、戦い、戦い続ける、傀儡(おもちゃ)達の物語。

 

 そんな真っ暗な夜の物語を、少女はこの時――知ってしまった。

  

 

 

 

 

 空が黒から、段々と青を取り戻し始めた頃。

 

 授業は終わり、チャイム代わりにカーテンが大きく開かれた。

 

 続けて窓を開け、密室を破る男に、項垂れた少女はぽつりと言った。

 

「………………あなたは、誰なの?」

「私は『死神』です」

 

 少女から平和と平穏を奪い去り、殺意と絶望に満ちた世界へと誘った男は言う。

 

「………………あなたは、何が……したいのッ?」

「私は、ただ教えたかっただけです」

 

 とある一人の壊れかけの少年が、どんな物語に巻き込まれているのかを。

 

 小さな体で、小さな生命で――どのような地獄で、微笑んでいるのかを。

 

「……あなたはッ! 私に――何をさせたいのよッ!」

 

 少年と同じくらい小さな体の、小さな生命の、小さな少女は、壊れそうな程に大きく叫ぶ。

 

 涙を浮かべながらも、燃えるような瞳で、世界一恐ろしい殺し屋を睨み付ける。

 

 美しい殺し屋は、美しい笑顔で、美しい声で――『死神』のように、冷たく告げた。

 

「それはあなたが決めることです」

 

 何処からともなく、花びらが舞った。

 

 手品のように唐突に花束を取り出した『死神』は、それを勢いよく放り上げ、部屋中を美しい花で満たした。

 

「っ!?」

 

 そして、茅野が目を開けた時には――『死神』の姿は消えていた。

 

 夜が明けるまで同じ部屋で、それも密室で対話していたのに、去って行くこの瞬間まで、花束の存在どころか、花の香りにすら気付かなかった。

 

 全てが手中だった。あの男の、あの殺し屋の――あの『死神』の。

 

 そして、これから先、茅野がどういった行動に出るのか――この思いも、この想いも、きっと奴の、思惑通りだ。

 

「………悔しいなぁ」

 

 屈さないと、誓った筈だった。

 

 子供を思うがままに操り、自分の理想の偶像として育て上げ、悦に浸る大人達に、絶対に屈さないと、そう誓ってきた筈だった。

 

 例え、それが自分の我が儘なのだとしても、自分を殺されたくないと、戦い続けてきた筈だった。

 

 けれど――今日、茅野カエデは、雪村あかりは、磨瀬榛名は、徹底的に敗北した。

 

(…………でも………死なないッ! 私は、まだ――殺されてなんかいないッッ!!)

 

 少女は唇を噛み締め、嗚咽を堪えながらも、心の中で炎を燃やす。

 世界一の殺し屋だろうと、この決意だけは殺させやしない。

 

 あの『死神』が自分の元を訪れた理由。目的。それは理解出来る。

 そして、自分がその『死神』の、思惑通りに動かなくてはならないのだということも。

 

 これから先、きっと自分は何度となく、あの『死神』と戦わなくてはならないのだろう。そして、幾度となく殺される。

 

 でも――死なない。何度殺されようと、絶対に死なない。

 

「……私は、負けないよ………渚」

 

 あの『死神』が、渚を真っ暗な闇の世界に引き擦り込むというのなら。

 この私が、渚を明るい光の下の世界に何度だって引き戻してみせる。

 

(……それが……あの時、何も言えなかった……出来損ないのヒロインの……私の、責任だから)

 

 雪村あかりは、磨瀬榛名は、この日――茅野カエデとして、心を、固めた。

 あの時に踏み出せなかった一歩を、踏み出す為に、立ち上がった。

 

 目を瞑り、思いを馳せる。

 

 その脳裏には、壊れかけの背中が見える。

 

 返り血で染まった黒衣を纏った、潮田渚の姿が見える。

 

 真っ暗な世界で、怪物達の亡骸の中で、血が滴る黒いナイフを手に、綺麗な笑顔で佇む――(殺し屋)が。

 

「待ってて。渚」

 

 茅野は、その幻影に手を伸ばす。

 今は何も掴めない。ただ空を切るだけだ。

 

 それでも少女は、涙を拭い、立ち上がる。

 

「ごめんなさい」

 

 私は、あなたから逃げた。

 私は、あなたから目を背けた。

 私は、あなたを――殺して、しまった。

 

 あの分岐点(シーン)は、茅野カエデが何も出来なかったあの場面(シーン)は、きっとそれほどまでに重かった。

 

 私は、あなたを、正しく導くことが出来なかった。

 

 私は、きっと、間違えた。

 

「ごめんなさい」

 

 取り返しはつかないのかもしれない。

 もう元には戻せないのかもしれない。

 

 だけど――私は、あなたを救いたいと思ってしまったから。

 

 罪悪感かもしれない。責任感かもしれない。

 贖罪かもしれない。懺悔かもしれない。

 

 それとも――それでも――

 

「――そうと決めたら、私は一直線だから」

 

 誰にも文句は言わせない。あの『死神』にだって、渚にだって、言わせない。

 

――渚君のことを、頼まれてくれないかな

 

 初めは姉の頼みだった。

 だけど、ほんの数ヶ月だったけれど、E組で、茅野カエデとして過ごした日々は、確かに雪村あかりの中に生きている。

 

 失くしたくない――壊されたくない――殺されたくない。

 

 例え、世界一の殺し屋が相手でも、未知なる黒い球体が相手でも、私は只のクラスメイトの潮田渚を取り戻す。

 

 

『――君が、潮田渚くん?』

『えっ? そうだけど……あ、もしかして君が――』

『そう、今日から転入なの。……ていうか、髪長いね』

『あー……個人的には短くしたいんだけど……色々あって、切れないんだよね』

『そうなんだ。じゃあ――こういうのは、どう?』

 

 

「……私は、あなたを――」

 

 茅野カエデは、その手に二つのヘアゴムを持って――己の髪を、二つに括る。

 

 両サイドの側頭部。長い髪を、持ち上げるように。

 

 あの日――彼に初めて会った時――彼の髪を、そうしてあげたように。

 

 

『――あ。……これ』

『どう? 私と一緒! 何なら予備のヘアゴムもあげるから』

『えっと……ありがとう。君は――』

 

『私の名前は――茅野カエデ。よろしくね、潮田渚くん!』

 

 パチンっ、と、髪を結う。

 あの場所へと――E組へと入る為に染め上げた緑色の髪を、あの少年とお揃いの形に。

 

 そして、言う。

 はっきりと、力強く。

 

 演じることに全てを捧げた少女が、偽りなき台詞(さつい)を口にする。

 

「――殺してでも、救ってみせる」

 

 そして少女は――手の中の、小さな黒い球体を握り締めた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 夜が終わり、朝が始まる。

 

 そんな狭間の世界の、とある住宅街の屋根の上で、二人の男――否。

 

 一人の優男と、一匹の雌のジャイアントパンダが対話していた。

 

「――いいのですか? もうすぐ夜が明けますよ。急いで檻の中に戻らないと、この間のようにニュースになってしまうのでは?」

「もはや日中を動物園のマスコットとして過ごすようなフェーズではないだろう。それに心配せずとも、もうすぐ復旧する公共の電波は、今日一日は昨夜の池袋の件でもちきりだ」

 

 パンダの妊娠がワイドショーで取り上げられるような、平和な時代は終わりを告げたのだよ。……残念ながらな――そう、近未来的なスーツを装着した、ジャイアントパンダは渋い声で告げる。

 

「……私と接触する時間はあるのですか?」

「はぐらかすな。お前の言う通り夜明けが近い。檻に戻らずとも、やるべき仕事は山積みなのだ。これから直ぐに本部へと戻らねばならん」

「ふっ。私からすれば、そこも檻と変わらないように思えますが」

「残念ながら職場の愚痴を零す時間も惜しい。単刀直入に問うぞ、『死神』よ」

 

 男よりも高い屋根の上から、見下ろすようにパンダは言う。

 

 

「我々の――CIONの、仲間になりたいというのは本当か?」

 

 

 静かに問い掛けたその言葉と共に――パンダのスーツから()が飛び出す。

 

 メタリックなロボットアームは掌部分に水晶のような球体が埋め込まれていて、それはまるで瞳のように不思議な引力を持っていた。

 

「…………」

 

 男は――『死神』は、ただスッと背筋を伸ばして、いつも通りの微笑みを向けるだけ。

 

 パンダは続いて口を開く――そして、同時に、スーツから大砲を出現させた。

 

「……今まで、都合四度。私の誘いを拒み、柳沢の追っ手を退け続け、組織から放置認定を獲得した男が、どうして今になって、我々の元に馳せ参じる心持になった? 貴様は殺し屋だ。貴様は悪だ。当然、心からの忠誠など求めていない。正義の味方も求めてはいない。思惑もあるだろう。策謀を巡らすのだろう。それでも、私はお前の『無敵』が欲しかった。……だがな、『死神』よ――」

 

 ロボットアーム。大砲。ドリル。サーベル。銛。レーザー。ミサイル――。

 動物園のアイドルの愛くるしい全身を、禍々しい武器、兵器、凶器で彩り、七色に武装するジャイアントパンダ。

 

 かつてCIONは、人間並みの知能を持つ動物兵器を生み出すという目的の元――動物の身体に人間の脳を移植するという狂気の実験(プロジェクト)に挑んだことがあった。

 

 人間が唯一、他の動物よりも勝るもの。

 現地球人類の座を獲得する勝因にまでに至った武器――知能。

 即ち、頭脳――脳。

 

 それを、CIONは動物に授けようとした。

 人間の唯一最大の武器を、鋭い爪を持ち、恐ろしい牙を持ち、強靭な筋肉を持つ猛獣達に授け、人間よりも凶悪な『戦士』を量産しようと試みた。

 

 それは人間の脳の移植から、動物の脳を人間のように作り変えようといったものへと変位して――やがて、人間の思考回路(メモリー)を、猛獣へとインプットするといったものへと変わった。

 

 狂気の実験は、無数の犠牲を生んだ。

 

 実験に使用された身寄りのない子供、人権を剥奪された落伍者達を試験体(モルモット)にして、日夜悲鳴と失敗だけを生み出し続ける実験(プロジェクト)は、やがて数%の動物人間――否、人間動物兵器だけを残して凍結された。

 

 その、悪夢の【改造猛獣兵器計画(モンスターウェポンプロジェクト)】の最高傑作。

 

 一体の実験体(モルモット)から『部隊長』の地位まで上り詰め、カタストロフィまでに『下位幹部』の位も狙えるのではと称される程の――あの『死神』が一目を置く戦士(キャラクター)

 

 全てを失い手に入れた猛獣の身体。唯一残された人間としての知能(おもかげ)

 

 そして、CIONの科学技術班の失敗作(くろれきし)である己に、装備することを実力で認めさせた成功作――【怪物兵装(エイリアンテクノロジー)】という軍事力(ちから)

 

 その人間に、名前はない。そんなものは、とうの昔に失った。

 その獣に、名前はない。リンリンというのは動物園のアイドルの名前だ。

 

 鋭利な爪を持ち、多くの敵を切り裂いてきた。

 凶悪な牙を持ち、数々の星人を噛み砕いてきた。

 強靭な筋を持ち、数多の人間達を吹き飛ばしてきた。

 

 殺して、殺して、殺して――生き残ってきた。

 獣の身体で、化物の装備で、人間の心を、守り続けてきた。

 

 全ての同胞達の失敗(しかばね)の上を乗り越え、ただ一人、たった一匹、生き残り続けてきた。

 

 傷だらけの身体を、継ぎ接ぎだらけの心を――無数の兵器で武装して、戦場を闊歩し、跋扈する怪物達を屠り続けるそのパンダは。

 

要塞(フォートレス)】の二つ名で呼ばれる、一頭で一国を相手取れるとすら言われた、『地球防衛秘密組織CION』の『最終兵器』の一つ。

 

「――地球に仇なすというのなら、この獣を敵に回すと知れ」

 

 彼程の戦士(キャラクター)ならば、このように幾つもの兵器をこれ見よがしに突き付けるなど、愚行と呼ぶに相応しい行動だと理解していない筈がない。

 

 ある程度距離が離れた群体が相手ならば有効かもしれないが、相手は一人、そしてこの至近距離、加えてあの『死神』である。

 この物騒極まりない超最新兵器が真価を発揮する前に、己の首と胴体を切り離されるだろう。

 

 例えそんな暗殺を試みられたとしても只では死なない自信が彼にはあるが、それ以上に、これはパフォーマンスに近かった。

 彼という人獣兵器が、『死神』という底知れないイレギュラーを見極める為の儀式――若しくは、『死神』という男と、ロマンを求めた会話と言える。

 

 己を曝け出し、心を曝け出せという、利益も立場も放り投げた対話。

 獣の身に堕ちても、人間の心を摩耗させ続けても、それでも、こんな男臭いロマンを忘れない。

 

 そんな獣を見て、そんな心を見て――『死神』という殺し屋は、小さく笑みを零した。

 

「……私は、あなた程に人間らしい獣を知りませんね」

 

 男は、どこか眩しいものを見るように俯く――もうすぐ、日が昇ろうとしていた。

 

「――ご安心を。少なくとも、カタストロフィが発生するその時まで、私はCIONに、あなたに、そして地球に害を為さないと約束しましょう。ですから、そのカッコいい武器は仕舞って下さって結構です。流石にニュースになりますよ」

「………では、お前は大人しく、我々の『戦士』となるというのかね」

 

 パンダは兵装を特別製GANTZスーツへと仕舞いこみながら、パンダは問う。

 だが、その問いに対し、『死神』は笑顔で首を振った。

 

「――いいえ。私は、あなた方に協力するとは言いましたが、戦士(キャラクター)になると言ったつもりはありませんよ」

 

 この『死神』は、そこまでCIONという組織を信用してはいなかった。

 自分を呪い殺さんばかりに憎悪している柳沢誇太郎という男が『下位幹部』として名を連ねているし、そもそも目の前の獣を見るだけで、どんな組織か想像がつくというものだ。

 

 そして大前提として彼には、地球という惑星に愛着など、全くをもって存在しない。

 

 彼が信じるものは、生まれたその時から、たった一つの概念のみなのだから。

 

「………何?」

「ですから、私はまずあなたにコンタクトを取ったのです。それ故に、あんなお使いのような真似をしたのですよ?」

 

 彼が言うお使いとは、茅野カエデ――本名を雪村あかりという少女に対する事後処理のことだろう。

 

 本来は念のために口封じをという依頼だったが、先程のあんな事件の後に、池袋からこれほど近い場所に黒衣の戦士を派遣することも出来ようもなく、下手な殺し屋に依頼しようものなら、池袋の件で殺気立っている、()()()()の事情を知らない末端の警察組織に露見する恐れもある。

 

「………あの少女を、抹殺ではなく説得という形で治めたのも、貴様のその目的故なのか?」

 

 パンダは、兵装は出さずとも、冷たい警戒心の篭った口調で告げる。

 

 そう――抹殺指令が出ていた雪村あかりを、生かしたまま、記憶処理すら施さないままに放置するという決断を下したのは、『死神』の独断だった。

 己がCIONに投降する――それを材料に、この『死神』は、雪村あかりに対する処理と、そして、ある権利をCIONから譲渡してもらう契約だった。

 

「――それ程の逸材なのか。君が、そこまで入れ込む程に」

 

 目の前のパンダは、既にその目的について、大凡の検討がついているようだが。

 つくづく目の前の戦士(キャラクター)は、この『死神』を楽しませてくれる――そんな心を隠すように、男は恭しく頭を下げた。

 

「私に『彼』をお任せ下さい。必ずや、カタストロフィにおいて人類の勝利に貢献する殺し屋に育て上げてみせましょう」

 

 朝日が顔を出し、満月が姿を隠す。

 

 狭間の世界の終わりと共に、パンダがゆっくりと、『死神』に背を向けた。

 

「――まあいい。『死神』を手元に置けるなら、こちらとしても歓迎すべきことだ。一応、監視の者は派遣するが、構わないか?」

「ええ。邪魔をするならば殺しますが」

「……ほどほどにしておけ。首輪を付けられない分は自重しろ。……それと、やるからには結果を残してもらうぞ。環境と建前はこちらで用意する。だから、我々の目の届く範囲で、やりたいことをやり給え。そして、どうせならば殺し屋(アサシン)だけでなく、特殊部隊(チーム)をその手で育てるくらいの気概を見せろ」

「……ふっ。そんなことを、上層部は許すのですか? 首輪も付けていない犬に、無駄な力を持たせるようなことを?」

「言っただろう。建前はこちらで用意すると。それに、地球を守る為に、無駄な力などない」

 

 パンダの言葉に、『死神』は笑う。パンダも、笑える機能が残されていたのならば、もしかしたら笑顔を浮かべていたのかもしれなかった。

 

 パンダも例の戦士についての情報は、あの黒い球体の部屋に忍び込むことが決まった時に、最低限の情報を集めている。

 雪村あかりの放置を許容したのは、彼女が組織CIONの下位幹部の柳沢の婚約者の妹であることを知っていたからだ。彼女を“こちら”に引き込むことを条件に、それを黙認することにしたのだ。

 

 故に、()の少年戦士の置かれた環境も知っている。

 根回しが面倒だが、あの『死神』ならば、もしかすると面白いことになるかもしれない――掛ける手間に、盛大な釣りが出る程の。

 

 既に今回の池袋の革命により、当初の青写真は大幅な修正を余儀なくされている。

 あの『会議室』のメンバーがどのように舵を切るのかは分からないが、この程度の遊びならば許容してくれるだろう。

 

 全世界規模、全宇宙規模へと広がるこれからの戦争に置いては、全体的に見れば何の影響も及ぼさないであろう、小さな島国の小さな校舎で行う、ほんの些細な箱庭実験なのだから。

 

 何の影響も及ぼさないのならば、それでいい。考慮するような危険性(リスク)は、ここまで混乱してしまった世界ならば、ほぼないに等しい。

 

 だが、この実験で――英雄を育てることが出来たのならば。

 それは、世界を――地球を救う大きな希望となることが出来るだろう。

 

 英雄の育成を、よりにもよって『死神』に担わせるなど、我ながら何と滑稽だ。

 

 だが――それでこそ、ロマンというものだ。

 

 パンダに光が降り注ぐ。これから嫌な仕事が待っている。その前に面白い仕事が出来たことが、せめてもの気休めだったかと息を吐いた。

 

「――『死神教室』、か。……世界最強の殺し屋の授業を受ける生徒は、色々な意味で不幸だな」

 

 獣に堕とされた男は、そうして、未来があった筈の子供達を嘆いた。

 

 そして、決意する。そんな子供達の、ある筈の未来を守ることが、戦士である己の役目だと。

 

 戦士であり、兵器であり――怪物である己には、もうそれしか、残されていないのだから。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 天へと還っていくパンダの背中を見詰めながら、『死神』は顔を上げて言った。

 

「………あなたは、本当に人間ですね、【要塞(フォートレス)】」

 

 恐らくは、自分と同じように、この世の掃き溜めのような醜い場所で生まれた筈なのに。

 

 そして、自分のように己の才覚のみで独力で生き延びることも出来ず、CIONという巨大すぎる組織に拾われ、囚われ、実験体(モルモット)として人権を剥奪され――獣の身へと堕とされて。

 

 人間の時の名前すら忘れて、心を摩耗させ、文字通りの兵器としてしか生きることの出来ない生命にさせられて、尚――世界の平和を祈っている。

 

 地球を守ること――その為に、生きている。

 

 例え、そう生きることでしか、生きられないのだとしても――それでも、彼は、あるいは彼女は、()()()()を選んだ。守る為に、生きることを選んだ。

 

「………私は――あなたのようには、生きられなかった」

 

 殺すことでしか、生きられなかった。

 

 死だけを、「死」という概念だけを信じて生きてきた。

 

 人は死ぬ為に生まれてきて、殺せば死ぬということだけが信頼できる真実だと。

 

 だから、名も無き少年は殺し屋になり――『死神』という破壊者になった。

 

「私は、あなたのようにはなれない」

 

 誰かを守る為に戦うことも、ましてや地球を守る為に――戦士になることなど出来やしない。

 

 人間は死ぬ為に生まれた生物だ――それは自分も同様。

 否、夥しい数の人間を葬った殺し屋である己は、常人よりも遥かに凄惨な、呪われた死を迎えるのが当然の義務だろう。

 

 よって半年後――地球と共に死に行くのも、いっそ悪くないとも思えてしまう。

 

 そんな人間が、そんな『死神』が、カタストロフィに立ち向かう戦士となれる筈もない。

 

「私に出来るのは、破壊だけだ。私に出来るのは、殺人だけだ」

 

 だから、こんな人間が、こんな『死神』が、残された時間に出来るのは、相も変わらぬ破壊と殺人だけ。

 

 壊す為の頭脳。殺す為の技術。壊す為の肉体。殺す為の――生命。

 残された時間も、きっと『死神』は破壊と殺人に費やすのだろう。今までずっとそうしてきたように。

 

 この汚く、醜い、穢れきった世界を――ああ、そうか。

 

(……私はきっと、この世界が好きではないのでしょうね。……ああ、きっと憎んでさえいる)

 

 故に、『死神』は世界を救う、地球を守る英雄にはなれない。

 彼になれるのは、殺し屋だけだ。きっと、他には、何にもなれない。

 

「……彼は、どうなのでしょうね」

 

――僕を、あなたのようにしてくれませんか?

 

――僕は……なりたい! あなたのように!

 

 自分のようになりたいと言った、あの少年には。

 殺し屋になりたいと言った、あの少年には。

 

 この世界は、果たしてどのように映っているのだろうか。

 

 彼は、自分のように殺し屋になるのか。それとも、あの獣が望むように――英雄と、なるのだろうか。

 

「終焉の時まで、それを見守るのも一興ですか」

 

 英雄になるなら、それでもいい。初めての弟子のように、いつか殺し合う時も来るだろう。

 殺し屋になるのなら、それでもいい。同業者として滅んだ世界を、共に破壊して回るのも面白い。

 

 いずれにせよ――

 

「――退屈せずに、すみそうですね」

 

 そして、『死神』は、とある方角を眺めて微笑みながら――何の光も使わずに、まるで影のように姿を消した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 真っ暗な部屋の中で、真っ黒なナイフを、少年はいつまでも眺めていた。

 

「……………」

 

 初めてナイフを持ったその時を、少年は昨日のことのように覚えている。

 実際、それは昨日のこと――いや、一昨日のことなのだが。

 

 吸い込まれるような、光沢のある漆黒のナイフ。

 これを手にして、見蕩れるように、憑かれるように呆然と眺めていたら――気が付いたら、戦場に立っていた。

 

 そして、このナイフで、初めて生命を奪った。

 恐竜の心臓を一刺し――そして、止めにナイフを九十度に回転して、抉り殺した。

 

 あれが、ほんの一昨日のこと。

 そして昨日――ほんの数時間前。

 

 潮田渚は――生まれて初めて、人を殺した。

 

 殺害した。殺人をした。この手で、人の、生命を奪った。

 

「…………………」

 

 真っ暗な空間で微笑む少年は、ナイフと同じようにあの部屋から持ち帰り、ベッドの上に無造作に放り投げていた警棒(バトン)を手に取る。

 

 ナイフと同じように、漆黒のデザイン。

 まるで平和を守る警察官が身に付けているようなそれの正体は――高電圧スタンガンだった。

 

 渚はこれを、父親のような人間の喉元に突き付け、電流を流した。

 そして、お腹に爆弾を張り付けて、階段から突き落として――殺したのだ。

 

 笑顔で。

 

――『平さん――ありがとうございました』

 

 今のような、美しい笑顔で。

 

「――――ふふ」

 

――『さようなら』

 

「先生、褒めてくれるかな」

 

 その笑顔は無邪気で。

 

「あ、昨日先に帰っちゃったことを、茅野に謝らなきゃ。許してくれるかな」

 

 その笑顔は綺麗で。

 

「神崎さん、大丈夫かな。烏間さん、見つけてくれるといいけど」

 

 その笑顔は透明で。

 

「――さあ。今日もきちんと、学校に行かなきゃ」

 

 まるで――『死神』のような、笑顔で。

 

 渚は、手の中で弄んでいたナイフをケースに仕舞い、腰のベルトに装着して――窓を開けた。

 

 既に朝日が昇り、夜が明けていた。

 

 初めて人を殺した、真っ暗な夜が明け、渚はグッと伸びをした。

 

 そして、いつも通り、制服に袖を通す。

 

 今日もE組(エンド)へ、登校の時間だ。

 

「いってきます」

 

 いってらっしゃい――潮田広海は、手に持ったリカちゃん人形にそう語り掛けた

 




殺人を経験した少年は、いつも通りの笑顔でE組(エンド)へと登校する。

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