比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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まだまだどうして、捨てたもんじゃないな。……人間は。


Side警察――①

 

 日本国――警視庁。

 

 まだ夜が明けてそれほど時間は経っていないが、既に太陽は昇っているにも関わらず、全ての窓にブラインドが下ろされ、電灯も消され、意図的に暗室が作られたこの空間の正面の壁に、とある映像が照射されている。

 

 映像の横に立つのは、がっしりとした体つきでオールバックの無表情な男。

 

 そして、その映像を見るのは、真正面の椅子に腰かけ肘を着いた姿勢の険しい顔をした眼鏡の男と、直立不動で腕を組んだ姿勢の鋭い目つきの精悍な男と、少し離れた場所で壁に背を着けている草臥れた雰囲気の無精髭の男。

 

 大会議室程ではないが、それなりの広さの部屋に――たった四人の男達。

 

 全員が碌に寝ていないが、誰一人として疲労の様子を見せないまま、誰に命じられたわけでもない、独断行動の会議を始める。

 

「――これが、記録として残っている、始まりの映像です」

 

 白い壁に照射される映像の横に立つ男――筑紫候平が、手元の端末を操作しながら言う。

 

 それは、公共の電波に乗せられ生放送されていた為に、既に世界中に流されている――始まりの号砲。

 

 

 

 とある映画のワンシーンの撮影の為にカメラチェックを行っているような様子が流れる。時折スタッフの打ち合わせのような声が聞こえるが、特に何の変哲もない普通のメイキング映像だ。

 

 そんな時、不意に、 パァンッ!! と、乾いた銃声が響いた。

 

 誰かの戸惑いの呟きが漏れた後、まるで水を打ったかのように、辺り一面を静寂が支配する。

 その場にいる全員が、そしてこの映像を撮影していたテレビカメラが、とある一人に視点を向けた。

 

 注目を集めるように、拳銃を天に向かって突き付け、見せ付けているのは、周囲の人々よりも頭数個分は高い上背の――漆黒のサングラスを掛けた逆さ帽の男。

 

 そして、池袋東口前のこの空間を囲い込むように、カメラに映っていない人混みの向こう側から、ごりっ、ゴリッ、と、異音が聞こえる。

 

 轟く悲鳴。響き続ける変形音。

 徐々にパニックが起こり始める中、天に銃を突き付ける男の声を、そのカメラは確かに収めていた。

 

 

――テメェら

 

 

 男の言葉と、そして、凶悪に歪む――化物の、顔を。

 

 

――始めろ

 

 

 直後――断続的に響き渡る銃声。

 

 それと呼応するように爆発する人々の悲鳴と狂騒が湧き起こった所で――その始まりの映像は終わった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――ここまでが、昨夜、都内で発生した大量殺人事件、通称『池袋大虐殺』の、始まりの映像、その一部始終です」

 

 未だ暗い室内にしばし沈黙が満ちるが、やがて映像の真ん前の特等席に座していた眼鏡の男――笛吹直大は、映像に目を向けたまま、椅子の肘掛けに肘を立てたまま、背後の二人の男に向かって言う。

 

「……お前達は、この黒スーツの男達について、何らかの情報を得ていたのか?」

 

 笛吹のこの問い掛けに、少し離れた場所にいて壁に背を着けていた男――笹塚衛士は、低い声で小さく言った。

 

「……その日の午後、とある高校生男女が住宅街で襲われるという事件があった。そして、千葉の方でも、黒スーツの集団が住宅街で暴れたという情報があった。都内の方は、金髪の男が率いるホスト風の集団ということだから、この映像の奴等と同一グループとは断言できないが――」

「少なくとも、予兆はあった、ということだな」

「……ああ。俺達は、それらの情報を元に、黒いスーツの集団について調査を始めるつもりだった」

「ならば何故! すぐ俺に報告を上げなかった!」

 

 笛吹は会議椅子のちゃちな肘掛けに拳を落としながら立ち上がり、笹塚に向かって怒声を浴びせる。

 

「私が幕張の器物損壊事件について腹を立てていたのをお前は知っていた筈だ! その事件に関してどんな小さな情報も求めていたのもお前は知っていた筈だ! それなのに何故、私に一切の連絡もなく独断で行動に走った!」

 

 笛吹の言葉は、只の苛立ち任せの八つ当たりに過ぎない。

 確かに笛吹は階級上の笹塚の上司だが、笹塚も、そして笛吹も、千葉の連続器物損壊事件について正式な職務として調査に当たっているわけではない。上層部が件の一連の事件そのものを揉み消そうとしているからだ。

 

「……すまない」

「――――ッッ!! きさ――」

 

 それが気に食わない笛吹が不満を溜め込んでいた所を、筑紫が気を利かせて笹塚に吐き出させる場を作り、笹塚が何か分かったことがあったら知らせると、そう口約束しただけに過ぎない。

 

 何より、笹塚が今、正式に受けている勅命は――。

 

「――そこまでにしてくれるか、笛吹君。今はそんなことを言っている場合ではないだろう」

「ッ!」

 

 笹塚に向かって牙を剝いていた笛吹を諫めるように、背後から目つきの鋭い屈強な男――烏間惟臣が彼の肩を掴んだ。

 

 思わず振り返って、小柄な自分よりも遥かに背が高い、筑紫のように己を見下ろす形となる烏間を睨むが、烏間は表情を変えずに笛吹に向かって淡々と告げる。

 

「そもそも黒スーツの男達についての情報を得たのは、池袋大虐殺が起こる直前のことだった。池袋で事件を起こすという情報を得ていたのならともかく、黒いスーツの集団が怪しいといった程度の情報を得ていたに過ぎない状況で、今回の事件を防ぐのは難しかっただろう」

 

 笛吹は尚もまだ何か言いたげに眉を顰めるが、己の肩を掴む烏間の手に力が込められるのを感じて、口を閉じる。

 

「今は、責任の在り処を追求する時ではない。これから先、どのように動くかだ」

「……分かっているッ! この手を離せ! その為の会議だ! 筑紫、進めろ!」

 

 笛吹は烏間の手を払い退けながら、ドカッと肘掛け付きの椅子に座る。その際にちょっと肩を触れた。相当に痛かったらしい。

 烏間はチラッと笹塚を見たが、笹塚は無表情のまま、そっと片手を挙げた。

 

「……それでは、続けたいと思います」

 

 筑紫はそんな三人を見た後、再び手元の端末を操作する。

 

 続いて映し出されたのは動画ではなく、静止画――つまり画像だった。

 

「――これらは、池袋大虐殺後に回収された携帯端末に保存されていた、恐らくは現場にいたであろう被害者達が撮影した画像です」

「今まさに殺されかかっているという状況でもカメラを起動するか。現代人の悍ましい業だな。警察(われわれ)にとってはありがたい市民の協力というわけだが」

 

 笛吹は険しい表情のまま言う。笹塚と烏間は何も言わず、ただ画像に目を向けていた。

 

「――池袋東口にて文字通りの号砲を放った黒スーツの集団は、そのまま一部が禍々しい姿の怪物へと変貌し、主要な道路を封鎖しました。封鎖と言いましても、あくまで人間大の怪物が立ち塞がったというだけなので、逃げられた者達もいたでしょうが……大多数の人達は、池袋駅周辺エリアに監禁されたことになります」

「…………怪物、か」

 

 笛吹は、人間が怪物へと変貌する様を写した画像、そしてその怪物が人間を襲う様子を写した画像を見ながら、呟く。

 

「――テレビカメラからは東口での凄惨な殺害映像のみが流れ続けていましたが、虐殺範囲は怪物によって封鎖された池袋駅周辺のかなり広いエリアに拡大していったと思われます。主犯格とされるこのサングラスの男も、早々に東口から姿を消していました。黒いスーツの集団はこの段階で、東口に残ってテレビカメラに向かって見せつけるように虐殺をする者達と、逃げ去っていった人達を追い掛けていった者達に別れます。被害者達は、道路だけでなく電車や地下鉄といった交通機関を頼ろうとしましたが、そこにも既に黒いスーツの集団……いえ、怪物集団が先回りしていたようです」

「……大体、この時点で俺達に連絡が入ったわけだ」

 

 筑紫の説明が途切れた所で、笹塚が呟くように言う。

 それに合わせて、烏間が顎に手をやりながら考え込むように言った。

 

「確か、サンライト通りに警官隊を派遣するから、そこに合流してくれと言った要求だったな。……疑問なのだが、どうして他のポイントからは、警官隊を派遣しなかった? 当然、怪物達の包囲網を、更に外側から包囲していたのだろうが、結局そこから中への侵入を試みた部隊はいなかったのだろう」

「……正体不明のテロリスト集団だったからな。東口での虐殺映像を見る限り、敵はかなりの人数の人質を抱えていた。その上で、奴等は謎の怪物へと変貌を遂げた。……当時、本庁は混乱の渦だった。正直な所、正確な事態を把握するまで動きたくなかったというのが、組織としての本音だろう。だが、現在進行形で人が殺され続けている中、何も動かないというわけにはいかない。……よって、先遣隊という名目で彼らのみが捨て駒のように派遣された。その結果が、あの様だ!」

 

 目的も正体も不明の、悍ましい怪物へと変態するテロリスト集団。

 一切の要求もなく、ただ人々を見せつけるように虐殺する彼等に対し、日本警察が採った対抗策は、策とも言えぬ実にお粗末なものだった。

 

 人が殺されているというのに何もしないわけにはいかないからとりあえずと言った、まるで言い訳のように派遣された警官隊。

 並行して、怪物を包囲するというよりは、これ以上一般市民を池袋に入れない為に敷かれた包囲網の配置。

 

 その間に、大会議室では凄まじい怒号が飛び交う会議を行っていたらしい。

 下手に犯人を刺激するわけにはいかない――人質の安全が第一だ――その人質がこうしている今も殺され続けて――自衛隊との協力は――犯人の要求はないのか――あの黒いスーツの集団の情報は――等々。

 纏める者もおらず、ただ焦燥に突き動かされて開かれた大会議室での会議は混迷を極めていき、次第に、お決まりに、責任の在り処を追求する押し付け合いへと変わっていった。

 

 ブチ切れた笛吹が机に両手を叩き着けマイクを握った所で――警官隊の敗北と。

 

 

 謎の戦士の出現が報告された。

 

 

 

 

 

+++ 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 笛吹は、険しい表情を隠そうともせず、まるで睨み付けるように映し出された画像を見る。

 

 提示されたのは、とある五名の、近未来的な光沢のある漆黒の全身スーツを身に纏う少年少女達。

 

 一際大きく表示されたのは、鬣のように逆立つ金髪に、巨躯なる身体、傷のある眉の男。

 その横に水色髪の中性的な少年。怯えながら笹塚の後ろに隠れる小柄な少女。

 斜め下に、片腕を失った黒髪の剣士と、彼を支える豊満な体つきの絶世の美女。

 

「――以上が、我々が記録として確認出来た、謎の黒衣の戦士達です。内三名が、笹塚さんと烏間さんがコンタクトに成功した者達。そして残る二名が、東口の映像に姿を現した戦士です。中でも、この黒髪の剣士は、現在インターネット上では英雄と呼ばれています」

「…………英雄、か」

 

 笛吹は吐き捨てるように言う。

 そして、忌々しげにこう告げた。

 

「……この黒衣の存在が報告された後だ。会議は、ほぼ強制的に終了となった」

「……どういうことだ?」

「決まっている! 上層部の圧力だ! 犯人を刺激し過ぎないよう、現場警察官達は池袋周囲の隔離に努めろ、そして、その黒衣に関しては手出し無用だとのことだ!」

 

 笛吹は怒声を上げながら立ち上がる。

 そして、黒衣の少年少女達の画像を指さしながら、忌々しげにこう吠えた。

 

「上層部は! ――この場合の上層部とは、警察関係だけを意味しない! 間違いなく、()()()の上層部は! この正体不明の黒衣達について、何を知っている! 以前から何かを知っていた! 恐らくは黒衣の存在だけでなく、あの怪物達についてもだ!」

 

 笛吹が感情を剥き出しにして吠えた後、こちらはまるで感情を失っているかのような淡々とした口調で笹塚は言う。

 

「……あの女の子の黒衣が言うには、彼等は宇宙人と戦争をしていると言っていた。黒い球体が指示を出し、瞬時に何処かへと転送させて、戦場へ放り込むのだと」

「ふざけた話だ! SF映画の主人公にでもなったつもりなのか!」

「だが、まるで映画のような怪物が出現したのも、そして、彼等がまるで主人公のように、その怪物達を打倒したのも、また事実だ」

 

 笹塚の言葉を笛吹は嘲笑うかのように吐き捨てるが、烏間は冷静にこう告げる。

 

「彼等は、身体機能を大幅に上昇させる特殊なスーツを揃って身に付けていた。その他にも銃や爆弾など、我々警察や自衛隊すら装備していないような、現代科学では到底不可能であろう、正しくSF映画のようなオーバーテクノロジーの武器達もな」

「……そうだな。彼等が未来からやってきたと言われても、却って納得してしまいそうだ。なにせ、東条と呼ばれていたあの大柄な彼は、空から降り注いできた電子線によって召喚されたかのように現れたんだから」

「くそッ! どいつもこいつも! 我々を馬鹿にしているのかッ!」

 

 笛吹は再び、荒々しく席に着く。

 この怒りを笹塚にぶつけないのは、それが笹塚の言葉だけでなく、池袋駅東口での最終決戦の映像に、しっかりと記録として残っているからだろう。

 

 謎の黒衣達は、光と共に現れ、そして光と共に、忽然と池袋から姿を消したのだ。

 

「……彼等の正体は、まるで皆目見当もつかない。あの少女が言っていたことが本当のことかも分からない。だが確かなのは、彼等がいなければもっと被害は甚大だったということだ。彼等がいなければ、あの地獄の夜が、一夜で終わることはなかっただろう」

 

 烏間は言う。

 その言葉に、笹塚も、筑紫も、そして笛吹すらも何も言わなかった。

 

「……通常――という言葉が当て嵌まるのか、この場合は分からないが、あの怪物集団の中には数体、通常の個体には見られない特殊な能力を持つ、別格の戦闘力を持つ個体が存在した。恐らく、あのテロリスト集団の幹部だったのだろう」

「……俺等があの現場に着いた時に化物へと姿を変えた毒蛇のような個体はともかく、あの炎を使う化物と、岩に変化する化物、あの二体は間違いなくそうだった。……確かに、アレ等を逃がしていたら、間違いなく今も戦争の真っ最中だろうな」

「……我々警察や、自衛隊だけでは抑えきれなかったというつもりか?」

 

 笛吹が睨み付けるように笹塚に言うと、笹塚は気だるげながらも笛吹の目をはっきりと見据えて言う。

 

「そうは言わない。が、少なくとも今日明日の解決はキツイ。奴等には、ちゃんとした知能があった。人間並みのな。そして姿も人間に化けられる。……奴等を討伐するには、それこそ綿密な作戦と、それ相応の纏まった戦力の用意が必要だと、俺は思う。そして、それを用意する頃には――奴等は幾つもの街を滅ぼしている」

「……そうだな。情けない話だが、彼等がもし負けていたら、奴等は我々が用意した包囲網など容易く突破し、より多くの化物が、再び一般人の雑踏の中に紛れ込んでいただろう」

「――随分と、奴等の肩を持つじゃないか、笹塚、烏間。それにその言い方だと、まるで昨日の怪物達の何体かは、今も何処かに紛れ込んでいるかもしれないと言った風にも聞こえるぞ」

 

 笛吹の目を細めた表情から放たれた言葉に、烏間も、笹塚も口を噤む。

 だが、それは一瞬のことで、笹塚は再び静かに言葉を続けた。

 

「……そうだ。昨日の化物達は――奴等は自分達のことを吸血鬼と呼んでいたが――吸血鬼は、根絶してはいない。少なくとも、俺は奴等以外の他の吸血鬼と会っている」

「貴様が昨夜、真っ先に指名手配を要求した、フードに眼鏡の男か」

「……ああ。その他に、悪魔のような山羊の被り物をした……怪物がいた。そいつは、幹部クラスであろう岩の吸血鬼を圧倒した東条君を、全く寄せ付けずに圧勝していたよ」

 

 つまり、少なくとも昨夜のテロを引き起こした怪物よりも、遥かに強い怪物が二体、今も何処かで息を潜めているということ。

 

「――そして、そんな奴等を貴様はのこのこと逃がしたわけだ。それも、当時は意識が朦朧としていて、その者達と合流してきた他の数名の何者かの存在については、顔も覚えていないときている。……これだけでも警察手帳を辞表と共に差し出すことを要求されても何も言えんレベルの失態だな」

「……そうだな。そうしろと言われたら、そうするよ」

 

 筑紫が「しかし、その場にいた他の警察官達は皆、恐らくはその者達が放ったと思われる術のような何かで気絶させられています。ただ一人、意識を保ち、その中の二名の人相をも把握した笹塚さんは、むしろ――」と笹塚をフォローしようとするが、「黙っていろ、筑紫」と笛吹が一喝する。

 

「――笹塚(コイツ)が、市民の安全を著しく脅かしかねない怪物を野に放ったのは、紛れもない事実だ」

「…………」

 

 そう言い切られ、筑紫も、笹塚も何も言えずに口を閉じる。

 笛吹は「まぁ、警察の包囲網を()()()無傷で突破した時点で、今すぐに何かをどうこうするといった思惑は、向こうにもないようだが」と言い、今度は烏間の方を睨み付ける。

 

「それに、怪物を取り逃がしたといったことに関しては、お前も同罪だな、烏間」

「……ああ」

 

 笛吹は烏間を睨み付けたまま、筑紫から端末を奪い、二枚の画像を表示する。

 

「世界最悪(さいこう)の殺し屋――通称『死神』。そして前科1000犯を超えるギネス級の犯罪者――葛西善二郎」

 

 一枚は、とある空港での隠し撮り写真で、全世界で唯一存在し、全世界の警察機関が共有している、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が見切れている写真。

 もう一枚は、全国各地の大小問わず全ての警察機関に張り出されている、葛西善二郎の指名手配写真。

 

「――この二人が、昨夜の池袋に姿を現した。そして、この二人を前にして、あろうことか両者とも取り逃がした。これは事実だな?」

「……ああ。俺はこの二人と会話までした。だが、何も出来ずに取り逃がしてしまった」

 

――火火火。始まったな……。

 

――……答えるつもりはないと、そう言ったらどうします?

 

 あの夜、確かに二名の伝説の犯罪者は、地獄と化した池袋に存在したのだ。

 

「奴等の目的は?」

「……分からない。奴等が吸血鬼達と協力関係にあったのか、それとも別の目的があったのか、それともたまたま居合わせただけなのか……俺は何も掴むことが出来なかった」

「――ッ!! 全くッ! どいつもこいつもッ! これでは只の敗北者の集まりではないか!」

「っ! 先ぱ――」

 

 筑紫は、あまりの笛吹の言い草に思わず口を挟もうとして――バンッと、机を全力で叩く音と、続く叫びに身体を止める。

 

「――私も含めてだッッ!!!」

 

 笹塚、烏間、筑紫が、震える笛吹の背中を見遣る。

 笛吹は、既に何度も至る所に八つ当たりでぶつけた拳と、心を、赤く腫れ上がらせながら、血を吐くように言った。

 

「……昨日、私は魚人の怪物を早々に片付け、貴様らに預けた池袋へと一刻も早く向かうつもりだった」

 

 謎の黒衣の出現と共に強制閉鎖された対策会議。

 だが、当然ながらあのような言い分で誰も納得できる筈もなく、会議の閉鎖を告げに現れた上層部の連中に一斉に詰め寄っていた頃から――間もなく。

 

 とある港から、謎の巨大生物が上陸したとの知らせが届いた。

 

 これ幸いとばかりに、上層部はこの未確認生物の討伐を命じる。

 そして、それを最もらしく、池袋へ救援を送れない理由へとすり替えた。

 

 だが、笛吹はそれを好機と取った。

 上層部(やつら)は、曲がりなりにもそれを池袋へ救援を送れない理由へと位置付けた。ならば、魚人を討伐後、今度はこちらがそれを理由に、その部隊をそのまま池袋へと送ればいい。

 

 当然、上層部は何かと再び理由を付けてそれを阻止しようとするだろうが、その時には既に()()()()()()()()()()。理由はいくらでも後でこじつけられる。どう考えても、一般的に見れば正しいのはこちらなのだから。

 

 どれほど巨大な権力(ちから)が動いていようが、警察官として、あのような惨劇を黙って見ていることなど出来るわけがない。

 奴等の企みを打ち砕き、そして夜が明けたら必ず白日の下に晒す。

 

 己の心にそう決意を刻み、笛吹は巨大未確認生物討伐部隊指揮官として名乗りを上げた。

 

 

 そして――戦争開始から、およそ一時間後。

 

 

 人間は、怪物に勝利した。

 

 

 

 筈――だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 時は遡り、昨日――深夜。

 

 場所は、池袋から遠く離れた、とある港町。

 

 そこでは、もう一つの――怪物と人間の戦争が、今まさに終結しようとしていた。

 

 

 

 

 

 全長二十メートルは下らない、魚頭人体の怪物。

 

 銃弾も効かず、戦車すらも薙ぎ倒すこの怪物を、人間達は僅か一時間で討伐した。

 

「――よし! そこまでだ! 攻撃終了!」

 

 地に倒れ伏せ、身体に何本もの鋼鉄のロープを巻き付けたまま、絶命しているように見える魚人。

 両眼は真っ先に潰され、銃弾を弾き返した鱗には巨大な銛のようなものが何本も突き刺さっている――それはまるで、漁師に獲られた魚のように。

 

 紛れもなく、人間の勝利だった。

 正体不明の怪物を、人間の力で打倒した光景だった。

 

 だが、人間達の被害も、また甚大だった。

 

「………………」

 

 先遣隊として派遣された警官隊、援軍として駆け付けた自衛隊――双方ともに大勢の死傷者を出した。

 

 笛吹直大は小高い場所から、辺り一面に広がる、負傷し疲労した戦士達の姿を見て、拳を握り締めて歯噛みする。

 

 これほどの怪物を、たったの一時間で討伐した偉業には、この笛吹の力も大いに貢献している。

 見たこともない異形の怪物を前にし、少なからず混乱していた部隊を一喝し、警察と軍隊という異なる色の組織力を完璧に纏め上げ、魚人の戦闘を観察し、有効な作戦を次々と提示した。

 

 無論、彼一人の力で勝利したわけではない。だが、少なくとも、この戦いを短期決戦とするべく、戦局を誘導したのは笛吹だった。

 

 その結果が、この偉業と――この惨状。

 

 陸地に打ち上げられた魚のような怪物の死体の前に、砂浜のように広がる、負傷者、死傷者達の群れ。

 

(………もっと、危険性(リスク)よりも安全性を優先すれば……これを半分に減らせたのだろうか)

 

 それは、あくまで結果論だろう。

 時間を掛けて追い込めば、それだけ死傷者が増えたかもしれない。この怪物を市街地へと侵入させ、もっと被害を増やしたかもしれない。

 

 だが、笛吹が安全性を犠牲にして、危険性が大きくとも、戦士達に特攻を命じたのも、また事実だった。

 

「………先輩」

「――何をしている、筑紫。早く、あの怪物の絶命を確認するように通達しろ」

 

 立ち尽くす笛吹の背中に気遣うような筑紫の声が届くが、笛吹は振り返ることなく筑紫に命ずる。

 筑紫は「……はい」と答えると、そのまま指揮車の中へと戻っていった。

 

「……………」

 

 笛吹は、目の前の地獄絵図を、目に焼き付ける。

 

 笛吹直大は、エリート街道を足並み止めることなく突き進み、瞬く間に()()使()()ポジションを手に入れた。

 だが、当然ながらそれは捜査を指揮するといった仕事で、今回のように軍隊を指揮し、命を奪う指示を下すのも――死ねと命ずるのも、初めての経験だった。

 

「――――ッ」

 

 心が軋む。

 後悔はしていない。だが、懺悔の気持ちが、無いといえば嘘になる。

 

 自分の指示に納得しなかった者もいるだろう。門外漢の警察官が指揮するということに不満を持った者も、不安を抱えながら戦い――散った者も、いるだろう。

 

 それでも笛吹は、胸を掻き抱きながらも――痛みと共に、決意を固める。

 

 疲労し、傷つき倒れている者達に。勝利に安堵し、涙を流して生還を喜ぶ者達に。

 

 再び立ち上がり、銃を持ち――新たな戦場へ向かってくれ、と。

 もう一度、地獄で戦い――死んでくれ、と、命じることを。

 

 向かわなければならない。一刻も早く――新たな戦場へ、未だ怪物がのさばる、池袋へ。

 

「…………」

 

 そう決意し、己も指揮車に戻ろうとした――その時。

 

「な、なんだアレは!?」

 

 笛吹の眼下――怪物の死体の周囲から、そんな叫びが聞こえる。

 

「ッ、何だ――!?」

 

 直ぐに笛吹は振り返り、丘から戦場を見下ろすと――魚人の死体の上に、無数の蝙蝠が集結していた。

 まるで死肉を貪りにきたかのような不気味な光景だったが、やがて蝙蝠はバラバラに散り出し――その場所から、謎の二人組が姿を現した。

 

 着流しの和服姿の漆黒の青年と、豪奢なドレスを見に纏う紅蓮の幼女。

 

「おやおや。まさかこんなに早く邪鬼を倒すなんてねぇ~。人間も捨てたもんじゃないなぁ」

「……いいからさっさと済ませろよ。幾ら人間から隠れるのをやめたからって、目立つのは好きじゃねぇんだ」

 

 まったくレディをあんまりせかすもんじゃないぜ――と言いながら、幼女は青年の肩から降りる。

 

 その時、近くにいた自衛隊が、銃を向けながら警告を発した。

 

「お、お前達は何者だ! 今すぐそこから――」

 

 だが、次の瞬間、キンッ、という甲高い音と共に――その銃身だけが、ぽろっと地面に落下する。

 

「な――」

 

 人間が絶句する中、腰に下げた白鞘に、そこに収められている黒刀の鍔に手を添えながら、漆黒の青年は言う。

 

「――悪いな。レディの食事中だ」

 

 その言葉と共に――静かに青年は覇気を放つ。

 

「ッ!?」

 

 まるで波が伝播するように、一人、また一人と、バタバタと怪物を打倒した英雄達が倒れ伏せていく。

 

「な、なんだこれは――ッ!?」

 

 摩訶不思議な現象に、歴戦の人間達は銃を構え、通信機器に手を掛けようとするが、それを行動に移す前に、まるで妖術のような何かに頭を揺さぶられ、心を掻き乱されて倒れ伏せていく。

 

 それは、己よりも圧倒的に上位の生物に睨まれたことによる、根源的な、純粋な――恐怖。

 

 たった一体の怪物に対する勝利など何の慰めにもならない――屈辱的なまでの、蹂躙だった。

 

「……さっさと済ませろ、リオン。直に夜が明ける。そしたら燃えるぞ、お前」

「だから急かさないでくれよ、狂死郎。今日だけでどれだけ食べてると思ってるんだ。僕はグルメではあるけど大食いキャラではないんだぜ」

 

 まったく狂四郎はもうまったく――と言いながら、むしゃむしゃと四つん這いで魚人を食らう幼女。

 だが、本人の言う通り、そのペースは決して早いとは言えず、結構時間がかかりそうだなと、狂死郎は欠伸をした――その時。

 

 キンッ、という甲高い音が聞こえた。

 

 その音に、口を真っ赤にしたリオンが「ん?」と顔を向ける。

 

「どうしたんだい? 狂死郎」

「…………いや」

 

 狂死郎はリオンの方に目を向けず、ただとある一点を見つめて――口元を緩める。

 

「…………何でもない。口よりも……やっぱり口を動かせ。ただし会話じゃなくて、食事方面で」

「むう。今日の狂死郎は冷たいぜ。明日からダイエットに付き合ってもらうからね」

 

 バクバクと素直に食事に戻った幼女に目を向けず、青年は立ち上がり、嬉しそうに笑う。

 

「――確かに、まだまだどうして、捨てたもんじゃないな。……人間は」

 

 

 

 

 

 薄れゆく意識の中、必死に柵にしがみ付いていた笛吹は、ただその姿を目に焼き付けようとした。

 

「……はぁ……はぁ…………クソ…………クソォッ!」

 

 震える手は、遂にその拳銃を落とす。

 

 それは、笛吹の最後の意地だった。人間の、只の哀れな悪足掻きだった。

 

 こんな小さな拳銃では、到底あの二人組には届かないだろう。

 それでも笛吹は、ただ現実を認められなくて、この警察官の証である拳銃で奴等を狙った。

 

 結果、その拳銃は奴等に届くよりも遥か前で、見えない何かで弾き返された――届く筈もない銃弾が。

 それが意味するのは、奴等にはこちらが見えているということ。そして、例え届く距離から放っても、容易く弾き返されるだけということ。

 

「くそ……おのれ……化物め……ッ」

 

 笛吹は拳を握り締め、唇を噛み締めて、必死に昏睡を防ごうとする――が、心を揺さぶるこの恐怖が、そんな人間のささやかな意地すらも嘲笑う。

 

 ただこうして笛吹だけが、気絶を僅かながらも耐えていられるのも、単なる物理的距離が要因だろう。奴は波状的に広がる何かを放った。故に、離れた位置にいる笛吹は数秒だけでも耐えられたのだ。

 

 だが、奴にとっては挨拶代わりに放ったのであろうこの覇気だけで――奴等が人間ではない何かなのだという証明には十分だった。

 魚人を食らっているように見えたことから、あの怪物とは別の何かなのか――そんなことを思考することすら、笛吹の薄れゆく意識では許されない。

 

 ただ、この残された僅かな時間に、笛吹はこの屈辱を目一杯に刻み込む。

 

「……お前等の……好き勝手にさせると思うなよ……ッ」

 

 人間の、その執念の言葉が聞こえたかのように、化物の青年は、静かに口元を緩ませた。

 

 そして――笛吹直大は倒れ伏せ、この戦場にいる全ての人間達が、たった二体の化物に屈服するかのように地に伏せた。

 

 しばらくの間、全てが終わった戦場では、幼女の咀嚼音だけが響き続け。

 

 夜が明け、太陽が昇り始める頃――人間達は目を覚ました。

 

 そこには魚人の肉片一つ残っておらず、青年と幼女の影の形すらも残っていなかった。

 




無力な人間は、怪物の恐怖をその身に刻み、屈辱を噛み締めリベンジを誓う。

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