比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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これが――敗北ではなく、なんだというのだッッ!!


Side警察――②

 

 昨夜の、池袋から離れた地で行われていた、もう一つの人間と怪物の戦争。

 

 その顛末を語り終えた笛吹は、もう一度、震える拳を、机の上に叩きつける。

 ダァン! という音が会議室に響き、その拳が己を痛めつけているかのように表情を歪ませ、怪物を打倒し勝利した人間は、化物に手も足も出ずに敗北した人間は――誇り高き日本の警察官は、血を吐くように呻く。

 

「――屈辱だ……ッ」

 

 震える男の小さな背中を、笹塚衛士は、烏間惟臣は、何も言わずに無表情で見詰める。

 燃えるような憤怒に染められる男の醜い顔から、筑紫公平は、一度口を開きながらも、俯くように閉口し目を逸らした。

 

 そして、再び、口を開いたのは、笛吹直大だった。

 

「……私は……警察は……人間は。昨夜――怪物に……化物に……負けたのだ……っ」

 

 だらりと、何度も怒りをぶつけて赤くなった手を垂らし、小さな男は、小さく呟く。

 

「昨夜……池袋では、街を赤く染め上げるような夥しい程の血が流れ、未だ正確な人数が把握できない程に無数の罪なき一般人が死んだ。そして、私の指示で、見上げる程の巨大な未確認生物に立ち向かった勇敢な者達が、虫けらのように命を散らした。……にも関わらず――今もなお、確認できるだけでも四体の怪物が! 化物が! のうのうと人間(われわれ)のふりをして! 化けの皮を被り直して生きている! 何の罰も受けずにだッッ!!」

 

 笛吹は、再び声を張り上げ、真っ赤な手を、再び痛めつけるかのように、大きく振り上げ、叫ぶ。

 

「これが――敗北ではなく、なんだというのだッッ!!」

 

 そして、その振り上げた手を――笹塚衛士が、無言で止めた。

 

「…………なら、これからどうする?」

 

 笛吹は、笹塚の行動に目を見開いたが、すぐに荒々しく振り払うと「――決まっているッ!」と吐き捨て、笹塚を、烏間を、筑紫を見据え――宣言した。

 

「捕まえるのだ。一刻も早く逮捕し、然るべき罰を受けさせる。それが、あのような脅威を取り逃がし、野に放ってしまった我々の贖罪であり……この国に住まう全ての一般人を守る――」

 

 小さな男は、その赤い小さな拳を、赤く、赤く、燃え上がらせるように――強く握る。

 

「――我々、警察の仕事だ」

 

 その言葉に、笹塚は、烏間は、無言で、無表情で答える。

 筑紫は、そんな男達を遠巻きで眺め、小さく笑みを浮かべた。

 

「――笹塚」

 

 笛吹は笹塚の名を呼ぶと、笹塚が口を開く前に、目の前の机にダンっと手を着いた。

 笹塚がその手を見下ろすと――小さく、瞠目する。

 

 そこには――笛吹直大の警察手帳があった。

 

「……貴様は言ったな。化物を野に放ったが故に、私が警察手帳を差し出せと言ったら差し出すと。……これが、私の答えだ」

 

 笛吹直大は、目の前の同い年の後輩に向かって、旧知の同僚に向かって、忌々しい部下に向かって言う。

 

「貴様の失態は、貴様自身で取り返せ。私も、どんな手段を取ろうとも――誰と、何と戦うことになろうとも、必ずこの屈辱を晴らしてみせる。これが、私の答えだ。これが、私の覚悟だ」

「……そうか。なら、俺もそうしよう」

 

 笹塚は、まるで煙草を取り出すかのような気安さで懐に手を伸ばし、そしてそのまま、取り出したものを机の上に置く。言わずもがな、それは笹塚衛士の警察手帳だった。

 

「……付き合うよ。個人的に、調べたいことも出来たしな」

「相変わらず気に食わん答え方しか出来ん奴だ。――やるからには、私の指揮下で動いてもらうぞ」

「了解」

 

 続いて笛吹は、筑紫に、そして烏間に目を向ける。

 

 筑紫の答えは決まっていた。

 

「当然、私も付いていきます。お二人になら、この命だって預けられる」

 

 そういって筑紫は、警察手帳を差し出しながら、笑顔で言う。

 

「……私は警察手帳を持っていないが、このままここで降りるわけにはいかないだろうな。覚悟を決めよう。これは国の一大事だ。それに――」

 

 烏間の脳裏に、昨夜の燃えるビルディングの中での光景が過ぎる。

 

 すらりとした体躯。まるで意図的に揃えたかのように真っ黒な衣装。そして、無機質なガスマスク。

 

「――奴を逮捕するのが、今の俺の任務だからな」

 

 烏間の鋭い視線を受けて、笛吹は注目を集めるように、会議室の前方のスペース――映像が照射される壁の前に立ち、「では――纏めるぞ」と言いながら、再び会議を再開させる。

 

「――奴等は、自らを吸血鬼と名乗った怪物だ。人間の姿の時は好んで黒いビジネススーツのような衣装を身に纏い、恐らくは集団で行動している。そして、化物のような醜悪な姿に変貌し――人間を襲う」

 

 奴等は、夜の池袋に突如として現れ、虐殺の限りを尽くし――人間の輝きに満ちた繁華街を、世にも無残な地獄へと変えた。

 

「……そして、そんな地獄に、謎の黒衣の戦士達が現れた」

 

 筑紫公平は言った。

 

 流血と悲鳴と死体と絶望で満ち溢れた池袋に、天から降り注いだ光と共に現れた、機械的な漆黒のスーツの人間達。

 

 そして、池袋は、怪物と黒衣の戦場と化した。

 

「……怪物と、黒衣。そこに、放火魔と、死神が加わり……しまいには、新たな化物まで現れた」

 

 笹塚衛士は言った。

 

 吸血鬼と名乗るオニ達に、近代的な未来兵器を携え立ち向かう黒衣の少年少女達。

 

 そんな戦場に、伝説の犯罪者と、世界最悪の殺し屋まで現れ――そして。

 

 戦争のクライマックスに、新たな巨大な化物が、突如として空から現れた。

 

「現在、確認されている巨大怪物は、『翼竜』と『牛人』、そして『魚人』の三種。うち『魚人』は笛吹君らが死亡を確認し、『牛人』は【英雄】によって打倒された映像が残っている。『翼竜』は池袋のとあるビルに激突した映像は残っているが……それ以上は記録としては残されていなかった」

「警官隊が現地のポイントに向かった結果、そのビルの前の通りに夥しい量の血痕が残っていましたが……死体は確認できませんでした」

「恐らくは、例の『紅蓮』が食ったのだろう。証拠隠滅のつもりか……わざわざ、遠く離れた地にまで瞬間移動し、『魚人』を食いに来た程だからな」

 

 烏間惟臣の言葉に、筑紫と笛吹は言う。

 

 吸血鬼による虐殺が行われていた戦場に、突如として飛来してきた別格の化物達。

 人の言葉を解さず、ただ怪物のように縦横無尽に暴れ狂う――『牛人』、『翼竜』、『魚人』。

 

 この三体の化物は、果たして吸血鬼の仲間だったのか。それとも別の――別種の、何かだったのか。

 

「真相は不明です。笹塚さんは、怪物の――吸血鬼の幹部達が、この化物達の登場を予期していたかのような呟きを漏らしたのを聞いていたそうですが、東口での映像では『牛人』が無数の一般吸血鬼達を蹂躙している様子を残しています」

「その映像にも、この力がやがて『黒金』の力になると、吸血鬼が叫んでいる様子が残されている。その『黒金』とやらは奴らのリーダー格だったようだが、生存は不明だ。『牛人』、『翼竜』、『魚人』も恐らくは死亡している。問題は――生き残った化物達だ」

 

 笛吹は筑紫の言葉を補足し、そして再び眦を鋭くして言う。

 

 笹塚は、そんな笛吹に言った。

 

「……俺は、岩の吸血鬼と炎の吸血鬼、そして『渚』と呼ばれていた少年と『東条』と呼ばれていた少年が戦っていた、サンライト通りにいた。……結果として、二人の少年が吸血鬼達を打倒したが……その直後、通りに面したアミューズメント施設が燃え上がり、そこに『渚』少年が飛び込んでいった。そして、入れ違うように――そいつらは現れた」

 

 それは、堂々と、道の真ん中をゆっくり歩いてやってきた。

 まるで道を譲るように、茫然と立ち塞がっていた人間達が、意識を失いバタバタと倒れ伏せていったからだ。

 

 笹塚は、奴らが現れた瞬間から、突如として昨夜の、一生忘れることも出来ないであろう地獄の記憶が曖昧模糊になっている。

 

 だが、その二人の怪物と、奴らが言った言葉だけは、決して忘れまいと脳裏に刻み込んでいた。

 

「フードにロイドメガネとマスク。背丈はほぼ俺と同じくらいの、見た目はまるで人間のような姿の――丸太を担いでいた『篤』と呼ばれていた男。そして、2mを遥かに超える身長に、悪魔のような山羊の頭を被った、人間とは思えない体格の――『斧』と呼ばれていた、巨大な鉄球を引きずる怪物」

 

 岩の吸血鬼――『岩倉』と、炎の吸血鬼――『火口』。

 恐らくは幹部クラスであろう、二体の怪物を打倒した二人の少年――黒衣の戦士達。

 

 中でも笹塚が目を奪われるほどの強者であった『東条』を、赤子の手を捻るように圧倒した、別格の怪物。

 

 それが――『篤』、そして『斧』。

 

「……そいつらが、自分達を吸血鬼だと、化物だと、そう言っていたのだったな。自分達は、人間の敵なのだと」

「……ああ。『渚』くん達は、奴等を【オニ星人】と、そう呼んでいた」

 

 吸血鬼。化物。人間の、敵。

 あの人間のようにしか見えない姿形の、けれど怪物だとしか言えない強さの男は、自分達のことをそう嘯いた。

 

 そして、こうも、言い残した。

 

――俺達は、人間(あなたたち)の敵じゃない。……敵でありたくないと……いつも、そう願いながら……生きてます。

 

「…………………」

 

 笹塚は、朧げな記憶の映像を脳裏に蘇らせながら、何も言わずに笛吹に目を向けた。

 

「………そして、『東条』くんが『篤』と戦っている時に、通りの向こう側に何かがやってきた。姿形は曖昧だが、蝙蝠が無数に飛来してきたことは覚えている。……状況から察するに――」

「――ああ。恐らくは『紅蓮』と『浪人』だろうな」

 

 紅蓮の髪を持つ幼女と、その幼女に付き従う墨色の髪の浪人。

 笛吹も目撃したこの二体の正体不明を、笛吹はそう名付けて呼称した。

 

「つまり、やはりその者達もまた、吸血鬼の関係者だということだ。奴らもまた吸血鬼なのか、それとも協力者なのか、はたまた敵対者なのかまでは分からんがな」

「分かっているのは『紅蓮』が怪物を捕食する性質を持っていること、そして蝙蝠を使って離れた地まで瞬間的に移動できるということですね。笛吹さんが目撃した時間と、笹塚さんが目撃した時間を考えると、そう考えなければ辻褄が合いません」

 

 笹塚ははっきりと覚えているわけではない為、同じ性質を持つ別個体という可能性もあるが、笹塚も『浪人』はともかく『紅蓮』のような紅い髪の存在がいたことは覚えている。恐らくは同じ存在である可能性が高いだろう。だが――。

 

「――すまない。『東条』くんが『斧』と戦い始めた後、『篤』と『紅蓮』、そして他に……恐らくは二体、別の『何か』が合流したことは覚えているのだが……その姿形までは、思い出すことが出来ない」

 

 未だかつて感じたことのない圧倒的な覇気の中、意識が沈み込んでしまいそうな中を必死で堪え、『東条』を痛めつける『斧』に向かって銃口を向け続けていた笹塚衛士。

 そんな中で、その両者を挟んで向かい側に、続々と集結し続ける、恐らくは首領クラスの化物会談の様子まで、事細かに観察し続けるだけの余裕は、残念ながらあの時の笹塚にはなかった。

 

 だが、それでも、敵の容姿程度は把握しなくてはならない最低限の情報だった。

 無表情で悔恨する笹塚に、笛吹は「もういい。奴らを何の首輪も付けることなく取り逃がした時点で、我々はとっくに最低レベルの失態を犯しているのだ」と吐き捨て、笹塚に言う。

 

「烏間が言っただろう。これからどうすると。既にこれはその為の会議なのだ。そして、何の生産性もない無駄な謝罪は、するべきことではない。そんなことも分からんのか」

「……そうだな。もう言わない。進めてくれ」

 

 先程まで散々八つ当たりをしていたことを棚に上げて上から目線で諭す笛吹と、何も言わずにただ受け入れる笹塚。

 そんな二人のやり取りを、どこか微笑ましげに筑紫が見守る中、烏間がゆっくりとその口を開く。

 

「……それでは、俺も謝罪をすることなく、報告に移らせてもらう。現在確認できる明確な化物の生き残りは、『篤』、『斧』、『紅蓮』、『浪人』の四体でいいだろう。そこに笹塚君が目撃した『何か』が二体。……他にも、警察の包囲網を()()()姿()ですり抜けた吸血鬼達もいるかもしれんが……あの戦場で、我々が――俺が、取り逃がした他の怪物で、絶対に忘れてはいけないのが、この二人だ」

 

 烏間が示したのは、葛西善二郎、そして『死神』の画像。

 怪物と黒衣の戦場に突如として現れ、地獄を掻き回し、そして忽然と姿を消した伝説の犯罪者達。

 

「……コイツ等に至っては目的すら不明だな。いや、吸血鬼達の目的も不明といえば不明だが、奴等からは人間への殺意といったものは嫌という程に伝わってきた……が、この二人は殺意すら不明だ。それこそ、地獄を掻き回す愉快犯といった方が、よほど納得できる」

「……確かにな。葛西も、『死神』も、俺は相対したとはいえ、接触出来た時間はほんの僅かだった。だが、あのアミューズメント施設の放火は、間違いなく葛西が関わっている」

「ええ。残された記録映像から確認されるあの燃え方は葛西善二郎の手口と余りに類似しています」

「奴自身は、あれは甥のはじめての放火だと、そう嘯いていたがな」

 

 葛西善二郎の甥。

 本当かどうかは分からないが、奴が残したこの情報は、既に笛吹が己の手の者に捜査させている。

 奴が言ったこの言葉が本当なら、葛西は甥の犯行を見守りにきたという推論が成り立たないわけではないが――しっくりこない。

 

 情報が少なすぎる。それは、この池袋大虐殺の全てに言えることだが、この二人の犯罪者については、余りにもそれが顕著だった。

 

「もう一方――『死神』の方はどうだ? 何か手がかりとなるような情報はあるのか?」

「…………そのことに、ついてだが。先に、彼等についての考察を行ってから話したいと思う」

 

 彼等? ――と、笛吹と筑紫が訝しむ中、笹塚は「……そうだな。いつまでも、先延ばしには出来ないか」と同調する。

 

 烏間は頷き、厳めしい無表情で口を開いた。

 

「池袋を救った英雄であり、間違いなく、今回の事件の鍵となる人物達――通称『黒衣』の戦士達についてだ」

 

 

 

 

 

+++ 

 

 

 

 

 

 黒衣の戦士達。

 

 このワードは、池袋の大虐殺から一夜明けても尚、とある場所において未だ日本中を掻き回し続けている。

 

 それは――インターネット。

 既にもう一つの世界といって過言ではなくなる程に肥大した電脳空間では、とある一人の英雄について、白熱した議論が行われ続けていた。

 CG説、映画の撮影説も根強いが、国の特殊部隊説、イタイ勘違いSFオタク説、果ては宇宙人説まで飛び出している。

 

 だが、そんな中でも、やはり最も大きい声は――彼を、『英雄』と呼ぶ声だった。

 

 英雄。池袋を救ったヒーロー。

 そんな彼の姿が急速に広まっていく中で、当然と言えば当然の結果として、彼の現実世界の正体は、あっという間に看破されていた。

 

「――桐ケ谷和人。日本中に配信されていた東口の映像に姿を現した、一般にも広く認知された、現在最も知名度の高い『黒衣』です。『牛人』を打倒し、謎の光によって天に昇るように姿を消した、池袋の英雄」

「……その正体は、かのSAO事件を解決に導いた英雄でもあったというわけか」

 

 そう――池袋を救った英雄は、かつて仮想世界から人々を解放した英雄でもあった。

 御伽噺の勇者のように、怪物の首を両断してみせた謎の黒衣の剣士は、伝説の浮遊城で最強を誇った英雄『黒の剣士』――キリトだった。

 

 その余りにも物語めいた真実に、ネットの世界が湧き起こらない筈がない。

 すぐにその情報は日本中――否、世界中へと拡散し、その勢いは留まる所を知らなかった。

 

「その桐ケ谷和人は、昨夜、貴様らが追っていた黒スーツの集団による襲撃事件により行方不明だったな」

「……ああ。その彼が、こうして黒衣の戦士として池袋に姿を現した。間違いなく、この一連の事件の重要なキーパーソンだろう」

 

 烏間は重々しく答えると、そのまま筑紫へと目を向ける――が。

 

「……昨夜、彼が謎の光によって連れ去られた直後から、池袋周辺はもちろん、埼玉県川越市の彼の自宅、彼の通う帰還学校の交友関係まで当たりましたが、彼の行方を知る者はいませんでした」

「……入院中の、彼の恋人の少女には話は聞いたのか?」

 

 烏間が筑紫に尋ねるが、筑紫は――ゆっくりと頭を振る。

 

「面会時間前に、病院に無理を言って彼女――結城明日奈さんの元を部下が訪ねましたが、彼女の方も知らないとのことでした。桐ケ谷和人の義妹の直葉さんや彼の両親、彼と結城さんのSAO事件来の共通の友人達も当たっていますが……目ぼしい手がかりは得られていません」

「まるで神に隠されたよう、か。笑えんな」

 

 筑紫の報告に笛吹は吐き捨てるように言うが、その目は笑っておらず、次の報告を促していた。筑紫は笛吹に頷きながら進める。

 

「桐ケ谷和人に関しては、引き続き調査を進めます。続いては、その桐ケ谷和人が『牛人』との戦いの後に倒れ伏せた後、彼の元へと現れ、共に光によって消えた人物」

 

 筑紫が出した画像は、あの夜の世界でも太陽のように光り輝く少女。

 

「桐ケ谷和人程に映像での登場時間は長くありませんでしたが、これほどの目立つ容姿の少女であったため――思ったより何故か時間がかかりましたが――特定することが出来ました。彼女の名前は、雪ノ下陽乃。国立千葉大学に通う大学生です」

「千葉、か……」

 

 千葉。

 黒いスーツの集団が革命前に引き起こした、二つの事件のもう一つの現場。

 

 そのことに烏間は気付くが、何も言わずに筑紫の報告を聞き続ける。

 

「彼女は千葉の県議会議員であり地元の有力者でもある雪ノ下豪雪の長女です。ですが、桐ケ谷和人のように、何かの事件を解決したなどといった実績はありません」

「……つまり、過去に何らかの英雄的な行動をとった少年少女が作為的に選ばれているわけではない、ということか?」

「分かりません。少し調べた限りですが、周囲の同年代の生徒達と比べて、飛び抜けて優秀であったことは間違いないようです」

 

 桐ケ谷和人と雪ノ下陽乃。

 年齢も、性別も、住む地域も、まるで共通点のない両者の関連性を探るが、これだけではやはり情報が足りない。

 

「接触は出来たのか?」

「千葉県警に要請はしていますが……」

「……上からの圧力で動けないか」

「……正式な辞令が下りないことには、と。東京都内ならば、まだ私の部下を動かすことも出来るのですが」

「私の部下も貸す。すぐに千葉に送れ。動きの遅い上を待つ時間的余裕はない」

 

 責任は全て私が持つ――そう言い放つ笛吹に、筑紫は口を開きかけたが、ゆっくりと閉じて「……了解しました」と言った。

 そして、筑紫は「……そして、雪ノ下陽乃に関してですが、少し気になる情報が」と、探るように切り出す。

 

「どうした?」

「それが……雪ノ下陽乃について調査を進めていた部下からの報告によると、雪ノ下陽乃の――」

 

――ここ半年程の、一切の行動記録が残っていないようなのです。

 

 筑紫の言葉に、会議室は静寂に包まれた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 雪ノ下陽乃の半年間の行方不明記録。

 

 それは、会議に一時、混迷を齎した。

 

 この事実を材料に千葉県警に捜査を促すべきだという意見を笛吹が出せば、今は池袋大虐殺の混乱を治めることを優先するだろうという冷静な意見を笹塚が出す。

 

 烏間は黒衣の共通点として『行方不明』をキーワードとして推理しようとしたが、その為には、他の黒衣に関する考察が必要不可欠だった。

 

 四人とも、雪ノ下陽乃の空白の半年間は、『黒衣』という謎に包まれた集団に関する重要な何かに触れていると感じていたが、これ以上掘り進めることは出来ず、漠然とした手応えと恐怖感を抱えたまま、次なる黒衣について考察することにした。

 

 そして、会議は進み――。

 

「『渚』、『東条』、『湯河由香』。そして、『桐ケ谷和人』と『雪ノ下陽乃』。我々が現在把握し出来たのは、この五名です」

「……そして、衛星カメラによって『翼竜』の背中に乗っていることが確認出来た、この()()()()()()()()……か。だが、『湯河由香』の証言によれば、彼等は、その『黒い球体の部屋』には、十五人はいた筈だ」

「……あれだけの怪物だ。黒衣が、どれだけ未来的な装備を持っていたとしても、怪物を殺す為に派遣されてきたのだとしても……全勝というわけにはいかなかっただろう。あの池袋で散っていった黒衣も、やはりいた筈だ。……そしてそれは、何も出来ずに戦争を彼等任せにしてしまった、我々の責任でもあるだろう」

 

 そう思考して、烏間はハッと目を見開く。

 

 黒衣が負ける。黒衣が死亡する。黒衣が――殺される。

 

 考えてみれば何の不思議もなく想定出来る事態だが、自分でも驚くほどにすんなりとその事態を想定出来ることに驚いたのだ。いや、想定というよりも、限りなく現実的な実感を伴っているような感覚だったのだ。

 

 自分は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのに。

 

 思い返すのは、あの時の『死神』の奇妙な気配。

 それを感じて自分は――そうだ。自分は、あの炎のビルディングの中で、一体何を見て、あの『死神』から()()()()()()のだ? 相手はあの『死神』だ。相対している最中、気を抜くことも、まさか目を逸らすことなど、一瞬たりともある筈がないのに。

 

 自分が『死神』を取り逃すことになった、その決定的要因となった、それは一体何だった?

 

「……十五名いたという黒衣の、どれほどが生き残っているのか分からない。が、重傷を負っていた桐ケ谷和人はともかく、雪ノ下陽乃は間違いなく生きているだろう。それに、未だ池袋を捜索している部隊の報告によれば、黒衣の死体どころか、あの装備の破片やスーツの切れ端すら見つかっていないらしいが、あの謎の光によって、それらも回収可能だというのならば、見つからない理由付けにもなる。つまり、生き残っている黒衣がいて、包囲網の中から脱出した者も、やはりいる筈だ。『渚』や『東条』、『湯河由香』もな」

「ならば――直近の行動指針は決まりだ」

 

 そう言って、笹塚は筑紫によって机の上に並べられた書類の中から、とある二枚を手に取る。

 

「彼等をそれぞれ分担して当たろう。黒衣としてならともかく、一般人としてなら、きっと日常世界に存在している筈だ。つまり、行けば会える筈だ」

 

 あの夜――『湯河由香』は、言っていた。

 

 自分は訳の分からぬ内に、こんな戦争に巻き込まれたのだと。

 その日の夕方まで、自分はただの中学一年生だったのに――と。

 

 彼女のあの言い分を信じるのなら、あの黒衣の戦士達は、電子世界を駆け巡っている噂の一つのように、政府やら何やらが秘密裏に組織していた特殊部隊なのではない――と、いうことになる。

 

(……色々な事情を考えれば、こっちの線の方が有力ではあるんだがな)

 

 国の上層部が、黒衣について何らかの情報を得ていたこと。

 現代科学を遥かに上回る特殊装備を所持していたこと。

 

 これらの疑問には、国の秘密特殊部隊説ならば一応の説明がつく。

 

 だが、少女の悲痛な声を直接聞かされた笹塚と烏間には、あの少女の言葉が嘘だとも、とても思えない。

 

「……桐ケ谷和人のように、行方不明になっているかもしれんぞ」

「もしそうならば、行方不明だという事実が手掛かりになる。その時は、行方不明になる前までの経緯を洗って、どんな人間が黒衣として選ばれ、行方不明になるのかを推理する材料になるだろう」

 

 なら、少女の言葉と、特殊部隊説――その()()()()()()()()()()()()()

 

「…………」

 

 笹塚は、そのまま会議室の出口に向かって足を進める。

 烏間は机の上に目を向けると――彼もまた、一枚の書類を手に取った。

 

「笹塚! 勝手な行動はするな! どんな小さなことでも確実に私の耳に届くように報告しろ! いいな!」

 

 分かってるよ――と振り向くことなくひらひらと手を振って、笹塚衛士は会議室を後にする。

 

 笹塚が手に持った書類に書かれた名前は、『東条英虎』、そして『湯河由香』。

 

 顔写真と名前と住所、家族構成と通っている学校のみの情報だが、昨夜の笹塚と烏間の目撃証言と画像のみで、たった一晩で調べ上げたのだから、日本の警察の能力の高さが伺える。それも、最大の力である組織力を用いず、笛吹と筑紫の子飼いの部下のみで行ったというのだから、偏にこれは二人の人望の厚さの賜物だろう。笹塚(じぶん)の部下は、未だ現実逃避してプラモ作りに精を出しているというのに。

 

 笹塚は、烏間に少しの間別行動になる旨のメールと、石垣に緊急強制招集の旨のメールを送る。十中八九自慢してくるであろう新たな自信作のプラモデルをどのように破壊するかを思考する傍らで、笹塚は昨日の池袋を思い返す。

 

「…………化物、か」

 

 そして、無意識に懐に伸ばして取り出した煙草に、一瞬躊躇しながらも、再び懐に戻して、笹塚は駐車場へと向かった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――全く、あの男は!」

「大丈夫です。結果は残す人ですよ、あの人は」

「知っている! その結果が、私の気に食わん形で齎されることもな!」

 

 笹塚が出ていった後の会議室では、荒ぶる笛吹を筑紫が宥めていたが、そこに、烏間がヒラリと書類を見せた。

 

「それでは、私が『彼』に当たろう。『雪ノ下陽乃』は君達に任せる。全体の指揮もお願いしたい。新たな情報が入り次第、我々を使ってくれると助かる」

 

 笛吹は烏間の方を見ると、ガシガシと頭を掻きながら「――勝手にしろ!」と吠えると、真っ直ぐに人差し指を突き付けながら命じる。

 

「――タイムリミットは午後六時だ。昨夜の池袋大虐殺に関する会見を、()()が行う。この意味が分からん貴様ではあるまい」

「…………」

「必ず、それまでに戻ってこい。永田町だ。方向は皆目見当がつかんが――この事件はそこで、間違いなく大きく動く」

 

 その会見で語られるのは、果たして何かしらの真実なのだろうか。

 

 いつもの国会議員お得意の形式だけの遺憾表明だろうか。

 

 それとも、あの怪物に関する、または黒衣に関する、我々が知らなかった何かなのだろうか。

 

(……本来、その国に仕える身の上としては、無礼に値する思いなのかもしれんが)

 

 此度の事件で流された血、失われた命――それらに、少しでも報いるような、誠意ある会見であることを祈るしかない。

 

(――だが、それに関しては心配あるまい。他の官僚ならばいざ知らず、会見を開くのが()()()()であるらば。あの方は間違いなく矢面に立つ)

 

 国というのは黒いもので、政治家の仕事が嘘を吐かずに隠し事をすることだと、仕事柄嫌という程に思い知っている烏間ではあるが――だからこそ、本物の政治家というものも知っている。

 

 烏間が、例えこの身がどれほど汚れ、どれほど傷つくことになろうとも、この人の下で働きたいと――そう思うことが出来る程の最高の上司が、身を粉にして尽くす男。

 

 たった一度だけ、烏間もその上司に連れられて会ったことがある。

 世間では決していい評判だけを聞くわけではない。彼を揶揄する声、非難する言葉も、日々各メディアから流れている。

 

 だが、烏間は、その一度の邂逅で知った――彼ほど、この国のトップに相応しい人間はいないと。

 

 烏間惟臣は確信している。

 今日、午後六時、あの方は必ずマイクの前に座るだろう。

 

 そして、国民の前で、語ってくれる――()()()()()()として。

 

「――分かっている。六時に、永田町に集合しよう」

 

 烏間は笛吹達にそう言って、そのまま笹塚の後に続くように会議室を出た。

 

 携帯を取り出して確認すると、笹塚から別行動を知らせるメールが届いていた。

 これに関しては予想通りというか、自分も別行動を取るつもりであったが故に、迷わずに返信する。

 

 先程の会議で別行動をしようと自分の口で提案していたにも関わらず、こうしてわざわざメールも寄越したのは、昨日、正式に職務として下された『死神』の案件に対して、自分はしばらく戦力になれないと、改めて伝える為だろう。

 

 律儀な男だ――そう思いながら、笹塚への返信を打ったそのまま流れで、防衛省の自らの部下に連絡を送ろうとした。

 

 単独行動をするよりもやはり仲間と行動した方が効率的だと判断し、人員を増やすことにしたのだ。だが、今現在では自分達の行動は組織とは別枠の独断行動に近いので、本当に信頼できる数名にだけだが。

 

「………」

 

 しかし、メールを打っている途中で、烏間の手が止まる。

 

 タイムリミットまでは限られている。

 午後六時に永田町へ戻らなくてはならない以上、行動範囲も決まってくる。

 

 初めは真っすぐに『潮田渚』の元へ向かうつもりだった――が。

 

 彼のプロフィールが書かれた書類を見る。

 とある一文が烏間の脳裏にこびりついた。

 

(……これは、本当に只の偶然なのか)

 

 それは、昨夜の戦争でたった一つ、烏間が手に入れたあの男に関する手掛かり――正確には、あの男が残した、たった一つの置き土産。

 まるで怪盗が事前に警察を挑発するように、殺し屋が軍人に一つのメッセージカードを残したのだ――とある美しい少女に添えて。

 

 燃え盛るアミューズメント施設の前に、ズタズタに傷ついた足と火傷だらけの肌を労わるように丁寧に座らされた状態で、まるで眠らされるように気絶していた少女。

 烏間が施設を抜け出して真っ先に見つけた彼女の手には、白い印刷用紙に血のように赤いボールペンで、新聞を切り抜いたかのように筆跡を感じさせない文字で、こう書かれていた。

 

【烏間惟臣殿。勇敢なる戦士である貴方に、美しい少女をエスコートする権利をお譲りします。とある少年が頑張って守った命です。どうか最高の治療を施してあげてください。】

 

 送り主の名前はなかった。

 だが、奴しかいない。こんなことをするのは、こんな戦場でこんなことが出来るのは――『死神』以外にあり得ない。

 

 このメッセージカードを調べても、少女の衣服や肌のどこにも、指紋一つ残していないだろう。筆跡は勿論、髪の毛一本たりとも、奴は痕跡を残さない。

 それが「芸術」とまで称された、世界最悪の殺し屋『死神』の手口だ――たとえ殺人でなく救命であったとしても、それは揺るがないだろう。

 

 だが、それでもあの少女が、『死神』の残した手掛かりであることは事実――故に、彼女についての情報は、最優先で調べるように部下に伝えてあった。

 

(……それに、あのメッセージカードに残された……『少年』という言葉――)

 

 あの少女は状況と負傷具合から考えて、あのアミューズメント施設の中にいたのは間違いないだろう。

 

 そんな少女を命懸けで救った――その少年の後を引き継ぐように、あの『死神』があんなお膳立てをした――その謎の、『少年』とは。

 あの燃え盛るビルディングに居た、そんな英雄のような少年の正体は――。

 

 烏間はメールを打つ手を止め、直に番号を打ち込み電話を掛けた。

 電話の相手はワンコールで呼び出しに応じ、烏間は「――私だ」という言葉の後に、簡潔に用件を伝えた。

 

「詳細はメールで伝える。今すぐに警視庁に車で来てくれ――来良総合医科大学病院に向かう」

 

 それだけ伝えて通話を切ると、烏間は再び『潮田渚』の資料を見る――それと並行し、昨夜のうちに部下に調べさせた、『死神』の置き土産である少女のデータを見比べる。

 

 潮田渚――神崎有希子。

 

 二人の略歴には、共に――椚ヶ丘中学校3年E組と記されていた。

 




こうして人間は――警察は、真っ黒な闇へと挑むべく、動き出す。大人として、戦う為に。

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