雪ノ下陽乃は、雪ノ下雪乃を愛している。
臆面もなくそう言えた――仮面を被りながら、そう笑って言えていた。
そうだ。生まれてから――雪乃という妹が生まれてから、陽乃は姉として、家族として、この莫大な愛を枯らしたことは一度だってないと誓うことが出来る。
だけど、いつからだろう。
そんな妹の前でさえ、化物のような仮面を外せなくなったのは。
いつからだろう。この愛情が、一方通行となったのは。
いつからだろう。あの愛妹が、笑顔を向けなくなったのは。
でも、それでも、これだけは――いつだって、胸を張れていた。
仮面の笑顔でしか向き合えなくても。苦々しい顔で睨まれても。どれだけ歪んでいると言われようとも。
嫌われても。報われなくても。――粘つくように、妬ましくても。
雪ノ下陽乃は、雪ノ下雪乃を愛している。今でもずっと。これからもずっと。
それが誇りであり、生き甲斐であり――言い訳でもあった。
自分は妹を愛する姉なのだと。妹を愛することが出来る――人間なのだと。
だが、それが今日、はっきりと、揺らいでしまった。
妹を哀れみ、妹に嫉妬し、妹に殺意を抱いてしまった――こんな姉は、こんな自分は、本当に人間なのかと。
そして、我が妹は、我が愛する妹は、我が愛すべき妹は。
いや――この子
本当に――人間なのかと。
人間とは、ここまで――。
本当に、怖かった。
+++
「由比ヶ浜さん!」
雪乃は由比ヶ浜の姿を見つけた途端、陽乃の腕から離れて、一目散に彼女の元へと駆け寄っていった。
そのことに陽乃は僅かに胸が痛んだが、そんな資格が自分に無いことに気付いて、自嘲的に一瞬俯き、他の入院患者の見舞客に向かって頭を下げながら後に続く。
ベッドに腰掛ける由比ヶ浜の傍には、彼女の両親と思われる二人の大人の男女がいたが、雪乃が来たことで気を遣ってくれたのか、彼等はカーテンを広げて敷居を作りながら、自分達は席を外そうとしてくれた。
陽乃は二人に頭を下げながら――由比ヶ浜夫妻は笑顔で結衣のお見舞いに来てくれてありがとうと言った。どうして娘が
「…………」
真っ先に目に入ったのは、由比ヶ浜結衣の両手をグルグル巻きに覆う、痛々しい包帯だった。
雪乃は泣きそうな顔で由比ヶ浜のその手を見つめていて、由比ヶ浜は大丈夫だよと優しく微笑む。
そして由比ヶ浜は、カーテンの中に入ってきた陽乃と目が合い――しばし呆然とした後――小さく息を呑んで、目を見開いて、口を開いた。
「……陽……乃さん、ですよね? ゆきのんの、お姉さんの。来て、くれたんですか?」
「――ええ。たまたま知人の伝手で、ガハマちゃんがあの池袋の事件に巻き込まれて入院してるって聞いてね。それを雪乃ちゃんに話したら、今すぐ行くって聞かなくて。……手、痛そうだね」
「あはは……ありがとうございます。わざわざ東京まで。……少し不便ですけど、でも、あたしは運がよかったんだと思います。……もっと、酷い目に遭った人は、いっぱいいるから」
そう言って由比ヶ浜は、窓の外を遠い目で見つめた。
憂いを帯びた表情で、ぽつり、ぽつりと語り出す。
由比ヶ浜の掌は、血が噴き出て、肉が抉れて、とても酷い状態だったらしい。
幸い瓦礫片などは問題なく取り出せたらしいのだが――。
「――少なからず、痕は残っちゃうらしいんだ。……はは、なんか、去年からそんなんばっかりだね。……どんどん、傷だらけの女の子になっちゃうな」
「……由比ヶ浜さん」
「……………………」
陽乃は、この病院に来る途中に、タクシーの車内で雪乃から半年前の事件のことを聞いていた。
J組の虐殺の下りは雪乃が過呼吸に陥る為に深くは聞けなかったが、由比ヶ浜については、少しは聞くことが出来た。
彼女の背中には――半年経った今でも癒えない、まるで刀で切られたかのような傷痕が残っている。
そして此度、再び戦争に巻き込まれたこの少女は、その身に癒えない傷を、新たに残した。
身にも――心にも。
「……小町ちゃんがね。……まだ、見つかってないんだって」
そう、ぽそりと、由比ヶ浜は言った。
雪乃は「…………小町、さん?」と首を傾げ、陽乃は悟られないように奥歯を噛み締め、自身の肘をギュッと握った。
「……昨日……あたしは小町ちゃんと一緒に、池袋に居たの。……そして……巻き込まれて…………託されたの」
「………託……された?」
「……うん。小町ちゃんを…………頼むって」
陽乃は、分かりきっていることなのに――返ってくる結果も、返ってこないという結果も、分かりきっていることなのに、反射的に問うた。
「……………誰に?」
その、何よりも残酷な問いを、問うてしまった。
自分で自分が、分からなかった。
一体、どんな答えを――期待していたのだろう。
由比ヶ浜が返した答えは、陽乃の予想通りだった。
期待通りだったかは――結局、分からなかった。
分かりたくなかった。
「…………………分かり……ません……っ」
由比ヶ浜は、泣いていた。
半年前のあの日、終ぞ雪乃の前では泣かなかった由比ヶ浜が、雪乃の前で、陽乃の前で、ぼろぼろと涙を流し始める。
「…………分かんない……分かんないよぉ……っ」
「由比ヶ浜さん! 由比ヶ浜さん!」
雪乃が必死に肩を抱き、その雪乃の切羽詰った声に病室の他の患者達やスタッフが騒めくが、陽乃はそっと顔を出して大丈夫だと告げた。
そうだ。これは、彼女達だけの、悲しみだ。
かけがえのない“彼”を失った、彼女達だけの――。
「……大事なものの……はずなのに…………ないの…………分かんないの……思い出せないよぉ……ゆきのん……ゆきのん」
「……由比ヶ浜さん」
「……あれ……あれぇ…………どうしてぇ……どうしてなのぉ……ずっと……ずっと……あたし…………どう……してぇ」
「――っっ! 由比ヶ浜さん!」
飛びつくように、雪乃は由比ヶ浜に抱き付いた。
雪乃も、泣いていた。あの日のように、泣きながら、由比ヶ浜に抱き付いた。
あの日と違うのは、由比ヶ浜も、止まらない涙を流していること――そして。
「――由比ヶ浜さんが………………無事で、本当によかった」
あの日、自分が彼女に言った言葉を、今度は彼女に言ってもらえて、由比ヶ浜は少し口元が緩む――相変わらず、瞳からは涙が溢れ続けているが。
「……あなたまで……失ってしまったら……私……私……」
「……そっか。ゆきのんも……なんだね。……やっぱり……居たんだね」
由比ヶ浜は、病室の天井を――ここではない、遥か遠くに行ってしまった“誰か”を思いながら、呟く。
「………………どうして、こうなっちゃったのかなぁ」
その、悲痛な、泣き笑いの呟きは――陽乃の心を、鋭く抉った。
「……あたしたち……どうして……こうなっちゃったんだろう……ゆきのん……なにがダメだったのかなぁ……どうすれば……よかったんだろう」
「私には、……わからないわ」
「……うん、そうだよね。……あたしも……あたしも、全然わかんないよぉ……」
陽乃は、もう見ていられなかった。
表情を歪め、目を瞑り、俯いていく。出来れば、両手で耳も塞ぎたかった。
だが、耳を塞ぎきる前に――その少女の、その言葉が、響く。
「――でも、わかんないで、終わらせちゃ……ダメ、だよね」
その言葉に、バッと陽乃が顔を上げる。
由比ヶ浜結衣は、目を真っ赤に腫らしながら、それでも――微笑んでいた。
強く、強く、微笑んでいた。
雪乃は、ゆっくりと顔を上げて、そんな由比ヶ浜と向き合った。
「……ゆい、がはま……さん?」
「ゆきのん……あたし、このままじゃやだよ。……わかんないけど……全然わかんなくて……何にも、思い出せないけど……でも、やだよ。分かんないけど……でも、すっごく、大切だった気がするの。……大好きだった……気がするの」
由比ヶ浜は、強く、強く、強い眼差しで――決意する。
その瞳に――雪ノ下陽乃は、己の肘を、爪が食い込む程に、強く握り締め、生唾を飲み込んだ。
「あたし、このまま、分かんないで終わらせたくない。終わらせちゃ……いけない。……だから、行かなきゃ」
「……行くって、どこへ?」
「分かんない。でも、とにかく行かなきゃいけない。……どっかへ行っちゃったんなら、あたしはそれを追いかける。……ずっと……ずっと、探すよ」
雪乃と由比ヶ浜が、相手と、己と、そして"彼"だけを見据えて交わしている会話に、陽乃は、声を震わせないことに最大限の注意を払いながら、割り込んだ。
「……ガハマちゃん。本気?」
陽乃は、何かに突き動かされるように、鋭い眼差しで由比ヶ浜に問う。
「何も分かんないんでしょ? それが何かも分かんないんでしょ? 顔も、名前も、声も、匂いも。その人の性別も、年齢も。生きているのか、死んでいるのかすらも分からないんでしょ? どんな関係だったのかとか、今どこにいるのかとか、どこかにいるのかすらも、何も、全く分からないんでしょ? 何が分かんないのかも分かんなくて……そんな状態で、何処に、何をしにいくの?」
先程まで感じていた痛み、罪悪感が、今は焦りと怒り、恐怖に変わっていた。
何故だかは分からない。でも、陽乃は、目の前のこの少女が怖かった。
……雪乃だけではない。この少女も、由比ヶ浜結衣という少女も、雪乃に負けず劣らず……いや、もしかしたら、雪乃以上に――。
「……分かんないです。……でも――」
由比ヶ浜結衣は、笑みを――今にも壊れそうな、否、何かが壊れてしまった笑みのままに、つぅと一雫の涙を流す。
血のような、涙を流して、壊れたように言う。
「――あたし、今のままじゃやだから……」
そして、胸の中の、己にしがみつく雪乃を見下ろして、言う。
「……ゆきのんも……そうだよね? だから、お願い、ゆきのん……」
聖母のように慈愛の籠った微笑みで、包帯だらけの手で、雪乃の髪を撫でながら、言う。
「……あたしを、助けて」
雪乃は、大きく目を見開き――そして、微笑む。
いつかのように。長らく見てこなかった、強い笑み。
雪乃の瞳が、氷が解けていくように、輝きを取り戻していく。
「……それを、あなたが言うのね。……あなた
そして、雪ノ下雪乃は立ち上がる。
由比ヶ浜の頭を抱え込むように、ギュッと抱き締める。
「……ずっと、あなたに助けてもらってきたんだもの。……断れるわけ、ないじゃない」
そして、由比ヶ浜の耳元で、囁くように答える。
「――あなたの依頼、受けるわ」
由比ヶ浜は、その言葉に、身を震わし――。
「……え、へへ」
――雪が溶けるような、熱い、涙を流した。
「……ゆきのん。いい匂いがするね」
「……私のではないわ。……きっと、“彼”のよ」
――ここにいない、“彼”の証よ。
そんな言葉と共に、雪乃は、家からずっと着ていた、“彼”のトレーナーに由比ヶ浜の顔を押し付けていく。
自分と、彼女と、“彼”。――この三人だから、三人だからこそ、この穴は、自分と彼女の心に、ぽっかりと空いたこの穴は埋められるのだと、そう確信するように。
「……まずは、小町さんを探しましょうか」
「……そうだね。……小町ちゃん……探さなきゃ。託されたんだから」
雪乃がゆっくりと由比ヶ浜を離すと、由比ヶ浜はずっと洟を啜りながら――雪乃がそっとトレーナーに鼻水が付いていないか確認していた――雪乃の言葉に強く首を縦に振る。
「――姉さん。頼みがある……の……?」
服に汚れがないことを確認して、雪乃が陽乃の方を振り向くと――
――そこには、窓から入り込んだ風によってたなびくカーテンがあるのみで。
雪ノ下陽乃の姿は、既にそこには、影も形もなかった。
+++
あの場にそれ以上いることに耐え切れなくなった陽乃は、雪乃と由比ヶ浜に何も言わずに病室を出た。
忙しなくスタッフが行き交う廊下に出て、大きく息を吐く。
無理だった。これ以上は無理だった。見ていられなかった。耐えることが出来なかった。
彼女達が――美しすぎて。目が潰れそうだった。眩し過ぎた。
そして。
そして、そして、そして――。
「――――――っっっ」
これ以上なく――哀れ過ぎて。
あそこまでだとは思わなかった。聞いていた話以上だった。
そうだ。そもそも、その話をした“彼”が、主観となる彼自身が、どうしようもなく既に壊れ切っていたというのに。
その“彼”が、壊れ切っていた彼を以てしても“壊れている”と、言わしめた彼女が、自分の妹が、愛する妹が、愛すべき妹が――雪ノ下雪乃が、そんじょそこらの壊れ具合でないことは、容易に想像出来た筈なのに。
記憶にない、思い出せない、誰かを探す。諦めない。諦めるという、発想がない。
顔も、名前も、声も、匂いも、姿形も、年齢も、関係も、性別も、生存すらも――何もかもが思い出せない。
そんな誰かを、探してみせると、昨日の今日で、すぐさま再起動するかのように決意する。動き出すことが出来る。出来てしまう。
思い出の彼を求めるとか、幼い頃に結婚の約束をした許嫁を探すだとか、そんな可愛いものじゃない。
思い出すらないのだ。あるのは只の――喪失感だけ。大事だった“筈”という、余りにも不確かな、心の穴だけ。
それなのに。それなのに。それなのに。
迷わず一歩を踏み出せる彼女達を。
自分達にはそれしかないと。自分達にはもう、それしかないのだと。
解放されても、記憶を消されても、切り捨てられても――例え“幻影”でさえ、"残り香"でさえ、“彼”に縋り、“彼”を求め、“彼”に依存し続ける彼女達を。
異常――ではなくて、なんだというのが。
壊れていなくて、歪んでいなくて、なんだというのか。
(…………八幡、ダメだよ。……"解放"なんかじゃ………全然足りないくらい……あの子達はもう、取り返しがつかないよ――)
――どうしようもなく、壊れてるよ……。
重い。重い。なんという重さか。
なんという重さで、なんという想いなのだろう。
ここまでいくと、恋とか、愛とか、そんなもんじゃないだろう。
もっと歪で、もっと痛々しくて、もっと台無しで。
もっと重くて、もっと悍ましくて、もっと、もっと――哀れな、何かだ。
「………あら。もういいの?」
気が付いたら、待合室へと辿り着いていた。
由比ヶ浜の母から声を掛けられ、陽乃はそちらに目を向ける。
待合室にいるのは由比ヶ浜夫妻と――女性が一人。
初めて見る女性だが、由比ヶ浜の母とよく面影が似ているので、彼女の姉妹――由比ヶ浜の叔母だろうか。
その辺りを追及する余裕は陽乃には無かったが、その彼女の方から、恐らくは由比ヶ浜叔母であるだろう方から、陽乃の方に声を掛けてきた。
「……大丈夫? 顔色が悪そうだけど?」
陽乃はそれに、弱弱しい笑みを浮かべながら答える。
「……ええ、大丈夫です。……でも、少し急用が出来てしまって……私は、これで。……雪乃ちゃ――妹は、もう少し残りますが……」
陽乃がそう言うと、由比ヶ浜夫妻と由比ヶ浜の叔母と思しき女性は会釈と共に陽乃と交錯するように病室に向かおうとする。
夫妻は陽乃を気遣うような表情を、叔母は口角を上げるような笑顔を、それぞれ浮かべて去っていく。
陽乃はそれを見送り――とある場所へと、足を向けた。
そして、頭の中を巡るのは、自身が愛するとある少年への言葉。
(――八幡。………わたしも、同罪。……正真正銘の……共犯者、だよ)
雪ノ下雪乃。由比ヶ浜結衣。
きっと、自分は、彼女達を壊す。――壊れ切っている彼女達を、いつか、きっと、もっと決定的に、もっと致命的に破壊する。
彼女達は、これからも絶望し続けるだろう。
比企谷小町は――もうこの世にいない。彼女達が救おうとしている彼女は、既に何処にも居らず、灰になって死んでいる。
比企谷八幡は――もう戻ってこない。彼女達を解放した彼は、きっと二度と、彼女達の元に帰らないだろう。
そして、自分が――雪ノ下陽乃が、そんな"彼"の隣にいることを、自分達が座れるかもしれなかった椅子を占拠していることを、いつか彼女達は知ることになる。
彼女達が欲し、求め、縋る“彼”を――比企谷八幡を、雪ノ下陽乃は独占し続ける。
彼女達にとって――雪ノ下雪乃と、由比ヶ浜結衣にとって、比企谷八幡がどんな存在か、どんな存在に成り果てているか、嫌になる程に、あの雪ノ下陽乃が、恐れ慄く程に理解した。
だが、それでも陽乃には、八幡を譲るつもりなど――微塵もない。
彼女達を、壊れ切った彼女達を、ぎりぎりのところで繋ぎ留めているのは、間違いなく八幡だ。
解放した今でも、失った今でも――だからこそ、その微かな残り香に、残りカスで搾りカスのような幻影に縋ることで、彼女達は己を保っている。
きっと、比企谷八幡を本当の本当に失う時――自分達の元に戻らないと、彼女達が理解してしまった時。
彼女達は、今度こそ決定的に終わる。決定的に壊れ、致命的に破壊される。
その鍵を握っているのが――爆破スイッチを握っているのが、最後の
だが、陽乃は――そこまで理解して尚、迷いなく躊躇なく八幡を選ぶ。
あんな怖過ぎる、恐ろし過ぎる恋敵達を、救う道など選ばない。
切り捨てる。愛する妹を――切り捨てる。
そう、きっと自分は、そうしてしまう――そんな姉になってしまった。
きっと、自分は、ずっとそんな人間だった。
きっと、ずっと、そんな――化物だった。
陽乃は、全身を小刻みに震えさせて、唇を震えさせて、八幡を呼ぶ。
「………は……はち……まん……」
――雪ノ下のこと、よろしくお願いします。
昨夜、彼が自分に託した言葉。かつて、自分が彼に託した言葉。
自分は――自分も、この約束を――果たすことが出来ない。
(……また…………雪乃ちゃんを……選んであげることが……出来なかった……ッ)
陽乃は涙を流しながら、掠れた声で――懺悔する。
「……ごめんね……ごめん……なさい……っ」
まるで、何かに背を向けるように。何かから逃げるように。
雪ノ下陽乃は一目散に、その病室から離れるべく、リノリウムの廊下を歩き続けた。
そして、一歩、また一歩と、歩き続けながら、遠ざかりながら――逃げ出しながら。
雪ノ下陽乃は、悟っていた。
妹離れの、時が来たと。
八幡が小町を失ったように、自分も雪乃を失う時が来たのだと。
自業自得で、失う時が来たのだと、理解した。
シスコンを――卒業する
もう、雪ノ下陽乃には――雪ノ下雪乃の姉を名乗る資格など、ないのだから。
愛しているなどと、口が裂けても、何が裂けても、
(…………雪乃ちゃん……雪乃ちゃん……ッッ)
人間のふりをする言い訳は、もう出来ない。
化物の血を引く化物――いざとなれば躊躇なく妹を切り捨てる怪物。
それが、きっとずっと前から気付いていた、雪ノ下陽乃という私の正体なのだと。
(……八幡。――いつか一緒に、地獄に堕ちようね)
どこまでも、一緒に付いて行くから。
通りすがりの患者が、思わず見惚れ、振り返った。
その女の顔には――綺麗な、美し過ぎる笑顔が浮かんでいた。
何処かの化物に、そっくりな笑顔だった。
壊れた少女達は、幻影たる"彼"を追い求めて依頼を交わし――妹を選ばなかった姉は、化物として罪を背負い、美しき笑顔を浮かべる。