比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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――我が子は、人間でした。

我が子なのに、人間でした。


Side八幡――②

 

「私達は、弱くて、弱くて、弱弱しい。

 

「これは謙遜でも、言葉遊びでもなく、むしろ言葉通りの意味として、私達は最弱の種族なのです。

 

「戦闘力という意味でも――生存力という意味でも。

 

「そもそも私達は、生物としては恐ろしく欠陥的です。文字通り――致命的な程に。

 

「何故なら、私達は、繁殖能力を持たないのです。

 

「この宇宙にて、突然変異的に発生し、地球に降り立ち、地球生物に寄生して、今日を生きている。なんとか生き抜いている。どうにか生き永らえている。

 

「そして、宿主の死と共に、死んでいく。

 

「只の――いえ、そんな可愛らしいものではありませんね。あり得ませんね。私達の本性は、本質的な生物的本能は、虫というよりは、むしろ獰猛な獣なのですから。

 

「寄生虫ならぬ――寄生獣、と言ったところでしょうか。

 

「私達は、寄生獣――寄生(パラサイト)星人と呼ばれているものです。

 

「呼ばれている、化物です。

 

「見かけたら、どうか優しくしてあげてくださいね。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「私達の起源――寄生(パラサイト)星人の起源というものには、残念ながら見識はありません。知識としては知りません。お恥ずかしい限りですが。

 

「気が付いたらここに居たのです――地球に居たのです。

 

「宇宙から、地球に降り立っていたのです――ここ、日本列島の端である、千葉県に。我らが愛すべき千葉県に。

 

「なので、正確には私達は自分達が宇宙人なのかも分かりません。あの黒い球体は、私達が地球外生命体――通称“星人”であることを確信していたようでしたが。まぁ、オニ星人のような方達もいますし、私達もウイルスのようなものだと思っても大差ないのかもしれませんね。私達が人間ではなく、化物であることには疑いようがありませんからね。

 

「さて、地球来訪のその日、まず行ったのは宿探しでした――宿主探しでした。野宿は辛いですからね。死んでしまいます。

 

「なにせ、その頃の私と来たら、文字通りの虫ケラでしたから。全長五センチメートルにも満たない、ミジンコの巨大版です。ふふ、大きいのか小さいのか分かりませんね。

 

「そのことからも分かる通り、私達は何かに寄生することを前提とした生命体なのです――星人なのです。だからこその寄生虫――寄生獣――寄生(パラサイト)星人です。

 

「この行為は、寄生というこの行動は、本能にインプットされていたようでした。まず、そこがどこか、自分が何かということを省みるよりも前に、一刻も早く宿主を探さなければという行動原理が優先されました。そのことに何の疑問も持ちませんでした。

 

「まぁ、疑問も何も、その時点ではそんなことを思うような、他の事を思わないことに疑問を覚えるような知能はなかったのですが。

 

「虫けらですから。

 

「むしろ、そんな知能を得る為に、宿主を欲していたという面もあるのでしょう。

 

「私達は、宿主の身体に侵入し、その方の脳を奪うことで――宿主を乗っ取ることで、食らうことで、ようやく一人前の生命体になれるのです。虫けらから脱却し、人間に――否、化物になれるのです。一人前の、一化物前の、寄生(パラサイト)星人になれるのです。

 

「どうです? 獣でしょう? 本能のままに、寄生し、食らう――まさしく寄生獣です。

 

「………ええ。その通りです。お察しの通り、既に本物の彼女等は――雪ノ下陽光や、雪ノ下豪雪は、この世にいません。

 

「私達が食らいました。私達が乗っ取りました。――私達が、殺しました。

 

「……ありがとうございます。ええ、とりあえず話を聞いてください。物語を聞いてください。

 

「言い訳にもなりませんが、理由はあるのです。動機は――犯行動機はあるのです。納得していただけるかは分かりませんが、耳を傾けていただければと。その後で、いかようにもしていただければと。

 

「――ええ。これは自己犠牲などではありません。私達の命を差し出すから他の同胞は見逃してくれなどと言い出すつもりもありません。只の諦念です。

 

「最初に言いましたが、私達は、弱くて、弱くて、弱弱しい。何かに寄生しなくては明日も生きられない、最弱の寄生獣です。あなた達を――黒い球体を敵に回して、明日の日の出が拝めるなど、初めから空想すらしていません。

 

「ですから、こうして無様に命乞いをしているのです。私達の物語を語って、あなた方の同情を買うことを目論んでいるのです。

 

「哀れに思っていただけるのなら――もう少し、お付き合いいただければと思います。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「日本の千葉県に降り立った私は、とある豪邸の窓から侵入しました。最も近くにあった生命反応がそこだったのです。

 

「そこは、ここ――雪ノ下家の本家でした。何の因果か、ここは私の、ある意味では生誕の地なのです。

 

「私は、そこで眠っていた一人の女中の耳から体内に侵入し、脳を奪い、乗っ取りました。彼女という人格を食らい、彼女という人間を殺したのです。

 

「こうして私は宿主を得て、一人前の、一化物前の、寄生(パラサイト)星人となったのです。

 

「始めは苦労しました。元々、彼女は口数が少なく、友人は居らず、どうやら身請け同然に雪ノ下家へと配属になったようで、雪ノ下家でも肩身が狭い、厄介者のような存在であったようでした。

 

「ですが、そのおかげで、誰とも会話をすることなく、ただ一方的に言われるがままの仕事をこなせばいいだけだったのは助かりました。

 

「私は他の寄生パラサイト星人と比べて特別知能が高いようなのですが、それでもやはり彼女を乗っ取った当初は、人間の言葉も、当然ながら常識も分からず、書物を読んだり、他者を観察する必要がありましたから。

 

「ですが、数日もあれば、どうにか彼女の生前の暮らしを模倣することは出来るようになったようでした。他者とあまり会話をせず、言われるがまま仕事をこなし、そして館の外れで孤独に眠る。そんな日々を、模倣(トレース)することが出来ました。

 

「しかし、そんな順風満帆に思えた私の寄生生活にも、すぐさまどうにもならない問題が浮上しました。

 

「生きる上で、生き永らえる上で、欠かせない問題――栄養の摂取。すなわち、食事です。

 

「私達は、同族を食します。正確に言えば、宿主となった生物の同族を食する――つまりは共食い専門の種族なのです。

 

寄生(パラサイト)星人は、生物の体内に侵入し、その宿主の脳を奪うことで知能を得ます。つまり、宿る前の、寄生する前の状態は、著しく知能が低いのです。そんな状態で宿主を選ぶわけですから、中には人間ではなく、犬や猫などの、文字通りの獣に寄生する場合も有り得ます。勿論、最も本能的に惹かれるのは人間の脳なので、こんな例はごく稀ですけれどね。おそらくは知能を求めての本能的欲求であると推測しているので、人間に最も惹かれるのではないかと推測しているのですが――あなた方にはどうでもいいことでしたか。

 

「つまり、犬に寄生したものは犬だけを、猫に寄生した場合は猫だけを――そして、人間に寄生した化物は、人間を食すのです。

 

「私も、数多くの人間を殺し、食しました。頭を乗っ取ったことで、私は頭部を“異形”に変形させることが出来ます。食虫花を咲かせるように、裂かせることが出来ます。この細胞こそが、私達の本体であり、本性です。ほら、こんな風に。

 

「………そんなに引かなくてもいいじゃないですか。ほら、霧ヶ峰さんなんか紅茶のお替りを頼んでいますよ。え? 一緒にするな? いえいえ、顔を顰める程度で済んでいるあなたも同類です。私達からすれば頼もしい限りですよ。ふふ。

 

「話を戻しますね。まぁ、こんな感じですので、普通の一般の方を襲う分には――食す分には、そこまで苦労はしないのですよ。勿論、人間社会では殺人事件ですので、計画は綿密に、雪ノ下家からはなるべく離れた場所で、回数も最小限にするように努めていたのですが――そんな配慮をする私のような寄生(パラサイト)星人は、当然のように一握りでして。というよりも一摘みでして。

 

「他の大多数の同胞達は、そんなことはお構いなしに、自由気ままに、勝手気ままに、空腹に任せて狩りをしていたのですよ。原始人のように。この文明社会で。

 

「野蛮ですよね。迷惑なものです。ですが――当時の私にとって、それはどうでもいいものでした。

 

「同胞の暴挙も、その時は暴挙だとは思いませんでした。随分と豪快だなぁとか。よく食べるなぁとか。そんな感じでした。

 

「私が行っていた偽装工作は、あくまで人間にとって自分達の食事は、殺人事件という取り締まるべきもので、もしその犯人が自分だと割り出されたら、私の平穏が――生存が脅かされると思ったからです。

 

「断じて、倫理観などに基づいての行動ではありません。数は少ないとはいえ、私もばりばり食べてましたからね。やだっ、ばりばりとか使っちゃいました☆。ワードセンスが若い!

 

「……なにを、さっきの変形を見た時以上に顔を顰めてるんですか。まだまだ若いでしょう、私。年齢? 女性の年齢を聞くなと教わらなかったんですか、平塚先生に。

 

「あ、いいえ、平塚先生が私達の仲間ということはないです。あの事件の後、雪乃のことで話し合ったことくらいですよ。……まぁ、後はあなたのことを調べていく上で、少し調査をしたくらいです。

 

「その辺りのことは、順を追って追々説明していきましょう。今は食事の話でしたね。

 

「つまり私は、同胞の暴挙を、その時は暴挙とは思わず、むしろ自由に食事出来ることを少し羨ましく思っていたくらいでした。

 

「――ですが、やはりそんな暴挙は、黒い球体は見逃してはくれませんでした。

 

「私達には、同胞を感知する能力があります。私達特有の脳波のようなものです。これにより、見た目には完全に人間に擬態している同胞を見つけることが出来ます。

 

「それが――ある日、一斉になくなりました。

 

「……いえ、それは正確ではありませんでしたね。言葉が正確ではありませんでしたね。この感覚は同胞が近づかなければ反応しないレーダーのようなものなので、消えた瞬間に感知できたわけではありません。

 

「地球に――千葉に降り立ち、雪ノ下家の女中としての生活に慣れてきた頃には、私は周辺市内の同胞の数や住処などはある程度把握していました。その頃には、同胞同士で馴れ合おうとか、ましてや組織を作ろうなどとは考えておらず、居るなぁという程度の感じでした。ほら、私ってドライな女ですから。クール系女子ですから。

 

「でも、ある日を境に、それなりの人数の同胞がいた筈の街から――同胞が丸ごといなくなっていたのです。

 

「駆逐されていたのです――殺処分されていました。

 

「今覚えば、それは黒い球体による“掃除”だったのでしょう。ミッションの標的(ターゲット)にされていたのだと思います。私達の弱さから考えたら、おそらくは点数は微々たるものだったと思いますが。

 

「その地域の同胞達は、特別食事のマナーがなっていない、暴飲暴食な同胞達が多数生息していた地域でした。人間社会の方でも連続通り魔事件が多発していると話題になっていたものです。

 

「私は直ぐに気付きました――人間達が、私達を“敵”として認定したのだと。

 

「この頃の同胞達は、人間を自分達の食料としか見ておらず、見下しがちだったものですが、私は違いました。私は理解していました。個々人ならばまだしも、群生としての人間は、種族としての人間は、私達のような寄生獣よりも、遥かに強く――悪魔的であると。

 

「悪魔とは、まさしく人間のことであると。

 

「ありとあらゆる動植物を食らい、支配し、この地球を掌握している、紛れもない強者で、強種族であると。

 

「だから私は、だからこそ私は、こそこそと目立たないように雪ノ下家へと寄生していたのですが、このままでは馬鹿で野蛮な同胞達のせいで、私までが駆逐されてしまう――この時、私は遅まきながら危機感を覚えました。

 

「そこで、私は決意しました。組織を作ることを。弱い者は弱い者同士でつるみ、固まりあい、身を寄せ合い、ひっそりと暮らすことを。

 

「黒い球体に、これ以上、目を付けられないように。

 

「私はこの日から行動を開始しました。

 

「まず、人間らしい食事を摂ることにしました。頭は化物ですが、身体はそのまま人間として残っています。消化器官も健在なので、人間が摂取する食事だけでも生きていくことは可能なのです。

 

「この発見は、私のそれまでの人生で――いえ化物生ですが――とにかく、過去最大の衝撃でした。人間を食らうという欲求は、食事という面以上に、私達の根源的な本能のようなものでしたから。それをしなくても、私達は生きていける、生き永らえていけるというのは、己という生物の、寄生(パラサイト)星人としての根本を崩されたような、崩してしまったかのような、アイデンティティクライシスのような感覚を覚えました。

 

「そして、次に感情表現です。私達は――寄生(パラサイト)星人は、基本的には合理的で、理性的な物の考え方をします。というよりはやはり、感情というものを理解できない、といった方が正確でしょうか。だからでしょうかね、基本的に寄生(パラサイト)星人というのは、皆一様に無表情なのです。私の夫のように、人形のような、作り物めいた無感情なのです。むしろ、私や“彼”の方が特異例なのですよ。……だろうな、ですか。……比企谷さんも言いますね。ふふふ。

 

「とにかく、ひっそりと生きると決めた以上、周りの人間(ふうけい)に溶け込む能力は必須です。いくら宿主が弾かれ者とはいえ、いつまでも無表情で無感情では違和感を覚えられてしまいます。最悪雪ノ下家を追い出されても生きてはいけますが、その頃の私は、いつどこに自分達の()がいるのか分からない状態でしたから。いずれ追い出されるのだとしても、感情表現を覚えることは必須でした。新天地では馴染めるように――擬態できるように。これは食事のように、直ぐに身に付くというものではありませんでしたが。

 

「そのような努力と並行して、同胞達の保護も続けました。殆どの同胞達は耳を傾けてくれることはありませんでしたし、その組織作りも決して楽な道のりではありませんでしたけども。

 

「第一に食事に対する考え方ですね。人間の食事で生きていけると言っても、先述の通り、人間を食らうという捕食行為は私達の根源的な本能に根付いているので、中々理解されず、むしろ私が異端扱いされて殺されかける始末した。返り討ちにしてやりましたが。

 

「それでも何とかめげることなく足掻き続け、色々と試行錯誤を重ねました。せめて騒ぎが大きくならないように目につかない場所に『食堂』を作ったり、後は人間達に対抗する為に色々と実験したりを繰り返したりして――上手くいったこともあれば、上手くいかなかったこともあって。中々しんどい毎日でした。

 

「そして、それから数年が経って――私は子供を身籠りました。

 

「当時の雪ノ下家当主――雪ノ下厳冬様との御子です。まぁ隠し子という奴ですね。昼ドラ的な展開ですよね。うふふ。夜の顔は化物で、昼間は昼間で昼顔的なことをやっていたというわけです。おほほ。いえいえうそうそ、ちゃんと致したのは夜ですよ。え? そこじゃない? パラサイトジョークですよ。笑ってくださいな。当時は当時で笑えないことになっていたんですから。

 

「随分と話は遡りますが、私の宿主が雪ノ下家の女中で、身請け同然でやってきたという話はしましたよね。

 

「ちなみに、当時の肉体年齢は十二才でした。子供を身籠ったのは十六才です。ええ、事案ですね。

 

「いくら当時の時代が時代だったとはいえ。まぁそんな時代だったからこそ、両親兄妹をなくした私が――というより“彼女”が、地元の有力者である雪ノ下家の当主に見初められて拾われる、なんて展開になったのでしょうけれども。

 

「そんな経緯なので、暗黙の了解として、彼女の――そして私の職務には、厳冬様の夜伽の相手が含まれていました。

 

「なんでも、当時の奥様とは政略結婚だったそうで――まぁこれも当時はよくあったことだったのでしょうが――夫婦仲は最悪に近かったそうなのです。

 

「奥様には結婚前から相思相愛の異性がいて、厳冬様も取引相手に半ば無理矢理押し付けられたような結婚だったそうで。そんな時に、厳冬様が“彼女(わたし)”を見初めたものだから、もう。光源氏待ったなしですね。

 

「私が感情表現を必死で覚えたのも、そんな経緯があったのです。毎晩自室に呼ぶ()()()()()と致している中、ある日急に反応が無くなった私に対して、厳冬様は当時そりゃあもう慌てふためていたものです。思ったより下世話な理由で驚いたことでしょう。

 

「……え? 夫の前でそんな話を赤裸々に話すのはどうか、ですか。いいんですよ、この人も昔は色々やりたい放題していたのですから。そういう気まずい部分(かこ)を互い受け入れるのがいい夫婦というものです。だからあなた、泣くのはおよしなさいな。結婚生活というのは綺麗ごとじゃやっていけないんですよ。ドS? 大魔王? なんのことかよくわからないですわね。

 

「さて。話を戻しましょうか。私の夜のテクニックの話でしたね。……え、違う? ああ、そうでしたね。とにかく、そんな形で、私の当時の宿主はロリコン当主に手籠めにされていました。

 

「当然ながら、そんな話を大っぴらに出来る筈もありません。私が他の雪ノ下家の人達にあまりよく思われていないのは、そんな理由もありました。厳冬様も、暗黙の了解を受けていた関係だったとはいえ、表だって私を庇うようなことなどもやはり出来ませんでしたし。そんな中、私が子供を妊娠したことは、それはもう雪ノ下家を大きく揺るがせました。

 

「遂に追い出される日が来たかと。周りの人達から冷たい目で見られながら、今後の計画を心中で立てつつ脱走の準備を整えていたのですが――冗談抜きでお腹の子ごと処分されかねなかったですから――そんな時、更なる重大な事実が発覚したのです。

 

「奥様、ご懐妊です。厳冬様とは結婚以来一度も褥を共にしたことはないにも関わらず。……ええ、浮気ですね。まぁ本人は開き直って、これはあなたの子ではないわよ! とズビシッと家族会議――雪ノ下家重鎮会議で勇ましく厳冬様に宣言したらしいのですが。本当に、雪ノ下家の女性は当時から強いですわね。

 

「まぁ、そこからいろいろとごたごたぐちゃぐちゃぐだぐだしつつ、結果としましては、私は子供を産むこととなりました。雪ノ下家当主と奥様の子として――対外的には。

 

「つまりは、どっちも産んで、意図的に取り違えればいいじゃん、ということになったのです。名家の闇が深過ぎて怖いですね。

 

「要するに、私が産んだ子供を、奥様が産んだことにして雪ノ下家の第一子とする。そして奥様が産んだ子供は、そのまま奥様の想い人がシングルファザーとして育てるということになりました。

 

「奥様は荒れに荒れましたが、それでも望まぬ結婚を強いられることが確定していた出自の立場において、身の貞操を愛する男性のみに捧げ、そしてその想い人との子供まで産めることになったのだから、あなたは恵まれている――と、奥様の母上に説得された末に、奥様は涙ながらにその結果を受け止めました。

 

「そして条件として、雪ノ下家からその奥様の想い人には一定額の養育費を奥様の私財から投ずること。そして奥様は想い人の“友人”として、いつでも想い人と子供に会いに行っていいと、厳冬様は仰いました。

 

「この決定は会社のその他の重鎮から大批判を浴びましたが、厳冬様はそこは頑として譲らず、奥様もこのことを機に、厳冬様との仲も良好――とはいかないまでも、お互いを信頼した喧嘩仲間くらいの距離には落ち着きました。ええ、喧嘩の絶えないご夫婦でした。同じ部屋で寝ていたことは終ぞ見たことはありませんでしたが……ええ、良きご夫婦ではなかったのでしょうが、良きパートナーでは在れたのだと思います。

 

「……さて、ここまで私とは特に関係のない雪ノ下家の裏話を語ってしまいましたが、ここでようやく本題に入りましょう。つまり、紆余曲折の末、私は雪ノ下家を追い出されるどころか、むしろここで子供を産まなくてはならなくなったのです。

 

「化物の私に宿った――正体不明の子供を。

 

「子供を宿ったこと自体は、私は後悔していませんでした。むしろ多大なる興味がありました。

 

「化物である私と、人間の子供。それが、果たしてどんな生命体であるのか――正直、興味しかありませんでした。私が知っていた限り、当時そんな試みを行った同胞は――それどころか、寄生(パラサイト)星人同士でも、子供を作ったものなど存在していませんでしたから。

 

「私達には、性欲がないのです。生殖活動を行おうという、意欲が湧かないのです。

 

「食欲しかありません。私の場合は知識欲も同等以上に凄まじかったのですが、まぁそれは個性ですよね。個性が芽生えること自体、寄生(パラサイト)星人の中ではとんでもない希少性の個性なのですが。

 

「とにかく、大変でした。こんなことになるとは思いもよりませんでした。てっきり隠し子を身籠った時点で追い出されて縁を切られることになるだろうと思っていたので。後で子供だけ渡せと言われても雲隠れしてやり過ごすつもりでした。大事な検証記録ですので。

 

「しかし、あろうことか、隠し子どころか嫡子として、険悪な夫婦の間に産まれる切望された第一子として、我が子を産まなくてはならなくなったのです。

 

「全てを投げ出して逃亡してやろうかとも企みましたが、その日の内に私は館の端の小部屋から奥様と同じ一室に移され、万全の体勢で出産に臨むことになりました。万が一のことがあったらあれだからと。手の平を返したような態度でしたね。

 

「仮にも正妻と不倫相手を同じ部屋で過ごさせるなんてどうなのかと俗な知識から疑問に思いましたが、むしろ奥様は私のことを大歓迎しました。あんな親父のどこがいいのと笑うときもあれば、あなたのお蔭でこの子を産めると泣きながら感謝されたこともありました。

 

「……そんな奥様との日々を過ごす中で、私は内心冷や汗ダラダラでした。どうしよう。どうしましょう。実は私は化物で、この子もどっちに転ぶか不明なんですよおほほうふふとは、とてもではないですが言えるわけがなく、逃げることも無理でした。……ええ、この頃には私もだいぶ人間に染まっていたのだと思います。弱りましたねぇ。弱ってしまうくらい、弱りきっていました。他の寄生(パラサイト)星人ならば、雪ノ下家の全員を惨殺してでも逃亡していたでしょうが。

 

「勿論、私も我が身が一番大事です。腐っても星人で、弱りきっても化物です。もし生まれてきた子が私達と同様に化物で、その正体が露見したならば、集団惨殺を躊躇なく実行する心積りでした。

 

「ですが、結果として、幸か不幸か、生まれてきた子供は、私がお腹を痛めて産んだ――まぁ頭を乗っ取った星人は痛みに対する恐怖心がないので陣痛だろうがなんだろうが無表情で乗り切りましたが。そして助産師さんにドン引きされましたが――子供は、普通の人間でした。

 

「紛れもなく、紛うことなく、その細胞全てが、普通の子供でした。

 

「健康優良児でした。

 

「おめでとうございます。可愛い女の子です――拍子抜けしてしまう程に。

 

「生まれてからしばらく観察していましたが、彼女はすくすくと育ちました。健康に育ちました。普通に育ちました――まぁ、普通よりも少し、いやかなり優秀な子でしたが、それは育て方が良かったのでしょう。

 

「彼女は、あの子は――我が子は、人間でした。

 

「我が子なのに、人間でした。

 

「あの子は私の子ではなく奥様の子として育てられましたが、本当に我が子ではないかのようでした。産んでから少し経つと、自分が産んだという実感すら、失くしてしまう程に。

 

「その後――私の後に続くように、何人かの寄生(パラサイト)星人が、あらゆるパターンで子作りに励みました。化物同士で交配してみたり、寄生(パラサイト)星人である男が人間の女に子種を注いだりもしましたが、生まれてくる子供は、その全てが、普通の人間だったそうです。

 

「最初に言った通りです。

 

「私達には――繁殖能力がないのです。

 

「次代に子孫を残せず、絶滅不可避な、欠陥種族なのです。

 

「人間などと比べる余地もない――弱くて、弱くて、弱弱しい。

 

「生物として、圧倒的に弱者なのです。

 

「……ええ、にも関わらず、何故、私はこうして生きているのか。

 

「若いままで、美しいままで、今もこうして、無様に生き永らえているのか。

 

「その理由をお話しします。

 

「世にも悍ましい種明しを致しましょう。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そう言って、雪ノ下陽光は――雪ノ下陽光の姿をした、雪ノ下陽光という存在を乗っ取った寄生(パラサイト)星人は、長い物語を語って水分を欲したのか、紅茶のカップを口に運ぶと、あらと言い、その中身が空になっていることに気付いた。

 

 すぐさま都築さんが「(わたくし)としたことが。申し訳ありませんでした」と言い、熱い紅茶を注ぎ直す。

 ……おそらくは、これは都築さんの、俺達への――俺への気遣いだろう。雪ノ下陽光の――始まりの物語に含まれた大量の情報を整理する為の時間を与える為の。都築さんが、霧ヶ峰の紅茶のお替りは注ぐ癖に、自らの主の紅茶の残量に気を遣い忘れるという失態をするとは思えない。

 

 だが、ありがたい。正直、ここまで長い物語だとは思わなかった。まさかの誕生秘話から始まるとは。……だが、御蔭で、確かに分かり易かった。

 その途中で、軽く雪ノ下家の闇のような部分を垣間見て――垣間聞いてしまったが。……というか厳冬も厳冬だが、奥様も奥様だな。雪ノ下家の女性はどいつもこいつも規格外じゃないといけないみたいなルールでもあるのか?

 

「――さて。いかがですか、比企谷さん。だいぶ長い話となったので――そして、もう少し長い話が続きそうなので、少し小休止としましょう。質問タイムです。紅茶が冷めるまでの間、聞きたいことには答えますよ。さぁ、クエスチョン! クエスチョン! ふんふふ」

 

 …………そして、物語を語っていく内に、だんだんとキャラ崩壊を起こしてきたこの星人。……星人の癖に、ばっちり雪ノ下遺伝子を受け継いでいるのは何でだ。

 この人は、この化物は、まるで昔の陽乃さんみたいだ。こっちをおちょくる癖に、決定的な隙は全く見せない。いや、この人が見せる隙は、この人が意図的に作った誘導路なのだ。自分のペースに引き込むことで、こちらを相手には自覚すらさせずに支配しようとする。魔王の――大魔王の手口。

 

 あの陽乃さんが、敵わないと零す程の女傑――まぁ、陽乃さんのことだから、何処まで本心かは分からないが……内心では恐らく虎視眈々と、この女を乗り越えて、踏み台にすることも目論んでいたのだろうが、それでも、()()()()()()()()()()()と、自分よりも上だと、口に出して認めていた程の存在。

 

 雪ノ下雪乃の、雪ノ下陽乃の――母親。

 どいつもこいつも規格外な、雪ノ下家の女の頂点――女王よりも、魔王よりも上の、大魔王。

 

 それは、果たして目の前の化物のことだったのか――それとも、この化物に乗っ取られた、その人だったのか。

 

 どちらにせよ、目の前の存在が、化物であることは変わりない。

 身も、心も、比喩抜きで、文字通りに。

 

「……そうですね。なら、時系列をはっきりさせておきたいのですが、あなたが地球に降り立ったのは、具体的にはいつ頃のことでしょうか。その雪ノ下厳冬とは、何代前の当主なんですか?」

「正確な数字はよく覚えていませんが、厳冬様は、先代のご当主様です。私――雪ノ下陽光の父であり、現当主である我が夫――雪ノ下豪雪の義父にあたります」

 

 そうか。そこまで古い話でもなかったのか。

 つまりは陽乃さんや雪ノ下の爺ちゃん、か……なら、話は百年も経ってない頃の話――

 

 

――待て。()()()()()()……()、だと?

 

 

 厳冬の娘が雪ノ下陽光――今、目の前にいる化物、寄生(パラサイト)星人に乗っ取られ、殺された人物だ。

 雪ノ下陽乃の、雪ノ下雪乃の母。寄生(パラサイト)星人を束ねる存在。

 

 だが奴は、目の前のコイツは、自分の人生を――化物生を語る物語で、たった今語っていた己の始まりの物語で、()()()()()()()()()と言っていなかったか?

 

 化物の自分が、人間の子供を、産んだと言っていなかったか?

 当時の雪ノ下家の当主であり、自分の宿主の身体を孕ませた厳冬の、子供を、産んだと。

 

 雪ノ下家の第一子として――元気な女の子で――そして――――そして――――。

 

「――――ッッ!! お……ま……えは……」

 

 俺は、愕然と、目の前の化物を見る。

 

 そして……理解する。

 背筋を走る寒気と恐怖――そして、冷たい憤怒と共に理解する。

 

 霧ヶ峰と、都築さん、そして雪ノ下豪雪と偽中坊が俺を見ている――見上げている。

 

 気が付いたら無意識に、反射的に、テーブルに手を叩きつけて、座っていた椅子を弾き飛ばして、思わず立ち上がっていたらしい。

 

 立ち上がり、睨み付けずには、いられなかったらしい。

 

 目の前の化物を――雪ノ下陽光を。

 雪ノ下陽光の皮を被った、化けの皮を被った、化物のことを。

 

 転げた椅子をしゃがみこんで直してくれる都築さんに礼も詫びもすることを忘れて、ただ目の前の化物に――殺意を送る。

 

 俺は、既に自分が胸を張って人間だと言える存在でないことは理解している。痛感している。

 

 ガンツによってこうして現存しているが、そうでなければ何回死んだのかも分からない。常人なら決して助からないような大怪我をミッションの度に負い、それを転送の度にバックアップデータを基に復元されてきた。

 そして、毎夜毎夜、無数の命を奪い、味方を切り捨て、そして、人間も――妹も、小町も遂にこの手にかけた。

 

 間違いなく死後は地獄行きで――地獄なんてものが、今俺が生きているこの世界以上の地獄なんてものがあれば、だが――間違いなくクズ野郎で、クソ野郎で、“鬼”で、そして、化物なのだろうと思っている。

 

 それでも――それでも――自分のことを棚に上げて、恥知らずなことを承知で、それでも言わせてもらえるなら――。

 

 コイツは、化物だ。

 

 人間じゃないとか、強さとか弱さとか、歪さとか不気味さとか異形さとか、そんなものじゃない。そんなものを抜きにして、そんなものすら霞んで、コイツは――化物だ。

 

 そんなことが、あっていいのか。

 

 そんな奴が、生きていていいのか。

 

 ダメだろ――それはダメだろ。それだけはダメだろ。

 

 こんな奴は、生きてちゃ、ダメだろ。

 

 俺と同じくらい――死ななくちゃダメだろ。

 

「八幡――座って。それを、下して」

 

 いつの間にか、無意識に取り出し、奴に銃口を向けていた俺の右手を、これまたいつの間にか俺の背後に回っていた霧ヶ峰が、スーツの力で抑えこんだ。

 

 頭は冷えている。いつもよりも、ずっとクールだ。

 だが、心が拒絶した――こんな俺が、今更心などと語るのは、滑稽極まりないと自覚はあるが、それでも徹底的に拒絶した。目の前の化物を殺したかった。

 

 ああ、これが同族嫌悪か。

 

 鏡を見ているみたいなのか――俺は、今、こんなにも気持ち悪い化物なのか。

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い悍ましい悍ましい悍ましい嫌悪嫌悪嫌悪嫌悪。

 

 死ねばいいのに。なんで生きてるんだコイツ。

 

 なんて生きているんだ俺。死ねばいいのに死ねばいいのに。

 

 ………ああ、そうか。俺は、死ねないんだ。幸せになるまで。幸せにならなきゃ。

 

 小町と陽乃さんと、由比ヶ浜を拒絶して雪ノ下を壊して小町と約束して小町誓って陽乃さんがだから俺は小町幸せに陽乃さん陽乃さん俺は――俺は――俺は――。

 

「……………悪い、霧ヶ峰。もう大丈夫だ」

 

 俺はそう言って、Xガンを霧ヶ峰に渡し、都築さんに頭を下げて、椅子に座り直す。

 霧ヶ峰はXガンをテーブルの上に置いて、そして俺の左隣の席に俺に続いて座る。

 

 そして、雪ノ下陽光が紅茶を口に入れた。冷めたらしい。適温に。無表情でゆっくりと味わっていた。

 

 俺の激昂に対して、寄生(パラサイト)星人サイドの奴等は恐ろしく無感情だった。誰一人取り乱しておらず、動き出してもいない。雪ノ下陽光を庇おうとすらしていない。

 

 霧ヶ峰が止めるだろうと確信していたのか――それとも――。

 

「――比企谷さん。あなたのお怒りはごもっともです。私は、まさしく、化物の名にすら恥じるような、悍ましい行いをしました。……そして、その結果として、今、こうして無様に生き永らえています」

 

 そう言って、再び雪ノ下陽光は――雪ノ下陽光の化けの皮を被った化物は、再び語り始める。

 

 化物の物語を。その美しい化けの皮を手に入れる物語を――美しく、悍ましく、語る。

 

「……恥ずかしながら、語りましょう。面の皮の厚い奴だと、口汚く罵られることを覚悟に語りましょう。……私が、この顔を、この美しい面の皮を、化けの皮へと貶めてしまった化物の所業の独白を」

 

 そして、美しい寄生獣は独白した。

 

 何よりも恐ろしい毒のような言葉を、雪のように真っ白な酷薄の微笑みを浮かべながら、この世で最も罪深い大罪を告白した。

 

 

「――私は、娘を殺したのです」

 

 




比企谷八幡は、美しき寄生獣の化けの皮の物語を聞く。

それはこの世で最も罪深い大罪――家族殺しの物語。

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