比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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この初恋を――わたしは忘れない。


Side試験(ミッション)――③

 

 雪ノ下陽乃が、『黒い球体の部屋』から持ち帰った兵器は、全部で三つ。

 内一つはガンツソード(黒剣)。内一つはガンツランス(黒槍)

 Xガン等の銃器類を持ち帰らない代わりに、小さく畳めて忍ばせることが出来る近接武器を、彼女は日常に密輸することを選んだ。

 

 そして、もう一つが――BIM。

 昨夜のガンツミッションにおいて、比企谷八幡の新たなメイン武器の一つとなった八種類の爆弾。

 小さくコンパクトである上に、爆弾という性質上、一発逆転の切札にもなりうる攻撃力を秘めた新兵器を、八幡の勧めもあり、彼女は此度の帰還に置いて持ち帰っていた。

 

 由比ヶ浜結愛の言葉を黙って聞いている最中、陽乃はその切札をこの場面で発動することに決めた。

 

 円筒タイプの金属塊――そのスイッチを押し、息を殺す。

 

 扉の向こう側から聞こえてくる――許せない言葉。

 雪ノ下陽乃という少女の逆鱗に触れる間延びした声に、殺意を昂らせながら――勢いよく扉を開く。

 

 途端――病室に充満する、全て生命を奪う灼熱の殺人霧。

 陽乃は、自らその指で発生させた、昨夜も最強の雷鬼を相手に勝利を齎したその霧に追われるように、扉とは反対側の――窓に向かって走った。

 

「――お断りよ、正義の味方」

 

 そして、窓を突き破って、空中に躍り出る。

 

(――勝負ッ!)

 

 陽乃は遥か下の地面に向かって己を誘う重力を感じ始めたその時――意を決し、新たな爆弾のスイッチを押した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

(――ようやく、覚悟を決めたかな?)

 

 由比ヶ浜結愛は、己に向かって襲い掛かってくる猛毒のガスに向かって微笑みを浮かべる。

 

 確かに、屋内という場所に置いて、この烈火ガスBIMは強力な武器になる。

 まず、第一に逃げ場がない。ガスという性質上、それは気体であり、限られた範囲内を隙間なく殺人攻撃で埋めることが可能となる。

 自分をも巻き込んでしまうことが最大の欠点として挙げられるが、先程の破砕音から既に陽乃は窓から外に逃げているであろうことが推測出来る。そして、結愛がその逃げ場から逃げる為には、この灼熱の濃霧の中を突っ切るしかない。いくらガンツスーツを着ていても、それは不可能だ。

 

 ならば、結愛に可能な逃走手段は、未だガスが届いていない他の病室の窓から同じように逃げるということになるが――そうなれば、そこからは空中戦になる。ハンマーという重たい武器を持っている以上、不利になることは避けられない。それが狙いか。

 

 だが――そうなると。

 

(気付いているのか、それともいないのか。……いや、そこまで含めて、覚悟を決めたってことかな?)

 

 結愛はそこで笑顔を消すと――逃げずに、退かずに。

 

 大きく黒槌を――爆槌を下す。

 

 ドガンッッ!!! ――と、これまでで最も大きな爆発を起こした。

 

 狙いは――爆風。

 烈火ガスはガス、すなわち気体だ。

 

 威力は高く、効果範囲も広いが、その最大の強点であり、弱点でもあるのは――正しく、その気体であるということ。

 

 つまり、コントロール出来ない。

 流れる方向は、拡散速度は風任せ――簡単に操作出来てしまう。されてしまう。

 

 結愛は殺人霧から逃げず、空中戦にも乗らず、ただ爆弾に対し爆発で対抗することで、その場から一歩も動かずに、陽乃の切札に対応してみせた。

 

(確かにBIMをここまで隠しておいたのも、使い所も良かったけど――ただ武器をそのまま切札にするだけじゃあ、合格は上げられないよ)

 

 殺人霧を豪快に吹き飛ばした――その瞬間。

 

 ピッ――と。

 小さな電子音が何処からか発生し、それを掻き消すような轟音と共に――天井が降り注いだ。

 

(――ッ!? 別の、BIM――!?)

 

 伊達にここまで無様に逃げ回っていたわけではない。あの雪ノ下陽乃が、そのような弱者である筈がない。

 

 例え、敵が自らよりも強くとも、相手が己よりも格上の強者であろうとも。

 策略を巡らせ、謀略で躍らせ、必ず己が掌中で動かす。

 

 それが――雪ノ下陽乃だ。

 

(…………なるほどね。誘導してたつもりだったのは、お互い様だったってわけだ)

 

 あの追いかけっこにも、かくれんぼにも、二人の美女のそれぞれの戦略があったのだ。

 このDR世界についてだけでなく、雪ノ下陽乃は由比ヶ浜結愛という人間に対しても、その分析力を働かせていた。

 

 こちらにどのような揺さぶりをかけてくるのか。

 空ける距離は、隔てる距離は――物理的に、精神的に。

 どのようなシチュエーションを好むのか――ロケーション的に、ストーリー的に。

 目的は。求める資質とは。目指す先は。守るべきルールは。

 

 そして――その結果が。

 絶好の位置に仕掛けられた――このリモコン式BIM。

 

(陽乃ちゃんが飛び出したその方向にしか窓がないのも、ちゃんと計算済みか。どうあっても空中戦に持ち込みたいんだね。そんなに自信があるのかな?)

 

 だったらいっそのこと、そちらに乗るのも一興か――そう思い始めた結愛だったが、ここまで見事に罠を張られた以上、真正面から食い破ってみたくもあった。

 

(これも陽乃ちゃんの予想通りなのかもしれないけど――ねッ!!)

 

 結愛は、穏やかな微笑みから、好戦的な戦士の笑顔へと表情の毛色を変えながら、大きくハンマーを真上に振り抜く。

 

 ガンツスーツを着ていても、そもそもスーツを着ることを前提に設計された重量のハンマーだ。威力は絶大でも、その分、扱うのに相応の技量とパワーがいる。陽乃の使っているガンツランスと違い、このハンマーは100点メニュー2番によって手に入るオーダーメイドの上級装備だ。

 

 一度地面に向かって全力で振り抜いたそれを、間髪入れずに真上に振り抜くのは、かなり無茶な挙動だ――結果として上から爆風によって吹き飛んできた天井片を、これまた爆風で防ぐことが出来たが、体勢は崩され、少なからずの衝撃を浴びることになってしまった。

 

 だが――まだだ。

 まだ、ダメージと言える程ではない。

 

(合格は――上げられないよ)

 

 さあ、どうする? ――と、結愛はよろけながらも、膝を折ることすらせずに笑みを浮かべる。

 

 深くて、大きな、好戦的な笑みを。

 

 そして、陽乃が飛び出したであろう外の方を見た瞬間。

 

 

 陽乃が居たのとは隣の病室の――結愛の目の前の扉を、槍が突き破ってきた。

 

 

「え――」

 

 思わず呆けた声が出る。

 いや、待て、それはおかしい。

 

 槍が飛んできたことには、まぁ、驚かない。

 外にいる陽乃が空中で槍を放ったのだろう――不安定な空中でこれほど鋭い投槍を繰り出したのならばそれはまた見事だが――だが、それにしても、扉を突き破るよりも前に、()()()()()()()()()()()だ。

 

(天井を砕いたBIMの音で聞こえなかった? でも、それなら天井片が降り注いできたタイミングで槍も届く筈。この時間差は? いや、それより――)

 

 一瞬でそれらの可能性を考えることが出来るのは、流石は上級戦士といったところか。

 だが――それこそが、エリートの寿命を縮める要因となりかける。

 

 既に投槍は最後の障害たる扉を突き破り、由比ヶ浜結愛の肌先まで迫っていた。

 

「ぐッ――うっ」

 

 とても空中の不安定な体勢で放られたとは思えない鋭い一撃。

 重たいハンマーは再び地面に落ちていて反射的にはもう振るえない。

 

 反射的に動いたのは、ハンマーではなく、只の手だった。

 

 結愛は、戦士として――ではなく、人間として。

 寸前にまで迫った脅威に対し、武器を手放し、防御を取った。

 

 自身の豊満な胸部に向かって迫る鋭い槍先に――手を向ける。己の身体と脅威の間に手を挟む。

 

 そして、そこは長年死線を潜り抜けた戦士か――只の手で、無手で、結愛は投槍を弾き飛ばすことに成功した。

 とんでもない激痛と共に、槍は結愛の身体の中心線を脅かすことはなく、ただ小さな手の平を吹き飛ばす。ここでの吹き飛ばすとは、物理的に吹き飛んだわけではなく、大きく逸らされた程度の意味だったが――それで十分だった。

 

 黒槌を手放し、人間としての最高の武器である手も弾かれた――左手は大きく逸らされ、右手は黒槌の柄に僅かに残されている、この状態で。

 

 

 間髪入れずに、絶妙の時間差で襲い掛かっている、()()()()()()()を防ぐ手立ては、もうないのだから。

 

 

(――!? 二投目!?)

 

 由比ヶ浜結愛は、現役戦士時代も破壊力のある打撃武器を好んで使用していたので、終ぞガンツランスを用いたことはなかったが故に知らなかった――ガンツランスが、()()()()()()()()()仕様であることを。

 

 だが、それを知った所で、この二投目を予測することは出来なかっただろう。

 そもそもが空中に投げ出されている体勢で、ガンツスーツを着用している状態とはいえ、あれ程の鋭さと精度で投槍を実行しただけでも、とんでもない達人技なのだ。

 

 それを、あろうことか、絶妙の時間差で――それも、()()()()()()()()()で。

 

 有り得ない――と、結愛が瞠目する中、それを見て更に絶句する。

 

 二本目の黒槍――その先端に括りつけてある、()()()()()()()()

 

 表示される数字――それが、結愛の眼前で「0」になった

 

 

「――お見事」

 

 

 途端、再び巻き起こる――何度目かの爆発。

 

 爆煙が開いた病室の窓から噴き出してくるのを、陽乃は息を吐きながら見ていた。

 

 そう、陽乃が窓を突き破った隣の病室、つまりは結愛の目の前の病室の窓は、そもそも突き破るまでもなく――()()()()()。元々、何をするまでもなく開いていた。

 

 このDR世界は、軸とした現実世界を、複製したその瞬間を忠実に現存している。

 つまり、複製が実行されたその瞬間、開いていた窓はそのまま開いているままなのだ。あのカーテンが靡いていた病室のように。

 

 もっと言うのなら、陽乃が初めてあの病室の前を通りがかったその時、あの病室は窓だけでなく扉も開いていた。

 そこで陽乃は、窓が開いているのを確認し、結愛が来る前にその扉を閉めていたのだ。

 

 烈火ガスによるこの攻防の開幕時に、あらかじめ自分の居た部屋の窓を開けておくことをせずに、敢えて豪快に窓を突き破ったのはその為だ。普通に考えれば元々窓が開いていることなど十分に思い至る可能性だが、そこで窓を強烈な音を立てて突き破ることで、それを印象づかせ、先入観を植え付けた。

 

 ほんの僅かな思考誘導――だが、度重ねて怒涛の攻撃ラッシュを仕掛け続けて一瞬の判断を迫め続けて、思考時間を極端に短くさせることで、こういった一瞬の僅かな思考誘導が、文字通りの命取りになることに、陽乃は賭けた。

 

「…………ギリギリね」

 

 陽乃はスーツのモニタを見る。

 残り時間は――3秒。そこで、カウントダウンは停まっていた。

 

 そして、天から光が降り注ぐ。

 数多の爆発によって起こった『損傷』――その全てに降り注いでいる電子線は、まるで光の雨のようだった。

 

 戦場となった病院の、一応は外といえる場所から陽乃が、幻想的にも思える光景に目を奪われていると、真っ直ぐに、己に降り注ぐ電子線があることに気付く。

 

 戦士に施される『修復』は、ミッション終了時に行われる『転送』のみ。

 つまり、これが意味することは。

 

「……ミッション、クリア……かな?」

 

 陽乃は、そう呟いて微笑む。

 

 己が窓を突き破った病室と、己が投槍した病室と――同じフロア。

 烈火ガスも届かず、一切の『損傷』もない、少し離れた場所にあるその病室。

 

 その病室の壁に向かって伸ばされ、突き刺さったガンツソードを、()()()()()()()()()()()、空中に立っていた陽乃は、その病室にいない誰かを――見詰めて。

 

「…………」

 

 静かに瞑目し、薄暗い空から降り注いだ電子線を、まるで雨を浴びるかのように享受しながら。

 

 複製された世界から、現実の世界へと帰還した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「コングラチュレーショ~~ン! おめでとう、雪ノ下陽乃ちゃん! 文句なしの合格だよ! いやぁ~死んじゃうかと思ったぁ~。これで君も今日から正義の味方だね! パフパフ! 一緒に力を合わせて悪の星人をどんどんぶっ殺していこうね!」

 

 次に目を開けると、そこはいつもの『黒い球体の部屋』だった。

 

 いつものと称せる程に通いなれた場所では陽乃にとってはないけれど、それでもそこが陽乃達にとっての『出身部屋』であることは分かった。

 

「…………ありがとう、と言っておきましょうか」

 

 個人的には本当に殺すつもりで攻撃を放ったのに、それをまともに受けた筈なのに、由比ヶ浜結愛は未だに黒槌を担いだまま、無邪気な笑顔で陽乃を迎える。

 

 怪我どころか汚れ一つないのは『転送』によるものだとしても、殺意がふんだんに詰まった攻撃を受けた直後、その攻撃を放った加害者に向かって浮かべる笑顔ではないと思ったが、既に由比ヶ浜結愛はこういう人間だと理解したつもりになっている陽乃は、ただ淡々と笑みも浮かべずにこう問い返した。

 

「それで? どうしてこの場所なの? これから第二試験でも始まるのかしら?」

「ん~ん。試験はあれで十分だよ。単純に、ここが集合場所だから、此処に来ただけ」

 

 結愛は言った。

 集合場所――それがどんな意味の言葉なのかは何となく分かったが、陽乃がそれを問う前に、結愛が「それにしても」と、口を開いた。

 

「急に開き直ったみたいにスイッチが入ったから驚いちゃったよ。勿論、仕掛けとか用意していたみたいだから、その内きちんと仕掛けるつもりだったっていうのは分かるけど――そんなにヒッキーくんが結衣たちに取られるのが嫌だったのかな?」

 

 試験が終わっても笑顔で人を煽ってくるスタイルである結愛に、陽乃はこの人のこれは作戦だけでなく天然も入っているのかもしれないと、苦手のタイプであることを認めながらも蟀谷(こめかみ)を引き攣つらせながら答える。

 

「――当たり前。……八幡がわたしを忘れるなら、わたしは絶望しても……たぶん立ち直れる。何度でも、また奪えばいいだけだから。でも、」

 

 かつて――死の間際。

 彼に、自分の妹を託したように。

 幻想の中、手を繋いで去っていく、二人の背中を見送った時のように。

 

 心が引き裂かれるような激痛に、心に打ち込まれるような鈍痛に、涙を流すことになろうとも。

 

 八幡が、自分ではない他の誰かを選んだとしても。

 八幡が、自分のことを綺麗さっぱり忘れ去ったとしても。

 

 耐えられる。耐えられなくても、立ち上がれる。

 何度、彼が遠ざかってしまっても。何度、彼を連れ去られてしまっても。

 

 今の雪ノ下陽乃なら、それを追いかけ、戦い――略奪することを厭わない。

 

 例え、比企谷八幡に恨まれ、殺されることになろうとも――それを享受してでも、彼と共にあることを選択するだろう。

 

 でも――もし。

 

 雪ノ下陽乃が、()()()()()()()()、比企谷八幡の元を去るようなことがあるのなら。

 

(――それだけは……耐えられない……ッ)

 

 あのひとりぼっちの背中を。あの孤独者の温もりを。

 

 比企谷八幡の『本物』の座を、自ら降りて、その価値を忘却し、手放してしまうというのなら。

 

 それこそ悪夢だ。それこそ地獄だ。

 

 そんな生に価値なんてない。どんな無駄死によりも無価値だ。

 

「私は死んでも解放なんてしない。私は死んでも忘却なんてしない。忘れない。この想いを。この記憶を」

 

 雪ノ下陽乃は、不敵な笑みを浮かべる由比ヶ浜結愛に、真っ直ぐに殺意を持って告げた。

 

「この初恋を――わたしは忘れない」

 

 だからこそ、陽乃はこの黒い衣を脱ぐことはない。

 黒い槍も、黒い剣も手放さない。爆弾を持って戦場を歩き、一つでも多くの命を奪い続ける。

 

 最後まで、黒い球体の戦士で、あり続ける。

 

 この場所で、この黒い球体の部屋で、雪ノ下陽乃はそう誓ったのだ。

 

「…………その為に、雪乃ちゃんと結衣ちゃんを見捨てたわけだ。さっきも最後には、あの病院にどんな『後遺傷』が残ろうとも構わないって開き直りっぷりだったしね。あんなに、その危険性は説明したのにさ」

 

 後遺傷――DR世界崩壊時に現実世界に齎す、現実世界に引き継ぐ『損傷』のことを、そう呼称するようだった。

 

 確かに、あの時、陽乃はそのことを仄めかされ、結愛に揺さぶりを掛けられていた。

 

「…………」

 

 あのDR世界に残されたタイムリミットは残り3秒だった。

 それも、あくまで10分は恐らく維持できるであろう程度の余力しかない生体電池によって形成されていたDR世界なので、結愛による数々の爆発、そして陽乃による最後の大立ち回りによって、あのDR世界には当初の想定よりもかなりの負荷が掛かっていたことだろう。

 

 自動修復の速度がかなり遅くなっていたことも考えると、あの最後の攻防の途中で、DR世界の強制終了からの『後遺傷』出現も、十分に起こり得た可能性だったに違いない。

 

「あのトラップから考えて、()()()()()()()()()()()()あの(フロア)を戦場に選んだのも確信犯だよね。まったく、試験合格と一緒に恋敵抹殺まであわよくば成し得ようなんて、強かだねぇ、陽乃ちゃん」

 

 強くて、強かな、いい女だ――由比ヶ浜結愛は、雪ノ下陽乃を下から覗き込みながら、そう言った。

 

 そんな美女の笑みに、向けられたもう一方の美女は。

 

「……褒めてもらって恐縮だけど、流石にわたしも、そこまで血も涙も捨ててないわよ」

 

 と、苦笑を返しながら、返した。

 

「確かに、その『後遺傷』の話は効いたわ。可能性としては当然考えていたけど……うん、動揺した。そういった意味では、あなたの言葉はきちんとわたしを揺さぶれていたわ。……でもね、だからこそ、引っかかったの」

 

 あの時――今日の日中、雪ノ下雪乃を連れて、由比ヶ浜結衣の病室を訪れた時。

 

 ほんの一瞬、垣間見ただけだけれど、陽乃はこの美女の存在をしっかりと確認していた。

 年の離れた姉であると言われても納得が出来る程に、この美女は由比ヶ浜結衣と似ていたから。

 

 由比ヶ浜結愛が、由比ヶ浜結衣に向ける表情も、しっかりと印象に残っていた。

 まるで母が娘に向けるような、姉が妹に向けるような、そんな蕩けるような愛情を持った笑みのように見えていた。

 

 そして、確信を持ったのが、あの言葉を聞いた時だった。

 

――これまでのヒッキーくんはあたしとしてはイマイチくんなんだけど

 

 それまでずっと飄々と、笑顔で陽乃を揺さぶっていたにも関わらず。

 この言葉を放つ時だけは、ほんの少し――隠しようのない怒りが込められていたように感じた。

 

 大切な存在を傷つけられた者だけが放つ――仄かに、黒い、殺意が。

 

「それで、分かったの。アナタが、少なくともガハマちゃんには、間違いなく愛情を持っているって」

 

 だからこそ、烈火ガス式BIMを使った。

 当初の予定ではホーミング式BIMを使う予定だったけれど、確実に足止めするならば、烈火ガス式の方がいいと判断した。この階ならば、このロケーションならば、由比ヶ浜結愛は逃げずにガスを吹き飛ばすことを選択すると確信した――己の背後にある由比ヶ浜結衣の病室に、烈火ガスによる『損傷』による『後遺傷』が生じる可能性を、万が一でも摘む為に。

 

「……もし、あたしがあの子達を見捨てて、さっさと空中戦に乗ってたら?」

「その時はアナタを瞬殺で撃墜して、防火シャッターを下ろしに行ってたわよ。()は作ってたしね」

 

 あのガンツソードによる足場は、二段投槍の為だけでなく、その為の二段構えの保険でもあった。

 

 いくら足場を固めていて、なおかつハンマー使いには不利な空中戦とはいえ、由比ヶ浜結愛を瞬殺出来たかどうかは不明だが、陽乃は自信満々にそう言い切った。

 

「――だから、そう怒らないで。叔母さん」

 

 陽乃は揶揄うように、そう言った。

 ここでのおばさんという言葉は、年上の女性を揶揄する意味ではないことは、直ぐに分かって。

 

「……分かった分かった。あたしのか~んぱい」

 

 娘程に年が離れている(結愛に娘はいないが)この少女は、まさか、この『入隊試験』の『試験官』に由比ヶ浜結愛が立候補して此処にいるということは知らないだろう――が。

 

 自分がどんな感情を持って、雪ノ下陽乃の試験官として相対していたのか――それは見抜かれているような、そんな気がした。

 

(本当はヒッキーくん本人にぶつけてやろうと思ってたんだけど。流石にあの二人を差し置いて、そんな真似は出来なかったしね)

 

 言うならば、半ば以上に理不尽な八つ当たりだ。それこそ、娘程に年が離れている少女に、いい大人が向けていい感情じゃない。

 けれど彼女は、そんな思いを半ば以上に見抜いていながら、笑顔で許しを請うて見せた。

 

 この少女は、きっと強くなる。

 今以上に強く、強かな、いい女になるだろう。

 

「――ようこそ。雪ノ下陽乃ちゃん。あたしはあなたを歓迎します。……いっぱい、いじわるしてごめんね」

 

 由比ヶ浜結愛は、綺麗な大人の女性の笑顔でそう言った。

 あの少女が真っ直ぐに正しく育ったら、きっといつかはこんな美女になるのだろうと、そう思える程に、『彼女』にそっくりな笑顔だった。

 

「……こちらこそ。……ありがとう。……ごめんなさい」

 

 雪ノ下陽乃は、精一杯に作った笑顔で、眉尻を下げながら、その握手に応えた。

 小さく呟いた謝罪の言葉については、お互い何も言わなかったし、何も聞こえなかったことにした。

 

「――それで、わたしはこの後、どうすればいいのかしら? 集合場所って言ってたけど」

「陽乃ちゃんも気付いてるでしょ。ここでもう一つの『入隊試験』が終わるのを待つの。その合否結果がどっちでも、この『部屋』に『試験官』と一緒に転送されてくるから」

 

 合格の場合、陽乃と一緒に『本部』に転送される為に。

 不合格の場合、ここで記憶消去を行い、0点の戦士として再出発させる為に。

 

「…………」

「……ま、あっちはまだまだかかるだろうし、こっちはテレビでも観ながら待ってましょ。ガンツ、テレビ」

 

 結愛はそう言ってフローリングに座り込みながら、黒い球体にそう命じた。

 

 いや、テレビってと陽乃は思ったが、ガンツはいつも標的の星人の情報や戦士の採点を表示する己の表面に、恐らくは今放送されているであろうテレビのニュース映像を映し出した。

 こんな機能もあるんだ……と陽乃は呆気に取られる。結愛は、そんな陽乃を見上げながら、己の隣の床を叩きながら言った。

 

「陽乃ちゃんも座んなさいな。愛しのヒッキーくんのことが心配だろうけど、いい女には男を信じて待つ強さも必要だよ。それに、この会見の内容は遅かれ早かれ知らなくちゃいけないことだし、ね」

「……その言い方、なんかおばさんくさいわよ」

「ねえ今のおばさんは完全にディスりだよね? もう一戦する? 小娘」

 

 笑顔の背後に般若を浮かべながら威圧してくる結愛を無視して、陽乃は結愛の言う通りに隣に座り、記者会見の放送を見る。

 

 現職の内閣総理大臣、防衛大臣の横に、見知った顔の四人の少年少女が並ぶ映像を見ながら、陽乃は心の中で、愛しい男の名前を呟いた。

 

(……八幡)

 

 正しく紙一重の賭けの連続だった、CION本部への『入隊試験』。

 

 今、まさにそれに挑んでいるであろう彼の安否を、黒い球体の部屋から陽乃は、ただ信じて待つことしか出来なかった。

 




こうして、雪ノ下陽乃の試験(ミッション)が終わり、漆黒の魔王は正義の味方に勝利した。

そして、黒い球体は、別の場所にて行われている、別の黒色のミッションを映し出す。

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