ちゃんと、幸せに死ねそうだ。
その日――地球人人間は、『
圧倒的な戦力差を覆し、絶望的な文明差を攻略し、奇跡的な大勝利を成し遂げた。
多くの同胞を失って、身にも心にも癒えぬ傷を負って、仲間の屍を踏み越えて、およそ勝利以外の全てを失いながらも――
生まれ故郷の、青い惑星を守り抜くことが出来た。
そして――今。
とある三人の人間が、全宇宙の生物の誰も足を踏み入れていない、紛れもなく前人未到の空間である――その『部屋』へと辿り着いていた。
戦い、戦い、戦い抜いた、その果てに。
最果ての地へと――この世とあの世の狭間の彼方へと。
きっと何処にでもなくて、だけど何処にでもある――その『部屋』に。
機械的な黒い衣を纏った――三人の戦士が、迷い込んだ。
その『部屋』は、摩訶不思議な
どれだけ広いのかも分からない。どれだけ狭いのかも分からない。
どれだけ高いのかも分からない。どれだけ低いのかも分からない。
壁が何色なのかも分からない。床が何で出来ているのかも分からない。
そもそも、どこからが壁で、どこまでが床なのか、それさえも上手く認識出来ない。
分かるのは――ここが『部屋』であるということ。
そして、自分達の背後に――『黒い球体』があるということだ。
彼は戸惑っていた。
右を見ても、左を見ても、何も分からない。
状況が上手く掴めず、情報が上手く集められない。
この『部屋』には、少なくとも二人の同胞と共に侵入した筈だ。
あの『黒い球体』には、二人の仲間と共に吸い込まれた筈だ。
だが、今、此処には自分しかいない。自分しか分からない。
この『部屋』には、自分と、この『黒い球体』しか居ない。
――【やあ。よく来たね、地球人】
否――存在した。
この『部屋』には、自分と、『黒い球体』と、もう一人――誰かが居た。
いや、誰かではなく、何かかもしれない。そもそも誰でもなく、何でもないかもしれない。
声は聞こえた。
まるで少年のようでもあったが、老婆のようでもあった。
聞き慣れた日本語のようでもあったし、聞いたこともない外国の言葉だったようにも思えた。
目を向ける。そこにいる。
誰でもあるような、何でもないような――存在が、いる。
一房の飛び出た黒髪。濁り腐り切ったような黒い瞳が特徴的な、その黒衣の戦士は問う。
お前は誰だ――と。
声を出せたかすら分からない。
だが、その正体不明は、こちらの意思が伝わったかのように――笑った気がした。
実は怒ったかもしれないし、泣いているようにも感じられた。
何でも分かったし、何も分からなかった。
正体不明は、こう言った――かに、思えたし、思えなかった。
――【僕のことなんてどうだっていい。
少年のようにも老婆のようにも醜男のようにも美女のようにも見える正体不明は。
少女のようにも老爺のようにも醜女のようにも美男のようにも聞こえる音声を出した。
――【奇跡を成し遂げた君達に、ほんの少しばかりのご褒美だ。宇宙初の栄誉を、どうか快く受け取って欲しい】
その時――この『黒い球体の部屋』の、何かの扉が開かれる。
正体不明の背後から突如として現れたようにも、ずっとそこにあったかのようにも思える、その扉から――何かが解き放たれ、『部屋』を変える。
景色が変わる。音響が変わる。芳香が変わる。感触が変わる。風味が変わる。
まったく何もなかったかのような、まるで何でもあるような、そんな謎の空間が、確かな意味を持ち始める。
何かを現し始める。何かを表し始める。
脳に直接響かせるような、形容不可能な何かが聞こえる。
――【刮目せよ。傾聴せよ。嗅分せよ。体感せよ。賞味せよ。――人間よ】
世界が、変わった――その瞬間。
一房の飛び跳ねた黒髪と、整った顔立ちを台無しにする黒瞳が特徴的な、その黒衣の戦士は。
こんな、正体不明の、音声を聞いた――ような、気がした。
――【これが――『真理』だ】
そして――。
彼は――【終焉】を見た。
+++
どこにでもある、普通の家庭だった。
長男が下の子の面倒をみる――有り触れた話だ。
両親が下の子ばかりを可愛がり、長男が寂しさを感じる――有り触れた話だ。
だから、
虐待など受けたことはない。育児放棄などされたこともない。
服も与えられたし、飯も食わせてもらった。旅行には連れて行ってもらえなかったが、家で一人好き勝手に過ごす方が俺にとっては理想の休日だったので何の問題もなかった。
そりゃあ俺と小町との扱いの差に思うことが一度もなかったとは言わないが、目の腐った面倒くさい長男より、よく笑って素直なあざと可愛い妹の方を贔屓するのは、親云々よりも人として当然のことだ。誰だってそうする。俺だってそうする。
そもそも、両親はずっと女の子が欲しかったのだとは聞かされていた。
初めて生まれた子供がこんな俺みたいなヤツで、そして次に生まれたのが待望の女の子で、それもあんなにカワイイ天使だとしたら、そりゃあ猫可愛がりするだろうさ。
それに、両親はそんな溺愛する小町にすら、滅多に会えない程に忙しい大人だった。
食費は欠かさず置いておいてくれたが、正直、俺はお袋の味というものを覚えていない。滅多になかった母ちゃんの偶の休みには(小町の好物だが)腕を振るってくれて、それがすげえ美味かったことは覚えているが、具体的にどんな味だったのかは、もう覚えていない。家庭の味は小町の味に塗り替えられた。
小町が小さい頃は、俺が自分で小町の分の飯も作っていた。小学生に上がった頃にはもう台所に立ち、包丁を握っていた。
それほどまでに俺が小さく、そして小町が更に小さい頃から、家にいない両親だった。
親父も母ちゃんも同じ会社に勤め、それぞれそれなりに偉い立場にいるのだとは聞いていた。
完璧超人の母ちゃんはともかく親父に関しては(性格的に)半信半疑だったが、確かに親父もスペックだけは母ちゃんに負けず劣らずの超人だった。
将棋、チェス、囲碁やオセロといったボードゲーム。トランプや花札といったギャンブルゲーム。果てはテレビゲームまで、俺は一度も親父に勝ったことがない。
あのクソ親父は小学生の息子相手にトラッシュトークなどの盤外戦術もふんだんに使い、ラスベガスのカジノ真っ青のイカサマ、トラップ、ブラフにハッタリなんでもござれで全力で勝ちにきやがった。そんでこれ以上なく息子を叩き潰した後、世界一ムカつく顔と言葉で煽って死体蹴りをしてきやがる。その後、母ちゃんに拳骨くらうまでがワンセットだ。小町には猫撫で声で接待プレイをするくせに。
つまりは――うちの両親は高スペック夫婦だった。
それ故か、家には俺ら兄妹が寝静まった頃に帰ってきて、俺らが目を覚ます前には家を出ているみたいな生活が続いていた。職場に泊まり込むこともしょっちゅうだった。
だからこそ、本当に珍しく取れた偶の休みには、両親はそれはもう小町を溺愛した。
小町の好きな物を作り、小町の行きたい場所に連れて行ってやり、小町の欲しい物を買ってやり、目一杯に小町成分を補充した。
小町もそんな両親のことが大好きで(思春期に入ってからはめっちゃ構ってオーラを出してくる親父を気持ち悪がっていたが)、両親の休みを何日も前から楽しみにしていた。
俺は、そんな家族を、見ていた。
お互いを愛し、笑顔で団欒し、幸せという言葉を体現した光景を。
どこにでもある、普通の家庭を。
俺は――ずっと見てきた。
誰よりも近くで、ずっと、見てきた。
俺は知っている――母ちゃんが、そして親父が、どれだけ小町を愛していたかを。
俺は知っている――どこにでも有り触れた、だからこそ、この世界で最も温かい宝物であった家族を。
それを、俺はぶっ壊したんだ。
だから俺は、こうして仇を討たれている。
「――八幡。お前……ほんと、どうでもいいくらいに
親の顔が見てみたいぜ――そう親父は、徹底的にボコられ、雪ノ下邸の壁に凭れ掛かる俺を見下ろす。
ガンツスーツは悲鳴を上げるように鳴き叫び、ガンツソードは叩き折られ、XガンもYガンも手の届かない所に弾き飛ばされた。
辺り一面を真っ黒な火が走り、親父はその黒火と同じくらい、黒く濁った瞳を俺に向ける。
見慣れた眼。どこかの誰かに――そっくりな目。
「…………八幡。テメェ――」
世界で一番嫌いな存在に、世界で一番嫌いな目を向けられながら、俺は今、殺されようとしている。
「――何、泣きながら、笑ってやがる」
これが泣かずにいられるか。これが、笑わずにいられるか。
こんな日が来るとは思わなかった。
だが、いつかきっとこんな日が来るだろうとは思っていた。
小町……俺は。
ちゃんと、幸せに死ねそうだ。
+++
時間にして――僅か、五分。
それが、比企谷
「…………」
黒火で外周を描かれた円形闘技場の外側で、夫と息子の戦いを無表情で眺めていた美女――比企谷
《八幡星人》。
自らの息子を
その呆気ない幕切れに、雨音は眼鏡の奥の瞳をほんの僅かに細める。
瞬間――背後を振り向かずに漆黒の矢を振るう。
細く短いが硬度は高いその黒矢は、雨音の背中に向けて振るわれた白刃を弾き飛ばした。
「……どういうつもり? これは、
眼鏡の奥から放たれる冷たい眼差しに、それ以上の極寒の眼差しを持って――雪ノ下
「……それはこちらの台詞です。これはどういうことですか?」
「見ての通りよ。私の息子は星人だったの。だから……これから駆除するのよ」
「――ッ!!」
ギリッ、と。
和服姿のお淑やかな美女は、その可憐な口を歪ませ――怒声を放つ。
「――ふざけるなッッ!!!」
途端、雪ノ下陽光の、そして比企谷雨音の周囲の黒火が――凍り付く。
晴空も一瞥する程に広がる凍気に、だがその冷たい殺意を向けられた雨音は動じない。
「それを――ッ!! この私に向かって言うのかッ!! 他でもない、お前達がッッ!!」
黒火に支配された戦場に置いて、雪ノ下陽光の周囲に氷の刃が発生する。
それはまるで、氷の中でさえ轟々と燃え続ける黒い火種のように――黒く冷たい、燃えるような殺意。
雨音はまっすぐに陽光を見据えながら、黒弓に黒矢を静かに
一触――即発。
文字通り、何かが触れるだけで勃発しそうな雰囲気に――だが。
二人の美女の殺意のぶつけ合いを、乱入者が間に入って止める。
物騒な美女の殺し合いを制したのは――雪ノ下豪雪だった。
「――陽光、やめろ。今、ここでCIONを裏切れば、破滅するのは
「――ッ!! あなた――ッ!?」
「……賢明ね。旦那さんの方は、冷静な判断が出来て助かるわ」
素敵な旦那さんに免じて、さっきの攻撃は不問としてあげます――そう矢を戻しながら言う雨音に。
寛大な処置、感謝します――と、豪雪は慇懃に礼を返す。
陽光は、ただ一人、氷の刃を消しながらも雨音を睨み続けていた。
(比企谷八幡くんが星人? ――有り得ない。有り得る筈がない。……そんなことは、
歯を食い縛りながら陽光は、黒火に囲まれる中で、己が息子に黒く燃える剣を突き付ける男を睨み付ける。
(……また、貴方は……いつだって、私の邪魔をする――ッッ!!)
陽光は晴空を忌々し気に殺意を込めて一瞥すると、再び雨音に向き直り、侮蔑するように吐き捨てた。
「……そこまでして、貴女達は――」
――息子を殺したいの?
氷の刃の如く、冷たく鋭く、抉るように言う陽光に。
「………………」
雨音は振り向かず、殺し合う夫と息子から目線を逸らさずに見詰める。
陽光は、そんな雨音を睥睨しながら続けた。
「……比企谷小町さんを、比企谷八幡くんが殺したから? ……確かに、小町さんは八幡くんに撃たれて死んだ。けれど、それを貴女達が責めるの? これまで、
その、言葉に。
「――――」
これまで一切動じなかった、雨音の身体が硬直したように、豪雪は思った。
陽光は、それに気付いているのかいないのか、冷たい激情に突き動かされるように尚も言い募る。
「貴女は、これまであの子に母親らしいことをしたの? あの男は、これまであの子に父親らしいことをしたの?」
そんな、化物からの冷たい言葉に、雨音は。
「…………………」
過去の――とある情景を思い出す。
それは、我が家の長男――比企谷八幡の、総武高校合格と中学卒業祝いで企画した家族旅行での一幕。
にも関わらず、企画段階で当の本人である八幡から「面倒くさいから俺は自宅待機でいい。代わりに金をくれ」と可愛くないことを言われ、なんだかんだで八幡を除いた三人で旅行に出掛けた。
そして、旅行先のホテルにて。
家族三人で一部屋だったが、和室と洋室が組み込まれていた為、雨音と小町が洋室で寝て鍵を閉め、晴空は和室にて一人で寝ろという雨音の指示に、ここまで全力でテンションが上がっていた晴空が畳の上で駄々を捏ね始め、雨音が額に手を当てて溜息を吐いた。
相変わらずの夫の有様に呆れながらも、久しぶりの家族の一時に。
小さく雨音が微笑みを浮かべた時――小町が、ポツリと言った。
あの言葉が、よりにもよって――今。
『……ねぇ。お父さんとお母さんはさ――』
――何で、お兄ちゃんが嫌いなの?
「………………ッ」
愛娘から、怒りよりも悲しみで満ちた表情で言われた、あの言葉が蘇り、雨音は小さく唇を噛み締める。
そんな彼女の表情は見えない陽光は、尚も告げる。
まるで――八つ当たりするように。別の誰かにも向けた言葉を、吐き続ける。
親らしいことを何一つしない、化物のような大人達への糾弾を。
「そもそも、小町さんを殺した責任を彼にだけ押し付けるのはふざけているわ。……小町さんは、
事実、昨夜の池袋は、まさしく無法地帯だった。
表側の存在は警察機構が封じたとしても、裏側の存在は好き勝手に出入りし、混乱を更に混沌とさせていた。
かくいう、この雪ノ下夫妻も、昨夜の池袋には
そのオニ星人に関しても、ミッションの標的となっていない幹部達――氷川、篤、斧神といった連中がエリア内に侵入していた。三体の邪鬼などその最たる例だ。
他にも『死神』や葛西善二郎など、ミッションに関係ない――裏側の人間といえど――部外者といっていい連中まで好き勝手やっていたのだ。
それらのイレギュラーを理由に、大義名分に、あの戦争に参戦することも介入することも十分に可能だった筈なのだ――そんな行動が独断で許される程度には、この夫婦は組織内でも重要
大事な『入隊試験』を、こんな風に
にも――関わらず。
「――貴女達は、何もしなかった。息子が戦っているのに、娘が巻き込まれているのに……貴女達は終ぞ、あの戦場には現れなかったわね。あの戦争を、あの革命を、ただ傍観していたわよね」
雪ノ下陽光は言葉をぶつけ続ける。
こちらを振り向かない雨音に――子供を見殺しにした母親に。
「ずっと……何もせずに、ただ見捨てていたわよね」
凍り付いた真っ黒に燃える殺意を、ずっと胸の中に燻り続ける殺意をぶつける。
「
「――――ッッ!!」
その言葉に、遂に雨音は振り向き、陽光を睨み付ける。
陽光は、そんな雨音を真っ直ぐに見返して、静かに、だが容赦なく問う。
「なのに……貴女達は
瞬間――陽光の頬横を、漆黒の矢が擦過する。
瞬き一つしない陽光の目には、己のそれと遜色ない程に黒色な――真っ黒で冷たい、凍るような殺意を向けてくる、母親が映る。
「…………あなたに、何が分かるっていうの?」
雨音の言葉は、陽光に一度閉口させる程の威力があった。
己が子供を見捨て、見殺しにした――その点に関しては、陽光は全てが分かってしまう。
陽乃を黒い球体の部屋へと送った日、そして還って来なかった日――絶叫した。
雪乃が日常の総武高校で襲われた日、そして壊れてしまった日――絶望した。
陽光は、そのどちらに関しても、何もしなかった。いや、陽乃に関しては、他ならぬこの手で殺したのだ。
そんな化物が、何も言う資格などないことは分かっている。
だが――だからこそ、許せない。
人間として生まれ、人間として育ち、人間としての幸せを手に入れた筈なのに。
こうして自分と同じ化物へと堕ちている目の前の戦士達が。
化物である分際で、誰よりも人間として生きる息子を化物呼ばわりして殺そうとしている、この化物達が。
故に――陽光の殺意は揺るがない。
己が所業を棚に上げていることを理解していても、全ての言葉が己にも突き刺さることを理解していても、血を吐くように糾弾せずにはいられない。
「……
「勿論だ。あるに決まってる」
陽光の言葉に軽く答えた声は、怜悧な表情を歪める雨音ではなく――その後方。
黒火に囲まれた闘技場――処刑場にて、一歩も動かない息子に向けて、黒い火を纏う黒刀を突き付けながら、陽光の叫びを聞いていた男から届いたものだった。
化物と呼ばれた父親は、飄々と、堂々と、己が権利を主張する。
「俺はコイツの父親だ。だから、コイツを殺す権利がある」
愛情を注がなくても。窮地を見捨てても。
責任転嫁でも。棚上げでも。八つ当たりでも。
関係ない――理由はただ一つ。
殺しても、許される。殺す権利が、己にはあると。
「――そうだろう?
絶句する陽光には見向きもせず、比企谷晴空は息子に問う。
その言葉には明確に、鋭く、黒い――殺意があって。
八幡は、それに対し笑顔を作り――涙を流し――己に向けられた、剣を掴んだ。
黒火によって黒衣が焼け焦げる音が響く。
泣き叫ぶように悲鳴を上げるスーツに構わず、八幡は――その
「な――!?」
「…………」
陽光が叫ぶ。
豪雪は無言で傍観し。
「――――」
雨音は、それを睥睨し――唇を噛み締め。
「――――ハッ」
晴空は、表情を一瞬消して、乾いた嘲笑を吐き捨てた。
+++
真っ黒に燃える刃が、真っ黒に燃える殺意が、真っ直ぐに俺に向けられている。
真っ黒に染まった瞳で――俺を見ている。
あぁ――これが、笑わずにいられるか。これが、泣かずにいられるか。
ずっと欲しかったものが、ずっと求めていた瞬間が、今、眼前にある。
悲鳴を上げる右手の熱さを感じない。
既に壊れているのだろうか。スーツなのか、触覚なのか、心なのかは、分からないが。
だが、そんなものはどうでもいい。壊れていようがどうでもいい。
それでも、これだけは分かる。
俺は、この真っ黒な火に燃やされれば、真っ黒な殺意に貫かれれば、間違いなく――幸せに死ねる。
仇を討たれて死ねる。相応しい末路を迎えられる。
それはきっと――正しい、終わりだ。
あぁ……俺は、きっと。
こういう風に、死にたかった。
――『……あきらめないで……』
……………………あぁ。……そうだ。
そうでしたよね――――陽乃さん。
+++
バキ――ッと。
何かに――罅が入る音。
「――――ッ!?」
比企谷晴空は瞠目する。
そして――己が息子に突き付けた刃が、ビクとも動かないことに気付いた。
+++
――『……捨てないで…………手放さないで…………逃げ……ないでぇ……』
そうだ――そうだ。
俺は、捨てられない。俺は、手放せない。
俺は――もう、逃げることは、許されない。
例え、それがどれだけ望んだ
どれだけ相応しい末路でも。どれだけ当然の
どれだけ――幸せな、最期でも。
――『それでも、わたしは――――あなたに、生きていて欲しいの』
+++
スーツの悲鳴がより一層に響き渡る。
その甲高い音の中に、バキ、ビキと、黒い刃の悲鳴が混ざる。
「……八幡……テメェ」
晴空は――何も言わず、死んだように俯きながら、真っ黒に燃える刃を握り続ける息子を見下ろす。
「………………」
比企谷雨音もまた、ただ、無表情に、夫と息子を真っ直ぐに見詰めていた。
+++
俺は――生きていかなくてはいけなくなったんだ。
俺は、幸せに死ぬよりも、不幸に生きなくてはいけないんだ。
――『……『
俺の――『本物』になると。
言ってくれた――救ってくれた、あの
そして。
――『幸せにならないで死んじゃったら、絶対に許さないよ! 小町的に超ポイント低いんだからね!』
俺が殺した――
だから――俺は。
+++
「……悪いな、親父」
比企谷八幡は、ゆっくりと顔を上げて。
「確かに、アンタ達には、俺を殺す権利がある。小町を殺した仇を討つ、正当な権利がある。……だけどな、俺は死ねないんだよ」
どんだけ死にたくても、どうしても生きなくちゃいけないんだ。
そう――疲れ切った笑顔で。
だが――未だ、死んでいない笑顔で、そう吐き捨てて。
「……ハッ。――で? そんな
八幡は、そう煽る晴空に。
己が父親に、こう宣言する。
「
バキィ!! ――と。
真っ黒の殺意で燃える剣を、悲鳴を上げる右手で握り砕き。
比企谷八幡は、実の父親の殺害を実行すべく――立ち上がった。
己が望んだ『幸せな死』を齎す、正当なる
幸せに死ぬよりも、不幸に生きていく為に――立ち上がる。
そして比企谷八幡は、史上最も罪深い、父殺しの