比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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……その目で……俺を――

――見るんじゃねぇよ。


Side戦争(ミッション)――②

 

 ガンツスーツ。

 

 特殊な技術も、特別な才能も必要なく、黒い球体の部屋に蒐集された死人達に何の選別もなく無料配布される初期装備。

 死人を戦士にする魔法のような科学アイテムであり、現代の最先端の更に先の技術によって作製される――戦士の証のユニフォーム。

 

 上下ツーピースからなるこのスーツは、全ての戦士に対して世界で一着のオーダーメイドで提供される。

 例え、たった一回のミッションで死亡しても、その存在すら知らずに使用されなかったとしても、黒い球体は全ての戦士にそのスーツを用意する――たった一人の着用者に対して、世界でたった一つの未来技術の結晶を。

 

 死人を蒐集する際――戦士にとして傀儡とする際。

 黒い球体は、その対象者の全身を細胞レベルでスキャンし、寸分の狂いなく、魂まで複製し部屋へと招く。

 そして、その際に、その者に文字通りピッタリのパワードスーツを、入居――入所祝いに贈呈するのだ。

 

 何の戦闘訓練も受けていない一般人の拳を――コンクリートすら砕く弾丸へと変え。

 何の修羅場も潜り抜けていない平民の躰を――トラックに跳ねられても物ともしない鋼鉄へと変える。

 

 その(スーツ)を構成する漆黒の光沢を持つ人工筋肉は、人間の貧弱な体を星人と相対するに相応しい戦士へと生まれ変わらせる。

 

 だが、どんな弱者も戦士にするこのパワードスーツは、どんな人間に対しても等しい効果を提供するかと言えば――そんなことはない。

 

 基本装備のユニフォームでも、武器(アイテム)である以上――使い手を選ぶ。

 ある程度の効果は等しく与えても、その性能の全てを引き出せるかどうかは、着用者の技術と才能に懸かっている。

 

 戦士の才能に、懸かっている。

 

 透明化(ステルス)などの特殊機能をどれだけ使いこなせるかというのも勿論だが、ガンツスーツの基本にして最大の特徴である『身体能力向上』――それすらも、着用者の才能によって引き出せる性能(スペック)に差が生まれる。

 

 ガンツスーツによる超人性――筋力の増加や防御効果は、前述の人工筋肉だけでなく、むしろ、その人工筋肉を操作する『特殊ゲル』によって齎されている。

 スーツの内部を満たし、使用者に全裸による着用を余儀なくさせる正体不明の特殊ゲルは――原理は一切不明だが――着用者の元来の筋力は勿論のこと、精神の昂り、感情の爆発等を詳細に感じ取り、その機能を増大させる。

 

 人間を超人へ――超人を更なる超人へと、押し上げる。

 

 ガンツスーツが蓄積された内部ダメージや駆動部の損傷により機能を消失するのはこれが原因だ――ゴボッと内部からゲルが漏れ出すことにより、戦士を戦士たらしめている、人間を超人へと押し上げている科学のゲルによる恩恵がなくなり、魔法が解けるからだ。

 

 つまり、ゲルを失わなければ、スーツはその効果を保ち続ける。

 例え、スーツの腕部分を引き千切られても、スーツ全体の負荷値が許容量を超えておらず、駆動部(メーター)からゲルが漏れ出していなければ、ゲルが健在な他の部分は超人のままであり――逆を言えば、スーツ全体の負荷値が許容量を超えていなくても、駆動部を強引に破壊され、ゲルが漏れ出してしまえば、スーツはその時点で死んでしまう。

 

 だから――比企谷八幡は、未だに死んではいない。

 

 どれだけ悲鳴を上げていたとしても、今にも死んでしまいそうな有様でも。

 

 その腐った双眸のように、死んではいない。

 

 比企谷八幡が、死への逃避を諦めたように、生に縋り付く覚悟を固めたように。

 

 そのボロボロの漆黒のパワードスーツは――まだ、死んではいない。

 

「…………ハッ。往生際が悪ぃな。誰に似たんだ?」

「…………少なくとも、アンタじゃねぇことは確かだな」

 

 ニヤリと、不気味な笑みを交わし合う、そっくりな笑顔と双眸の二人は。

 黒い火で囲まれた闘技場で――処刑場で、武器を持たずに向かい合う。

 

 だがそれは、対話による平和的解決への望みを体現しているかといえば、そうではない。

 不気味な笑みの裏で、真っ黒な双眸の中で、二人の親子は――互いを殺す算段を立てている。

 

「…………あの『黒火の剣』を――砕いた?」

 

 その二人を黒火の即席闘技場(コロシアム)の外で見ている雪ノ下陽光は、八幡が立ち上がったことに安堵する一方で、その光景に驚きを隠せなかった。

 

 比企谷晴空が愛用する『黒火の剣(ガンツファイアソード)』は、由比ヶ浜結愛が愛用する『爆発する黒槌(ガンツボムハンマー)』と同様に上位武器であり、専用装備(オーダーメイド)としてなら稀少性は全ガンツアイテムの中でもトップクラスの、いわば最上位装備の一つである。

 

 雪ノ下陽光にとっても因縁深い武器であり、その恐ろしさは誰よりも身を以て知っている。

 故に、その黒火の剣が目の前で、それも只の握力で破壊されたことに衝撃を受けていたのだが――。

 

「――驚くようなことじゃないわ。『黒火の剣』はその黒火こそが特殊なだけであって、剣自体の強度は普通のガンツソードと大差ないもの」

 

 現に、晴空(あのひと)は別に動揺していないでしょう――と、比企谷雨音は言う。

 向かい合い、殺し合おうとしている戦士の夫であり、母でもある戦士は言う。

 

 陽光も、晴空が動揺しないことに対しては何も驚かない。

 彼は根っからのガンツ戦士であり、騎士でもなければ武士でもない。己が武器に対して愛着はあっても執着はない。そもそもが『黒火の剣』自体、彼が『開発室』から実地テストを頼まれて持ち歩いている数多の『実験品』の一つに過ぎない。『黒火の剣』自体は気に入っていて、何度壊しても改良品を新たに作るように求めているが――つまりは、壊しても新しいものを作ってもらえばいい程度の玩具に過ぎない。

 

 だが、それはつまり、『黒火の剣』はCIONの最先端技術の結晶――ガンツスーツ等の量産品など及びもつかないような、未来技術の最先端の武器(アイテム)であるということで――。

 

(……確かに、完成度で言えば実験品である『黒火の剣』は劣るかもしれないけれど……それでも、スーツより性能としては間違いなく上であることは確か)

 

 それにも関わらず、八幡はスーツの力のみで、『黒火の剣』を砕いてみせた。

 雨音の言葉通り、強度としてはガンツソードと同等の、つまりは使い手によってはスーツを切り裂くことの出来るソードと同等のアイテムを、只のスーツで。

 

(元々の筋力がずば抜けているというのならばまだしも……比企谷くんの身体能力は、あくまで運動神経がそれなりにいい程度のものだった筈……よね?)

 

 いくらCIONと繋がりがあるといっても、部外者の同盟者でしかない寄生(パラサイト)星人である雪ノ下陽光は、たった一つのガンツアイテムについても、深くは知らない。知ることは出来ない。

 

 当然ながら、自分は星人であり、彼らは戦士である。

 今、持っている知識もその殆どが僅かな情報を元に重ねた推測の産物であり、知っていることしか知らない。知ることが出来る知識しか知らない。

 

 そんな雪ノ下陽光の懊悩を察してか、比企谷雨音は、陽光の方を振り向かず、ただ息子と夫を見詰めながら呟いた。

 

「ガンツスーツの超人性の源は『特殊ゲル』。そして、ゲルの性能を引き出すのは精神――つまりは感情よ。例え、普段はどれだけ昼行灯でも……普通の人間でも。隠された才能を引っ張り出して、思いの力で――英雄になれる」

 

 人間を戦士にする科学のアイテム。人間を超人にする魔法のアイテム。

 そして、少年を、英雄にする――神のアイテム。

 

「……八幡は……それだけの思いを……秘めていた。……感情を……溜め込んでいた。……ただ、それだけよ」

 

 

――俺は、本物が欲しい。

 

 

「…………ただ……それだけよ」

 

 血を流しながら、涙を流しながら、悲鳴を上げるスーツを動かし、立ち上がる八幡に。

 右手が黒い火によって燃やされながらも、己が父親からの殺意を受けても、尚も醜悪な笑みを浮かべて立ち向かう我が子に。

 

 雨音は、一度口を開きかけ、何かを叫びかけ、毒を飲むように口を閉じる。

 

 何を言おうとしたのだろうか――何かを言おうとしたのだろうか。

 

 今更、一体、何を――。

 

「……今、それを――そんなことを言うの? 彼に――母親(あなた)が?」

 

 そんな雨音を、背後から氷の刃が貫く――幻痛を感じた。

 氷の刃のような、鋭く尖った言葉が、比企谷雨音(あお)の胸を後ろから突き刺す。

 

「貴女――卑怯だわ」

 

 誰が、そんな感情を、彼に溜め込ませさせた、と。

 誰が彼を、あんな姿にまで追い込んだと。誰が彼を、あんな姿の戦士にしたと。

 

 比企谷八幡を――英雄にしたと。

 

「………………そうね」

 

 母親は、誰にも聞こえないように呟いた。

 

 表情を変えず、瞬きすらせずに――息子と夫の、殺し合いを見届けた。

 

 どうしてこうなってしまったのだろうと――何処かの英雄のようなことを思いながら。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

(ハッ――英雄? コイツが?)

 

 比企谷晴空(はると)は、嘲笑った。

 

 目の前の、血を流し、右手を燃やしながら、己に対面する少年を見据えて。

 

(あんな気味悪く笑う人間が。あんな真っ黒に笑う人間が)

 

 あんなドロドロに腐り切った双眸の人間が。あんなボロボロに壊れ切った相貌の人間が。

 

 俺の息子が――英雄だと?

 

「――ふざけんな」

 

 瞬間――笑みを消し、唸るような低い声で、晴空は言った。

 

「認めねぇよ。そんなこたぁ」

 

 己を殺して自分が生き残ると、そう宣言する息子に、一歩近づきながら、父親は言う。

 

「死んでも認めねぇ。ぶっ殺してでも認めねぇ」

 

 砕かれた剣を放り、ぼきぼきと拳を鳴らしながら、晴空は否定する。

 

 己が息子の英雄の資質を。己が息子が英雄であるという可能性を――否定する。

 

(例え――神が認めても)

 

 それでも――父親だけは、絶対にそれを認めない。

 

「お前は――ココで終われッ! 八幡ッ!!」

 

 全力の拳が、炸裂する。

 父親の拳骨は八幡の顔面真横を真っ直ぐに擦過し――息子の黒く燃える右拳は、晴空の頬に真っ直ぐに打ち込まれた。

 

 全体重を乗せたカウンターの一撃は、比企谷晴空を仰向けに吹き飛ばす。

 

 雨音と陽光、豪雪までもが絶句する中、八幡は無表情でこう呟く。

 

「――終われねぇんだよ、親父。……俺は、まだ」

 

 救われるわけには、いかねぇんだ。

 

 息子の、そんな言葉を聞き流しながら、晴空は――血のような赤みがかった黒い空を眺めた。

 

 黄昏時――赤が残った、黒。

 

(……いや、こんな綺麗な色じゃなかった。……あの時の――あの、終焉(カタストロフィ)の空は)

 

 もっと禍々しい、終わりに相応しい空だった――と、晴空は思い返す。

 

 

 あの日――世界が終わる()()()()、あの日。

 

 

 あの『運命られた終焉の日(第一次カタストロフィ)』を回顧する、世界を救った英雄の一人は――嘲笑った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 今から――十年前。

 

 世界が終わる――筈だった、あの日。

 

 空が赤く染まる――筈だった、あの日。

 

 

 終焉を齎す星人となる――筈だった、最後の星人となる――筈だった、『地球を上回る文明』との戦争。

 

 その――終戦時。

 

 とある戦士が『英雄』との死闘に終止符を打つ最中、彼らは『真理』と相対していた。

 

 その『部屋』に辿り着いたのは、三名。

 

《天子》、《CEO》、そして――比企谷晴空(はると)

 

 三人の地球人が、形容不可能な、『黒い球体』しか存在しない、その『部屋』で。

 

 向かい合った、その『真理』は――正体不明だった。

 

 何の媒体も存在していないのに、こうして手の触れる距離にいるのに――何も見えない。

 

 だが、何にでも見えた。

 

 晴空には、それが老爺に見えていた。だが、次の瞬きの後には、それは少年になっていた。

 

 美女になっていた。外人になっていた。兵士になっていた。

 猛獣になっていた。彫像になっていた。怪物になっていた。

 

 何にでも見えるし――何にも見えなかった。

 まるで此処には存在しないような、だが、何処にでも存在しているような。

 

 その『真理』は、その『部屋』を訪れた三人の地球人に、こう『予言』した。

 

 

――【地球(きみたち)は、本来、この終焉で滅びを迎える筈だった】

 

 

 老爺のような掠れた声だった。だが、少年のように瑞々しい響きも含んでいた。

 まるで機械で加工されているようにも聞こえたし、耳元で囁かれているようにも思えた。

 

 

――【地球(きみたち)は、それを乗り越えた。だが、結末は変わらない。終焉は、避けられない】

 

 

 労われているようにも感じた。哀れまれているようにも感じた。淡々と無機質に言葉を紡いでいるようにも感じた。

 

 これは――何なのか。

 宇宙人なのか。それとも只の概念なのか。

 

 もしかすると、これが、これこそが――『神』なのか。

 

 こうして相対していると、時すらも忘れる。

 果たして、この『真理』と言葉を交わして、この『部屋』に足を踏み入れて、どれだけの時間が過ぎているのか。

 

 一分か。一時間か。

 一日を過ぎているようにも、一秒にも満たっていないようにも思える。

 

 共にこの『部屋』に侵入した筈の《天子》も、《CEO》も、何処に居るかすらも分からない。存在しているのかすらも分からない。

 

 見回すことも、見渡すことも出来ない。

 何処にでもいるかのような目の前の『真理』から、逃れることが出来ない。

 

 正体不明が、右手を翳した――ような、気がした。

 

「――――ッッ!!」

 

 瞬間――世界が変わる。

 

 何かの扉が開かれ、何かが放たれ――『部屋』が、変わる。

 何もなかったような、だからこそ、何にでもなれるような、真っ白な背景のようだった『部屋』が。

 

 見たこともない場所に――変化した。

 

 途端、強烈な『光』が襲う。

 何もなかった筈の室内に、神々(こうごう)と光り輝く巨大な物体が出現していた。

 

 

――【これが――『真理』だ】

 

 

 直視できない。いや、直視するのも畏れ多いと、そう本能で感じてしまう。

 この比企谷晴空というクズが、あろうことかそんなことを強制的に思わされてしまう――『光』。

 

 

――【これが、地球(きみたち)未来(まつろ)だ】

 

 

 目の前の正体不明の、そんな声が聞こえた気がした。

 

 声が届いたと思える方に目を向けると――黒い影が差した。

 

 それは、よく見慣れた、だが、見たことのなかった――黒い戦士。

 

(――誰、だ?)

 

 背格好からして《天子》でも、《CEO》でも、ましてや自分でもない。

 だが、この『部屋』へと辿り着けたのは、招かれたのは、その三人しかいない筈だ。

 

 黒い(スーツ)。黒い髪。

 年若く、体つきから辛うじて男だと分かる――少年戦士。

 

(……駄目だ、見えねぇ)

 

 顔は分からない。だが、少なくとも、これまで一緒に戦ってきた誰でもない、見たことのない戦士だった。

 

 

――【ここに、『予言』しよう。これは、『未来』だ。そして、今度こそ避けられない、地球(きみたち)の『終焉』だ】

 

 

 終焉(カタストロフィ)

 

 今、再び、『予言』された地球の終焉。

 つまり、この光景は、その来るべき末路であると――『真理』は告げる。

 

 

――【その中でも、最も希望的未来を、これは創り(うつし)出している。つまり、こうして再び『部屋(ここ)』に辿り着くことまでは、地球(きみたち)ならば可能であると、そう認めているわけだ】

 

 

 だが、そこまでだ――と。

 

 姿なき正体不明は、声なき声は――『予言』する。

 

 そして、『黒い少年戦士』は、神々たる巨大な『光』に向けて走り出した。

 

「――――ッッ」

 

 比企谷晴空ですら、刃を向ける所か、銃口を向ける所か、見ることすらも畏れ多いと思わされた『光』に向かって、その未来の少年兵は走り出す。

 

 迸る程の殺意を以て、神々たる『光』を討ち滅ぼさんと――戦う。

 

 

 そして――()()()()、『()()()()()()()()()()()

 

 

「…………………」

 

 晴空は、それを見て、呆然と立ち尽くした。

 

 当然の末路のように思えた。当然の未来のように思えた。当然の――終焉であると、思えた。

 

 これが、次なる終焉(カタストロフィ)だと、真なる終焉(第二次カタストロフィ)だというのなら、今度こそ、地球は終わりだと、そう思えてしまった。

 

 対峙しただけで――あろうことか、立ち向かっただけで。

 

 あの名も知らぬ未来の少年戦士は――『英雄』だと、そう思えてしまったのだ。

 

 

――【理解したか。愚かなる地球人よ】

 

 

 姿なき正体不明は、晴空に『真理』を告げようと、見えない口を開く。

 

 

――【これが、地球人(きみたち)の限界……ん?】

 

 

 だが、そこで初めて、『真理』が言葉を濁らせた。

 

 それはまるで、超常たる存在が初めて覚えた――戸惑いのようで。

 己の理解を外れた現象を、生まれて初めて目撃したような、そんな人間味溢れるもので。

 

 端的に言って――『感情』のようだった。

 

 

――【…………何だ? …………いや、そうか】

 

 

 地球人(きみたち)を、どうやら見縊っていたようだ――と、聞こえる声。

 

 だが、晴空は、その声よりも、『光』の方に目を奪われていた。

 

 少年戦士を呑み込んだ神々たる『光』が――()()()

 

 巨大な光の中から何本もの光筋が、まるで串刺しにされるように、一本、また一本と増えていく。

 

 明らかな異常事態。有り得ざる非常事態。

 だが、『真理』は、それを見て、実に楽しそうな感情を以て言った。

 

 まるで――笑っているかのようだった。

 

 

――【そうか……っ。地球人(きみたち)は、()()まで辿り着ける可能性をも秘めているのか】

 

 

 正体不明の『真理』は――『神』かも知れない超常存在は、分裂する光を背景に、晴空に向かって、地球人に向かってこう言った。

 

 

――【面白い。十年後、また会おう。この【英雄】の誕生を、我は心から待ち望む】

 

 

 

 そして、分裂し、まるで爆発するかのように膨張する『光』に吞み込まれ――比企谷晴空は意識を失った。

 

 

 結局、終焉(カタストロフィ)を乗り越えても、次なる終焉(カタストロフィ)が訪れるだけだった。

 

 戦争は終わった――だが、平和は訪れなかった。

 

 

 次なる終焉(カタストロフィ)へと向けた、新しい戦争(ミッション)が始まるだけだった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ダンッ! ――と、千葉の大地に強かに背中を打ち付け、晴空は意識を現在へと取り戻す。

 

(…………そうだ。今は、息子と殺し合っている最中だったな)

 

 口端から血を滲ませながら、半身を起こし、黒く燃える己の顔を荒々しく拭う。

 たったそれだけで、()()()()()である黒火を消火した晴空は、未だ黒々と燃える右手で拳を握りながら己を見下ろす息子を見上げる。

 

 墨汁の如く真っ暗な瞳。濁流の如く穢れ切った瞳。

 これまでの人生に置いて何度も拳を打ち付けて破壊した、鏡の中の己を見ているような――鏡の中の己に見られているような、最悪な気分にさせられる双眸に。

 

「……その目で……俺を――」

 

 ゆっくりと立ち上がり――晴空は息子を睨め付ける。

 

 墨汁の如く真っ暗な瞳で。濁流の如く穢れ切った瞳で。

 

 地面を掻き毟るように踏み抜き――瞬間的に移動し、八幡の背後を取り、筋張った漆黒の右腕を振り抜く。

 

「――見るんじゃねぇよ! クズが!!」

 

 まるで、この世で最も嫌悪する存在に向けるような――殺意を持って。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 英雄。

 

 危機や困難に立ち向かう、勇敢で統率力ある人物を表す言葉。

 優れた能力を持ち、偉業を成し遂げた人物に捧げられる言葉。

 

 一口に英雄と称しても、その言葉が指し示す人物像は、英雄像は様々で、誰もが知る偉人を指すこともあれば、誰かにとってのたった一人のヒーローに与えられた称号であることもあるだろう。

 

 そして、第一次カタストロフィにて地球を救った戦士達によって、第二次カタストロフィにて再び地球を救うことを使命とし本格的に創り上げられた組織――『CION』にとって、【英雄】という言葉は、とある《鍵》となる戦士を指し示す言葉となった。

 

 あの第一次カタストロフィ終戦時――『真理の部屋』にて、たった三人の地球人が聞いた『予言』。

 

 神々たる『光』に相対し、超常存在である『真理』をして【英雄】と言わしめる、奇跡の戦果を挙げて、世界を救うこととなる、黒髪黒衣の少年戦士。

 

 その『予言』された【英雄】の存在は、《天子》、《CEO》、そして他ならぬ比企谷晴空自身の証言を持って、他のCION創設メンバー達にも伝えられ、今現在に置いては、古参メンバーだけでなく、CION組織の中核となる幹部達、そして各主要国の首脳達にも伝わっている。

 

 かの『真理』は、あの『予言』の光景は地球人たる自分達が()()()()()()()()()()()だと言った。

 つまりは、()()()()()()()()()()()()。自分達が作り出そうと尽力しなくては辿り着けない未来――作り上げようとしなくては、生まれないかもしれない【英雄】の姿だった。

 

 その為の育成方式――その為の、厳選方式。

 数多いる地球人の中から、あの【英雄】たる少年を見つけ出し、探し出し――戦士にしなくてはならない。

 

 戦士にして――育成しなくてはならない。

 育てて、鍛えて、レベルを上げて――【英雄】にしなくてはならない。

 

 あの第一次カタストロフィから――その為の十年間だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ガンツスーツの性能を引き出すのは『感情』だ。

 精神の昂りに応じて装着者の能力を向上させ、人間をより超人にする。

 

 つまりは、標準装備たるガンツスーツもやはり武器であり、兵器であるということ。

 

 装着者の技量によって、戦士の才能によって、その破壊力は桁を上げる。

 素人のナイフでも、達人が振るえば名刀の切れ味を見せるように。

 

 通常のガンツスーツが、使用者が徐々に戦意を高めていくにつれて、車のエンジンが徐々にスピードを上げるように、数学のグラフのように能力を向上させるのと比べて――比企谷晴空は、ガンツスーツを瞬間的に、部分的に最大機能を発揮させることが出来る。

 

 それは、瞬間的に戦意を――殺意を意図的に膨れ上がらせ、完璧にコントロールすることが出来る晴空だからこそ出来る荒業であり、ガンツスーツを含め、ことガンツ装備(アイテム)の扱いに関しては、彼の右に出る戦士はCIONの中に置いてもほぼ存在しないといっていい。

 

 彼にかかれば、透明化(ステルス)などの小細工を使用するまでもなく、只の身体能力強化のみで、近距離に置いては相手に視認されることのない、超能力の如き瞬間移動(テレポート)を実現することが出来る。

 

 数多の星人を屠り、名実共にトップ戦士の一角に名を連ねる比企谷晴空。

 あの『黒火の剣』と並びその比企谷晴空の代名詞ともいえるこの瞬間移動による一撃。

 

 視認不可能、反応不可能なこの必殺を――だが。

 

 比企谷八幡は、黒く燃える右手で――掴み取って見せた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 この十年間、世界中で『英雄候補』となる戦士の捜索、発見、育成が行われた。

 世界を救う為。地球を守る為。その可能性を持った、たった一人の【英雄】を求めて。

 

 黒い髪の少年。

 ただ、それだけを手掛かりに。

 

 そしてそれは、単純に世界を救う為だけではなかった。

 

 運命られた終焉の日(第一次カタストロフィ)は、数々の奇跡的な条件が揃ったことにより、殆どの地球人にはその危機どころか星人の存在すらも露見しないままに終戦することが出来た――が、第二次カタストロフィにおいては、そんな奇跡が二度も起こることはないだろうと、真実を知る誰もが分かっていた。

 

 真なる終焉の日(第二次カタストロフィ)――それは、正しく世界を滅ぼす戦争であり、それを乗り越え、勝ち越え、地球と共に生き残った所で、今と同じ世界が広がっている可能性など、皆無である。

 

 世界は終わる――例え、地球が生き残ったとしても。

 それは『真理』によって見せられた『掴み得る最高の可能性の未来』においても不可避だった。

 

 例え、真なる終焉を乗り越えたとしても、待っているのは青い地球ではなかった。

 しかし、それでも、例え今と同じ世界が広がっていないとしても、我々は地球を守る為に戦い、勝利しなくてはならない――【英雄】と共に。

 

 そして――()()()()

 

 各国上層部――彼らが見ているのは、地球を守り、世界が滅びた、その先の未来だった。

 

 現在の状態の世界は、後およそ半年で終焉を迎える。

 

 世界の情勢は、世界の順位は、およそ半年後に全てがリセットされる。

 大国も、小国も、先進国も、途上国も――その全てがリセットされる。

 

 そして――新しい世界の新しい順位は、終焉の戦争の戦果で決まるのだ。

 より目覚ましい戦果を挙げた国が、より地球を守る勝利に貢献した戦士の国が、新しい世界での大国となる権利を手に入れることが出来る。

 

 故に――彼らは望むのだ。

 己が国の戦士から、【英雄】となる少年が誕生することを。

 

 だからこそ世界は、裏側に置いてこの十年間――己が国の『英雄候補』となる少年兵の発掘と育成に取り組んできた。

 

 全ては、新しい世界での、己が権力と栄華の為に。

 

 銃を握らせ、剣を与え――黒いスーツを着せて戦士(キャラクター)としてきたのだ。

 

 何も知らない少年を、誰もが知る【英雄】とする為に。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その瞬間移動は、確かに視認不可能、反応不可能の必殺の一撃だった。

 

 だが、比企谷八幡には、既に比企谷晴空には瞬間移動する何らかの術があると知っていた。出会い頭の一撃によって。

 

 これまで親父に殴られたことのなかった八幡が、初めて受けた父親の拳。

 

「……そう何度も、ボコスカ殴られてたまるかよ」

 

 それだけ分かれば、八幡には十分だった。

 世界で最も嫌いな存在。だからこそ八幡には、晴空がこの状況で、どんな攻撃を仕掛けてくるか、手に取るように分かっていた。

 

 将棋、チェス、囲碁、オセロ、花札にトランプゲームに至るまで。

 ありとあらゆるゲームと呼べるゲームで、ありとあらゆる手を使われて負かされ続けてきたからからこそ。

 

 この状況で、激昂しながら拳を見せつけてきたとしても――息子相手に真正面からぶつかっていくような素敵な父親でないことは、誰よりもこの身で知っていた。

 

 生まれてこの方、比企谷八幡は、比企谷晴空に真正面から向き合ってもらったことなど――比企谷晴空が、比企谷八幡に真正面から向き合うことが出来たことなど、只の一度もありはしないのだから。

 

 この男が、背後から不意打ちの一撃を狙うであろうことは、息子には嫌になる程にお見通しだった。

 

「――アンタは、変わんねぇな……親父」

 

 八幡は、小さく笑いながら、見限るように笑いながら、黒く燃えた右手で晴空の腕を掴み上げる。

 唸る駆動音は八幡の殺意の昂り故か、それとも黒火から受けるダメージによる悲鳴か。

 

 晴空は顔を顰めながらも、左足による膝蹴りを八幡のがら空きの左腰に向かって放つ――八幡は、左肘を背後に振り抜いてそれを迎撃した。

 

 鈍い音が響く。

 父も、息子も、唸るように、堪えるように歯を食い縛りながら、互いを睨み付ける。

 

「――チッ!」

 

 晴空は八幡が左肘を放ったことで、僅かに力が緩んだ右手を振り払い、そのまま右足で八幡の躰を押し出すようにして蹴る。

 

 両者の身体が弾き出されるようにして逆方向へ吹き飛ぶ。

 

 八幡はゴロゴロと転がりながらも、すぐさま上半身を起こし、左膝だけを地面につける体勢で晴空に鋭い眼差しを向ける。

 晴空は空中で体勢を整え、同じく片膝だけを着く体勢で着地し、右腕を払って黒火を消す。

 

 両者――若干の距離を開けて、再び禍々しい眼差しで睨み合う。

 

 その攻防を、雪ノ下陽光は絶句しながら傍観していた。

 

(……あの、比企谷晴空の『瞬間移動』を――受け止めた?)

 

 比企谷晴空という戦士の恐ろしさを誰よりも思い知り、長年ずっと研究してきた陽光は、あの瞬間移動の神業ぶりも、そして、その瞬間移動を受け止めるという神業ぶりも、どちらも理解出来た――いや、理解出来たが故に、理解出来なかった。

 

 確かに、比企谷八幡という戦士の優秀さは、陽光は理解していた。

 だが、それはあくまで凡百の戦士と比べて優秀だという意味であり、その潜在能力(ポテンシャル)は評価していても、現時点において、比企谷晴空と戦士として比べたら、手も足も出ない程の確固たる差があると、そう思っていた。

 

 現に、初めの五分、八幡は晴空に手も足も出なかった。

 あれこそが、この両者の、この親子の、何の変哲もない当然の力の差である筈なのに。

 

(……まさか、比企谷八幡の戦士としての才能は、私が思っていたよりも、もっとずっと凄まじいものなの?)

 

 実は比企谷八幡は陽光の想像を遥かに超える資質を秘めていて、それがこの親子対決という場で花開き、覚醒したというのか――まるで主人公のように。

 

 まるで――英雄のように。

 

「――そんなわけないでしょ。あの子を何だと思っているの?」

 

 うちの子が――八幡が、そんな選ばれし存在であるわけないでしょ。

 

 絶句する陽光の横で、比企谷雨音は、そう淡々と言った。

 自分がお腹を痛めて生んだ息子は、そんな選ばれた存在でない――と。

 

 ずっと、選ばれなかった人生を歩んできた息子に――ずっと、そんな息子を、見て見ぬふりをし続けてきた己に、まるで言い聞かせるように。

 

 はっきりと、強く、断じた。

 その上で、母は、そんな息子を、細めた瞳で見詰めながら――誰にともなく言う。

 

「……それでも……八幡は、ずっと見てた。あの人を……みんなを、ずっと見てたの。……例え、向こうが自分のことを、見て見ぬふりをし続けようとも」

 

 例え、嫌われても、弾かれても――愛されなくても。

 

 それでも彼は、その背中を見つめ続けていた。

 手を伸ばしたこともあった。顔色を窺い続けていた頃もあった。

 

 偽物の優しさに裏切られ、何の呵責もない悪意に切り刻まれても――彼は求めるのを止めなかった。

 

 諦めた――ふりをして。

 悟りきったふりをして。理解したふりをして。

 

 化物になった――ふりをして。

 

 手を伸ばすことを止めても。期待することを止めても。

 

 それでも――目を瞑ることだけは、出来なかった。

 見たくないものを見せられ続けて――目が腐っていくのが分かっていても。

 

 それでも、比企谷八幡は――突っ伏して寝たふりをした腕の間から、読んだふりをする本の横から。

 

 人間を見ることを――止めることは出来なかった。

 

 八幡は、ずっと――暗い世界の中から、明るい場所を眺め続けていた。

 

「――――ッッ!」

 

 雪ノ下陽光は、激痛を堪えるように目を細める。

 それは、まるで――何処かの馬鹿な、化物のようで。

 

「…………」

 

 雪ノ下豪雪も、静かに一度瞑目し、真っ直ぐにボロボロの少年を見遣る。

 

(……そう。あの子はただ、見てた。……それだけ。……それだからこそ、あの攻撃を受け止められた)

 

 比企谷雨音は。

 

 唇を噛み締めて、瞼を震わせて――でも。

 そんな資格はないと知っているから、ただ真っ直ぐに、無表情でただ見つめ続ける。

 

 世界で最も見たくない戦いを――息子と夫が殺し合う戦争を。

 

(視認など出来なくても、反応など出来なくても、八幡には晴空(あのひと)がどこを狙うかが分かる――何を避けるのかが、分かる)

 

 それくらい、息子は父親を見続けてきた。

 例え、父親が、息子を全く見ることが出来なくても。

 

 諦めながら、諦めながら、諦めながら。

 

 それでも、八幡は、ずっと――自分達を。

 

「――――っッ!!」

 

 比企谷雨音は――それでも、何も言わない。

 何も言う資格はない。自分も夫と同罪だから。

 

 逃げ続け、逃げ続け、逃げ続けて。

 世界は守れても、娘も――息子も、守れなかった。

 

 只の母親失格の――人間失格の、自分は化物(モンスター)なのだから。

 

「――――ハッ」

 

 そして――比企谷晴空は。

 

 嘲笑するように吐き捨てて、自分にそっくりな目で睨み付けてくる息子を。

 決して自分のようには育って欲しくない――そう、確かに願った筈の息子を。

 

 英雄になど、死んでもしないと誓った筈の息子の――威風堂々たる殺意を受けて。

 

「――――ッッ!!」

 

 化物(クズ)と成り果てた元英雄は、笑みを消して、拳を握った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 世界各地で『英雄候補』となる少年が発掘され続けた。

 

 条件は、あくまで黒髪の少年であることのみ。

 身に纏う黒衣はCION(こちら)で支給すれば簡単にクリアすることが出来る。

 

 今の時代、黒髪など世界中に存在する。

 それにあくまで最終決戦の時の姿しか幻視していないので、強引な解釈だが、カタストロフィの時のみ黒髪に染め上げればクリア出来なくもないのだ。

 

 各国の上層部にとっては、未来の祖国の行末を左右する問題だ。

 端的に言えば――彼らは手段を選ばずに、金の卵を『英雄候補』に仕立て上げていった。

 

 歴戦の戦士を若返らせる手段までもが研究され始める中――某年某日。

 

 比企谷晴空は、耳を疑う言葉を、上司であり、盟友でもある存在から告げられた。

 

「――ハッ? ……わりぃ。ちょっと五徹して耳がイカれてるみたいだわ。……もう一回、言ってくんね?」

 

 晴空は、普段以上にドロドロと己が双眸を濁らせながらも、机に激しく右手を叩き付け――その仮面に顔面を近づけながら、引き攣った笑みを浮かべながら言った。

 

 対して――仮面の存在は、秘密組織『CION』の最高幹部であり、№2であり、実質的な支配者でもある《CEO》たる存在は、シンプルながらも素材のいい椅子の背凭れに体重を預けながら答える。

 

『私は、『英雄候補』として君の息子――比企谷八幡を推挙する。そう言ったのだが、今度こそ聞き取れたかな?』

 

 綽々と答える機械音声に、今度は左手も机に叩き付けて、笑みを消して、低い声で晴空は言った。

 

「……どーいうこった? 何処の国にも所属してねぇお前らは、特に『英雄候補』探しはしねぇって言ってなかったか?」

『積極的にはしないと言っただけだ。それに、これはあくまで個人的な意見だよ。別に今すぐ君の息子を殺して、戦士にするといった意味合いではない。安心しろ』

 

 仮面存在は椅子を回転させ、不気味な笑みを浮かべる晴空と向き直る。

 そして晴空は、相変わらず感情の伺えない機械加工の言葉を、感情の見えない仮面を睨み付けながら聞く。

 

『君の言う通り、我々は何処かの国に正式に属しているわけではない。故に、何処の国の誰が【英雄】になろうと構わない――だが、だからと言って、誰でもいいわけではない』

 

 晴空と同様に、伝聞ではなく、その目で、その身であの『予言』を体感した存在である《CEO》は、世にも恐ろしい眼で睥睨してくる晴空に対し、淡々と――だが、力強く告げる。

 

『君も、アレを感じたのだから分かるだろう。アレは『真理』の言葉通り、辿り着ける最高の可能性の未来だ。確約された未来ではない。数値として算出すれば恐らくは1%にも満たないであろう、そんなか細い枝葉に過ぎない』

「……だからこそ、だ。そんな可能性を実現させるご大層な英雄様に、俺の息子が成り得るとでも?」

 

 そう鼻で笑おうとする晴空に、だが、《CEO》は。

 

『勿論だとも。私は、その可能性が最も高いと考えている』

 

 静かに、真っ直ぐに、感情の伺えない声色と仮面を持って、そう断じた。

 

「――な」

『何度でも言うが、これはあくまで私の一意見だ。《天子(アイツ)》にも個人的にお気に入りがいるようだし、それに先程の言った通り、私は究極的にいえば誰が【英雄】になろうとも構わない。現段階では、個人的に君の息子に何かしようとも考えはいない』

 

 だが――と。

 

 晴空が何も言えないでいる中、仮面の盟友は、己が戦友を真っ直ぐに見据えて、淡々と機械的に言ってのける。

 

『あの『予言』を、《CEO()》と、《天子(アイツ)》と、そして比企谷晴空(きみ)が託された。私は、これは偶然ではないと考えている。あえてふざけた言葉を選ぶなら、そう――運命のような、必然であったと』

「……運命、だと? ハッ、お前らしい、おめでたい言葉だな」

 

 晴空の力無い皮肉に、《CEO》は『ああ、自覚はある』と、何も動じずに返し。

 

『だからこそ、私は――何もしない。だが、もし、我々が何もしなくても、君の息子が無作為に戦士に選ばれ、そして『真なる終焉の日(第二次カタストロフィ)』まで生き残り続けるようなことがあれば……私は、期待せずにはいられないな』

 

 その時、初めて《CEO》の機械的音声に、感情のようなものが垣間見えた。

 

 盟友たる晴空には分かる――コイツは本気で言っている。

 

 俺の息子が【英雄】となることを、本心から期待している。

 

『それに――だ。他ならぬ、君の息子だ。私はそれだけで、君の息子には英雄の素質があると、そう確信することが出来るよ』

 

 俺の――比企谷晴空の、息子だから?

 

 だから、アイツは――比企谷八幡は、英雄になれる、と、そういうのか?

 

 

「――ふざけんな」

 

 

 晴空は《CEO》の机の上に広がっていた数々の重要文書を撒き散らし、ひらひらと白い紙が舞う中で、禍々しく告げる。

 

「……認めねぇよ。例え、お前が認めても……『真理』が、『神』が認めても! 俺だけは認めねぇ!! 死んでも殺されようと認めねぇ!!」

 

 世界を救う英雄? 地球を守る英雄?

 

 ああ素晴らしいな最高にカッコいい。

 男の子なら誰もが夢見る絶好のシチュエーションだ濡れるな惚れるよサイン欲しいぜ。

 

(クソッタレだ)

 

 どいつもこいつもふざけてんのか。

 英雄だ救世主だと素敵な言葉で飾り付けて、テメェらのやろうとしてることを美化してんじゃねぇ。

 

(はっきり言えよ――()()だとな)

 

 晴空は《CEO》を睨み付ける。

 ドロドロと、禍々しく濁り切った眼で睨み付ける。

 

 お前は見ただろう――あの『予言』を。あの『光』を。

 

 確かに【英雄】は、あの『光』へと特攻し、分裂させ、破壊した。

 超常存在たる『真理』をも予想出来なかった『可能性』へと至った。確かにスゲェな、惚れ惚れする。

 

 だが――()()()()

 肝心の英雄様は、あの後――どうなった?

 

(――生死不明。消息不明。肉片一つでも残ったかすら怪しい――ッッ!!)

 

 断言する――()()()と。

 あの『光』の神々しさを体感した晴空には分かる。

 

 呑み込まれ、取り込まれ――あの『光』に包まれて。

 生き残った筈がない。凱旋出来た筈がない。

 

 死んだんだ――そうだ、死ぬんだよ。

 英雄は英雄らしく、我が身を犠牲に、その生命を捧げて、地球を守り、宇宙の塵となって死ぬ未来が約束されている。

 

 そんな役目を押し付ける少年(こども)を、大人達は一生懸命に探している。

 地球(おれたち)の為に死んでくれと、そう願われる英雄(ガキ)を育てている。

 

(ふざけんな――ふざけんなッ!!)

 

 大人(おれたち)が始めた戦争だ。

 なのに、何も知らないたった一人の少年(ガキ)に、その全てを押し付けるのか?

 

「お前は、俺に――八幡(息子)に死ねと、そう言えってのか? アァ!?」

 

 紙がゆっくりと舞い散り、荒く乱れた息を吐き出す晴空に向かって。

 

 仮面の盟友は、淡々と、当たり前の事実を告げるかのように言った。

 

『――言えるだろう? 君は』

 

 弾けるように顔を上げる晴空だが『……君の息子が生まれて、およそ八年か』と、『CEO』は機械的に言う。

 

 比企谷晴空が、何も答えることの出来ないと分かり切っている、その問いを。

 

『これまでの、只の一度でも――君が息子を、慮ったことなどあったかね?』

「――――ッッ!!」

 

 晴空は、拳を握り、口を開いて――そして。

 

 そして――口を閉じて、ゆっくりと、拳を解いた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、現在。

 

 比企谷晴空の目の前には、死に掛けたボロボロの息子がいる。

 

 仮面の英雄の言葉は、これ以上なく的中し、そして今――外れようとしている。

 

 晴空は、ハッと笑いながら、その言葉を口にする。

 

「死ね――八幡ッ!!」

 

 最早、何度目の殺害宣言かも分からない。

 

 何故――俺は、息子を殺そうとしているのか。

 何故――俺は、息子に殺されようとしているのか。

 

 晴空は、真っ直ぐ八幡を見ることが出来ず、その向こう側で、弓を持ち矢を番えながらも――泣きそうな顔をした、雨音と目が合う。

 

(……同じだな。あの時と)

 

 晴空の脳裏を駆け巡るのは――これは、走馬灯なのだろうか。

 

 

 真っ先に思い出すのは――あの、晴れ渡った、雨の日の墓地。

 傘も差さずに、何の感情も込めずに、墓の前で両手を合わせる二人。

 

 ふとしゃがみ込んでいた幼馴染の少女は、こちらを見上げ、びしょびしょに濡れた笑みを浮かべた。

 

 この時、晴空は、初めて――この女は、本当にピッタリな名前を貰った少女なのだと、気が付いた。

 

 こんな風に、泣く女なのだと、初めて知った。

 

 

 今でも思い出せる。

 

 俺は、この時、この女に、こう言ったのだ。

 

 

――『俺達は幸せな子供じゃなかったかもしれない。だったら、俺達は子供を幸せにしよう』

 

 

 ハッ――と、晴空は吐き捨てる。

 

 息子を殺す拳を固めながら――。

 

 どうして、こうなっちまったんだろうな――と。

 




世界を救った元英雄は、走馬灯のように回顧する。

己が人生を。己が生涯を――息子を殺す拳を固めながら。

どうしてこうなっちまったんだと、嘲笑いながら。

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