比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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俺の息子が、英雄なんかにならなくちゃいけないんだ。


Side戦争(ミッション)――⑤

 

 比企谷夫婦の間に、子供が出来た。

 

 晴空(はると)雨音(あお)は、その事実を知った時――期待し、恐怖せずにはいられなかった。

 

 この子は、生まれることが出来なった、生まれる前に殺してしまった――あの()の、生まれ変わりではないかと。

 

 そんな都合のいい奇跡などある筈もなく、ましてや最低の代償行為だと分かってはいるものの、注ぐと決めていた愛情を、そんな愛情を注げなかった後悔を、果たせるかもしれないと期待せずにはいられなかった。

 

 だが――それ以上に。

 

 親殺しの自分達が、果たして親になる資格などあるのかと。

 

 クズの子はクズであると、モンスターの子はモンスターであると、そうこれ以上なく思い知らされている自分達に――果たして。

 

 クズである己の子を、モンスターである己の子を、愛することが出来るのか、と。

 

 恐怖せずにはいられなかった。だからといって、生まれることの出来なかった生命を殺すということの罪深さを、誰よりも知っている自分達にそんな真似が出来る筈もなくて。

 

 結果、親になる覚悟が固まらないまま、ただ漠然とした恐怖に怯える中で――生まれた子供は、男の子だった。

 

 待望の女の子ではない――待ち望まれていない男の子。

 

 

 比企谷八幡という、晴空がこの世で最も嫌いな顔によく似た、元気な男の子だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 父親の役目とは何だろうか。

 

 家族の大黒柱として家の外へと出て労働し、生活費を稼ぎ家計を支えることか?

 ならば、比企谷晴空はその役目を果たしているといえよう。

 

 だが、しかるところつまり、彼が立派な父親なのかといえば――それは誰もが口を揃えて吐き捨てるだろう。

 

 ハッ、と。

 誰よりも晴空自身が、その戯言を宣った阿呆に向かって、汚れきった濁眼を持って。

 

 んなわけがねーだろう――と。

 

「それでも、あなたはまだマシよ。……お金を稼ぐっていう、父親の最低限の勤めは果たしているもの」

「……なんだ? 珍しく優しいじゃねぇか。やめろよ、気持ちわりぃ。それに金だったらお前も俺とほぼ変わんねぇくらい稼いでんだろうが」

 

 晴空と雨音は、同じ会社(秘密結社)に勤めていて、だいたい同じようなポストにいる。

 しかし、主要幹部の直轄部隊リーダーとその部下という関係上、一応は晴空の方が稼いではいる。どちらもちょっとした大企業の幹部以上の金を貰っているのだが。

 

 つまりは、家計を支えるといった面では、二人とも親の勤めは果たしているといえる。

 

 だが、親としてのもう一つの――最大の責務。

 

 育児。

 ()を育てるという、そのままの意味であるこの責務を、二人は十全に果たしているとはいえなかった。

 

「……今日、どっちが帰る?」

「……お前はこれからまた病院だろう? ……俺はさっき連戦終えたばっかだ。俺が帰るよ」

 

 ……悪いわね、と、雨音は晴空の顔を見ずに言う。

 ……お互い様だ、と、晴空は子供が生まれてから愛用している電子煙草を吹かしながら言った。

 

 生まれた子供は――望まれなかった男の子は、預けられるようになったらすぐに保育園に預けられた。

 

 仕事を理由にして彼らは早々にしかるべき機関を頼った。育休はどちらも申請しなかった。

 子供といる時間を、出来る限り最小限にしたかった。

 

 雨音の事情(かこ)を考えて、家事は自分達がちゃんとやろうと決めていた。

 だが、息子と二人きりの空間に耐えきれず、雨音は八幡が立ち回れるようになると必要最低限の家事スキルをスパルタで身に付けさせることになる。

 

 そんな己の姿がかつての大嫌いな自分の母の姿と重なって、雨音は八幡の目を見られなかった。この子に自分がどんな風に映っているのか――それを考えると、更に八幡と接するのが恐ろしくなった。

 

 晴空はもっとひどかった。

 八幡は、余りにも己と、そして己の父親の面影があり過ぎた。

 

 この世で最も憎い人間にそっくりな――けれど、まだ何も染まっていない、無垢な生命。

 

 複雑な感情が湧き起こるのは禁じ得ない。

 だが、だからといって何の罪もない八幡を理不尽に虐げられるようなことなど出来る筈がない。

 

 したがって、晴空も八幡と接するのは必要最低限になっていった。

 この日も、食事を作った後は風呂に入るように言い、後はリビングでお互い黙ってテレビを見るだけだった。

 

「……おとうさん」

「……何だ?」

「……あの……おやすみなさい」

「…………あぁ。さっさと寝ろ」

 

 枕を持って、何かを訴えかけるようにして見つめる、己とは違い、綺麗な瞳でこちらを見る八幡と――晴空は目を合わせられない。

 

 八幡は、諦めたように肩を落とし、そのまま子供部屋に向かう。

 既に八幡は専用の子供部屋を用意させられていて、夫婦とは別の寝室で寝ていた。

 

 しばらくしてから、八幡が寂しそうに布団を抱き締めながら寝ているのを確認すると、晴空は服を着替え、施錠してから職場に向かう。

 

 初めは、こうして夜勤が多い故に起こしてしまうからといって分けた寝室だった。

 一緒に寝たいとかつて八幡が強請ってきた時も、こう言って無理矢理納得させた。

 

 今日も八幡は、きっと晴空と一緒に寝たかったのだろう。

 それを気付かない振りをする両親に対し、八幡が何も言わずにおやすみなさいと言って一人で寝室に向かうようになったのはいつからだったから。

 

 八幡は、まだ二歳になったばかりだというのに。

 晴空は、そんな息子の背中におやすみも言うことが出来ないのだ。

 

「ハッ――クズだな」

 

 晴空はそう吐き捨てる。

 その上、こんな有様であるというのに――すぐさま次の子供をこさえているというのだから、いっそ救いようのない。

 

 自分らに、こんなクズとモンスターに親など勤まらないと、この二年で学ばなかったのか?

 

 八幡一人ですらこんな様だというのに――まだ、あんな顔をさせる子を作るのか。

 

『――私、もう一人作りたいわ』

 

 だが――晴空には。

 

『――女の子が、欲しいの』

 

 そう言ったときの、雨音の声が、顔が、忘れられなくて。

 

「…………」

 

 晴空は、足早に、産婦人科へと向かった妻を迎えに行った。

 

 検査の結果――お腹の中の子供は女の子だと分かった。

 

 そして、次の年の春。

 

 比企谷家に、待望の――正真正銘、待ち望まれた、女の子が生まれた。

 

 雛祭りの日に生まれ、小町と名付けられたその子は、天使のような可愛らしい赤ちゃんだった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 本当に可愛かった。

 

 いつもニコニコと笑い、素直で、お茶目で、本当に――まるで、天使のようで。

 剥き出しの、無垢な、穢れなき愛情を、こんな自分達にも向けてくれた。

 

 晴空は、雨音は、小町という存在に――心から、救われた。

 

 生まれて来られなかった妹に。生まれる前に殺してしまった妹に。

 まるで――笑顔を向けられているようで。やっと、赦しを、もらえたような気がして。

 

 勿論、それが傲慢な感傷であることは理解している。

 けれど、それほどまでに、小町という存在は、晴空と雨音を――幸せにしてくれた。

 

 気が付いたら、晴空も雨音も、家に帰ることが怖くなくなっていた。

 思う存分に愛情を注げた。生まれて来られなかった妹の分まで、この子に救われた分まで、この子が幸せにしてくれた分まで、この子を幸せにしようと心に誓った。

 

 そして、その分だけ心に余裕が生まれたのか、八幡に対しての苦手意識も少しだが軽減していた。

 

 小町が生まれるまで、まともに愛情が注げなかったという負い目もあり、未だに真っ直ぐには接することは出来ていない。特に晴空は、成長していくにつれ自分にそっくりになっていく八幡に対し、常に複雑な心境だった。端的に言って可愛くない。

 

 だが、元々八幡自身には何の罪もない言いがかりのような苦手意識だ。自分達のDNAを受け継いだ正真正銘の息子であるし、それに、小町が生まれてからなお一層に忙しく、むしろ家に帰りたくてしょうがなくなったのにも関わらず碌に帰れなくなり、家事やら小町の世話やらを押し付けてしまっている現状に心苦しさを感じているのも事実だった。(小町家出事件を知った際、夫婦共にオーバー100点を連発する程に無理矢理時間を作るようになった。流石に無理が祟り長続きはしなかったが)。

 

 それほどまでに、比企谷小町という存在は、全てを良い方向へと、徐々にではあるが幸せな方向へと、家族を――比企谷家を導いてくれていた。

 

 八幡は将来に化物と称される自意識が徐々に芽生え始めていくにつれ、小町との露骨な扱いの差に目を濁らせていくことになり、晴空が珍しく本気で慌て始めたが、雨音はそれをも可愛いと思えるようになった。

 

 笑顔が増えた。家が明るくなってきた。

 

 だが、八幡が八才となり、小町が来年小学校に上がるという年の暮れ――それは起きた。

 

《天子》によって予言された――運命(さだめ)られた終焉の日。

 後に、第一次カタストロフィと呼ばれることになる、史上最大の星人戦争。

 

 結果として、地球に一切の損傷なく、存在すらも認知されなかったという、最高の勝利を勝ち取った――その末期に。

 

 比企谷晴空は、『真理』からの『予言』を見せられた。

 

 第二次カタストロフィ。不可避の真なる終焉の戦争。

 そして、その大戦を終結に導く――【英雄】となる少年戦士の予言を。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「―――――――ッッッ!!!!」

 

 自らの執務室に戻った晴空は、手当たり次第に備品に暴力を振るい続けた。

 

 仮面の盟友たる《CEO》が、比企谷晴空に示した可能性。

 それを告げられ、突き付けられた晴空は、その認めがたい現実に――『未来』に。

 

 認めるわけにはいかない――『予言』に、胸を掻き毟るようにして苦悩していた。

 

「…………ふざけるな」

 

 人類を救う英雄となる可能性。

 

 時代が時代なら、人が人なら喉から手が出る程に、それこそ何をかなぐり捨ててでも欲したかもしれないそれは、だが、あの『予言』を体験させられた比企谷晴空にとっては、只の人身御供と同義だった。

 

 あるいは、比企谷晴空が、この世界を救うことを己が使命とする生粋の戦士ならば。

 あるいは、比企谷晴空が、この惑星を守ることを己が責務とする純粋な兵士ならば。

 

 己の息子がそのような栄誉を与えられるかもしれないと知ったら、咽び泣いて歓喜し、いますぐに息子の首を掻っ切って戦士として、同じ『部屋』に連れ込んで実践教育を施し始めたかもしれない。英雄に相応しい戦士にすべく、星人との戦争に放り込んだかもしれない。

 

 だが、晴空はそんな愛星心溢れる地球人ではなかったし、愛人心溢れる人間でもなかった。

 むしろ世界を、人間を嫌いな方であるという自覚はあったし、ぶっちゃけ滅びるなら滅びろとすら思っていた。

 

 地球を守ったのは単純に死にたくなかったからだし、殺したくなかったからだ。

 

 だから戦った。だから勝った。

 だから戦士であり続けたし、だから勝者であり続けた。

 

 戦って戦って戦って、気が付いたら最強クラスに強くなっていて。

 結果――英雄なんて、そんな笑える称号を与えられて。

 

 だからこそ、何もしていない息子が、何の罪もない息子が――人身御供たる英雄に選ばれようとしている。

 

「………………ふざけるなッ」

 

 確かに――蛙の子は蛙かもしれない。

 鳶の子は鳶だし、鷹の子は鷹だ。

 

 クズの子はクズであるということ、モンスターの子はモンスターであるということを、誰よりも知っている比企谷夫妻は、その論理を的外れだとは一蹴出来ない。

 

 神に選ばれた天使である《天子》。神に選ばれた端末である《CEO》。

 この二人ならば『予言』を託される戦士として選ばれた所で、何の不思議もないだろう。

 

 だが、その場にいた三人目――その不相応な三人目に、何か、その場にいた特別な、納得に足る理由をこじつけるのならば。

 あの『真理』により上映された『予言』――その光景の文字通りの主役たる、未来の英雄の、その父親であるからなのだとすれば。

 

 なるほど、よく出来ている。見事な伏線だ。

 英雄たる父親の後を引き継ぎ、その息子が真の英雄となって今度こそ本当の、真の平和を取り戻す。

 

 ああ実に使い古された設定だ。王道といってもいい。

 収まりがよく、物語としての説得力があって、何よりも最初から全部決まってましたってところが最高に救いがなくて素晴らしい。

 

 ありとあらゆる人間を巻き込んで。色んな登場人物を不幸にして。

 どっかの誰かのお涙頂戴の悲劇はサイドストーリーとして処理して。

 

 それなりの可哀そうな過去を背景(バックボーン)として設定して。

 異常なメンタルを形成する為にトラウマを与えて。更にそのボロボロのメンタルを鍛える為に色んな不幸(シリアス)を浴びさせて。

 

 様々な困難を乗り越えて、仲間の死とか恋人との別れとか、そんなほにゃららを経た挙句。

 親父が成し遂げられなかった諸々の借金も背負って、ラスボスたる絶対者の前へと辿り着き。

 

 最後には我が身を犠牲し、俺たちはアイツを忘れないエンド――てか。

 

 ハッ――。

 

「――ッッッッッッッッッざけんじゃねぇぇぇえええええええ!!!」

 

 何だそれは何だそれは何だそれは。

 何処の自称作家希望が書いた安直三文小説だふざけてんのか。

 

 何もない何の罪もない何もしていない――ただ俺の息子だからって理由で、それだけでアイツを見たこともない神とやらがアイツの運命を決めるのか。

 

 ただ英雄(オレ)の息子だってだけで。

 こんなクズとモンスターの間から生まれたってだけで。

 

 蛙の子は蛙? 鳶の子は鳶?

 クズの子はクズか? モンスターの子はモンスターか? あぁそうかもな確かに俺達はそうだったさ。

 

 でも、プロ野球選手の息子は世界のメジャーリーガーか? Jリーガーの息子はバロンドールを取ったか?

 独裁者の息子は独裁者か? 殺人鬼の息子は(すべか)らく殺人鬼か?

 

「……違うだろ……そうじゃねぇだろッ!」

 

 クズの血が流れていようが、モンスターのDNAを受け継いでいようが。

 英雄の親父とクリソツな息子にだって――平凡に生きる権利はあるだろう。

 

 そこそこの腐った性格で、捻くれた思考で、人生を舐めながら生きたっていいだろう。

 世の中を斜め下から見据えて、ふざけた夢を描いて、腐った眼で青春を謳歌したっていいだろう。

 

 なんでこんな両親から生まれたっていう理由で、勝手に運命を決められなくちゃいけない――なんで自己犠牲しなくちゃいけない。なんでみんなの為に死ななくちゃいけない。なんで――。

 

 

 俺の息子が、英雄なんかにならなくちゃいけないんだ。

 

 

「……あなた」

 

 真っ暗な部屋の中で、ボロボロの備品の中に立ち竦む晴空に、雨音は静かに声を掛ける。

 

「…………雨音。俺はさ、小町を愛してる」

 

 最近、ちょっとつれないけどさ、俺の天使だ――と、小さく呟き、そして微笑む。

 

「……そう。私も愛してるわ」

 

 あの子、天使だもの――と、雨音は、部屋の扉を開けたまま、真っ暗な部屋の中に光を差し込ませながら答える。

 

 晴空は、背中を向けたまま、光に背を向けたまま言った。

 

「俺は……お前も愛しちゃってたりするんだぜ。知ってたか?」

「知ってた。あなたの初恋は私よね? 実を言うと、私の初恋もあなたよ」

 

 碌にプロポーズらしい言葉のなかった夫婦の、無表情で無機質な惚気に、晴空は苦笑する。雨音は、ピクリとも笑わなかった。

 

 そして――晴空は。

 

 振り返り、真っ暗な部屋によって見えない表情を向けながら、光を背負う雨音に言った。

 

「……俺は――八幡を、英雄にはしねぇ」

 

 晴空は、表情の見えない、雨音に向かって言った。

 

「……それでいいか?」

 

 雨音は、見えない夫の表情を、分かりきっていると言わんばかりの――笑みを浮かべて返す。

 

「――勿論よ。私も、一緒に背負うわ」

 

 比企谷夫婦は、こうして、世界への、真理への反逆を決意する。

 

 晴空は、雨音に部屋の中に入るように言って、扉を閉めさせた。

 

 遮断される光に――安堵を覚える自分がいた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そして、晴空と雨音は、そこから更に家に帰る頻度が減った。

 

 時折、小町を愛でに家に帰り、息子ともそれなりに会話をしたが、どうしてもぎこちなくなることは否めなかった。

 

 それは、自分達のせいで勝手に『英雄候補』に名を連ねることになってしまった罪悪感なのか、それとも息子との心の距離を詰める過程で更にそんな負い目が出来てしまったが故に、これ以上の距離の詰め方が分からなくなってしまったからなのか。

 

 だが、これはこれで好都合かもしれないと、そう考えているのも確かだった。

 それは、自分達にとっての自分勝手な好都合かもしれないけれど。

 

 盟友たる《CEO》の見立て通り、優秀な戦士である晴空と雨音の息子だからという理由で、彼を無理矢理に『英雄候補』に仕立て上げようとする勢力があっても何もおかしくはない。それほどには、晴空と雨音はCIONという組織にとって特別(レジェンド)な戦士であることは確かだ。

 

 日本のトップは晴空とも旧知の仲で、彼等がそんな真似をするとは思い辛いけれど、彼等は穏健派であるが故に――日本も一枚岩ではない。

 過激派も、武力派も、どこの国にも存在している。自称平和国日本も例外ではない。

 

 それに、日本という国を表向きにも背負う彼等は晴空達と違ってクズでもモンスターでもないので、いざとなれば自分を押し殺し、日本の為、世界の為に悪人になれる大人だった。本物の戦士だ。注意するに越したことはない。

 

 運命派である《CEO》は、それが運命ならば何もしなくてもそうなる、むしろそうならなくては運命ではないというスタンスなので、ギリギリまで何もしないだろう。だが、他ならぬ《CEO》がそう考えていると知ったら、組織のトップたる《CEO》が目を付けていると知られたら、誰か他の勢力までもが比企谷八幡に目を付けるかもしれない。

 

 だからこそ、職場(CION)ではことさら娘カワイイアピールをしている。

 息子のことなど眼中にないと、息子には俺らが注目するような資質などないと。

 

 息子には英雄の素質などないと、そうアピールするように、息子との距離を開けていた。

 

 そうして日々が過ぎていく中――息子との距離は縮まらず、見えない溝が深くなっていく。

 

 

――お父さんとお母さんは、お兄ちゃんのことが嫌いなの?

 

 

 その言葉に、晴空も雨音も、何も答えられない。

 

 自分達は、八幡のことをどう思っているのだろうか。

 小町に対してそう言えるように、心から愛していると言えるのだろうか。

 

 胸を張って、そう恥ずかしげもなく、言えることが出来るのだろうか。

 

 そんなことを思考していく内に、いつの間にか、カタストロフィまで残り一年となっていた。

 

 このままならば、もしかしたら何も起こらないかもしれない。

 小町からの話を聞く限り、この一年に置いて、八幡にもいい出会いがあったらしい。

 

 いい青春を、送っているらしい。

 

 高校入学時に事故に遭ったと聞いた時は、もうダメかと思ったけれど、それでも何事もなく一命を取り留め、何事もなく退院し、何事もなく普通の生活を送れている。

 

 このまま小町も高校生となり――普通の、何も知らない一般人として、真なる終焉の日(カタストロフィ)を迎えることが出来るかもしれない。

 

 そうなった時は何を差し置いてでも我が家に帰り、小町と――そして八幡を保護し、生き残ることに全てを懸ける。

 

 どんな敵が襲来しようとも、必ず生き残り、勝ち残り――そして。

 

 新しい世界で、新しい地球で――今度こそ。

 

 幸せな――家族に。

 

 そんな夢想を描き始めた頃、夫婦の執務室に、一体のパンダが訪れる。

 

 悲報が――届けられる。

 

 息子が、死んだと――そして、生き返ったと。

 

 比企谷八幡が、黒い球体の部屋の戦士となったと。

 

 

 まるで――運命のように。『予言』通りに。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 比企谷八幡が死んだ。

 

 自分達の、息子が死んだ。

 

 死んで――生き返り、戦士になった。

 

 自分達と、同じように。

 

 あの死と絶望と理不尽で溢れ返る無機質な部屋の、傀儡になった。

 

 そう、聞かされて。

 

 比企谷晴空は、叫ばず、嘆かず、ただ――机に手を着いて。

 

「……………………そうか」

 

 掠れた声で、呟いた。

 

 一緒にいた彼の妻の雨音は、八幡の母は、何も言わずにただ顔を伏せて。

 

 そんな旧知の戦士達に、四足歩行の喋るパンダは、渋い声で機械的に言った。

 

「嘆くことではない。君達の息子は戦士になった――つまりは、ガンツのメモリーに記録されたということだ。これで、もしミッションで死亡したとしても、カタストロフィで落命したとしても、君達によっていつでも再生可能になったということだ」

 

 君達の息子は、実に幸運だ。

 

 パンダがその言葉を言い切ったその結果――CION本部のワンフロアが消失した。

 

要塞(フォートレス)】の異名を持つ機獣と我を失ったCEO直轄部隊のリーダー。

 カッとなってやっただけの八つ当たりとは言え、このクラスの戦士達が暴れたこの事件は、半年経った今でも語り草となっている。

 

 そんな中で、晴空も雨音も痛感していた。

 彼らが信頼する数少ない盟友であるこのパンダも、数々の人体実験を経て、動物実験を(ため)されて尚、未だロマンを忘れない稀少な存在ではあるけれど――それでも既に、彼の人間としてのパーソナリティは摩耗しきっている。

 

 彼は骨の髄まで、体毛一本に至るまで戦士であり、兵器だ。

 地球を守るという使命に殉じるという意味であるならば、彼こそ象徴たる戦士だろう。

 

 故に、違和感なく現場に赴け、且つ信頼できる動物(じんぶつ)としては彼程の適任はいないけれど、その反面、彼程に不適格な戦士もいない。

 

 八幡のことを頼んで現場である『部屋』に侵入してもらっても、八幡が彼の眼鏡に叶うならば本部へと連れてきてより後戻り出来なくさせてしまうだろうし、八幡が彼の眼鏡に叶わなければ、そもそもパンダはこちらが何を言っても八幡に何もしてくれないだろう――地球を守るに相応しくない戦士に、または戦士ではない者に、このパンダは何の興味も示さない。例え、旧知の仲間の息子であろうと。

 

 色眼鏡では見ない。例え、英雄の息子であろうとも。

 

(…………八幡が登録されたのが、あの『部屋』で――あの『黒球』であることが、せめてもの幸い、か)

 

 戦士に感情移入しすぎてしまうと(悪い意味で)有名な――識別番号(シリアルナンバー)000000080。

 

 現在、正常に稼働する量産品の中で最も古い部品(おとこ)である、あの黒球(ガンツ)ならば――と、晴空は噛み締める。

 

「……晴空……私達は――」

「――ああ。俺達は――」

 

――…………()()()()()()……っッ。

 

 再び荒れ果てた彼等専用の執務室で、晴空は既にボロボロの机に、今一度拳を叩き付ける。

 

 晴空と雨音が、もし八幡のいる『部屋』へと部署移動したいと願い出せば、通るか通らないかだけいえば、通るだろう。

 

《天子》や《CEO》らと共に組織(CION)創設時からのメンバーであり、盟友であり、共に『運命られた終焉の日(第一次カタストロフィ)』を乗り越えた英雄である晴空や雨音は、それほどの影響力は持っている。それほどの我が儘を通す権力は持っている。

 

 だが、それと同時に、その我が儘は組織を揺るがす程度の混乱は招くだろう。

 トップクラスの戦士である彼らは、昔ほどではないが今でも『部隊』の、それも難関ミッションへと駆り出されることがある。

 つまりは『部屋』レベルのミッションで使うような人材ではない――カタストロフィまでおよそ残り一年と間近に迫った、この佳境時ならば猶更だ。

 

 当然、理由を追及される。

 どうしてそんなふざけた真似をするのかと――それが息子を守る為という、究極に公私混同な理由であるということが発覚すると、どうなるか。

 

 比企谷八幡という、英雄の血を受け継いだ――黒髪黒衣の少年戦士が、注目を浴びることになる。

 

 カタストロフィまで、残り一年――そんな佳境に、唐突に現れる、全身に伏線を巻いた戦士の出現に。

 邪悪な笑みを浮かべるものがいたとしても、何の不思議もない。

 

 八幡を利用しようというものが現れることは、想像に難くない。

 

 だから――何も出来ない。

 晴空と雨音は、結果として、何もしなかった。

 

 八幡が、戦い、戦い、戦い、戦っている中で。

 八幡が、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんでいる中で。

 

 それら全てから守り抜く力がある両親は、何もしないことを選択した。

 見て見ぬ振りをした。何も知らない振りをした。

 

 何も出来ないと言い聞かせ、己が息子に何もしないことを――彼等は選んだ。

 息子を見捨て、息子を見殺しにし、息子を見て見ぬ振りをすることを――親として選択した。

 

 目を逸らし、耳を塞ぐ為に――息子の何百倍ものスコアを叩き出し、かつての英雄として相応しい働きを見せつけるように、戦争(ミッション)に没頭した。

 息子と同じように、何度も死の淵へと己を追い込んだ――まるで、何かに許しを請うように。

 

 その心には、あの日のパンダの言葉があったのかもしれない。

 

 例え、八幡が死んでも、自分達が生き返らせればいい――と。

 

 そんな傲慢な願いが、まるで自分達が赦しを求めているように感じて、元英雄は咆哮を轟かせ『部隊』を率いながら星人(かいぶつ)へと特攻する。

 

 そして、そんな彼等の願いに応えるように――そんな彼等に天罰を与えるように。

 

 半年後――昨夜。

 

 パンダは再び、彼等の執務室にやってきた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 某国――某所。

 

 何度となく家主により備品を八つ当たりによって破壊され、その都度、模様替えを余儀なくされる、とある小さな幹部部屋。

 家主達の組織内のポジションには見合わない決して広くない部屋の中で、一人の社畜がノートPCと合い向かっている。

 

 先日の『部隊』ミッションに置いての報告書を、部隊長の責務として仕上げている中――ふと、こっそりと幹部権限で開いていた全世界の『部屋』のミッションデータのフォルダを開く。

 

 黒球(GANTZ)識別番号(シリアルナンバー)――000000080の戦歴データ。

 そこには、昨日の時点で新たな住人(せんし)が大幅に増員され、長らく一人暮らしだった戦士の仲間が増えたことを示した記録があった。

 

「…………」

 

 そのことを確認すると、ふと、幹部である己の個人的なアドレスにメールが来ていることに気付く。

 だが、晴空は先に識別番号(シリアルナンバー)000000080のデータを最新情報に更新することを選び、クリックした。

 

 すると、更新されたそのデータには――。

 

(……新しいミッションが二件……連戦だと?)

 

 珍しい――だが、有り得ないことではない。

 昔は連戦などしょっちゅうあり得たことだし、『部隊』のミッションでは同じ星人と何日間もかけて『戦争』することなど日常茶飯事だ。

 

 ここ最近、あの『部屋』ではなかったことだが――と、晴空は昨夜の連戦を終えた後の、最終的な住人リストを見て。

 

「…………………ハッ」

 

 目当ての戦士の名前があることを確認すると、そのまま椅子の背凭れに体重を掛けながら、真っ暗な部屋の天井を見上げる。

 

 どうやら――今日も、アイツは生き残ったらしい。

 

「………………」

 

 晴空は、そのまま瞑目し――ふと、隣で寝落ちしている己の嫁を見遣る。

 

 ……ここ最近。

 もっと言えば、八幡が戦士となってから、自分達は殆ど我が家に帰っていなかった。

 

 この執務室もどんどん生活感に溢れていっている。

 PCの周りには、不健康な色の栄養ドリンクの空き瓶、袋の口が開いているパサパサの安い食パン、そして、自分が愛飲している内に、いつの間にか息子の大好物になっていた警戒色の缶コーヒーまで。

 

 妻は、この報告書に書かれている、とある強豪星人との戦争(ミッション)が始まる前――自分に言っていた。まるで、死亡フラグを立てるように。

 

 この戦争が終わったら、一緒に我が家に帰ろうと。

 

 小町と、そして――八幡に、会いに行こうと。

 

(……カタストロフィまで、あと200日……か)

 

 今回の自分達が相手にした星人も、相当に強力な敵だった。

 ずっと前から組織が要警戒星人としてリストアップしていたが、ずっと警戒して仕掛ける時期を探っていた星人。

 そんな星人が遂に無視できないほどの動きを見せ始めたという要請を受け、晴空達ほどのレベルの戦士が戦線に投入されたのだ。

 

 かつてのカタストロフィを思い起こさせる――第一次(十年前)の時も、終焉(カタストロフィ)が近づく毎に、暴れ出す地球在住の星人の強さも増していった。より強い星人達が動き始めていった。

 

 彼等も感じているのだろう。終焉を。そして、終焉を齎す星人の襲来を。

 

 もうすぐ、我が家に、帰りたくても帰れなくなる――そんなタイムリミットが、迫っている。

 

 だからこそ、それまでに――と。

 

「…………」

 

 晴空は、机に突っ伏している雨音の頭を撫でる。雨音は、体を捩ってそれを嫌がった。

 こんな仕草が、かつて八幡が頭を撫でた時の小町の反応に似ていて、晴空は思わず笑みを浮かべた。

 

 そして、気合を入れるように、眠気覚ましの冷えピタを額に貼る。

 

 ハッ――まるで社畜だと、警戒色の缶コーヒーを煽り、晴空は報告書を仕上げるべくラストスパートを掛けた。

 

 

 

 

 

 

 晴空は気付かなかった。

 

 自分の幹部用のアドレスに直接送られてきた重要メールのことも忘れていたし、八幡のその夜の二度目の戦争のスコアが異常に低いのも気付かなかった。

 

 だが、気付いた所で、この時の晴空には何も出来なかっただろう。

 

 この時には、もう既に――全ては終わっていたのだから。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――欲求不満(さびしい)なら、一緒にシャワーでも浴びてスッキリするか?」

「――自殺志願(しにたい)なら、照れずにそう言えばいいのに」

「すいまっせんしたーー!!! 徹夜明けで調子こきましたぁあああああ!!」

 

 徹夜で報告書を仕上げ、五日間にも及んだ強豪星人との戦争の記録をプリントアウトした紙の海の中にジャンピング土下座を敢行する元英雄。

 そんな英雄の頭頂部に向けて、Z型の巨銃を突きつけるこちらも元英雄にして妻の美女を、晴空はちらっと見上げた。

 

 彼女も感じているのだろう。今日が、娘と、息子と、平和な日常で会える最後のチャンスだということを。

 

 今回は、本当に久方ぶりの、自分達が現実逃避的に突発的に行う乱入ではなく、あの《CEO》が直接的に上司命令として晴空に『部隊長』を依頼した戦争だった。

 これから先、正式に回される現場での任務(しごと)が増えるかもしれない。

 

 最古参であり、元英雄である自分達が、正式に仕事として現場に立つ――それは、それだけCIONが、本腰を入れて動き始めるということ。

 

 終焉が――近づいているということ。

 

 それを――彼女も気付いている。

 

 だから、今日は――。

 

 今日だけは――今日こそは、と。

 

 そんな思いを込めて晴空は土下座しながら妻を見上げる。

 雨音も、そんな夫の思いを汲み取っていたのか、巨銃を向けながらも、その表情は柔らかかった。

 

 そんな時、執務室の自動ドアが開く。

 組織内でも特殊な立ち位置の幹部である晴空達の執務室を、訪れる来客など本当に限られている。

 

 現れたのは――黒い衣を纏ったジャイアントパンダだった。

 

 この時、比企谷夫婦の脳裏には、半年前の、あの時のことが頭を過ぎる。

 

 一瞬息を呑むも、晴空は、昨夜の内に息子が今回の戦争も生存したことを知っている。

 雨音も、自分よりも早く起きた時に確認していたのだろう、動揺は表に出さない。

 

 何食わぬ顔で、何食わぬトーンで、盟友たるパンダに声を掛けた。

 

「――あら? 珍しいお客さんね。どうしたの?」

「おおッ! 救いの神よ! いや、救いのパンダよ! いいところに来た、俺を助け――ん?」

 

 地球に危機が目前に迫っているというのに、いつも何をやっているんだお前たちは――そんなツッコミが来ることを、期待した。

 

 何気ない要件で来たのだと。ただ顔を出しに来たのだと、そう期待した。

 

 だが、生真面目ではあるが、ロマンもユーモアも理解するこのパンダから、愉快な言葉が何も出てこない。

 

 やめろ――何も言うな――そんな言葉が飛び出しそうになりながらも、晴空は口を開く。

 

 どうした、と。大したことはないんだろ、と。そう言って欲しくて――だが。

 

 いつもは愉快なパンダが、軽快なジョークを飛ばすパンダが。

 

 重い声で、重々しく――告げる。

 

 比企谷晴空の、比企谷雨音の。

 

 世界を終わらす、その真っ黒な言葉を。

 

「……君達の――」

 

 

――娘が、死んだ。

 

 




そして、親殺しにして妹殺しである夫婦は、息子と娘を見殺しにした両親は。

全てを終わらせる――最悪の計画(ミッション)を画策する。

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