比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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どうして――そんな子に……なっちゃったのぉ……?


Sideあやせ――⑤

 

 一般的な女子高生の中では(そもそも一般的な女子高生というカテゴリ内に入れてもらえるのかは別として)それなりに波乱万丈な人生を送ってきた方なのだろうという自負のある新垣あやせだけれど、リムジンで登校するという経験は流石に生まれて初めてだった。

 

 けれど、あやせは特段に緊張することも恐縮することもなく、外側からは見えないような仕様になっているだろう薄黒い窓ガラスから通い慣れた通学路が流れていくのを眺めながら、腕と足を組んで無表情を貫いていた。

 

 広い後部座席には、二人の美女が並んでいる。

 

 一人は、前述の通り――新垣あやせ。

 艶やかなロングヘアの黒髪と、その黒髪に負けず劣らずの漆黒のスーツ、そしてその上から女子高生の象徴たるセーラー服を身に纏っている。

 

 防犯ブザーをこれ見よがしにキーホルダーとしてぶら下げた学生鞄を挟んで、反対側の窓際に座るのは、昨日のラフで活発な印象の服が嘘のようにお堅いビジネススーツを着込み――その下に漆黒のボディスーツを身に纏った、あやせよりも少しだけ年上の美女。

 

 彼女の名は――桂木弥子。

 昨日、『探偵』を名乗って唐突にあやせの前に現れた、クセのある金髪ショートに赤い髪飾りが特徴的なこの美女は、あやせに【英雄会見】への出席を依頼し、首相官邸まで『転送』した、謎の組織のメンバーだった。

 

 ガンツスーツの上に着込んでいるビジネススーツの襟元には、今日も地球の上に『CION』という文字が浮かぶバッジを付けていて、頑なに自分と目を合わせようとしないあやせを苦笑しながら見遣っている。

 

「――うぅ~ん、いい加減、機嫌直してくれないかな、あやせちゃん。あやせちゃんも、初めて会う筋肉ムキムキなおじさんより、多少なりとも面識のある私の方がいいかなっていう配慮だったんだけど」

「……別に、桂木さんが護衛なことに不満があるわけじゃないです。……ただ、ちょっと――両親と、喧嘩みたいなことになって、もやもやしているだけですから」

 

 弥子は、そのまま窓の外から視線を逸らそうとしないあやせに、はぁと息を吐きながら苦笑する。

 それが本当の理由なのかどうなのかは分からない――が、あやせが両親と喧嘩のようなものをしながら、家を飛び出すようにして、このリムジンに乗っていることは確かだった。

 

 弥子もそれは分かっている。

 何せ、弥子はその親子喧嘩の場に――家族会議の場に、家族でもないのに同席していたのだから。

 

 

 事は――今朝の、新垣家の朝食風景に遡る。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 既に、食卓の上に並べられたコーヒーは冷え切っていた。

 

 テレビすら点いておらず、ただ時計の秒針の音と、気配を隠しきれていない家の前に陣取る報道陣の喧騒のみが、重苦しい沈黙を掻き乱す――そんな中。

 

 顔を真っ青にして憔悴しきっている美しい母君――新垣はるかと。

 精悍な顔つきを険しく引き締める逞しい父君――新垣誠は。

 

 箸すら取らずに、真っ直ぐに、ただ己が娘に視線を注ぐ。

 

 そんな両親の、縋るような、射抜くような眼光に対し――愛娘は。

 

「――何度も言うようですが……お父さん、お母さん」

 

 天使のように微笑みながら――堕天使のように、嘲笑う。

 

 

「私は、この服を脱ぐつもりはありません。この役目を、放棄することは有り得ません」

 

 

 真っ黒なボディスーツを着て、真っ黒な笑顔で、真っ黒な殺意を放ちながら。

 

 一人娘は、己が父親を、己が母親を――美しい笑顔で、切り捨てる。

 

「例え、勘当されようとも――私は星人(ばけもの)と戦い続けます」

 

 そして――再び、母親は号泣し、父親は激昂する。

 

 朝食が冷め切る程に繰り返された家族会議――否、家族裁判の光景に、あやせは。

 

 何度目かの溜息を吐いて――両親を、冷たい眼差しで睥睨する。

 

 その時、新垣家の、玄関のインターホンが鳴った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 新垣家の朝食風景は、相も変わらず――否、先程までよりもずっと重苦しい沈黙で満たされていた。

 

 冷め切ったコーヒーとスープ、そしてトーストとサラダとスクランブルエッグが並んだテーブルを、二人の大人と、二人の子供が挟んで相向かっている。

 

 顔をエプロンで隠しながら嗚咽を漏らす――新垣はるか。

 怒りで顔を赤く染めて息を荒げる――新垣誠。

 

 そして、母と相向かうは、恐ろしいまでに美しい無表情を崩さない女子高生モデル――新垣あやせ。

 

 そして、見知らぬ県議会議員と相向かうは、突然面識のない冷え切った家族会議の現場に巻き込まれ、恐縮しながらも目の前のスープに(勝手に)手を伸ばしている元女子高生探偵――桂木弥子。

 

「……あやせ。お前は、何を考えているんだ」

 

 あやせの父は――新垣誠は、四角い眼鏡を外して目頭を揉み解しながら、理解出来ないとばかりに吐き捨てる。

 

「――いつからだ。いつから、こんなバカなことをしていたんだ」

「お父さんには関係のないことです」

 

 娘のその言葉に、誠は食卓を叩いて絶叫する。

 

「関係ないことがあるかっ!! 知らない間に娘が――化物と戦う軍隊に入れられていたんだぞッ!!」

 

 こんなふざけた話があるかッッ!! ――誠は立ち上がり、唾を飛ばしながら叫び散らす。

 

 はるかはその言葉になお一層に泣き崩れ、あやせはそんな父を冷ややかに見上げ、弥子は唾の飛散から避難させたスクランブルエッグをゴクリと頬張る。

 

「――ふざけた話、ですか」

 

 あやせは激昂する父親に、号泣する母親に、一切の温度を感じさせない瞳で言い募る。

 

「池袋という大都市にあれだけの被害を生み出すような怪物らに対し、政府が設立した特殊部隊を、そんな部隊の一員として国民を守る為に戦うことを――お父さんは、千葉県議会議員であるお父さんは、それをふざけた話だというのですか?」

「そうではない――いや、そうだ」

 

 誠は、娘の言葉を否定しようとして――首を振って、肯定した。

 

 そして、毅然と――大人として、親として言い返す。

 

「少なくとも、お前のすることではない。子供のすることではない――大人のやるべき仕事だ」

「……昨日の会見を聞いていなかったのですか? 戦士になる為には才能が必要で、大人だからといってなれるものではないんです」

「それでも! なれるだけの大人だけでやるべきだと言ってるんだ!!」

 

 例え、スーツを着こなせる大人が十人しかいないとしても――子供を含めれば百人の軍隊になれるのだとしても、十人だけで戦うべきだと、誠は言う。

 

 子供を巻き込むくらいなら、大人一人が十倍の戦力になるよう――働くべきだと。それが大人だと。

 

 それが子供だと――あやせの母は、新垣はるかは懇願する。

 

「……少なくとも、あやせ……あなたは……そんなことをしなくてもいい筈よ……あなたは、こんなことに巻き込まれていい子じゃない筈よ!!」

 

 化物だとか、軍隊だとか、戦争だとか。

 星人だとか、政府だとか、英雄だとか。

 

 そんな物騒なものとは、そんな世界とは――無縁の少女だった筈だ。子供だった筈だ。

 

 私達の子供で――私達の愛娘は。

 

 こんな世界に巻き込まれていい子では――なかった筈だ。

 

「……なのに……どうしてぇ……」

 

 どうして――そんな物々しい、黒々とした服を身に纏っている?

 

 どうして――そんな寒々しい、黒々とした瞳で、両親わたしたちを見ている?

 

 どうして――。

 

「――そんな子に……なっちゃったのぉ……?」

 

 はるかは、エプロンに顔を押し付けながら、世界を嘆くように言う。

 

 誠は、その言葉を受けてはるかを見るが――何も言えず、腰を下ろし。

 

 そして――あやせは。

 

「……………本当に――」

 

 どうしてでしょうね――と、消え入るようなか細い声で、そう吐き捨てるように呟いて。

 

 ゴクリ――と。

 

 食卓の上の冷め切った朝食を食べ尽くした嚥下音が、冷め切った家族会議の場に響いた。

 

「それでは、皆さん――私の話を聞いて下さい」

「いや、我が家の朝食を食べ尽くして何をシリアス顔をしているんだ、君は。誰なんだ、お前は」

「それは本当にごめんなさい。冷め切っていく朝食が余りにも可哀そうで。大変美味でした」

「…………」

「ごほん! さ、さて、それでは皆さん、私の話を聞いて下さい」

 

 口元に食べかすを付けたまま咳払いして、そのまま強行しようとする客人――桂木弥子を、あやせは冷ややかに見詰める。

 

 突然、インターホンを鳴らして数多くの取材陣を押し退けて新垣家への侵入を果たし、挨拶もそこそこに他人の家の朝食を勝手に食べ始めた――この『探偵』。

 

 今の今まで恐縮そうに――だが、決してペースを落とさずに箸を進めていたこの『探偵』に、あやせは訝し気な面持ちを隠そうとしない。

 

 一体、何をしに来たんだ、コイツ――と。

 

 そんなあやせの心中を知ってか知らずか「えっと、自己紹介が遅れまして……では――」と、弥子は唐突に、自分が身に着けていたスーツを脱ぎだした。

 

 他人の家のリビングで、うら若き女性が取った突飛な行動に、あやせが「ちょ――何をアナタは」と慌て、誠が「な、君は、何を――」と驚きながらも前のめり、はるかが「――え?」とエプロンから顔を上げた所で――弥子は、白いシャツを脱いだ。

 

 白いシャツを脱ぎ――黒いスーツを露わにした。

 

 ビジネススーツの下には、あやせと同じ黒いボディスーツを着ていた。

 

 ガンツスーツ――身に付ける者に才能を要求する、文字通り選ばれし者のみが身に付けることが出来るユニフォーム。

 

 それが意味することを、誠やはるかが理解するよりも先に――その『探偵』は、その『戦士』は、自己紹介した。

 

「初めまして、あやせちゃんのご両親。私の名前は桂木弥子。職業は『探偵』――そして」

 

 あやせちゃんと同じ、特殊部隊『GANTZ』の戦士です――と。

 

 桂木弥子は、真っ黒な衣を纏った姿で微笑んだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 新垣家の扉が開き、一斉にカメラが銃口のように向けられた。

 

 だが、そこから現れたのは、彼らが待ち望む新垣あやせでも、彼女の父親でも母親でもなかった。

 

「ど、どうもぉ~。へへ」

 

 癖のある金髪に赤い髪飾り――先程、たった一人で先陣を切り、新垣家への侵入を果たした少女だった。

 

 目当ての相手ではなかったものの、この家の家族と何か特別な繋がりがある対象に違いない――そう思い、この際コイツでもいいかとマイクを向けようとしたどこかの零細雑誌の記者を、近くにいた大手テレビ局のスタッフが止める。

 

 あのバッジが見えないのか――と。

 

 どうもどうもと言いながら、取材陣の海の中を掻き分けて進む弥子がそんなやり取りを見つけると、内心で静かに思考する。

 

(……事情は分かっていなくても、このCIONバッジを付けている人間には関わるな、くらいのお触れは行き渡っているみたい。少なくとも、大手メディアには)

 

 得意の権力の行使というヤツだ。それも、とびっきりの国家権力の。

 こんな風に力で押さえつけると当然一定割合の反発を生むことになるが、このバッジから真実に辿り着こうとする者がそれに辿り着く頃には――世界はとっくにタイムリミットを迎えているだろう。

 

 どうせ最後には何とでもなると、色々と開き直っているようにも思えるが――そういう時に開き直れる奴等は強い。

 

(それと同時に、恐ろしくもあるけどね)

 

 弥子はそう、過去に直面した数々の開き直りを思い出し、取材陣の奥に停めてあったリムジンのドアを開ける。

 

 そして、一度振り返ると、既にマスコミは再び新垣家へと注目を戻していた。

 

(……そろそろ正式に警察を動かしてもらおうかな。ここ、公道だし。流石にこれだけ居座せれば、過剰取材だって問題視させられるでしょ)

 

 あやせちゃんも早くしないと遅刻しちゃうしね、と、車内に入り込んでシートに座る。

 

 すると、前の運転席から、怜悧な女性が弥子に「お帰りなさいませ」と声を掛けてきた。

 

「ただいま、アイさん。早速で悪いんだけど、警察に連絡を取ってくれないですか? そろそろあのマスコミを退けて、あやせちゃんが登校出来るようにしてあげたいんだけど」

「それは構いませんが、必要ないのでは?」

「ん? どうして?」

 

 弥子がきょとんと問い返すと、アイと呼ばれた運転手はバックミラーを見ながら。

 

「――新垣あやせ様は、既にご乗車されているようなので」

 

 途端、弥子の反対側のシートに火花が散るような効果音が発生する。

 

 制服の下にガンツスーツを身に纏った、新垣あやせの姿が出現していった。

 

「――え!? あやせちゃん!? いたの!?」

「……何ですか。透明化くらい、私でも出来ますよ」

 

 学校でも街中でも抜群の存在感を放つあやせが恐らくは人生で初めて取られたであろうリアクションに憮然としていると、弥子はそんな女子高生に尚も言い募る。

 

「い、いや、だって、あんな人混みの中――」

 

 透明化といっても幽霊になれるわけではない。

 障害物をすり抜けることなど出来ないし、肩にぶつかれば衝撃だって与えるだろう。

 

 なのに、あれだけの海の如き人混みの中を、見えないからといって誰にも見つからずに通り抜けられるものなのか?

 

「ものですよ。道はあなたが作ってくれていたでしょう? 私は後を付いて行っただけです。それに――」

 

 マスコミ(あの人達)視線()の届かない(ルート)なんて、芸能人(わたしたち)なら誰だって見分けられますよ――そう言って、あやせは冷たい眼差しで、向こう側からは見えないように黒く貼られた窓を見る。

 

 弥子は、その視線に釣られるように窓の外を見た。

 うじゃうじゃと、近所迷惑であることは間違いない程に群がった無数のマスコミ達。

 

 それは非日常的な事件性を形として現したかのような光景だけれど――だが。

 

 とある世界に生きる者達にとっては、日常的に相手取っている――当たり前に出現する化物に過ぎないのだろう。

 

 ほんの一時だが、今ではすっかり忘れ去られているが、女子高生探偵として世間を賑わせた者として、鞄で顔を隠しながら登校していた者として、その淡々と紡がれた言葉の重さを、弥子は感じずにはいられなかった。

 

 だが、それはそれとして――弥子は、問わなければならないことを、問わなければならなかった。

 

「――いいの? ご両親とは――」

「いいんですよ」

 

 だが、あやせはその問いを、最後まで問わせずに――切り捨てた。

 

 色んなものを、大事なものを、切り捨てた表情で――窓の向こうを、向こう側からは見えない窓を見たままで。

 

「…………言いたいことは、全部、言ってくれましたから」

 

 私から言うことは、もう――ありません。

 

 そう言って、あやせは――新垣家から、生まれ育った家から、目を伏せて。

 

「――出してください。……学校まで、送っていただけるんでしょう?」

「でも――」

「出してください」

 

 頑ななあやせに、弥子はもう何も言わず、バックミラーに向かって頷く。

 

 そして、運転手のアイは、静かにリムジンを発進させた。

 

 新垣あやせは、最後まで振り返らなかった。

 

 切り捨てたものを――二度と、戻ることはない、我が家を。

 

 あやせは、別方向の窓の外を見ようとしたが――そこには、黒い自分の顔しか映っていなかった。

 

 かつて切り捨てられた少女は、切り捨てる痛みを確かめるように、そっと自身の胸を掴んだ。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 桂木弥子――彼女は、正しく『探偵』だった。

 

 自身を訝しむ聴衆の前で、滔々と真実を語り――脚色し。

 

 筋道を立てて説明し――都合の良い部分を強調し、己が論理に説得力を持たせ。

 

 感心させ――改心させ。

 

 反対意見を封殺し――思い描いた形で事態を解決させ、完結させる。

 

 その様は正しく、『戦士』というよりは――やはり、『探偵』で。

 

(……もしくは、『交渉人』――と、いったところでしょうか)

 

 何はともあれ――桂木弥子は、あの場を見事に収めて見せた。

 

 女子高生の一人娘を、星人ばけものと戦う特殊部隊に送り出す――そんなふざけた事態を突き付けられた両親を説得するという難事件に対しては、年上の女性戦士であり、『探偵』であり『交渉人』である彼女は、正しくうってつけの適役であったのだろう。

 

 適役な――探偵役だったのだろう。

 

 護衛ということに対しても――彼女の戦士(キャラクター)としての力量は分からないが――ガンツスーツを身に纏っていることから、そこらの警察や軍人よりもよほど頼りになることは分かる。

 

 だからこそ、別に彼女が護衛であることに不満があるわけではない。

 

 あの後――今後は護衛などの意味も兼ねて政府で用意した住居に住んでもらう、少なくともほとぼりが冷めるまではという国からのお達しをあやせの両親に伝えた弥子が、しっかりと親子で話し合ってと言って家族水入らずの場を用意して扉を出た、あの後。

 

 その、直後――あやせは喧嘩のようなものを、両親とした。

 

 生まれて初めての――親子喧嘩。

 

『……あやせ。お前は――』

 

 父親は――まるで、父親のようなことを言って。

 

『……あやせ。あなたは――』

 

 母親は――まるで、母親のようなことを言って。

 

 それに対し――娘は。

 

 新垣あやせという、彼らの愛娘は。

 

『―――――ッッ!!』

 

 何も言えずに、ただ感情的に家を飛び出した。家出をした。

 

「…………………」

 

 ただ――それだけの話だった。

 

「…………はぁ」

 

 弥子は、機嫌を直そうとしないあやせに溜息を吐いた。

 何も、弥子も本気であやせが護衛の人選に不満を覚えていると思ったわけではない(別に歓迎されていると思っているわけでもないが)。ただ会話のきっかけになればと思っただけだ。

 

 一応、『交渉人』のような仕事を世界中で行ってはいる桂木弥子だが、それも会話をしてもらえなければ、文字通り話にならない。

 

 そして桂木弥子という『名探偵』は、その為になら手段を選ばないことで一部では有名だ。

 テロリストが占拠する大使館に乗り込んだり、刑務所に潜入したり戦地に飛び込んだり――だが。

 

(……今は、そっとしておく方がいいかな)

 

 別に今は手段を選ばずに交渉の席に着かせるような場面じゃない。

 年上の女性戦士として、色んな意味での先輩として、後輩の女の子の心中が整うのを待ってあげる場面だろう。

 

(……親、か)

 

 ふと、弥子も車の外の光景に目を遣る――と。

 

 

 一人の少年が、真っ直ぐに新垣家へと向かっていくのが見えた。

 

 

 リムジンはそのまま少年と行き違う。

 だが、弥子は、何故かその通行人Aに過ぎない筈の少年のことが少し印象に残った。

 

(……なんでだろう。……目、かな?)

 

 その少年の瞳が――まるで。

 

 これから戦地へと赴くような、そんな覚悟の篭った色をしていたから。

 

 戦士のような、目をしていたから。

 

「――そんな大した人じゃありませんよ」

 

 弥子のそんな思考を読んだかのように、あやせが尚も、反対方向の窓から外を眺めたまま言う。

 

「あの人は――ただの変態です」

 

 そう、小さく、冷たく――静かに、呟くように吐き捨てた。

 




かつて切り捨てられた少女は、両親を切り捨て、帰るべき家を飛び出す。

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