比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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あなたの席は、ずっと用意してありましたよ。


Side渚――⑤

 

 千葉県成田市――とある国際空港。

 

 列島に衝撃を轟かせた【英雄会見】から一夜明けた、混乱冷めやらぬ極東の島国の、空の玄関口であるこの空港は、それでも通常にその責務を果たし、今日も諸外国からの客人を招き入れ続けている。

 

 そんな中、また一便、とある国から海を越えて空を渡りやってきた、鉄の鳥が滑空してきた。

 

 一人、また一人と乗客を吐き出していく中――科学者のような白衣と、『来日』と書かれたTシャツという謎のセンスが余りに特徴的な黒髪の東洋人の美女が、数時間ぶりの日光に目を細めて、笑みを浮かべた。

 

(――帰って、きたんだ……日本っ!)

 

 美女にとっては余り縁のなかった千葉県の空気だけれど、国という大きな括りで言えば故郷の味だ。

 きっと今は飛行機の排気ガスやら何やらが多分に含まれているだろうが、美女は構わず深呼吸した――そして後ろの客に怒鳴られて涙目で吐き出した。

 

(……うぅ。で、でも、やっと帰って来れたんだもん! ……柳沢さんからも離れられたし、少しくらい浮かれてもいいわよね!)

 

 正確には完全に離れられたわけではない。

 彼女がこうして祖国の土を再び踏むことが出来たのは、その恐ろしい婚約者からの命令によるものである。

 

 だが、それでも――そっと、白衣ごと己の身体を抱くようにして、彼女は唇を噛み締めた。

 

(……あかり、心配してるかなぁ)

 

 ここしばらく顔を見ていない、最愛の妹の顔を思い浮かべる。

 己の我が儘により女優としての休養期間の最後の一年を使ってもらっている、自分には過ぎた出来た妹。

 

 こうして日本に帰って来たからには、真っ先に連絡を取るべきか――そう思った美女は。

 きっと妹に見せたら血の涙を流すであろう、己の豊満な胸を揺らすガッツポーズをして、ご機嫌でいたずらを計画する。

 

(――でも、どうせなら驚かせちゃおうかな! どちらにせよ、すぐに会うことになるんだしね!)

 

 うん――と頷いて、彼女はまず真っ先に職場に向かうことにした。

 

 かつての職場であり、そして今日からの職場でもあるその場所に。

 彼女の婚約者である柳沢誇太郎が、日本でのとある男の動向を調査させる為に、名目上として用意した立場として働くことになる――その職場。

 

 椚ヶ丘学園3年E組にて。

 

 彼女――雪村あぐりは。

 

 運命の出会いを、運命とは違う形で果たすこととなる。

 

 彼女は先生として。そして、彼は――そして、彼も、『先生(ターゲット)』として。

 

 運命は、定められた筈のそれとは違う形で――動き出す。

 

 

 

 

 

 ……そして、空港から職場へと向かうタクシー内で、電源を入れた携帯に父と、そして主に妹から恐ろしい量の着信とメールが届いていたことに戦慄し、いたずら心ががくぶる心に変わることになるのだが、それは本筋にはあまり関係のない伏線だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「母さん、おはよう。今日も気持ちのいい空模様だね」

「ごめんなさい」

 

 

 

「朝食は今日もベーコンエッグでいいかな? こんなものしか作れなくて申し訳ないけど。これからレパートリーを増やせるように頑張るから」

「ごめんなさいごめんなさい」

 

 

 

「母さんは今日仕事だっけ? 無理しなくていいよ。行きたくないなら行かなくていいから。何もしたくないなら何もしなくていいから」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 

 

「昨日のテレビは観てくれた? 僕、なんか政府公認の組織のメンバーになったんだ。給料も結構貰えるらしい。だから、これからは僕が働くよ。母さんに恩返しもするからさ」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 

 

「それじゃあ学校に行ってくるよ。戸締りだけはしっかりしてね。それくらいは出来るでしょ。じゃあ、いってきます」

「いってらっしゃい」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 衣替えを経て薄い夏着となった椚ヶ丘の制服を身に纏い――その下に独特の光沢のある黒い衣を透かしながら。

 潮田渚は一階へと降りるエレベータの中で、己の携帯電話を確認した。

 

 そこには昨夜の会見を終えて、E組のクラスメイト達から幾つものメッセージが届いていたが――渚は小さく目を細める。

 

(……父さんからは……何も無い、か)

 

 母――広海の癇癪(ヒステリック)から一人逃げ出して、(息子)に己が妻を押し付けた血縁上の父親。

 定期的に顔は合わせているものの、渚が一度死んでから――ガンツの戦士(キャラクター)になってからは、母が壊れてからは、一度も顔を合わせていない戸籍上の父親。

 

 それでも、あれだけ大々的にテレビに顔を出したなら、何かしらのコンタクトを取ってくると思っていたのに――やはり、ここでもあの(ひと)は……。

 

 まぁ、今更どんな顔をして会えばいいのか――分からないのは、自分も同じだけど。

 

「………………」

 

 渚は一度、諦めるように瞑目し、一階へと着いたエレベータの開く扉へ向かって足を踏み出す。

 

 マンションから出た渚は、数えきれない()()によって襲い掛かられた。

 

「――っ! 来た! 潮田渚くん! 〇〇テレビだけれど、お話を聞かせてもらっていいかな!?」

「××新聞です! 政府に無理矢理、化物と戦わされてきたことに対する素直なお気持ちは!?」

「総理や大臣に言いたいことはありますか!? あ、週刊△△です!」

「ニュース□□をご覧の皆様! こちらが昨日、特殊部隊GANTZのメンバーとして会見に出席させられた潮田渚くんです! 見ての通り、まだ子供です!」

 

 銃口を向けられるように、向けられるカメラ。

 切っ先を突き付けられるように、突き付けられるマイク。

 

 仮面のように張り付けた笑顔の奥から――ドロドロとした欲望が滲み溢れ。

 爆弾のように煌めく光が散発的に襲い掛かり、その隙間から肉食獣のように飢えた瞳が――標的(ターゲット)を狙う。

 

「……………………!!」

 

 渚は反射的に腕で顔を覆った。

 そんな防壁を引き剥がそうと、尚もフラッシュの嵐が勢いを増す。

 

 マスメディア。

 昨夜の会見後は小吉と蛭間が用意してくれた“抜け道”からこっそりと自宅に帰った為にやり過ごしたが、彼等が事前に忠告してくれた通り――やはり、奴等は待ち構えていた。

 

(……蛭間総理や小町大臣は、何も答えずに通り過ぎるのが一番だって言ってたけど――通り過ぎることが出来るような穴すら見つからない……っ)

 

 まるで壁だ。

 それぞれ別々の職場から派遣されてきた者達である筈なのに、長年苦楽を共にしてきた戦友であるかのように、見事な連携で――取材対象(なぎさ)を追い詰めてくる。

 

「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○!!」

「××××××××××××××××××××!!」

「△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△!!」

「□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□!!」

 

 彼らの放ってくる言葉の弾丸の意味すらも上手く聞き取れない。

 日本語ではなく、獣の唸り声か何かのように聞こえる。

 

 どれだけこちらを慮るような表情をしていても、声色をしていても――その瞳に、その口元に、その顔色に、滲み出る肉食獣の舌なめずりが隠しきれていない。

 彼等にとって、自分が只の取材対象であり、捕食対象であることが確かな圧力として伝わってくる。

 

(……こんなのと日常的に戦ってるんだ。……政治家とか芸能人って大変だな)

 

 渚が最早、一歩も前に進めなくなった時――マスコミの壁の向こう側から騒めきが届いた。

 

「ほら! 退きなさい、近所迷惑よ!」

「な、なんだ! 我々は知る権利の元に正当な取材を――」

「中学生の登校を妨害しておいて何が権利よ! 文句があるなら(わたしたち)に言いなさい!」

 

 そう言って、マスコミの中を掻き分けて、渚の前に辿り着いた女性は。

 引き連れてきた同じようにスーツを身に纏った――ごく普通のビジネススーツを身に纏った屈強な男達によって、マスコミの海の中に、大きな車への道を作った女性は言う。

 

「我々は防衛省です! 今後、潮田渚くんを始めとするGANTZメンバーに対しての取材を行う際は、国を通してからお願いします!」

 

 渚は、そう声を張ってマスコミ達を威圧する――昨日も会った、その若い女性の横顔を見上げながら言う。

 

「…………園川、さん?」

 

 園川雀。

 昨日、烏間惟臣と共に椚ヶ丘学園3年E組を訪れ、渚と三者面談を行った、弱冠二十五歳にして、日本最強の男の相棒にまで上り詰めた才女が。

 

「――おはよう渚くん。迎えに来たわ」

 

 一緒に学校まで行きましょう――そう言って、マスコミの怒号の中を颯爽と歩き出し、渚を国用車へと導く。

 

 いきなりの展開に呆然としながらも、渚は鞄を胸に抱きながらその後に続き、ふとこんな言葉を呟いた。

 

「……あ、あの――烏間さんは?」

 

 昨日、渚を首相官邸へと送り届けてくれたもう一人の顔と名前を知っている人物が、どうしてここにいないのかと何となくそう思って問い掛けた渚の言葉に。

 

 園川は渚の方を見ずに、ただ、「――もうすぐ会えるわよ」と、そう言った。

 

「烏間さんも、今――椚ヶ丘学園にいるから」

 

 そして、渚は園川に先導されながら、よくニュースなどで見かける要人を乗せる為の胴長の車(これがリムジンというものだろうか)に、恐縮するように小さな体を更に縮こませながら乗り込む。

 

 だが、車内には同様に、小さな体を縮こませながら乗り込んでいる子供の――中学生の先客がいた。

 渚は――彼女の姿を見て、高そうなシーツに座り込む前に驚きの声を上げる。

 

「か、神崎さん!?」

 

 一昨日の夜の――池袋大虐殺において。

 

 渚が黒いスーツを身に纏っている状態で遭遇し、炎に萌える――否、燃えるビルディングの中で共に死地を乗り越えたE組(エンド)の同級生。

 あの戦争の後に入院していた為に、会うのはあの夜以来となる、クラスの憧れのマドンナである少女。

 

 神崎有希子は――入院着ではなく、派手な軽い服装でもなく、渚にとっては見慣れた椚ヶ丘学園の制服を身に纏っている彼女は。

 渚と同じく、人生初めてのリムジンでの登校という現状に戸惑いを禁じ得ないのか、苦い笑いを持って、とりあえず朝の挨拶をした。

 

「お、おはよう、渚くん」

 

 渚は、引き攣った笑顔で、「お、おはよう、神崎さん」と返すことしか出来ず。

 

 このまま二人は、小さな体を縮ませたまま、大きな車内で苦笑いしながら登校することとなった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 椚ヶ丘学園――理事長室。

 

 高度成長教育を掲げる全国でも有数の中高一貫進学校。

 その創立者にして支配者たる怪物の居城であるこの一室に、日本最強の男は、昨日に引き続き来訪していた。

 

「――こうして同じ人物に続けて会うのは珍しいものだ。さて、本日はどんな要件かな?」

 

 学校法人の経営者に過ぎない筈の男――浅野学峯は、国から派遣された要人を前に、堂々と理事長の椅子にふんぞり返りながら応対する。

 

 そんな理事長に、日本最強の男は――防衛省から警視庁に出向中の身である男は。

 否――たった一日のみの出向を終えて、新たな任務を昨日に請け負ったばかりの男は。

 

 烏間惟臣は――その元来の厳しい表情のまま。

 

「……既に、防衛省から通達済みとは思いますが――」

 

その新しい任務を果たす為に、目の前の学園の支配者に対して頭を下げて。

 

「――本日より、椚ヶ丘学園3年E組にて、体育教師をさせていただきます」

 

 すぐさま顔を上げて、その鋭い猛禽類のような眼のまま淡々と言った。

 

「教員免許は持っていますので、ご安心を」

 

 烏間惟臣の、日本最強の殺気のような威圧感を受けても尚、目の前の怪物は面白そうにただ微笑むばかりだった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――烏間。お前、そういえば教員免許持ってたよな?」

 

 昨夜の【英雄会見】終了後――首相官邸のとある一室にて。

 

 自らが連れてきた――連行してきた潮田渚を、責任を持って送り帰そうと、別室で会見中継を観ながら待機していた烏間の元に、会見が終わってかなりの時間が経ってから――小町小吉防衛大臣が訪れた。

 

 挨拶の後、渚のことを尋ね、既にこちらが手配した“手段”で家に送り帰したと伝えられた烏間に、小吉は唐突にそんなことを問うてきた――烏間惟臣の教員免許の所持の有無を問うてきた。

 

 問いの意図が掴めずに、ただ取得しているという事実だけを答えると、小吉は更に唐突にこう言った。

 

「――烏間。急な話で悪いんだが、明日からお前には椚ヶ丘学園に行ってもらいたい」

 

 期間は、潮田渚が卒業する来年の春までだ――と、小吉は一方的に命じた。

 

 烏間は信頼する上司の有無を言わせぬ命令に、ただ部下として粛々と従い――。

 

「――理由を、お聞かせ願いますか?」

 

 否――烏間は、戸惑うことはなかったが、真っ直ぐに小吉の目を見据えながら、静かにその理由を問うてきた。

 

「…………理由は、勿論、今日の発表があったからだ」

 

 小吉は、有能な部下のその反応に僅かに目を細めたが、元々説明するつもりだったが故に、ソファに腰を掛けながら戸惑うことなく答えた。

 

「元々、今日出席してもらった四人の戦士には、専属の護衛を付けるつもりだった。……昨夜の池袋大虐殺は無修正で生中継されている。『星人』の情報、そして『ガンツ装備』。あの『転送』の技術だけでも、垂涎で狙う者は多いだろう」

 

 無論、世界を征服している組織(CION)背後(バック)についている以上、各国の軍隊や諜報組織が全力で嗅ぎ回る――といったことはないだろう。

 だが、例え世界の首脳に根回しを行おうと、世界には表の公認は得ていなくても絶大な力を持つ裏組織など山のようにいる。

 

 それにCIONの中にも世界初の公認黒衣部隊である『GANTZ』のメンバーに唾を付けておこうと考える者もいるだろう。和人や渚達を通じて、《CEO》や《天子》の覚えが目出度い小吉や蛭間に釘を刺そうと考える者もいるかもしれない。

 

 それに、何より――表立って敵対宣言を行われた『星人』達にとっては、彼らは格好の標的となるだろう。

 

 世間に――世界に。

 顔を、名前を、生命を晒すということは、正しくこういうことなのだ。

 

「彼らは戦士だ。だが、その前に学生でもある。出来る限り、彼らの日常は尊重してやりたい」

 

 烏間は、そんな彼らの日常を奪った張本人である小吉の言葉に小さく眉を顰めたが、何も言わずに続きを無言で促す。

 小吉は、そんな部下の無言の言葉を聞き取ったように言葉を止めるが「……だから、彼らが望む限り、これまで通り学校には通ってもらうつもりだ。そして、渚君と新垣君はそれを希望した」と続けた。

 

 それはつまり、桐ケ谷和人と東条英虎は学生の身分を放棄したということだが、烏間はその点にも追求せず、鋭い眼光で一言一句を聞き取る。

 

 小吉は、己の太い指を絡ませながら、低い大人の声で言う。

 

「故に、登下校を含めた外出時、そして自宅付近での護衛を、渚君には了承してもらった。押しかけるマスコミにも初日だけはカメラを向けられることには我慢してもらい、逆にその時の報道姿勢を問題視させることで抑止力とする。これらも全て了解を得ている」

 

 その根回しの早さに、まるで政治家のようだと、烏間は思った。

 裸一貫で上り詰めた現場主義者で、数多くの戦場で伝説を残してきた男のそんな姿に――だが。

 

 烏間は、その上司のスーツの下の、まるで鎧のような、現役時代から全く衰えていない肉体を見て。

 

(……本当のこの人は、一体……どれなんだ?)

 

 尊敬に値する人だと胸を張って、声を張って言えていた、小町小吉という己が上司の顔が、まるで黒く塗り潰されているような錯覚を、一瞬覚えて。

 

 烏間は――ほんの小さく、目を細めた。

 

「……桐ケ谷和人、東条英虎、新垣あやせに対しても、護衛として相応しい、信頼できる人物を派遣するが――」

 

 小吉は、そんな信頼する部下の視線に気づかない振りをしながら続ける。

 

「――潮田渚。彼に関しては少し厄介だ。彼というより、彼が通学継続を希望している、この椚ヶ丘学園3年E組という場所がな」

 

 お前も直接見たなら分かるだろう――と、小吉は烏間に問う。

 烏間は、ただ深く頷いた。

 

 椚ヶ丘学園3年E組――それは、東京都内にありながら、三百六十度が自然に囲まれた、人里離れた山中に隔離される教室である。

 

 生徒達以外の人気はなく、隠れる場所も豊富。

 狙うに易く、守るに難い――絶好の暗殺スポット。

 

「――俺ならば、まず間違いなく、此処で潮田渚を狙う」

 

 小吉は、いつの間にか広げていた椚ヶ丘市のマップを指差し、言う。

 烏間は、その意見に――無言の肯定を返すことしか出来なかった。

 

 そんな烏間に、日本の防衛のトップは、特殊部隊『GANTZ』の最高責任者は、日本の防衛力の統括者は言う。

 

「だからこそ、俺は椚ヶ丘学園3年E組(ココ)に、日本で最強の防衛力を配置することにした」

 

 お前だ、烏間――と、小町小吉は鋭く睨み据えながら言う。

 

「烏間惟臣特務官。特殊部隊『GANTZ』メンバー・潮田渚、並びにその周辺の『護衛』、そして彼らを狙う刺客の監視、及び撃退を命ずる」

 

 何か質問はあるか――と、小吉は問い返す、が、烏間はそれに頭を振ろうとする。

 

 任務は理解した。

 その重要度も、3年E組を一度訪問してその地形環境を把握していて、何より護衛対象と面識のある自分が適格者であることも、理解した。

 

 断る理由がある筈もない。

 先程の会見を経て、あの危うい少年の近辺に危険が迫りくるであろうことは、誰でもわかる自明の理だ。

 

 潮田渚――彼は既に、日本という国にとって重要な存在だ。

 そんな存在を守るということは、つまりは日本という国を守ることに繋がる。

 

 当然、受けるべき任務だ。果たすべき責務だ。尊敬すべき上司から直接に賜った職務だ。

 

 返す言葉など――たった一つしかない筈だ。

 

「……………!」

 

 絶句――する。

 

 何も言葉が出ないことに、出すべき返答を拒むように――言葉を発せない己に、絶句する自分に絶句する。

 

 そんな自分に誰よりも戸惑っているのは、他ならぬ烏間自身で。

 

「…………」

 

 そんな烏間の胸中を、烏間自身よりも把握しているかのような表情で、小吉は言葉を紡ぐ。

 

「……烏間。お前が現在請け負っている任務――『死神』の検挙についてだが」

 

 小吉の言葉から、『死神』というワードが出てきたことに対し、絶句しながらも瞠目する烏間。

 その部下の様子に、あの烏間がこんなにも分かり易く感情を露わにしていることに、小吉の目は逆に細められる。

 

 だが小吉は、それに対し何も言わず、ただ言葉の続きを烏間に届けた。

 

「一時的に、その任務は凍結する。警視庁への出向もなしだ。明日付で再び防衛省に戻ってもらう。笹塚という刑事とのコンビも解消だ。その連絡は既に俺から総監に伝えてある」

「――っ!?」

 

 今度は、絶句していた筈の己の喉から反射的に言葉が溢れそうになる――そのことに、再び烏間は絶句する。

 

 初めて経験する己の異常に、烏間はただ戸惑うことしか出来ない。

 そんな烏間を細めた瞳で見据えながら、小吉は淡々と宥めるように言った。

 

「だが、お前の任務は先ほども言った通り、来年の春までだ。それ以降は、再び『死神』検挙の任務に戻すことは約束しよう」

 

 あくまで、最優先は潮田渚の護衛だがな――と、小吉は釘を刺すように言うが、烏間はその言葉が耳に入っているのかいないのか、先程までの絶句が嘘のように、喉から勝手に言葉が流れ出てきた。

 

「――ありがとうございます」

 

 それは、何に対する礼なのか。

 

 小吉はソファから立ち上がり「……椚ヶ丘学園の理事長にはこちらから話を通しておく。潮田渚の明日の登校は園川に迎えに行くように言っておこう。お前は明朝、真っすぐに理事長室へ迎え。その他のことは全て、お前に任せる」と、淡々と連絡を済ます――そして。

 

 ガシ――と。

 大きく、ごつごつした――戦士の手を、烏間の肩を揺さぶるように掴んだ。

 

「――烏間。俺はお前を信頼している。……だから、これだけは言っておく」

 

 そして――小町小吉は。

 

 裏の世界で日本最強の称号を得ている男は、表の世界で日本最強の称号を与えた男に向かって、言う。

 

「呑まれるな――頼んだぞ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 烏間は、昨夜に掴まれた肩に重みのようなものを幻覚しながら、目の前に鎮座する浅野理事長を真っ直ぐに見据えた。

 

 浅野理事長は、烏間の言葉を受けながら、椅子を回転させ烏間に背を向けて、滔々と言葉を紡ぎ始める。

 

「……確かに、貴方のE組への配属は小町防衛大臣から直接連絡を受けています。――表の意味でも、裏の意味でもね」

 

 裏――という言葉に、烏間は小さく眉根を寄せる。

 それは殆ど表に出ない変化だったが、浅野理事長はそれを的確に見据え、烏間がどこまで把握しているのかを見抜いて、返した。

 

「――いえ、こちらの話です。何はともあれ、ご自由に。こちらとしても、例えE組とはいえ彼等は私の学び舎の生徒です。生徒の学業と安全を守るのは、教育者として当然の義務ですから。それを最優先でお願いします」

 

 思ったよりも理解のある対応に、烏間は「……本来であれば、潮田渚君だけでも、本校舎の方に通学が出来るようお願いしたいのですが――」と探るように口走ると。

 

「――それは出来ない」

 

 浅野理事長は、小さく笑いながら――殺気を放つ。

 

「彼はE組だ。例外はない。国であろうと、私の教育方針に口を挟むことは許さない」

 

 一教育機関の経営者に過ぎない男が放つ、その殺気を受けて――烏間は、改めて理解する。

 

(……昨日の対面時にも分かっていたことだが……やはり、この男は怪物のようだな)

 

 どの世界にも、どの分野にも、一定の確率で出現する規格外。

 どの世界でも、どの分野に置いてでも、規格を外れることになるであろう――怪物。

 

(……そう。まるで、『ヤツ』のように――)

 

 烏間は目を細めながら「……分かりました。それでは、彼らの護衛計画はE組での環境を念頭に立てさせていただきます」と、そう言って小さく頭を下げて、すぐさま浅野理事長に背中を向けた。

 

 もう用は済んだとばかりに理事長室を後にしようとする烏間に、浅野理事長は「少し待ってください」と、肘を立てて手を組みながら声を掛ける。

 

「……まだ、何か?」

「いえ、折角ですから、ここで顔を合わせて頂こうかと思いまして」

 

 そう言いながら浅野理事長は、ここにきて初めて椅子から腰を上げた。

 

「なんとも奇遇なことに、今日からもう一人、E組に新しく教師が赴任することになっているのです」

 

 彼には、新たにE組の担任になっていただきます――と、浅野理事長は言う。

 

(……この時期に、この時機に――新しい担任だと?)

 

 烏間は半身振り返り、浅野理事長を睥睨する。

 このタイミングで新たな人事など――それこそ、何かあると言っているようなものだ。

 

(俺とはまた別に護衛戦力が派遣された……? 確かに、事の重大さを考えるとそれも有り得る話だが――)

 

 しかし、この男が――この怪物が――この教育者が。

 体育教師ならばともかく、全教科を教えるというE組の担任教師を、護衛戦力に――ずぶの教育素人に任せるだろうか。

 

 例え、国からの命令でも――例え、世界を守る為でも。

 

「言うまでもなく――言われるまでもなく、本来ならばそんなことは、私は決して許しません。例え、国であろうとも、私の教育方針に口は出させません」

 

 そう前置きした上で「ですが、この彼は今日――誰よりも早く、この理事長室で私を待ち構えていました」と、浅野理事長は語る。

 

 今日――早朝。

 この理事長室での、怪物と怪物の初対面を語る。

 

「彼が初め、それを伝えに来た時、私は己の理念の元に――教育理念の元に一蹴しました。例え国でも、例え世界でも――どんな裏を持ち出そうとも、私の学園に手出しはさせない、とね」

 

 そう言った私に――あの怪物はこう返したのです、と、浅野理事長は言う。

 

 怪物の言葉を、怪物の笑顔で。

 

――『それでしたら、私があなたの教育を担うに相応しい能力を示せばいいのですね?』

 

 浅野理事長は、その場面を思い起こしながら、小さく微笑する。

 

「かつて、この私に面と向かって、あそこまで堂々と己が能力を晒す者はいませんでした。……そして、彼はたった一時間で、この私に認めさせるだけの能力を見事に示してみせたのです」

 

 烏間は、目の前の男がどれだけ怪物的な支配者なのかは漠然と肌で感じてはいたが、目の前の男がどれだけ怪物的な教育者なのかを理解しているかといえば、首を横に振らざるを得ないだろう。

 

 故に、十全と理解出来たわけではない。だが、これは紛れもなく異常で、偉業なのだ。

 

 この浅野学峯に、たったの一時間で、己が学園に置いて全教科を教壇に立って教えることが出来ると、そう認めさせるということが。

 氏素性すら明かさず、教師の経験どころか免許すら皆無な、そして明らかに裏に思惑を持っていると隠そうともしない不審者が――浅野学峯に、優秀な教師として認められるということが。

 

 どれほどの異常で、どれほどの偉業なのか。

 どれだけの怪物で、どれだけの規格外なのか。

 

「――彼には、すぐそこで待機させてあります。あなたはE組の場所を知っていましたね。ついでといっては何ですか、顔合わせを済ませた後、彼をE組へと案内していただけると助かります」

 

 これからは、同じ職場で働く同僚となるわけですから――と、浅野理事長は「――入りたまえ」と、扉の外で待機していたという、烏間の同期となる、椚ヶ丘学園3年E組の新たな担任を呼び出した。

 

 その男は、ノックもせずに静かに扉を開けた。

 

 現れたのは――ガスマスクを付けていない、初めて見る顔の美男子だった。

 

 恐ろしく整った、いっそ少年にすら見える程に穏やかな顔立ち。

 艶やかな黒髪。すらっとした体躯。そして――見る者の警戒心を無条件で剥がす微笑み。

 

 烏間惟臣は、初めて見るその男に――確信した。

 

「――おま――え、は――ッッ!?」

 

 烏間は反射的に懐に手を伸ばし――二人の怪物は、それぞれ怪物染みた、笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「……ふう」

 

 浅野学峯は、自ら淹れたコーヒーを飲んで、文字通り一息を()いた。

 

 今、この理事長室には彼一人しかおらず、二人の新任教師は――日本の表と世界の裏から派遣されてきた二人の規格外の怪物は、仲良く山の上の隔離教室へと向かっている筈だ。

 

(……まぁ、仲良く、というのは多少語弊があるかもしれんがね)

 

 文字通りの、一触即発――戦争一歩手前まで張り詰めていた、先程までの二人の初対面を思い返し、学園の支配者は小さく微笑む。

 

 そして、窓の外から――この本校舎からまるで見世物のように離れた場所にある『エンドのE組』を細めた瞳で見詰めた。

 

(……あの二人は、能力としては間違いなく申し分ない。……E組の生徒の中に『戦士(キャラクター)』が生まれてしまったのは想定外だったが――計算内ではある)

 

 あの黒い球体が無差別に戦士を蒐集している以上、それは当然、起こり得る可能性として検討はしていた――そして、その後の展開としては、考え得る中で最高に近い転がり方をしている。

 

(万が一を考え、“彼”を奴等の懐に送り込んではいましたが――もし、彼らが上手く機能してくれれば、私の生徒達が終焉(カタストロフィ)において、不利益を被る危険性をより抑えることが出来る)

 

 もし、半年後に迎える終焉が――全世界の人間に等しく滅びを齎すという終わりならば。

 浅野学峯は思う――それはそれで、己の教育の理想の一つの形だと。

 

 だが、違う。

 刻々と近づいている終焉は、あくまで現世界の崩壊に過ぎない。

 

 その終焉の中で、利益を得る者、不利益を被る者の選別は、既に始まっている――終わりに向かって、始まっている。

 

 滅んだ世界での伸し上がりを目論む者達がいる。

 壊れた世界での成り上がりを企む者達がいる。

 

 既に、新たな世界での勝者と敗者の選別は、始まっている。

 

(ならば――私は、私の生徒達を敗者にするわけにはいかない)

 

 浅野学峯は、表情を消して睨み付ける――己にとっての弱さの象徴であり、敗北の歴史でもある、あの木造の隔離校舎を。

 

(その為ならば――この教育理念の為ならば、何であろうと利用して見せますよ。……例え、日本最強の軍人でも、例え、世界最強の殺し屋であろうとね)

 

 一人の怪物教育者が、そう己が殺意(けつい)を滾らせていると、背後から緊張気味のノックの音が聞こえる。

 

 浅野学峯は振り返って、立ったままで来訪者に対し入室を促した。

 

「――ほう。思ったよりもずっと早いご到着(きかん)ですね」

 

 お待ちしていました――と、浅野学峯は先程までの殺意を掻き消し、笑顔を浮かべ。

 いえ、言葉が違いましたね――と、再び理事長の椅子に腰掛けて、がちがちに緊張している彼女に向かって、それを解すような声色で言った。

 

「――お帰りなさい。あなたの席は、ずっと用意してありましたよ」

 

 そう言って、浅野学峯は、三人目の新任教師を――否、その復職教師を迎え入れた。

 

 椚ヶ丘学園3年E組――その、副担任の教師として。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「やばいやばいやばいよぉ~」

 

 木造校舎の軋んだ音が響く廊下を、どたどたと走る音。

 ふわふわの髪の美少女が、まるで食パンを咥えて曲がり角に突っ込むかのように焦りながら、何とか始業のベルが鳴るよりも前に教室の扉を開けることに成功した。

 

「セーフっ! 間に合った? 間に合ったよね!?」

「セーフだよ。ほら、汗拭いて」

 

 ありがとー! ――と、ふわふわ髪の美少女――倉橋陽菜乃は、一緒に走って登校してきた凛とした女生徒――片岡メグが横から差し出したタオルで汗を拭いた。

 

「おはよう。片岡が遅刻ギリギリなんて珍しいな」

「あ、おはよう、磯貝君。……うん、なんていうか」

 

 片岡は自分もハンカチで汗を拭っている時に、横に現れた爽やかなイケメン少年――磯貝悠馬の言葉に、恥ずかしげな笑みを浮かべながら、それを苦笑いに変えていると。

 

「山の入口の所に、すっごいカメラがいっぱい居たんだよ! なんか、警察? みたいな人達が引き剥がしてくれたんだけど、しつこくってさぁ。メグちゃんが助けてくれなかったら絶対遅刻だったよぉ」

 

 なるほど、と、磯貝は苦笑いで理解した。

 実際、自分達が登校してきた時も、山の前で幾つものカメラが誰かを待ち伏せるようにして陣取っていた。

 

 本校舎との分かれ道から逸れて、山へと――つまりはE組へと向かう生徒だと分かると、まるで草食動物を追い詰める狩りをする肉食獣が如く、目の色を変えて飛びかかってきた。中には飢え過ぎて本校舎の生徒にインタビューに向かうメディアもいたほどだ。

 

「そっか。大変だったな」

「倉橋なんかは露骨にターゲットになり易そうだもんなぁ」

「えぇ~。なにそれ~」

 

 磯貝はそう言いながら、片岡の方を労わるように見つめる。

 きっと取材陣に群がられる倉橋を放っておけなかったのだろうと。片岡はそんな磯貝に苦笑でもって応える。

 

 そして、磯貝の傍にいたチャラい着崩しの少年――前原陽斗は、机の上に腰掛けながら倉橋に言う。

 

 実際、倉橋の小動物然とした可愛らしいルックス、そして素直な言動は、インタビュアーとしては恰好の餌食だろう。

 倉橋にとっては不本意なのか、タオルの中で不満の声を上げているが。

 

 そんな話題はクラスの中のあちらこちらで上がっていて、ここにいる全員が今朝、同じような経験をしたのだと分かった。

 

「……………」

 

 茅野カエデは、そんなクラスを己の机に座りながら観察している。

 本性柄、そういったメディアの気配に鋭い茅野は、彼らがマークしていないだろう入口から山に入って登校してきたので(万が一にも己の正体に気付かれたら面倒なことになると察して)、今朝は彼らのようにカメラに捕まってはいないが、聞こえてくる断片的なエピソードから、奴らが今回の件にどのくらい興味を、ひいては商品価値を見出しているのかは、おおよそ把握できる。

 

(……今のところ、そこまで本腰を入れて“こっち”には興味を持ってはいないみたいね。……やっぱり、SAOの英雄“桐ケ谷和人”や、現役モデルの“新垣あやせ”が、マスコミにとっては本命なのかな。奴らは現役中学生戦士ってことくらいしか渚には注目していない。……でも、このE組の実態がバレたら――)

 

 エリート進学校の隔離された落ちこぼれ生徒による差別学級――そんな現状をマスコミが知ったら、間違いなく食いつく。こういった差別待遇は、奴等にとってはきっと大好物だ。だが、山に向かう生徒がE組生徒だと判明されている時点で、それも時間の問題なのかもしれない。

 

 今のところ、嬉々としてインタビューに答えて、渚の、ひいてはこの学級の情報を売ったといった情報は聞こえてこない――が。

 

(……このE組のクラスメイトのみんなが、そんなことをする人達だとは思えないけど……マスコミ(あの人達)は、自分達が欲しい情報を獲得するプロだ。それこそ、どんな手でも使ってでも)

 

 幼い子供の時分から、彼らと戦い続けてきた雪村あかり――茅野カエデは、そう瞳を細めて思考する。

 

 それに――いくら渚が無害な生徒でも、みんながみんな、渚を守ろうとしてくれるとは限らない。

 

「……茅野さん、大丈夫ですか? 怖い顔してますけど」

「頭でも痛いのか? 保健室に行くか?」

 

 E組の保険室は保険医不在(空っぽ)だけどよ、ベッドくらいはあるぜ――と、眼鏡に三つ編みの気弱な少女――奥田愛美と、リストバンドを付けた野球少年――杉野友人に話し掛けられた彼女は、反射的に茅野カエデの仮面を被って笑顔で手を振った。

 

「ん~ん! 大丈夫! 私もいきなりカメラ向けられて朝からちょっと疲れちゃっ――」

 

 教室の後方から、突如として大きな音が響いた。

 

 各所で咲いていた会話が一斉に静まり、音の発生源に注目が集まる。

 椅子に凭れ掛かり、机を蹴り飛ばした――体がデカく、態度も大きな男子生徒――寺坂竜馬に向かって、クラス中の視線が集中する。

 

「……どいつもこいつもくだらねぇ。ちょっとカメラで撮られただけでスター気取りかぁ? あぁ?」

 

 寺坂は、そう大声で吐き捨てる。

 そんな寺坂にクラスメイトは眉を顰めるが、寺坂は尚も言い募った。

 

「大体、渚が悪の宇宙人と戦うヒーローだ? ハッ、俺らと同じ、エンドのE組の落ちこぼれだぞ、ちょっと考えりゃあ分かんだろ? ヤラセだよ、ヤラセ。あんなだっせぇ服着てテレビに出るだけのバイトだろ? な?」

「あ、ああ」

 

 寺坂は大仰に両手を挙げて嘲笑し、隣に座るへちまのような顔の少年――村松拓哉に同意を求める。

 

 段々とクラスメイト達の視線がきつくなっていくことにも構わず、寺坂は大きな口を開けて言った。

 

「大体よ、その肝心の正義のヒーローさんはどうしたんだ? もしかして、今更あの痛いコスプレ姿を晒したことに死にたくなったんじゃ――」

「――うるさいよ、パチモンジャイアン。イタイのはどっちだよ? ちょっと黙っててくんない?」

 

 寺坂と同じく最後列の、席一つ分のスペースを開けた場所から届いた小さな言葉が、寺坂の嘲笑を止めた。

 

 クラスメイト達の注目が今度はその言葉を放った者――赤い髪の異質な瞳の少年――赤羽(カルマ)に向かって集まる。

 

「――あぁ? カルマ、テメェ、今なんつった?」

 

 寺坂は椅子から立ち上がり、そのままカルマの席の元に行き、その大きな身体で威圧するように見下ろす。

 

 だが、カルマは先程までの寺坂のように、椅子に凭れ掛かり体重を後方に掛けながら、椅子の前脚を宙に持ち上げて――嘲笑する。

 

「ギャーギャー耳障りだって言ったんだよ、聞こえなかったの? リサイタルなら公園の空き地でやればいいじゃん。誰かに聞いてもらいたい寂しがり屋なの?」

「アァ!?」

「大体さぁ、あの会見をやったのは政府だよ? どんな理由があって、渚君をヤラセで公認戦士だって晒すのさ? 現役中学生の、それもあんなひ弱な生徒を表に出したって、叩かれるだけだって誰にでも分かるでしょ? ――脳みそまでゴリラレベルのE組(エンド)でもない限りね?」

 

 そう言って、真っ直ぐにカルマは寺坂を見上げる。

 何もかもを見透かすような、その細い瞳に――寺坂は反射的に歯を食い縛り、言葉を呑み込んで、カルマの机を叩き付ける。

 

「――ッ!! じゃあ、テメェは!! あんな弱っちぃヤツが!! 俺らと同じE組(エンド)の貉がッ!! 正義のヒーローにでもなれたっていうのかッ!! アァッ!?」

 

 潮田渚(アイツ)だけが、このE組(エンド)から――暗い闇の中から抜け出して。

 多くの人々の期待を背負う、華々しいカメラの前の住人に――眩しい光の中の世界に、()れたというのかと、そう叫ぶ寺坂に。

 

「…………………」

 

 先程まで、テレビの迷惑なインタビューを受けたと、どこか浮かれて話していたクラスメイト達は。

 渚を馬鹿にし嘲笑していた寺坂の言葉に、厳しい眼差しを向けていたクラスメイト達は。

 

 中学三年生にして人生が終わってしまったと、絶望に暮れる――エンドのE組の生徒達に戻っていて。

 

「…………そんなに気になるんならさ、本人に聞けばいいんじゃない?」

 

 寺坂が机を蹴り飛ばした時とは、また別の意味で静寂に包まれる教室の、扉が開く。

 

 カルマ達がいる方とは逆側の、教壇に近い前方の扉から入ってきたのは、二人のE組(エンド)

 

 始業のベルが鳴り響く直前に遅刻ギリギリにやってきたのは――水色髪の中性的な少年――潮田渚と。

 そんな彼とまったく身長が同じの艶やかな黒髪のクラスのマドンナ――神崎有希子だった。

 

 身長159㎝の少女が身長159㎝の少年に背負われながら登校してきた。

 

 ぶっちゃけ、おんぶ登校だった。

 

「「「「ええええええええええええええええええええ!?」」」」

 

 張り詰めた沈黙に満たされていた山中の隔離教室は、中学生らしい悲鳴で満たされた。

 

「渚! 昨日のはどういうことだったんだ? 心配したぞ!」

「山の入口にいたマスコミは大丈夫だったのか? あれ、渚目当てだろ?」

「っていうかなんで神崎さんと一緒なの!? なんでおんぶしてんの!? え、なんでなんで? コレ夢!? 悪夢!?」

 

 磯貝が、菅谷が、そして血の涙を流す杉野ら男子陣が渚に詰め寄る中。

 

「神崎さん! もう登校してきて大丈夫なの?」

「池袋の事件に巻き込まれて、入院してるって聞いていたけど」

「ねぇねぇ神崎さん! ……えっと……あの……ごめんなさい何でもないです……」

 

 片岡が、矢田が、そして何故か一瞬だけ現れて日和って退散した杉野ら女子陣(+1)が有希子に詰め寄る中。

 

「……………………」

「よかった。渚君も神崎さんもお元気みたいで――茅野さん? どうかしたんですか、茅野さん?」

 

 奥田が無事に登校してくれた二人に安堵し、何故か開口したまま硬直する茅野に戸惑う中。

 

「みんな、何か色々と迷惑と心配を掛けたみたいでごめんね。後でちゃんと説明するから」

「…………渚君……お願い……早く……降ろして」

「ん? ああ、ごめんね。今、降ろすから」

 

 飄々と笑顔で対応する渚。赤面しながら渚の小さな背中に顔を埋める有希子。

 

 渚は、山中ではそんなに恥ずかしがってなかったのに(むしろ出来れば渚に背負って連れて行って欲しいと言ったのは有希子だ。道中は言葉少なげながらかなりご機嫌だった)と首を傾げながらも、集まるクラスメイトを掻き分けて、有希子の席へと連れて行って彼女を降ろした。

 

「っ!? 神崎さん――」

「――その足、大丈夫なの!?」

 

 そして、その時、クラスメイトはようやく、彼女の足に痛々しく巻かれた包帯に気付いた。

 有希子は苦笑いしながらストールを取り出して、それを自分の膝に掛けて言う。

 

「……うん。もうそんなに痛くはないの。お医者さんからは、あんまり歩いたりするのはまだ良くないって言われてるんだけど」

 

 クラスメイトは有希子のそんな言葉を受けて、心配そうな顔を崩さない。(杉野に至ってはさっきとは打って変わって真っ青な顔色に染まっていた)。

 そんな女子陣(+1)に対して有希子が苦笑を深めているのを余所に、渚は有希子の席から離れてた。有希子はそんな渚にありがとうという意味を込めて笑顔を送り、渚は笑顔で返答した。

 

「――渚。ちょっと、ツラ貸せや」

 

 そのまま教室の後方へと移動した渚に、立ち塞がるように寺坂が現れた。

 

「……寺坂君?」

 

 渚は己よりも遥かに大きい男子を見上げる。

 少し前までは、確かに少なくない恐怖を抱いていた相手。見下されていたという自覚もあり、決して得意ではなかった相手――だが。

 

 そんな相手に対し、まるで恐怖も――何も感じないことに、渚は小さな驚きを感じていた。

 

「――――ッ!! 何だよ、その目は――っ!?」

 

 寺坂は、その瞳に対して反射的に渚を掴み上げようとする――が。

 

 渚はそんな寺坂の腕は止めて、もう一方の手の指先で――寺坂の首を突いた。

 

「寺坂君。止めた方がいいよ。……このスーツ、すっごく硬くて痛いらしいから」

 

 そう言って、己の制服の下に纏う“スーツ”を見せながら、まるで邪気のない笑顔を向ける。

 暴力を振るわれかけたことをまるで意に介さず、ただ――殴ると痛いのはそっちだよ、と。意識の波に合わせて、寺坂の昂った戦意すら殺して。

 

 とん、と。優しく寺坂を席に座らせる。

 

 静まり返った教室。

 気が付くと、クラス中の誰もが、渚を見ていた。

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 中でも、緑髪の変幻自在の少女が、黒髪の容姿端麗の少女が、赤髪の聡明叡智の少年が、それぞれ異なった意味の視線を、蒼髪の平凡無害だった筈の少年に注いでいると。

 

 再び、教室前方のドアが開く。

 

「――席に着いてくれ。HRを始める」

 

 昨日までの老人教師ではなく、ここに居る殆どの生徒が見たこともない、がっしりとした体格の鋭い眼光の男が入ってきた。

 

 渚と有希子がその男の登場に対して目配せをする。

 そんな二人に茅野が細めた目を向けて、茅野と同様に男の正体を知っているカルマも鋭い眼差しを男に向けて。

 

 全体的に戸惑いの空気が満たす中、全員が席に着いたところで、学級委員を務めている磯貝が挙手をして起立しながら、男に問うた。

 

「あ、あの……」

「――ああ。前任の永井先生は体調を崩されお辞めになった。よって、今日から新しい担任が、このE組に配属となる」

 

 騒めきがクラスを満たす。今度は片岡が挙手し、男に問うた。

 

「えっと、先生が、新しい担任の方ですか?」

「いや、俺は体育教師だ。防衛省から派遣された烏間という。教員免許は持っているから安心して欲しい」

 

 防衛省という言葉に再び、クラスに混乱が走る。

 烏間は「色々と疑問に思うことはあるだろうが、まずは新しい担任となる男を――君達に紹介させてもらう」と、一度瞑目した後、「…………入れ」と、烏間は低い声で促した。

 

 E組の中に入ってきた新しい担任の教師は――透明な男だった。

 まるで男の身体が透き通っていて、後ろの黒板が見えるような錯覚すら感じる程に。

 

 足音が聞こえなかった。

 真っ白なキャンバスのように白いシャツ。どこにでも売っているかのような無地のジーパン。墨で塗りつぶしたかのような一切の染色もパーマも掛かっていない黒髪。

 

 どこにでもいるかのような装いなのに、今までどこでも会ったこともないと感じる男だった。

 

「――ッ!?」

 

 有希子がそんな男に既視感を覚え、茅野が睨み付ける中――ガタンッ、と。

 

 たった一人――潮田渚は、音を鳴らして立ち上がり、喘いでいた。

 

「………………あ、なた――は」

 

 そんな渚に、烏間と、そしてカルマが鋭い視線を向ける中。

 

 透明な男は――そんな渚に、そしてE組に、小さく微笑んだ。

 

「私は、『死神』と呼ばれる殺し屋です」

 

 静かに、優しく、包み込むような――殺意を放った。

 

「初めまして。私が渚君を戦士にした犯人です。来年には地球は滅びます。君達の担任になったのでどうぞよろしく」

 

 恐ろしいことを平然と言われているのに。意味が分からない言葉を連呼されているのに。

 

 その笑顔と、その声色は、むしろ心を見る見るうちに安堵させていく。

 

 渚は、そんな微笑みを受けて――どすっ、と、倒れ込むように席に着いた。

 

 間違いない。この人は――あの殺し屋(ひと)だ。

 

(――また、会えた――っ!)

 

 渚の瞳に涙が浮かび始める。そんな渚を、茅野は隣の席から複雑な瞳で見詰めていた。

 

「――『死神』。ここでは、そういった技術は使うなと厳命されている筈だ」

 

 教壇に立つ男に、烏間は『死神』のそれとは違う、鋭く冷たい殺意を向ける。

 

 そんな烏間の放つ迫力によって、E組のメンバーはハッと我を取り戻し、背筋を震わす。

 対して『死神』は悪びれもせず「申し訳ありません。最早、これは私の習性のようなものでして」と、滔々と言った。

 

「――先程も言った通り、俺は防衛省から派遣されている。これから話すことは、最上級の国家機密だと理解した上で聞いて頂きたい」

 

 烏間は『死神』の脇に立ち、クラスの前に出て威圧感を込めて言った。

 

「単刀直入に言う。君達に、この『死神(かいぶつ)』を――」

 

 

――殺して欲しい。

 

 




こうして、『死神』はE組(エンド)の教壇に立つ。

そして――授業が、始まる。

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