比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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覚悟を決めた者から引き金を引きなさい。


Side渚――⑥

 

 目の前の男を――殺して欲しい。

 

 そう唐突に言われた、どこにでもいる只の中学生達は、当然のように困惑し――沈黙した。

 

「……どういうことですか? 意味が、分からないんですが」

 

 磯貝が、クラスの声を代弁してそう問う。

 烏間は、最もな質問だとばかりに頷き答えた。

 

「詳しいことは話せない。最上級以上の国家機密だからな。だが、コイツが言ったことはどれも本当だ」

 

『死神』と呼ばれる殺し屋だということも。

 潮田渚を戦士にした犯人だとことも。

 

 そして――地球が来年には、滅ぶということも。

 

「正確には、滅亡予定日は来年の三月だ。君達が中学校を卒業する頃には、今の世界は滅亡を迎えている。このことを知っているのは、各国の首脳――そして」

 

 特殊部隊『GANTZ』のメンバーだけだ――と、烏間は渚に視線を向ける。

 

 そして、それに導かれるように、クラスメイト達の視線も渚に向けられた。

 

「……本当なのか、渚……?」

 

 そう問うてくる後ろの席の杉野の言葉に、渚は俯くばかりで答えられなかった。

 この態度が、この無言の態度が、世界の滅亡という荒唐無稽な言葉が、正しく真実であると示して――。

 

(――違う)

 

 否――渚が何も言えなかったのは、烏間の言葉が正しかったから、ではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

 世界は滅ぶ――それは正しい。

 けれど、それは、来年の三月――ではない。

 

 世界に――来年は来ない。

 

 今年中に世界は終わる。初日の出を迎えることなく滅亡を迎える。

 

 エンドのE組は、卒業を迎えるまでもなく、エンドのまま――世界の終焉(エンド)を迎えることになる。

 

(……この、食い違いは……何? 只の烏間さんの勘違い? それとも、烏間さんは――意味を持って、意図を持って勘違いさせられている? それとも、勘違いさせられているのは――僕?)

 

 昨夜、小町小吉防衛大臣に明かされた――世界の真実。

 恐らくはその一端に過ぎないであろう明かされた僅かな真実の中に、世界の終焉の日――『真なる終焉の日(カタストロフィ)』の日付は、確かに含まれていた。

 

 具体的にどのような滅びを迎えるのかは分からない。

 だが、今年中に世界が終わる――そんな正しくSFのような未来を、末路を、世界中の大人達が本気で信じて、恐れていて、それに向けて動いているということは理解出来た。

 

(……この場合、僕はどっちを信じるべきなんだろう……?)

 

 どっちの言葉を信じて、どっちの期日を信じて、行動するべきなのだろう――向き合うべきなのだろう。

 

 渚は何も言うことが出来ず、恐る恐る俯いていた顔を上げる。

 

 そこには、不安を安堵で包み込んでくれる――『死神』の笑顔があった。

 

「…………………」

 

 渚は、その微笑みに、ただ頷きを持って返した。

 

 その頷きは、茅野以外のクラスメイトには烏間の言葉に対する肯定として受け止められ、クラス内に冷たい動揺が広がる。

 

「だ、だけど、それが、この人を僕達が殺すということに、どうやって繋がるんですか?」

 

 磯貝が、再び烏間に問う。

 動揺するクラスメイトは、その言葉に再び前を向いた。

 

 そうだ――世界は来年の三月に滅亡する、らしい。どうやらそう決まっているらしい。

 

 だが、それが一体、どうして僕達への殺人依頼に繋がるのか――と、そう視線で問う中学生達に、烏間は。

 

「それは――」

「ここからは私が答えましょう、烏間先生」

 

 烏間の言葉を遮って、透明な男が口を開く。

 

「私は――あなたよりも、多くの真実を知っています」

 

 そう、笑顔を持って制する。

 烏間は、無表情ながらも拳を握り、一歩後ろに下がって腕を組んだ。

 

 透明な男は――『死神』は、それに頷き、自らの生徒達となる中学生と向き合った。

 

「まず初めに、世界の滅亡という想像し辛く遠い危機よりも、君達にとってもっと身近な危険に対しての説明をしましょう」

 

 透明な男はよく通る声で、教室の隅々まで届きながらも決して威圧的ではない声色で以て言った。

 

 世界の滅亡よりも、ずっと身近で、もっと分かり易い危険――身の危険について。

 

「先程、烏間先生が仰った通り、私が言ったことは全て事実です。世界の滅亡も。そして――私が殺し屋だということも」

 

 そして、3年E組(きみたち)の担任となったことも――そう、『死神』が口にした時。

 

 遅まきながら、彼等はその状況の異様さに気付いた。世界の滅亡などという大仰な言葉に隠れていた、もっと身近で、分かり易い――身の危険に。

 

「そう。君達はこの私――殺し屋たるこの『死神』が、受け持つクラスの生徒となったのです」

 

 殺し屋が担任の先生になった――防衛省に殺すように依頼された、謎の殺し屋が、僕達の先生。

 

 殺し屋が、己を殺す殺し屋(せいと)を育てる――殺人教室。

 

 その余りに異常な状況に絶句する、未だ殺し屋ではない中学生達に、世界一の殺し屋たる担任は優しく言う。

 

「では、何故――教師ではなく殺し屋たる私が、君達の担任の先生となったのか。まずはそこから授業していきましょう」

 

 そして『死神』は、己の生徒達に背を向け、黒板に相向かいチョークを手に取って、言葉通り、まるで授業を行うかのように説明を始めた。

 

「私がこの教壇に立ち、君達に明かした真実は、この四つです」

 

①自分は『死神』と呼ばれる殺し屋であること。

②潮田渚君を戦士にした犯人であること。

③来年には世界は滅ぶということ。

④椚ヶ丘学園3年E組の担任になったということ。

 

「③については説明をしました。そして、これから①と④について説明をしていくわけですが――これには、②が大きく関わってきます」

 

 順序立てて説明していきましょう――と、四つの項目の内に③を消しながら、それらの項目の横に新たな文字を――“対星人用特殊部隊『GANTZ』”という文字を書き込んでいく。

 

「君達は昨夜の会見は視聴しましたか? 世間では早くも【英雄会見】などと称されているようですが、要は政府によるこの部隊のお披露目の為の会見でした。そして、そこではこんな事実が明かされましたね。GANTZの戦士となることに必要なのは――『才能』だと」

 

 星人に立ち向かい、世界を守る戦士となる為の『才能』。

 最々新鋭の技術で作られた、漆黒の機械スーツを纏うことの出来る――『才能』。

 

「そして、潮田渚君の『才能』を見抜き、『GANTZ』のメンバーへと推挙したのが、この私です。そう言った意味で、私は潮田渚君を戦士にした張本人であり、犯人なのです」

 

 そう言いながら、『死神』は渚の方を見遣り、後ろ手に②の項目を消す。

 クラスの注目が再び渚に集まり、茅野が一人『死神』を睨み付ける中――教室の最後方から、寺坂の大きな声が教壇に響く。

 

「――ハッ! そのモヤシ野郎の、どこにヒーローの素質があるんだ? アンタの目、節穴なんじゃねぇの?」

 

 自らを殺し屋だと宣言し、防衛省の人間のお墨付きすらある危険人物に対し、そう吐き捨てる寺坂にクラスメイト達がギョッとするが、『死神』はそんな中学生の癇癪を笑顔で受け流しながら、滔々と授業を続ける。

 

「昨夜も小町防衛大臣が説明していた通り、GANTZ戦士の才能とは、すなわち『スーツ』に選ばれる才能です。そしてスーツが求める才能とは、屈強な肉体でも、明晰な頭脳でも、類い稀なる運動神経でも、強靭な精神でもない。これらの要因はスーツの性能を引き出しはするものの、スタート地点に立つ上での選別条件ではない」

「……じゃあ、そのスーツが求める才能って何なの?」

 

 再び教室の最後方から、今度は小さな――けれど不敵な声が届く。

 

「肉体でも、頭脳でも、運動神経でも精神力でもない。じゃあ、センセイは渚君の何を見抜いて、あのコスプレちっくなヘンテコSFスーツの目に適うって判断したのさ?」

 

 殺し屋だと自称する男の前で、先程の寺坂に対してと同様に仰け反り、煽りながら。

 ただ目だけは真っすぐに、『死神』に向かって問う――赤髪の少年の言葉に。

 

 透明な男は――透明な笑顔を持って、答える。

 まるで生徒の質問に答える――教師(せんせい)のように。

 

「――殺し屋の才能ですよ」

 

 そう、透明な男は――新たなるE組の担任教師は言った。

 

 世界を守る英雄(ヒーロー)の素質として。無害な透明少年から見出した才能として。

 

 この世で最も恐ろしい殺し屋として、その『才能』を保障した。

 

「私は、GANTZの戦士ではありません――が、これでも世界最強の殺し屋と呼ばれています。GANTZは対星人用と銘打っていますが、それは星人に対抗できる最々新鋭の装備を扱える部隊といった意味であり、星人相手にしか戦えない部隊というわけではない」

 

 共に机を並べて過ごしてきた学友の、到底信じられない才能を暴露されて呆然とする生徒達に構わず、『死神』は授業を続ける。

 そして、黒板に書かれた『GANTZ』という文字を丸で囲んで強調し、再び生徒に向き合いながら言った。

 

「私は、世界最悪の殺し屋を抹殺するという任務を受けた――GANTZの戦士達を差し向けられたことがあります。これまで、およそ四回程」

 

 対星人(ばけもの)用として設立された、世界で最も優れた装備を持つ特殊部隊。

 いわば、世界で最も強い武器を持つ戦士達に――明確に命を狙われたという殺し屋は。

 

 傷一つない顔で、まるで素敵な思い出を語るかのように言った。

 

「けれど、最々新鋭の装備を持っているとはいえ、扱うのはあくまでも人間――そして、その選別条件上、長年訓練を積んだプロと呼べる戦士ばかりというわけでもない。知能の低い星人相手ならばそれでも有効でしょうが、私は殺し屋です。それも世界最強の――世界で最も人間を殺す術に長けた存在です」

 

 殺し屋は――とても綺麗な笑顔で言った。

 

「返り討ちにしました――私は殺されず、彼らを殺しました。だからこそ、こうして皆さんの前に、教師として立っているのです」

 

 殺したと――戦士を、人を殺したと。

 そう目の前の男は、中学生に向かっていっそ誇らしげに言った。

 

 否――その言葉には、誇らしさなど微塵も含まれていなかった。

 ただ、殺したと――当たり前のように、日常を語るように、無色透明に言ったのだ。

 

 故に――だからこそ、恐ろしかった。

 目の前のこの男は、自分達の新しい先生は――そういう人なんだと。

 

 無色透明に人を殺したことを語れる日常を過ごしてきた人なんだと――そういう殺し屋なのだと、段々と理解させられてきて。

 

 先生が殺し屋――そんな身近な、異常な危機に、みるみる危機感を募らさせられて。

 クラスの誰かが唾を呑み込んだ音が聞こえて、急に自らも喉の渇きを覚えた。

 

「そうして刺客を差し向けられ、それらを撃退することを繰り返していく内に――やがてGANTZは刺客ではなく交渉人を派遣してきました。戦争ではなく停戦の誘い――特殊な交換条件を出されたのです」

 

 政府公認の特殊部隊『GANTZ』から、世界最高悪の殺し屋『死神』への、停戦協定。

 

 出された交換条件――正義の戦士と、悪の殺し屋の間で結ばれた、裏取引。

 

 E組(エンド)の担任教師となった男は、それを微笑みながら明かした。

 

「優秀な戦士の育成、及び輩出――それらに協力し、一定以上の成果を上げた暁には、これまでの私の罪歴を全て抹消し、全世界指名手配を解除する、と」

 

 そう、GANTZ(かれら)は持ち掛けてきました――『死神』は、そう語った。

 

 この言葉に対し、E組の中には少なからずの衝撃と、失望があった。

 

 池袋を地獄へと変えた、世にも恐ろしき怪物――『星人』。

 

 昨夜の【英雄会見】を受けて、自分達のクラスメイトも所属する『GANTZ』という組織は、そんな怪物に立ち向かう正義の組織といったイメージを少なからず抱いていた生徒達も多かった――それを裏切られたように、少し感じた。

 

「私はそれを承諾しました。彼らを撃退していく内に、彼らが隠していた『世界滅亡の日』に関する情報も手に入れましたし――ならば、その日までGANTZ(かれら)の中に潜り込み、利用し合うというのも面白いと考えました」

 

 勿論、真っ白なばかりの組織などないのだろうと理解できない程に子供ではいられない年齢だけれど、それでも――こんな黒い取引に、全く失望しなかったといえば嘘になる。

 自分達の手に負えない悪人に対し、正義(ルール)を捻じ曲げ特別待遇で機嫌を取るような、そんな――大人に、失望しなかったといえば、嘘になる。

 

「…………」

 

 烏間は、そんな俯く中学生達を見遣りながらも、自身の肘に爪を食い込ませながら、無表情を貫き。

 裏取引を持ち掛けられた張本人である『死神』は、そんな彼らを細めた目で見渡しながら続ける。

 

「話を戻しますね。そうしてGANTZ(かれら)と同盟関係のようなものを結んだ私は、彼らが持ち掛けてきた交換条件を叶えるべく、優秀な戦士の輩出へと勤しむことにしました。その為にまずすべきと判断したことは、GANTZの戦士となることが出来る優秀な才能の発掘です」

 

 GANTZの戦士となることが出来る才能――すなわち、スーツが求める戦士の才能。

 

「小町防衛大臣が昨夜の会見で仰っていた通り、その詳細な条件は未だ不明です。ですが、これまで何度かGANTZ戦士を差し向けられ、その戦士達を観察してきた先生なりの私見ですが――」

 

 透明な男は、再び黒板に相向かい、その単語を板書する。

 都合四度、GANTZ戦士を撃退してきた、世界一の殺し屋たる『死神』が見出した共通項――それは。

 

「――異端(イレギュラー)性。稀少な性質を持つ者こそ、GANTZスーツは戦士としての可能性を見出す傾向にある、と、先生はそう推測しています」

 

 勿論、全ての戦士がそれを満たすとは限らない。

 そもそもが真実としてスーツが戦士に求める条件など“死人”であるということ以外は皆無な以上、ただのでっち上げ、詭弁に過ぎない。

 

 だが――異端(イレギュラー)性。

 それが“()()()”戦士が持ち合わせる性質――才能であるというのは、『死神』という個人の嘘偽りない私見であることは確かだった。

 

「昨夜の会見に渚君と共に出席した、『桐ケ谷和人』、『新垣あやせ』、『東条英虎』、彼らもそれぞれ、一般人には持ち得ない異端な才能を有しています。そして、私は渚君にも、彼らとはまた違う、独特な素晴らしい才能を見出しました」

 

 それが――殺し屋の才能です、と、『死神』は言う。

 

――『――すばらしい才能をお持ちですね』

 

 渚は、目の前の『死神』に、今と同じ笑顔を向けられながら、そう告げられた下校道を思い出した。

 

 初めてこの人に会った時――初めて、その瞳で、透明な自分を、見つけてくれた時。

 

(僕は――きっと、こうなる運命だったんだ)

 

 潮田渚という人間は――殺し屋になる運命だったのだと、そう思った。

 

「私は、渚君に殺し屋としての才能を見出しました。それは、凡百の中学生――否、世界中の大人達を含めても、一握りも持ち得ないであろう異端(イレギュラー)な才能です。私は、間違いなく彼ならば優秀な戦士に――いえ、優秀な暗殺者(アサシン)になれると、そう確信しました」

 

 そして、やはり渚君(かれ)は選ばれた――『死神』は言った。

 

 エンドのE組は、ただ重苦しい絶句に包まれる。

 そんな中で、ただ二人――『死神』と、潮田渚だけが微笑んでいた。

 

「これで②についての説明は終わりましたね。続いて、①と④に移りましょう。先程言った通り、これには②が大きく関わっています」

 

 目の前の男が①『死神』と呼ばれる殺し屋であること、そして④椚ヶ丘学園3年E組の担任となったこと。

 

 つまり、何故『死神』と呼ばれる殺し屋が、3年E組の担任となったのか、ということ。

 

「先程の説明通り、私は優秀な戦士の育成と輩出をするという契約によって、GANTZから――つまり世界から、執行猶予を得ています。そう、育成と輩出です。決して私の仕事は、優秀な戦士となるであろう人間を勧誘(スカウト)することではないのです」

 

 優れた才能を見出すことは、あくまで必要な下準備でしかありません――と、『死神』は言った。

 

 自分の仕事は、ダイヤの原石を発掘することではなく、一級品のダイヤの宝石を提供することだと。

 

「適当な戦士(ハズレ)を宛がわれて、それを育てろなどという仕事を請け負うつもりはありませんでした。才能もない戦士を寄越されて、育てられずに任務失敗などとされて殺されるのはごめんでしたからね」

 

 まぁ、易々と殺されるつもりなどありませんが――そう言ってクスッと笑い、『死神』は尚も続ける。

 

 堂々と手を開き、目の前の生徒達に向けて――語る。

 

「故に、私はE組(ココ)を、私の教室とすることにしたのです。どうせ育てるのならば、私が見出した才能のある戦士がいい」

 

 此処を、この教室を、椚ヶ丘学園3年E組を。

 己が手で、戦士を、暗殺者(アサシン)を育成する――『教室』とすると、『死神』は宣言する。

 

「タイミングもちょうどよかった。池袋大虐殺によって、政府は渚君達を表に公表せざるを得なくなった。だがそれは同時に、渚君達の日常世界を脅かされる危険がついて周るということになる」

 

 潮田渚の日常世界――つまり、椚ヶ丘学園3年E組。

 それは、この3年E組が脅かされる――戦場となる危険性があるということ。

 

(……っ! ……そうか。僕が、不用意に通学を続けたいなんて言ったから……みんなを危険に晒すことに――)

 

 己の浅慮を悟った渚は、ギュッと小さな体を縮こませる。

 

(…………渚)

 

 それを、隣の席から茅野が心配そうに見つめていたが、『死神』はそれを一瞥すると「よって、政府は護衛を派遣せざるを得ない。烏間先生もその一環でしょう。ですが、折角のこの山中の隔離学級。この環境を利用しない手はない」と、尚も己の計画(プラン)を語り続ける。

 

「つまり――殺し屋の私が、E組(ココ)に担任として、教師として派遣された理由――それはすなわち、此処で私が渚君を育成する為です。護衛として、そして教官として――彼をより優秀な戦士として育て上げ、世界を守る英雄として輩出する為に」

 

 潮田渚――彼という戦士の為に、世界はこれだけ特別扱いをした。

 防衛省のエリートを体育教師として派遣し、世界一の殺し屋を担任教師として斡旋した。

 

 たった一人のE組生徒(エンド)の為に、一夜にしてこの教室は生まれ変わった。

 

 昨日まで――いや、ついこの間まで、世界から見捨てられ、世間から弾かれた、同じ落ちこぼれだった筈なのに。

 

 一緒に、終わっていた、筈なのに。

 

「………………」

 

 それは、とても異常で、とても異様な待遇だ。

 

 中学生の身の上で、見たこともない怪物と戦わされる。

 防衛省の元軍人と世界最悪の殺し屋の指導の元、世界を守る英雄としての責務を負わされる。

 

 きっと、とても重圧で、危険で、苦しい立場である筈で。

 

 でも――彼等は、E組のクラスメイト達は、確かに思った。

 

 とばっちりで危険な立場に置かれて、本当ならば恨み言の一つでも吐き捨てて然るべきなのに。少なくとも、渚本人はそれを覚悟し、申し訳なく思っているのに。

 クラスの大多数の生徒達は、渚の方を向かずに――そっと、俯き、思った。

 

 なんで――僕じゃ、俺じゃ、私じゃないんだと。

 

 少なくとも彼らにとっては、星人やら何やらに身を狙われる危険よりも、殺し屋が担任になることよりも、世界の滅亡よりも――ずっと。

 このクラスに澱み、充満する――E組の闇の方が、ずっと分かり易く恐怖だった。

 

 例えどんな重く、辛く、苦しい立場であろうとも――カメラの前で、光の中に進出した、闇の中から抜け出した同胞(クラスメイト)が、羨ましくて堪らなかった。

 あの黒衣(スーツ)が着たいと、拳を握り、唇を噛み締めずにはいられなかった。

 

 微笑みながら、見透かすように――『死神』は、そんな彼らの耳元で囁くように、言った。

 

「そして、どうせならば――と、先生は“君達”も育てることにしました」

 

 男は、教壇から降りて、生徒達の元に歩み寄った。

 

 咄嗟に烏間は身構える――が、『死神』は、無言で危害は加えないと伝え、歩み出す。

 

 一番前列の生徒達――磯貝悠馬の、倉橋陽菜乃の元に近づいて。

 

「一目見て気付きました。E組(きみたち)は――素晴らしい」

 

 そう言って、彼らの頭を撫でる――まるで、触手のように優しい手つきで。

 一歩、一歩と、中学生の抱える深い傷を、そっと労わるように、癒すように。

 

 矢田桃花の、三村航輝の――そして、ニコッとこちらに笑いかける神崎有希子の、目をしっかりと見つめながら。

 

 世界一の殺し屋は、『死神』は――保障する。

 エンドのE組の生徒達の、世界に、世間に見捨てられた少年少女達の存在を。

 

「渚君に負けず劣らない、稀少な才能を持った逸材で溢れている」

 

 千葉龍之介の、奥田愛美の瞳を真っ直ぐに見据えてそう断言した後、『死神』は教室の最後方に達した。

 

 こちらを怯えるように睨み付けてくる寺坂竜馬に微笑み返した後――『死神』は赤髪の少年と目が合った。

 一際輝く異彩の才能――赤羽(カルマ)と見詰め合って、『死神』はそっと彼の頭を撫でる。

 

 触手のように、蝕むように。

 

「君達がGANTZの目に適うかどうかは保障できません――が、先程も言った通り、世界は来年には終わります。今の世界の階級(ランク)は、新しい世界では何の意味も持たない」

 

 最底辺(エンド)の人間が、最頂上に上り詰めることも可能なのです――と、『死神』は。

 

 菅谷創介の、そして杉野友人の肩に手を置きながら歩みを進める。

 

「殺し屋の私でさえも、GANTZは利用価値を見出せば登用します。……つまり、この学級で才能を育てれば、君達にもまだ人生を逆転することが出来るチャンスが生まれる」

 

 そして、『死神』は潮田渚の元に辿り着き、優しく微笑み、その水色の頭を撫でる。

 

 嬉しそうに微笑む渚に笑みを返し――そして、その隣の席から殺意を持って睨み付けてくる、茅野カエデに対して。

 

「何よりも、これから世界は滅びへと向かう。星人の動向も活発となるでしょう。最早、世界に絶対に安全な場所など存在しない。自分の身は、自分で守れるようにならなくてはならない」

 

 そう断言し、足を進めて、その手を――前の席の片岡メグの頭へと伸ばし、前原陽斗の肩を叩いて、教壇へと帰還して。

 

 再び――3年E組を、エンドの生徒達を見渡して、宣言し――宣誓する。

 

「その為の――この『死神教室』なのです。私が皆さんを、何処に出しても恥ずかしくない、一流の暗殺者(にんげん)へと育て上げて見せましょう」

 

 クラスが、再び沈黙に包まれる。

 

 だが、顔を俯かせている生徒は、最早、誰もいなかった。

 皆、この異常な先生の顔を真っ直ぐに見上げて、その一言一句に心を揺り動かされている。

 

 茅野が、カルマが、それぞれ別の意味で目を細めていると――烏間が小さくその口を開いた。

 

「……無論、防衛省(われわれ)も当初は反対した。だが、このE組という場所が、とかく刺客に狙われやすい立地条件であることは――確かなのだ」

 

 その表情は、硬いながらも苦みが走っていることは皆が分かったが、それでも、その言葉は『死神教室』の開講を否定するものではなかった。

 この異様で異常な教室に、日本という国が認可を出している――その言い訳のような釈明だった。

 

「我々も力の限りの護衛に努めるが、過剰な戦力の導入は却って敵を呼び寄せることにも繋がりかねない。無論、君達が望むのならば転校などの処置は許可をする――が、せめて、この説明を最後まで聞いてから判断して欲しい。国も、この『死神』に好き勝手にやらせるつもりはない」

 

 しかし、烏間の言葉とは裏腹に、今、このE組に『死神教室』に対する拒絶的な反応は見受けられなかった。

 

 それがどれだけ異常なのか――この異常な教室を受け入れられるのが、どれだけ異常なのか。

 これはつまり、そもそも椚ヶ丘学園3年E組という教室が、どれだけ異常だったのか、如実に露わになった光景ともいえる――と、茅野はそう、無言で思った。

 

「確かに、GANTZは『死神』に対しての執行猶予を導入した。だが、全世界で数々の犯罪歴があるこの男の無罪放免を、未だ許容しない勢力があることも確かなのだ」

 

 それはそうだろうと、茅野はやはりそう思う。

 

 世界一の殺し屋――それはつまり、世界で最も恨みを買っている殺し屋と言っていい。

 例え、GANTZという組織が日本だけでなく世界的な影響力を持っているのだとしても、むしろそんな権力者達からこそ、この『死神』は恨みと、そしてそれ以上の恐怖を買っている筈だ、と。

 

「それを知ってか、この男は、今回のこの『死神教室』――その条件として、このような制限を、そして我々側への対価(メリット)の提供を申し出てきた」

 

 烏間は『死神』を押し退けるようにして黒板の前に立ち、その『死神教室』開講の盟約を列挙して言った。

 

「一つ、生徒達を――決して殺さないこと」

 

 殺し屋が教壇に立つ上で、真っ先に懸念される危険性。

 教師と生徒という関係を構築する上で、大前提となるその項目に、『死神』は何の抵抗もなく同意した。

 

「勿論です。例え、どんな依頼を受けようとも、そして、どんな授業に置いてでも、私が皆さんの命を奪うことはないと誓いましょう」

 

 担任教師となった殺し屋は、腕を組みながら頷き、烏間に続きを促す。

 烏間は、『危害は加えない』ではなく『命を奪わない』という言葉を使ったことに目を細めたが、何も言わずに再びチョークを手に黒板に向き直る。

 

「そしてもう一つは、生徒達に――己を殺す許可を与えるということ」

 

 生徒達に、どよめきが走る。

 

 ここでようやく、話が最初に繋がった。

 

 

――君達に、この『死神(かいぶつ)』を、殺して欲しい。

 

 

「この危険な男を毎日、傍で監視出来ること。そして、三十人もの人間が、この男を至近距離から殺すチャンスを得るということ――それを持って、我々はこの男に、君達に対する教育の許可を出した」

 

 世界一の殺し屋――『死神』。

 この男に、優秀な戦士の育成と輩出――そして、この男の、監視と暗殺、その両方のチャンスを与える教室。

 

 つまり、『死神』を利用したい勢力にも、『死神』を排除したい勢力にも、どちらにもメリットがある状況――『死神』が作り出した、その上で、己がやりたいことを実現させる教室。

 被害を、不利益を被るのは――ただ、そんな異常な男の異様な教育を受けさせられることになる、このエンドのE組の生徒達だけ。

 

(……結局、この人も大人ってことだね)

 

 カルマはそう烏間を睥睨するが、それでも、肝心の他の生徒達の目は、決して絶望に染まってはいない。

 このくらいのことは、元進学校のエリートたるE組生徒ならば気付く者はカルマや茅野以外にもいるだろう。だが、それを差し引いても尚、彼らの心が暗く染まり切らない理由は――。

 

(――そもそも、大人の陰謀に利用されるのは慣れっこだから。大人に失望させられるのは慣れっこだから。そして――)

(――その上で、この暗闇から抜け出せるかもって希望の糸を、目の前に垂らされたから……かな)

 

 茅野は、そしてカルマは、そう冷たく思考する。

 

 エンドのE組にとって、現状こそが最底辺である。

 そこに大人達の陰謀だとか、『死神』の企みだとか積み重なった所で――今更でしかない。

 

 最底辺に、幾らか最悪が重なった所で、終わったエンドな世界は、何も変わらない。

 

 けれど――。

 

「無論、君達への対価(メリット)も提供する」

 

 烏間は、そう生徒達を見渡して言った。

 大人達の醜い陰謀に付き合わせる生徒(こども)達に、せめてもの代価を与えることで――口封じをする、大人としての当然の義務を果たす。

 

「先程も言った通り、付き合えないという生徒には転校の手助けをする。学費諸々は国が負担し、この椚ヶ丘と遜色ない進学校を約束する」

 

 そして、これまでの説明を聞いて尚、我々に協力してくれるというのならば、報酬を与える――と、烏間は言う。

 

「この『死神』を殺した暁には、君達には成功報酬として――百億円を支払うことを約束しよう」

 

 成功報酬――百億円。

 

 それは世界滅亡と同じくらい、いっそ笑ってしまうくらい現実感がなく。

 けれど――それを冗談など生まれてから一度も言ったことのなさそうな大人が、大真面目で口にすることで、却って説得力が増していた。

 

 百億円――それは、世界の滅亡と同じくらい。

 人生が変わる――終わった人生を変えられる、希望(かのうせい)

 

「……この男は、それだけの危険性を持った殺し屋だということだ。全世界の全首脳の中で、この男に暗殺されることを恐れない要人など存在しない程に」

 

 だからこそ、この男は自らの命を対価として晒け出した――烏間は、そう言いたげな瞳で『死神』を見る。

 

 透明な男は、不敵に笑い、それを笑顔で肯定した。

 

「その通り。私は、この教室を開講する上で、君達に私を殺す許可を与えた。君達は、百億の為に私を全力で殺しにきなさい。私は、その上で――君達を一流の暗殺者(にんげん)へと育て上げてみせましょう」

 

 先生が生徒に殺し(生き)方を教え、生徒が先生を殺すことでそれを磨く――『死神教室』。

 

「勿論、先生はそう簡単に殺されるつもりは毛頭ありません。来年の三月まで、一緒に楽しく殺し殺され青春を送り、世界の滅亡を迎える予定です」

 

 その時、君達は百億以上の価値のある暗殺者(にんげん)へと堕落(せいちょう)していることでしょう――『死神』は、そう言って、触手のような両手を広げる。

 

「どんな国の精鋭部隊でも、どんな手練れの殺し屋(ごろ)し屋でも――そして、GANTZでも、この私を殺すことは出来なかった」

 

 それこそ、私ごと地球を殺すくらいのつもりでなければ、私は殺せません――と。

 

 世界一の殺し屋は、堂々と己の生命を晒す。

 

 殺せるものならば、殺してみろと――穏やかな殺意を湛えた瞳で。

 

「それでも、君達を一流の暗殺者(アサシン)へと育て上げるのならば、むしろ私を殺すくらいのつもりで授業を受けてもらった方が、効率が良い。それが、ひいては私の利益へと繋がる」

 

 E組――エンドのE組。

 アイツらは終わったと、そう世界から、世間から見放され、見下される宿命を背負わされた二十六人の中学生は。

 

 目の前の異様な男から垂らされた『死神』の糸を前に、恐怖と――僅かではない希望と共に、唾を呑み込む。

 そんな迷える子供達に、その巨大な鎌を隠そうともしない、『死神』は言う。

 

「さあ、残された一年――いや、もう約半年ですかね。それをどう有意義に過ごすかが、滅亡した後の世界での君達の余生を大きく左右します」

 

 残された時間は――約、半年。

 潮田渚は、その言葉の意味を汲み取り、小さくその両手を握った。

 

「無論、通常通りの義務教育も疎かにはしません。あなた方がこれまで受けてきた、どんな教師のそれよりも分かり易い授業を行うことを約束しましょう」

 

 中学生としての本分も忘れずに、明るく楽しく殺し合いましょう、と。

 異常な教育を宣言する『死神』に、中学生が何も言えずにいる中――『死神』は烏間に向かって言う。

 

「それでは烏間先生――例の物を」

 

 そう――殺意を持って微笑む『死神』に、烏間は一瞬、無言で佇む。

 

「…………」

 

 だが、これは既に国家計画(プロジェクト)――国家命令で動いている、国を守る為の国家事業だ。

 

 例え異常な教育だと理解していても、中学生二十六人の将来より――国の方が、重い。

 

「……分かった。――入れ」

 

 烏間はそう口にする――取り返しのつかないことを口にする。

 その自覚がありながら、覚悟を持って、扉の外の部下達に命令する。

 

 運び込まれたのは――()()()()()だった。

 

「――え!?」

「なに、何!?」

「は――これ、本物!?」

 

 木村が、岡野が、前原が――クラス中が混乱に包まれる中。

 

 まるで教科書を配布するかのように、各人に配られるのは――本物の銃器。

 女子には拳銃(ハンドガン)が、男子には自動小銃(ライフル)が、政府の役人と思しき大人達によって手渡されていく。

 

「――あ、園川さん」

 

 有希子は自分の目の前に立つ、見覚えのあるショートカットの女性の名前を呟いた。

 園川雀は、小さく震え、目を伏せながら――まるでお守りを渡すように、有希子の手に、拳銃を握らせた。

 

「…………ごめんね」

 

 そう言って、他の大人達と一緒に教室を出ていった。

 

 有希子は、その背中を呆然と追いながら、その手に握らされた拳銃(ハンドガン)――GGOでも使ったことのあるSIG P224 SASの感触を確かめる。

 

(……重い。……やっぱり、GGO(ゲーム)とは違う……それに、何より――)

 

――冷たい。

 

 これが、命を奪う道具の重さで、冷たさなのかと――有希子は冷たく思考する。

 

 だが、そんな冷静に銃を見詰めることが出来る者などほんの一握りで。

 悲鳴を漏らして机に置く者、逆に体が硬直して手放せなくなる者などが多発する中――『死神』は、怯える生徒達に向かって言った。

 

「それには、本物の実弾が込められています。明日からの授業では特殊なスタンガン仕様の弾丸を使用しますが、今日はこれを――入学届代わりにしようとします」

 

 エンドのE組の担任は――『死神』と呼ばれる男は。

 堂々と、その命を奪う武器を持つ生徒達に、その生命を晒しながら言った。

 

「この『死神教室』――参加は自由です。私の授業を希望する者は、今、ここで()ってみせなさい」

 

 何の武器も持っていない両手を、触手ですらない両手を広げて――生徒に殺人を強要する。

 

 ただ――その『死神』の微笑みを以て。

 

「私に向かって発砲する。それが入学の条件です。希望しない者は、銃を置いてE組を去りなさい。殺せない者に用はありません」

 

 穏やかな――けれど冷たい、微笑みを以て。

 

 3年E組の隔離教室に――『死神』の殺意を充満させた。

 

「…………………ッッ!!」

 

 誰一人、動けない。

 

 本物の殺し屋の、世界一の殺し屋の殺意を前に、呼吸すらも防がれているような錯覚を覚える。

 

「……先程も言った通り、君達の転校先は、椚ヶ丘と遜色ない進学校を保障しよう。無論、今日聞いた国家機密に対する記憶消去は受けてもらうが、何の実害もないことは保障する」

 

 烏間の言葉も生徒達の耳には入らない。

 ただ『死神』の笑顔と、そして自分達の手の中の凶器の感触だけを感じていた。

 

 ここで――これから先の、人生が決まる。

 

 エンドのまま一生を終えるか、転校先での再起に懸けるか――それとも。

 

 目の前の『死神』が、笑顔でこちらを見ている。

 

「……………………っ!」

 

 一人、また一人と、手放した銃を握り直す。

 一人、また一人と、その銃口を――『死神』に向ける。

 

「……よろしい。ならば、覚悟を決めた者から引き金を引きなさい」

 

 そう言い切って、『死神教室』の始業のベルを――。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「やめてください!」

 

 

 鳴らすのを――阻止するべく。

 

 3年E組の扉を開けて、もう一人の教師が姿を現した。

 クラス名簿を胸に抱いて、白衣を靡かせ、『来日』と書かれた謎のセンスのTシャツに汗を染み込ませて。

 

 銃口を向ける生徒達を背に、『死神』から庇うように。

 

 それは――彼らにとっても、よく知った教師(せんせい)だった。

 

「雪村先生!」

「なんで、雪村先生が!?」

 

 今年の三月――この3年E組が始まったばかりの、ほんの一ヶ月の短い間。

 自分達の担任の先生だった、一身上の都合で退職した筈の教師――雪村あぐりだった。

 

「お――ッっ!」

 

 お姉ちゃん――と言いそうになって、茅野は渾身の力で口を噤んだ。

 どうしてお姉ちゃんがここに、と茅野は――あかりは姉を見るが、あぐりはちらりとあかりと目を合わせて苦笑すると、すぐさま『死神』へと向き直って、睨み付けながら言った。

 

「……どういうつもりですか? 生徒達に銃なんか持たせて! ここは学校ですよ!」

「……あなたは? 私の教育に口を出さないで頂きたいのですが?」

 

 真っ直ぐに己を睥睨してくる女性に対し、その巨乳に一切目を向けず微笑みを返す『死神』。

 あぐりは、「口は出します。私は、このE組の副担任になりましたから」と言って、白衣を靡かせながら言う

 

3年E組(このこたち)は――私の生徒ですから!」

 

 生徒達が、そんなあぐりの言葉と背中に目を奪われる中で――『死神』は、靡いた白衣のその中の、異様なTシャツではなく白衣のタグを見て、おおよその状況を察した。

 

(――なるほど。君の差し金ですか、柳沢)

 

 流石にこうして彼女と自分が椚ヶ丘学園3年E組で、それも担任と副担任として対峙することになったのは偶然だろうが――それこそ運命と呼べるほどに幾重にも重なった偶然の産物だろうが――恐らく『死神(じぶん)』が日本に来ているというくらいの情報は手に入れている筈の男だ。

 昨日の殺し屋に続き、日本(こちら)で動かす駒として派遣したのだろう。

 

(……まさか、それが渚君の元担任とは――不思議な縁があるものですね)

 

 だが、この女性が新たに差し向けられた殺し屋ということはないだろう。

 身のこなしも素人だし、そして何より――彼女は今、生徒に発砲を強要している自分に本気で怒っている。

 

 彼女は殺し屋ではない――教師だ。

 

 だが――それと同時に、彼女は柳沢誇太郎の手先でもある。

 似合わない――脱げていない白衣が、その証拠だ。

 

「――あなたにとっても、ここで『死神教室』が開催される方が、都合が良いのではありませんか? 雪村あぐりさん」

 

 あぐりは、名乗っていない自分の名前を呟いた『死神』に身を竦ませる――そして、次の瞬間には、『死神』はあぐりの耳元に、己の口を近づけていた。

 

「私を監視し、いくらでも報告すればいい。――そう、柳沢に命令を受けているんでしょう?」

 

 そう囁きながら、『死神』は白衣の上から――内ポケットに仕舞っていた、あぐりの研究所のIDカードを叩く。

 白衣のタグから当たりを付けた『死神』は、一瞬でカードを抜き取り、彼女の素性、氏名、そして柳沢の名前を出した時の彼女の筋肉の強張り具合から、その関係性まで割り出した。

 

(混乱――そして、恐怖)

 

 更に、先程の生徒に対する反応、『死神(じぶん)』への怒り。

 それらを考慮し、『死神』はあぐりに静かな声色で囁く。

 

「――そして、ここでならば、あなたは教師を続けることが出来る」

 

『死神』は囁く――あなたに、通常教科の授業を任せましょう、と。

『死神』は囁く――あなたに、『死神教室』に参加しない生徒達のケアを任せましょう、と。

 

「私の教育方針に従わなくても構いません。お互い、各々の教育理念を貫けばいい」

 

 そう言って『死神』は、顔を上げてあぐりを見下ろす。

 

「………………」

 

 あぐりは、俯いたままで閉口した。

 彼女は優秀だ――『死神』の言わんとしていることが理解できない筈がない。

 

 ただ、見て見ぬふりをすればいい。

 お互い住み分けて、役割分担をして、この3年E組を『共用』すればいいだけだ。

 

 あぐりは『授業』をして、『死神』は『育成』をする。

 通常の教育をあぐりが施して、異常な教育は『死神』が担当する。

 

 そうすれば、あぐりは好きな教師の仕事が出来るし、裏で『死神』の情報を婚約者へと流せばそちらも満足させられるだろう。

 どの道、柳沢にとっては自分など、日本における目であり耳でしかないのだから。

 

 上手くやり過ごしていれば、恐ろしい婚約者から離れた日本の地で、好きな教師として過ごすことが出来る。大好きな妹と共に一緒にいられる。

 

 あぐりは、腕を降ろしながら、背後にいる生徒達を見遣る。

 本物の銃を手に持って、混乱を表情に浮かべて立ち尽くす生徒達を。

 

 たった一ヶ月の受け持ちだったけど、全員の顔も名前も忘れたことはなかった。

 そして、その時にはいなかった一人の生徒――髪を染めて、名前も変えて転入してもらった、愛すべき妹と目が合って。

 

――『そして、あかりにも知ってほしいの――学校の楽しさを。きっと、E組なら――あの子達と一緒なら、楽しい一年を過ごせるはずだから』

 

 そう――約束したのだ。

 あかり(このこ)に――学校の楽しさを教えてあげるって。

 

 銃を手に持って、殺意に塗れた異常な学級(クラス)で、学校の本当の楽しさが――伝えられるわけがない。

 姉として、先生として――目の前の『死神』に、屈するわけには、絶対にいかない。

 

 雪村あぐりは再び前を向いて、下ろしかけた両手を広げて、世界一の殺し屋に向かって言った。

 

「……それでも、私は――生徒達に殺しなんて、させたくありませんっ!」

 

 あぐりのその言葉に、烏間は己が肘を握り締める手を強め、そして扉の向こうの園川は唇を噛み締めて俯いた。

 

(…………お姉ちゃん)

 

 そして、まず最初に――茅野がその銃を下ろし、机に置いた。

 

 呼応するように、奥田が、原が、矢田が、銃を下ろす。

 

 片岡が、岡野が、磯貝が、前原が。

 倉橋が、木村が、三村が、杉野が、不破が、岡島が。

 

 次々と銃を下ろし、机の上へと置いていく。

 

 やがて神崎が、そしてカルマが銃を置いた所で――『死神』は嘆息するように言った。

 

「…………なるほど。いいでしょう。ならば、今日の所は発砲はしなくても構いません。戦士の為の暗殺の授業も、希望者だけが受講できるものとします」

 

 あぐりは完全に全ての言葉に納得出来たわけではないが、今すぐに生徒と教師の殺し合いに発展しない妥協点を引き出せたことに、両手を下ろしてほっと息を吐く――が。

 

「けれども、私がここに派遣されたのは、生徒達の護衛も兼ねてのことです。雪村先生を副担任とすることは認めますが――担任はあくまで私ということを忘れずに」

 

 そう言って『死神』は、あぐりに微笑みを向けながら――威圧する。

 あぐりは、ごくりと唾を呑み込みながらも、ぐっとお腹に力を入れて、目を逸らさずに真っ直ぐに見詰めた。

 

「………………」

 

 担任教師は、その副担任の真っ直ぐな瞳に、まるで見たことのないものを見るような目を向けるが。

 

「……あの」

「……なんですか?」

 

 あぐりは、真っ直ぐに『死神』を見据えて――こう問いかけた。

 

「あなたのお名前は何ですか? 『死神』というのは、本名ではありませんよね?」

 

 その副担任からの質問に――担任教師は、微笑みの表情のまま問い返す。

 

「……それは、必要なことですか?」

「え、でも、これからは来年の三月まで同僚となるわけですし……いつまでも『死神』さんだと、物々しいじゃないですか」

 

 何より、生徒が困ります――と、あぐりは笑みを浮かべながら言う。

 

 その、先程までの殺伐としたやり取りが嘘のように――平和な笑顔に。

 確執や主義主張の差異などを乗り越えて、それでも分かり合おうとする笑顔に。

 

 真っ直ぐに己を見てくる笑顔に――誰にも正体を隠し続けてきた『死神』は。

 

「――『殺せんせー』、は?」

 

 そう呟く程の音量で届いたのは、窓際の席の緑髪の少女――こちらを真っ直ぐに、突き刺すような殺意を込めて、睨み付けてくる少女だった。

 見慣れた種類の瞳で、これまでに浴び慣れた種類の眼光だった。

 

「先生、殺せない殺し屋なんでしょう? 殺せない先生――略して『殺せんせー』。どう? 気に入った?」

 

 ニコリとお手本のような笑顔と、極めて軽く明るく話し掛けてくる少女――けれど、その瞳の中の殺意は、姉に近づくなと、言外に容赦なく語っていて。

 皮肉をたっぷりと込められた茅野の命名に、「……いいですね。可愛らしくて」と『死神』――否。

 

「今日から私のことは、『殺せんせー』と呼んでください。たっぷりと、殺意(したしみ)を込めて」

 

 そう、殺せんせーは、3年E組の生徒達に向かって呼びかけた。

 

 殺せない先生――殺せんせー。

 そんな担任教師と過ごす、残り約半年間。

 

 終わってしまった学級(クラス)だった筈の、このエンドのE組に――確かに、大きな変化が訪れようとしていた。

 

「それでは、一時限目のHRはここまでにします。日直の方、号令を」

 

 恐らくは人生で最も長いHRを終えたE組(エンド)達は、これからの学校生活が果たしてどうなるのか、大きな不安と――小さな高揚感を抱いて。

 

 烏間とあぐり、そしてその横に立つ殺せんせーに向かって挨拶をするべく、日直の合図と共に立ち上がる。

 

「――起立!」

 

 日直の――潮田渚は。

 

 そう号令を掛けて――手放していなかった89式自動小銃(ライフル)を構えた。

 

「……気をつけ」

 

 どよめきが走る教室の中、静かにそう呟き――照準を合わせ。

 

「――渚!」

「――渚君っ!」

 

 咄嗟に飛び出そうとするあぐりを烏間が止めて。

 

 茅野が渚を止めようと――動き出す前に。

 

 一瞬瞠目し、そして微笑みを浮かべた――『殺せんせー』に向かって。

 

「――礼」

 

 エンドのE組で――ただ一人。

 

 潮田渚は迷わずに、笑顔で実銃()の引き金を引いた。

 

 

 山中に、乾いた銃声が木霊する。

 

 

 椚ヶ丘学園3年E組は――『死神教室』。

 

 生徒は――殺し屋。標的(ターゲット)は――先生。

 

 入学者は、現在一名。

 

 

 始業のベルは、今日から、鳴り始める。

 

 




 椚ヶ丘学園3年E組――『死神教室』。

 始業のベルは、今日から、鳴り始める。


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