比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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お前達は、娘が地獄に送り込まれるのをよしとするのか。


Side警察――③

 

 千葉のとある駅から程よく離れたオフィスビルのワンフロア。

 

 十数台の机が島を作り、そこから少し離れた窓際の席に、他のそれよりも少しだけ大きな机がある。

 だが、窓際の大きな机以外の島には、机の上には何も置かれていない。それでも、しっかりと清掃は行き届いているのか、埃一つ存在しなかった。

 

 決して狭くはない。

 しかし、次期千葉県知事最有力候補とまで呼ばれている県議会議員の議員事務所としては、想像していたそれよりも遥かに簡素で――言ってしまえば、寂しいオフィスだった。

 

 恐らくは元々、何かの会社が置かれていたフロアなのだろう。

 窓には『スマイルカンパニー』と文字が貼られていた形跡が完全には消されておらず――外側からは見えないようにされているが――内側からはその痕跡が伺える。

 

 職員も殆どいない。

 まるで――時間が止まっているかのようなオフィスだ。

 

「――申し訳ありません。今、職員はその殆どが出払っておりまして。お飲み物はコーヒーでよろしいですか? 安物なので、お口に合えばいいのですけど」

 

 同伴者の男――筑紫候平は、その和服の女性が飲み物を用意してくれていることに恐縮し、立ち上がりかけるが、女性は「好きでやっていることですから。やらせてください」と笑顔で男を座らせる。

 

 彼女は――今、千葉県で最も権力があると噂されている男、雪ノ下豪雪の妻である女性、雪ノ下陽光(ひかり)は。

 オフィス机の島から少し離れた、恐らくは来客との対話用だと思われる、この部屋で最も高級そうな(といっても、あくまでこの部屋の中にある家具の中では、という但し書きが付くが)二つのソファの間に置かれたテーブルに、三つのコーヒーを用意する。

 

 一つは、先程立ち上がった筑紫候平の前に。

 そしてもう一つは、彼——警視庁所属のキャリア組である警察官、笛吹直大(なおひろ)の前に。

 

 そして最後の一つを、自らの夫であり、次期千葉県知事と名高い県議会議員であり、千葉有数から日本有数の会社へと成長しつつある地元企業『雪ノ下建設』の現役社長でもある、笛吹と筑紫の向かいのソファに腰を掛ける男――雪ノ下豪雪の前へと置いた。

 

「…………」

 

 想像していたよりも大きい、大樹のような存在感を放つ豪傑に対し、笛吹はごくりと唾を呑み込む。

 

 そして、妻が淹れてくれたコーヒーを冷めない内にと言わんばかりに、真っ先に手を伸ばして静かに口に含み、ごくりと、長年培った技術を感じさせる腕前で引き出された苦みをしっかりと味わうと、重々しく、その第一声を放った。

 

「――遠い千葉の地まで、よくぞ参られた、警視庁の方々。それで? この一介の千葉人に何の御用かな?」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 昨日――午後六時。

 

 笛吹直大の姿は、永田町周辺を警備する警察隊の指揮車の中にあった。

 

 幾つもの監視カメラの映像が映し出される無数のモニタの一つに、記者会見のテレビ放送の映像が映し出される。

 

 集合を約束した烏間はここにはいない。

 その理由は、映し出された記者会見の席に参列している、『潮田渚』が理由だろう。

 

 潮田渚だけではない。

 笹塚が接触していた『東条英虎』、あの気に食わない探偵少女が何故か出しゃばって接触してきたという『新垣あやせ』、そして、何故か総務省の役人である菊岡誠二郎という男が連行することに成功したという、本命の『桐ケ谷和人』までいるのだ。

 

 だが、ここには――『雪ノ下陽乃』はいなかった。

 自分達の子飼いの部下を送り込み、丸一日捜査をさせたが、彼女の行方の手掛かり一つ見つけることが出来なかった。

 

(……政府は何を考えている? 桐ケ谷和人はまだしも、新垣あやせや潮田渚、東条英虎は、まだ世間的にはその存在も明らかになってはいなかった戦士だ。それでも、こうして公の場に引っ張り出している……。そうなれば、あの時、桐ケ谷和人と一緒にいたあの女はどうしたのだと追及されることになるのは必然だ)

 

 今、この場においては、警察(じぶんたち)も知らなかった衝撃の事実が次々と明らかになり、そちらの方へと質問や疑問を誘導できるかもしれないが、それも長くは保たない。

 渚達と違って、明確に映像として残っている以上、いずれは世間も『雪ノ下陽乃』に辿り着くのは明白だ。

 

(彼女の存在にスポットが当たるのは時間の問題、つまり、彼女が()()()に引っ張り出されるのも時間の問題だ。ならば、何故、初めからここに連れてこない。どうして出し惜しみのような真似をする?)

 

 こうして記者会見を開く事態になった以上、この期に及んでの余計な隠し事は、マスコミに付け込まれる要因にしかならないだろう。

 少なくとも、マスコミがつけると分かっている穴は、事前に防ぐのが定石の筈だ。それが分からない内閣ではない。

 

(まだ二十歳の女子大生を戦士として紹介するのに抵抗があった? 女子高生や中学生を堂々と戦士として晒している上では今更だ)

 

 それをいうなら、今、カメラの前で並んでいる戦士の中では、もし混じるとするなら雪ノ下陽乃は一番の年上だ。

 こうして改めて俯瞰してみると、目の前のモニタの映像が、どれだけふざけたものなのかは改めるまでもなく明瞭である。

 

(……つまり、雪ノ下陽乃に関しては、奴等にとっても想定外の何かが起こっているということか)

 

 勿論、ただ出たくないと少女が駄々を捏ねただけかかもしれないが、それならばその時は、雪ノ下陽乃はそれだけの我が儘を内閣に言える存在か、その程度の強度の支配下にしかいないということだ。少なくとも、問答無用で全ての行動を制御されているといった状態ではない。

 あるいはこんな記者会見の席にも出席できない程の大怪我(ダメージ)を負っているという可能性は――昨夜の映像において片腕を斬り落とした桐ケ谷和人が五体満足で出席しているのを見れば、その可能性は低いだろう。

 

 どちらにしろ、やはり、自分達が付け込むべき次の一手も、やはり――『雪ノ下陽乃』だということだろう。

 笛吹直大は――目の前のモニタを睨み付け、歯を食い縛り、膝を激しく打ち鳴らしながらも、そう、出来る限り冷静な思考を心掛けながら、激情に駆られそうになる己を必死で押し殺しながら、そう結論付けた。

 

 そして、そんな笛吹に切っ先を突き付けるように。

 

 モニタの中で――英雄は宣言する。

 

『「GANTZ(おれたち)」が――世界を救ってみせる』

 

 瞬間――笛吹は、拳をモニタの操作パネルに思い切り叩き付けた。

 

「!?」

 

 周囲のスタッフがギョッとして動きを止め、笛吹を呆然と眺める。

 

「…………」

 

 筑紫が、笛吹の震える背中を痛ましげに見詰める中――笛吹は何かを食い縛るように言った。

 

「――筑紫。撤収だ。残る人員には最後まで気を抜くなと伝えろ」

 

 笛吹はそのまま指揮車を後にしようとする。

 そして、筑紫とすれ違い間際に、他の誰にも聞こえないような声量で伝えた。

 

「烏間と笹塚には、これまで通り『標的(ターゲット)』と接触しつつ、表向きは表の命令を遂行するように伝えろ。勿論、独自に手に入れた情報は共有するように厳命をつけてな」

「……了解しました。我々は、明日からどのように動きますか?」

「明日からではない。今日からだ」

 

 笛吹は、鋭い眼差しで吐き捨てるように言う。

 

「最早、国も警察(うえ)も信用出来ん。これから直接、千葉に向かうぞ。徹底的に一から洗い直す」

 

 我々の標的(ターゲット)は――『雪ノ下陽乃』だ。

 

 笛吹の言葉に、筑紫はただ頭を下げることで無言の了承を示した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 時刻は明朝、午前九時。

 笛吹直大は一睡もすることなく、この対決へと臨んでいた。

 

 昨夜の深夜、まだ暗い千葉の地へと赴いた笛吹が真っ先に向かった場所は――幕張だった。

 笛吹が今回の一連の事件に初めて気付いた、違和感を覚えた事件であり、現代に恐竜が蘇った地である。

 

 池袋と比べると規模は小さいが、それでも数十人の警察官を含めた一般人の犠牲者が生まれた事件であり、黒衣の存在は露見しなかったが、GANTZがその戦争(ミッション)の被害を世間的に隠し切れなくなり始めた事件現場――戦場跡だ。

 

 次に笛吹は、笹塚の報告にあった、千葉における黒服集団の目撃談があった場所を訪れた。

 幕張や池袋と違い、人通りが決して多いとは言えない住宅街の路地ではあったが、塀が尋常ではない形で破壊されており、何かしらの戦闘行為があったことは明らかだった。

 あのPV(プロモーションビデオ)にもなかった戦争――笛吹は、小さな街灯のみが照らすその戦争痕を見て、険しい表情のまま、何かをずっと考え続けていた。

 

 そして――日が昇り、明るくなり始めた頃、笛吹は筑紫にある人物へと連絡を取るように告げた。

 筑紫はその名前を聞き、果たしてアポイントメントが取れるのかを不安視したが、最悪、笛吹はその人物の居場所を突き止めて乗り込むくらいの気持ちでいた――しかし、二人の予想は外れ、電話に出た女性はあっさりと了承し、二人の警察官を迎え入れた。

 

 指定された場所は――千葉のとある駅から程よく離れたオフィスビルのワンフロア。

 半信半疑でオフィスの扉を開けた二人だったが、その中に、目的の人物達は二人っきりで存在していた。

 

 雪ノ下建設の現社長、次期千葉県知事と名高い県議会議員――雪ノ下豪雪。そして、その妻である雪ノ下陽光。

 

 笛吹直大と筑紫候平――二人の標的(ターゲット)である、『雪ノ下陽乃』の両親である。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その巨大な男は、相対するだけで思わず生唾を吞んでしまう程の迫力を放っていた。

 異なる時代、異なる場所であったならば、いっそ『王』呼ぶに相応しい風格であると感じたかもしれない。

 

 例え、場所が簡素なオフィスビルのワンフロアであろうとも、目の前の男から受ける重圧は、警視庁のエリートとして、これまで数々の化物と呼ぶに相応しい、この国を操る上層部の歴々と渡り合ってきた笛吹でさえも、冷や汗を禁じ得ない代物だった。

 

 だが――笛吹は、礼を失する行為だと知りつつも、己を鼓舞する意味も込めて首を締めるネクタイを外し、キッと己を見下ろしてくる豪雪と睨み付けるように目を合わせながら。

 

「――単刀直入に聞かせてもらう」

 

 決して下手に出てはならないと、強気の口調でこう切り出した。

 

「貴様達の長女――雪ノ下陽乃は、今、何処にいる?」

 

 笛吹の言葉に、豪雪は――小さく、一瞬その瞳を細めて、そのまま「……随分と、乱暴な言葉遣いの刑事さんだ」と、ソファに凭れ掛かりながら呟く。

 

「申し訳ありません。こちらの笛吹がご無礼を――」

「いや、構いませんとも。笛吹さん、とおっしゃいましたか――本来ならばあなたは、このように現場に出て直接一般人と言葉を交わすようなタイプの人ではないのでしょう。もっと全体を俯瞰した、指揮官のような形でこそ本領を発揮する方と見える」

 

 ネクタイを緩め、冷や汗を掻き、虚勢を張ろうとする笛吹を、豪雪はその名の通り冷たい眼差しで見遣る。

 思わず唇を噛み締める笛吹に対し「あなたが一番話しやすい口調で構いませんとも。ここには私と妻しかいない。見栄を張らなくてよいのはこちらも同じだ」と、自らも口調を崩し、笛吹に話しやすい空気を作る余裕を見せる。

 

 笛吹は、下手に出てはならぬと強気を示した場で、却って相手の度量の大きさを示されてしまったことに忸怩たる思いを抱くが、豪雪が「それで——陽乃のことだったか」と話の主導権を手放さなかったことで、開きかけた口を再び閉じることとなった。

 

「陽乃は確かにうちの娘だが……何故、警察の方が陽乃のことを? 陽乃は確かにやんちゃだが、警察の御厄介になるようなことをする程、馬鹿な娘ではない筈だが」

「とぼけないでもらおう。一昨日の池袋大虐殺での電波ジャックされた映像に、桐ケ谷和人と共に登場した女が雪ノ下陽乃であることは調べがついている」

 

 豪雪が顎髭を撫でるようにして言うが、笛吹は噛みつくように身を乗り出す。

 そんな二人のやり取りを、筑紫は心配そうに、陽光は日の光のように暖かい微笑みを浮かべてながら眺めていた。

 

「雪ノ下陽乃――彼女の行動記録は、半年前からぱたりと途絶えている。大学にも出席記録はない。しかし、千葉県警に確認を取った所、貴様達からの捜索願も出ていなかった。……これはつまり、両親である貴様らは、雪ノ下陽乃の所在を把握しているということだ。違うか?」

 

 笛吹は公的機関、警察であるという強みを持って入手した情報を武器に、豪雪を問い詰める。

 豪雪は、テーブルの上に出された資料を一瞥し、顎髭を撫でながらふてぶてしく返した。

 

「無論だ。大事な娘だからな。陽乃からは少し大学を休んでやりたいことがあると聞いている。しかし、貴殿の口ぶりからして、あの愚娘は休学届を出すのを忘れていたのだろう。あの子らしくないミスだが、ミスは誰にでもある。後できつく叱っておくことにしよう」

「やりたいことだと? それは何だ?」

「それは答えるつもりはない。娘のプライバシーに関することだ。何かの事件の容疑者となっているならまだしも、これはあくまで任意の聞き取り調査である筈だ」

 

 違うか――と、豪雪は笛吹を見据える。

 笛吹は、一度小さく歯噛みしながらも、足掻くように口を開いた。

 

「あの池袋大虐殺の映像に、雪ノ下陽乃が映り込んでいたのは確かだ。容疑者ではなくとも関係者であるのは間違いがない。昨夜の会見で発表された、特殊部隊『GANTZ』の関係者であることはだ」

「夜闇の中で黒い服を着た、遠目での映像だ。音声も届いていない。我が娘であると断定するには不十分な証拠だ。それに、百歩譲って、陽乃がGANTZの関係者であるとしよう。それならば、我々ではなくGANTZを、内閣を通して事情聴取を申し込むべきではないのか? GANTZは政府が設立した特殊部隊なのだから。少なくとも、一介の千葉人と、警視庁のエリート、どちらが彼等とコンタクトを取り易いかなど、自明の理であると私は思うがね」

 

 豪雪の言葉に、笛吹はより一層、強く歯噛みする。

 そう、あくまでも笛吹達が雪ノ下陽乃を関係者と断定する材料は、あの電波ジャックされた放送映像しかない。

 

 テレビ番組の撮影時のように照明器具などがあったわけではない為、夜闇の中、それも漆黒の全身スーツを着た黒髪の女性ということで、証拠映像として不十分と言われたらそれまでなのだ。

 昨夜の『英雄会見』で正式に顔と名前を晒したわけでもない。つまり、お前達の勘違いだと言われればそれまでだ。

 

 しかし、仮にも己が長女が、化物と戦う部隊の一員として、これ以上なく分かり易い証拠を、不明瞭とはいえ、赤の他人の自分達が見ても分かるくらいの証拠映像を前にして、一切の動揺なく対処している今のこの状況が、笛吹にとっては何よりの状況証拠だった。

 

(間違いなく、コイツ等は雪ノ下陽乃がGANTZと何らかの関係を持っていることを知っている……っ。そして、その上で、警察という力を必要ないと判断しているということだ……っ)

 

 既に政府側に何らかの説得を受けているのか、それとも自分達の独自の力で捜査を進めているのか、いずれにせよ、警察という機関を必要としていない、いや、もっというなら警察機関の介入を拒絶していることは明らかだった。

 

 笛吹は、前傾姿勢のまま手を組み、下から見上げるように、鋭い眼差しで雪ノ下豪雪に言う。

 

「お前達は、娘が地獄に送り込まれるのをよしとするのか」

 

 その言葉に、この日初めて、豪雪は口を閉ざした。

 何よりも、豪雪の隣に座る妻――陽光が、まるで凍り付いたかのように、動きをピタリと止めたのだ。

 

 筑紫がそのことに気付き、目線を動かすのを遮るように、豪雪は低い声で己に注目を戻した。

 

「――何のことだか分からない。……だが、当たり前のことを、当たり前のように言わせてもらえるならば」

 

 雪ノ下豪雪は言った。

 母親のような顔をしている女の隣で、父親のようなことを――堂々と。

 

 

両親(われわれ)が望んでいるのは――常に娘の幸せだけだ」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 ビルを出て、駅へと向かう道中にて、笛吹直大は吐き捨てた。

 

「――クソっ」

 

 季節外れに寒々しいシャッター商店街を、笛吹は荒々しく歩く。

 結局、決定的な手掛かりは何も得られなかった。

 

「しかし、奴らは間違いなく、何かを知っている。雪ノ下陽乃(むすめ)に何が起こっているのかを。そして、それがGANTZに関することだということも。そのことに確信を持てただけでも、こうして千葉に赴いた甲斐があるというものでは?」

「分かっているッ! こうして、我々に分かり易くその確信を抱かせたのだということも! その上で――我々には何も出来ないと、そう突き付けているのだということもな!」

 

 笛吹は足を止め、思わず両拳を握り締めながら、アスファルトの地面を睨み付けた。

 警察という組織の最大の強さ――それは、国から、そして世間からその正しさを認められているということだ。

 

 絶対的な正当性の保証。

 それがあるが故に、ある種の強制力を持って、どんな相手にだろうと主導的に行動することが出来る。

 

 だが、今回、自分達にはそれがない。

 その正当性を保証すべき国が、自分達の後ろ盾になっていない。

 むしろ、あの余裕から見る限り、雪ノ下豪雪(やつら)の背後を盾として守っている疑惑も出てくる。

 

 正当性。組織力。

 およそ警察が持ちうる最大の両翼を奪われている笛吹達には、これ以上踏み込む資格はないと、そう突き付けてくるかのような、極寒の眼差しだった。

 

「……このままで……終われるか……ッ」

 

 笛吹は、食い縛った歯の間から、そう燃えるような言葉を吐き出した。

 

「折角、こうして千葉まで来たのだ。このまま千葉県警へと向かうぞ」

「……しかし、“上”の力は県警の方まで間違いなく伸びています。我々の行動に協力するような人間が見つかるでしょうか?」

「無論、組織だっての協力など期待していない。だが、距離が離れれば離れるほど、その支配力は“末端”にいくにつれて確実に弱まることは確かなのだ」

 

 例え、独断専行の単独行動を起こしているとはいえ、本庁所属の自分達はいつまでも千葉に滞在するわけにはいかない。

 しかし、あの雪ノ下豪雪の態度を見る限り、あの男が、そして雪ノ下陽乃(むすめ)が、重要な手掛かりを握っていることは間違いないのだ。

 

 それに――。

 

「――筑紫。お前にも読ませていただろう。一時、ワイドショーを騒がせてはいたが、直に鎮火したあの事件。……当時は私もよくある地方事件だと深く気に留めなかったが……星人存在が明らかになった今、この事件の見方は一気に変わる」

 

 半年前――この地域のとある進学校の生徒が、同校生徒を大量虐殺するという痛ましい事件が起こった。

 

 結果的に犯人である男子生徒が死体となって発見されたことで幕を閉じたこの事件は、マスコミの大好物である未成年の闇をテーマに数日の間だけ全国規模で話題となったが、直に別の好物にマスコミの興味が移った為に、今となっては地元民の記憶に凄惨に刻み込まれているだけの――警視庁所属の彼等にとっては、よくある事件に過ぎない。

 

 だが、この事件の舞台が――雪ノ下豪雪の次女、雪ノ下陽乃の妹である、雪ノ下雪乃の通う学校――総武高校であり。

 

 当時は極限状態における集団幻覚であると結論付けられていたが――何らかの力が働いて、警察の資料にもほんの一行のみ記されているだけでまるで重要視されなかったことが却って露骨に示されていたが。

 

 ()()()()()()()()()()――と、そう多数の目撃証言があったとなれば、話は変わる。

 

 星人という存在が公表された今日からは、その事件の見方は大きく変わってくる。

 

「調べ直す意味は、間違いなくある。もしかすると、我々にとっての大きな突破口となるかもしれない」

 

 笛吹は再び力強く一歩を踏み出し、筑紫の方を振り向かずに告げた。

ついてこいと、言外にそう示している尊敬すべき小さな背中に、筑紫は笑みを浮かべながら迷わず追従の一歩を出した。

 

 

「私達の次の標的(ターゲット)は総武高校。そして、雪ノ下雪乃だ」

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「彼等の次の標的(ターゲット)は総武高校。そして、雪ノ下雪乃なのでしょうね」

 

 笛吹直大と筑紫候平が出て行った後のオフィスで、コーヒーを片付けながら雪ノ下陽光はそう夫に言った。

 そして、そのまま淹れたてのお替りをついで、ソファに座ったままの夫の隣に、対面のソファが空いたにも関わらず座り込む。

 

 夫――豪雪は、淹れたての味を一口楽しんだ後、隣を向かずにカップの真っ黒な水面を見詰めながら返す。

 

「……あれで、よかったのか?」

「ええ。あなたにしては上出来です。口下手なりに上手くやったと褒めてあげましょう。これで、彼等は私達に疑念を抱きながら、注目を千葉へと注がざるを得ない」

 

 既に、GANTZに関わる物語としては、千葉は限りなく終わった地だ。

 これからの舞台はもっと広く、もっと大きい。そして、これまでとは比べ物にならない程に早く、加速度的に事態は動いていく。

 

「笛吹直大――ですか。思ったよりも有能な方のようでしたが、あなたが言う通り、彼は盤面を見てこそ本領を発揮するタイプといえます。そんな彼をこうして自らを駒として動かざるを得ない状況に置いている時点で、小町さんは上手く表の勢力を抑えていると言っていいでしょう」

 

 無論、それもいつまで持つかは分からない。

 自分の適性など、笛吹は誰よりも己で自覚していることだろう。

 だからこそ、遠からず内に、己で動くよりも動かせる仲間を集めることを始める筈だ。

 

 しかし、事態は恐らく、笛吹が思っているよりもずっと早く、致命的な段階にまで加速していく。

 こうして千葉で時間を無為に過ごしている一日が、取り返しのつかないダメージとして蓄積していることに、彼はいつ気付くことが出来るのか――。

 

「……確かに、大局的に見れば、GANTZとしては、小町小吉としては、終わった地である千葉をいくら調べられようとも、それほど痛くはないのだろう。……だが――」

「――ええ。総武高校大量虐殺事件。あれを調べられれば、J組唯一の生き残りである雪乃に捜査の目が向けられるのは避けられない。私達の娘としての価値も見出すでしょう。……何より――」

 

 陽光は、己も上品にカップを持ち上げて、普段は自分は余り飲まない苦く黒い液体を体内に摂取する。

 そんな妻の所作を眺めていた夫が、ぽつりと代わりにその名を出した。

 

「――比企谷八幡、か」

 

 陽光は、熱い息を吐きながら、細めた瞳で言う。

 

「……ええ。事件の直接的な関係者としては公的には認識されていませんが、雪乃があの事件以降、八幡さんに依存するようになったのは、校内では有名な話です。しかし、今の総武高校では、そのことを覚えている人間は存在しないでしょうし――いえ、葉山隼人がいましたか。ですが、彼はあの事件当時は休学していたことになっていますし、生徒の口から八幡さんのことが警察関係者に漏れることはないでしょう」

 

 陽光はカップをテーブルに置く。

 反対に、豪雪は再びコーヒーの入ったカップを持ち上げながら言葉を返した。

 

「だが、記憶は消せても、記録は消去出来ていない」

「ええ。そして、その記録を捜査出来るのが、警察という組織の強みです。事件から半年が経過していますし、犯人も死亡したということになっているので、早々に大きな捜査が出来るとは思えませんが、それが可能であるというだけでも――予防線を張らない理由にはなりません」

 

 それに――と、陽光はソファから立ち上がりながら、言った。

 

「彼等は間違いなく、雪乃には接触するでしょう。総武高校虐殺事件についての、あの子の記憶を掘り起そうとするでしょう。……あの子にとっての、あの子達にとっての、比企谷八幡についての記憶を、掘り起こそうとするでしょう」

 

 比企谷八幡が、彼女達の平穏を思い、消去させた己の記憶。

 それが彼女達の幸せに繋がるのか、それを陽光は断言することは出来ないが、少なくとも、これから加速していく黒い球体の物語から少しでも引き離したいという願いは共通だ。

 

 そして、何より、自分は、自分達は託されたのだ。

 

――『――雪ノ下達を……どうか、頼む』

 

 彼が、守りたかったものを、代わりに守り通すと。

 彼が愛したものを、彼が愛した場所を――それが、残された自分達の使命だから。

 

「小町大臣と篤さん達と進めている『計画』の為に用意していた兼ねてよりの作戦、当初の予定は二学期が始まってからという話でしたが、決行を早めましょう。――“あの子”は、もう到着しましたか?」

 

 お呼びして参ります――と、いつの間にかそこにいた都築がそう言って一礼すると、再びその姿が一瞬にして消えた。

 

「……いいのか。()()()に借りを作ることになるが」

「構いませんよ。既に借りなど、こうして生きているだけで際限なく膨れ上がっています。敵対することなど有り得ない以上、()()()との関係は繋ぎ留め続けなければならない」

 

 それに――と、陽光は細めた瞳で言う。

 

「――彼女達も、いつまでも無関係ではいられません。CIONが目論む次なる計画(プラン)()()()()()()()()()()戦争(ミッション)が目前に迫っている以上、いつまでも引き籠ってはいられない。そのことも、彼女達は分かっている筈。決断しなくてはならないのです。()()()()()()()()

 

 だからこそ、無理矢理にでも引っ張り出すと、陽光は言う。

 日の光を嫌う彼女達に。人間を恐れる彼女達に。

 

 戦えと――いつか、この場所で、誰かに自分が言われたように。

 

「――お連れしました」

 

 そして、再びドアを開ける音すら悟らせずに、いつの間にかそこに居た都築は言った。

 

 都築の横には、()()()()()()()()()が居た。

 

「よくぞ来てくれました。あなたに頼みがあります」

 

 雪ノ下陽光は、真っ直ぐに少女の目を見据え、毅然とした態度で、一つの星人組織の長たる風格で言った。

 

「あなたに、人間組織への潜入を命じます。組織名は――『総武高校』」

 

 期間は、世界が滅亡するその日までです。

 

 その命令に、少女は間髪入れず否定の意を示した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 少女がオフィスを後にした後、陽光は大きく一息を吐きながら苦笑した。

 

(……あの子を説得するのは骨が折れましたが、とりあえず、これで『計画』は進められそうですね)

 

 そして、窓際の机に向かってゆっくりと歩き、しかし、その椅子を撫でるだけで座ろうとはせずに、再び表情を凍らせて思考する。

 

(しかし……あの戦争に紛れ込ませる為に、あの子はどうしても『二年生』として送り込まざるを得ませんでしたが……雪乃を守る為には、やはり『三年生』の中に、こちらの指示を送ることの出来る駒が必要ですね)

 

 だが、既に陽光が動かせる数少ない人材――化物材は、それぞれ動かせないポジションに配置されている。“あの子”も相当な無理をして呼び寄せたのだ。二度目はないだろう。

 そうなると――と、その時、昨日からたびたび連絡を寄越してくる番号からの着信が、再び陽光の端末を振動させる。

 

(…………確かに、“彼”ならば……下手な行動をされても面倒ですし、いっそのこと――)

 

 陽光は、雪女のように冷たい眼差しで、凍えるような呟きを漏らす。

 

「…………試してみますか」

 

 葉山鷹仁と表示された画面をタッチし、陽光は昨日から初めて、その男からの着信に応じた。

 




こうして、闇に立ち向かう警察官と化物夫妻の攻防は、総武高校へと舞台を移す。

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