この作品での独自設定だと考えてください。
彼はこうして歪んだ日常に帰還する。
俺は自宅の自室に転送された後も、布団を被って枕を噛みしめて、嗚咽が絶対に小町に漏れないように、一晩中泣き明かした。
そして、早朝。
小町が起きてくる前に、置手紙を残して先に登校し――――たと見せかけ、小町が家を出た後、こっそりと家に戻り、タオルを濡らして、それをアイマスク代わりにして、一日中部屋に閉じこもった。
こんな風に泣き腫らした顔を、小町や戸塚――由比ヶ浜に見られたら、変に心配をかけちまう。
それに事情を聞かれたら、今の俺には上手いこと誤魔化す自信がない。
一色には悪いことをした。明日、ちゃんと謝っとかないとな。
それに――――――雪ノ下とも、きちんと話をしないと。
そして、その翌日。
あのミッションから、二日目の朝。
俺はぐっと腹筋に力を入れて起き上がり、大きく深呼吸をして、部屋を出る。
「……うい~す」
「あ、お兄ちゃん!どうしたの!?何回も声をかけても夕ご飯にも起きてこないし!結衣さんから昨日学校来てないってメール来たし!一体何やってたの!?小町的にポイントひっっくいよ!!」
「ひっっくいのか。いや、前の晩に読み込んだラノベが面白くってな。明け方まで読み込んでて、いっそそのまま学校行ってやろうかと思ったけど、登校途中で死ぬほど眠くなって、結局サボタージュ決め込んでそのままずっと寝てたんだ。起きたらAMでビビったぜ」
「……もう、いい年して何やってるの。受験生の小町に喧嘩売ってるの?今日はちゃんと学校行ってよね。……あんまり、結衣さんや雪乃さんに心配かけないでよ」
「…………由比ヶ浜はともかく、雪ノ下は心配しなくても心配なんてしないだろうけどな」
俺がボソッと呟いた言葉に、小町はきょとんとした顔を向ける。
「え?」
「いや、何でもない。分かってる。ちゃんと今日は学校に行くさ。めんどくせぇ仕事もあるしな」
「…………おにいcy――」
「それと昨日の無断欠席の件で、平塚先生から
「あ、おにい――」
バタンと、リビングの扉を閉めて、そのまま玄関へと向かう。
……しまった。つい戯言を口に出してしまった。
また帰ってきてから小町に質問攻めされるんだろうな。どうやって誤魔化すか。さっきのあれだって相当無理があるぞ。
……精神的にはまだ万全とは言い難いか。だが、これ以上はもう誤魔化しは効かない。
これ以上は、逃げられない。
俺は外に出て、そのまま自転車に跨る。
……が、まだ相当時間に余裕があることに気づいて、家から少し離れたところまで漕いだ後、降りて手で押しながら通学路を進んだ。
まだかなり早いせいか、人通りは少ない。
俺はゆっくりと、本当にゆっくりと、通学路を進む。
俺以外、みんな死んだ。
達海も、折本も。――――陽乃さんも。
そして、相模も。
クラスの中心人物で、学校の王子様である、葉山隼人も。
死んだ。殺された。もう、この世にはいない。
俺はかつて、こんなことを考察したことがあった。
あのガンツミッションで死んだら――死んだ人間が集められるあのミッションで、更に死んだら。本当に死んだら。完膚なきまでに死んだら。
この、ガンツによるコピーの命すら失ったら――どうなるのだろうか、と。
行方不明扱いされるのだろうか。
だが、それも長期に渡ると、誤魔化しきれない大騒ぎの大事件になるだろう。
特に、陽乃さんだ。
地元の名家――雪ノ下家の長女が、原因不明の行方不明となったら。例え、大々的に報道されなくとも、あの家が総力を挙げて捜査するに違いない。
そして、そんなことは今までもあったのだろう。ガンツが――あの球体が、メンバー選びにそんな気を遣っているとは思えない。お嬢様だろうが政治家だろうがアイドルだろうが、まさしく無作為で選出しているだろう。
もちろん簡単に、というよりほとんど、あの真実に、あの現象に辿りつける可能性など皆無に等しいとは思うが、それでもガンツは完璧じゃない。決して痕跡を残していないわけじゃないのだ。
なら、答えは一つだ。
そんな前人未到の大量誘拐、大量殺戮を行ってもなお、真実を露見させない手段。
それは、記憶操作。
ガンツが人の記憶を自由に操作できるのは、100点メニュー①が証明している。
もし、その記憶操作の範囲が、ガンツによるコピー体だけでなく、純然培養の一般市民にまで及ぶとしたら。
そんな荒唐無稽なことを、俺はかつて考察した。そして、それはかなり可能性の高い仮説だと思う。
そして、学校に行けば、嫌でもその仮説が検証される。
俺はただ、聞けばいい。
『今日は、葉山はどうした?』と。
俺のようなステルスじゃないんだ。ましてや、あの葉山隼人だ。
クラスメイトに聞けば、確実に何かしらの反応があるだろう。
まぁ、俺にそんな気さくに人に話しかけるスキルはないが、寝ているふりをして耳を澄ましていればいい。
アイツなら一日の中で一度も話題に上らないなんてことはありえない。
それが、昨日――いや、一昨日までだったら、の話だが。
俺は、ぞっとする。
最悪の事態を――だが、かなりの確率で現実となるであろう未来を想定し、ぞっとする。
俺は、その記憶に関する考察をしたとき、さらにこう考えた。
アイツは――ガンツは。あの黒い球体は。
かつて無関係だった――ごく普通の一般人だった俺達を、無理矢理関係者にした。あの部屋の住人にした。あの残酷なミッションのメンバーにした。
“することが出来た”。
それはつまり、誰が、いつ、俺たちのような目に遭うか分からない、ということ。
ガンツの餌食になるか分からない、ということ。
ガンツは、餌食にすることが出来る、ということ。
今はまだ、無関係な一般人を。今はまだ無関係な――世界中の人類全てを。
それは、つまり。
この世界全ての人間が、ガンツの支配下なのではないか、という、こと。
……俺は、かろうじて進めていた歩みを止め、口を手で覆う。
一つの黒い球体に、支配される世界。
そんな中二の頃にハマりそうなSFアニメのような、馬鹿馬鹿しく、荒唐無稽で、失笑必至な仮説が、急速に現実味を帯びる。
帯びて、しまう。
カタストロフィ。
中坊が遺したその単語が、脳裏に
「……本当、冗談じゃない」
俺は、止まってしまった足を、なんとか小さく前に進める。
まったく、どれだけハードモードなんだ。俺の人生は。この世界は。超クソゲーだ。
……誰か、本当に、世界を変えてはくれないだろうか。
「あーーーーー!!!!いたーーーーー!!!!」
ビクッと肩を震わす。
気が付いたら、それなりの時間になっており、しかも昇降口の目の前だった。
うわぁ。よく事故らなかったな。
っていうか、チャリを駐輪場まで持って行かないと。こんな場所までチャリ押してるとかめちゃくちゃ目立ってるじゃねぇか。超恥ずかしい。
俺は、チャリの向きを変えてそのまま駐輪場へと――
「ちょっとちょっとちょっと!!何、無視してるんですか先輩!!」
ちっ。ダメだったか。
「なんだ、俺に用か?……えぇと、
「誰ですか!?一色ですよ、一色いろは!一日会わなかったくらいで名前忘れないでくださいよ!」
いやぁ、お前がこの小説で喋ったのって9話以来だから、ついな。(メタ)
でも、名前ネタはあの川なんとかさんの十八番だったな。そういえば、あの人はこの小説ではまだセリフ……あ(察し)いや、作者は好きなんだけどね、川なんとかさん。
「あ、そうだ!休みと言えば、何で昨日先輩休んだんですか!!おかげで、昨日は――」
「……なんだ?何かあったのか?」
「い、いえ。相変わらずの一昨日と同じような……いえ、先輩がいなかった分、より収拾がつかない感じで。……それに……ええと…………」
「………………」
ただでさえ肩身の狭い思いをしているコイツに、更に寂しい思いをさせてしまったか。俺みたいな奴でも、一色にとっては気を遣わなくていい、いうならば気楽な存在だからな。何も出来なくても、いないよりはマシなんだろう。
俺は一色に対して少しは貢献できているらしいことが嬉しく感じ、無意識の内に一色の頭に手を乗せてしまった。
……一色にそんな思いをさせてしまう程に追い込んだのも俺なので、決して救われたような気持ちにはならないが。なってはいけない。
「――あ」
「悪かったな。ちょっと寝不足でよ。また今日からちゃんと付き合うから」
「や、やめてください調子に乗らないでくださいもしかして口説こうとしてますかごめんなさいまだちょっと無理です」
思わず頭を撫でてしまったら、バシッと手を払われ、電光石火の速さで振られてしまった。
すると、後ろから戸部がやってきた。彼も7話以来のセリフだ。どうやら、あの時のようにサッカー部の朝練終わりに遭遇したらしい。
「ちょっといろはす~。これどこに運べばいいんだっけ~。ってヒキタニくんじゃん。最近よく遭遇するわ~。マジパないわ~」
いや、遭遇するって俺たち一応クラスメイトですよね……。
っていうか一色。お前マネージャーが練習終わりの選手に用具片付けさせるなよ……。そしておとなしく片付けるなよ、戸部。お前確かレギュラーで、そして二年だろ。何をしている一年。
「あ、ああ」
その戸部のあまりの境遇に引いてしまい、思わず挨拶を返してしまう。
そして戸部は、そのリア充得意の距離感の詰め具合で、あっとう言う間に俺と一色の輪に混ざり、会話に加わ「チッ」…………俺は何も聞いてない。聞こえるか聞こえないかくらいの大きさの絶妙の舌打ちなんか全然聞こえなかった。本当だよ。ハチマンウソツカナイ。
「戸部先輩。それはいつもの用具ロッカーに入れておいてくれれば大丈夫ですよ」
「おう、りょうか~い。っていうか、ヒキタニくん昨日いなかったべ。風邪?最近、さぶいもんな~」
「……………………」
俺は無視して駐輪場に行こうかとも思ったが、戸部を見る一色の笑顔があまりに怖いので、それとなく場を和まそうと何か別の話題を考えた。なんで俺がこんなことを。それこそ戸部の仕事だろ。っていうか、一色なんでそんな怒ってんだ。助けろ、はや――
――その瞬間、俺の脳が急速に冷えた。
……そうだな。教室に入ってタイミングを見計らうよりは、この場の方がやりやすいのかもしれない。
俺は二人に気づかれないように小さく息を呑み、そしてさりげなく――俺に出来る精一杯のさりげない話題転換を装って――切り出す。
「そういえば、葉山はどうした?アイツも風邪か?」
二人は、きょとんとして俺の顔をマジマジと凝視し、口を揃えて答えた。
「「“葉山”って、誰(ですか)?」」
+++
俺は朝のにぎやかな空気を壊さない完璧なステルスヒッキーで教室に入る。
教室の中には、いつものようにいくつかのグループで雑談の花を咲かせるクラスメイト達。
――いや、違うな。いつも通りでは決してない。少なくとも、俺にとっては。
教室の端。そこでは――俺の記憶が確かなら――男子と女子のトップカーストのグループが仲良くくだらない会話を繰り広げているのが定番だったはず。
だが、今現在そこにいるのは、獄炎の女王—―三浦優美子、咲き乱れる腐の花びら――海老名姫菜、そして
そして、それだけ。彼女たちは、彼女たち三人で楽しそうに笑い合っている。
その形で完結している。
それが完成品のように。正しい形だというように。初めから、こうだったと言わんばかりに。
俺はその光景を、いつもより更に腐ったどんよりとした目で見ているのだろう。
由比ヶ浜は俺に気づき、こちらに笑顔を向けて――目を見開く。そして、他の二人に何やらしどろもどろ言葉を掛けて、こちらに向かってくる。……今の俺の目はそんなに緊急事態レベルでヤバいのだろうか。
ヤバいのだろう。正直、気が狂いそうなくらいだ。
ふと、由比ヶ浜がこちらに来るまでに、教室を何気なく見渡す。
先程、挨拶を交わした戸部は、優柔不断で定評のある大和と童貞風見鶏で名高い大岡の二人と一緒に――“相模のいない”旧相模グループと仲よさげに談笑していた。……なるほど、そうなるのか。そうなっているのか。
葉山だけでなく、相模の抜けた穴も、きちんと補完されている。
だが、そうなると――
「ヒッキー!」
「八幡!」
マッドパティシエと天使の声が聞こえる。
「おう、戸塚おはよう」
「おはよう、八幡!」
「……………………私は!?」
「おう、いたのか由比ヶ浜」
「さっき目が合ったじゃん!?」
そんな風に由比ヶ浜で一下り作った後、由比ヶ浜はジロジロと、俺を文字通り食い入るように見つめる。てか近い近いいい匂い近い柔らかそうなのが当たりそう近い。
「……近ぇよ、あと近い」
「――え? ちょ!やだ、ヒッキーキモい!!」
「当たり屋かお前」
自分から近づいといてそれは無いだろう。回避不可じゃん。
そんな当たり屋とは余所に、天sごほっごほっ失礼、
「……八幡、大丈夫?そんなに体調悪いの?」
「あ、そうだよ、ヒッキー。大丈夫?小町ちゃんから聞いた理由はくだらなかったけど、今顔色ものすごく悪いよ。本当に体調悪いんじゃない?目もいつもより腐ってるし」
ほっとけ。
――といいたいところだが、実際に気分は最悪だ。それこそ、体調面に影響が出てもおかしくないくらい。
それくらい、今のこの教室は気持ち悪い。
まったく問題がない。だからこそ、吐き気がする程、気持ち悪い。
人が二人いなくなったのに――死んだのに。
問題なく機能する“いつもの日常”が、気持ちが悪くて仕方がない。
はっきり言って、相模も、そして葉山も。
日常生活では、いつもの日常では、俺にとっては背景でしかないモブキャラだった。
会話も交わさない。目も合わせない。同じクラスに押し込まれているに過ぎなかった数十人の一人。
例え過去の何かで幾度か関わっていても、普段の日常パートでは、俺にとっての二人はそんなものに過ぎなかった。
それは同じようにガンツのミッションメンバーになった後でも、大差なかった。少なくとも、この教室内では。
そんな二人が抜けた穴を、問題ないように埋めただけ。別の何かで埋めただけ。
それなのに、ここまで強烈な違和感を感じるものなのか。
欺瞞が、欺瞞ではなくなっている。
欺瞞が、本物とされている世界。そういうことになっている世界。
ガンツがそういう風に支配し、改変した、別世界。
「……いや、戸部がいつも通りうっせぇなって思ってな」
「あ~、“戸部君”?確かに、ちょっと声はおっきいけど、大体いつもそうじゃない?」
「………………」
戸部君、ね。
確か由比ヶ浜はアイツのことをとべっちと呼んでいたはずだが、“今の”由比ヶ浜にとっては、友達ですらなく、ただのクラスメイトってことか。
だが、戸部の方はまるで、少なくとも何度か話したことはあるかのような口ぶりで、俺に接してきた。
由比ヶ浜に戸部とのパイプがない以上、“葉山隼人がいない”この世界では、戸部と俺をつなぐ線がないはずだ。
「…………まぁ、そんな文句言えるような立場じゃねぇけどな。文化祭の後くらいのあれから比べると、この教室も大分過ごしやすくなったんだから」
「…………ヒッキー」
「…………八幡」
二人は悲しそうな顔で俺を見る。
……そうか。相模がいないこの世界でも、俺は文化祭でなにかやらかしたのか。
「…………めずらしいね。ヒッキーがそんなことを言うなんて」
「……そうだな。いや、アイツもようやく飽きたのかな、って思ってよ」
「でも、あれはヒッキーだけが悪いんじゃないよ。あの子も――あれ?」
由比ヶ浜は俺を庇おうとしてくれて――途中で、頭を捻る。
「……あの子って、誰だっけ?」
……そういうことか。そういう風に合わせているのか。
俺は、最後に確認の意味も兼ねて、由比ヶ浜に問いかける。
「……由比ヶ浜」
「あれ~えっと~? ん?何?」
「――雪ノ下の、様子はどうだ?」
俺がそう聞いた途端、由比ヶ浜は難しい顔で悩んでいた顔を、優しくて悲しそうな苦笑に変えた。
「……変わらない、かな?」
「……そっか」
つまり、“ここの”雪ノ下は、“あの”雪ノ下というわけだ。
そのことに、一瞬がっかりした自分がいて、心底自分に腹が立った。
俯いた俺に、由比ヶ浜は恐る恐るといった感じに尋ねる。
「あ、あのさ、ヒッキー。…………“やる事”ってまだ終わらないの?」
俺が、その問いに答えあぐねていた、その時――都合よくチャイムが鳴る。
「……ほら、鳴ったぞ。早く席に着け。戸塚も、わざわざ来てくれてありがとな」
「う、うん。……じゃあ、無理しないでね、八幡」
「………………うん」
そして、自分たちの席に戻る戸塚と由比ヶ浜。
俺は、その背中を見ることすらできずに、廊下側の壁に顔を向ける。そして、ボソリと呟いた。
「…………俺が聞きてぇよ」
本当に、いつ終わるんだ。
俺は、あと何回100点をとればいい。何回あんな地獄に放り込まれればいい。あと何回、あと何回、あと何回。
俺は、いつ、奉仕部に戻れるんだ?――――あの二人を、救うことが出来るんだ?
俺は、いつになったらハニトーが食えるんだ?
いや、そんな日は、本当に来るのか?
世界で一番大事なものも、守りきれなかったくせに。
次回も、この作品における、ガンツメンバーの死亡による現実世界での辻褄の合わせ方の説明回になります。
強引且つ無茶苦茶ですが、今回の作品ではもうこの設定で突っ走ろうと思っているので、ご容赦ください。