比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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説明回後編です。


比企谷八幡は、ついに比企谷八幡を見限った。

 結局、俺は午前の最後の授業をサボった。

 

 あの違和感だらけの空間に、今の俺の精神力じゃ耐え切ることが出来なかった。

 

 俺は人目に付きにくいマイベストプレイスで、寒風の中マフラーだけを巻いて横になり、冬の曇り空を眺めている。

 

 先程の由比ヶ浜とのやり取りで、この世界の辻褄の合わせ方の法則性のようなものが見えてきた。

 

 まず第一に、消えた――死んだ人間に関する記憶は消える。まるで、そんな人物などいなかったかのように。

 その為、その人物がいない場合における一番自然な形に落ち着くのだろう。だから、三浦達は葉山がいないあのグループには興味を示さないし、戸部たちは自分たちと釣合いの取れるクラスカースト第二位の旧相模グループとつるんでいるのだろう。

 

 だが、だからといって今までの、そいつらが遺した行動の歴史は消えるわけじゃない。

 

 記憶はなくなっているが、相模が、そして葉山が起こした行動は、確実にあったことなんだ。

 

 だから、相模は文化祭の実行委員長になって、俺は奉仕部の依頼を遂行するために相模に暴言を吐き、全校生徒の嫌われ者になった――これは変わらない。変わっていない。あの二人のリアクションから見て、間違いないだろう。もしかしたら、公式記録にはまだ相模の名があるかもしれないな。ここで、相模の代わりに別の人物が委員長になったという風に修正されているのなら、由比ヶ浜はあそこでその人物の名前を口にしたはずだ。

 

 そして、それは葉山も同様なのだろう。

 

 だからこそ、これまでの奉仕部の依頼の行動の結果は、純然と残っていて。

 

 俺はいまだに、雪ノ下雪乃から見限られたままなのだ。

 

 ……とにかく、消えた二人は、本当に消えたわけじゃない。消されたわけではない。文字通り、忘れられているだけだ。それもかなり深いレベル――忘れたことを忘れているレベルで。

 

 だから、二人がいない状況で一番自然な状態に落ち着く。――それが、不自然な形であることに気づかない。

 

 ガンツは、そういう記憶操作をしている。

 この形がガンツの限界なのか、それとも何十、何百人分という人物についての修正をしなくてはならないからこういった中途半端な形にしているのかは分からない。

 

 それとも、まだあいつ等は蘇る可能性があるから、こういった形にしているのか。

 

 この世から完全に消してしまうのではなく、あくまで忘れているという形に留めているのか。

 

 取り戻したくば、勝ち取って見せろ。俺にそう言っているのか。……そこまでは少年漫画の見過ぎか。

 

 だが、これはあのガンツの記憶操作だ。

 先程の由比ヶ浜のように、違和感に気づく奴も多いだろう。特に葉山に関しては、強い関心を抱いていた奴も多いだろうしな。

 

 それでも、その程度で思い出せることが出来るような強度ではないはずだ。

 

 もし、何かの拍子で思い出そうとしたら――もしくは、俺が第三者に無理矢理思い出させそうとしたら、その違和感ごと忘れ去るなんて緊急回避を用意していないとは限らない。いや、むしろ俺はそう施されていると仮定する。アイツは機密漏洩に対する策としてはこれくらいするだろう。最悪ガンツの情報をバラそうとした時と同じように頭が爆発するかもな。少なくとも俺は。

 

 ……やはり、あいつ等を完全に取り戻すには、俺がガンツミッションで100点をとり、生き返らせるしか方法はない、か。

 

 その前に俺も死ぬって可能性が一番大きい気がするけれど。

 

 

 チャイムが鳴る。昼休みだ。

 

 俺は、のそっと起き上がり、昼飯を調達しようと腰を上げる。財布は持ってきてあるから、先にマッ缶を調達しに行くか。購買は昼休みの始めは人がわんさか集まってうっとうしいしな。

 

 

 ……強い関心。

 あの人も、葉山以上にみんなの中心で、多くの人間の強い関心を一身に受けてきただろう。

 

 

 だが、それでもアイツ以上にあの人への関心を――強い気持ちを持っている奴を、少なくとも俺は知らない。

 

 

 雪ノ下雪乃も、雪ノ下陽乃のことを、忘れてしまっているのだろうか。

 

 

 そんなことを考えながら、マッ缶を二本購入し、一本を飲みながらマイベストプレイスへと向かっていると。

 

 

 前方から、雪ノ下雪乃が歩いてきた。

 

 

 その手には弁当箱。いつも通り、奉仕部の部室で由比ヶ浜と食べるのだろう。まだ俺には気づいていない。だが、ここは長い一本道の廊下だ。今更別の道に逃げ込んでやり過ごすことは出来ない。

 

『もう、無理して来なくていいわ……』

 

 ……俺は苦笑する。心中で自嘲する。

 いつの間にか、雪ノ下に対して怯えている自分がいる。

 これ以上に見限られるのが、そんなに怖いのか。

 

 もう雪ノ下は、俺に対して見限る程の価値も、見出してはいないだろうに。

 

 雪ノ下が、俺に気づく。

 そして、その仮面をつけた表情で俺に言う。

 

 

「こんにちは」

「おう」

 

 

 そして、すれ違う。

 

 お互いが逆方向に向かって歩みを続ける。背を向けたまま遠ざかっていく。

 

 俺は、雪ノ下に陽乃さんのことを聞くことが出来なかった。

 

 

『八幡。……雪乃ちゃんのこと、お願いね』

 

 

 俺は、なにも出来ない。

 

 あの人の最期の言葉すら、今わの際に託された想いですら、叶えてあげることが出来きそうにない。

 

 俺は。俺の心は。

 何かがポッキリと折れたように、何かがごっそりと抜け落ちたかのように、虚無感と喪失感に満ちていた。痛い位に、何も感じなかった。

 

 あの造り変えられた教室の日常のように、景色が昨日までと――一昨日(おととい)までと違って見える。

 

 まるで、俺一人だけ別の世界に迷い込んでしまったかのようだ。

 

 変わってしまった世界で、俺だけが取り残されてしまったかのようだ。

 

 俺は、本当に比企谷八幡か? あの比企谷八幡か?

 

 お前は誰だ? 俺は誰だ?

 

 いつからこんなに弱くなった? 情けなくなったんだ?

 

 ……いや、むしろ今までが違ったのか。

 

 鍍金(めっき)が剥げただけで。化けの皮が剥がれただけのことで。

 

 元々、比企谷八幡なんて奴は大した奴じゃなかったんだ。

 

 それを俺は、誰よりも知っていた。他ならぬ俺のことだから。

 

 だから、そんな自分を守る為に、誰よりも自分のことを自分で肯定した。誰も認めてくれないから、せめて自分だけは、自分に優しくした。

 

 それに限界がきた。

 

 かつて俺は雪ノ下に自分勝手な幻想を押し付けた自分を嫌悪したことがあったが、あの時とは比べ物にならない失望感だ。

 

 俺は、限界だった。それだけの話。

 

 自分ですら、自分を擁護出来なくなった。ただ、それだけの話。

 

 

 ついに、比企谷八幡は、比企谷八幡にすら、見限られた。

 

 

 ただ、それだけ。

 

 それだけの、当たり前の話。

 

 

 俺は、結局この日、奉仕部には行かなかった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 その日の放課後。

 俺は生徒会室へ直行し、そのまま一色と共にコミュニティセンターに向かう。

 

 前まではコミュニティセンターで直接待ち合わせをしていたのだが、一度すれ違ってまた学校に戻る羽目になったしな。だったら、こうした方が二度手間じゃなくていい。

 

 一色は俺が生徒会室に迎えに来たとき大きく目を見開いて驚いた後、ニヤニヤしながら肘で俺を突いてきた。うぜえ。

 

「もう、先輩ったら~。そんなに一刻も早くわたしに会いたかったんですかぁ~?」

「語尾を伸ばすな、あざといんだよ。いいから、その重たいアピールをしている資料を寄越せ」

 

 そして一色が持っていた資料を掻っ攫い、「さっさと行くぞ」と言って歩き出す。これで荷物持ちだと周りにもアピール出来て、こいつに変な噂が立つこともないだろう。ないよね?

 

 一色はいつもよりも数段機嫌よさげにニコニコしながら俺についてくる。元気いいなぁ。なにかいいことでもあったのかい。

 

 

 道中も、俺と一色はいつものくだらないやり取りを交わした。

 

 なんだかんだでコイツとのやり取りは、それなりに、まぁ、楽しい。

 

 コイツにも負い目はあるし、それ故にこんな面倒くさい行事の手伝いをこうしてしているのだが、しかしコイツがこんな性格だからか、そこまで重く考えていないというのも正直な所だ。第一、コイツが生徒会長に立候補させられたのはコイツ自身にも多分に責任があるし。

 まあ、それでも俺はコイツに頼まれたら、嫌々言いながらも手伝う羽目になるんだろうな。それはコイツが小町に雰囲気が似ているからか、それとも単純にコイツという人間を俺が気に入っているからか。

 

 たぶんあれだ。阿良々木さんにとって戦場ヶ原さんが彼女で、羽川さんのことが大好きで、一緒に死ぬなら忍さんだけれど、一番会話が楽しいのは八九寺なのと一緒だろう。違うか。違うな。

 

 まぁ、でも当たらずとも遠からず、か。波長が合うというか、楽なのだろう。コイツは俺にガンガン素を見せるから勘違いしなくて済むし、俺は基本小町とばっか話していたから年下の扱いには慣れている。きっとかわいい後輩という奴なんだろう。今までそういうのいたことないから知らんけど。

 

 とにかく、何を言いたいかと言えば。

 コイツとの道中のお喋りは、最近いろいろあって大分ヤバい位に消耗しきっていた俺の精神の、それなりにいい回復になったってことだ。

 

 だが、それと引き換えにコミュニティセンターに着くまでに俺は一色に三回程に振られた。解せぬ。

 

 

 

 そして、一日ぶりの会議。

 わずかながら解消したストレスを補って余りある充実したものでした。まる。

 

 ……いや、冗談じゃねぇよ。そりゃあ、人間が一日見なかっただけで見違えるように成長している、なんて幻想は抱いていなかったよ。でも、まさか悪化しているとは思わないじゃん。しかもあの状態から。

 

 なんか、教会の讃美歌とかジャズのコンサートとかの意見を掘り下げちゃってる感じなんだけど大丈夫なの? いや、お前らがそれでいいならいいんだけどさ。

 小学生なんか完全に持て余しちゃってるし。出来る作業も終わっちゃって思い思いにお喋りを始めている。留美は相変わらず一人だったが。

 そして、それに感化されたのか、いつもの通り思い思いの意見を出していた海浜総合の奴らも、近場の人間と勝手に意見を交換し始めた。もはや会議ではない。完全に幾つもの場所でそこだけで完結している島が出来ている――いってしまえば雑談と変わらない。

 

 時折、玉縄が自分に注目を集め、会議の流れを引き戻そうとするが、すでにまともに収拾のつくスケールを越えている。

 結果アイツに出来るのは意見を求めることだけで、同じことの繰り返しだ。

 

 心なしか焦っているようにも見える。こうなることが目に見えていたから、何度も現実的な案を練るべきだと言ったのに。

 

 一色は不安げに俺を見つめる。……俺は、そんな一色に何もしてやれることは出来なかった。

 

 ……これは、もうダメかもな。

 

 この企画は失敗する。このままじゃ確実に。強引にでも会議の流れを変える一打が必要だ。

 

 ……策は、あることにはある。

 俺が玉縄を徹底的に糾弾して、俺にヘイトを集めればいい。現実を突きつければいい。文化祭の時と同じだ。

 

 そうすれば、雰囲気は最悪になるだろうが、それでも会議はまともな方向に向くはずだ。

 本来なら今すぐにでもそうするべきなんだろう。

 

 それでも、これは一色の生徒会長としての初めてのデカい仕事。本来はこの仕事をやり遂げることで、生徒会長としての自覚と信頼を得ることがベストなんだ。

 だがその為には、ここで俺が悪役になることは、決して良いことではない。今の一色じゃあ、俺が何かをやらかしても、その後のフォローが出来るとは思えない。下手すりゃそのまま追い出されて、共同イベントから外されるかもしれない。ただでさえ、こちらの人員は生徒会メンバー+俺しかいないんだしな。……それでは、決して奉仕部としては。……いや、これはあくまで俺が個人的に請け負った件だから問題はないのか。……ッ、馬鹿かっ! 問題ねぇわけねぇだろっ!……くそっ、こんがらがってきた。

 

 ……結局、今まで通り、玉縄に反感を買わない程度の助言をしつつ、会議の舵を戻すようにしないとダメなのか。

 

 解消じゃなくて、解決、か。……そんなこと、俺に出来るわけないことは、俺が一番知っているはずなのにな。

 

 だが、この一色の顔を見ると、なんとかしてやりたくなっちまう。

 

 ……限界まで、足掻いてみるか。

 

 俺は、そうしてガンガン精神を削られながら、暖簾に腕を押し続けるのだった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「ぐはぁ……」

 

 俺は帰宅するなり、そのまま自室のベッドに倒れ込む。

 

 疲れ切った。

 結局会議の流れは最後まで変わらなかった。

 

 今日は、会議後の海浜総合のメンバーのテンションも低かった。いつもは無駄にやり切った感、俺達青春してるぜ感を仲間と語らいながら無駄に滲み出しているのに、今日は言葉数も少なかった。

 

 本当は奴らも薄々感づいてはいるのだろう。自分たちが崖っぷちに追い詰められていることに。

 

 ……限界か。

 

 次回の会議でもこんな調子なら、あの案を実行に移すしかない。

 なんなら、副会長の彼に後始末を頼んでおこうか。俺がやらかしても、イベント自体には参加できるように交渉してもらう役を。……本当は一色がやるべきなんだろうが。

 

 俺は、そんなことを考えているうちに、徐々に微睡んでいく。

 

 そういえばやっぱり折本はいなかった、とか。

 今日も小町の作った夕飯食えなかった、とか。

 

 そんなことを薄れゆく意識の中で思いながら、俺は制服のまま完全に眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あーた~~らし~~いあーさがき~~た~~きぼーのあーさーがー

 

 

 その朝を知らせる音楽に、俺の体は一気に覚醒する。ヤバい。ラジオ体操が完全にトラウマになってる。夏休みの早朝の公園とかに近づけない。あ、別に困らないか。昼まで寝てるし。

 

 いや、そんなことを考えている場合じゃない。残念ながら、今は夏休みではなく真冬だ。そして、俺は自室のベッドにいたはず。というより、俺のトラウマが示すように、俺の最近の生活でラジオ体操を聞く機会があるのは――

 

 

 やはりそこは、黒い球体が鎮座する、あの部屋だった。

 

 

 ……もう、かよ。あれからまだ二日しか経ってないのに。

 

【てめえ達の命はなくなりました。】

【新しい命をどう使おうと私の勝手です。】

【という理屈なわけだす。】

 

 

 黒い球体は、そんな俺の心情に構うことなく、表面に今回のターゲットの星人の情報を浮かび上がらせる。

 

【てめえ達はこいつをヤッつけてくだちい】

 

《チビ星人》

 

 この情報は、案外当てにならないからな。今回も、これとは違うボスが――いや、待て。それよりも――

 

 ドガンッ!!!! とガンツが三方向に開き、無数の武器が現れる。

 

 いや、まて、違う。欲しいのはそれじゃない。勝手にどんどん進めるな。それよりも――

 

 

「――――何で、俺以外、誰もいないんだっ!ガンツ!?」

 

 

 だが、ガンツからは何の応答もない。

 

「――――くっ!」

 

 俺は、それ以上喚くのを止めて、準備に取り掛かる。

 これは、俺がこの部屋の異常に適応してきたということだが、それでも内心はパニック状態だった。

 

 スーツを着て、武器を持てるだけ身に付けながら、考える。

 もはや習慣となったスタイルであるスーツの上に制服を身に付けながら、思考を巡らせる。

 

 一人。孤り。独り。

 一人ぼっちで、ミッションに挑む。

 

 こんなことは初めてだ。

 俺たちが来る前は、中坊もこんな目に遭ったことがあったのだろか。

 

 問題は敵だ。ねぎ星人クラスなら、俺一人でも十分に倒せる。

 だが、田中星人――そして、前回の千手の時のような数と強さだった場合、俺一人じゃどうしようもないぞ。

 

 ガンツは何を考えている?俺に何をさせたい?

 

「――!来たか……」

 

 落ち着け……。何年間も、俺はぼっちで生きてきただろうが。

 

 頼れるものは自分だけだった。いつだって俺は一人だった。

 

 だから俺は、自分一人で生き抜くために、周りに頼らずに生きていけるように、ずっと一人で何とかしてきた。

 

 だから、今回も、生き抜く。

 

 俺は、俺だけは、もう死ぬわけにはいかない。

 

 

 

――俺が死んだら、誰がアイツらを生き返らせるんだ……ッ!

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【いってくだちい】

 

 

【1:00:00】ピッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回、チビ星人編、ミッションスタートです。

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