次回は、かっぺ星人編が書き終わってから随時更新していきたいと思うので、毎日更新はこれで途切れます。
後日談というか、今回のオチ。
全く報われないバッドエンドでも、それでも時間は止まらずに、失ったものも取り戻せずに、どこか狂ってしまったまま、前なんか向けなくても、俯いたままでも、それでも舞台から降りることを許されず、悲劇を演じ続けなければならないんだという、世界の残酷さを再実感させられる後語り。
俺という――比企谷八幡という罪人のやらかした行いが、どれほどの悲しみを生み出したのかを突きつけられる、断罪のエピローグ。
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もうすぐ冬休みという穏やかで平和だった総武高校を襲った大事件は、同校に通う男子生徒による大量殺人事件という形で報道された。犯人はその場で死亡したということも。
未成年ということで名は放送されなかったが、この学校の奴等の見解は大岡のことだろうと暗黙の了解で一致していた。
つまり俺は、大岡が死んでしまう――殺されてしまう原因を作っただけでなく、大量殺人犯という汚名も押し付けたわけだ。
大岡だけではない。殺されたJ組の親御さんや友人達のやり場のない怒りや無念さは、亡き彼や、そして彼の家族にも大きな影響を及ぼすだろう。今の時代、テレビが幾ら情報を規制しても、ネットですぐさま拡散してしまうものだ。ただでさえ、今回の事件ではアイツが大岡に擬態した姿でJ組を惨殺したのは事実なのだ。信憑性も高く、広がるのは時間の問題だろう。……その時に、彼の家族がどういった扱いを受けるか、想像に難くない。
チビ星人をあの姿で――元の姿で目撃した者も多かったが、テレビは――というよりもっと大きく“上”な何かは――アレをなかったことにしたいようで、まるで触れていなかった。警察もそのことについては黙秘を貫いている。
実際に目撃した生徒達は、数日は面白おかしく噂話をしていたが、なぜかその際に野次馬が残した記録映像は軒並み破壊されていて、そうなるとただでさえ現実離れしていたあの光景に対する自身の記憶の正しさに自信がなくなったのか、徐々に誰もその話をしなくなった。
川崎も、俺に何も聞いてこない。
いや、聞くに聞けないというのもあるだろう。
なぜなら学校にいる間、俺の近くには常に、雪ノ下雪乃がいるのだから。
J組で唯一生き残った雪ノ下は、本人の強い希望もあって、2年F組に編入した。
そして、これまた本人の強い希望があって、席も俺の隣である。
F組への編入はともかく席順まで指定するのは教師には訝しく思われたけれど、特に問題なく雪ノ下の我儘は通った。あれだけの事件の後ということもあって、彼女に下手な対応をして問題になるのを恐れているのだろう。
だが、周りのクラスメイト達の好奇の視線はどうしようもない。初めはクスクスと、ボソボソと周囲の人間と小声で碌でもない会話をしながら、こちらに向かって嘲笑するような視線を送る者や、俺に嫉妬の目を向けてくる男子、面白おかしく尾ひれをつけてくだらない下卑た噂を流して愉しんでいる奴らもいたようだ。
しかし、その内彼らも気づいたのだろう。
今の雪ノ下雪乃の、どうしようもない歪さに。
彼女はまさしく四六時中、俺の傍を離れなかった。俺がトイレに行った時は男子トイレの前までついてくる徹底ぶりだ。
徐々に彼ら彼女らが俺と雪ノ下に向ける目が、気味の悪いものを見る目になるのに、そう時間はかからなかった。
まるで孤島のようにぽっかりと俺達の周りに人はいなくなったが、雪ノ下はそんなことにまるで構わずに俺にへばりつくように近くから離れようとしない。
本当に嬉しそうに、俺に笑顔を向けながら話しかけてくる。俺はそれに合わせるだけだ。
「ヒキオ」
そんな時、三浦が俺に話しかけてきた。
その横には海老名さん、その後ろには川崎と戸塚がいた。
「どうかしたの、三浦さん?」
雪ノ下は小首を傾げて、俺の名を呼んだ三浦に問う。
雪ノ下は別に俺に独占欲を抱いているわけではない。本人があの日言っていたように、ただ俺という存在に依存し、精神を安定できればそれでいいのだ。だから俺に話しかける女子に病的に嫉妬するわけでもない。ただ、俺の傍を離れないだけだ。
故に、この時の雪ノ下の言葉にはまるで毒も鋭さもなかった。あの雪ノ下が、三浦に放つ言葉なのに。
三浦は一瞬雪ノ下に目線を向け、悲痛に表情を歪めながらも、それでもその言葉を無視する形で、俺に向かってもう一度「……ヒキオ」と言い、眉を顰めたまま不機嫌そうに、こう告げた。
「――今日、放課後暇?」
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今回の事件の被害者は、何もJ組の生徒たちだけではない。
死亡者は彼ら、警察官の人達、そして大岡だけだが、重傷者は他にもいる。
いまだに入院しているのは右手の指の骨がグチャグチャに砕けた戸部と、そして――
6台のベッドが左右に3台ずつ2列に配置されている6人用の大部屋の、右側の列の窓際のベッド。
そこに、可愛らしい薄いピンクのパジャマを着て上半身を起こし、こちらに向かって微笑む少女がいた。
「――ヒッキー。ゆきのん。来てくれたんだ」
「……当たり前だろ」
そう言うと、由比ヶ浜結衣は、儚げに微笑んだ。
「結衣の背中の傷は、残るんだって。……お医者さんに、完全に傷跡を消すのは、不可能だって言われたらしいんだ」
ある程度当たり障りのない会話をした後、俺は海老名さんと三浦に病室の外に出るように促され、雪ノ下を病室に残して、大人しくそれに従った。
ビクッと震え、不安げな眼差しで雪ノ下は俺に縋っていたが、由比ヶ浜が雪ノ下に――
「実は、ちょっと汗掻いちゃって、清拭したいの。だから、ヒッキーには少し席をはずしてもらいたいな。……ゆきのん、手伝ってくれないかな?」
と言って、手を握って安心させるように微笑むと、雪ノ下はゆっくりと俯くように頷いた。
そして、その階の待合室のソファーに腰を掛けた途端、海老名さんはこう切り出したのだ。
「……ゆ、由比ヶ浜さん。これって――」
「……うん。残っちゃう、らしいんだ。……でも! 生きてるだけで万々歳だよね!」
そう言って由比ヶ浜は明るい声を出して快活に振る舞う。
だが雪ノ下は、目の前でナースがガーゼと包帯を外し傷薬を塗っている、由比ヶ浜の背中に刻まれた目を逸らしたくなるような傷口を見て、絶句していた。
左肩から右脇腹に向かって走っている、その刀で切られたかのような裂傷は、あの時、チビ星人に投げ捨てられた時の傷痕だった。
ものすごい勢いで投擲された由比ヶ浜は、運がよかったのだろう、そのままグラウンドと校舎を隔てる網フェンスに叩きつけられた。
当然、とんでもない衝撃が由比ヶ浜の体を襲ったが、それでも致命傷は逃れた。
だが、これは運が悪かったのだろう、そこに飛び出ている金網の先端があった。
それは落下する由比ヶ浜の背中を切り裂き、由比ヶ浜の体に、17歳の女の子の体に、一生消えることのない傷痕を残してしまったのだ。
パァン! と、三浦は瞳一杯の涙を溜めて、俺の右頬を全力で引っ叩いた。
そして、そのまま俺の胸倉を掴んで、血走った目で、俺を睨みながら吠える。
「あんたが!! あんたがあの時、わけわかんない行動して結衣を追い詰めなければ!! 結衣があんなに必死になって化け物に向かっていくこともなかった!! なんで!? なんで結衣がこんな目に!!」
「ちょっと! ここは病院ですよ!」「お静かに願います!」
ナースステーションのすぐ傍だった為か、すぐにナースが飛び出してきて、三浦と俺を引き離した。
三浦は獣のように呻りながら、涙目で俺を睨みつけ続ける。
だが、もう暴れる気はないようで、すぐにナースの人たちから解放されて、海老名さんがナースの人たちに頭を下げる。
俺は、一切抵抗せず、一切何も発さず、為す術なく、ただ突っ立っていた。
清拭を終えて服を着替え直し、帰っていくナースにお礼を告げる由比ヶ浜に、雪ノ下は泣きながら抱き着く。
「ちょ、ゆきのん!?」
「ごめんなさい!! ごめんなさい、由比ヶ浜さん!! ごめんなさいっ!!」
幸い、由比ヶ浜と同室なのは、対角線上のベッドにお年寄りが一人だけで、比較的軽症のこのお祖母ちゃんはこの時間はリハビリ代わりの散歩に行っているので、この時病室には雪ノ下と由比ヶ浜の二人だけだったが、それでも病院なことには変わりないので、大声で泣く雪ノ下を宥めるように、由比ヶ浜は優しく抱きしめる。
「いいんだよ、ゆきのん」
「でも! 私を助けようとして、由比ヶ浜さんは――」
「いいの。ゆきのんは全然悪くない。……私こそ、ごめんね。守ってあげられなくて」
由比ヶ浜は、雪ノ下に向かって、慈しむような微笑みと共に言った。
「ゆきのんが無事で、本当によかった」
雪ノ下は、そんな由比ヶ浜の笑みを見て、再び強く強く抱き着き、母親に縋る子供のように泣き喚く。
由比ヶ浜は、そんな雪ノ下の泣き声が響かないように、優しく優しく抱きしめ続けた。
ナースの人たちがナースステーションに帰っていく背中を見ながら、海老名さんが俺に背中を向けたまま言った。
「――結衣ね、ずっと泣いてた」
その声は、あの修学旅行の京都駅で、去り際に残したあのセリフを想起させるような――冷たいものだった。
「そりゃそうだよね、女の子だもん。体に傷が残るなんて言われたらショックだよ。……ヒキタニくんに見られたくないって、ずっと泣いてて……」
俺は今日まで由比ヶ浜の見舞いに来ることを、この二人に禁じられていた。
それだけのことを俺はしたと思っていたから、甘んじて受け入れていたけれど、その理由がなんとなく分かった。
……俺は――
「――なんで?」
俺が思考の中に逃げるのを許さないといわんばかりに、海老名さんは背を向けたまま鋭い声で告げる。
「なんであの時、わたしたちと逃げなかったの? 結衣に雪ノ下さんを押しつけて、何処で何をしてたの?――教えて、くれないかな?」
海老名さんは振り返り、俺の目を見据える。
その目は、先程の獄炎の女王の鬼気迫る睨みにも、勝るとも劣らない迫力だった。
だが、俺は――
「――言えない。答えられない」
「ッ!? あんた――」
俺の答えに三浦が激昂しかけるが、海老名さんがそれを制し、そしてこちらに向き直って、言った。
「――そっか。もういい」
微笑みと共に言われたその言葉は、突き放すような失望で満ちていた。
俺は何も言い返すことなく、逃げるように待合室を後にする。
「――あーしは、アンタのこと、絶対許さないから」
去り際、三浦は俺に、押し殺したような怨嗟の呟きを漏らす。
俺はそれに何も言わない。何も返せない。何かを言う資格など、俺にあるはずもない。
俺が、彼女たちの親友を、由比ヶ浜結衣を傷つけたのは――ずっと、ずっと、傷つけてきたのは、紛うことなき事実だ。
言い逃れなど出来る余地もない、俺の罪科だ。
俺は足を止めることなく、彼女たちから逃げるように、由比ヶ浜の病室へ向かった。
「ヒッキー。優美子たちとの話は終わったの?」
「……比企谷くん」
「……ああ」
俺は由比ヶ浜のベッドの横にある椅子に腰かける。
……雪ノ下の目が、また腫れている。おそらく、由比ヶ浜の傷のことを知ったんだろう。
「……退院は、いつ頃になりそうなんだ?」
俺は、その事には触れない。
由比ヶ浜も触れて欲しくないだろうし、何より触れるには俺の勇気が足りなかった。
由比ヶ浜結衣は、俺のことを決して責めたりはしないだろう。それが何より辛い。いっそ責めてくれた方が、どれだけ楽か。
……だが、そんな恰好つけて開き直っても、万が一、由比ヶ浜に責められたら、先程の三浦のように呪われたら、先程の海老名さんのように失望されたら――
――その時は俺はきっと、今感じている苦しみの比ではない悲しみを味わうだろう。
俺はそれが、怖いだけなのかもしれない。
「――うん。今年の学校は無理そうだけど、来年からはまた普通に通えるよ」
優しい由比ヶ浜は、こんな目に遭わされても優しい。
周りの空気を読むことに長けているコイツが、この状況で俺が三浦と海老名さんに呼び出された理由を、分からないはずがないのに。
由比ヶ浜に消えない傷を残した――そんな許されざる罪を、我が身可愛さに見て見ぬ振りをする卑怯者の俺を、糾弾することなく、何も触れないでいてくれる。
その事が、俺の胸中に再び激痛を齎して。
それでも、かつて嘘だと否定した、彼女のそんな優しさに、どうしようもなく救われていることに。
俺は更に、比企谷八幡を嫌いになった。
「そうなの。本当によかったわ」
雪ノ下は悲しそうに、それでも嬉しそうに微笑みながら言う。
「私も2年F組に転入になったの。比企谷くんの隣の席なのよ。三学期という短い間だけだけど、一緒のクラスで過ごせるわね」
そう由比ヶ浜に話す雪ノ下の左手は、俺の右手に添えられている。
雪ノ下は、由比ヶ浜の俺に対する想いを知っている。
あんな三人だけの部活動で、あれだけ露骨な反応をされれば、俺のような疑心暗鬼といっていいレベルの人間不信者でなければ気づくだろう。いや、認めざるを得ないだろう。
そんな雪ノ下が、そんな由比ヶ浜に、自分が俺の隣の席だと言い、尚且つ彼女の前でこれ見よがしに手を添えたりなど、本来は有り得ないだろう。
「――そっか。よかったね、ゆきのん。あたしも、新学期が楽しみになってきたよ! 早くゆきのんと一緒のクラスで過ごしたいなぁ。休み時間はいっぱいお喋りしようね!」
「ふふ。……ええ。楽しみね」
由比ヶ浜は、当然、雪ノ下の“状態”を知っている。三浦や海老名さんから前以て聞かされているだろうし、雪ノ下の親友のコイツが、ここまで雪ノ下と言葉を交わして気づかないはずがない。
だからこそ、この雪ノ下が俺に恋愛感情を抱いているわけではないことに気づいている。
これはもっと歪で、台無しで、痛々しい何かだ。
そう理屈では分かっているのだろう。だから、由比ヶ浜は何も言わない。そこには触れない。俺が彼女の傷について触れないように。
それでも、俺のもはや習性ともいっていいレベルの観察力は、時折俺と雪ノ下の手が重なり合っているその部分を、由比ヶ浜が悲しそうに見つめるのに気づいてしまう。
だが俺は、由比ヶ浜にフォローを入れることも、雪ノ下の手を振り払うことも出来ない。
何も、出来ない。
もう、どうしたらいいか分からない。
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「――それじゃあな、雪ノ下。また明日」
「――あ」
同じ病院の、ここは精神病棟。
あの後、由比ヶ浜と雪ノ下の会話に時折俺が相槌を打つという流れで十分程会話した俺達は、長居するのもあれだろうということで由比ヶ浜の病室を後にした。またすぐに来ると約束して。
由比ヶ浜は微笑んでいた。その笑みがどのような意味なのかの推察を、俺はしなかった。どっちにしても辛いから。
その足で俺たちはここに向かった。
雪ノ下はあの事件の後、こうして定期的に専門医によるカウンセリングを受けている。
PTSD――心的外傷後ストレス障害。その治療の為だ。
そういった具体的な病名を突きつけられて、俺は改めて、自分の行いがいかに罪深いのかを再認識させられる。
ギュッと彼女の手を握った。
「また明日の朝、迎えに行くから」
雪ノ下はしばらく動かなかったが、やがて重々しく頷いた。
そんな偽善的なお決まりのやり取りをこなしながら、もはや顔見知りとなったナースに雪ノ下を預ける。
雪ノ下が診察室に入ったのを確認して、俺は今度こそ病院の外に出る。
その際に、駐車場に停めてある一際目立つリムジンの元に寄って――
「――後は、よろしくお願いします」
「――かしこまりました」
そのやり取りを終える。
運転席の彼は気遣わしげに俺のことを見ていたが、俺はそれに対して気付かないふりをした。
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こうして俺はようやく雪ノ下から解放され、一人で家路につく。
「――ッッッ!!!」
解放。
そんな言葉が思わず脳裏に過ぎったことで、全身が沸騰したような激情が体中を駆け巡り、俺は思わず近くの電柱を全力で殴った。
すでに病院から離れ、自転車を取りに学校へと通学路を逆行していたので、近くにいたどこかの学校の女生徒が軽く悲鳴を上げて遠ざかる。
だが俺はそんなものに意識を割くのも億劫になるほど自分自身に怒りを覚えていた。
ふざけるな。
雪ノ下があんな風になったのも、由比ヶ浜があんなにも悲しそうに笑うのも、全部貴様のせいだろうが比企谷八幡。
三浦の怒りも、海老名さんの失望も、全部お前が撒いた種だ。
戸部の骨折も、大岡の冤罪も、警察官達の殉職も、J組の生徒達の虐殺も、全部お前の責任だ。
中坊の死も、葉山の死も、相模の死も、折本の死も、達海の死も、全部。
陽乃さんが死んだのも、全部。
全部、全部、全部、全部、全部!!!
俺のせいだろ!!! 俺の!! 俺の!!! 俺の!!!!
「何やってるんですか!!!」
再び振りかぶった右腕を、誰かが飛びつくようにして止める。
思わず睨みつける――そこにいたのは、一色いろはだった。
今の俺は、ただでさえ腐った目を濁らせ、血走らせ、さぞかし醜悪で恐ろしい目をしているだろう。
一色はビクッと体を震わせたが、離れようとしない。
「……離せ」
「いやです。先輩、手から血が出てるじゃないですか」
見ると、すでに無意識に何度も殴っていたのか、右手からは血がダラダラと流れていた。
俺は一色を振り払うと、そのまま一色に背を向けて学校に向かって歩き出す。
「どこに行くんですか」
「学校だ。チャリ置きっぱなしなんでな」
「ならわたしも付き合いますよ。クリスマスイベントも中止になったんで、暇なんです」
そう。クリスマスイベントは、結局中止――というより、総武高と海浜総合での合同企画が中止となり、海浜総合は自校だけで、有志による内輪だけのクリスマスパーティーをするのだそうだ。対してこちらは、今はとてもではないがクリスマスパーティーなどというムードではない。よって、確かに一色は暇なのだろう。
俺のせいで。
俺はあれだけ頑張っていた一色の生徒会長としての初陣を台無しにしたのだ。
こんなところにも、俺の罪の被害者がいた。
「自転車を取りに行くということは、先輩もこの後は暇なんですよね。なら、わたしの暇潰しに付き合ってください」
一色は俺の右腕にしがみつき、上目遣いであざとく言う。
そう考えると、俺には一色の要求を呑む義務があるのだろう。
だが、今の俺にその役目が全うできるとは思えない。
今の俺といても、不快な時間しか過ごせないだろうからな。
しがみついている一色の体が震えているのがいい証拠だ。
「……悪いな。今日は無理だ」
「ちょっ、先輩! 先輩!」
俺は一色を振り払う。
背中から聞こえる一色の声を無視して、そのまま歩みを進める。
胸とか頭とか右手とか色んな所が痛くて、もはやどこがどう痛いのかすらよく分からない。
そして、考えるのを止めて、その痛みを許容したら、少し楽になった。
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一色は、右手から血を垂らしながら、遠ざかっていくその背中を見つめていた。
せめて、右手の治療をするように促した方がよかっただろうか。
でも、今の八幡のあの目を向けられるのは、八幡の人間性をそれなりに理解している一色でもかなり辛かった。
学校で八幡と雪ノ下が孤立しているのは、雪ノ下の普通じゃない様子も要因だが、それ以上にあの日以降より不気味さを増した八幡の瞳も原因だった。
だけど、一色はそれでも八幡を放っておくことが出来なかった。
だって――
「……先輩。どうして、あの日から――」
「――笑ってくれないんですか」
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「……ただいま」
「あ、おかえりお兄ちゃん」
俺が家に帰ると、小町が駆け寄ってくる。
そして、俺に真っ直ぐ目を合わせずに、探るように、気遣うように問いかける。
「……お兄ちゃん。結衣さんの様子、どうだった?……それから、ゆき――」
「悪い、小町。今日はちょっと疲れた。部屋で寝るわ。飯が出来たら呼んでくれ」
俺は小町の言葉を遮って、リビングに入ることすらせずに、真っ直ぐに自室に向かう。
本当に申し訳ないが、今日一日で俺の精神は疲弊しきっていた。これ以上、何も考えたくない。
「あ、おにい――ちょ、お兄ちゃん! その右手、大丈夫なの!?」
「ああ。保健室で消毒と包帯はしたからな」
それに、どうせあの部屋に送られる時に元通りだ。
小町の言葉を適当にあしらい、そのまま足を止めることなく階段を上る。
「お兄ちゃん!」
だが、小町が一際強く叫び、それにより俺の足が止まる。
俺が振り返ると、小町は――
「――どこにも、行かないよね?」
そう言って、不安げな瞳で俺を見上げる。
……受験生の妹にこんな顔をさせるまで心配をかけるなんて、兄貴失格だな――今更か。
ゴメンな、小町。今の俺には、それに真っ直ぐ答えてやることは出来そうにない。
「……受験勉強、頑張れよ」
俺はそのまま、自室に閉じこもった。
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けれど、断罪はまだ終わらない。
俺はまだ、この部屋の呪縛から、逃れることは許されていなかった。
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ビィィィンという音と共に、俺は再びこの部屋に送られる。
気が付くと、目の前に無機質な黒い球体が鎮座していた。
黒い球体と、俺しか存在しない、この簡素な2LDK。
俺はもう何も感じずに、ただ体に染みついた動きで、ガンツスーツを着用する。
そして総武高の制服をそこら辺に放り投げ、その時を待つ。
あーた~~らし~~いあーさがき~~た~~きぼーのあーさーがー
その絶望の時間の始まりを知らせる音楽が鳴り響く。
それを聞くのは、俺だけ。
再び新メンバーは現れなかった。
別にいい。これでいい。
【てめえ達の命はなくなりました。】
【新しい命をどう使おうと私の勝手です。】
【という理屈なわけだす。】
ああ、そうだ、ガンツ。
俺はお前の玩具だ。好きなだけ遊ぶがいい。
お前はそうやって、俺を使えばいい。俺だけを、使い捨てればいい。
ドンッ!!!! と球体が三方向に開き、夥しい数の銃器が出現する。
俺はそこから、もはや使い慣れたといっていい武器を見繕う。
俺はこれから、戦争に駆り出される。
何十体という宇宙人と、たった一人で戦い続ける。
それでいい。それがいい。
いつも通りだ。もう慣れた。とっくの昔に慣れている。
いつだって一人でやってきた。
掛け替えのない『本物』を求めて、手を伸ばしたこともあった。
だが、結局俺は、その宝物を壊し、傷つけることしか出来なかった。
守ることも、救うことも、助けることも出来ない。
何も得ることは出来ず、代わりに全てを失った。
なら、俺は、一人でいい。
今まで通り、一人がいい。
勝っても負けても、傷つくのは俺一人がいい。犠牲になるのは、俺一人がいい。
だから俺は、今日も、これからも、一人ぼっちで戦い続ける。
全身が真っ黒のスーツを身に纏い、両手いっぱいに殺戮の兵器を携えて、俺は戦場に向かい、戦争に身を投じる。
いつか、俺が死ぬその日まで、俺はこうして戦い続けるのだろう。
願うことなら、このまま、この黒い球体の部屋の新たな住人が増えることなく。
一人ぼっちで、死ねますように。
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【いってくだちい】
【1:00:00】ピッ
次回は、かっぺ星人編が書き終わってから随時更新していきたいと思うので、毎日更新はこれで途切れます。
三月中にこちらも更新できるように頑張ります。
pixivとは違い、このまま第二部もタイトルを変えずにこのシリーズで更新していくので、よろしくお願いします。