そこは、まさしく地獄絵図だった。
「ぎゃぁぁああああ!!!」
「ママ!! ママ!!」
「ちょっとアンタ!! こんな時くらい父親らしいことしなさいよ!! 子供の為に身代わりになることも出来ないの!?」
「ふざけんな死ぬだろうがッ!! だったらテメェがやれよクソババァ!!」
「ちょっ!? アンタさっきわたしをナンパしてたよね! 助けてよ!!」
「ふざけんな引っ張んな一人で死ねよブスがっ!!」
「あんだよなんだよこれ!! なんで恐竜がこんなとこにいんだよ!!」
「Why is a dinosaur at such!?」
「Run away early! It's killed!!」
「Where I run away!? Was it forgot that the head exploded a short while ago!?」
一人、また一人と容赦なく殺戮されていく人々。
その光景は、幼い少年の理解の外にある、あまりに現実感のない惨状だった。
「……う、うわ……まま……ぱぱ……」
少年は縋るように、どんな残酷な世界でも無条件で味方だと、自分を助けてくれる存在だと信じて疑わない両親を見遣る。
だが――
「アンタっていっつもそう!! 家族の為に何も出来ない!! 稼ぎも少ないし!! 役に立たないんだからせめて時間稼ぎの囮くらいしなさいよ!!」
「ふざけんなクソアマッ!! てめぇのその無様に太った下腹は俺の稼いだ金で買った栄養で出来てんだぞ!! 今こそ感謝してその旨そうな脂肪でてめぇこそ餌になりやがれ!!」
醜い。
子供ながらに、いや子供だからこそ、この極限の状況で、本性を曝け出しながら足を引っ張り合う自分の両親を見て、その男の子はそう思ってしまった。
「……う……あ……」
少年は、泣いた。
それは目の前の光景の恐怖故か、それとも自分を助けてくれるはずの
色んなことが怖くて、色んなことから逃げたくて。
少年は、一目散に逃げ出した。
「うわぁぁぁぁああああああああん!!!!!」
その泣き声で、ようやく両親は自分達の子供の存在を思い出した。
「あ! こら、どこ行くのy――」「ったく手間かけさせんじゃn――」
その瞬間、皮肉にも仲良く同時に両親は頭部をバクっと喰われた。
再び迸る絶叫。だが、少年は振り向かない。
何が何だか分からずに、何もかも分かりたくなくて。
とにかくこんな世界が嫌で、誰も助けてくれないこの怖さから逃げ出したくて。
そんな少年を、影が包み込んだ。
思わず見上げると、そこには――
「ヴォオォ!!!」
一体のヴェロキラプトルが、かの少年に向かって襲い掛かっていた。
少年は思わず蹲る。もう何も見たくない。こわい。こわい。こわい。こわい。
心の底から願う。
(……………誰か、助けてよッッッ!!!)
「うぉぉぉおおおおお!!!!」
その時、真っ黒な少年が颯爽と駆け付けた。
+++
和人は走り抜けた。
か弱い人間達が無数の恐竜に囲まれ蹂躙される戦場に、その身一つで突っ込んだ。
後ろからあやせと渚の悲鳴のような制止の声が聞こえるが、一切構わずに突っ込む。止まる気など毛頭なかった。
許せなかった。絶対に許せなかった。
ゲームと評して、こんな理不尽な戦争を、いや、戦争ですらない。
こんなのは、ただのふざけた処刑じゃないか。
何の説明もないままに勝手に集めて、勝手に送って、獰猛な怪物の前に丸腰で放り出す。それが処刑でなくてなんだというのか。
あのSAO事件の時ですら、茅場はあらかじめルールを説明した。
それとも何か? これは、あのSAO事件の時に、何の説明を受けていない時に、強引にナーブギアを外そうとして死んだ――殺された、デスゲームに対するリアリティを持たせる為に死ぬことを前提とされた、あの二百十三名と同じ――生贄だっていうのか?
……ふざけるな。ふざけるな! ふざけるなッ!!
「ふざけるなぁぁぁあああああああ!!!」
許せるか。見過ごせるか。こんなことがあってたまるか。
あんなことを、もう二度と、繰り返してなるものか!!
死なせるか。助けるんだ。絶対に、もうあんな犠牲者は――
――どうやって?
和人の頭が急激に冷やされる。駆け出している足が、少しもつれそうになった。
目の前で、今まさに和人の目の前で人を食らっているのは、恐竜だぞ?
本物ではないのかもしれない。よく考えれば、現代の、
でも、それでも、目の前の怪物は、その鋭い牙で、爪で、人体を抉り、切り裂き、食らっているのは、れっきとした事実で現実だ。
動物園の猛獣よりもはるかに恐ろしい怪獣が、檻に入れられているわけでも首輪で繋がれているわけでもなく、野放しで、自由の身で、人を襲っているのだ。
ここはSAOじゃない。アルゴリズムで決められた動きをしてくれるような、HPを全損させれば消滅してくれるような、そんな都合のいいモンスターではないのだ。
和人は無意識に背中に手を伸ばす。何も掴めない。そうだ。自分はもう、
ただの、無力な、
「――っ!!」
歯を食いしばる。足が止まりかける。殺される前にさっさと逃げろと、SAO内で散々鍛え上げた危険を知らせる第六感が悲鳴を上げる。
それでも、見えてしまった。見つけてしまった。
今、まさに、その怪獣に蹂躙されようとしている、一人の男の子を。
彼の両親であろう一組の男女が、和人の目の前で無慈悲に殺戮された。
手を伸ばしかけ、やめろと叫ぶ前に、容赦なくその頭部を捕食された。
「――ッ!! ぁぁあああああああああああああ!!!!」
和人は走る。無我夢中で。怯える心を雄叫びで誤魔化して。
理屈を無視して。リスクリターンの計算など度外視で。
とにかく今は、目の前の殺されようとしている命を、ただ一つでも救う為に。
そんな和人に応えるように、漆黒のスーツがその
「――くぁっ!!」
爆発的な加速と共に、和人は男の子を抱きかかえるように、恐竜と少年の間に自らの体を差し入れる。
その時、恐竜の鋭い爪が、和人の背中を切り裂いた――はずだった。
「だ、大丈夫か?」
「え……うぁ……」
「どっかに隠れてろ。あ、だけど遠くには行くな」
和人は男の子の頭を撫でて、安心させるように微笑みながら、少年を背中で庇うようにして、ヴェロキラプトルと向き直る。
男の子には、その背中がすごく大きく――まるでヒーローのように見えた。
+++
和人はギュッと、まるで自分の体の感触を確かめるように手を握った。
(……このスーツの、力なのか?)
今の爆発的な加速力。そしてあの恐竜の爪の一撃を食らってもビクともしない防御力。
どちらもただの全身スーツにはありえない、まさしくゲームのアバタ—のごとき超人の力。
『少なくとも簡単には死なない』
あの男の言葉を思い出す。いうならば、これは基本装備のようなものなのだろう。この
「……どこまで……ッ」
そして――
(――何であいつは、これを聞かれるまで黙っていたんだ……ッ)
この
だが、自分には、あの男を責める権利も、資格もない。かつて同様の選択をした――同じ穴の貉なのだから。
「…………」
……それに、今は――
(……この場で戦えるのは、俺しかいない)
スーツを着ているのは、自分と、あやせと、あの男のみ。
だが、あやせは目の前の状況に恐怖して動けず、あの男は行方が知れない。
ならば自分が、やるしかない。
和人は転送の際に持ち出していた小型の銃――Xガンを取り出す。
他に武器はない。SAO時代は体術スキルを取得していて初期から最後まで長年愛用していたが、それでもやはりSAO時代の自分は『剣士』だった。それに、さすがにこんな怪物相手に――身体能力が超人的に向上しているとはいえ――丸腰の徒手空拳で向かっていけるような度胸はない。
だからといって、銃を扱うスキルに自信があるかといえばそうでもないが――
チラッと手に持つXガンを見る。特殊な形だが、紛れもなく銃だ。和人が、いやキリトが、銃の類を扱った経験は、あの半年前のGGOでの死銃事件のみ。しかもこの時もキリトはあろうことか、銃の世界でも光剣――剣を手にし、剣士であろうとした。銃はあくまで牽制用のサイドアームだった。
剣が欲しい。慣れ親しんだ、あの武器が。
自分を特別にしてくれる、自分を強くしてくれる、あの武器が。
剣を、再びこの手に取って――
――強い自分に。
黒の剣士—―キリトに、戻りたい。
「ヴォォォオオオ!!」
「――ッ!! うぉぉぉおおお!!!」
ヴェロキラプトルが和人に飛び掛かってくる。
和人は思考を振り払い、半年前のうろ覚えのフォームでXガンを恐竜に向ける。
そのヴェロキラプトルは、吹き飛ばされてきた別のヴェロキラプトルによって弾き飛ばされた。
「……は?」
「ギャァァァウス!!」
和人はその恐竜が飛ばされた先に目を遣る。というよりも、ほぼ全ての――気のせいかヴェロキラプトル達の目もその男に引きつけられているように感じた――目線が集結している。
その男は、投げ飛ばした体勢をゆっくりと立て直し、ゴキリと盛大に首の音を鳴らして、笑みを浮かべる。
「さぁて」
虎の様な。猛獣のような。怪獣の様な。
恐竜よりも獰猛な、野生の狩人の笑みを。
「ケンカ、しようか」
呆気にとられていた和人だが、別のヴェロキラプトルがその男に――東条英虎へと奇声を上げながら飛び掛かった時、思わず叫んだ。
「ッ! 逃げろぉ!!」
だが東条はその凶暴な笑みを深めただけで、跳び上がった恐竜の鋭い爪の一撃を、その巨体に見合わぬ軽やかな動きで見事に躱す。
そして、その恐竜の尾を掴み――
「――ふんっ!!」
――振り回した。
「……え?」
思わず乾いた声が漏れる和人。
確かにヴェロキラプトルは小型で体重も人間程ではないのだろうが、それでも恐竜をブンブンと容赦なく、スーツも身に付けず生身で、何周も何周も、周囲の恐竜達を吹き飛ばしながら、口角を釣り上げ悪魔のような笑顔で愉しそうに振り回す
「おらぁっ!!!」
「ギャァァウス!!!」
心なしか泣き声のような啼き声と共に、東条に振り回され続けたヴェロキラプトルは、一際個体数が集まっていた集団に向かって投擲された。
対して東条は、グルグルと肩を回し、そしてあの獰猛な笑みを浮かべ、言い放った。
「さぁて……次はどいつだ?」
ザッと、心持ちかヴェロキラプトル達が東条から距離を取った――気がした。
完全に悪役だった。
あれ? この人味方だよね? と、ちょっと後ずさりながら和人は思った。
「……はは」
いや頼もしいのだろう。
スーツを着ている自分だけでこの数の恐竜を倒さなくてはと思っていた所で、これは思わぬ援軍だ。……もしかしたら、自分が足手纏いになってしまうかもだが。
「――ッ!!」
なんてことを思っていると、ヴェロキラプトル達は東条の周りを囲むように陣形をつくった。
野生の勘なのか、それとも弱肉強食の世界で生きていた故の本能なのか、和人たち
確かに、東条は強い。
だが、その身は生身だ。あの爪が、牙が、尾が、一度でもその体に食らいついた時、その命は容易く刈り取られるだろう。
(……いくら東条でも、あの数は……ッ)
東条は相変わらず、あの獰猛な笑みを崩さない。
「……面白ぇ。来いよ」
恐竜達の威嚇の鳴き声が途切れる。逆に、東条英虎に威圧されたかのように。
だが、そんな自分達を鼓舞するように、恐竜達は一斉に嘶いた。
「「「「「ギャァァァアアウス!!!!」」」」」」
「…………っ!」
和人は、覚悟を決めた。
「うぉぉぉおおおおお!!!!」
その甲高い音の中に、一人の少年の雄叫びが割り込んだ。
和人は、恐竜達が作った東条包囲網を、外側から力づくで突き破ろうと突撃する。
(俺はこのスーツを着てるんだッ! 東条一人に押し付けるわけにはいかないッ!)
和人は走りながら、一番近い個体にXガンを向ける。
その個体は、包囲網の中で唯一和人と向き直り、威嚇するように啼いた。
「グォォォオオ!!」
「――ッ!」
和人は本能的に感じた恐怖を押さえ込むように、足に更なる力を込める。
あのGGOでの戦いを思い起こす。
向けられた銃口。自分を貫く弾道予測線。そんな中、自分はハンドガンと光剣のみを手に持ち、飛び交う銃弾の中を突き進んだ。
そうだ。簡単だ。
当たる距離まで近づき、撃つ。それだけだ。
「グルォォォォオオオオオ!!!」
ヴェロキラプトルが、自分に向かってノーステップで飛び掛かる。
鼓動が跳ね上がりパニックになりかけながらも、和人はしっかりとそのXガンを恐竜に向け、トリガーを力強く引いた。
ギュイーン! という甲高い音。そして銃口から青白い発光。
東条が、渚が、あやせが、そしてその他の生き残っている人達が、和人に向かって注視する。
だが――
「――な、に」
ヴェロキラプトルは、全くの無傷で健在だった。
「ッ! ぐぁああ!!」
結果、ヴェロキラプトルは和人に激突した。
その鋭い爪はスーツのお陰で和人の肉を切り裂くことはなかったが、飛び掛かられた衝撃により駆け上がっていた階段を転がり落ちる。
そして、あの少年を助けた場所まで逆戻りとなった。少年は無事逃げたようで、巻き込むことにならなかったのは幸いか。
だが、そんなスーツの効果を知らない渚とあやせは、階段の上の広場から悲鳴を上げる。
「そんな!? 桐ケ谷さん!!」
「大丈夫ですか!? 桐ケ谷さん!!」
そんな悲鳴に応えたくとも、自分の体の上にはすでに恐竜が圧し掛かっている。
爪の攻撃が効かない和人に対して、ヴェロキラプトルはその自慢の牙が生え揃い涎を垂らす大きな口を開け、和人に咬みつこうとする。
和人はとにかくそんな恐竜を殴り飛ばそうと無我夢中に拳を握って――
――バンッッ!! と、恐竜が弾け飛んだ。
胴体上部の胸の辺りが、爆発するように吹き飛んだ。
その結果、和人に齧り付こうとしていた頭部はそのまま階段を更に転がり落ちて行き、和人は恐竜の体液や肉片を浴びてドロドロになる。
周りの人達は、その光景に呆気にとられていた。
渚も、あやせも、あの東条も。
そして、それは和人も同様だった。気色悪い血液や不気味な肉片が体中に纏わりついているにも関わらず、悲鳴一つ上げなかった。
ただ、ゆっくりと、自分が右手に持つSF風の短銃に目を向ける。
(……この銃、なのか?)
時間差はあったけれど、おそらくはこのXガンの効果が現れたのだろうと推察する。
一発だった。一撃だった。たった一回の攻撃で、恐竜が木端微塵に弾け飛んだ。
あの黒い球体に、それこそ山のようにあった、これがゲームだというならこのスーツと同様に単なる“初期装備”であろう武器のたった一発がこの威力。
和人は、数多のゲームをやり込んできたからこそ、今改めて自分がプレイさせられているこのゲーム――デスゲームの恐ろしさを感じた。
(……考えるのは後だッ!)
和人は湧いた恐怖を振り払い、勢いよく立ち上がって、改めて東条包囲網に突っ込む。
「そこをどけぇぇええええ!!!!」
今度はXガンを構えずに、両手を顔を守るように交差させて突っ込む。
進行方向のヴェロキラプトルを吹き飛ばすようにして飛び込んで、東条に背中を預けるような形で、恐竜達と向き合った。
「……よぉ。その服と銃、ずいぶんと面白そうだな」
「……生身で恐竜と戦えてるアンタ程じゃないよ」
東条は和人と目を合わすと、お互いふっと笑い、目の前の恐竜達に向き合う。
敵の数は、まだかなり多い。
実質殺せたのは和人のXガンを浴びた一体だけで、他の個体は和人や東条によってダメージを受けたものの、まだ殺すまでには至っていない。
それでも、東条の笑みは衰えない。
これだけの状況に追い込まれても――いや、むしろこんな状況を、こんな逆境を待っていたと。
疼いて、渇いて、退屈で仕方なかったが故に、待望し、渇望していた――自分が、思う存分に
欲しくて欲しくてたまらなかったものが、今、目の前にある。
そんな獣の笑みを、東条英虎は浮かべていた。
和人は、そんな
こんな男がいて、負けるはずがない。そんな風に思わせてくれる頼もしさが、貫録が、東条という男にはあった。
ふと
剣士キリトが、ずっと追い続け、一度屈服し、最後にはこの手で貫いた、あの男の背中。
和人は表情を引き締め、目の前の
そうだ。これはゲーム――デスゲーム。ならば、やることは一つ。あの頃と、何も変わらない。
勝って、クリアし――現実へと還ること。
そのためには、目の前の
「さて――」
「――行くぞッ!」
東条と和人は、お互い目の前のヴェロキラプトルへと突っ込んでいく。
その表情を、飢えた獣へと、歴戦の剣士へと変えて。
八幡、出番なし(笑)。
ま、まぁ、こっちは和人と東条の二人回だし。
次回は渚とあやせ……一話もつかな?もしかしたら和人や東条、八幡も出て、視点がややこしいかもです。なるべく混乱しないように書きたいと思います。