比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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二話に分けようかとも思いましたが、文字数が中途半端で切り所が難しかったので、一気に行きます!
かっぺ星人ミッション、ラストバトルです!


比企谷八幡は、一人の黒い少年と共に、ボスとの最終決戦に挑む。

 

 失敗した。和人はそう思っていた。

 

 警察官や渚達から引き離す為に、ロータリーから少し離れた広場へと親ブラキオを誘導しようとした和人だったが――

 

『ご覧ください! 展示場に空いた巨大な大きな穴! 落とされた階段! 一体何があったのでしょうか!? なにかのテロの始まりなのでしょうか!?』

 

 テレビカメラの前で緊迫した表情と共に実況する女性アナウンサー。その他にも、先程の警察官の人達が呼んだ応援なのか、盾を持った機動隊のような人達が何十人もその広場に集結していて、何やら作戦会議のようなものをしている集団もいた。

 そして、その遠巻きにはこういった事態には道端に落とした飴に群がる蟻のようにどこからか現れる、携帯をカメラモードにして騒ぐ野次馬達。

 

 完全に裏目に出た。関係ない人達の被害を避けようと選んだ選択が、完全に裏目に出た。

 

「くそッ! おい、お前達逃げろ!!」

 

 広場へと降りる短い階段。

 そこを和人が駆け下りていると――

 

――前方の広場に、斬撃が走った。

 

 アナウンサーの、カメラマンの、機動隊の、野次馬の、彼ら彼女らの体が、一瞬で二つの肉塊へと変わり果てる。

 

 後ろを振り向くと、人間達の凄惨な死に様を見下ろすように君臨する親ブラキオ。

 

 すぐ真下の階段にいた分、角度的に和人は奇跡的に助かったのだろうが、それに歓喜できるような和人ではなかった。

 

 まず最初に抱いたのは、目の前の惨状への嫌悪感。

 その醜悪な有り様にも、それを創り出した背後の怪物にも――この状況を引き起こした自分にも。この状況を防げなかった自分にも。そして――

 

――次は、自分がこうなってしまうのではないかと恐怖し、怯えている自分にも。

 

 嫌悪する。嫌悪する。嫌悪する。

 

 舞い上がっていた。念願の剣を手に入れ、剣士に、黒の剣士に戻るためのアイテムを手に入れ、何でも出来る気になっていた。

 

 剣さえあれば、何でも出来ると思っていた。剣さえあれば、剣士になれると思っていた。

 

 剣さえあれば、黒の剣士に――英雄に戻れると思っていた。

 

 自分が今いるのはゲームではなく現実で、自分はアバタ—ではなく現実で。

 

 これが戦争で、ここは地獄だということを、不覚にも、愚かにも、忘却していた。

 

 和人は広場に降り立った。右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても。

 

 血で、肉で、死体で、屍体で、死、死、死、死、死死死死死死死死死死――

 

「きゃぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!」

 

 運よく遠くにいて生き残った野次馬の生き残りが絶叫する。彼女らにとっては、突然致死性の鎌鼬が走ったかのように人体が真っ二つに切り裂かれるシーンを目撃したのだ。

 

 彼女達はすぐにここから走り去っていく。出来れば和人も今すぐに続きたかった。

 

 だが、出来ない。頭の中に微かに鳴り響く音色が、ここがエリア外ギリギリだということを知らせているのもあるが、それ以上に――

 

 ガクッと、膝を折って、座り込む。足に力が入らない。完全に恐怖に呑みこまれていた。

 

 手に持つガンツソードが、急に重くなったように感じる。あれ程頼もしく感じたこの剣が、急に頼りなく感じてきた。

 

 そうだ。剣士キリトは、英雄『黒の剣士』は、決してただ剣を持っただけの少年ではなかった。

 

 どんな強敵にも心を奮い立たせて立ち向かい、不屈の魂を持って剣を振るい、敵を屠る。そんな英傑だった。

 

 こんな風に、敵の一発の攻撃で恐怖に呑みこまれるような、情けない男であるはずがない。

 

 力無く、上を見上げる。

 

 そこには、巨大な、巨大過ぎる敵が、親ブラキオが、強大なボスキャラが、桐ケ谷和人を見下ろしていた。

 

 奴は、首を高速に震わす。デスゲームSAOで鍛え抜いた観察眼を持つ和人には、その挙動があの必殺の一撃の予備動作だととっくに看破していた。

 

 そして、自分が今いるここは、その攻撃の有効範囲だと、和人の周りに無数に転がる凄惨な死体が雄弁に教えてくれている。

 

 だが、動けない。剣を構えることすら出来ない。ついさっきまで、何でも出来るような気がしていたのに。

 

 鍍金を剥がされた気分だった。あの、ALOでの最終決戦の時、目の前で何よりも大切なアスナが凌辱されるのをただ見ていることしか出来なかった、あの時と同じだった。

 

 剣一本で世界を救った勇者だという鍍金に、いまだに縋りついていた、子供のままだった。

 

 あの時と違うのは、今の自分を襲っているのが、GM権限による理不尽な重力ではなく、ただただ己の中から生まれる情けない無力感であるということと――そして。

 

 そんな、情けない鍍金の勇者を叱咤する、屈した英雄をもう一度奮い立たせてくれる、偉大なる魔王が、この世界には存在しないということ。

 

『それは、あの戦いを汚す言葉だ。――――立って、剣をとれ。立ちたまえ、キリト君!!』

 

 

「何やってんだ、伏せろ」

 

 

(え――)

 

 突如、そんな声が聞こえたと思うと、強引に上半身をぐっと地に伏せられた。

 

 次の瞬間、すぐ真上を擦過する衝撃。親ブラキオの必殺の一撃だった。

 

 必殺のはずの一撃を、自分は回避した。いや、助けられた……?

 

 自分はまた、助けられた。あの時のヒースクリフのように、茅場晶彦のように、鍍金の勇者を助けてくれた、魔王(だれか)がいた。

 

 それは――

 

「お、おまえは……」

「どうした、桐ケ谷。戦うんじゃなかったのか」

 

 その男は、和人のことを見てすらいなかった。ただ真っ直ぐに、遥か高みで人間達を見下ろしている恐竜達のボスを見据えていた。

 

 臆さず、まるで屈さず。まるで、本物の勇者のように。

 

 和人の脳裏に、再びあの男が過ぎる。あの男の、大きな、偉大な背中が。

 

 桐ケ谷和人が憧れ続けた、勇者であり、魔王であった、あの男の後ろ姿が。

 

 自分は、桐ケ谷和人は、まだ彼らの背中しか見えない。鍍金の勇者は、彼らと肩を並べることは出来ない。並び立つことが出来ない。

 

 今は、まだ。

 

「……ああ」

 

 そうだ。黒の剣士の幻想に、英雄キリトの鍍金に縋るのは、もうやめよう。

 

 彼の役目は、あの日、あの時に終わったんだ。

 

 アスナを助け出し、結城明日奈と出会った、長い長い冒険が終わった、深夜の病室でのあの瞬間、確かに見たんだ。

 

 背に二本の剣を背負った少年が、銀の細剣を吊った少女の手をとって、穏やかな微笑みと共に、自分達の元からゆっくりと遠ざかっていったのを。

 

 彼らの戦いは終わったんだ。いつまでも、彼に頼り、縋っているわけにはいかない。

 

 彼のようになりたい。奇跡の英雄に、黒の剣士に、キリトになりたい。この想いは変わらない。

 

 なら、強くなろう。強く在ろう。彼のような、不屈の強さを。恐怖などに呑まれない、本物の強さを手に入れよう。

 

“キリト”のように強い、“桐ケ谷和人”に、なるんだッ!

 

「戦う! 俺は……約束したんだッ!」

 

『信じてた……ううん、信じてる。きみは私のヒーロー』

 

(なんの力もない俺に、彼女は――アスナは、そう言ってくれたんだ。……だから、約束したんだ。己に誓ったんだ。――――あの言葉にふさわしい自分で在れるように、頑張るって!!)

 

 和人はジッと八幡に目を向ける。

 

 八幡は、和人を一度振り返って、その目を見て、再び前を向く。

 

「……コイツの子供は、腹の真ん中に心臓があった。おそらくは、コイツもそこが弱点の可能性が高い」

 

 そして、再び自身に透明化を施し始める。

 

「援護はする。……どうにかして、そこまで潜り込め」

 

 その言葉を、和人は剣を持った右手を引いて、溜めを作るような体勢で聞いていた。

 

「――ああ……ッ!」

 

 そして、八幡の姿が完全に消えるのを合図に、一気に親ブラキオに向かって突っ込んで行った。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 桐ケ谷は真っ直ぐに親ブラキオに向かって駆けていく。

 それは、本来なら間違いなく自殺行為。愚の骨頂。俺ならば間違っても出来やしないし、俺でなくてもまともな奴ならやりはしないだろう。

 

 俺から言わせれば戦略面として。狙い撃ちしてくださいと言っているようなものだ。

 

 まともなやつからすれば感情面として。あんな巨大な化け物相手に突っ込むなど恐怖以外の何物でもないだろう。

 

 結論として、周りが見えていないか、自分の力を過信している、どちらにせよ馬鹿野郎にしか出来ない行動ということだ。

 

 だが、今の桐ケ谷は。

 瞳に力を取り戻した、今の桐ケ谷の背中は。

 

 まるで、怪物に挑む狩人のようで、邪悪な竜を退治するお伽話の騎士のようで。

 

 奇跡を起こす――英雄のようだった。

 

「うぉぉぉおおおおおおお!!!!!」

 

 桐ケ谷は吠える。

 それを宣戦布告と受け取ったのか、親ブラキオは首をゆらゆらと揺らし始めた。

 

 あの必殺の一撃の、肩慣らしの予備動作。

 

 ……さて、どうするか。ああ言ったからには、何かしらのサポートをしなくてはならないだろう。

 

 本来ならば、別に俺が桐ケ谷と共同戦線を張る意味などない。

 俺はあいつ等を見捨てて、このミッションにおいても一人で戦ってきた。

 

 仮に奴等がこのミッションを生き残り、次からも一緒にミッションをやらされることになったとしても、このスタンスを変えるつもりはない。

 

 だが、だからと言って、こうして同時に同じ敵に立ち向かうとなった時、無駄に意固地になって、わざわざ足の引っ張り合いをすることほど、愚かなことはない。

 

 ならば、利用すべきだ。お互いがお互いを利用し合うべきだ。相互利用という名の共同戦線を張るべきだ。

 

 目の前の怪物を殺し、勝って、生き残る為に。

 

 戦争に、勝利する為に。

 

 このふざけたデスゲームを、クリアする為に。

 

 頼むぞ、SAO生還者(せんぱい)

 

 その力、たっぷりと見せてもらう。

 

 俺は空中にYガンネットを発射する。桐ケ谷の右上方の虚空に向かって。

 

 桐ケ谷は一瞬呆気にとられたが、すぐに意味を察したようだ。やはり只者じゃないな。

 

 親ブラキオの一閃が放たれる。とてもじゃないが速過ぎて、俺ではまともに反応すら出来ない。

 

 だが、Yガンの発光する捕獲ネットが高速に動いたのは見えた。

 

「――くっ!!」

 

――それに、桐ケ谷は反応し、見事にガンツソードでそれを受け流す。

 

 俺はそれを少し離れた場所でしゃがむことで攻撃を回避しながら見届けた。

 

 ……この真夜中の暗闇の中、やはりYガンネットの発光というのは、デメリットであり、使い方次第ではメリットにもなるな。途中であのネットを絡ませることで、あの見えない一撃を視覚的に判別しようという試みだったが、上手くいったようだ。

 

 だが、やはりそれでも俺ではあの攻撃を完璧に防ぐのは無理だな。Yガンネットの動きで攻撃を見極めるのでは遅すぎて防御が成功するかどうかは運の要素が強すぎる。見てから行動することしか出来ない俺では。

 

 しかし桐ケ谷は、その一瞬の予兆で完璧に防いで見せた。さすがに経験値が違うか。SAO生還者(サバイバー)。勝手が違うとはいえ、俺よりもはるかに潜ってきた修羅場(デスゲーム)の数が違うということか。

 

 再び親ブラキオはあの予備動作に戻っている。今の一攻防で大分桐ケ谷は奴に近づいた。

 

 あと一撃、もしくは二撃防げれば、奴の懐に潜り込める。

 

 そして奴の巨体もまた武器であり、弱点でもある。どうしても機動力という面ではT・レックスやトリケラサンには劣るからな。

 

 ……本当は桐ケ谷に注意を引き付ける、有体に言えば囮になってもらって、その隙に俺が懐に潜り込もうと思ってたんだが、さっきのを見て、改めて思った。

 

 あの攻撃を掻い潜って、奴の懐に辿り着くのは、俺には無理だ。

 

 見えない程に速過ぎる一閃を見極め、剣一本で確実に受け流す、桐ケ谷が別格なんだ。

 

 一体、どんな反応速度をしてるんだ。

 

 そして何よりも厄介なのは、このエリアだ。

 入口は一つ。その出口に親ブラキオは待ち構えている。よって、後ろに回り込む、懐に潜り込むには、どうしても真正面から奴に立ち向かわなければならない。今の桐ケ谷のように。

 

 だが、そうなると確実に奴のあの必殺の斬撃の有効範囲内を通過しなくてはならない。奴が透明の俺の姿を認知出来なくとも、ただ無造作に振るうだけで確実に巻き添えを食らっちまう。

 くそっ。桐ケ谷の奴、余計なことをしてくれた。こんなところに誘い込みやがって。まだ、さっきのバスロータリーの方が戦いやすかった。

 

 まぁ、済んだことをごちゃごちゃと言っても仕方がない。あの黒髪に大人しく引き留められた俺にも非があるし、ああして一番危険な役をやってもらってるんだ。よしとしよう。

 

 今、俺がすべきことは、少しでも桐ケ谷をサポートすることだ。

 

 俺は再びYガンを構える。

 ……だが、どうする? 突然、視界内に発光する物体が接近してくれば、反射的にそれを弾き落とそうとするだろうから、斬撃の方向――右薙ぎか左薙ぎかをこっちで確定できると思っての方法だが、奴は知能が高い。言葉を巧みに操れるほどに。ならば、こんな単純な作戦に何度もかかってくれるか?

 

 ……ッ。考えている時間はない、か。

 

 俺はYガンを発射する。今度は桐ケ谷の左上方。同じ場所よりはマシだろうという小細工だ。

 

 そして再び空気を切り裂く衝撃と共に、あの必殺の一閃が襲い掛かる。

 

 キィン!! と、再び桐ケ谷はその鎌鼬のようなそれを、細い刀身で弾き流す――が。

 

「な――ッ」

 

 その呻き声は俺なのか、それとも桐ケ谷のものだったのか。

 

 奴は、親ブラキオは、間髪入れずに再び必殺の一閃を振り抜いた。

 いや、振り抜いてはいない。攻撃範囲を最小限に――桐ケ谷だけに絞り、あの神速の斬撃を桐ケ谷に浴びせ続けている。

 小刻みに、何度も、何度も。

 だが、それは攻撃力の低下を意味しない。あの巨大な刃、そして衰えない太刀筋の鋭さ。おそらくこれまでと同様に一発でも食らえば終わり。例えスーツを着ていようと、そこらへんに散らばる死体のように真っ二つにされるだろう。

 

 つまり、その必殺の攻撃が、たった一人の人間に、何度も、それこそ執拗に何度も振るわれ続けているということは――

 

「――ぉぉぉぉおおおおおおお!!!!!」

 

 桐ケ谷は、暴風雨のように浴びせられ続ける斬撃の嵐を、耐え抜いていた。

 

 その全てに反応し、その全てを防ぎきっている。

 

 奴は……本当に、一体……

 

「剣を!!」

 

 桐ケ谷は、親ブラキオの猛攻に耐えながら、叫ぶ。

 

 姿の見えない、誰か(おれ)に向かって。

 

「もう一本だ!! 剣を!! 俺に寄越せ!!」

 

 俺はその言葉を聞いて、黒髪から受け取ったガンツソードを取り出した。

 

 そして、親ブラキオの攻撃に弾かれないように、低い軌道で桐ケ谷の左手に向けて投擲する。

 

 桐ケ谷は、その剣を、こちらを振り向くことなく片手で掴み取った。

 

 その剣は、まるであるべき持ち主の元に帰るように、自然と桐ケ谷の手の中に収まった。

 

 

「ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおあああああああああ!!!!!!!!」

 

 

 桐ケ谷は、二刀を振るう。

 

 一刀でも凄まじかった剣技が、二刀になったことでその勢いを更に苛烈に増した。

 

 剣は、一本よりも二本の方が強い、なんて単純なものではないらしい。

 単純にまず、筋力がいる。普通、剣は両手で振るうものを、単純に片手でやらなくてはならないからだ。そうでなくても、例え普段から片手で剣を操っていたとしても、その体捌きは一本の剣用の体捌きになっている。体重移動やら重心の置き方やら、それら全てが一本の剣に集約されるように。

 

 つまり、一刀流と二刀流では、根本からして全く別の技術、別の流派なのだ。ましてや三刀流なんてもっての他だ。あんなの歯を痛めるだけだ。経験者が語るんだから間違いない。やはり億越えのルーキーにもなると歯のエナメル質からして違う。

 

 だが、目の前の桐ケ谷は、完璧に二刀流をマスターしているようだった。いや、むしろこちらが本業――本性なのではないかという程に、洗練さが増している。

 

 それは、まるで美しい舞のようで。

 

 それは、まるで猛々しい獣の狩猟のようで。

 

 過酷な戦闘と、極限の戦場で磨き抜かれた、一つの完成形がそこにはあった。

 

 思わず、目を奪われる。

 

 その姿は、奇妙なSF風の真っ黒な全身スーツという出で立ちでも、まさしく、剣士だった。

 

 黒の、剣士だった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 桐ケ谷和人は、ただ一心不乱に剣を振るった。

 

 剣を一太刀振り抜く度に、自分の中に何かが流れ込むのを感じる。

 

 何かが、息を吹き返すのを感じる。

 

 自分の一刀が、二刀が、その太刀筋の鋭さを増し、洗練されていく。

 

 あれほど高速だった敵の攻撃が、よりはっきりと見えてくる。

 

 どこに攻撃が来るのか、どうすれば防げるのか――理屈よりも、感覚で分かるように体が創り変わっていく。

 

 体が、細胞が――みるみる内に、剣士になっていく。

 

『あたし、思うんだ』

 

 その少女は、かつて、どこかの仮想世界において。

 

 幸せそうに暖炉の前で眠る黒髪の少年に、穏やかな微笑みを送りながら、誰にともなく呟いた。

 

『たぶんもう、正常(ノーマル)なゲームの中じゃあ、キリトがほんとの本気で戦うことはないんじゃないかな、てさ。――逆に言えば、キリトが本気になるのは、ゲームがゲームじゃなくなった時。……バーチャルワールドが、リアルワールドになった時だけ。……だから――』

 

 

 

 ザバンッッッ!!!! と、“桐ケ谷和人”の黒剣(ガンツソード)が、獲物(ボス)の首を切り落とした。

 

 

 

『――“キリト(あいつ)”が本気で戦わなきゃならないようなシーンは、もう来ないほうがいいんだよ』

 

 

 

 今、この瞬間。とある心優しき少女の願いは、儚くも崩れ去り。

 

 

 一人の剣士が、新たなる戦場へと降臨した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 これまでのように空間を裂くような衝撃ではない、生々しい、肉体という物質を斬った音が響く。

 

 俺の横を何かが通過する。目で追うと、それは頭部だった。

 巨大な体にはあまりに不釣り合いだと思っていた、だが、こうしてみると俺の身長ほどには大きかった――親ブラキオの、頭部。

 

 桐ケ谷が斬ったようだ。つまり、あの神速の斬撃の猛襲を、桐ケ谷の剣技が上回った。

 

 俺は、恐竜の生々しい頭部よりも、その事実に戦慄を覚える。

 

 あの部屋で感じた、桐ケ谷という男の可能性。

 

 俺よりも、あの陽乃さんや、もしかしたら中坊よりも高いかもしれない、あの部屋の住人としての“適合性”。

 

 コイツは、もしかしたら、本当に。

 

 全てを救う、英雄になれるかもしれない。

 

 あの……『カタストロフィ』を――

 

「――――!!」

 

 その時、こちらから見ていた桐ケ谷の背中から、力が抜けていくのを感じた。

 

 まるで安堵しているかのような、勝って、気が抜けているような。

 

 違う。ダメだ。コイツ等は、首を刎ね飛ばしたくらいじゃ死なない。

 

 

 まだ、戦争(ゲーム)は終わっていないッ!

 

 

 親ブラキオは、その首を高々と振りかぶる。

 

 頭部を失っても、まるで意思があるが如く――殺意が、生きているが如く。

 

 桐ケ谷はそれに気づくが、遅い。完全に緊張感を失っていた体に命令を送って、行動をとるには、あまりに遅い。

 

「跳べッ!!!」

 

 くそっ! 間に合え!!

 

 

 ドガンッッ!!!! と、鉄槌のごときその一撃は、強烈に振り下ろされた。

 

 俺は土煙に目を覆うが、すぐに行動を開始する。

 

 目を細め、先を見据えると――

 

「――な、なんだ、これッ!?」

 

 腰の部分にYガンのネットが巻き付いた桐ケ谷の姿が見えた。

 

 よしっ。なんとか成功したようだ。『カタストロフィ』のことを思い出したのと連鎖的に、中坊が俺にやったアレを思い出すことが出来てよかった。

 俺の跳べという指示に反射的に桐ケ谷が反応してくれて助かったぜ。もし棒立ちのままだったらYガンネットに後押しされるどころか、その場に固定されてなんなら俺とボスの共同で桐ケ谷を殺してたまである。

 

 だが、上手いこといい位置まで後押しできたようだ。そこからなら――

 

「桐ケ谷!!! 上だ!!!」

 

 俺の言葉で桐ケ谷はハッと真上に目を向ける。

 腰を狙ったから身動きは取れなくても両手は自由のはずだ。あの一瞬でダイブしてる人間の腰を狙い撃てるとは俺の射撃センスマジのび太くん。

 

「ダメだ!! 銃が取り出せない!!」

「大丈夫だ!! その剣は伸びる!!!」

 

 そう。ガンツソードは伸びる。そこからなら十分心臓を狙えるはずだ。

 初心者は剣が伸びるということを上手くイメージ出来なくて中々使いこなせないが、桐ケ谷ならそこらへんは問題ないはずだ。だって、さっきの攻防も時折伸ばしてたし。てか無自覚かよ天才かお前。

 

 俺の言葉に半信半疑といった様子の桐ケ谷だが、意を決して右手の剣を引いて狙いをつけると――

 

――奴の腹に、無数の目が現れた。

 

 うわ、気持ち悪ッ。と反射的に顔を顰めた俺だったが、これは不味い。奴に気付かれては、今の桐ケ谷は身動きがとれないッ!(主に俺のせいで)

 

 桐ケ谷も初めはギョッとしていたが、すぐにそれに気づいたようだ。顔色がみるみる青くなる。

 

 そして、親ブラキオは自分の弱点近くにいる侵入者を排除しようと暴れ――

 

「――させるわけねぇだろうが」

 

 俺は暴れそうになる親ブラキオの頭が取れた首をガシッと押さえている。

 

 さすがに自分が身動きを封じた奴のサポートくらいはする。だから、コイツが首を振り下ろして叩きつけた直後、すぐに行動に移ったんだ。さすがに尻尾まで回ってる時間はないからな。

 

 俺はスーツの力を限界まで引き出してゴリマッチョになりながら桐ケ谷に向かって吠える。

 

「早くしろ!! そう長くは持たない!!!」

 

 俺は渾身の力で、数十トンのブラキオサウルスの巨体を押さえ付ける。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「早くしろ!! そう長くは持たない!!!」

 

 和人は必死に拘束から逃れようと体を小刻みに揺らす親ブラキオを見て戸惑っていたが、その声が聞こえた時、あの男がどうにかコイツを押さえ付けてくれていることを悟った。

 

 和人は小さく息を吸い込み、そして止める。

 最小限の間まで精神を集中させ、右腕を引き、狙いを定めた。

 

 イメージするのは、あの鋼鉄の城で、何度も何度も繰り出した、あの突き技。

 

 黒の剣士が最も得意とし、彼を象徴する技である――片手直剣用単発技、《ヴォーパル・ストライク》。

 

 分かっている。あくまでイメージだ。この世界に、この現実に、ソードスキルはない。システムアシストもない。

 

 この手でやるんだ。この手で()るんだ。

 

 この手で――桐ケ谷和人の手で、終わらせるんだ。

 

 ずっと、心の中で燻っていた。どこかで未練を引き摺っていた。

 

 憧れ続けた剣士で在れた、あの時間を。

 

 みんなの憧れの英雄になれた、あの瞬間を。

 

 でも、どこかで忌避していた自分もいた。自分は、そんな称号に、そんな英雄に、ふさわしくないと分かっていたから。

 死銃事件で思い知らされたように、あの世界で散った命、自分が奪ってしまった命への罪悪感は今でも消えずに残っていて、黒の剣士という称号は、英雄であると同時に、自分にとっての罪の証でもあった。

 

 焦がれて、憧れて――でも、忘れたくて、遠ざけたい。

 

 それくらい、あの二年間は――黒の剣士キリトであった時間は、いつまでも和人を戒め続けていた。

 

 いい加減、向き合う時だ。

 

 自分は彼にはなれない。けれど、彼も間違いなく自分だ。

 

 彼に逃げるんじゃなくて、彼から逃げるんじゃなくて、向き合って、受け入れるんだ。

 

 自分は彼にはなれないことを。けれど、自分は間違いなく彼で在ったことを。

 

 そこから始めよう。そこから強くなろう。

 

 そうすることで、桐ケ谷和人の新しい戦いを始めることが出来る気がするから。

 

 黒の剣士から卒業し、桐ケ谷和人が、新しい黒の剣士へと至るための、新たな戦いを。

 

 この技から、始めるんだ。

 

「う……おおおおおおおおああああああああーーーーーーーッッ!!!!!!!」

 

 和人の雄叫びと共に繰り出された渾身の突きに応えるように、漆黒の刀身は撃ち出された。

 

 親ブラキオの胴体を貫き、串刺しにする。

 

 ボスはその苦しみにもがくように首を振り上げ、後ろ足二本で立ち上がった。

 

「う、ぉおお」

 

 首にしがみついていた八幡も、一緒に宙高くに振り上げられる。

 

 和人はその瞬間、必死で離すまいと剣を握りしめ—―

 

「……っぁあああああああ!!!!」

 

 スーツの筋力を膨れ上がらせ、剣を振り抜いた。この時は、Yガンの捕獲ネットによって地面に固定されているのが幸いしたかもしれない。

 

 そのまま剣は胴体から首に向かって切り裂いていき――

 

「ちょ、ま」

 

 八幡は慌てて手を離し、為す術もなく落ちていく。

 その情けない着地音は、親ブラキオの豪快な落下に完全にかき消された。

 

 ドォオオオンッ! という重々しい爆発音のようなそれが合図代わりとなり、桐ケ谷和人はだらんと完全に脱力した。

 

 

 

 親ブラキオは――このミッションのボスは、今度こそ完膚なきまでに死亡し。

 

 比企谷八幡以外に生存者を――それも四名(+一匹)もの新人が生還するという、実に半年以上ぶりの結果を残すという形で、今回のミッションは無事、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かに、見えた。

 




 これで、恐竜達とのバトルは終了です。そして、次は――

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