比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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ふっ。だんだんサブタイに困ってきたぜ。いつも通りだ。


三つの戦場で繰り広げられる、三つの戦争が加熱する。

「才能? ――――僕が?」

 

(この、E組の――エンドのE組の、潮田渚(このぼく)が?)

 

 渚は、そう心の中で付け加え、目の前の男を見上げながら呆然と呟いた。

 

「ええ」

 

 男――『死神』は、そう端的に返した。だが、その声色は柔らかく、そしてその笑顔は慈愛に満ちているかのように――迷える子羊を誘うかのように、優しかった。

 

 渚はその笑顔と声色に、思わずその言葉に全てを委ねたくなってしまう。無条件で、信じ込んでしまいたくなってしまう。――だが、渚は、唇をキュッと噛み締め、顔を逸らすように斜め下に目を向けて俯き、己を掻き抱くように右手を左肘にそっと添える。

 

 エンドのE組として過ごした、三か月。

 そして、広海(ははおや)の二周目として生きてきた――十五年間。

 

 潮田渚という少年の心に刻まれた「自棄」――自己評価の低さ、自己価値の最低さ。

 

 それは『死神』の言葉と笑顔を以ってしても、一言では崩しきれない程に堅牢な城壁だった。

 

 だが、『死神』は、むしろその様を見て、更にその笑顔(かめん)の中の愉悦を深める。

 

 

 だからこそ、それでこそ――素晴らしいと。

 

 

 

 ガバッ!! と、『死神』の腕が、“その手”を()()()()()

 

 

 

「――――ッ!?」

 

 渚は驚愕に目を見開く。

 

 目の前の『死神』は、一切、その穏やかな笑みを崩していない。

 

 ただ、その左腕だけが、別の生き物のように――触手かなにかのようにうねりをあげて、滑らかに――不気味なほどに滑らかに、その手を一瞬で捻り上げた。

 

 

――『死神』の横を、ただ()()()()()()()()()()()()()()()を。

 

 

「――――くッ!?」

 

 その男は、『死神』に自身の手を掴まれると、そのまま捻り上げられそうになった瞬間、咄嗟に身を捻ることで『死神』の腕から脱出することに成功した。

 

「……ほう」

 

『死神』は自分から飛び退くようにして距離を空けたその男を――片手とはいえ、自分の拘束から逃れたその男を、興味深げに眺める。

 

 渚は状況についていけず、茫然としていた。

 

『死神』に襲い掛かられたその男は、身長も大きくガタイもいい西洋人だった。

 渚は今思えばどうしてあれ程接近するまで気づかなかったのかと自らを訝しむ程に、この帰宅時の人混みの中でも、頭一つ大きく異彩な雰囲気を纏う男だった。

 髪は癖毛で、彫りも深い端正な顔立ち――だが、『死神』が全ての者の警戒心を強制的に解き解す笑顔を張り付けているのに対して、この男の表情は険しく、見る者の警戒心を強制的に呼び起こすものだった。

 

 いや、それは、男自身が警戒心を最大限に高めているが故の表情なのかもしれない。

 

 ただ、目の前の――『死神』に対して。

 

「…………」

「なるほど。あなたは素晴らしい殺し屋ですね」

 

 男が向けてくる殺気に――殺し屋が、放つ殺気に。

 

『死神』はまるで動じず、歯牙にもかけず、ただ男のその技量を賞賛する。

 

 遥か上の高みから、見下ろして語る。

 

『死神』は、両手を広げて――

 

「――素手。それが貴方の暗殺道具ですね」

「…………」

 

 男――殺し屋グリップは、死神の解答に何も言わない。何も答えない。

 

『死神』は、構わず笑みを浮かべたまま――嘲笑ではなく、同じく自らの商売道具のその笑みを、殺し屋としての暗殺道具のその笑みを――『死神』の笑みを浮かべたまま続ける。

 

「面白い発想です。金属探知機や身体検査を無条件で通過出来る、そのメリットは大きい。証拠も残さず、不意討ちにも対応でき、警戒心も与えない。――先程のように、ただすれ違い様に頚椎を破壊するだけで殺せる。お手軽で、尚且つ無駄のない。美しい暗殺だ」

 

 渚は、ただ死神の話を呆然と聞いていた。

 突然に、今までまるで触れてこなかった世界の――世界の裏側に巻き込まれて、茫然としていた。

 

 そんな渚を巻き込んで、『死神』と、殺し屋の、やり取りは続く。

 

「そして、その暗殺が失敗しても、君は逃げようとしない。おそらくは真正面から戦えるだけの戦闘力も持ち合わせているのでしょう。……だが、それは殺し屋としてはあまりいい選択ではない。君程の殺し屋なら当然それは熟知しているでしょうし、仕事に私情を入れるようなタイプにも思えません。――おそらくは仲間がいますね。……一人……いや、二人、ですか?」

「「「――――ッッ!!?」」」

 

 その言葉に、これまで『死神』のどんな言葉にも、その険しい表情を崩さなかったグリップが、遂に驚愕に表情を染めた。

 

 そして『死神』が一瞬辺りを見回した時、二カ所だけ、その目線が止まっていた。

 

 その時、確かに目が合った二人――グリップと共に『死神』暗殺の仕事を請け負った二人の仲間――人混みの中で隙を伺っていた毒使いのスモッグと、少し離れた場所で銃をしゃぶっていたガンマンのガストロ――は、自分が『死神(ターゲット)』に発見されたことを悟った。

 

「……マジかよ」

「……どうなってやがんだ」

 

 スモッグとガストロは、そのあまりの“嗅覚”に――『死神』の嗅覚に、思わず冷や汗を流しながら苦笑する。

 

 対して『死神』は、グリップに相変わらずのその笑顔を向けながら、まるで授業をするかのように、種を明かした。

 

「単純なことです。第一陣(あなた)が暗殺に成功すれば、それでよし。万が一失敗した場合でも、戦闘能力にも優れた貴方が私を足止めし、隙を見て前以て待ち伏せしていた残りの二人が私を殺す。――本命(メインプラン)の他に、第二、第三の刃を研いで(よういして)置くのが、優れた暗殺者(アサシン)の、定石(セオリー)常識(マナー)ですからね」

 

 そして、『死神』が、その笑顔を変えた。

 

 相手の警戒心を解す“無害”過ぎる笑顔から――――好戦的な、捕食者の笑みへ。

 

「そして――その上で、貴方達の配置は完璧すぎる。この場所で標的(わたし)を狙うのにあまりにも最適なポジションを選び過ぎている。いつも貴方達が相手をしているような標的(ターゲット)ならば、確かにそれが模範解答(ベスト)でしょう。しかし、“同業者(わたし)”にとっては、そこは常に警戒している場所(ポジション)だ。もう少し遊び心が欲しいですねぇ。覚えておくといいでしょう」

 

 グリップはその圧倒的な殺気を受けて――――笑った。

 

 冷や汗を流しながら、それでも、伝説に誤りなどなかった、と。

 

「――『死神』の看板に、偽りなしというわけかぬ」

 

 そういってグリップは、その手を――商売道具で暗殺道具であるその素手を、調子を確かめるようにバキバキと鳴らした。

 

「………………ぬ?」

 

 渚がポツリと呟く横で、死神は面白そうに呟いた。

 

「ほう、貴方達のプランは崩れたというのに、まだ続けるおつもりですか?」

「ここで引いても、俺達にはお前の不意を突けるような(プラン)は用意できないぬ。しかし、だからといって、はいそうですかと納得するような依頼主(クライアント)でもないぬ」

「……なるほど。やはり柳沢ですか。貴方達も大変ですねぇ」

「ふっ。依頼主(クライアント)を選ぶ目も殺し屋が長生きするのに必要な能力だぬ。俺達にはそれが足りなかったというだけのことぬ。同情はいらないぬ」

「…………………………ぬ、多くない?」

 

 渚の豪胆なのか混乱しているのか分からない呟きなどまるで聞こえていないかの如く、二人の殺し屋は、徐々にその殺気を膨らませていく。

 

「もはや私に残された唯一の道は、ここで仕事を完遂させること、それだけだぬ」

 

 そしてグリップは、何故か好戦的な、楽しそうな笑みを浮かべながら――目の前の無敵と戦えることに喜びを覚えているかのように――『死神』に向かって襲い掛かる。

 

「故に――死んでもらうぬ! 『死神』!」

 

『死神』は、その殺害予告に――殺害宣言に、両手を広げることで答えた。

 

「そういえば、まだあなたの名前を聞いていませんでしたね?」

 

 普通に考えれば、この場面で、この言葉は、彼を殺そうと襲い掛かってくる目の前の殺し屋に向けたものであると考えるだろう。

 

 だが渚は、気が付いたら、その質問に自然と答えていた。

 

「……………潮田、渚です」

 

 その言葉に、死神は穏やかな声色と背中で答えた。

 

「渚君。これは、こんなことに巻き込んでしまった、せめてものお詫びです」

 

 優しげな笑みを浮かべながら。

 

「君に、ささやかな“刃”を授けましょう」

 

 先生が、生徒に授業す(おしえ)るように。

 

 その、“必殺技”を伝授した。

 

 

 

 パァン! ――と、その音は鳴り響いた。

 

 

 

 それは、死神の背後にいた渚には、拍手と対して変わらない程度の音量だった。

 

 だが、それは、その音は――その両手は。

 

 

 

 潮田渚という少年の――――世界を変えた。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 前から、そして後ろから。

 挟み込むように、押し潰すように、黒服の集団が和人達に襲い掛かる。

 

「キリトくんッ!」

 

 明日奈がギュッと和人にしがみ付く。彼女を力いっぱい腕の中に抱き締めながら、和人は金髪の男――氷川を睨み付けるように見据えた後、自分達に向かって猛スピードで距離を詰めてくる黒服達を見渡す。

 

(クソッ!? どうする!? 俺は今スーツも剣も持っていない!! そもそもあの戦争(ゲーム)は、こんな日常世界(リアルワールド)でも狙われるようなシステム(もの)だったのかッ!?)

 

 アイツは知っていたのか? ――と和人は一瞬、何処にいるとも知れない八幡へと思いを馳せるが、今はそれどころじゃないと瞬時に頭から追い出す。

 

 だが、悠長に思考を巡らせている時間はない。

 自分を見下すように新たな煙草を取り出している氷川を睨み付け、歯を食い縛り――――和人は駆けた。

 

 身を伏せるようにして屈み、乱雑に振り抜かれた黒服の一閃を全力で躱す。

 

 そして、そのまま明日奈を抱えて、唯一、黒服の男達がいない方向――

 

 

――右手のガードレールを越えて、“下”へと跳んだ。

 

 

「なっ!?」

 

 一人の黒服が驚愕の声を上げる。氷川は面白そうに口角を吊り上げていた。

 

「キリトくんッ!」

「アスナッ!!」

 

 和人は明日奈を庇うように、己の背中を下に――地面に向けるように空中で回転する。

 

 そして――

 

「が、ハッ………ッ!?」

 

 ドンっっ!! と、下に駐車していた車の屋根に落下した。

 

 肺の空気が強制的に吐き出され、視界が一瞬真っ白に染まりながらも、和人はツイていると歓喜していた。

 

 元々坂道の勾配からしてそこまで高さがあるとは――精々建物の二階程の高さだろうと踏んでいた――思っていなかったが、それでも住宅街ということもあって漫画やアニメのように木々の枝によって落下の衝撃が和らげられるといったことは期待出来なかった。

 

 故にそのまま地面に叩きつけられることを覚悟をしていたので、落下地点に車が停めてあったのは――車の持ち主には申し訳ないが――考え得る限り最高の結果と言えた。

 

「き、キリトくん!」

「……だ、大丈夫か、アスナ……」

「……わたしは大丈夫。キリトくんが守ってくれたから。……そ、それよりもキリトくんが――」

「俺のことはいい」

 

 そう言って和人は、落下の衝撃によって未だ痛みが引かない体を無理矢理起こし、アスナの手を引いて車から飛び降りる。

 

 目の前にあるのはどうやら小さな倉庫のようだった。それなりに大きいが、木造の古びた蔵に近い倉庫。

 

 和人はアスナの手を引いてその建物の中に逃げ込んだ。

 

 自分達が飛び降りることが出来たのだ。奴等が――星人が、最短ルートで追撃に来ないはずがない。

 

「待てやぁ!!」

「逃がすかよ!!」

「「――――ッッッ!?」」

 

 案の定、和人達が身を隠す前に、次々とガードレールを踏み台に飛び降りてくる黒服の星人達。

 

 明日奈はその光景に目に見えて怯えていて、和人は忌々しげに、その場所から一歩たりとも動かず、必死に逃げ惑う自分達の奮闘を嘲笑うかのように笑みを浮かべながら、高い所から見下ろしている氷川を睨み付ける。

 

(……クソッッ!!)

 

 何とか倉庫内に飛び込んだ明日奈は思わずその場に座り込んでしまうが、和人は明日奈から手を放すと、すぐにその扉を閉めるべく動く。

 

「アスナは他に出入り口がないか調べてくれ!! あったらそこをすぐに閉めて鍵を掛けろ!!」

「う、うん!」

 

 この状況にも冷静に――ではないかもしれないが――対応出来ている和人に、明日奈は頼もしさと同時に戸惑いも覚えるが、それでも彼の足を引っ張るわけにはいかないと、恐怖で竦みそうになる足を必死に動かして、立ち上がり、行動する。

 

 この倉庫は相当に古いもので、全体的に木で出来ているが、後に一部を作り変えたのか、正面の扉だけは頑丈な金属製で、内側か外側に鉄製の閂を嵌めることで鍵を閉めるタイプのようだった。それはつまり、内側からだけでも閉めたら扉は開かなくなるということ。

 

 和人は急いで鍵を閉め、閂を差し込む――と、ほぼ同時に、扉にドォン!! という衝撃が轟いた。

 

「ッッ!?」

「ヒっ!?」

 

 和人は思わず目を瞑り、明日奈も恐怖で硬直するが――幸いにも扉は完全には破壊されていなかった。

 

 だが、頑丈であるはずの金属製の扉は大きく内側に凹み、扉が破られるのも時間の問題のように思えた。

 

「………ッッ」

 

 和人は、気休めだとは分かっていても、必死に扉を外側に押す。

 

 その間も「開けろッ!!」という怒声と、ダァン!! ダァン!! という轟音が続き、その度に扉は突起のように内側に凹んでいく。

 

 明日奈は、最早立っていることは出来なかった。

 恐怖で膝の力が抜け、瞳が徐々に涙で潤んでいく。

 

 対して和人も、ただ両手で扉を押しているだけで、現状を打破する考えが思い浮かばない。

 顔が下を向き、歯を食い縛る。ポタッと一滴、汗が土の床に垂れた。

 

 もしかしたら、このまま扉が変形していけば開かなくなるのでは――と淡い考えを抱いたが、これだけの怪力の攻撃を受け続けていたら、例えそうなったとしても突き破って侵入されるだろうと、否定的な考えだけはすぐさま思い浮かぶ。

 

(どうする!? どうしたらいい!?)

 

 誰か助けは来ないのか? ユイは今日は直葉が預かっているし……そもそも、こいつ等は一般人に見つかることを恐れていないのか? と和人が必死に思いを巡らせていると――気が付いたら、外の轟音が止んでいることに気付く。

 

「………………なんだ?」

「………諦めた、の?」

 

 いや、違う。そんなはずはない。と、和人は明日奈の呟きを脳内で即時に否定した。

 

 わざわざガンツミッション中ではなく、こんな昼間に――それも昨日の今日というタイミングで――待ち伏せしてまで、あれだけの仲間を引き連れた上で襲い掛かってきたのだ。この程度で奴等が引くはずがないと、和人は確信する。

 

 だが、ならばなぜ? 奴等の怪力(パワー)ならばこんな扉はすぐに破れるだろうし、そもそもこの扉を突き破らなくとも、木造の残る三辺など一撃で――と、思い巡らす和人の耳に、微かに、その音が聞こえた。

 

 チャキ、と。

 

 微かに、本当に微かに、扉の向こうから、そんな音を聞いた――気がした。

 

 それだけで一瞬フリーズした和人の体は、次の瞬間には遮二無二に駆け出していた。

 

「――アスナッッ!!!」

 

 明日奈の、元へ。

 

「え――」

「伏せろッッ!!」

 

 和人は跳び、明日奈の上に暗がりの倉庫内で押し倒すように圧し掛かる。

 

「きゃっ」

 

 そんな明日奈の可愛らしい悲鳴を――掻き消すように。

 

 小さな倉庫を蜂の巣に変えんばかりの銃弾の豪雨が、横殴りに一斉に降り注いだ。

 

 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ、と。

 

 黒服の吸血鬼の集団が、己の指先を銃へと変え、横一列に並びながら、その倉庫を狙い撃ちした。

 その指揮を執るのは、当然のように氷川だった。

 

「攻撃を続けろ。奴を炙り出せ」

 

 そして、再び、右手を振り下ろす。

 

 その合図により、銃弾の豪雨の第二陣が、すでに虫食いだらけのボロボロの倉庫に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 俺は一歩、目の前のグラサンに向かって、その一歩を踏み出した。

 

 そして、俺のパーカーを掴んでいた新垣の手が離れる。

 

 グラサンの笑みが――殺気が、更に濃くなった、その瞬間――

 

 

「――――え?」

 

 

 

――コントローラーを取り出し、透明化を施した。

 

 

 

「な――ッ!?」

「野郎ッ!?」

 

 突如、姿を消した俺に対し、周囲の取り巻き共が喚きたてる。

 新垣は小さな困惑の呟きを発しながらも、何も言わない。

 

 

「狼狽えるなッ! クズ共!!」

 

 

 その時、グラサンがまるで大気が震えんばかりの怒声を放ち、混乱を一発で沈める。

 

 ……もう少し混乱してくれれば助かったんだが、そう上手くはいかないか。

 

「銃を構えろ!」

 

 そして、グラサンは右手を挙げると共に指示を出す。

 

 ……さっきはタイマンをやるかのような口ぶりだったが、透明化によって俺が逃亡することを恐れての牽制か?

 

 取り巻き共は、先程の混乱が嘘のように統一の取れた動きで、己の右手から銃を作り出し――

 

「――そして、狙えッ!!」

 

 

――その銃口を、“新垣”へと向けた。

 

 

「――――ッ!?」

 

 新垣は突然、周囲の黒服達が己を標的としたことに困惑し、混乱してるようだった。

 顔を青くし、叫び声すら上げられない程に恐怖している。

 

 そして、グラサンは声を張り上げて言った。

 

「聞けッ! もし貴様が逃げ出した場合、女は殺す!! そして、例え地の果てまで逃げようとも、必ずお前も殺す!!」

 

 ……はっ。実に下らない脅しだ。

 

 まず第一に、俺に新垣を助けるメリットがない。

 そして第二に、ここで俺が新垣を助けようと助けまいと、結局やられることは何も変わらない。

 

 例え逃げずにグラサンと戦ったとしても、奴は俺を殺す気で来るだろう。殺す為に戦うだろう。

 そして俺が負けたら、奴は新垣も躊躇なく殺すだろう。殺さない理由がない。ならば、間違いなく奴は殺す。

 

 ……なんだ、それは。取引としても、脅迫としても、まるで成り立っていないじゃないか。

 

 だが、それでも、事態は落ち着いた。

 味方の困惑を一瞬で沈め――――勝負でも、先手を取った。

 

 ……やはり、強い。場慣れしている。

 これだけの集団を率いていることといい、グラサンは吸血鬼の組織の中でも相当に“上”の人間なのだろう。

 

「ひ、比企谷さん!!」

 

 その時、何十もの銃口を向けられている新垣が、悲鳴を上げるように叫ぶ。

 

 ……まぁ、そうだろうな。自分の命運が――命の運命(さだめ)が、俺なんかに係ってるんだから。

 

 恐怖して当然――

 

 

「――勝ってください! それが無理なら――逃げてください!!」

 

 

 …………へぇ。

 

 

『……どうか……ッ……どうか――』

 

 

――助けてください、じゃ、ないのか。

 

 

「さぁ、どうした! この女がどうなっても――っ!」

 

 バァン!! と、破裂音。

 

 グラサンの言葉を遮るように、一体の吸血鬼の頭部が吹き飛んだ。

 

 奴の一番近くにいた名も知らない吸血鬼の体は、ぐらりと揺れ、そのまま倒れ伏せる。

 

 騒めく黒服達。目を見開く新垣。そして――――凶悪に笑う、グラサン。

 

「……なるほどな」

 

 ……どうやら、吸血鬼っていっても身体は再生しないようだ。

 これは死んだ奴が格下だったからなのか、それとも――

 

 ……まぁいい。

 別に新垣の言葉に心を動かされた訳じゃない。アイツの言う通り、負けそうになったら――殺されそうになったら全力で尻尾を巻いて逃亡させてもらう。

 

 だが、この状況は、言ってみればチャンスだ。

 

 どうせ、吸血鬼(こいつら)とはいずれは戦うことになっていただろう。遅いか早いかの違いであり、それにここでこいつ等を全員殲滅しても、他に吸血鬼のグループが残っていたら、やはり戦うことになるだろう。――あの部屋のミッションで、戦うことになるのだろう。俺が知っているだけで、他に少なくとも氷川とかいう金髪と、大志がいるのだから。残っているのだから。

 

 その時の為に、今、ここで、得られるだけの情報は獲得するべきだ。

 元々その為に俺はセミナーへと向かっていたのだから。向こうから来てくれてラッキーなくらいだぜ。……まぁ、強がりが多分に含まれているのは認めるが。

 

 それに、嬉しい、大誤算が、一つ。思わず泣いてしまいそうな、サプライズが一つ。

 

 こいつだ。このグラサン。千手クラスの、化け物星人。

 この怪物は、間違いなく吸血鬼星人の中でも最強クラスの化け物で――そして、吸血鬼組織の幹部クラスの存在だろう。

 

 証拠はないが、確信はしている。むしろ、こいつクラスの化け物が単なる部隊長レベルだったら、その時は間違いなく俺達は――ガンツは、そして地球人は終わりだ。

 

 だからこそ、ここで殺せるメリットは大きい。

 もちろん、それと同等以上に、俺自身が殺されるかもしれないというデメリットも大きいが。

 

 ……はぁ。ハイリスクハイリターンなんか、俺の主義じゃないんだが。

 

 それでも、ここはやるしかない場面だ。

 

 

 ()ってみせるさ。

 

 

「いくぞ」

「来い」

 

 俺の呟きがまるで聞こえたかのようなタイミングで、グラサンがそう言い――足を引き、重心を落として、構える。

 

 俺はグラサンにXガンを向けた。

 

 必ず――勝つ。

 

 九十九点。――やっと、ここまで辿り着いたんだ。

 

 こんな、ガンツと関係ない――一円にも、一点にもならないくだらない戦争で、死んでたまるか。

 

 だから、さっさと死ね。グラサン野郎。

 

 

 お前には――一点の価値もありやしない。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 パリィン!! と、街灯が割れた。

 

「っっ!?」

「な、なんだ!」

「どうなってやがる!?」

 

 突然、明かりが失われ、既にすっかりと暗くなっていた夜の闇が暴力的に広がる。

 

 そして、続いて地面のアスファルトが爆発した。

 ドガンッ!! ドガンッ!! ドガンッ!! と、連続するその爆発が、黒服集団を再びパニックに落とし込む。

 

 答え(タネ)は単純だ。

 

 俺はまず街灯にXガンを放ち、タイムラグによって効果が発現する前に、地面を連射した。

 

 いわゆるポルターガイスト現象。それを俺は再現した。

 

 攻撃とは、何も身体的外傷を与えるものだけじゃない。

 心理的、精神的に相手を揺さぶり、隙を作る。そして、決定的な一撃を与える――これも立派な攻撃だ。

 

 爆発の連鎖は、そのままグラサンに向かって突き進む。

 アスファルトの瓦礫の波が、グラサンに向かって襲いかかる。

 

 これが俺の戦い方――弱者が強者を屠る為の――

 

「小細工だな」

 

 グラサンはそう断じる。俺の口元が思わず醜悪に歪む。

 

 ああ、その通りだ。そんなことは百も承知、誰よりも俺が認知している。

 

 前述の通り、これは精神的揺さぶりを狙った戦術だ。

 スーツの力で透明人間になり、その姿が見えなくなったことを利用したポルターガイスト現象の再現によって、相手の混乱を(いざな)い、動揺を誘う為の、まさしく小細工。

 

 だが、例え小細工だと分かっていても、お前等は俺が起こすその現象に注目せざるを得ない。俺の意図を探る意味でも、この児戯のような小細工から探らざるを得ない。俺の姿が見えない以上、俺の行動を知る手掛かりは、この小細工しかないんだから。

 

 だからこそ、隙が生まれる。

 

 俺はガンツソードを取り出し――

 

 

――グラサンの背後から、ガンツソードの柄の尻に右の掌を添え、押し出すように突き出すっ!

 

 

 

――それを、グラサンは、振り返ることすらせず、右の掌だけで受け止めた。

 

 

 

 ……俺の渾身の力の一撃を、駆動音を出さない為に最大限の力を発揮したわけではないが、それでも十分に超人といえるだけのスーツのパワーをふんだんに乗せた一撃を、あんな体勢で受け止めた――――否、重要なのはそこではない。それよりも、もっと重要なことがある。

 

 それは――

 

「――お前、やはり、認識出来(みえ)てるな?」

「……ほう、もう気付いたか?」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 そもそもが、最初の一撃。

 

 俺はあの時、グラサンに一番近い星人――――などではなく、グラサン本人を狙った。

 

 当然だ。これだけうじょうじょいる取り巻き共を一人減らしたところでたかが知れている。それよりも、不意討ちでもなんでも、これから戦うことが確定しているグラサンに――倒せるとは思っていなかったが――少しでもダメージを与えることの方がよほど合理的だ。

 

 だが、結果として、その攻撃は目論見ごと外れ、関係ない吸血鬼が一人頭を吹き飛ばすこととなったが、それはつまり――

 

――グラサンは、透明化して見えないはずの俺の攻撃を避けた、ということだ。

 

 しかし、これだけでは判断出来ない。

 街灯の光を背負っていたとはいえ、Xガンは発射時に発光する。音も発する。例え俺の姿が見えなくても、回避するのは十分に可能だ。

 

 よって次の手では、あえてその光と音を利用した。

 無意味に乱発し、精神的動揺を誘うのと同時に、ブラフを立てた。

 

 自分の動きの線を描くように、爆発をグラサンに向かって徐々に近づける。

 そして、Xガンを十分に意識させ――止めにはもう一つの武器、ガンツソードを選択した。

 

 音もせず、光も発しない、刃物による攻撃。

 

 そして、そこにもうワンアクション加える。

 本来、透明化して姿を消している状態ならば意味を生まない――背後への回り込み。

 

 部分的にブーツの力を強くして、一歩でグラサンの背後に回り込み――突き刺し。

 

 Xガンがブラフだと気づいても、背後からの奇襲までは、おそらくは察すことは出来ないはずだった。

 

 だがグラサンは、俺が背後へと移動する為、長距離を瞬間的に移動した最後の一歩、その瞬間――――僅かに、首を動かした。

 見えないはずの俺の姿を追うように、目線を動かした。

 

 それまでは俺に見えているということを気づかせないためか、俺の方を露骨に見ようとしていなかったが、あの一瞬、(おれ)の急な動きに本能的に反応していた。

 

 間違いなく、こいつに俺の姿は見えている。――――ガンツスーツの透明化は、通用していない。

 

 俺はすぐにグラサンと距離を置き、剣を仕舞う。

 

 グラサンは、もう隠す必要はないとばかりに露骨に透明な俺と向き合い、周りの取り巻き達に言った。

 

「お前等、もういいぞ。コンタクトかグラサン、好きな方を装着しろ」

 

 そう言うと、黒服達は一斉にサングラスを付け始めた。

 

 ……まさか、そんな対策まで用意しているなんてな。

 

「このサングラスは、お前等ハンターが周波数を変えて姿を消しても、それに対応出来るように開発されたものだ。お前等の姑息な小細工は――俺達には通用しない」

 

 ……周波数。この透明化や、ミッション中に一般人に姿が見えなくなるのも、そんな原理だったのか。初めて知った。

 

 俺ですら――半年以上もガンツの所で傀儡(おもちゃ)をやっている俺ですら知らないようなことを、こいつ等は当然のように知っていて、対策している。

 

 俺よりも、ガンツを熟知している――敵。

 

 ……こいつ等は――吸血鬼は、一体、どれほどの年月、ガンツと戦ってきたんだ?

 

 どれだけの年月、ガンツに狙われて、生き残り続けてきたんだ?

 

 こんな奴等に、俺は勝てるのか?

 

「……知らなかったな。そのグラサンは中二病で掛けてたわけじゃなかったのか」

 

 そして、驚くべきは――グラサン野郎の、取り巻きの連中。

 正直言って、あまりにもあっさり一人殺せたから、甘く見ていた。侮っていた。

 

 こいつ等は、透明になった俺の姿を見つけることなど、本当は容易かった。

 

 だが、それでも、奴等は自分達のリーダーと俺の一騎打ちの為に、リーダーの策が、俺に露見するのを避けるために――それを使わなかった。

 

 使わなかったが故に、あっさりと、俺に一人殺されているというのに。

 俺の気まぐれで、自分も同じように、いつ殺されてもおかしくなかったのに。

 

 それでも、誰一人として、我が身可愛さに、我が命惜しさに――逃げなかった。懐に手を伸ばすことすらしなかった。

 

 恐ろしい忠誠心だ。その見た目に反して、こいつ等は見事に育てられた兵隊だ。

 

 そして、グラサン。

 こいつも、ただの戦闘狂じゃなかった。

 

 相手を騙し、罠を張る――そんな狡猾さも、持ち合わせている狩人だった。

 

「今度は、こっちから行くぞ」

「――っ!?」

 

 ちっ、思考に耽っている場合じゃないッ!

 

 俺は、半身を引いたグラサンを注視して、その挙動に目をくば――――

 

 

「――――ッ!!??」

 

 

 な――――に?

 

 

 気が付いたら、その真っ黒なグラサンが視界を占める程の至近距離に接近されていて――

 

 

――それにより頭が真っ白になっている間に、強烈な衝撃が俺のどてっ腹を貫いていた。

 

 

 ドガンッッ!!! と吹き飛ばされた俺の身体は、民家の塀をぶち破り、ガシャアン!!と民家の窓ガラスを破壊し、家屋の中に叩き込まれた。

 

 

「比企谷さん!!」

 

 新垣の叫びが遠くから聞こえる中、俺は見ず知らずの他人の家のフローリングを盛大に転げ回り、胃液が逆流しているかのような体内を暴れまわる苦しさにのたうち回る。

 

 す、スーツは……生きているのか? 生きていて、この威力(ダメージ)……なのか?

 

 あまりに速すぎて、あまりに痛すぎる。

 

 腹を襲ったのが拳なのか蹴りなのか肘なのか膝なのかも分からない。

 

 単純な速さだけなら、昨日のブラキオ親子の首一閃に匹敵する。

 

 だが、グラサンは奴等のそれよりも遥かに恐ろしい。

 攻撃の規模が小さい分、モーションが小さく、予備動作もない。そして、何より、避けられない。

 

 ……これだけの戦闘力に加えて、人間相手に策謀で互角に渡り合える頭脳――か。はは、さすが“選ばれし存在”。大志の言ってたセミナー講師がドヤ顔するのも頷ける。

 

 クソッタレが。

 

 ……こんな攻撃、何発も喰らえない。

 スーツの耐久度の問題もそうだが、それ以前に、俺の身体がもたない。下手すりゃ、スーツが生きていても死んじまうかもしれない。……もしかしたら、“そういう”攻撃なのか? アイツ等の“ガンツ”対策の周到さから考えたら、あながち間違いじゃないかもな。

 

 とにかく、だ。

 

 俺はゆっくりと立ち上がりながら、思考を巡らす。

 

 弱者が強者に――最弱(おれ)最強(あいつ)に勝つ方法に、思考を巡らせる。

 

 ……奴等に俺の戦闘スタイルの生命線である『透明化』は通用しない。

 

 俺の戦法は、基本的に不意討ちだ。

 

 姿を隠して、背後に回って、騙し討ち。

 卑怯に――卑屈に、最低に、陰湿に――殺す。

 

 戦闘になる前に、敵が強さを発揮する前に、俺の弱さが露呈する前に――殺す。

 真正面からは決して向き合わず、真後ろに回って背中から刺し殺す。

 

 だが、それは、今、この場面では通じない。

 

 お先が真っ暗だった。辺り一面に広がる夕闇のように。

 

 一寸先すら闇だ。一筋の光明もない。――いや、俺が街灯をぶち壊して自分から消したのか。

 

 闇の中に、逃げたのか。

 

 それでこうして追い詰められているのだから、まるでいつもの俺のようだ。

 

 ……ああ、なんだ。

 

 いつもの俺じゃないか。

 

 勝ち目がないなど、今に始まったことではない。俺が負けることなど、いつも通りのお約束じゃねぇか。

 

 辺り一面真っ暗で、一寸先すら見えなくて――奴等はきっと吸血鬼だから、こんな闇の中でも、いや闇の中でこそはっきりくっきり見えているんだろう。

 

 いいだろう。ならば精々、その夜目が効くお目目にしっかりと焼き付ければいい。

 

 相手は千手クラスの最強の怪物。

 そして俺は、真正面からの戦闘力は、陽乃さんや桐ケ谷には到底及ばない最弱の人間。

 

 そんな俺が、社会的最弱者のぼっちが、陽乃さんですら敵わなかった千手級の怪物を――見事に殺すところをお見せしよう。

 

 戦いにもならないだろうって? 勝率なんて絶無だろうって?

 

 知ってるさ。だから、何だ?

 

 

 

 結局、殺せばいいんだろう?




次回は渚と和人の戦争で一話。
八幡の戦争はその次の話で丸々一話なのでご容赦を。

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