比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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前半東条サイド。
そして後半は、あの大人たちサイド。


湯河由香は、その男に巻き込まれてしまった為に涙を流す。

「グォォォオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

「グゥゥゥゥォォォオオオオオオオオ!!!!!!」

「はははははははははは!!!! はははははははははははは!!!!」

(なにこれなにこれなにこれこれなに意味わかんない意味わかんない意味わかんない意味わかんない!!!)

 

 その少女は自身が隠れる壁の向こう側から響き続ける、コンクリートを破壊する轟音と、怪物の咆哮――そして、無邪気な男の笑い声を、必死に両手で耳を塞いで体を丸めながら否定し続けた。

 

(これは夢これは夢これは夢これは夢これは夢これは夢――)

 

 ドゴォン!! と少女が身を隠す壁が荒々しく切断された。

 

「ひぃぃぃいいいいいいいいい!!!!!!」

 

 少女はビクッッ!! と身を震わすも、少女故の体躯の小ささが幸いし、少女の頭上をゆびわ星人の巨斧が通過しただけで、なんとか無傷だった。

 

 が、心はそうはいかない。

 少女は訳も分からない内にこんな戦場に放り込まれ、戦争が始まった瞬間からあの怪物と遭遇してしまった為か、足が竦んで上手く走れず、結果として他の新人達とはぐれてしまったのだ。

 

「…………っ」

 

 ぐっと歯を食い縛り、少女は恐怖で震える体を必死に動かして、切断されたが故に背丈が自分の座高よりも少し高いくらいにまで縮んでしまったその壁から、そっと向こう側の景色を覗く。

 

 結果として、少女は――湯河由香は、戦争に巻き込まれてしまった。

 

 そして、そんな由香の少し先では、一人の戦士と二体のゆびわ星人の激戦が繰り広げられていた。

 

「グォォォオ!!! グォォオオオ!!! グォォォオオオオ!!!!」

「グォォォォォォオオオオオオオオオ!!!!」

「ははははははははははははははははははは!!!!!」

 

 否、それは戦闘といえるのか。

 十メートルの巨騎士が二体がかりで襲い掛かるも、由香のような何の戦闘知識もない、戦争どこか格闘技すら見識がない素人からみても、明らかに――

 

――圧倒しているのは、一人の小さな人間だった。

 

 いや、十メートル級のゆびわ星人と比べたら矮小というだけで、中学一年生の由香から見ればその男も巨人と称するに相応しい体躯だったが、このやや離れた場所から見れば、やはり巨人と小人の戦争だった。

 

 だが、その小人は、楽しげに笑みを浮かべながら、騎士が跨る巨馬の足を掴み上げ、力任せに放り投げる。

 放り投げた巨馬は別の騎士への弾丸となり――激突。その巨体が馬上から地に堕とされ、重々しい轟音が響く。

 

 この距離まで轟き渡る戦闘音だけでも、由香は恐怖する。

 目の前の光景との間に、何のディスプレイも介在していないことが、まるで信じられなかった。

 

(……なに、これ……何なの……一体、何だっていうのよ?)

 

 訳が分からず、意味が分からない。

 目の前の戦争も、自分が着せられたこのスーツも、あの変な黒い球体がある部屋も、そして自分が置かれている状況も。

 

 何も分からず、ただ目の前の戦争を眺めていた。

 あの金髪の虎のような男は、本当に楽しそうに漆黒の騎士達を蹂躙している。

 

 巨騎士が巨斧を振り回しても、巨馬の蹄で踏み潰そうとしても、その男――東条英虎はものともしない。

 

 真正面から受け止め、元々超人的だったパワーをスーツによって更に強化したその腕力で、圧倒的な力で圧倒する。

 

 通じない。格が違った。

 星人を、怪物を、たった一人の地球人が圧倒していた。

 

 

 明らかにこの戦場に置いて、東条こそが狩る者で、ゆびわ星人が狩られる者だった。

 

 東条英虎こそが強者で、ゆびわ星人こそが弱者だった。

 

 

 力。強さ。

 この一つのパラメータで、ここまで明確に差が出来てしまう。役割が、位置付けが、格付けが決定づけられてしまう。

 

 それが戦場で、それこそが戦争だった。

 

「…………」

 

 何も分からず、訳が分からない由香だったが、分からないなりに、その非情を、その理不尽を――その真理を、何となく察し、何となく学び、何とも言えない気分にさせられた。

 

 断じてゆびわ星人に同情したわけではない。

 東条の、由香から見ても分かるほどに並外れた強さや、その獰猛な笑み、そして容赦ない戦いぶりには恐怖してはいるが、かといって、それ以上何も思わなかった。

 

 ただ、強さというものに。生物としての――人間としての、立ち位置のようなものを、考えさせられただけだ。

 

 これが、強さなのだろうか。

 

 他者を圧倒する、圧倒的な力。

 

 渚とは違い男ではない由香は、それに憧れもしないし羨ましいとも思わなかったが、何も思わないわけではなかった。

 

 

――が、次の瞬間、そんなことを思っていられる余裕は、由香から(たちま)ち消え失せた。

 

 

「――え?」

 

 いつの間にか、東条の戦いを見るのに夢中になっていた少女は、一体のゆびわ星人――もう何度目かは分からないが――東条によって吹き飛ばされた、一体のゆびわ星人と、目が合った、気がした。

 

 その兜の中の、漆黒の暗闇が、由香の姿を捉えた、気がした。

 目は見えない。それは視力という意味ではなく、文字通り目という器官があるかどうか見えない、目を視認できないという意味だが、少女は気配で察した。殺気を感じた。

 

 殺される――そう思った。

 

 

「………ひっ」

 

 悲鳴が漏れかけたが、叫べなかった。声が出ない。発声器官が働かない。

 生まれて初めて向けられる殺気は、中学一年生――ほんの数か月前まで小学生だった女の子の身体を硬直させるには、十分すぎる程に圧倒的だった。

 

 そうだ。例え、東条英虎がゆびわ星人よりも圧倒的で、強者だったとしても、それは由香には通じない格付けだ。

 

 上には上がいるように、強者よりも強者がいるように。

 下には下がいて、弱者よりも弱者がいる。

 

 ピラミッドのような構造の食物連鎖では、強者よりも遥かに多くの弱者が踏み潰されている。

 

 一握りの強者に、有象無象の弱者。

 

 中学一年の女子の自分は、か弱く儚い女児の自分は――やはりここでも弱者だった。

 虐げられる――弱者だった。

 

 突飛な状況に追いやられても、目まぐるしく奇想天外に変異する戦場に放り込まれても、そんなところは不変だった。変わっては、くれなかった。

 

 ああ、こんなにも強者とは、強さとは移り変わる。

 先程までいい様にやられていた、弱者だったはずの怪物が、意気揚々とこちら向かって襲い掛かってくる。

 

 自分よりも弱者の人間を見つけて、救われたと言わんばかりに、由香を殺しにやってくる。

 馬を失ったその巨騎士は、まるで東条から――強者から逃げるように、ドカドカと足音を響かせてこちらに向かって走ってくる。

 

 その姿は、自分を殺そうとやってくる恐ろしい怪物なのに、由香にはどこか滑稽に見えた。

 

 あの頃の自分も、あの子には――そしてあの高校生達には、そんな風に見えていたのだろうか。

 

 自分も弱者なのに、自分よりも弱者を虐げて、強い気になっていた、選ばれた気になっていた――いい気になっていた、滑稽な愚者。

 

 救いようのない、救われない、愚か者。

 

 

 こんな私を――誰が救ってくれるというのだろう。

 

 

 巨騎士は由香の目の前に到達すると、その斧をまるで見せつけるように――自分の強さを、自分が強者だと固辞するように、言い張るように大きく振り上げた。

 

 殺される。こんなにもみっともない強者に――弱者に。それよりも圧倒的に弱者で、圧倒的に愚かな自分は、為す術もなくあっさりと殺される。

 

 向けられる殺気は、未だ由香の身体を石の如く硬直させていて、全身を駆け巡る恐怖は、断末魔の叫び声を上げさせることすら許さなかった。

 せめてもの抵抗で、最後に勝ち取った自由は、ただ目を瞑ることのみ。

 

 黒騎士を外界に追いやった視界で――世界で、最後に由香が思ったのは、願ったのは――許しだった。

 

(………ごめん、なさ――)

 

 それが誰に向けられた謝罪(もの)だったのかは、由香自身にもよく分からない。

 

 だが、そんな思いを誰かが聞き届けたのか、そんな由香を、少しは許してくれたのか――

 

 

――救いは、あった。

 

 由香を救ってくれる、強者(ヒーロー)が駆けつけた。

 

 

「よお、大丈夫か?」

 

 その言葉に、由香は恐る恐る目を開ける。

 

 すると、そこでは、ヒーローが――

 

「そんなとこにいたなら早く言えって。危うく巻き添えで殺しちまうとこだったよ。ははは」

 

 

――ゆびわ星人が渾身の力で振り下ろした巨斧を受け止め、はははと笑いながら、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ぎゃああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 その怖すぎる映像に由香は絶叫する。

 

 え? 恐怖による体の硬直? そんなもの知るかと言わんばかりに、由香は涙を滝のように流しながらぶるぶると頭を振った。

 さっきまで色々考えていたのがどうでもよくなるほど、東条英虎(このおとこ)は色々と規格外だった。

 

 そんな由香の様子をどう勘違いしたのか分からないが、東条は「ああ、ちょっと待ってろ」と言い、その巨斧を(心なしかゆびわ星人の方もパニくっているように見えた)、ゆびわ星人を持ち上げたまま肩に担ぎ、腕力にモノを言わせて――

 

「――そいっ」

 

――ぶん投げた。

 

「ぐぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!!!」

 

 気のせいだとは分かっているがなんか悲鳴のように聞こえたそんな咆哮と共に、ゆびわ星人は高々と宙を舞う。まるで戦場のどこかで仲間(どうほう)がリュウキ達を吹き飛ばしたのと、ちょうど同じような軌道で。

 

「グっ!? グォ! グォォォオオオオオオオオオオオオン!!!!」

 

 そして着地地点には、先程東条に叩きのめされた別の個体がいた。

 

 だが、未だダメージが抜け切れず、身動きがとれないその個体は、気のせいに決まっているがオロオロと挙動不審に悲鳴のような絶叫をあげ――

 

「「グぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!」」

 

 激突し、墜落した。

 

「…………」

 

 むごい。そう、由香は思った。

 

 きっと他の戦場ではもっとシリアスなバトルが繰り広げられているに違いないのに、本当にこんなのでいいのだろうかと、由香は訳も分からずそんなことを思ったような思っていないような。

 

「はは、飛んだな~。にしても、すげぇな、この服。メチャクチャ軽かったぞ」

「…………メチャクチャ軽かったんだ」

 

 東条のことも、そしてこのスーツがどれだけすごいかも、由香はよくは知らないが、きっとこれを着てもあんな奇天烈な真似が出来るのはこの人くらいだろうと思った。

 

 が、そんなことが思えるくらい、言い方を変えれば気が楽になった由香だが、戦場において東条と二人きりにされるという、ある意味ではストーカーと二人きりにされたあやせ以上に不幸なこの少女の災難は、まだ終わってなんかいなかった。

 

 ドゴォォォォン!!!! と、凄まじい轟音が響く。

 

「っ!?」

 

 由香が慌ててその方向に目を向けると、瓦礫を吹き飛ばしながら立ち上がった二体のゆびわ星人が、怒りの咆哮を上げながら、禍々しく復活を遂げていた。

 

「「グォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」」

 

 その迫力は、先程まで東条にいい様にやられていた面影はなく、ただ圧倒的な怒りに身を震わせ、兜の中の漆黒にも淡い真紅が混ざり込んでいた。

 

「―――――ッッ!!」

 

 由香の緩みかけた恐怖も再燃し、いや、前以上に膨らみ上がり、思わず反射的に一歩下がり掛けた。

 一歩は動けたのは、身体が硬直しなかったのは、無意識に求めたからかもしれない。近くにいた、この男を。

 

 下がった先に、とんっと、東条の太い脚が、由香の背中を支えるように存在していた。

 

 思わず見上げる少女。先程、結果的に、由香をヒーローのように助けてくれた、その男は――

 

「――はっ。そうこなくっちゃな……」

 

 バキバキと指の骨を鳴らし、野生の虎のような笑みを浮かべ、臨戦態勢を整えていた。

 

「――ッ!」

 

 ゾクッ! と、その肉食猛獣のような迫力に恐怖する由香。だが、同時に途方もない頼もしさも覚えていた。

 

 きっと、この人なら、あの怪物を倒してくれる。

 

 これまでの東条の戦いぶりと、あのヒーローのように自分を助けてくれた一幕は、由香にそんな無意識の信頼を抱かせる程には感銘を与えていた。

 

 が――

 

「――え?」

 

――そんな由香の信頼がどう捩子曲がって伝わったのか、東条は工事現場で荷物を担ぐかのように、由香をひょいと肩に乗せた。

 

「…………あ、あの……」

「よし、しっかり掴まってろ。今からアレをブッ飛ばすからな」

「いやあの! それはいいんだけど、なんで? なんで担ぐの?」

「んぁ? だって、これが(守りながら戦うには)一番手っ取り早いだろ?」

 

 何言ってんの? みたいな顔を由香に向ける東条。

 

(いやいやいやいやっ!? アンタこそ何言ってんの!?)

 

 さぁーと顔面から血の気が引いていく由香。

 だが、既にゆびわ星人達も東条も()る気満々で、最早どこにも逃げられない。たぶん東条から離れたら、きっとまた動けなくなる気がするし。

 

(もう、やだ)

 

 ぐすんと自分の背中で涙ぐんでいる由香のことなど露知らず、東条は楽し気に呟いた。

 

「さぁ。ケンカしよーぜ」

(なんでこうなったのぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!)

 

 不幸な少女――湯河由香の災難は、まだまだ続く。

 

 とりあえず今は、もう既に担いでいる自分のことなどまるで忘れたように戦いを楽しんでいるこの猛虎に、スーツの力を無意識に発動しながら死ぬ気でしがみ付くことに全力を注ぐのだった。

 

「うぇぇぇええええええええええええええええん!!!」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

「――ああ、分かった。何かわかったら、直ぐに連絡してくれ」

 

 烏間は通話を終えて携帯を懐に仕舞う。同じように別の相手と通話していた運転席の笹塚も、携帯を懐に仕舞い煙草を咥えるところだった。

 

 だが、烏間が無表情ながら眉を顰めたところで、そっとその煙草も懐に戻し「……出しますか?」と言って、烏間が頷き、笹塚は方向指示器を点灯させて、覆面パトカーを発進させて車線へと戻った。

 

「――そちらさんは、どんな報告だった?」

「……何者かによって、その界隈ではそれなりに名が通った殺し屋が三名、日本に入国を果たしているという情報が入った。……が、見事に追跡を躱され、足取りが掴めなくなったらしい」

「……例の『死神』関連なのかね?」

「断定は出来んが……結びつけない方が難しいな、この時期では」

 

 という会話をしながら、烏間は考える。

 

 優れた殺し屋というのは、それだけ敵も多くなる。

 当然、自分が狙われたらどうしようと考えるからだ。殺し屋を雇うような連中は、同じくらい狙われる心当たりを持っている者達ばかりだ。

 故に、殺し屋を殺す殺し屋を雇い、殺される前に殺してやると企む者達も大勢いる。

 

 つまり今回の殺し屋も、『死神』が来日したという情報を聞いた狙われる心当たりがあるVIP達が、防衛省(くに)とは別口で身を守る為に、勝手に日本に招待した可能性も十二分にあるということだ。

 

 案の定、その殺し屋達の足取りを本格的に探ることは、烏間には指示されていない。『死神』に専念しろ、とのことだ。この殺し屋達も『死神』へと繋がる手がかりである可能性は十分に高いにも関わらず。

 

(……その殺し屋達には別の捜査部隊が動くらしいが……どこまで信用できたものか)

 

 動きにくい。烏間はそう思った。

 

 防衛省という職場に勤める以上、烏間は常に国家レベルの陰謀と戦ってきた。そして相手が強大であればあるほど、国というものの深部――仄暗い場所に密接に関わる戦場で戦わなくてはならなくなることも、また日常茶飯事だ。

 

 それは時に日本の暗部であり、トップ達の隠し通してきた暗黒の部分であったり――それらを見て見ぬふりをして、足を引っ張られながらも、それでも正義ではなく国家の為に戦い、か弱き者ではなく日本という国家を守るのが、烏間達防衛省の仕事で、職務で、責務だった。

 

 触れてはならない場所。知らされていない情報。恣意的に操作された戦場。

 

 そういったものを嗅ぎ分け、受け入れ、清濁を併せ持って立ち回る。

 

 いつものことだった。いつも通りの仕事で、戦場で、戦争だった。

 

 だが、それでも――

 

「――今回は、なんか面倒くさい仕事になりそうだな……」

「……お前もか」

「……まあ。先程の発砲事件の被害者の女の子の証言なんだけど……」

「確か、結城明日奈くん、だったか。恋人である桐ケ谷和人という少年と一緒にいたところを襲われたが、少年だけ消息が不明だという」

「そ。まぁ、それなんだが――なかったんだよ」

「……なかった?」

「……鑑識の捜査の結果――あの事件現場に、桐ケ谷和人の指紋が。……それどころか、毛髪などの一切の痕跡すら、全く、何も発見されなかったんだ」

 

 そう言った笹塚に対し、烏間が訝しげに問い返す。

 

「……俺には、とてもではないが、あの少女が嘘を言っていたようには思えなかったが」

「……俺もそう思う。……あの子が言っていたように……あの状況はあまりにも不自然に瓦礫があの子を避けてた。……一応、念の為、少年の実家にいた義妹(いもうと)さんや、帰りがいつも遅いという義両親、果ては学校の教師や友人達まで片っ端から当たらせてるが……やっぱ、今日の放課後以降の桐ケ谷少年の足取りを知っている者は見つかってない。結城明日奈と一緒に下校しているのを見たっていう裏付けだけは取れたらしいが……」

「……それでは、まるで――」

「ああ。まるで――」

 

――消えちまったみたいだ……。

 

 まるで、神隠しみたいに。

 そういつも通りの低いテンションで言った笹塚の言葉を、烏間は険しい顔で聞いていた。

 

 その後、しばし二人は無言で車を走らせていたが、ふと笹塚が思い出したかのように付け加えた。

 

「……そういえば、桐ケ谷和人についての部下からの報告で……一個、気になることがあった」

「なんだそれは?」

「これは結城明日奈もなんだが……桐ケ谷少年はSAO生還者(サバイバー)で、通っていた学校もSAO生還者(サバイバー)達を集めた学校だったそうで……。そんで、その中でも桐ケ谷和人は、『黒の剣士』と呼ばれた事件解決の立役者――英雄だったとか」

 

 だからどうしたってわけでもないんだけど……。と笹塚は前を向きながら、運転に支障が出るのではと心配になる程のローテンションで報告する。

 もちろん、いくら仮想世界の英雄だからといって、テレポートのように仮想世界に瞬時にいつでもどこでも移動できるわけではないのだから、この消失現象には何ら関わりはないのだろう。

 

 だが、SAO生還者(サバイバー)と聞いて、烏間はある一人の同僚を思い出した。

 

(……SAO……仮想課……)

 

 烏間が務める防衛省が設立した、対SAO特別対策組織。

 外交が主戦場だった烏間はこれにはあまり関わってはいないが、当然ながら同僚の何人かはそれに所属し、数人だが顔見知りも参加していた。

 

 その一人である、あの男。

 常に飄々としていて、本心を見せず、だが他者のことは鋭く内心を観察していた、一言で言うなら“見えない”男。

 

(……思えば『死神』が日本に来るという情報をリークしたのも、奴――菊岡だった。……これは、偶然なのか?)

 

 普通に考えれば、偶然に決まっている。

 あまりにも突拍子もない状況が続き、情報が足りない現状で、無理矢理見つけた共通点を突破口にしたいという気持ちが因果を繋げたがっているだけだ。

 

 だが、それを考えすぎだと一笑に伏せるには、菊岡誠二郎という男に対する烏間の評価は、穏やかではないものだった。

 

「そういえば、今はどこに向かっているんだ?」

「……ついさっき、うちの管轄ではないんだけど……なんか気になる情報が入ってきて」

 

 考えを変えるべく、笹塚にそう話を振った烏間の問いに、笹塚はやはり気だるげに答える。

 こいつもこいつで何を考えているが分かりにくい奴だと思う烏間だが、警視総監の言う通り笹塚の能力の高さは今日一日共に行動しただけでも十二分に理解したので、その言葉をしっかり聞こうと耳を傾ける。

 

「何でも、千葉で住宅街の路地裏が破壊されるような事件が起きたらしい。……向こうの県警曰く、最近珍しくもないことらしいんだが……」

「……千葉は、そんなにも治安が悪化しているのか?」

「治安というよりは、怪奇現象に近いそうだ。……ここ半年ほどは特にひどいらしい。……どれもこれも“気が付いたら建物や塀やらが破壊されていた”って事件で。……ここ最近で一番顕著なのは、昨日の幕張の奴だ」

「……ああ。それは俺も知っている」

 

 あれほどの事件が、今まで表沙汰になっていないだけで、ずっと水面下で頻発していた事件だというのか。そう思った烏間は、笹塚にこう問いかけた。

 

「何か組織的なテロ行為なのか?」

「……それが、分からないんだそうで」

「分からない? そこまで捜査が進んでいないということか?」

「いいや、捜査自体させてもらえないんだと」

「……何?」

 

 烏間が低い声で問い詰めると、笹塚はそれに対しても一切臆さずに言った。

 

「……上の連中が、この一連の事件に対し……捜査を認めず、揉み消してるんだよ」

 

 きぃ、と。赤信号により、車を止める。

 再び懐に煙草を求めて手を伸ばした笹塚だが、すぐに先程の烏間の顔を思い出し、はぁと溜め息を吐いて座席に凭れ込んだ。

 

 烏間は、笹塚が思い返していた渋面よりもさらに表情を険しくて、声に少なからずの怒気を込めて、唸った。

 

「……そんなことが、許されるのか?」

 

 いいはずがない。そこまで行くと、ここまで来ると、清濁併せ呑むという言葉では許されない。

 ただの恥の上塗りだ。濁りきった泥を塗りたくり、無理矢理覆い隠しているだけだ。

 

 笹塚の話によると、それらの事件は死者が出ていないというのが上層部の苦しい言い訳だったそうだが、昨日の幕張では、遂に何十人という死者が出た。

 あれほどの大事件だ。捜査は出来ないというのは普通ならば最早通らないだろう。それでも上層部は、強引にその事件すらも揉み消そうとしている。

 

 ……そこまで露骨ならば、答えは一つだ。

 

「……上層部が、その事件に関与しているのか?」

 

 笹塚は目の前の信号が青に代わり車を発進させるその瞬間、ちらりと烏間を横目で一瞥した。

 今の発言は、もし笹塚が上層部の回し者――首輪だったとしたら、完全に致命的な一言だ。

 上層部の意向で相棒(パートナー)に選出された笹塚を前に、そのような言葉を口走ったことは、烏間が笹塚をそれだけ信頼しているということに他ならなかった。

 

「……俺の大学の同期のキャリア組も、これに対してはブチ切れてた。……下手すりゃ、感情に任せて暴走しかねない奴だから、見ていて冷や冷やする」

「……とてもそうは思えないがな」

 

 冷たいというよりも無温な声の温度でそう呟く笹塚を、烏間は白けた目で見遣る。

 

 だが、そうなるとおかしいのは――

 

「――だが、君は先程、その事件を県警が捜査していると言っていなかったか?」

「……まぁ、器物が損壊している以上、一般人からの通報があったら、現場処理くらいには動かなくちゃならないってことだろ……体面上は。……だから、形上の聞き取り調査くらいは行ったらしいんだが……その時の証言が、ちょっと気になったんだ」

「……証言?」

 

 笹塚は、やはり熱を感じさせない声色で、淡々と言った。

 

「――塀を壊した現場には、ホストのような黒いスーツの集団が目撃されてたそうだ」

「っ!?」

 

 その証言を聞き、烏間は瞠目した後「……なるほどな」と呟き、思案しながら笹塚に問いかけた。

 

「……関係性は、あると思うか」

「……同じような特徴の連中が、同日に異なる事件現場で目撃されている。……確証は薄いけど、とっかかりとして狙うには悪くないとは思う」

「そうか」

 

 わざわざ問い詰めるような真似をしてしまったが、烏間の了承を得る前に車を走らせていることから、笹塚としても何か感じるところはあるのだろう。もしくは、烏間が引っかかりを覚えることを確信していたのか。

 

 何はともあれ、とりあえずの目的地は決まった。

 

 自分達の本来の任務である『死神』検挙とは関わりがなさそうに思える事件だが、笹塚の話が本当ならば、既にこれは国家レベルの危機である。防衛省所属の人間として、見過ごすことは出来なかった。

 

(……いや、もしや……『死神』もこの事件に関係しているのか?)

 

 突拍子もない仮説だが、そもそもの大前提として、『死神』の来日理由は全くの不明だ。

 

 世界一の殺し屋である『死神』は、その卓越した能力だけでなく、その超人的な頭脳も知れ渡っている。奴の行動は、一秒一瞬たりとも無駄がない。

 

 そんなことを謳われる存在が、いったいなぜ、今このタイミングで日本などという島国にやってきたのか。

 

「…………」

 

『死神』の来日。

 

 招き入れられた三人の殺し屋。

 

 消えた少年。

 

 暗躍する黒服の集団。

 

 揉み消される原因不明の器物損壊事件。

 

「……一体、今この国で、何が起こっているんだ?」

 

 起ころうと、しているんだ。

 

 窓の外の流れる景色を眺めながら、眉に皺を寄せ思考していた烏間。

 

 そして、そんな烏間の胸中に渦巻く不安を掻き乱すように、笹塚の懐の携帯が更なる混乱を知らせるべく振動した。

 




お待たせしました。
次回は八幡サイドです。

ちなみに由香は半オリキャラです。気付く人は気付くかな?

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