比企谷八幡と黒い球体の部屋   作:副会長

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背中は任せたぜ

 Side渚――とあるふくろうの像がある公園

 

 

 火口と呼ばれたその男は――そのオニは、燃え盛る大樹を背景に、渚達の方に歩み寄ってくる。

 

 ゆっくりと、威圧するように――鬼気迫るように、悪鬼が、迫る。

 

「ひ……ぐち……さ――」

「口を開くんじゃねぇ」

 

 地面に仰向けで倒れ伏せる低身のオニの言葉を遮る火口。

 だがそれは、重傷を負った仲間の身体を気遣うというよりは、バッサリと切り捨てるような意味合いが強かった。

 

 それを裏付けるように、渚達の少し前で倒れ伏せる低身のオニの元まで辿り着くと、彼を見下ろすように無表情で睨み付け、吐き捨てるように言った。

 

「……さんざん大口を叩いて、この様か。わざわざ“堕ち前”の個体まで貸してやったのによ……。アイツは自我が薄れても扱いやすかった希少な個体だったんだぜ。調教方法(そだてかた)次第じゃあ、誰でも扱えるような便利な切り札になったかもしれねぇのによ……がっかりだよ、テメェには」

「……すい……ませ――」

「ああ、謝らなくていい――」

 

 そう言って火口は、額に手を当て頭を振ると――

 

「――テメェの顔は、二度と見たくねぇ。だから死ね」

 

 

 バッ! と、手品のように、低身のオニを“発火”させた。

 

 

「「「――ッ!?」」」

 

 渚達がその現象に、その所業に驚愕し、目を見開く。

 

 そして先程の大樹の化け物の時のように、化け物による人間のような悲鳴が轟いた。

 

「ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 

 火口は低身のオニが苦しみで転げ回ろうとするのをその人間のような足で踏みつけて固定し、焚火を眺めるような穏やかな瞳で見下ろして、こう呟く。

 

「……黒金(アイツ)の覇道の第一幕にケチをつけやがって……万死に値する。万回分、苦しんで死ね」

 

 その言葉と共に――一体どのように火を操っているのか想像もつかないが――低身のオニの目から、鼻から、耳から、口から、身体の内側から炎が噴き出した。

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 余りにも――余りにも、凄惨な処刑。

 

 殺される低身のオニの絶叫と、その処刑を無表情で淡々と執行する火口に、渚達の恐怖が膨れ上がり、膝が笑う。

 

 黒金組の中で唯一リーダーの黒金を呼び捨てにするこの男は、幹部の中でも、四天王の中でもリーダー格に当たり、事実上黒金の側近――右腕のような男だった。

 

 故に他のメンバー程彼に心酔している訳ではなく、むしろグループ内では諫め役、リーダーに対する反対意見を出してグループとしての進路を修正するような、そんな調整役のようなものを担っていたが、こと今回の革命においては、火口のモチベーションは恐ろしく高かった――高過ぎる程に。

 

 誰よりも黒金の傍にいた――人間時代から黒金という男の右腕だった、親友で盟友であるこの男は、この反逆にかける、この革命にかける黒金の想いを、誰よりも、誰よりも理解していた。

 

 だからこそ、この戦いを穢すものは、誰であろうと許せなかった。

 

 それが敵でも――味方でも、殺し尽くしてみせると、燃やし尽くしてみせると火口は決めていた。

 

 黒金と共に、世界を敵に回す――その覚悟を持って、何処までもあの男についていくと、火口は誓っていた。

 

 故に――低身のオニを燃やし尽くし、殺し尽くした彼の視線は、次なる標的に――黒い球体の部屋の戦士へと間髪入れず向けられる。

 

「――次はお前等だ。相手をしてやる」

 

 ダンっ!! と、真っ黒な炭と成り果てた元同胞を、目さえ向けずに容赦なく踏み潰した火口は、その無表情な瞳を渚達に向ける。

 

「来い、ハンター」

 

 火口は右の掌を上に向け――特大の火の玉を作り出す。

 

 そして、ゆっくりと、口角を上げ、笑った。

 

 その吸血鬼の牙を、鋭い化け物の牙を見せつけ、威嚇するように、宣戦布告をした。

 

 渚は、その宣言を受け、ごくりと唾を呑み、唇を引き締め、ギンッ! と目つきを鋭くして、言った。

 

 

 

「逃げましょう。僕達の勝てる相手じゃない」

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 渚のその迷いない闘争ならぬ逃走宣言に、戦闘――戦争放棄宣言に、バンダナと平は驚愕し、渚に反射的に顔を向けた。

 

 いや彼等も好き好んで銃やナイフなどよりも余程恐ろしい火の玉を向ける化け物と戦いたいわけではないだろうが、それでもきっぱりと、この上なく潔く尻尾を巻いて逃げることを宣言した渚に対し、虚を突かれたことは否めない。

 

 だが、戦争に置いて、戦闘に置いて、退き時を見失わないということは、時に勝機を見逃さず畳み掛ける以上に、敵に立ち向かい進軍する以上に大切なことである。大切な才能である。

 

 自分の弱さを自覚することと、相手の強さを正確に見極めること――そして、その二つを掛け合わせ、己の手に負える範囲内であるかを判断すること。これは、こと戦争に出る戦士としては、必要最低限の素養といえる。

 

 そういう意味では、渚のこの判断は素晴らしかった。

 

 目の前に君臨する敵――怪物は、今この池袋に跋扈する怪物達の中で、黒金に次いで二番目に強い敵であり、四体いる幹部――四天王の中で、最も強い怪物である。

 

 渚達三人が束になっても勝てる相手ではなく、決死の覚悟で特攻したとしても傷を負わせることも難しい――そんな格上であり、戦争においては、相手に勝つことよりも己が死なないことを優先することが第一であることを考えれば、ここは逃げるという選択肢しかありえない。

 

 黒い球体の戦士達は己の命の為に戦争をしているのであり、本来ならば命を懸けてまで星人を倒し――地球を守る義務など、そこまでして戦う義務などないのだから。

 

 だが、それでもやはり、これは戦争で、ここは戦場だった。

 

 RPGのように、にげるコマンドを選択すれば逃げることが出来るような、危機を回避できるような、そんな親切なシステムは存在しない。

 

 死なない為の逃走にも、当然リスクは伴う――死亡の危険性が付き纏う。

 

 逃げる為に、命だけでも守る為に、命を懸けて戦わなくてはならないのだ。

 

「面白い戯言が聞こえたな」

 

 火口は低い声で言った。

 渚達はその言葉と共に膨れ上がった殺気を感じ、思わず後ろ足に重心を掛ける。

 

「ここまで俺達の仲間を無残に殺しておいて、黙って逃がすとでも思っているのか?」

 

 己の同胞にこの上なく残酷に止めを刺した男は――怪物はそう嘯く。

 

 そして、まるで野球のボールを全力で投擲する投手のように――巨大な火の玉を振りかぶって渚達に投げつけた。

 

 火の玉が巨大過ぎて、それは最早炎の壁が己に向かって突っ込んでいるようだった。視界がみるみる橙色に染まり、熱波により空気すらも燃えていると錯覚してしまう。

 

「――ッッ!!? 避けてッ!! 跳んでッ!!」

 

 渚はそう叫び、とにかく我武者羅に右手に跳んだ。

 同じように平も右手に、バンダナは左手に、頭を抱え――庇いながら、全力で回避を試みる。

 

 そして火の玉は、彼等三人の中間の地面に着弾した。

 

 ドガンッッ!!! と、爆裂する。

 

 地面が弾け飛び、大爆発を起こした。

 

「くぅぁッ!?」

 

 渚達は直撃を避けることは成功したものの、余波でも吹き飛ぶには十分過ぎる程の威力が苛烈に撒き散らされた。

 

 ふわりと身体が宙に浮き、受け身を取ることすら出来ずゴロゴロと転げ回る。

 

 だが渚は、衝撃により混乱する頭が正常に戻るよりも先に、反射的にナイフを取り出した。

 

 そして、火口の姿を探す。

 火口はゆっくりとした足取りで、こちらに向かって悠々と歩いていた。

 

「――――ッッ!! みなさん、早く立って――ッ!?」

 

 背後を振り返った渚は、よろよろと立ち上がる平とバンダナを見てそう叫ぼうとするが――

 

「――え?」

 

 

――そこに、自分よりも前にいた筈の、振り返った背後には存在しない筈の男が――怪物が――火口が、いた。

 

 

 バンダナの、背後に、いた。

 

 

「俺が炎でしか戦えないとでも思ったのか?」

 

 それは、あの低身のオニが見せたスピードよりも速い――まさしく瞬間移動が如きスピードだった。

 これは異能ではなく、通常の吸血鬼としての、化け物としての基本性能(スペック)としての、只の運動能力。

 

 火口が、黒金に続くナンバーツーの地位を不動のものとしている、数ある理由の一つだった。

 

 彼は――火口という化け物は、異能に頼らなくても、十分に強い。生身でも、非武装でも、戦える(つわもの)――戦士。

 

「こんなもんに頼らなくては戦えない、貴様ら人間(ザコ)とは生物としての出来が違うんだ」

 

 火口の指は、バンダナのスーツに添えられていた。

 

 正確には、スーツの首元の金属部分――制御部分に、その鋭い化け物の爪をあてがうように。

 

「終わりだ」

 

 そして、指が食い込むように、制御部分に突っ込む。

 

 キュインキュインキュインキュインキュインと、スーツが激しく悲鳴を上げる。

 

「うわ――うわ――うわぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 バンダナも悲鳴を上げる。必死に脱出しようと身を捩るが、怪物の握力はそれを許さない。

 

 むしろ、より深く、その爪がスーツの致命的な部分まで食い込んでいく。

 

 そして呆気なく、制御部からドロッとした液体が溢れ出した。

 

 キュィィィィンと、音が消えていく。何かが終わる音が、悲しく消えゆく。

 

(……まさか――――スーツが、壊された?」

 

 渚が、脳内で導き出したその絶望的な答えを、思わず口に出して呟く。

 

「大人しく、炭になれ」

 

 そして火口の呟きに、平は、渚は――そして、バンダナは、先程の低身のオニの、無残な処刑を脳裏にはっきりと思い起こす。

 

「や、やめ――」

「――助けてくれぇぇぇぇええええええええええええええ!!!!」

 

 渚が思わず駆け出し、バンダナは絶叫する。

 

 だが、火口は淡々と無表情に、その処刑の炎を上げようと、バンダナの肩に手を添え――

 

 

 

――バキューンッ!! と、銃声が響いた。

 

 

 

 それはXガンの甲高い未来的な音ではなく――現代的な銃声音だった。

 

「ぐっ、ぁぁあああああああああああああああ!!!!」

 

 そして、苦悶の叫びを上げたのは、処刑されようとしていた死刑囚のバンダナではなく――執行人の火口だった。

 

 火口は血がとめどなく溢れてくる片目を押さえ、思わず後ろによろめく。

 

 その光景に一瞬呆然としていた渚達だったが、そんな彼等に向かって公園の外から男の声が響いた。

 

「こっちだ!」

 

 その声に目を向けると、そこにはスーツの男が立っていた。

 猛禽類のような鋭い目に、がっしりとした体格――そして、その手に構える、無骨な、銃口から煙を吐く、明らかに堅気の人間では持てない拳銃。

 

 烏間惟臣。

 

 現防衛省の元自衛隊員が、渚達に向かって避難を呼び掛けていた。

 

 

「っ! 行きましょう、平さん! あなたも! 早く!」

「せ、せやけど、あの兄ちゃんも化け物やったら――」

「それでも火口(あのひと)を相手にするよりマシです!」

 

 そう言って渚は一目散にバンダナの元へと駆け寄った。

 

 その時、バンダナは無我夢中に足元に落ちていたXガンを拾い上げていた。咄嗟に自分の身を守る術をとにかく求めたのだろうか――そして、その時のバンダナの様子を、渚の観察眼は捉えていた。

 

「――うっ」

「っ!」

 

 渚は冷たく目を細める。

 

(Xガンの重さに戸惑った? ……やっぱり、スーツが――)

 

「――こっちです!」

「――うわっ!?」

 

 渚はバンダナを立つように促すのではなく、そのまま腕を掴んで引っ張ることにした。

 ちらりと横を見ると、平も既に自分の横に並走している。

 

 そして、渚は走った。未だバチバチと燻る大樹の化け物の死体があるのとは別方向。

 

 援護射撃で自分達を救ってくれた烏間がいる方向へ。

 

「逃がすかぁッ!!」

 

 片目を押さえて膝を着いていた火口だったが、咆哮と共に左腕を振るい、炎を地面に走らせていく。

 

「ッッ!?」

 

 その炎のアーチは瞬く間に渚達の前を通り過ぎ――烏間との間に炎の壁を出現させる。

 

(不味いッ! でも、これは火口さんから逃げられる最大のチャンス! 逃したら確実に僕達は殺されるッ!)

 

「止まらないでッ!!」

「ッ!? せ、せやけど、どないするんや!!」

 

 足が止まりかけた平を、渚は怒鳴る。

 

 そして渚は、バンダナの手を引きながら、必死に頭の中で考えを巡らせて――

 

「――ッ! 平さん!! 爆縮のBIMを!」

「っ!? わ、分かった!!」

 

 片方の手にナイフ、もう片方の手はバンダナの手を引いている渚は、平にそう命じる。

 

 平は焦った手つきで言われたBIMを取り出していて、渚は全力で走りながら、炎の壁の向こう側にいる烏間に叫んだ。

 

「離れて!! 離れてください!!」

「ッ!」

 

 烏間はその言葉に従い、とにかく距離を取るべく頭を抱えて跳ぶ。

 

 そして平はその金属塊を、スイッチを入れて炎の壁に向かって投げた。

 

 このBIMは本来、裏側が吸盤状態になっていることからも分かる通り、壁や天井に接着させて、硬い障害物を破壊する為のBIMである。

 スイッチを入れて数秒後、スライドカバーが開いてBIMの中にあらゆるものが吸い込まれる真空モードへと突入する。

 

「す、すげ――」

 

 バンダナは思わず、そう呟く。

 

 そしてBIMは臨界点に達すると一気に爆縮し、あらゆるものを削り取る真空の爆発を起こす。

 

 ドガッッッ!!!! と強烈な衝撃が轟き、炎の壁は一瞬で吹き飛んだ。

 

 これが、破壊力だけで言えば八つのBIMの中でも最強の爆弾――爆縮タイプ。

 

 (まさ)しく切り札に相応しい、窮地を覆す可能性を秘めたBIMだった。

 

「今ですッ!!」

 

 そして渚達は、公園の外へと脱出することに成功した。

 

 烏間はBIMの威力に呆然としていたが、渚と目が合うと、そのままコクリと頷く。

 

「とにかく逃げましょう!」

「ああ。あちらの大通りに向かおう。あそこにも敵がいたが、君の仲間が全て倒していた」

「仲間? それはどんな人ですか?」

「規格外の強さを持った大きな男と、中学生くらいの女の子だ」

 

 それを聞いて、渚は力強く頷いた。

 

(――東条さんだ! あの人と合流すれば、もしかしたら……勝てるかも!)

 

 平とバンダナにも頷きかけ、すぐさま逃走を再開する。

 

 そして渚は、ちらりと後ろを見た。

 

(…………早まった、かもしれない……)

 

 前述の通り爆縮式BIMは最大の威力を持つ切り札となり得るBIMだ。

 

 炎の壁は確かに脅威だったが、言ってみれば只の炎でしかない。

 火口によって炎に対する恐怖を植え付けられていたが故に、思わずその切り札を平に切らせてしまったが、よく考えれば渚と平のスーツは未だ健在なのだ。勇気を持ってただ飛び込むだけでも、問題なく抜けられたかもしれない。バンダナには自分達が開けた穴から飛び込んできてもらえば――

 

「……っ」

 

 焦っていた。冷静じゃなかった。

 こんな所で早々に切ってしまった切り札――これが、この後のミッションにどう影響を及ぼしてしまうのか。

 

 そんなことを思考していると――ドガンッッ!! と背後で轟音が響いた。

 

「っ!?」

 

 思わず振り返る。

 

 公園の向かいのビル――その一階が燃えていた。火災が発生していた。

 

 いや、燃えていたというよりは、まるで火の玉でも撃ち込まれたかのような――

 

 

――そして、その時、炎の壁から、一体の化け物が姿を現す。

 

 

 片目から血を流し、自らの(リーダー)と同様に隻眼となったオニ――火口が、残った片目で、自分に背を向けて逃走する渚達(えもの)を捉え、低い声で言った。

 

「――許さねぇ。一匹残らず灰にしてやる」

 

 獄炎の悪鬼は右の掌を上に向け、そこから再び巨大な、これまでで最も大きい灼熱の炎弾を作り出した。

 

 

 

 

 

+++

 

 

 

 

 

 Side由香――とある60階建てビルの通り

 

 

 由香は、呆然と立ち尽くす。

 

「おい。何やってる、さっさと逃げるぞ」

 

 笹塚が由香の腕を掴んで、グイッと引っ張ろうとする――が、由香はそれに対して足を動かそうとせずに、ぶつぶつと誰かに言い聞かせるように呟くだけだった。

 

「な、なんで? なんで逃げなくちゃいけないの? だ、だって、東条さんが負けるわけないじゃない。――強いんだから。あの人は、“本物の強い人”なんだからっ! ど――」

「例え、あの少年がどれだけ強かろうと」

 

 笹塚は由香の目を真っ直ぐ見ながら言う。――その生気のない瞳を向けながら。

 

「絶対に負けない最強なんていない。――そんな存在は、もう人間じゃない。もっと、悍ましい、何かだ」

 

 悍ましい――恐ろしい、何か。

 

 人間じゃない、何か。

 

「……………」

 

 由香は、その揺れる瞳を、あの怪物に向ける。

 

 悍ましくて、恐しくて――美しくない、化け物。

 

 東条を、あの東条を吹き飛ばした、人間じゃない、化け物。

 

(……それじゃあ、あれが、強さ? 揺るがない、本物の、強さ?)

 

 違う。

 由香の心は、そう断ずる。

 

 東条をも打倒した、揺るがない強さを揺るがした、岩の怪物。

 

 あの東条よりも、強かった存在。

 東条よりも、揺るがなかった、強さ。

 

 ならば、あれが――あんなものが、由香が追い求めていた、探し求めていた、本当の、本物の、強さ?

 

(違うッッ!!)

 

 由香は瞳に涙を浮かべて否定する。違う。あんなのじゃない。あんな悍ましくて、恐しくて、醜くて、不気味で――

 

(“強さ”はそんなものじゃない! もっと美しくて! もっとカッコよくて! もっと、もっと――)

 

 

――本当に?

 

 

 ピタッと、由香の身体が硬直する。

 

 ここにきて生まれた、そんな疑問。そもそも、強さとは、本物の、本当の強さとは――

 

 

――そんなにも、素晴らしいものなの?

 

 

「……………ばか」

 

 由香はぶるぶると震える口で、そう呟く。

 

 あの日から、ずっと追い求めていたもの。探し求めていたもの。

 

 知りたかった。ずっと知りたかった。

 手に入れたかったわけではない。偽物の強さにすら振り回された自分では、例えその答えが見つかっても、相応しくないと分かっていたから。

 

 でも、せめて知りたかった。

 あれほど固執し、翻弄され、振り回され――遂には順風満帆だった自分の人生に泥を塗られた、強さというものの正体を。

 

 自分には、終ぞ本当のそれは手に入れられなかったけれど。本物のそれには選ばれはしなかったけれど。

 

 せめて、それがどんなものだったのかは知りたい。

 

 それはどれほど素晴らしいものなのか。自分が縋っていた偽物のそれとはどれほど異なるものなのか。

 

 そして、そして。

 

 本物の強さを手にしている人物とは、一体、どのような、素晴らしい人間なのか。

 

 知りたくて、知りたくて、知りたくて。

 

 それが、それが。

 

 それが――

 

「――っ! なに負けてるのよっ! しっかりしなさいよ! あんた強いんでしょ!! だったらちゃんと勝ちなさいよ、バカーーーーーー!!」

 

 その、か弱き少女の、弱者な少女の悲痛な叫びが引き起こしたのは――ヒーローの奇跡の復活、ではなく。

 

「……ほう。まだハンターがいたのか。矮小(ちいさ)過ぎて、見えなかった」

 

 更なる、最悪の、悲惨な、悲劇だった。

 

「……………え?」

 

 そして、その声に真っ先に反応したのは、目を付けられた漆黒のスーツの少女ではなく、彼女の傍にいた笹塚衛士。

 

「――チッ!」

 

 彼女を背に庇い、拳銃の銃口を岩の巨人に向ける。

 

 だが、その表情は苦々しく、額に汗が流れている。

 笹塚はこの事態を危惧し、何度も由香に逃げるように促していたのだが。

 

(……くそっ)

 

 それでも、その行動を徹底しなかったのは、少女の我が儘を聞き届け、こうしてのうのうと戦場に放置し続けたのは、由香達の得体が知れなかったというのもあるが、やはり、慢心していたのだろう。

 

 東条の、圧倒的に規格外のその強さに、あんな風に偉そうなことを言っておきながら、大人の自分も、どこかで思ってしまっていたのだ――あの(かいぶつ)なら、大丈夫だと。

 

 カチリと、拳銃の撃鉄を起こす。

 ならば大人として、その責任は取らなくてはならない。この少女は、何があっても守り通さなくてはならない。

 

 笹塚の拳銃の腕なら、あれほど大きな的を当てることなど容易い――が、あの岩石の身体に、日本の一刑事に支給される程度の量産拳銃で、ダメージなど与えられるものなのか?

 

(……狙うなら……瞳か――)

 

 笹塚は真っ直ぐに怪物を見据えながら、その銃口を敵の小さな瞳に向ける。

 

 対して岩倉は、そんな笹塚を嘲笑いながら、ニタニタとした笑いで見下ろすだけだ。

 

 チャンスはおそらく一度――一発。

 

 岩の巨人だからといって、ゆったりとした歩みの登場だったからとはいって、この怪物が鈍足であるとは限らない。変身前はあれほど超スピードで東条と殴り合っていたのだ。

 

 初弾を外せば、次弾を装填する前に、距離を詰められ、殴り飛ばされるだろう。

 

 あの東条をも易々と吹き飛ばした、あの怪物の拳で。

 

 しばし睨み合う、怪物と刑事。

 

 由香は笹塚をただ不安げな涙目で見上げるだけだった。

 

 そして、笹塚が流す汗が、頬を通り、顎に到達し、そして地面へとゆっくりと滴り落ちた――――その、時。

 

「ははっ!!」

「っ!?」

 

 怪物が動き出し、笹塚が引き金を――

 

 

 

――ドゴォォォン!!!! と、橙色の大爆発の轟音が響いた。

 

 

 

「うわぁぁぁぁあああああああ!!!!」

 

 そして爆風に押し出されるように、宙を舞いながら乱入した――新たな漆黒のスーツの戦士。

 

 小柄な、水色髪の少年。

 

「あぁん?」

(――ッ!?)

 

 その突発的なアクシデントに、岩の巨人の目がそちらに向いた。

 

「きゃ――ん!?」

 

 笹塚はその隙に由香を担ぎ上げ(悲鳴を上げられないように口を塞いだ)物陰に向かって走り出す。

 

「ッ! ふっ、逃がすも――」

 

 だが、その一瞬の悲鳴が聞こえてしまったのか、岩倉は再び振り向き、地面に向かって拳を振り下ろそうとする。

 

 笹塚は走りながら岩倉に向かって再び銃を向け――

 

 

 

――岩の巨人の背後に、悪魔の笑みを浮かべた虎が立っていた。

 

 

 

「っ!?」

 

 ドゴォッ!! と、重々しい拳が岩の巨人を襲う。

 

 岩の巨人の――身体が浮いた。

 

 吹き飛ばされた岩の巨人は、銃の弾丸のように、東条が吹き飛ばされたのとは反対側の通りのテナントに向かって撃ち込まれる。

 

 笹塚と由香が目を見開く中、「イタタタタ」と本当に痛みを感じているのか、それとも余りにど派手な登場の着地を失敗したことで反射的にそう言っているのか、そんな声を漏らしながらも立ち上がった水色髪の少年が、その復活した戦士を見つけて、喜色満面で声を掛ける。

 

「東条さん! やっぱり東条さんだったんですね!」

「おっ、渚か。元気そうだな」

「……まあ、元気といえば元気ですが……」

 

 戦場には似つかわしくないが、東条らしいその言葉に思わず渚が苦笑する。

 

 そして、再会を喜んだのは一瞬だった。

 

「「――――ッ!」」

 

 渚と東条は、何を言うわけでもなく、60階通りの大きな道、ちょうど二本の道の交差部分に当たるその場所で――背中合わせに立った。

 

「……よう、渚。中々面白そうな奴とケンカしてんじゃねぇか。こっちが終わったら代わってくれよ」

「僕としては飛びつきたい程の嬉しい申し出なんですけど……そっちも中々大変そうですから……なるべく一人で頑張ってみますね」

 

 二人の黒い球体の部屋の戦士がそんな会話を繰り広げていると、渚の正面に伸びる、火の玉が現れた一本の脇道から、ジャンパーとジーパンを着た殆ど人間と変わらない外見の大柄な男が歩いてくる。

 

 だが、その額から伸びる長さの違う二本一対の角が、そして――――

 

――その右の掌の上で、みるみるうちに大きくなっていく火の玉が、奴が怪物であるということを如実に表していた。

 

「あ――」

「――ッ!?」

 

 そして由香が漏らしたそんな呟きにより、笹塚は由香を物陰に避難させる役目を思い出し実行した。

 

 その呟きは、復活した東条の拳によって吹き飛ばされた怪物の再起動を見つけた故に零れてしまった、心の声だった。

 

 岩の巨人は、ゴキリ、ゴキリと首を鳴らしながら、ゆっくりと戦場に戻ってくる。

 

 一歩一歩に大きな音を立てながら、真っ直ぐと、自身を待ち構えるハンターの元へ――東条英虎の元へ。

 

「岩倉」

「……うす」

「お前はそっちのデカいのをやれ。チビのハンターは俺が殺す」

「……了解」

 

 最小限のやり取りで、怪物の幹部達は己の標的に視線を戻す。

 

 東条と渚は――笑っていた。

 

 その笑みを見て、由香は、先程までの完璧な強さを誇っていた東条とは、何かが少し変わったように見えた。

 

「背中は任せたぜ」

「――はいっ!!」

 

 一人の真実の強さを追い求める少女が、戦況を物陰から見つめる中――

 

――二体の怪物と、二人のハンターの激闘の火蓋が、巨大な火球弾によって荒々しく切られた。

 




潮田渚と東条英虎は、互いに背中を合わせて、笑う。

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