八月一日、俺たちは船に乗せられた。
乗り込んだ時点では、まだ誰も何も知らなかった。
「うわ、すげえ! プールあんじゃん!」
「飯食い放題だって! マジで?」
池と山内が、甲板を走り回っている。平田が「危ないよ」と追いかけ、堀北が呆れた顔で見ていた。
白い船だった。
部屋も、廊下も、食堂も、全部が新しく、全部が高そうだった。汚れが一つもない。
乗るだけで金は要らないという。飯も、風呂も、遊び場も、全部ただだ。
……なるほど。
どこかで見た形だ。
四月に、10万を配られた時と同じだ。
何も引き換えに求めず、ただ与える。
与えられた人間は、その日から少しずつ、それが当たり前だと思い始める。
……そして、当たり前になった頃に、勘定が来る。
「赤木ー! プール行こうぜ!」
須藤が呼んでいる。
「行かねえ」
「なんでだよ!」
「泳げねえ」
「教えてやるって!」
……。
この男は、そういう男だ。
俺は手すりから離れた。
「行かねえよ。それより、荷物を見てくる」
「荷物? まだ着いてもねえぞ」
説明しても、たぶん伝わらない。
初めての場所で、俺が最初にやることは決まっている。
出口と、水と、食い物の場所を確かめることだ。
……賭場の癖だ。
その三つを知らないまま座ると、何かあった時に動けない。
――もっとも。
船の上に、出口はない。
それを確かめて、俺は少しだけ面白くなった。
この船に乗った時点で、もう降りられないわけだ。
浮かれている連中は、そのことに気づいていない。
昼を過ぎた頃、船が止まった。
窓の外に、島が見えた。
緑と、砂と、岩。
建物は一つもない。
「上陸する。荷物を持って甲板へ」
放送が流れた。
連中は、まだ浮かれていた。
「島だって! バーベキューじゃね?」
「絶対そうだって。海だぜ海」
小型の船に移され、砂の上に降ろされた。
足元が沈む。
四つのクラスが、砂浜に並ばされた。
教師たちが立っている。茶柱の顔もあった。
俺は、辺りを見た。
船は、もう沖に出ていた。
……ほう。
置いていったか。
これで、砂の上にいる人間は、全員が同じ条件になった。
帰る手段のない人間ばかりを並べてから、話を始める。
――手順がいい。
「これより、特別試験の説明を行う」
声が響いた瞬間、砂浜の空気が変わった。
「え?」
「嘘だろ、旅行じゃねえの?」
あちこちから、素っ頓狂な声が上がる。
誰も彼も、心の底から驚いていた。
俺は、少し可笑しくなった。
半日、浮かれさせてから言う。
最初に楽しいものを見せておく。それから取り上げる。
最初から何もなければ、人はそれほど落胆しない。だが、一度手に入れたと思ったものを取り上げられると、人は本気で悔しがる。
同じ話でも、痛みがまるで違う。
……本当に、よく出来ている。
説明が始まった。
一週間、この島で生活する。テントと最低限の道具は配られるが、水と食料は自分たちで買う。
各クラスに配られるのは、300ポイント。
これが、この試験だけで使える持ち点だ。
「なお、試験終了時に残っていたポイントは、そのままクラスポイントに加算される」
……。
俺は、姿勢を戻した。
残った分が、そのまま点になる。
つまり――
使わなければ使わないほど、勝ちに近づく。
周りの連中は、まだピンと来ていない顔だった。
当然だ。普通の勝負なら、金は使うためにある。使って何かを手に入れて、その何かで勝つ。
だがこれは違う。
この勝負では、金を使うこと自体が負けだ。
300点をそっくり抱えたまま一週間を凌いだクラスが、そのまま300点を持って帰る。
……なるほどな。
俺は、自分の腹の底が少し温かくなるのを感じた。
食わずに済ませることなら、俺は誰よりも慣れている。
この三ヶ月、味のしない飯を毎日食ってきたのは、そのためだったような気さえした。
説明は、まだ続いた。
島の中には「スポット」と呼ばれる場所がある。占有すれば、そのクラスだけが使える。占有には専用のカードが要り、そのカードを使えるのは、各クラスが一人だけ決める「リーダー」だけだ。
一度占有するごとに、1ポイント入る。
占有は8時間で切れる。更新しなければ、権利は消える。
――拾えるわけだ。
減るばかりの試験に、一つだけ増える口がついている。だが増やせるのは一人だけで、そいつは8時間おきに歩かされる。
そして――
「試験最終日、各クラスには、他クラスのリーダーを指名する権利が与えられる」
砂浜が、ざわついた。
「的中させた場合、そのクラス一つにつき50ポイントを得る。ただし、外した場合は50ポイントを失う」
「そして、リーダーを言い当てられたクラスは、50ポイントを支払うことになる」
――そういうことか。
俺は、ようやく全体の形を掴んだ。
水も食料も、スポットも、全部飾りだ。
この試験の本体は、たった一つ。
誰が自分のクラスのリーダーかを、隠し通せるかどうか。
……人を当てる勝負か。
久しぶりだ。
この三ヶ月、俺がやってきたのは紙の相手ばかりだった。
人を当てるのは、俺の領分だ。
「最後に、禁止事項を伝える」
茶柱の声だった。
「腕時計を許可なく外した場合、ペナルティ。体調を崩して続行不能となった生徒が出た場合、マイナス30ポイント。環境を汚す行為はマイナス20。他クラスのスポットを無断で使えばマイナス50。点呼に不在なら一人につきマイナス5」
数字が並んでいく。
どれも、削られる話だ。
「そして――」
茶柱の声が、少し変わった。
「他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物の破損。これらが確認された場合、その生徒の所属するクラスは、その時点で失格となる」
砂浜が、静まり返った。
「加えて、当該生徒のプライベートポイントは全額没収される」
……。
俺は、少し離れた場所に立っている須藤の背中を見た。
あの男の肩が、明らかに強張っていた。
――そりゃそうだ。
この学校は、これまで「殴った奴が退学」と言っていた。
今度は違う。
殴った奴だけじゃない。そいつのクラス全部が、その場で終わる。
……上手いことを考える。
一人の首に、40人分の重さを結びつけたわけだ。
これで、誰も殴れない。
殴れば、自分だけじゃなく、隣にいる連中まで全部道連れになる。
――そして。
俺は、砂浜の端に並んでいるCクラスの列を見た。
あの中に、あの男がいる。
顔は見えなかった。
だが、あの男が今、何を考えているかは、大体わかる。
殴れないという規則は、殴らない人間にとっては、何の制約でもない。
あの男は、最初から殴っていない。
――むしろ。
殴らせる側に回れば、この規則は武器になる。
誰か一人を怒らせて、手を出させれば、そのクラスは丸ごと消える。
……気づいてるだろうな、あの男は。
「以上だ。試験は――」
茶柱が、腕時計に目を落とした。
「――ただ今より開始する」
……ほう。
俺は、思わず口の端が動くのを抑えなかった。
考える時間をやらない。
説明を聞き終えた、その足で始まる。
――そうこなくてはな。
賭場でも同じだ。
卓につく前に、じっくり考えさせてくれる胴元はいない。
座った瞬間から、金は動き始める。
教師たちは、それきり何も言わずに散っていった。
どこかへ帰るわけではないらしい。この一週間、教師も同じ島にいるという。
砂浜に、40人が取り残された。
「……え?」
「ちょっと待って、今から? 今からって、何すんの?」
誰も動けなかった。
当たり前だ。
300点を渡されたが、何に使えば正解かは教えられていない。
地図も、水場も、何も知らない。
この状態で「始める」と言われても、始めようがない。
……いや。
違うな。
俺は、砂を踏んで一歩前に出た。
始めようがない、のではない。
始めなくていいのだ。
この勝負は、動かなければ点が減らない。
動いた分だけ、減っていく。
――何もしないことが、そのまま一番手なんだ。
こんな勝負は、初めてだ。
「ど、どうしよう、平田くん!」
誰かが叫んだ。
平田が両手を上げて、皆を落ち着かせようとしている。
「まず、荷物を確認しよう。それから――」
俺は、その輪から少し離れた場所に立っていた。
連中は、これから騒ぐ。騒いで、決めて、動く。
動けば、腹が減る。
腹が減れば、買う。
……そこまでは、もう見えている。
俺は、周りを見回した。
砂浜に立つ40人。
誰が先に音を上げるか。
池と山内は、口では真っ先に騒ぐ。だが、ああいうのは騒ぐだけだ。騒いでいるうちは、まだ余裕がある。
本当に危ないのは、騒がない奴だ。
――そこで、目が止まった。
輪の一番外に、女が一人立っている。
佐倉、といった。
俺は、この三ヶ月でその女と一言も喋っていない。向こうから喋りかけてきたこともない。
だから、はっきり言って何も知らない。
……だが。
さっきから、妙な立ち方をしていた。
周りは全員、平田の方を向いている。
あの女だけが、二呼吸ごとに、後ろを見ていた。
背中側には、海しかない。
――あれは。
賭場でも、たまにああいう客がいた。
卓についているくせに、牌を見ないで入り口ばかり見ている。
ああいうのは、決まって二つのうちどちらかだ。
誰かを待っているか。
誰かに追われているか。
待っている人間は、扉が開くと顔を上げる。
追われている人間は、扉が開くと、肩が落ちる。
……あの女は、後者だ。
しかも、ここには扉がない。
誰も追ってこられない島の上でまだ後ろを見るなら、それは癖になっているということだ。
癖になるまでには、時間がかかる。
……もっとも、それがどうしたという話でもある。
人には人の事情がある。俺には関わりがない。
――だが。
30点だ。
一人が続行不能になれば、300のうち30が消える。
一割だ。
……。
俺は、少しの間だけ、その背中を見ていた。
情でどうこうするつもりはない。
ただ、勘定が合わない。
崩れるとわかっている札を、そのまま抱えて一週間を張るのは、俺の流儀ではなかった。
――一週間ある。
俺は砂を踏んで、輪の方へ歩き出した。
輪に戻ると、話はもう別のところで揉めていた。
「リーダー、誰にすんだよ」
池が言った。
カードは、もう配られている。誰かが持たなければ、スポットは一つも取れない。
「平田でいいだろ」
「そうそう、平田くんしかいないって」
平田は、困った顔をしていた。
「僕でいいのかな。最終日に他のクラスから当てられたら、50失うんだ。目立つ人間がリーダーだと、当てられやすいと思う」
――ほう。
俺は、少しだけ平田を見直した。
この男は、人当たりがいいだけの男ではないらしい。
「じゃあ、目立たない奴にすればいいじゃん」
山内が言った。
「地味な奴。いるだろ、そういうの」
何人かが笑った。
――……。
俺は、輪の外を見た。
佐倉は、顔を伏せていた。
笑いが起きた時、その肩が、ほんの少し縮んだ。
……。
俺は、何も言わなかった。
言う筋合いがない。
「そういう決め方はやめよう」
平田が、静かに言った。
「押しつけになる。皆で話し合って決めたい」
――違うな。
俺は、砂の上に立ったまま思った。
話し合って決めれば、決まった瞬間に40人が知る。
40人が知っている秘密は、秘密ではない。
この試験は、四つのクラスが同じ島にいる。一週間、顔を合わせる。
その間、40人全員が、一つの名前を隠し続けなければならない。
……無理だ。
人間は、知っていることを隠せない。
隠せる人間もいるが、40人が全員そうであることは、まずない。
――もっとも。
それを今ここで言えば、俺が言ったということが40人に伝わる。
俺は口を開かなかった。
代わりに、輪の端に立っている堀北を見た。
目が合った。
あの女も、同じことを考えていた顔をしていた。
「フッ……」
その時、輪の外から声がした。
高円寺だった。
こいつは、上陸してから一度も列に加わっていなかった。
「悪いが、私は降りさせてもらうよ、平田ボーイ」
「は?」
池が、間の抜けた声を出した。
「どうにも体調が優れなくてね。この炎天下だ。私ほどの肉体でも、無理をすれば損なわれる。……美しくないだろう?」
高円寺は、前髪を払うようにして踵を返した。
誰も止められなかった。
平田が何か言いかけて、口を閉じた。
――……。
30点。
始まって一時間も経たないうちに、300のうち30が消えた。
270だ。
……。
俺は、遠ざかっていく背中を見ていた。
あれは、体調が悪いのではない。
悪いことにできる、と知っている顔だ。
規則の中に、一つだけ自分から降りられる穴がある。それを見つけて、迷わず使った。
……見上げたものだ。
あの男は、この一週間で一点も失わない。
自分の点数を、最初に確定させたわけだ。
――だが。
俺は、砂を踏み直した。
降りた人間に、勝ちはない。
久しぶりに、頭の中が静かに動いていた。
この物語に恋愛要素をいれるべきか
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必要
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一切不用
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少しみたい