砂の上で、クラスが空回りしていた。
平田くんが両手を上げて、皆を落ち着かせようとしている。池くんと山内くんは口だけ動かして何もしていない。女子の何人かは、もう座り込んでいた。
高円寺くんは、開始一時間で降りていった。30ポイント。
……最悪の立ち上がりだわ。
300のうち、30がもう消えた。残り270。
この持ち点は、残った分がそのままクラスポイントになる。
私たちのクラスは、今100しか持っていない。四月に1000を丸ごと失って、中間テストでようやく100まで戻したのが全部だ。
Aクラスは1000を超えている。Bクラスもその半分以上、Cクラスでさえ私たちの数倍を持っている。
この一週間で300を持ち帰れれば、400になる。
……それでも全然届かない。
届かないけれど、ゼロだった頃から数えれば、これは決して小さくない。
だから、一点も落としたくなかった。
その一点を、開始一時間で30も落とされた。
私は輪の外側に立って、それを見ていた。
リーダーを誰にするか。平田くんは「皆で話し合って決めたい」と言った。
間違っている。
話し合って決めれば、決まった瞬間に39人が知る。39人が知っているものは、一週間も持たない。
言おうとして、やめた。
私が言えば、私が言ったということが39人に伝わる。それは、私がリーダーではないと知らせるのと同じくらい余計な情報になる。
――同じことを、この男も考えていた。
視線を動かすと、赤木くんが輪の反対側に立っていた。
目が合った。
この男も、何も言わなかった。
言えば伝わる、とわかっているから言わない。それだけのことを、この男は口を開かずに済ませている。
……本当に、腹の立つ男。
でも。
私はもう、この男が何も言わない時に何を考えているかを、少しだけ知っている。
五月八日の、夜のことだった。
消灯時刻はとうに過ぎていた。
私は、寮の裏手にいた。
兄がそこにいると聞いたからだ。誰から聞いたのかは、もうどうでもいい。
制服を着た背中が、街灯の下に立っていた。
三年生の、生徒会長の背中。
「兄さん」
振り返った顔に、驚きはなかった。
「用件を言え」
「……私は、Aクラスに上がります」
言葉が、自分でも情けないほど細く出た。
「そのために、何が足りないのかを教えてほしいんです」
兄は、私を上から下まで見た。
値踏みではない。値踏みというのは、値がつくかもしれないと思っている人間がすることだ。
あれは、確認だった。
「お前は変わっていないな」
声は静かだった。
「人に問う時点で終わっている。足りないものを教えられて埋まる程度の差なら、初めから開いていない」
「……」
「お前は昔から、答えを欲しがる。過程を憎み、結果だけを掠め取ろうとする。だから伸びない」
言い返せなかった。
言い返す材料が、何一つ手元になかった。
「二度と来るな」
兄が背を向けかけて――止まった。
「いや」
振り返った手が、私の手首を掴んだ。
驚くほど強かった。
「言葉では、お前には届かないな」
足がわずかに浮いた。
地面はコンクリートだった。
私は、抵抗しなかった。
抵抗できなかったのではない。したところで無駄だと、体の方が先に知っていた。
――ああ、と思った。
私はこの人に、こういうふうに扱われるだけの人間なのだ。
その時。
「……随分と、念入りだな」
暗がりから、声がした。
白い髪が、街灯の外側に立っていた。
寝間着でもない、制服でもない、ただのシャツ姿で。こんな時間に、こんな場所に、当たり前のような顔で立っていた。
兄の手が、止まった。
「誰だ」
「通りすがりだ」
「消えろ」
「消えてもいいが」
赤木くんは、少しも急がなかった。
「その細っこいのを地面に叩きつけて、あんたは何を確かめるつもりだ」
空気が、変わった。
「……何?」
「差がついてるってのは、証明しなくてもわかるもんだ」
赤木くんは、兄の目を見ていた。
見上げていた、はずだ。背丈は倍近く違った。
なのに、見上げているように見えなかった。
「わざわざ地面に叩きつけて確かめようってのは、あんたの方が不安だからだろ」
「――」
「妹に置いていかれるのが、怖えんだ」
兄の手が、私の手首から離れた。
私は砂利の上によろけて、膝をついた。
兄は、赤木くんの襟を掴んでいた。
片手で、軽々と持ち上げていた。
赤木くんは、抵抗しなかった。
殴られるとも、逃げるとも思っていない顔だった。
――違う。
私は、その時初めて気づいた。
この男は、この状況を「まだ何も起きていない」と思っている。
掴まれることも、殴られることも、この男の計算の中では何かが起きたうちに入っていない。
だから、瞬き一つしていない。
……そんな人間を、私は見たことがなかった。
兄も、そうだったのだと思う。
しばらくして、兄は手を離した。
「……つまらん男だ」
そう言って、私の方を見た。
「鈴音」
久しぶりに名前で呼ばれた。
「上のクラスに上がりたかったら、死に物狂いで足掻け」
それだけ言って、兄は歩いていった。
制服の背中が、街灯の輪から出て、見えなくなった。
残されたのは、砂利の上に膝をついた私と、襟の伸びたシャツの男だけだった。
「……なぜ、あんなことを言ったの」
私は訊いた。
声が震えていて、腹が立った。
「言ってやれば、手が止まると思ったからだ」
赤木くんは、襟を直しもせずに答えた。
「あんな見え透いたことで、兄さんの手が止まるはずが――」
「止まっただろ」
止まっていた。
「人間ってのは、図星を指されると手が止まる。当たってるかどうかは関係ねえ。当たってるかもしれねえと思った瞬間に、体の方が先に止まる」
……この男は。
「あなた、兄さんのことを何も知らないでしょう」
「知らねえよ」
「なら、なぜ」
「知らなくていい」
赤木くんは、私が立ち上がるのを待ちもせずに歩き出していた。
「あの男が何を怖がってるかなんて、俺は知らねえ。だが、無抵抗の人間を地面に叩きつけようとする奴が、平気な顔をしてるわけがねえだろ」
そして、こう言った。
「――余裕のある人間は、確かめねえんだ」
私は、その背中を見ていた。
その日から、私はこの男を数え方に入れている。
味方だと思ったわけではない。
ただ、この男は、私が何を持っていないかを、他の誰よりも早く見抜く。
だから、しばらく経って、この男が「板の使い方を教えてくれ」と言ってきた時、私は驚かなかった。
この学校に来て一ヶ月、端末の動かし方すら知らなかった。それは、この男にとって決して人に見せられない類の穴だったはずだ。
その穴を、40人の中で私にだけ開いた。
理由は、たぶん一つしかない。
――あの夜、私の方も、見られていたから。
地面に叩きつけられかけて、抵抗もできずにいたところを。
だからこの男は、私になら見せられると踏んだ。
貸し借りではない。そんな綺麗なものではない。
互いの一番みっともないところを一つずつ握っている。ただ、それだけの関係だ。
……それだけの関係が、この学校では一番切れにくいのだと、私は後から知ることになる。
だから須藤くんの一点の時、私はこの男のところへ行った。
行けば、動くと思ったからではない。
――行かなければ、動く道理がないと思ったからだ。
波の音がした。
私は、砂を踏んで輪の外側を回り、赤木くんの隣に立った。
「話し合いで決めさせては駄目よ」
「だろうな」
「……あなたも同じことを考えていたのね」
「考えなくてもわかるだろ」
赤木くんは、海の方を見ていた。
「39人で決めた秘密ってのは、秘密じゃねえ。持ち回りの札だ」
「なら、どうするの」
「決めさせりゃいい。ただし――」
そこで、こちらを見た。
「教室で決まった名前と、実際に登録する名前を、別にしとけばいい」
……。
私は、少しの間、言葉が出なかった。
「それは、規則違反にならないの」
「ならねえよ。登録できるのは一人だけだ。カードを使えるのもそいつだけ。そこは動かせねえし、動かす気もねえ」
赤木くんは、また海に目を戻した。
「動かすのは、そこじゃねえ」
「……どこなの」
「39人が、誰の名前を信じてるかだ」
――……。
「学校に出す紙と、教室で挙がった手は、別のものだ。前者は規則だが、後者はただの空気だろ」
「空気を作れ、と言っているの」
「作るんじゃねえ。放っときゃ勝手に出来る」
赤木くんは、輪の方を顎で示した。
「あいつらはもう『平田だろう』って顔をしてる。こっちが何かする必要はねえ。ただ、訂正しなけりゃいい」
――この男は。
配られた紙を、一度も表通りには読まない。
私は、拳を握った。
兄に言われた言葉が、今になって腹の底で鳴っていた。
死に物狂いで足掻け。
……言われるまでもないわ。
私は、平田くんの方へ歩き出した。
「平田くん。決め方を変えて」
輪の中心に割り込むと、平田くんが振り返った。
「堀北さん?」
「話し合って決めるのは構わない。ただし、決まった名前を、そのまま登録しないで」
周りが静かになった。
「……どういうこと?」
「みんなで一人を選ぶ。その名前は、クラス全員が知ることになる。一週間、他のクラスと同じ島にいて、39人が一つの名前を守り続けられると思う?」
誰も答えなかった。
「守れないわ。誰かが漏らす。悪気がなくても漏れる」
「でも、それは……」
平田くんの声が、わずかに硬くなった。
「みんなを騙すことにならないかな」
――やっぱりそう来る。
この人は、そういう人だ。
「騙すのではないわ」
私は言った。
「知らせないだけ。知らない人間は、漏らせない」
「……」
「知っている人間が少ないほど、守られるのはその人自身よ。私たちが守るのは、名前じゃなくて、その名前の人間なの」
平田くんは、しばらく黙っていた。
この人は優しい。優しいから、隠すことを裏切りだと考える。
でも、この試験で優しさは点にならない。
「……わかった」
平田くんは、そう言った。
「みんな。リーダーは、話し合って決める。ただ、実際に登録する手続きは、僕と堀北さんに任せてほしい」
異論は出なかった。
池くんも山内くんも、そもそも最初から誰でもよかったのだ。決まりさえすれば、自分が背負わなくて済む。
結局、名前は平田くんに決まった。
誰も反対しなかった。全員が「平田くんなら安心だ」と言った。
――そうでしょうね。
この教室で一番目立つ人間の名前が、一番先に挙がる。
どのクラスも、たぶん同じことをする。
だから、そこで止まってはいけない。
手続きの席で、私は自分の名前を書いた。
登録されたリーダーは、平田くんではない。私だ。
だからスポットを取りに行くのも、カードを通すのも、全部私がやることになる。そこは誰にも代われない。
教室に残るのは、平田くんという名前だけ。
それを知っているのは、この島で3人だけだ。
日が傾き始めていた。
テントを張る作業が始まって、砂浜がようやく人の動く場所らしくなってきた。
私は、少し離れた場所からそれを眺めていた。
輪から外れた場所に、佐倉さんが立っていた。
荷物を持ったまま、どこに置けばいいのかわからないという顔をしている。
誰も声をかけていない。
……顔色が悪い。
この炎天下だから、と言えばそれまでだ。
私は、一歩だけそちらへ踏み出して――止まった。
今は、それどころではない。
リーダーを隠し通すこと。ポイントを減らさないこと。一週間、39人を保たせること。
考えるべきことは、いくらでもある。
私は、目を逸らした。
――この判断が間違いだったと知るのは、もう少し先のことになる。
この物語に恋愛要素をいれるべきか
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必要
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一切不用
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少しみたい