日が傾いてしばらくして、堀北が一人でテントを離れた。
俺は、それを離れた場所から見ていた。
スポットの占有は、8時間で切れる。
つまり一度取れば、8時間後にまた取り直しに行かなければならない。夜中だろうが明け方だろうが関係ない。
それを、登録された一人だけがやる。
――重いな。
誰も代われない仕事を、一週間で15回。
その全部を、36人に見られずにやり切らなければならない。
俺は、砂に落ちていた枝を拾って、指で回した。
堀北が戻ってきたのは、40分ほど後だった。
「取れたわ」
「見られたか」
「誰にも」
「そうか」
俺は枝を捨てた。
「カードを出せ」
「……なぜ」
「いいから出せ」
堀北は怪訝な顔をしたが、胸元から出した。
薄い板だった。
表に、印字がある。
――堀北鈴音。
俺は、それをしばらく見ていた。
「……何よ」
「あんた、これを見たか」
「見たわよ。私の名前が書いてあるだけでしょう」
「それだけか」
堀北の眉が寄った。
「他に何があるの」
「ここに名前が書いてあるってことは」
俺は、カードを指で弾いた。
「これを一枚抜かれた時点で、勝負が終わるってことだ」
堀北の顔から、表情が抜けた。
「……あ」
「気づいたか」
「最終日にリーダーを当てるのは、勘の話じゃない。……これを見た人間は、勘じゃなくなる」
「そういうことだ」
俺はカードを返した。
「他所の連中が本当に欲しがってるのは、これだ。人を観察するより早い。取っちまえば、それで終わる」
堀北は、カードを握り直した。
「……肌身離さず持つわ」
「それも駄目だ」
「……どうしろというの」
「肌身離さず持ってる人間ってのは、そういう歩き方になる」
俺は言った。
「胸元を気にする。人が近づくと体の向きを変える。荷物を置いて離れられねえ。……見てりゃわかる」
堀北が、黙った。
「隠すな、とは言わねえ。だが、隠してることを隠せ」
「……無茶を言うわね」
「無茶じゃねえ。慣れの話だ」
俺は続けた。
「一番いいのは、カードを持ってることを自分でも忘れてる状態だ。……そこまでは無理でも、近づける」
夕方になって、飯の話が出た。
平田が全員を集めた。
「今日の分の食料をどうするか、決めたいんだ」
手元の紙を見ながら言う。
支給された道具の中に、購入用の一覧があった。水も、米も、缶詰も、値段がついている。
「一番安い組み合わせで、39人分。……1日あたり、12ポイント前後になる」
ざわめきが起きた。
「7日で84かよ」
池が言った。
「270のうち、84が飯で消えんの?」
「そうなるね」
平田が頷いた。
「それでも、食べないわけにはいかないから」
――ふむ。
俺は、輪の外で聞いていた。
84。
残るのは、270から84を引いて、186。
占有は8時間ごとに一度。落とさずに回し続ければ、15回は積める。うまくいけば、そこに15ほど戻る。
悪くない数字に見える。
だが、それは全員が最低限で我慢し続けた場合の話だ。
「あのさ」
女子の一人が手を挙げた。
「お風呂……とかは、無いの?」
空気が止まった。
「一週間、入れないってこと?」
平田が言葉に詰まった。
「……水は、あるけど。石鹸とかは買わないと」
「買おうよ」
「そうだよ、一週間はきついって」
声が上がり始めた。
……来たな。
俺は、砂を見ていた。
今日はまだ一日目だ。誰も汚れちゃいない。
にもかかわらず、もう買う話が出ている。
人は、困ってから買うんじゃない。困りそうだと思った時点で買う。
「待ってくれ」
平田が両手を上げた。
「今日は買わないで、明日以降どうしても必要になったら考える、でどうかな」
なんとか収まった。
――今日はな。
この手の話は、一度出たら消えない。
明日また出る。明後日も出る。そして、出るたびに賛成が増える。
止めているのは平田一人だ。
平田が折れた瞬間に、堤防が抜ける。
その話が収まりかけた頃、林の方から人が出てきた。
うちの連中ではなかった。
小柄な女だった。髪を後ろで結んで、支給された服が砂で汚れている。
「……あんたら、Dクラス?」
不機嫌そうな声だった。
平田が立ち上がった。
「そうだけど……君は」
「Cクラス。伊吹」
教室が――いや、砂浜が、ざわついた。
「なんでCの奴がここにいんだよ」
池が警戒した声を出す。
「喧嘩した」
伊吹という女は、それだけ言った。
「クラスの奴らと。もう戻る気ない」
「……戻る気ないって」
「しばらくここに置いてくれない? 邪魔はしない」
――ほう。
俺は、砂の上に座ったまま、その女を見ていた。
平田が困った顔で振り返る。
女子の何人かが、気の毒そうな顔をしていた。
……なるほど。
よく出来ている。
まず、小柄な女を寄越す。次に、喧嘩という誰にでもわかる理由をつける。最後に、頼み方を控えめにする。
断りにくい形が、三つ重なっている。
「……いいんじゃない? 困ってるみたいだし」
「一人くらい平気だよね」
女子から声が上がった。
平田が、迷いながら頷いた。
「わかった。……ただ、うちの荷物には触らないでほしい」
「触らないって」
伊吹は肩をすくめて、テントの端に座り込んだ。
……。
俺は立ち上がって、堀北の隣まで歩いた。
「見たか」
「ええ」
堀北の顔は、硬かった。
「……あれ、間者よ」
「そうだろうな」
「なぜ誰も気づかないの」
「気づかねえんじゃねえ」
俺は言った。
「気づきたくねえんだ。困ってる奴を追い返すのは、後味が悪い。……追い返さない理由を探してるだけだ」
「追い出すべきだと思う?」
「いや」
俺は首を振った。
「追い出したら、次は見えねえ形で来る。……見えてる間者ってのは、一番安全な間者だ」
「……それに、飯が一人分増えるわ」
「そこは安いもんだ」
俺は言った。
「1日12ポイントを39で割って、一人分で0.3。七日でも2ポイントちょっとだ」
堀北が、こちらを見た。
「……その計算、いつしたの」
「あの女が座った時にだ」
2ポイントで、相手の目の位置がわかる。
安い買い物だった。
「……あなた、随分と楽しそうね」
「そう見えるか」
「ええ」
俺は答えなかった。
代わりに、胸のあたりを指で軽く叩いた。
堀北の顔が、わずかに強張った。
カードだ。
あの女が本当に取りに来るとしたら、狙いはそれ一つしかない。
夜になった。
火は禁止されていないが、燃やすものが限られている。
テントの前で、須藤が地面に寝転がっていた。
「腹減った……」
「食っただろ」
「あんなもんで足りるかよ」
須藤は身体がでかい。同じ量を配られても、足りるわけがない。
この男は、たぶん最初に音を上げる側だ。だが、音を上げても金を出せとは言わないだろう。
そういう男だ。
「赤木」
「なんだ」
「お前、なんでそんな平気なんだよ」
須藤が、こちらを見た。
「今日、ほとんど食ってねえだろ。俺の見てた限り」
……見ていたのか。
この男は、時々こういうところがある。
「慣れてる」
「慣れって、なんだよそれ」
「言った通りの意味だ」
須藤は、しばらく黙っていた。
「……お前さ」
「なんだ」
「前、どこ住んでたんだよ」
俺は答えなかった。
空を見た。
――星が、多いな。
この学校に来てから、初めてまともに空を見た気がする。
あの街には、こんなに星は出ていなかった。
いや。
出ていたが、見なかっただけだ。
賭場を出るのはいつも明け方で、俺は下を向いて歩いていた。
「……悪い。訊いていいことじゃなかったよな」
須藤が、そう言った。
誰に教わったわけでもないだろうに、この男はこういうところで正しく引く。
「いや」
俺は言った。
「星は、あった」
「は?」
「あっちにも、星はあった。……見上げなかっただけだ」
須藤は、意味がわからないという顔をしていた。
それでいい。
夜中、俺は目を覚ました。
テントの外で、砂を踏む音がした。
――堀北か。
夕方に取ったなら、次は真夜中だ。頃合いではある。
俺は身を起こして、外に出た。
月が出ていた。
砂浜に、影が一つ。
堀北ではなかった。
小柄な女が、テントの列から離れていくところだった。
……佐倉か。
俺は、追わなかった。
しばらく見ていると、その女は波打ち際で足を止めた。
座り込んで、膝を抱えた。
それだけだった。
海を見ているわけでもない。ただ、そこに座っている。
――眠れねえのか。
俺は、テントの陰から動かなかった。
しばらくして、女は戻ってきた。
自分のテントに入っていった。
……。
入れ替わりに、別のテントから人が出てきた。
堀北だった。
こちらには気づかず、林の方へ歩いていく。
足取りに迷いがない。
――取り直しに行ったか。
夕方に取った分が切れる頃合いだ。
真夜中に一人で林へ入るのは、気持ちのいいものではないだろう。
だが、あの女は誰にも言わずに出ていった。
……上等だ。
俺が動こうとした時、別の方向から足音がした。
林の側からだった。
――こっちは、帰りだな。
出ていく足音と、帰ってくる足音は違う。
現れたのは、綾小路だった。
俺を見ても、驚かなかった。
「起きてたのか」
「そっちこそ、どこへ行ってた」
「散歩だ」
「夜中に、林の中をか」
「眠れなかった」
……。
俺は、少し笑った。
「そりゃいい嘘だ」
「嘘じゃない」
「いや、嘘だ。だが上手い」
俺は言った。
「眠れねえ奴は、砂浜に行く。さっきの女みたいにな。林には行かねえよ。暗いし、足元も悪い。……行くのは、何かを見に行く奴だけだ」
綾小路は、答えなかった。
月明かりで、顔がよく見える。
何一つ変わっていない。
「一つ訊く」
俺は言った。
「あんた、今回は動くのか」
「……どういう意味だ」
「先月、あんたはあの女に何か握られた。中身は知らねえ。だが握られたことは、あんた自身が認めてる」
風が吹いた。
「握った側が、握ったまま何もさせねえってことはねえ」
「……」
「使う気がなけりゃ、そもそも握らねえ」
綾小路は、しばらく黙っていた。
それから、こう言った。
「お前は、どうする」
「答えになってねえな」
「答える義理がない」
「そうだったな」
俺は頷いた。
綾小路は、いつもこうだ。
「なら、こっちの話をしてやる」
俺は言った。
「この勝負は、使わなけりゃ勝てる。だから俺は、動かねえのが一番いいと思ってた」
「今は違うのか」
「違う」
俺は砂を踏んだ。
「動かないでいいのは、他所も動かない時の話だ」
「誰かが動いている証拠でもあるのか」
「ある」
俺は、綾小路を見た。
「あんただ」
綾小路の視線が、わずかに動いた。
「使わなけりゃ勝てる勝負だ。じっとしてるのが一番強い。それを一番よくわかってる人間が、初日の真夜中に林を歩いてる」
「……」
「一人でも動いてる奴がいるなら、動かねえのは、もう安全じゃねえ」
答えはなかった。
だが、否定もなかった。
俺は、それで十分だった。
「言っておく」
俺は言った。
「俺は、あんたの邪魔はしねえ」
「……」
「あんたが何を仕込もうが、勝手にやればいい。ただし――」
俺は、綾小路の目を見た。
「うちのクラスの点を削る形でやるなら、話は別だ」
綾小路は、少しの間、こちらを見返していた。
「……お前は、クラスのために動く人間だったか」
「違うな」
俺は答えた。
「この島の点のうち、俺の取り分がどれだけかって話をしてる。それだけだ」
「同じことに聞こえるが」
「同じに聞こえるうちは、まだ楽だ」
俺はそう言って、テントの方へ歩き出した。
背中で、綾小路が動く気配がした。
「赤木」
振り返らずに止まった。
「一つだけ言っておく」
綾小路の声は、平坦だった。
「この試験は、水でも食料でもない。人を当てる試験だ」
「知ってる」
「なら、もう一つ。……当てられる側は、当てる側より先に決まっている」
……。
俺は、そこで振り返った。
綾小路は、もうこちらを見ていなかった。
――なるほどな。
当てる方は最終日に決めればいい。だが、当てられる方は初日に決まっている。
こちらの首は、もう砂の上に置かれているわけだ。
……面白いことを言う。
俺は、その場に立ったまま考えていた。
あの女は、点呼に出ている。飯も、たぶん食っている。
昼間は、誰にも迷惑をかけていない。
だから、誰も気づかない。
――削れているのは、夜だ。
人が眠っている時間に、一人で減っていく。
それは点にならないから、教師も数えない。
7日で、どれだけ減る。
……。
俺は、月を見上げた。
賭場でも、同じ形を見たことがある。
昼間は普通に打っていて、夜になると急に崩れる客がいた。
ああいうのは、負けているから崩れるんじゃない。
――一人になると、勘定が戻ってくるんだ。
人の中にいる間は、忘れていられる。
俺はテントに戻った。
あと6日ある。
どこで手を打つかを、決めておかなければならなかった。
この物語に恋愛要素をいれるべきか
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必要
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一切不用
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少しみたい