2日目の朝、点呼は8時だった。
39人。高円寺が抜けた分だけ、列が短くなっていた。
教師が数えて、それだけで終わる。
俺は、数えられている間に他のクラスの列を見ていた。
Aクラスは、綺麗に並んでいる。誰も喋らない。
Bクラスは、笑い声が聞こえた。女が一人まとめ役らしく、そいつが何か言うたびに周りが頷いている。
Cクラスは――
……妙だな。
人数が、明らかに少ない。
昨日、砂浜に並んでいた時はこんなものではなかった。
「あれ、Cクラス減ってね?」
池が言った。
「体調崩したんじゃね? 昨日の暑さやばかったし」
山内が答えている。
……違うな。
病人が出れば、真っ先に慌てるのはクラスの連中だ。
だがCの列に、慌てている顔が一つもない。
全員が、当たり前という顔で立っている。
俺は、列の後ろにいる龍園を探した。
いた。
あの男は、こちらを見ていた。
目が合うと、口の端を上げた。
……。
俺は、目を逸らさなかった。
点呼が解けると、堀北は誰とも喋らずに林へ入っていった。
周りは、誰も気に留めていない。
……上出来だ。
俺は逆の方へ歩き出した。
やることは決めてある。
他所のクラスが、どこで何をしているかを見る。
平田は「みんなで手分けして」と言った。聞こえはいいが、あれは誰も全体を見ないという意味だ。
誰か一人は、全部を見ておかなければならない。
東の岩場に、Aクラスがいた。
洞窟を拠点にしている。入り口は一つで、中は見えない。
外から見張れる形になっていた。
……硬いな。
攻める気がない代わりに、崩す隙もない。
北へ回ると、Bクラスの陣地があった。
こっちは開けている。
布が張ってあって、下に道具が並んでいた。鍋が湯気を上げている。
「あ、Dクラスの人?」
声をかけられた。
髪の短い女だった。人の良さそうな顔で、警戒がない。
「困ってることある? お湯とか、分けられるけど」
「いや」
「そう? 困ったら言ってね」
俺は頷いて、その場を離れた。
……なるほど。
あれは、演技じゃないな。
本気で分けるつもりで言っている。
――厄介な形だ。
借りを作らせておくと、その人間は後で敵に回りにくくなる。
本人が計算していないぶん、余計に効く。
南に回った時、俺は足を止めた。
Cクラスの陣地だった。
テントは張ってある。
だが、人がいない。
いや――三人ほど、座っている。
それだけだ。
俺は、少し近づいた。
テントの周りに、袋が積んであった。
封の切られた食料の袋だ。中身が半分出たまま、砂の上に転がっている。
空になった水の容器が、いくつも並んでいた。
……。
昨日の昼に始まったばかりだ。
1日で、これだけ買った。
――使い切りにいってる。
座っている連中は、こちらに気づいても何も言わなかった。
追い払いもしない。
見られて困るものが、もう何もないという顔だった。
俺は、そのまま通り過ぎた。
林を抜けたところで、人がいた。
男が二人。片方は背が高く、無駄のない立ち方をしていた。
こちらに気づくと、その男が口を開いた。
「Dクラスか」
落ち着いた声だった。
「そうだ」
「一人か」
「そう見えるだろ」
男は、少しの間、俺を見ていた。
値踏みをしている目ではない。人数を数えて、来た方角を確かめている目だ。
……こいつは、まともだな。
「葛城だ。Aクラスの」
「赤木だ」
「聞かない名前だな」
「そうかい」
葛城という男は、それ以上詮索しなかった。
代わりに、こう言った。
「ここから東は、我々が使っている。争う気がないなら、避けてもらいたい」
「占有してるのか」
「していない。だが、いる」
――ほう。
占有していないと、正直に言った。
「言わなくてもいいことを言ったな」
「隠せば、そちらは確かめに来る。確かめに来れば、こちらは対応せざるを得ない。互いに点が減る」
葛城は淡々と言った。
「無駄な消耗を避けたいだけだ」
……なるほど。
この男は、勝ちに来ていない。
減らさないことだけを考えている。
俺と同じところを見ていて、俺とは違う結論を出した男だ。
「一つ訊いていいか」
俺は言った。
「南のCクラスを見てきた。あんたは、あれが何をやってるか知ってるか」
葛城の目が、わずかに動いた。
――知っているな。
「……知っていたとして、なぜ俺が話す」
「話さなくていい。顔で足りた」
葛城は、しばらく黙っていた。
「赤木。お前は、危険な部類だな」
「よく言われる」
俺はそう答えて、来た道を戻り始めた。
背中で、もう一人の男が何か言っているのが聞こえた。
葛城は答えなかった。
茶柱は、砂浜の端の日陰にいた。
俺が近づくと、こちらを見た。
「なんだ」
「確かめたいことがある」
「答えられることなら」
「五月一日に、あんたは言った」
俺は言った。
「クラスポイントは0を下回らない、と」
茶柱の眉が、わずかに動いた。
「……覚えていたか」
「忘れる理由がねえ」
あの日、俺は同じことを訊いた。0のまま月が変わったらどうなる、と。
この教師は、その場で答えた。全員が聞いている教室で、はっきりと。
「この島の持ち点も、同じか」
「同じだ」
あっさりしたものだった。
規則の話だから、隠す理由がない。
「なら、もう一つ」
俺は言った。
「持ち点が0のクラスが、最終日に他所のリーダーを当てた場合、その50は入るのか」
茶柱が、こちらを見た。
今度は、間があった。
「……入る」
――それだ。
「答えたな」
「規則だからな」
「そいつは親切だ」
俺は言った。
「おかげで、あそこの勘定が読めた」
茶柱は答えなかった。
俺は、その場を離れた。
歩きながら、俺は整理していた。
下は0で止まる。上は止まらない。
――片側にだけ、蓋がしてある。
0まで落ちたクラスは、そこから先、何をされても減らない。最終日に自分のリーダーを当てられても、払う点がない。
だが当てる側に回れば、50は入る。
つまり龍園は、この試験から損の目を全部消した。
……。
俺は足を止めた。
だが、それでも合わない。
あの男が捨てたのは300だ。
当て合いで取れるのは、他所三つを全部当てて150。
300を捨てて、うまくいって150。
――半分にしかならねえ。
賭場でこんな張り方をする人間がいたら、俺は同じ卓につかない。
勝つ気のない人間は、読めないからだ。
……いや。
違うな。
俺は歩き出した。
勝つ気がないんじゃない。
この盤で勝つ気がないだけだ。
300を捨てても構わないと思っている人間は、300より高いものを、別のところで受け取る約束をしている。
クラスポイントでも、持ち点でもないものを。
――それが何かは、まだ見えねえ。
だが、あの男は最初からそっちを見ていた。
だから、この盤を捨てられた。
俺は、砂を踏んだ。
賭場で一番厄介なのは、強い奴じゃない。
その卓の点棒を、はなから欲しがっていない奴だ。
砂浜に戻ると、伊吹がテントの間を歩いていた。
手ぶらだった。
何かを運んでいるわけでも、探しているわけでもない。
ただ、歩いている。
……見てるな。
どのテントに誰が寝ているか。荷物がどこに置いてあるか。
1日目にそれを覚えておけば、2日目からは暗くても動ける。
俺は、その前を横切った。
「よう」
伊吹が足を止めた。
「……何」
「南に行ってきた」
俺は言った。
「あんたのクラスの陣地だ。食い物の袋が、封を切ったまま転がってた」
伊吹の顔は変わらなかった。
「へえ」
「知らねえか」
「喧嘩して出てきたって言ったでしょ」
「言ったな」
俺は頷いた。
「なら、知らねえか」
それだけ言って、通り過ぎようとした。
「……ねえ」
背中に声がかかった。
「あんた、何が言いたいの」
「別に」
俺は振り返らなかった。
「ただ、こっちも見てるってことだ」
答えはなかった。
――上等だ。
あの女が探しているものは、一つしかない。
カードだ。
だが今、それを持っている人間は林の中にいる。
テントをいくら覚えても、そこには無い。
……もっとも。
いずれ気づく。
夜に一人で出ていく人間がいることに。
あれだけ人の動きを見て回っていれば、3日もかからない。
――間に合うか。
俺は、少し考えた。
堀北に「見られるな」と言ったのは昨日だ。
だが、見られないことと、動きを読まれないことは別だ。
毎晩、同じ時刻に、同じ方角へ出ていく。
それだけで足りる。
……時刻を崩させるか。
俺は、そこまで考えて頭の隅に置いた。
テントの前に、佐倉が立っていた。
水の容器を抱えて、置き場所を探している。
誰も声をかけていない。
顔色は、昨日より白かった。
俺は、そちらへ歩いた。
「置くなら、そこの影だ」
佐倉が、びくりと肩を動かした。
「あ、……あの」
「赤木だ」
「し、知ってます……」
四ヶ月同じ教室にいて、初めて交わした言葉がこれだった。
俺は容器を受け取って、日陰に置いた。
「訊きたいことがある」
「……はい」
「あんた、この一週間もつか」
佐倉の肩が、はっきりと強張った。
「……ご、ごめんなさい」
――違うな。
「謝る話じゃねえ」
「でも、迷惑を」
「迷惑だとは言ってねえよ」
俺は、砂の上に腰を下ろした。
「一人続行不能になれば30点だ。うちの持ち点は今261。……一割だ」
佐倉が、顔を上げた。
驚いた顔をしていた。
――そうだろうな。
この女は、たぶん今まで一度も、数字として扱われたことがない。
同情されるか、いないことにされるか、そのどちらかだった。
「……ひどい言い方です」
「そうか」
「……でも」
佐倉は、少しだけ息を吐いた。
「……そっちのほうが、楽です」
……ほう。
「気を遣われるより、ずっと」
俺は、少しだけその横顔を見た。
目は合わなかった。だが、さっきより背中が起きていた。
「なら、勘定の話をする」
俺は言った。
「あんたが倒れるとしたら、何で倒れる。暑さか、飯か、それとも別のものか」
「……」
「暑さと飯なら、こっちで何とかなる」
「……別のもの、だと思います」
――来たな。
俺は、急がなかった。
「言わなくていい」
「え……?」
「言いたくねえことを聞き出すのは、俺の趣味じゃねえ」
俺は立ち上がった。
「一つだけ確かめさせろ。それは、この島にあるものか」
佐倉は、しばらく黙っていた。
波の音が、二つか三つ。
「……島には、ないです」
「そうか」
俺は砂を払った。
「一つ教えといてやる」
佐倉が、こちらを見上げた。
「後ろを気にする癖は、直らねえよ」
「……っ」
「直そうとしても無駄だ。あれは考えて出てるもんじゃねえ」
俺は歩き出しながら、言った。
「直したけりゃ、後ろにいるものを消すしかねえ」
答えは返ってこなかった。
それでいい。
――島の外か。
なら、この7日は猶予でしかない。
帰る日が近づくほど、佐倉は悪くなる。
最終日が一番危ない。
……逆算しておくか。
俺は、テントの方へ戻った。
今日中に確かめることが、また一つ増えた。
夕方、平田がまた全員を集めた。
「今日の分を買う前に、一つ相談したいことがあるんだ」
昨日より、声が硬い。
「石鹸のことなんだけど……」
――早いな。
2日目で、もう出てきた。
「やっぱり必要だって声が多くて。今日買うと、明日以降の食料が――」
「買えばいいじゃん」
池だった。
「一週間だぞ? みんな臭くなるって」
「そうそう」
同意の声が、昨日より明らかに増えている。
昨日は「一週間はきついって」だった。今日は「みんな臭くなる」だ。
言い方が、少しだけ具体的になっている。
……そういうものだ。
我慢は、日ごとに理由が細かくなる。
細かくなった理由は、反論しにくい。
「……わかった。最低限だけ買おう」
平田が折れた。
俺は、砂の上でそれを聞いていた。
――1日だ。
昨日「明日以降どうしても必要になったら」と言った。
その明日が、今日だった。
人は、明日まで我慢するのは得意だ。
明後日まで我慢するのが、できない。
……。
俺は空を見た。
まだ、5日ある。
この調子で毎日一つずつ譲れば、最終日には何が残っている。
――計算するまでもねえ。
だが、止める気はなかった。
止めれば、俺が目立つ。
目立つ人間の名前は、最終日に他所のクラスから呼ばれる。
……それに。
ここで買った石鹸の分は、たかが知れている。
本当に効いてくるのは、堤防が抜けた後の3日目からだ。