3日目の昼、俺は数字を数えていた。
平田が持っている購入用の一覧を、横から覗いただけだ。
クラスに一部だけ配られたものだ。買える物と値段が、全部そこに載っている。
平田は購入の記録を、その余白に書き足していた。
――一部きりか。
これを無くしたら、うちは何がいくらかもわからなくなる。
……ずいぶん、薄い紙で出来ている。
初日、12。
2日目、食料に12。石鹸に9。
合わせて33。
270から引いて、237。
占有は8時間ごとに1つ。初日の夕方から数えて、今朝までで6つ。
足して、243。
――減り方が変わった。
初日は12だった。2日目は21だ。
倍近い。
……もっとも。
うちの減りだけ数えても、意味はない。
残った分は、そのままクラスポイントになる。順位で配られるわけじゃない。うちが残した分は、そっくりうちのものだ。
……それでも、他所を数える理由がある。
うちは今、100しか持っていない。Aは千を超えている。
この差が縮まらなければ、いくら足しても意味がない。
俺は、朝の点呼で見た四つの列を思い浮かべた。
Aは、40人が揃っていた。欠けが一人もいない。
Bも揃っている。
Cは、10人を切っていた。
……妙な話だ。
人が減れば、その分だけ点も減る。一人30だ。
なのにCの連中は、誰一人慌てていない。
――減ることが、勘定に入ってるわけだ。
そこまではわかる。
わからないのは、Aだ。
あれだけの人数が、7日を過ごす。
水なら、昨日見つけた沢がある。あれは買わずに済む。
だが飯はどうする。
支給されるのはテントと最低限の道具だけだ。食い物は買うしかない。
……買っている様子がない。
昨日、あの岩場の前を通った。入り口も、外に立っている連中も見た。
荷物を運び込む姿は、なかった。
――どこかで引っかかるな。
俺は、そこまで考えて手を止めた。
まだ材料が足りない。
足りないまま形を決めるのが、一番高くつく。
昨日、平田は「最低限だけ」と言った。実際、石鹸は最低限だったのだろう。
だが問題はそこじゃねえ。
最低限かどうかを、これから毎日決め直すことになった。……そっちだ。
「なあ赤木」
須藤が寄ってきた。
「聞いたか。歯ブラシ買うって話」
……。
早いな。
「誰が言い出した」
「女子。……つっても、俺も欲しいけどな」
須藤が頭を掻いた。
「口ん中、ずっと気持ち悪ぃんだよ」
――そうだろうな。
石鹸が通ったからだ。
昨日まで、この教室には「飯以外は買わない」という線があった。誰も越えたことがないから、越えるには勇気が要った。
昨日、平田がその線を越えた。
越えた跡は、道になる。
二人目からは、勇気が要らない。
……この学校は、こういう作りになっている。
禁じない。値段をつけるだけだ。
値段がついているものは、買っていいものだと人は思う。
夕方、案の定その話が出た。
「歯ブラシと、あとタオルも……」
平田が控えを見ながら言った。
声が、昨日よりさらに硬い。
「合わせて15になるんだ。……今日の食料と入れて、27になる」
「27くらいいいじゃん」
池だった。
「まだ200以上あるんだろ?」
――出たな。
俺は、輪の外でそれを聞いていた。
まだ200以上ある。
この言い方が出た時点で、もう決まっている。
残りが多いことを理由に使い始めた人間は、残りが減っても同じ理由を使う。
まだ150ある。まだ100ある。
最後まで、その言葉は言える。
「……堀北さんは、どう思う?」
平田が振った。
堀北は、少し離れた場所に立っていた。
堀北は、朝から一度もこの輪に入っていない。
入れば、目立つ。目立てば、名前を覚えられる。
「私は、反対よ」
だが、答えた。
「今日の27が、明日も明後日も出るのよ。4日で108。それだけあれば――」
「堀北さんはさ」
女子の一人が遮った。
「平気かもしれないけど、こっちは無理なんだって」
……。
空気が、変わった。
堀北が、口をつぐんだ。
――上手いことを言う。
中身は何も言っていない。だが、これで議論は終わった。
我慢の話に「あなたは平気でも」と言われたら、返す言葉がない。
返せば、平気だと認めることになる。
平気な人間の言うことは、聞かなくていい。
……よく出来た仕組みだ。
誰も嘘をついていない。誰も悪意を持っていない。
それでも、金は溶けていく。
「……わかった。買おう」
平田が言った。
堀北は、それきり何も言わなかった。
輪が崩れた時、俺は綾小路を探した。
波打ち際にいた。何をするでもなく、立っている。
俺は、その隣まで歩いた。
「一つ訊く」
「なんだ」
「あんた、この島で何回外へ出た」
綾小路は、海を見たまま答えた。
「一度だ」
「初日の夜だな」
「そうだ」
……。
俺が見たのは、その一回だ。
二回目があったかどうかは、確かめようがない。
――だが、まあいい。
嘘だとしても、この男は回数を盛らない側だ。
この男が毎晩林に通っていたなら、俺はむしろ安心していた。
手間をかける人間は、読める。かけた手間の分だけ、狙いが形になって出るからだ。
「一度で、何を掴んだ」
「掴んだとは言っていない」
「言ってねえな」
俺は認めた。
「だが、一度しか出てねえ男が、あの夜こう言った。……当てられる側は、当てる側より先に決まっている」
綾小路の目が、一度だけこちらへ動いた。
「あれは、当てる側の言い方だ」
俺は続けた。
「まだ何も掴んでねえ人間は、あんな言い方をしねえ」
沈黙があった。
波の音が、間に挟まった。
「……あの夜、洞窟の前を通った」
綾小路が、そう言った。
「Aクラスの拠点だ。中にスポットがある。……ちょうど、取り直しの刻限だった」
「見たのか」
「通りかかっただけだ」
――そういうことにしておくか。
「入り口の外に、二人いた」
綾小路は続けた。
「葛城と、もう一人。カードを通す機械は、入り口の脇にある。……通したのは、もう一人の方だ」
……。
俺は、少し考えた。
「その後、葛城はどうした」
「機械の前に、自分が通したような立ち位置で移った。……俺に気づいていた」
「――そりゃ、下手を打ったな」
俺は言った。
「葛城は慎重すぎる。俺と話した時も、占有していないことをわざわざ正直に言った。……消耗を避けたいという理屈でな」
「ああ」
「そういう男が、真夜中に、人目のないところでカードを通すか」
俺は続けた。
「通さねえよ。癖で用心する。……通した奴がいたなら、通した方が本物だ」
――いや。
俺は、そこで一つ引っかかった。
昨日、俺は葛城に「占有してるのか」と訊いた。スポットの話として訊いた。
あの男は「していない」と答えた。
だが今の話が本当なら、Aは初日の夜には既に取っている。
「……訂正だ」
俺は言った。
「葛城は正直じゃねえ。正直に見える言い方をしただけだ」
――なら、さっきの読みも吊り直しだ。
慎重だから通さない、ではない。
見られていると思えば、通したように見せる男だ。
綾小路が、こちらを見た。
「占有していないと言えば、こっちはそこを調べに行かない。……本当のことを一つ隠すのに、あれ以上安い嘘はねえ」
……そういう男か。
だとすれば、リーダーのふりも同じ作りだ。
嘘をつく人間ではなく、嘘だと思わせない人間だ。
――厄介さの種類が変わったな。
綾小路は、答えなかった。
否定もしなかった。
……。
俺は、そこで少し笑った。
「あんた、面白えな」
「何がだ」
「一度だ」
俺は言った。
「一度外へ出て、通りかかっただけ。それで一つ、顔が割れてる」
「偶然だ」
「そうだろうな」
俺は頷いた。
「だが、あんたの偶然は、他の奴が3日張り込んで拾うもんと同じ重さだ。……それが一番タチが悪い」
綾小路は、答えなかった。
この男は、いつもこうだ。
「こっちからも言っておく」
綾小路が言った。
「他のクラスも、同じことをやっている。……偶然を拾おうとしている奴が、他にもいるということだ」
「だろうな」
「なら、お前のところのリーダーも、そのうち同じ形で拾われる」
俺は答えなかった。
答える必要がなかった。
わかっていて、堀北に時刻を崩させている。
――だが。
この男が言ったということは、もう拾われかけているということだ。
……間に合うか。
俺は、そこで踵を返した。
その夜、堀北が林から戻ってきたのは、いつもより遅かった。
俺は、テントの外で待っていた。
「時刻を変えろと言ったな」
「変えたわ」
堀北の声は、疲れていた。
「今日は3度。全部、切れる前に前倒しで出たわ。……刻限ちょうどには行かない」
――それでいい。
8時間で切れる以上、それより遅らせれば権利が飛ぶ。
動かせるのは、どれだけ早く出るかだけだ。
毎回30分ずらせば、外から見ている人間には規則が見えない。
「眠っていないのは、私だけね」
「悪いな」
「あなたが謝るの」
堀北が、こちらを見た。
「珍しいこともあるものね」
「言葉が余っただけだ」
俺はそう答えた。
堀北は、少し黙ってから座り込んだ。
砂の上に、そのまま。
――疲れてるな。
堀北は、人前では絶対に座らない。
「……ねえ」
「なんだ」
「今日、私が何を言っても通らなかった」
「聞いてた」
「あなたなら、通せた?」
俺は、少し考えた。
「通せる」
「……どうやって」
「金の話をやめる」
堀北が、顔を上げた。
「人間はな、損得の話をされると、自分の得を守ろうとする。守るってのは、抵抗するってことだ」
俺は続けた。
「だが、勝ち負けの話をされると、話が変わる」
「……どういうこと」
「『買えば負ける』と言えばいい」
俺は言った。
「点が減るから駄目だ、じゃねえ。減らしたら他所に負ける、だ。……人は、損は受け入れるが、負けは嫌がる」
堀北が、しばらく黙っていた。
「……それ、同じことじゃないの」
「同じだ」
俺は答えた。
「だが、同じことを言っても通らねえ時に、言い方を変えると通る。……そういうもんだ」
「……」
「あんたは正しいことを言った。正しいから通ると思っていた」
堀北は、砂を見ていた。
「……なぜ、あなたが言わないの」
「言ったら、俺の名前が残る」
「最終日ね」
「そうだ」
堀北は、飲み込みが早い。
「目立つ人間の名前ほど、最終日に呼ばれやすい。……今、うちで一番呼ばれやすいのは平田だ。あいつが全部を仕切ってるからな」
「それが狙いだったの」
「半分はな」
俺は言った。
「もう半分は、あいつが本当に仕切ってるからだ」
堀北が、少しだけ笑った気配があった。
それから、立ち上がった。
「……そろそろ寝るわ」
「ああ」
堀北がテントに入るのを見届けてから、俺は振り返った。
10歩ほど離れたところに、伊吹が立っていた。
いつからいたのかは、わからない。
「……よう」
俺は言った。
「眠れねえのか」
「あんたたち、うるさいから」
伊吹は、そう答えた。
嘘だ。
声を落として話していた。10歩離れて聞こえる声量ではない。
――近くまで来ていたな。
途中で足を止めて、そこから見ていた。
何を話していたかは、たぶん聞こえていない。
だが、二人が夜中に話していたことは見られた。
……それで十分だ。
伊吹は、話の中身を知る必要がない。
誰と誰が、いつ、何度話しているか。それだけ数えていればいい。
俺は歩き出した。
伊吹の横を通る時に、足を止めた。
「一つ教えてやる」
「……何」
「うちのクラスで、俺と一番よく喋るのは須藤だ」
伊吹の眉が、片方だけ上がった。
「次が平田。その次が櫛田だな」
「……何の話」
「数えてるんだろ」
俺は言った。
「それだけ数えても、何も出ねえぞ。俺は誰とでも喋る」
嘘だった。
俺はほとんど誰とも喋らない。
だが、伊吹はまだ3日目だ。3日で39人の癖は覚えられない。
「……あんた、何なの」
「同じことを訊いていいか」
俺は答えた。
「あんた、何しに来た」
伊吹は答えなかった。
俺もそれ以上訊かなかった。
――上等だ。
伊吹は、これから俺の言った三人を見張る。
その分だけ、堀北を見る目が減る。
3日は稼げる。
……3日で足りるかどうかは、別の話だが。
夜が更けてから、俺は砂浜に出た。
佐倉は、いなかった。
昨日も、一昨日も出てきていた場所に、今日はいない。
……。
俺は、しばらく立っていた。
眠れているなら、それでいい。
だが、そうとは限らない。
――出てこられなくなった、という目もある。
俺は、テントの列を見た。
どれがどれかは、覚えている。
中を覗く気にはならなかった。
覗いて、何をどうするという話でもない。
……。
代わりに、俺はテントの前に座った。
波の音がする。
風は、昼より冷たい。
――あと4日か。
佐倉が保つかどうかは、たぶん体の問題じゃない。
帰る日が近づくほど悪くなるなら、それは体力の話ではない。
……厄介だな。
賭場でなら、こういう客の扱いは知っている。
崩れかけた客は、卓から降ろす。それが一番安い。
だが、ここでは降ろせない。
降ろした瞬間に30持っていかれる。
降ろせない客を、7日座らせておく方法。
……。
俺は、砂を指で掘った。
方法は、一つしかない。
卓の上の何かを、あの女に持たせることだ。
人は、自分の首がかかっている時より、預かり物がある時の方が保つ。
自分のためには倒れられるが、預かったもののためには倒れられない。
――だが。
俺は手を止めた。
あの女に、何を預ける。
この島で預けられるものなど、たかが知れている。
……。
俺は、少し長く座っていた。
カードだ。
だが、それは規則で動かせない。登録された人間しか使えない。
預けようがない。
――なら。
規則で動かせないものは、諦めるしかない。
動かせるのは、規則の外にあるものだけだ。
……何かあるか。
俺は、月を見上げた。
まだ、思いつかなかった。
思いつかないまま、4日が過ぎるとは思っていない。
……いや。
俺は、そこで手を止めた。
順番が逆だ。
あの女に何を持たせるかを考える前に、確かめることがある。
――何に追われてるのか。
それを知らないまま渡す札は、当たるかどうか運任せになる。
訊けば答えないだろう。訊かれたくないことだから、あそこまで削れている。
……なら、訊かずに絞るか。
島の外にあるもので、佐倉が毎晩思い出すもの。
学校の中にいて、逃げ場がなく、帰れば必ず顔を合わせるもの。
――人だな。
物や出来事なら、離れている間は忘れられる。
毎晩戻ってくるということは、向こうが動いているということだ。
俺は、月を見ながら指を折った。
あと4日。
帰るまでに、そこまで詰めておく。