アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

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第29話「清算」

 紙は、まだ俺の手元にある。

 

 正午までは、書き直しがきくと言った。その言葉通り、俺はBの欄を白いままにして、点呼の後もずっと考えていた。

 

 朝、見た形を、もう一度たどる。

 

 短い髪の女が、列の端に寄っていた。中心が、空いていた。

 

 ――守りたいものの周りに、人は無意識に隙間を作る。

 

 悪くない読みだった。だが、読みでしかない。

 

 あの陣形が崩れた理由は、他にいくらでも考えられる。誰かの体調が悪かっただけかもしれない。単に、朝の並び順を変えただけかもしれない。

 

 3日かけて張り込んだ綾小路の答えとは、重みが違う。

 

 俺は、紙のBの欄を見た。

 

 書けば、五分の目に賭けることになる。当たれば50。外れれば50。……賭け自体は、嫌いじゃない。むしろ、それだけが好きだった。

 

 だが、確かめてねえもんに賭ける気はねえ、とCについては言った。今さらBだけ甘くする理由はない。

 

 同じ基準を、最後まで通す。

 

 もう一度、四つを並べ直す。

 

 Aは戸塚。3日の張り込みという裏がある。書く。

 

 Bは今朝の勘一つ。裏がない。書かない。

 

 Cは0のまま。払わせられるかどうかを確かめていない。書かない。

 

 三つのうち、確実に埋まるのは一つだけだ。少ないと言えば少ない。だが、外れて減る分がないという意味では、一番硬い張り方でもあった。

 

 俺は、Bの欄を白いまま残した。

 

 

 

 

 

 昼前、綾小路が林の方から歩いてきた。

 

「一つだけ、確かめさせろ」

 

 俺は言った。

 

「あんたは、あの女と話したのか」

 

「話していない」

 

「じゃあ、どうやった」

 

 綾小路は、少しの間、黙っていた。

 

「あの女は、誰かに見られていないと確信できる時だけ動く。……昨夜、それを崩した」

 

「見せたのか。自分を」

 

「一度だけだ」

 

 ――なるほど。

 

 言葉を交わす必要は、なかったわけだ。

 

 姿を見せる。それだけで、あの女の勘定は変わる。人目のない場所のはずが、実は見られていたと知った瞬間、動く方が高くつくと悟る。

 

 説得じゃない。事実を一つ、突きつけただけだ。

 

「見られて、あんたは平気なのか」

 

「一度きりだ」

 

 綾小路は答えた。

 

「一度なら、散歩で押し通せる」

 

 ――律儀に、しかも安く済ませたわけだ。

 

「一つ、言っておく」

 

 俺は言った。

 

「借りは、これでチャラだ。……次に会う時は、また別の勘定から始まる」

 

「望むところだ」

 

 綾小路は、初めてそう言った。

 

 この男の声から、いつもの平坦さが、ほんの少しだけ抜けていた気がした。

 

 気のせいかもしれない。

 

 それでも、悪くない兆しだった。

 

 俺は、それ以上訊かなかった。

 

 

 

 

 

 正午が近づくと、リタイヤした連中含め、四つのクラスが浜に集められた。

 

 一週間ぶりに揃った顔ぶれだった。

 

 教師が、横に並んでいる。中央に立ったのは、茶柱ではなかった。

 

「学年主任の真嶋だ」

「これより、無人島試験の結果を発表する」

 

 砂浜が、静まり返った。

 

「今回の試験で、指名が的中したケースが確認された。詳細――誰が誰を指名したか――は公開しない。発表するのは、最終順位と、最終持ち点のみだ」

 

 ――そういう作りだったな。

 

 誰が誰を当てたかはわからない。わかるのは、結果の数字だけだ。

 

 周りの空気が、目に見えて張り詰めていく。

 

 この一週間、誰も口にしなかった名前が、今からたった四つの数字になって落ちてくる。

 

 賭場でも、これに似た瞬間を何度も見てきた。牌が最後の一枚になるまで、誰も勝敗を口にしない。だが、体はもう答えを知っている。誰も彼もが、拳を握るか、目を伏せるか、どちらかの形をしていた。

 

「第4位、Cクラス。最終持ち点、50」

 

 龍園の列が、静かにざわついた。

 

 0だったはずのクラスに、50。

 

 ――当てたか。

 

 誰を、とまでは言わない。だが、0のクラスが50を持っているなら、答えは一つしかない。

 

「第3位、Bクラス。最終持ち点、195」

 

 ……そうか。

 

 書かなかった方が、正しかったのか、間違っていたのかは、これじゃわからない。

 

 わからないままでいい。賭けなかった手の結果を、後から悔やむ趣味はなかった。

 

「第2位、Dクラス。最終持ち点、214」

 

 教室の連中が、一拍遅れて理解した顔をした。

 

「――に、二位!?」

「マジかよ!」

 

 池と山内が、抱き合って騒いでいる。平田は、呆然と立ち尽くしていた。

 

「第1位、Aクラス。最終持ち点、235」

 

 葛城の顔は、変わらなかった。だが、隣の男――戸塚だろう――の肩が、わずかに動いたのが見えた。

 

 Aの列から、拍手のような音が上がった。当然だ。4月から一度も崩れなかった一位が、今日も一位のままだった。

 

 だが、その拍手は、思ったより長く続かなかった。

 

 ……そうだろうな。

 

 一位ではあっても、二位との差は、たったの21だ。4月の時点なら、考えられない近さだった。

 

 葛城が、こちらを一瞥した。

 

 値踏みの目だった。初めて会った時、あの男は違う目をしていた。人数を数え、来た方角を確かめるだけの目だった。今は違う。

 

 須藤が、こちらを見た。

 

「……お前、知ってたのか」

 

「知らねえよ」

 

 俺は答えた。

 

「賭けてただけだ」

 

「賭けって、お前」

 

 須藤は、何か言いかけて、やめた。

 

 代わりに、俺の背中を強く叩いた。

 

「痛えな」

 

「うるせえ、これくらい許せ」

 

 悪い痛みじゃなかった。

 

 須藤は、それから照れくさそうに頭を掻いた。

 

「……お前と走っててよかったわ、マジで」

 

「毎朝だっただけだ」

 

「それが、だよ」

 

 須藤は、それ以上何も言わずに、池たちの輪へ戻っていった。

 

 俺は、動かなかった。

 

 周りが浮かれている間、頭の中では別のことを数えていた。

 

 

 

 

 

 ――214。

 

 214で、始まった数字と同じだ。

 

 Aを当てて、50。うちのリーダーも当てられて、50。……差し引き、0。

 

 なのに、この島に来た朝より、四つの中で二番目まで来ている。

 

 誰が、とは言われない。だが、この島に一週間いて、堀北の動きを一番熱心に数えていた人間なら、心当たりは一つしかない。

 

 ――伊吹。

 

 カードは奪えなかった。だが、あの女が数えていたのは、カードだけじゃなかった。誰が、いつ、どこへ動いたか。それを積み重ねれば、名前は要らない。動きだけで、リーダーは絞れる。

 

 燃え方が、真ん中からだったことも、今になって繋がる。あの紙には、平田が買い物のたびに書き足していた記録も載っていた。誰が、いつ、何を買ったか。動きの記録と、紙の記録。二つ揃えば、勘だけの推理じゃなくなる。

 

 ……見事なもんだ。

 

 悪くない負け方を、向こうもした。

 

 視線を感じて振り返ると、龍園がこちらを見ていた。

 

 列の向こうから、口の端だけで笑っている。

 

「クックック」

 

 声までは届かなかった。だが、あの笑い方は覚えている。

 

 ――てめえは、覚えとくぜ。

 

 6月に言われた言葉が、頭の中で鳴った。

 

 あの日から、この男は俺を勘定に入れ続けている。今日も、たぶんそうだ。

 

 俺は、小さく頷き返した。

 

 龍園も、それだけで満足したように視線を外した。

 

「以上で、無人島試験を終了する」

 

 真嶋の声が、砂浜に響いた。

 

「船は、一時間後に到着する。荷物をまとめておくように」

 

 教師たちが、散っていく。

 

 浜が、また騒がしくなった。喜びと、悔しさと、驚きが、一斉に声になって上がっていた。

 

 龍園の列も、静かに動き出していた。伊吹の姿は、遠目にも見当たらなかった。

 

 ……今日は、出てこないか。

 

 それも、それでいい。

 

 勝負が終わった後まで、律儀に顔を出す義理は誰にもない。

 

 

 

 

 

 堀北が、隣に来た。

 

「二位……信じられないわ」

 

「信じろ」

 

 俺は言った。

 

「数字は、嘘をつかねえ」

 

「214のまま、よ。……当てて、当てられて」

 

 堀北は、指を折った。

 

「差し引き、0」

 

「そうだ」

 

「0で、二位に上がったってことは」

 

「他所も、似たようなもんだったってことだ」

 

 俺は言った。

 

「誰も、圧倒的には勝ってねえ。……全員が、少しずつ削り合って、削り負けなかった奴が上に来た」

 

 堀北は、しばらく黙っていた。

 

「Aは235。うちは214。差は、21」

 

「そうだ」

 

「21で、四つの中に順番がついた」

 

「そういう勝負だ」

 

 俺は言った。

 

「大きく勝つ必要はねえ。残った分の多さが、そのまま順位になる」

 

「4月は、1000から0になった日だったわね」

 

 堀北が、遠くを見た。

 

「あの頃、あなたが来て、須藤くんの一点を買って、龍園くんの前に一人で立って……あれから、まだ二ヶ月も経っていないのに」

 

「時間の話をしてるのか」

 

「反省してるのよ」

 

 堀北は言った。

 

「私一人じゃ、ここまで来なかった。それだけは、認める」

 

「認めなくていい」

 

 俺は言った。

 

「勝手に認めろ」

 

「……本当に、可愛げのない男ね」

 

「よく言われる」

 

「……Bは、当てていれば一位だったかもしれないのに」

 

「かもしれない、で終わる話だ」

 

 俺は答えた。

 

「確かめてねえもんに賭けて、それが通ったところで、次も同じ勘定はできねえ。……通らなかった時のことも、勘定に入れてある」

 

 堀北は、少しの間、黙っていた。

 

「……あなたらしいわ」

 

「そうかい」

 

「褒めてないのよ」

 

 だが、口元は少しだけ緩んでいた。

 

「それでも、二位の話をしましょう。今日くらいは」

 

 悪くない提案だった。

 

 

 

 

 

 荷物をまとめていると、佐倉が近づいてきた。

 

「あの……」

 

「なんだ」

 

「二位、おめでとうございます」

 

「あんたのおかげでもある」

 

 俺は言った。

 

「伊吹を見張ってた分がなけりゃ、うちはもっと削られてた」

 

 佐倉は、少し驚いた顔をした。

 

「……私、本当に役に立ちましたか」

 

「二度も同じことを訊くな」

 

 俺は答えた。

 

「訊くまでもねえって、前にも言ったはずだ」

 

 佐倉は、俯いた。

 

 だが、その俯き方は、これまでとは少し違って見えた。

 

「船に乗ったら」

 

 俺は言った。

 

「今度はあんたが、俺に何か頼んでもいい」

 

 佐倉は、顔を上げた。

 

「……私が、ですか」

 

「そうだ」

 

「何を、頼めばいいのか、わかりません」

 

「今すぐ思いつかなくていい」

 

 俺は言った。

 

「思いついた時に、思いついたことを言え。それだけでいい」

 

「……はい」

 

 佐倉は、頷いた。

 

 この島に来る前の佐倉なら、たぶん「頼み事なんて考えられません」と俯いて終わっていただろう。今は、違う返事をした。それだけでも、7日間分の値打ちはあった。悪くない収支だ。

 

 佐倉は、視線を少し落としてから、また顔を上げた。

 

 何かを考えているような、そんな顔だった。

 

「……覚えておきます」

 

 小さな声だったが、はっきりしていた。

 

 

 

 

 

 船を待つ間、俺は砂浜の端に座っていた。

 

 須藤が、荷物を担いで通りかかった。

 

「赤木、船まだかよ」

 

「知らねえ」

 

「腹減った」

 

「昨日も言ってたな」

 

「昨日も減ってたからな」

 

 須藤は、砂の上に荷物を下ろした。

 

「なあ。結局、うち二位だったんだろ」

 

「らしいな」

 

「すげえじゃん。4月んとき、うちゼロだったんだぞ」

 

「ゼロだったな」

 

「お前、もっと喜べよ」

 

「喜んでる」

 

「顔に出てねえんだよ!」

 

 須藤が、笑いながら荷物を担ぎ直した。

 

「まあいいや。……なあ、次は何があんだ」

 

「知らねえ」

 

「お前、いっつも知らねえって言うよな」

 

「知らねえもんは知らねえ」

 

「でも、なんか用意してんだろ」

 

 俺は答えなかった。

 

 須藤は、それで満足したらしい。

 

「じゃ、俺行くわ。船来たら呼べよ」

 

 砂を踏む音が、遠ざかっていった。

 

 次に何があるかは、本当に知らねえ。

 

 知らねえまま座るのが、一番面白え。

 

 

 

 

 

 隣に、影が落ちた。

 

 佐倉だった。

 

「……座っても、いいですか」

 

「好きにしろ」

 

 佐倉は、一人分離れたところに腰を下ろした。

 

 しばらく、二人とも黙っていた。

 

「赤木さん」

 

「なんだ」

 

「あの夜、戻ってきましたよね」

 

「戻った」

 

「私、朝まで起きてました」

 

 知っていた。

 

 テントの隙間から、灯りが漏れていたからだ。

 

「……数える側って、しんどいですね」

 

「だろうな」

 

「でも、寝ませんでした」

 

 佐倉は、膝を抱えたまま海を見ていた。

 

「赤木さんが戻ってこなかったら、私、どうすればよかったんでしょうか」

 

「覚えとけと言った」

 

「覚えて、それからは」

 

「決めてねえ」

 

 正直に答えた。

 

「決めてなかったんですか」

 

「決めてたら、あんたに頼んでねえ」

 

 佐倉が、こっちを見た。

 

「……それ、答えになってません」

 

「なってねえな」

 

 佐倉は、少しだけ笑った。

 

 この一週間で、初めて見た笑い方だった。

 

「帰ったら、また後ろを気にするんだろうな」

 

 佐倉の肩が、止まった。

 

「……はい」

 

「そうかい」

 

「……あの」

 

「言わなくていい」

 

 俺は立ち上がった。

 

「言いたくなったら、その時に言え」

 

 

 

 

 

 箱の中身は、まだ8本のままだ。

 

 この七日間、一度も吸わなかった。落ち着かなきゃならない場面は、何度もあった。だが、そのたびに、火をつけるより先に手が動いていた。

 

 ……いらなかったわけだ。

 

 Dクラスは二位だった。

 

 勝ったから満足したわけじゃない。負けても、たぶん同じことを思っていた。

 

 ――やることを全部やった上での結果だ、と。

 

 結果より先に、そこだけは確かだった。

 

 だが、佐倉が一番近い。帰った日の夜が、一番危ない。

 

 あれは、まだ動く数字だ。

 

 箱を懐にしまった。

 

 いつか、本当に必要になる日が来る。その時のために、取っておく。

この物語に恋愛要素をいれるべきか

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