アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

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第30話「手の内」

 船室は、静かだった。

 

 浮かれていた連中も、さすがに7日分の疲れには勝てなかったらしい。あちこちで寝息が聞こえている。

 

 須藤も、池も、山内も、揃って眠りこけていた。あれだけ騒いでいたのが嘘のようだった。

 

 俺は、眠くなかった。

 

 体は疲れている。だが、頭の方が、まだ卓を降りていなかった。

 

 結果は出た。順位も、点も、確定した。

 

 それでも、頭の中には、まだ数字にならない欠片がいくつも転がっていた。

 

 誰が何を考えて、誰が何をしていたのか。

 

 答え合わせは、賭場でも一番好きな時間だった。

 

 自分のクラスの外側は、断片しか見えていなかった。

 

 この島にいたのは、4クラス合わせて160人近くだ。うちの卓しか見ていなかったのなら、まともに見えていたのは、そのうちのせいぜい4分の1だったことになる。

 

 ……悪くない比率だ。

 

 だが、もう少し欲を出してもいいはずだった。

 

 俺は、甲板に出た。

 

 綾小路が、手すりにもたれて海を見ていた。

 

「まだ寝ねえのか」

 

「お前もだろう」

 

 俺は、隣に立った。

 

「一つ、答え合わせをしたい」

 

「珍しいな。お前が答えを欲しがるのは」

 

「欲しいんじゃねえ。埋まってねえ穴が多すぎる」

 

 俺は言った。

 

「一週間、こっちの卓しか見てなかった。他所の卓で何が起きてたか、知ってるだけ話せ」

 

 綾小路は、しばらく黙っていた。

 

「……いいだろう」

 

 

 

 

 

「まず下着の件だ」

 

 俺は言った。

 

「あれきり、誰も何も言わなくなった。犯人も、物も、出てこねえまま終わった」

 

「終わったんじゃない」

 

 綾小路は言った。

 

「終わらせたんだ、みんなが」

 

「どういう意味だ」

 

「証拠がない。犯人もわからない。……疑ったところで、あと数日、同じ島で同じ飯を分け合わなきゃならない。疑い合ったまま回すには、うちのクラスは人手が足りなすぎた」

 

「消えたわけじゃねえってことか」

 

「消えていない」

 

 綾小路は言った。

 

「ただ、表に出す余裕を、誰も持てなかっただけだ」

 

 ……ほう。

 

 悪くない読みだった。

 

「あんたは、犯人を知ってたのか」

 

「知っていた」

 

「言わなかったのはなぜだ」

 

「言う理由がなかった」

 

 いつもの答えだった。だが、今は少しだけ違って聞こえた。

 

「俺も同じだ」

 

 俺は言った。

 

「伊吹だと踏んでた。だが、追及する気はなかった」

 

「なぜ」

 

「あの女を泳がせておく方が、こっちの得だったからだ」

 

 綾小路は、答えなかった。

 

 肯定でも否定でもない、いつもの沈黙だった。

 

「一つだけ、確かめさせろ」

 

 俺は続けた。

 

「物そのものは、結局どうなった」

 

「戻していない」

 

「捨てたのか」

 

「知らない」

 

 綾小路は言った。

 

「そこまでは、追う理由がなかった」

 

 この男らしい線引きだった。

 

 結果に関わらないものは、最初から数えていない。

 

 

 

 

 

「次だ」

 

 俺は続けた。

 

「龍園は、なぜ最後の夜、自分で動かなかった」

 

「動く理由がなかったからだ」

 

 綾小路は、即答した。

 

「あの男は、この島の点なんぞ最初から欲しがっていない。0のまま終わっても、あの男にとっては損じゃない」

 

「Aから、別に受け取るもんがあるからだな」

 

「知ってたのか」

 

「勘定だけだ」

 

 俺は言った。

 

「300を捨てて、当て合いで取れるのはせいぜい150。それでも捨てた。……島の外で、もっと大きいものを受け取る約束がある証拠だ」

 

「正確には、受け取るじゃない」

 

 綾小路が言った。

 

「毟り取る、だ」

 

「――詳しく話せ」

 

「Aは、坂柳が来ていない」

 

 ――坂柳。

 

 名前だけは知っていた。会ったことも、顔を見たこともない。ただ、Aの頭一つ抜けたところにいる女だと、入学した頃に誰かから聞いた覚えがあった。

 

 その女が、今回いない。

 

 ……ほう。

 

 初耳だった。

 

「来てねえのは、知らねえぞ」

 

「知らなくて当然だ。誰も見ていない」

 

 綾小路は続けた。

 

「戸塚が盤面を動かしてたのは、もう知ってるはずだ。……坂柳がいない間、それ以外の全部を背負ってたのが、葛城の方だ」

 

 ――洗う価値はありそうだと思っていた陣地だ。

 

 偶然じゃなかったわけだ。

 

「なぜ坂柳が来てねえ」

 

「知らない」

 

 綾小路は言った。

 

「杖を突いてる女だと聞いたことがある。……島を歩き回る試験に、向いてる体じゃない」

 

「点数には出てたのか、それ」

 

「出てた」

 

 綾小路は答えた。

 

「Aの初日は270だった。300のはずが、270。うちの高円寺と同じ形だ」

 

 ――そうか。

 

 あの朝、高円寺が一人で降りていったのと、同じ穴が向こうにも空いていたわけだ。

 

 気づかなかった自分に、少しだけ苛立った。

 

 4クラス分、必ず並べろと自分で決めていたはずなのに、開始の数字一つを見落としていた。

 

「それで、龍園に付け込まれたのか」

 

「付け込まれたんじゃない」

 

 綾小路の声は、いつも通り平坦だった。

 

「持ちかけたのは、葛城の方だ」

 

「――どういうことだ」

 

「坂柳のやり方に、ずっと不満を持っていた男だ。いない間に陣地を回す羽目になって、その不満が形になった」

 

「龍園を使って、坂柳を出し抜く気か」

 

「そう見ていい」

 

「契約の中身は」

 

「島の中で、物資とリーダーの動きの情報をAへ流す。見返りは、島の外で、卒業まで続く」

 

「正確な額までは」

 

「知らない」

 

 綾小路は言った。

 

「ただ、島の中でだけ済ませる約束なら、龍園はここまで用心深くやらない。この島を出た後まで効く契約だからこそ、あの男は正体を隠し通した」

 

 ……勘定なら、こっちの領分だ。

 

 300を捨てて、150も諦めた。それだけ切り捨てるからには、島の外の取り分は、その穴埋めよりずっと重くなきゃ釣り合わない。

 

「Aは40人だったな」

 

「そうだ」

 

「一人、月2万ってところか」

 

 俺は言った。

 

「40人分、毎月80万。卒業まで積み上げりゃ、この島の勝負を全部足しても届かねえ額になる」

 

「根拠は」

 

「勘定だ」

 

 俺は答えた。

 

 綾小路は、答えなかった。

 

 外れちゃいない、という沈黙だった。

 

 ……なるほどな。

 

 龍園が最後まで焦らず、最後まで手を汚さなかった理由が、これで一本繋がった。

 

 この島の300も、150も、あの男にとっては端金だったわけだ。

 

 

 

 

 

「一つ訊く」

 

 俺は言った。

 

「その契約、坂柳は知らねえのか」

 

「知らない」

 

「船を降りりゃ、知る」

 

「知るだろうな」

 

 綾小路は、初めて少しだけ間を置いた。

 

「葛城は、坂柳がいない間に、坂柳の知らないところで、坂柳のクラスを売った。……それを知った坂柳が、どう扱うかは、オレの知ったことじゃない」

 

 ――面白くなりそうだ。

 

 今は口に出さなかった。

 

「一つ、確かめておく」

 

 俺は言った。

 

「あんたは、なぜそこまで知ってる」

 

「洞窟に3日通った」

 

 綾小路は答えた。

 

「戸塚の癖を見るついでに、他のことも見えた。……それだけだ」

 

 嘘ではないだろう。

 

 だが、それだけでもないはずだ。

 

 この男は、必要な分だけを取って、それ以上は持ち帰らない性分だった。今回、持ち帰った量が、いつもより多い。

 

 ――何かのついでに、随分と重い荷物を拾ったもんだ。

 

 それも、口には出さなかった。

 

 

 

 

 

「最後だ」

 

 俺は言った。

 

「Bは、結局何をしていた」

 

「何もしていない」

 

「それだけか」

 

「それだけだ」

 

 綾小路は言った。

 

「守りに徹して、誰も攻めず、誰にも攻めさせなかった。……お前が最終日に見た陣形の乱れも、オレは見たが、リーダーの名前までは辿り着けなかった」

 

「他所に物を分けてたのは見た」

 

 俺は言った。

 

「湯を分けようとした女がいた。あれは、演技じゃねえと踏んでた」

 

「演技じゃない」

 

 綾小路は言った。

 

「あのクラスは、そういう動き方を、誰に指図されるでもなくやる。……計算でやっていないぶん、崩しどころもない」

 

 ――厄介な形だ。

 

 龍園の脅しも、俺の駆け引きも、腹の底に勘定があるから読める。

 

 だが、勘定なしに動く相手は、こちらの読みの外に立ち続ける。

 

 ……そうか。

 

 俺だけが外したわけじゃなかったらしい。

 

「あそこは、一番読みにくいクラスだった」

 

 俺は認めた。

 

「攻めてこねえ相手の手の内は、動きが少ねえ分、読む材料も少ねえ」

 

「同感だ」

 

 珍しく、この男が素直に同意した。

 

「付け足しておく」

 

 綾小路は言った。

 

「Bは、誰も傷つけずに一週間を終えた。それだけは確かだ」

 

「珍しく人物評をするじゃねえか」

 

「事実を言っただけだ」

 

 ……そうだろうな。

 

 だが、この男がわざわざ言葉にしたこと自体が、一つの評価だった。

 

 殴らず、脅さず、龍園のように誰かを削らず、それでも一週間を保たせた連中がいる。

 

 派手さのない勝ち方を、この男がどう見ているのかは、今の一言だけではわからなかった。

 

 

 

 

 

 波の音が、甲板に響いていた。

 

「もう一つだけ、訊いていいか」

 

 俺は言った。

 

「あんたは、この一週間、何を考えてた」

 

 綾小路は、しばらく海を見ていた。

 

 答えるまでに、いつもより長い間があった。

 

「言葉にするほど、まとまっていない」

 

「珍しいな。あんたがそう言うのは」

 

「珍しいことが、いくつか起きた週だった」

 

 それだけ言って、綾小路は口を閉じた。

 

 これ以上は出てこない気配だった。

 

「お前を、まだ使う気になれない」

 

「そうかい」

 

「それだけだ」

 

 いつも通りの、足りない答えだった。

 

 だが、足りないなりに、何かが変わった気配だけはあった。

 

 俺は、それ以上は掘らなかった。

 

 綾小路が、先に船室へ戻っていった。

 

 入れ替わりに、堀北が甲板に出てきた。

 

 ――すれ違ったはずだ。

 

 だが、二人の間に、言葉はおろか、目を合わせた気配すらなかった。

 

 同じクラスで、同じ甲板を、同じ数秒ですれ違っておいて、何も起きない。

 

 ――妙な組み合わせだ。

 

 いつか、これも卓に上がる日が来るのかもしれない。

 

 今はまだ、そこまで考える段階じゃなかった。

 

「まだ起きてたの」

 

「あんたもな」

 

 堀北は、俺の隣に立った。

 

「綾小路くんと、何を話してたの」

 

「答え合わせだ」

 

 俺は言った。

 

「Aクラス、坂柳が今回不参加だったらしい。留守を任された葛城が、坂柳を出し抜こうと龍園と手を組んでる」

 

「……契約?」

 

 堀北の顔が、強張った。

 

「どんな」

 

「Aの生徒一人につき、月2万を卒業まで。……正確な額までは、綾小路も掴んじゃいねえ。俺の勘定だ」

 

 堀北は、しばらく言葉が出なかった。

 

「……それ、うちに関係あるの」

 

「今は無え」

 

 俺は答えた。

 

「だが、Aから龍園に金が流れ続けるなら、あの男の懐は、これからどんどん厚くなる。……厚くなった金で、あの男が次に何を買うかは、考えとく価値がある」

 

「私たちを買われる、ってこと」

 

「かもな」

 

 俺は言った。

 

「今はまだ、ただの数字の話だ。だが、数字ってのは、いつか誰かの手に渡って、意味を持つ」

 

 堀北は、腕を組んだ。

 

「……坂柳さん、知ったらどうするかしら」

 

 入学の頃から名前だけは聞いていた、という口ぶりだった。

 

「知らねえよ」

 

 俺は答えた。

 

「だが、自分のクラスが自分の知らねえところで売られてたと知って、黙ってる女だとは思えねえ」

 

「あなたも会ったことないでしょう」

 

「顔も知らねえよ」

 

 俺は言った。

 

「ただ、坂柳ってのは、一年からずっとAの上に立ってた女だ。……立ち方を知らねえ人間が、そこにいるはずがねえ」

 

 堀北は、束の間、黙り込んだ。

 

「……知られたら、Aは荒れるかもしれないわね」

 

「荒れりゃいい」

 

 俺は言った。

 

「よそが揉めてる間は、うちに目が向かねえ。ちょうどいい隙間になる」

 

「相変わらず、他人の不幸を勘定に入れるのね」

 

「不幸とは言ってねえよ」

 

 俺は答えた。

 

「揉め事は、揉め事だ。誰かの不幸か幸福かなんぞ、こっちが決めることじゃねえ」

 

 堀北は、小さく息を吐いた。

 

「……あなたのそういうところ、たまに羨ましくなるわ」

 

「なんでだ」

 

「私は、まだ人の不幸を素直に勘定できないもの」

 

 悪くない自己申告だった。

 

「……この学校、まだまだ知らないことばかりね」

 

「そうだな」

 

 俺は頷いた。

 

「一週間で埋まった穴より、新しく空いた穴の方が多い」

 

「悪くない収支ね、それ」

 

「そうかい」

 

「皮肉よ」

 

 だが、その声には、呆れよりも少しだけ、面白がる響きが混じっていた。

 

「最後に一つ訊く」

 

「まだあるのか」

 

「あんたは、今回何を取った」

 

 綾小路は、手すりに肘を置いたまま答えなかった。

 

「点は動かしてねえ。名前も出てねえ」

 

「そうだな」

 

「なら、何のために三日も張り込んだ」

 

 しばらく、船のエンジン音だけが続いた。

 

「オレは、確かめただけだ」

 

「何をだ」

 

「この学校で、どこまでやれば誰かが気づくか」

 

 答えになっているようで、なっていなかった。

 

「で、気づかれたのか」

 

「一人だけな」

 

 綾小路が、こちらを見た。

 

「それが、一番の収穫だ」

 

「そうかい」

 

「……面倒な話だな」

 

 

 

 

 

 答え合わせは、これで十分だった。

 

 埋まった穴もあれば、埋まらないまま残った穴もある。

 

 下着の件は、犯人の心当たりまでで終わった。物の行方は、誰も知らない。

 

 葛城が坂柳のどこに不満を溜めていたのかも、まだ見えていない。

 

 坂柳という女は、名前と不在の事実しかわからない。

 

 ――悪くない。

 

 全部埋まっちまったら、次の卓に着く理由がなくなる。

 

 そして、佐倉の夜が来る。

 

 答え合わせは、まだ全部済んじゃいない。

 

 俺は、船室へ続く扉に手をかけた。

 

 扉の向こうから、須藤のいびきが聞こえていた。

 

 悪くない音だった。

この物語に恋愛要素をいれるべきか

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