8月11日、朝。
指定された小会議室の扉を開けると、既に大方の顔が揃っていた。
伊吹が壁際で腕を組み、あからさまに不機嫌な顔をしている。長机では堀北が手帳を開き、その隣で平田が他クラスの生徒に当たり障りのない世間話を振っていた。窓際では高円寺が手鏡を取り出し、前髪の角度を直している。残りの6人は、互いにまだ距離を測りかねている顔で、椅子の位置だけを微妙にずらしていた。
「遅いじゃない」
堀北が視線だけをこちらへ向けた。
「5分前だ。遅刻じゃねえだろ」
「そうだけど。この面子を見て、まだのんびりできるならたいしたものね」
「緊張感なら、部屋に充満してるだろ。今さら足す必要もねえ」
朝の廊下を歩きながら、頭の中で数えていた顔ぶれを、改めて目の前の面々と突き合わせる。伊吹、一之瀬、堀北、平田、高円寺。既に確立した相手が5人。残りは、名前も見たこともない顔ばかりだ。
「赤木くん、おはよう」
平田が軽く手を上げてきた。他クラスの生徒相手にも変わらない、誰に対しても同じ距離を保つ声だった。
「昨日は皆と話せた? できるだけ、早いうちに顔を繋いでおいた方がいいと思ってさ」
「必要な分だけはな」
「そっか。……正直、僕らのクラスからこの面子に3人も入ってるのは、ちょっと荷が重いよ」
平田は苦笑いを浮かべた。無理に明るく振る舞っているわけじゃない。この男なりの、素直な重さの見積もりだった。
13人のうち、12人が揃っていた。長机の端、一つだけ席が空いている。
残りの6人は、互いにまだ距離を測りかねている顔で、椅子の位置だけを微妙にずらしていた。誰も口を開かない。開けば、それが手札の一枚になる。この空気を作っているのが、まだ姿の見えない最後の一人だというのは、考えるまでもなかった。
名前はまだ知らねえが、顔つきだけは頭に入れておく。Aクラス側の二人は坂柳の斜め後ろに寄るように席を取っていて、既に主従に近い並び方をしていた。Bクラス側の二人は一之瀬の陰に隠れるようにして、あえて目立たない位置を選んでいる。Cクラス側の二人は、伊吹と同じ苛立ちを別の形で漏らしながら、こちらを値踏みするような目で睨んでいた。
誰がどのクラスの色に染まっているかだけでも、今のうちに見ておく価値はある。
――配牌は、まだ揃わねえってわけだ。
最後の一枚。これが来て初めて、この卓の性質が決まる。
廊下の奥から、規則的な音が近づいてきた。
カツン、カツン。
硬い先端が床を打つ音。急ぐ気配はまるでない。むしろこの部屋の空気がどれだけ張り詰めているかを、外から確かめながら歩いているような足取りだった。
部屋の会話が、潮が引くように止まった。
扉が開いた。
銀に近い、色素の薄い髪。細い手に握られた一本の杖。歩くだけで消耗しそうな、この学校の競争にはおよそ不釣り合いな体つきだった。
だが、目を見た瞬間、そんな見た目の印象は消えた。
部屋の中を一巡させるその視線に、値踏み以上のものが混じっている。12人を、対等な人間としてではなく、これから配る牌の一枚として数えているような目だった。
「お待たせして申し訳ございません。皆様お揃いのようですね」
声は柔らかく、丁寧だった。芝居がかったところは無い。それがかえって、こちらの読みを鈍らせる。
「1年Aクラスの坂柳有栖です。体調が優れず、これまでご挨拶が遅れておりました。よろしくお願いいたします」
深く、無駄のない一礼。だが、その声が空気に触れた瞬間、部屋の気圧が一段下がったのを肌で感じた。
――出やがったか。
龍園が執着し、葛城が神経質に警戒していた理由が、今になって腑に落ちる。まともな物差しで測っちゃいけねえ手合いだ。
「……ふん。ずいぶん偉そうな登場じゃない」
伊吹が吐き捨てた。坂柳はそちらへ視線をやり、目を細めた。
「伊吹さん、でしたね。無人島では龍園くんのために、ずいぶん熱心に動いていらしたと聞いています」
伊吹の顔色が変わった。
「あんた……」
「悪い意味では、決してありません。誰かのために牙を隠さずにいられるのは、案外できることではありませんから」
伊吹は言い返そうと口を開きかけたが、言葉にならず、結局は舌打ちだけを残して黙った。一言で、伊吹の間合いが崩された。威嚇でも挑発でもない。ただ値踏みするような目一つで、相手の足場を先に取り上げてみせた。
坂柳は杖をつきながら長机の端まで歩き、静かに腰を下ろした。
「時間を無駄にするのも惜しいですから、早速始めましょうか。……一之瀬さん、皆さんをまとめる立場にいらっしゃると伺いました。まずはご意見を伺っても?」
振られた一之瀬は、一瞬だけ目を揺らしたが、すぐいつもの笑みに戻した。
「うん、いいよ。私は――このグループ、全員で協力するのが一番だと思ってる」
「協力、ですか」
「優待者が誰でも構わない。最終日まで正体を暴かず、最後は全員でその名前を言い当てる。それができれば、優待者以外は50万、優待者本人には倍の100万が入る形になる。誰も損をしない、一番丸い落としどころだと思うんだ」
理想論だった。一之瀬らしい、綺麗な絵だ。だが試験のルールそのものが、抜け駆けの旨みをわざと大きく作ってある。綺麗事だけで押し通せる卓じゃねえ。
「ふふっ」
坂柳から、小さな笑い声が漏れた。
「美しい理想ですね、一之瀬さん。おとぎ話の目次としては満点を差し上げたいくらいです」
「おとぎ話、かな」
「ええ。だってそうでしょう。その約束事は、たった一人が抜け駆けするだけで崩れます。誰かが単独で答えを申告すれば、その人と所属クラスには大きな見返りが転がり込み、代わりに優待者のクラスは点を失う。……この仕組みを前にして、誰も裏切らないと信じ切れるのは、少し無防備が過ぎるように思います」
一之瀬の笑みが、ほんの一瞬だけ固まった。
「私は、ここにいる皆を信じたいだけだよ」
「信じるのはご自由に。ただ、信用を他人に押し付けるのは、時に暴力と変わりません」
論の骨組みが崩れていない。感情論では押し戻せない作りだった。一之瀬のペースが、初日から一枚持っていかれている。
「――あなたはどう思われますか」
矛先が、こちらに向いた。堀北と平田の視線も一緒に動く。
「……俺か」
「ええ。無人島でDクラスを底上げした人だと伺っています。どんな絵を描いていらっしゃるのか、興味がありまして」
値踏みの重さが違う。一之瀬の温度のない笑顔とは別の、底が見えない場所から探りを入れてくる目だった。
俺は背もたれに体重を預けた。
「どっちの言い分も、気が早い」
「気が早い、と言いますと」
「一之瀬の『全員一致』は、全員が手札を開くのが前提だ。だが坂柳の言う通り、裏切りの旨みが消えねえ限り、初日から札を見せる馬鹿はいねえ。……逆に坂柳の言う『裏切り前提』の殴り合いも、初日に仕掛けるにはリスクが高すぎる。外せば自爆だ」
「では、どうすればいいと?」
「今日の1時間は、配られた札の重さを確かめるだけの時間だ。誰が優待者かを探るんじゃねえ。誰が最初に動きたがってるか、それだけ見ときゃ十分だ」
坂柳は小さく首を傾けた。
「観測、ですか。なるほど、勝ちにいくより、負けない場所に腰を据える。……嫌いなやり方ではありません」
「光栄だな、そりゃ」
「ですが」
坂柳の目に、また別の色が差した。
「ただ観測しているだけの方が、案外、最初に足をすくわれるものですよ」
――仕掛けてきやがった。
揺さぶりだ。俺を観測者の椅子から引きずり下ろそうとしている。だが乗る理由はない。乗らなければ、ただの空振りで終わる。熱くなった方から先に崩れるのは、卓でも賭場でも変わらねえ道理だ。
「足をすくわれる前に、床の強度くらいは確かめとくさ」
「床、ですか。面白い言い方をされますね」
坂柳は杖の頭に両手を重ね、その上に顎を軽く乗せた。
「あなたの言葉には、時々、賭け事の匂いがします。この試験のことも、点数や利害ではなく、もっと別の物差しで測っていらっしゃるのではないですか。……興味深いことです」
――読まれてる。
言葉の選び方一つで、こっちの思考の型まで嗅ぎ取ってきやがる。並の観察眼じゃねえ。
「別に、隠しちゃいねえよ」
「隠していないものを、隠しているように感じさせる。それも一つの技術ですね」
坂柳は小さく笑い、視線を長机の上に落とした。
「私、賭け事はしたことがありません。ただ――勝ち負けよりも、相手がどこまで自分の手の内を見せずにいられるか、そちらに興味があると言えば、少しは分かっていただけますでしょうか」
「似たようなもんだ。見せ方を間違えりゃ、勝ち負けの前に終わる」
「ふふっ。それは、含蓄がありますね」
坂柳は顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見た。
「龍園くんが、あなたのことを気に留めていた理由が、少し分かった気がします」
その一言に、部屋の温度がまた一段下がった気がした。龍園の名前を、こんな場所で軽々しく出してくる度胸と、それを出しても崩れねえ余裕。この女は、龍園と葛城の駆け引きの構図を、もう外側から見切っている。
室内にタイマーの音が響いた。
「では、また夕方に」
坂柳はそう言い残し、杖をつきながら部屋を出ていった。去り際、もう一度だけこちらへ目をやり、微かに口の端を上げて。
残された部屋に、重い沈黙が落ちた。
「……嫌な女」
伊吹が短く吐いて出て行く。堀北は深く息をつき、一之瀬はいつもの笑顔を作り直そうとしながら、指先で顎の下を撫でていた。高円寺だけが、鏡をポケットにしまいながら鼻歌を続けていた。
「……あなた、坂柳さんと随分話し込んでいたわね」
堀北が席を立ちながら、こちらへ視線を寄越した。
「話し込んだってほどでもねえ」
「私には、そう見えなかったけれど。……気をつけて。あの人は、こちらが構えるより先に、もう懐に入ってきてる」
「わかってるさ」
堀北はそれ以上追及せず、静かに部屋を出ていった。彼女なりの、精一杯の警戒の言葉だった。あいつの勘は、これまでの島暮らしで一度も外れたことがない。今回だけ聞き流す理由もねえ。
――坂柳有栖。
姿を見せなかった2日間の答えが、これだ。あの女は部屋に入る前から、この13人の性格と関係を頭に叩き込んで、数十分でこの卓の主導権を握りにきた。
だが、まだ全部の手札を見せたわけじゃねえ。坂柳がこの中の誰を優待者だと見ているのか、その指先はまだ伏せられたままだ。
獲物じゃねえ。材料だ。伊吹の言葉を、もう一度頭の中で転がす。
あの女は、この部屋の全員を材料として扱う気で座っていた。なら、こっちがやることは一つしかねえ。坂柳という一番厄介な材料を、どう卓に組み込むかだ。
龍園は「あの女がどんな顔をするか、それだけが見たい」と言っていた。今なら、少しだけわかる。あれは復讐でも憎しみでもねえ。あの手合いを相手に何かを崩したいと思ったら、まず自分の側から崩れる覚悟がいる。龍園はそれを承知の上で、勝負の卓に着こうとしている。
俺はどうだ。同じ卓に座って、まだ一勝もしていねえ。
2日間、姿の見えねえ相手として値踏みしていた時と、今この目で見た後とでは、勘定の重さが違う。あの女は、こっちの手の内を一目で見抜いてくる程度には、こちらより先に卓に慣れている。
――負けるつもりはねえよ。
賭場に長くいると分かることが一つある。強い相手ほど、最初の一局で全部を見せない。今日の1時間は、あの女にとっても品定めの時間だったはずだ。だとすれば、こっちも同じ手を使えばいい。急いで手札を晒す理由はどこにもねえ。
堀北の忠告は、間違っちゃいねえ。だが忠告される側が、忠告を必要としているとは限らねえ。少なくとも今この瞬間、俺は誰よりも冷静なつもりでいた。
甲板に出ると、潮風がいつもより冷たく感じられた。
夕方の2回目まで、まだ時間はある。それまでに、残る6人の名前くらいは拾っておきたい。名前も知らねえ人間を材料として使うのは、遠回りが過ぎる。それに、坂柳有栖という一枚を捌ききるには、周りの牌の並びを先に固めておくに越したことはねえ。
配牌は、揃った。あとは、どう並べるかだけだ。
――その並べ方の答えを、実は俺自身が持っていたことに、この時はまだ気づいていなかった。
この物語に恋愛要素をいれるべきか
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必要
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一切不用
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少しみたい