アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

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第33話「白痴」

 8月11日、昼過ぎ。1回目の話し合いが終わり、夕方の2回目まで、まだ数時間の空きがある。

 

 食堂で軽く腹を満たしながら、残る6人が誰と一緒に座っているかだけ確認して回った。判明しているのは坂柳・伊吹・一之瀬・堀北・平田・高円寺の6人――自分を含めれば7人。声はかけない。今日はまだ、顔と所属を頭に入れる段階だ。誰が誰の傍にいるかを見ておくだけで、明日以降の駆け引きの下地になる。

 

 Aクラス側の一人は、坂柳の名前が出た途端に箸を止めた。隠すつもりだったんだろうが、止まったこと自体が答えだった。もう一人のAクラス側は逆で、坂柳の名前に反応一つ見せない。見せないというのも、それはそれで一つの型だ。関心がないふりが上手い人間ほど、何かを抱えている。

 

 Bクラス側の二人は、揃って一之瀬の周りに寄っている。忠誠というより、寄っていた方が居心地がいいという顔だった。

 

 Cクラス側の二人は、飯より周りの様子を気にしていた。龍園のクラスの人間らしい、値踏みの仕方だ。

 

 その一人が、盆を持ったまま隣に来た。

 

「なあ、Dクラスの。あんた、誰が優待者だと思う?」

 

「知らねえ」

 

「知らねえって、考えてもねえの?」

 

「考えて出る答えなら、もう誰かが出してる」

 

 男は鼻で笑った。

 

「じゃあ何しに来てんだよ」

 

「飯食いに来た」

 

 それきり、男は自分のテーブルに戻っていった。

 

 戻る前に、一度だけ坂柳の方を見た。見たこと自体が、一つの情報だ。

 

 平田は、見知らぬ顔一人一人に声をかけて回っていた。相手が誰であろうと態度を変えない、いつものやり方だ。悪くねえ動きだが、この場では逆に読まれやすい。誰にでも平等に接する人間は、誰の味方でもないと同時に、誰からも都合よく使われる。あの男自身、そのことに気づいていないわけじゃなさそうだった。

 

 高円寺だけは、誰の傍にも寄らず、甲板の一番日当たりのいい椅子で一人、優雅に茶を飲んでいた。この駆け引きに興味がないわけじゃない。興味の持ち方が、他の12人とまるで違うだけだ。無人島の初日に自分の点を確定させて動きを止めたのと、同じ型の男だ。

 

 誰がどう出るか、誰の言葉に重みがあるか――そこは、実際に喋らせて、動かせてみるまで読めない。

 

 急ぐ卓は、大抵負ける。

 

 

 

 

 

 夕方、2回目の話し合い。長机に13人全員が揃った。名前と顔はもう全員一致している。だが、どんな手で来る人間かは、まだ半分も見えていない。

 

 坂柳は最初と同じ席に、静かに腰を下ろしていた。

 

「昼の間に、皆さんそれぞれ動かれたようですね」

 

 伊吹が舌打ちする。

 

「あんたに報告する義理はないけど」

 

 無人島でカードを狙われた側としては、この女の苛立ち方には見覚えがある。当時と違うのは、標的が俺じゃなく坂柳に向いていることだけだ。同じ苛立ちでも、向く先が変わればただの燃料になる。使い道は、こっちで決められる。

 

「ご自由に。ただ、動いた形跡は、動かなかった人より目立つというだけの話です」

 

 一之瀬が口を開いた。

 

「私は、変わらないよ。全員一致がいいと思ってる」

 

 坂柳が微笑む。

 

「一之瀬さんは、頑固ですね」

 

「頑固、じゃなくて――信じてるだけ」

 

 声に、わずかな硬さが混じった。昨日までの、誰に対しても均等な明るさとは質が違う。俺はそれを聞き流さず、頭の隅に留めた。裏付けのある違和感じゃない。ただの手触りだ。手触りは、いずれ裏付けを連れてくる。

 

 無人島の頃から、Bクラスの陣形には妙な乱れがあった。表に立つのはいつもこの女だが、裏で誰かが糸を引いている気配は消えていない。今の一言も、その糸の持ち主が誰かによって、意味合いがまるで違ってくる。一之瀬本人の芯なのか、誰かに任された台詞を守っているだけなのか――まだ見分けがつかない。

 

 新顔の一人、Aクラスの生徒が口を挟んだ。

 

「坂柳さんの言う通りにするしかないんじゃないですか。抜け駆けが正解なら、それで動くべきだ」

 

 早い。1回目から2回目までの数時間で、もう自分から誰かの側に付く決断をした男だ。判断が早いのは悪くねえが、早すぎる判断は大抵、後で高くつく。この男には、まだ名前も付けていない。今日のところは、そういう型だと覚えておけば十分だ。

 

 坂柳が軽く手を上げて制する。

 

「まだ、そうと決まったわけではありません。今日はまだ、様子見の段階です」

 

 そこから先は、13人それぞれが互いの出方を探る時間になった。新顔同士の当たり障りのない探り合い、坂柳への遠回しな質問、伊吹の舌打ち混じりの相槌――一つ一つ拾う価値はない。この手の腹の探り合いは、卓が変わっても中身は同じだ。目立った動きのないまま、30分近くが過ぎていく。

 

 全員一致と抜け駆け、どっちの旨みが大きいかという話が繰り返される中、俺は板で最初のルールメールを開き直した。得点の計算式を、もう一度正確に頭に入れておきたかった。曖昧な記憶で駆け引きを組み立てる気はない。

 

 触ったことのない場所を、いくつも開いた。

 堀北に一度使い方を教わったが、張らなきゃならねえときに種銭がないのは困る、結局俺は0になってからも一銭も使っていない、この板もたまにくる連絡を見る以外には使っていない。他の連中が指先一つで迷いなく操るこの板を、俺はいまだに手探りでしか扱えない。それでいい、と思っていた。慣れた道具は、慣れた分だけ油断を連れてくる。

 

 その途中、隅に見慣れない小さな枠があるのに気づいた。他のどの機能とも並びが違う。押してみる。

 

 メールなら読んだ。8月10日の朝、あの一通だけだと思っていた。同じ用件について、別の場所にもう一通届いているという発想自体が、俺には無かった。

 

 昭和の卓に、メールなんてものはない。連絡は一つ届けば、それで全部だった。この時代の板が、同じ話を二つの経路で別々に投げてくることがある――そんな仕組みがあると知らなければ、二通目を探そうという発想自体が生まれない。文面を読み返した時、俺はちゃんと読み返していた。ただ、探すべき場所を最初から間違えていただけだ。読み違えたんじゃない。読む場所そのものを知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――「あなたは、このグループの優待者です」

 

 短く、それだけの文面だった。

 

 息を止めたのは、多分、一秒にも満たない。だがその一秒に、4ヶ月分の景色が一息に流れた。

 

 入学式の朝。須藤の一点を買った時。龍園と睨み合った時。佐倉の後ろに何かがいると気づいた時。堀北の兄の手を止めた時。一つ一つ、確かに面白かった。だが賭けているのはいつも他人の残高、他人の立場、他人の退学だった。俺自身は、いつも卓の外から、誰が何を賭けているかを読む側にいた。

 

 自分の退学がかかった時もあった。中間試験の赤点。だがあれは、読み合う卓じゃなく、自分と紙一枚の勝負だった。

 

 無人島では、久しぶりに人を打った。だが結局、俺がやったのは佐倉の世話係のようなもんだ。

 

 

 

 

 

 その全部で、腹の底のどこかが、ずっと物足りなかった。賭場じゃ、そうじゃなかった。負ければ、削られるのは俺の側だ。しかも、削るのは目の前の誰かだ。勝ち負けの重さが、いつも自分の身に、誰かの手を通して直接返ってくる――それが、俺の知ってる博打だった。この学校に来てから、その感覚を一度も味わっていない。

 

 笑いが、喉の奥から一瞬だけこみ上げた。声には出さない。出せば、坂柳に聞こえる。それでも、抑え込む端から抑えきれない分がにじみ出た。

 

 市川との夜、とまで張るようなことにはならねえだろうという予感はある。

 

 ただ―――――ずっと、これを待っていた。外から探る側だと自分で決めつけていた男が、最初から一番厚い札を握っていた。

 

 まるで白痴だな。よその誰かにじゃねえ。自分自身に、初めて向けた台詞だった。

 

 

 

 

 

 俺は端末を閉じた。

 

「――どうかしましたか」

 

 坂柳がこちらを見ている。

 

「いや。名簿を見てただけだ」

 

「そうですか」

 

 声に変化はない。だが、視線の質がわずかに変わった気がした。表情に出したつもりはない。それでも、この女はこういう一瞬の空白を拾う。今の間で、何かを一枚読まれたかもしれない。だとしても、こっちが今更取り繕っても遅い。取り繕う方が、よほど目立つ。

 

 黙って見ている側でいられたのは、対象が他人だったからだ。今はもう違う。誰かが先に俺の名前へ辿り着く前に、こっちから場を動かした方が理に適う。

 

 ――優待者の目処がついた。そういう顔をすればいい。中身は誰にも渡さない。渡すのは、顔だけだ。

 

「坂柳」

 

「はい」

 

 口の端が、勝手に上がりかけるのを止めなかった。今さら隠す理由もない。

 

「あんた、2日間、姿を見せなかったな」

 

 坂柳の目が、わずかに細くなる。

 

「体調が優れなかった、と最初にお伝えしたはずですが」

 

「理由はどうでもいい。訊きたいのは、そこじゃねえ」

 

「では、なんでしょう」

 

「あんたが今日ここで言い当てたのは、こいつらの人となりだけじゃねえ。この13人が、この試験でどう動くかまで読んでた。名簿が出たのは昨日だ。……姿を見せずに、どうやってそこまで読んだ」

 

 部屋が、一瞬だけ静かになる。伊吹が眉を寄せ、一之瀬が視線をこちらへ寄越した。誰も口を挟まない。挟めば、それ自体が手札の一枚になる場だと、もう全員が学んでいる。

 

 坂柳は、しばらく答えなかった。

 

「――面白い質問ですね」

 

「答える気はねえのか」

 

 声が、思ったより弾んでいた。この場を降りたつもりだった自分が、いつの間にか一番前のめりになっている。

 

「今は。まだ」

 

 含みのある言い方だった。今はまだ答えないだけで、いずれ答える気はある、とも取れる。あるいは、ただの引き延ばしか。どちらとも決めつけず、頭の隅に並べておく。

 

 坂柳は杖の頭に指を這わせ、こちらを見返した。

 

「あなたも、答えたくないことには答えない。それと同じです」

 

「……そうかよ」

 

「ただ――一つだけ」

 

 坂柳が、少し声を落とした。

 

「あなたは何かを見つけましたね。名簿を見ていた時の顔が、その前と違いました」

 

 読み当てたつもりか。悪くねえ目だ。

 

「見つけたのは、あんたの隙だ。ここで何を訊いても、答えを出し渋るってな」

 

「ふふ。そういうことにしておきましょうか」

 

 俺は、笑いを止めなかった。

 

「探すなら、本気で探せ」

 

「――どういう意味でしょう」

 

「見つかった方が、面白くなる」

 

 坂柳が、初めて何も言わなかった。杖の頭に置いた指が、わずかに止まっている。

 

 俺はそれ以上、何も足さなかった。追わない選択自体が、この女の底の深さを表している。今すぐ暴かなくても、今日拾った違和感は消えずに残る。厄介な相手だ。

 

 Cクラス側の二人が、目配せを交わすのが見えた。龍園の息のかかった連中だ。坂柳が押される場面を、面白がっている顔だった。手を出す気配はない。ただ見ていたいだけの目だ。龍園がここにいたら、同じ目をしていただろう。

 

 堀北だけは、違う顔をしていた。驚いたわけじゃない。むしろ、何かを確かめるような目だった。5/8の夜、俺が堀北の兄を止めた時と同じ質の目を、今度は堀北の方が俺に向けている。あの夜以来、この女は俺の中の何かを、少しずつ数え続けている。今日の一手も、その勘定に足された一つだろう。何を数えられているのか、正確には知らない。知らないままでいい範囲だ。

 

 

 

 

 

「フッ……面白くなってきたじゃあないか、アカギボーイ」

 

 それまで誰の傍にも寄らず茶を飲んでいた高円寺が、初めて口を開いた。この場のどんな駆け引きにも興味を示さなかった男が、退屈しのぎ以上の目でこちらを見ている。

 

「私も、混ぜてもらおうか」

 

 誰も答えなかった。答える価値がある相手かどうかを、全員がまだ測りかねている。

 

 俺は椅子の背もたれに深く体を預け直した。これ以上、押しても崩れる相手じゃない。だが、崩れるかどうかは今回の目的じゃない。訊いたこと自体が、次に効く一手になる。相手の手の内を暴くための質問より、相手にこちらの姿勢が変わったと知らせるための質問の方が、時にはよほど重い。今日までの俺は、観測に徹すると自分で言った。その言葉を、自分から破ってみせた。この場にいる全員が、それを見た。

 

「――えと、話についていけてないんだけど、どういうことかにゃ?」

 

 一之瀬が、こちらへ小さく首を傾けた。駆け引きで探りを入れてくる声じゃない。ただ、見たままを口にしただけの顔だ。

 

 だが、この女も馬鹿ではない、いつまでも隠し切れるとは、最初から思っていない。ここから先は、隠すより速く動く方が勝つ。坂柳に一枚読まれた時とは、腹の据え方が違う。あそこは守りの一手だったが、ここは違う。損得だけで言えば、当てられて削られるのはうちのクラスの点だ。俺個人の懐は痛まねえ。それでも、この賭場での勘定の重さは、削られる額じゃ測らねえ。今日、俺は初めて、自分の名前が乗った側に回った。だったら、それに見合う出方をするだけだ。

 

「坂柳の言い方が、気に食わなかっただけだ」

 

 嘘じゃない。事実の一部を、事実の全部として差し出しただけだ。

 

「そうなんだ」

 

「ああ。それだけだ」

 

 一之瀬は、まだ何か言いたそうな目をしていたが、それ以上は重ねなかった。押せば効く場面と、押さない方が効く場面を、この女も自分なりに見分けている。それでも――今の理由で、どこまで納得しているかは分からない。

 

 話し合いは、まだ続いていた。優待者を今すぐ当てにいくべきか、様子を見るべきか――伊吹が「まだ早い」と切り捨て、Aクラスの新顔が反論し、一之瀬がまた「全員一致」を繰り返す。今日聞いた話の焼き直しだ。誰も本気で結論を出す気はない。

 

 俺はその間、ほとんど口を挟まなかった。挟む必要がない。この場にいる全員が、今日、少しずつ札を出した。誰がどれだけ本気で出したかは、また別の話だ。

 

 隣で、堀北が声を落とした。

 

「あなたが自分から誰かに突っかかるのは、珍しいわね」

 

「気になるなら、そう言えばいいだろ」

 

「気になるわ。……何か思いついたことでもあったのかしら」

 

「今はまだ、言うつもりはねえ」

 

 信用していねえわけじゃない。この女には、もっとみっともねえところまで見せてる。ただ、今回のは分けたくねえ。4ヶ月ぶりに、丸ごと自分だけのものが手に入った。理屈じゃねえ。渡す気になるまで、まだしばらくかかる。

 

「そう」

 

 それだけで、堀北は視線を前へ戻した。理由を追わない判断は、この女がずっとやってきたことだ。踏み込んでいい場所と、踏み込まれたくない場所の境界を、他の誰よりも正確に読む。5/8の夜からずっと、そうだった。

 

 

 

 

 

 話し合いは、まだ終わっていない。だが、俺はもう聞いていなかった。端末を、もう一度開く。

 

「個別のお知らせ」――さっき見つけたばかりの、その一枠を、もう一度確かめる。

 

 二度見ても、文面は変わらない。当たり前だ。変わるのは文面じゃなく、こっちの側の勘定だ。

 

「俺は今回、外から探る側だ」――最初の通知を読んだ日、俺はそう結論した。翌日には坂柳にも「誰が優待者かを探るんじゃねえ」と言い切った。自分の声が、今になって耳の奥で笑って聞こえる。探る必要なんて、端から無かった。答えはとっくに、俺自身の名前の欄に書いてあった。

 

 誰が優待者を当てるかを、俺自身は最後まで自分の手で決められない。決めるのは、他の12人だ。

 

 それでも構わない。賭けられている側に、ようやく戻ってきた。

 

 ――配牌の並べ方くらい、自分の頭で考えな

 

 あの時の一言は、これのことだったわけだ。もっとも、あの男自身がどこまで正確に読んでいたかは知らねえ。ただ挑発しただけかもしれねえ。それでも構わない。挑発の中身が正しかったかどうかより、こっちがどう受け取るかの方が、卓の上では重い。

 

 坂柳は今日、こっちの顔色から何かを拾った。伊吹と一之瀬も、多かれ少なかれ何かを見た。

 

 隠し通せるとは思っていない。大事なのは、いつまで誰に何を渡さずにいられるかだけだ。

 

 配牌は、揃っていた。並べ方も、わかった。

 

 あとは、この手を、いつ、どう切るかだけだ。

 

 窓の外はもう暗く、遠くの水平線だけが、かすかに白い。

 

この物語に恋愛要素をいれるべきか

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