8月11日、昼過ぎ。1回目の話し合いが終わり、夕方の2回目まで、まだ数時間の空きがある。
食堂で軽く腹を満たしながら、残る6人が誰と一緒に座っているかだけ確認して回った。判明しているのは坂柳・伊吹・一之瀬・堀北・平田・高円寺の6人――自分を含めれば7人。声はかけない。今日はまだ、顔と所属を頭に入れる段階だ。誰が誰の傍にいるかを見ておくだけで、明日以降の駆け引きの下地になる。
Aクラス側の一人は、坂柳の名前が出た途端に箸を止めた。隠すつもりだったんだろうが、止まったこと自体が答えだった。もう一人のAクラス側は逆で、坂柳の名前に反応一つ見せない。見せないというのも、それはそれで一つの型だ。関心がないふりが上手い人間ほど、何かを抱えている。
Bクラス側の二人は、揃って一之瀬の周りに寄っている。忠誠というより、寄っていた方が居心地がいいという顔だった。Cクラス側の二人は、飯より周りの様子を気にしながら、時折こちらへ探るような視線を寄越していた。龍園のクラスの人間らしい、値踏みの仕方だ。
平田は、見知らぬ顔一人一人に声をかけて回っていた。相手が誰であろうと態度を変えない、いつものやり方だ。悪くねえ動きだが、この場では逆に読まれやすい。誰にでも平等に接する人間は、誰の味方でもないと同時に、誰からも都合よく使われる。あの男自身、そのことに気づいていないわけじゃなさそうだった。
高円寺だけは、誰の傍にも寄らず、甲板の一番日当たりのいい椅子で一人、優雅に茶を飲んでいた。この駆け引きに興味がないわけじゃない。興味の持ち方が、他の12人とまるで違うだけだ。無人島の初日に自分の点を確定させて動きを止めたのと、同じ型の男だ。
名前と顔を覚えるだけなら、名簿を一度見れば済む。厄介なのはその先だ。誰がどう出るか、誰の言葉に重みがあるか――そこは、実際に喋らせて、動かせてみるまで読めない。急いで埋める必要はない。中身が埋まっていく順番自体が、情報になる。
夕方、2回目の話し合い。長机に13人全員が揃った。名前と顔はもう全員一致している。だが、どんな手で来る人間かは、まだ半分も見えていない。
坂柳は最初と同じ席に、静かに腰を下ろしていた。
「昼の間に、皆さんそれぞれ動かれたようですね」
伊吹が舌打ちする。
「あんたに報告する義理はないけど」
無人島でカードを狙われた側としては、この女の苛立ち方には見覚えがある。当時と違うのは、標的が俺じゃなく坂柳に向いていることだけだ。同じ苛立ちでも、向く先が変わればただの燃料になる。使い道は、こっちで決められる。
「ご自由に。ただ、動いた形跡は、動かなかった人より目立つというだけの話です」
一之瀬が口を開いた。
「私は、変わらないよ。全員一致がいいと思ってる」
坂柳が微笑む。
「一之瀬さんは、頑固ですね」
「頑固、じゃなくて――信じてるだけ」
声に、わずかな硬さが混じった。昨日までの、誰に対しても均等な明るさとは質が違う。俺はそれを聞き流さず、頭の隅に留めた。裏付けのある違和感じゃない。ただの手触りだ。手触りは、いずれ裏付けを連れてくる。
無人島の頃から、Bクラスの陣形には妙な乱れがあった。表に立つのはいつもこの女だが、裏で誰かが糸を引いている気配は消えていない。今の一言も、その糸の持ち主が誰かによって、意味合いがまるで違ってくる。一之瀬本人の芯なのか、誰かに任された台詞を守っているだけなのか――まだ見分けがつかない。
新顔の一人、Aクラスの生徒が口を挟んだ。
「坂柳さんの言う通りにするしかないんじゃないですか。抜け駆けが正解なら、それで動くべきだ」
早い。1回目から2回目までの数時間で、もう自分から誰かの側に付く決断をした男だ。判断が早いのは悪くねえが、早すぎる判断は大抵、後で高くつく。この男には、まだ名前も付けていない。今日のところは、そういう型だと覚えておけば十分だ。
坂柳が軽く手を上げて制する。
「まだ、そうと決まったわけではありません。今日はまだ、様子見の段階です」
そこから先は、13人それぞれが互いの出方を探る時間になった。新顔同士の当たり障りのない探り合い、坂柳への遠回しな質問、伊吹の舌打ち混じりの相槌――一つ一つ拾う価値はない。この手の腹の探り合いは、卓が変わっても中身は同じだ。目立った動きのないまま、30分近くが過ぎていく。
全員一致と抜け駆け、どっちの旨みが大きいかという話が繰り返される中、俺は板で最初のルールメールを開き直した。得点の計算式を、もう一度正確に頭に入れておきたかった。曖昧な記憶で駆け引きを組み立てる気はない。
触ったことのない場所を、いくつも開いた。
堀北に一度使い方を教わったが、張らなきゃならねえときに種銭がないのは困る、結局俺は0になってからも一銭も使っていない、この板もたまにくる連絡を見る以外には使っていない。他の連中が指先一つで迷いなく操るこの板を、俺はいまだに手探りでしか扱えない。それでいい、と思っていた。慣れた道具は、慣れた分だけ油断を連れてくる。
その途中、隅に見慣れない小さな枠があるのに気づいた。他のどの機能とも並びが違う。押してみる。
メールなら読んだ。8月10日の朝、あの一通だけだと思っていた。同じ用件について、別の場所にもう一通届いているという発想自体が、俺には無かった。
昭和の卓に、メールなんてものはない。連絡は一つ届けば、それで全部だった。この時代の板が、同じ話を二つの経路で別々に投げてくることがある――そんな仕組みがあると知らなければ、二通目を探そうという発想自体が生まれない。文面を読み返した時、俺はちゃんと読み返していた。ただ、探すべき場所を最初から間違えていただけだ。読み違えたんじゃない。読む場所そのものを知らなかった。
――「あなたは、このグループの優待者です」
短く、それだけの文面だった。
息を止めたのは、多分、一秒にも満たない。だがその一秒に、4ヶ月分の景色が一息に流れた。
入学式の朝。須藤の一点を買った時。龍園と睨み合った時。佐倉の後ろに何かがいると気づいた時。堀北の兄の手を止めた時。一つ一つ、確かに面白かった。だが賭けているのはいつも他人の残高、他人の立場、他人の退学だった。俺自身は、いつも卓の外から、誰が何を賭けているかを読む側にいた。
自分の退学がかかった時もあった。中間試験の赤点――あれも張り詰めてはいたが、性質が違う。相手はいない。読み合う卓じゃなく、自分と紙一枚の勝負だった。負けても、勝っても、誰かに手の内を読まれて崩されるわけじゃない。
無人島では、久しぶりに人を打った。だが、結局伊吹も龍園も現れず、綾小路が頼んでもない形で借りを返し、俺がやったことは佐倉の世話係のようなもんだ。
その全部で、腹の底のどこかが、ずっと物足りなかった。賭場じゃ、そうじゃなかった。負ければ、削られるのは俺の側だ。しかも、削るのは目の前の誰かだ。勝ち負けの重さが、いつも自分の身に、誰かの手を通して直接返ってくる――それが、俺の知ってる博打だった。この学校に来てから、その感覚を一度も味わっていない。
笑いが、喉の奥から一瞬だけこみ上げた。声には出さない。出せば、坂柳に聞こえる。それでも、抑え込む端から抑えきれない分がにじみ出た。
市川との夜、とまで張るようなことにはならねえだろうという予感はある。
ただ―――――ずっと、これを待っていた。外から探る側だと自分で決めつけていた男が、最初から一番厚い札を握っていた。
まるで白痴だな。よその誰かにじゃねえ。自分自身に、初めて向けた台詞だった。
俺は端末を閉じた。
「――どうかしましたか」
坂柳がこちらを見ている。
「いや。名簿を見てただけだ」
「そうですか」
声に変化はない。だが、視線の質がわずかに変わった気がした。表情に出したつもりはない。それでも、この女はこういう一瞬の空白を拾う。今の間で、何かを一枚読まれたかもしれない。だとしても、こっちが今更取り繕っても遅い。取り繕う方が、よほど目立つ。
黙って見ている側でいられたのは、対象が他人だったからだ。今はもう違う。誰かが先に俺の名前へ辿り着く前に、こっちから場を動かした方が理に適う。
――優待者の目処がついた。そういう顔をすればいい。中身は誰にも渡さない。渡すのは、顔だけだ。
「坂柳」
「はい」
口の端が、勝手に上がりかけるのを止めなかった。今さら隠す理由もない。
「あんた、2日間、姿を見せなかったな」
坂柳の目が、わずかに細くなる。
「体調が優れなかった、と最初にお伝えしたはずですが」
「理由はどうでもいい。訊きたいのは、そこじゃねえ」
「では、なんでしょう」
「あんたが今日ここで言い当てたのは、こいつらの人となりだけじゃねえ。この13人が、この試験でどう動くかまで読んでた。名簿が出たのは昨日だ。……姿を見せずに、どうやってそこまで読んだ」
部屋が、一瞬だけ静かになる。伊吹が眉を寄せ、一之瀬が視線をこちらへ寄越した。誰も口を挟まない。挟めば、それ自体が手札の一枚になる場だと、もう全員が学んでいる。
坂柳は、しばらく答えなかった。
「――面白い質問ですね」
「答える気はねえのか」
声が、思ったより弾んでいた。この場を降りたつもりだった自分が、いつの間にか一番前のめりになっている。
「今は。まだ」
含みのある言い方だった。今はまだ答えないだけで、いずれ答える気はある、とも取れる。あるいは、ただの引き延ばしか。どちらとも決めつけず、頭の隅に並べておく。
坂柳は杖の頭に指を這わせ、こちらを見返した。
「あなたも、答えたくないことには答えない。それと同じです」
「……そうかよ」
「ただ――一つだけ」
坂柳が、少し声を落とした。
「あなたは何かを見つけましたね。名簿を見ていた時の顔が、その前と違いました」
読み当てたつもりか。悪くねえ目だ。
「見つけたのは、あんたの隙だ。ここで何を訊いても、答えを出し渋るってな」
「ふふ。そういうことにしておきましょうか」
俺は、笑いを止めなかった。
「探すなら、本気で探せ」
「――どういう意味でしょう」
「見つかった方が、面白くなる」
坂柳が、初めて何も言わなかった。杖の頭に置いた指が、わずかに止まっている。
俺はそれ以上、何も足さなかった。追わない選択自体が、この女の底の深さを表している。今すぐ暴かなくても、今日拾った違和感は消えずに残る。厄介な相手だ。
Cクラス側の二人が、目配せを交わすのが見えた。龍園の息のかかった連中だ。坂柳が押される場面を、面白がっている顔だった。手を出す気配はない。ただ見ていたいだけの目だ。龍園がここにいたら、同じ目をしていただろう。
堀北だけは、違う顔をしていた。驚いたわけじゃない。むしろ、何かを確かめるような目だった。5/8の夜、俺が堀北の兄を止めた時と同じ質の目を、今度は堀北の方が俺に向けている。あの夜以来、この女は俺の中の何かを、少しずつ数え続けている。今日の一手も、その勘定に足された一つだろう。何を数えられているのか、正確には知らない。知らないままでいい範囲だ。
「フッ……面白くなってきたじゃあないか、アカギボーイ」
それまで誰の傍にも寄らず茶を飲んでいた高円寺が、初めて口を開いた。この場のどんな駆け引きにも興味を示さなかった男が、退屈しのぎ以上の目でこちらを見ている。
「私も、混ぜてもらおうか」
誰も答えなかった。答える価値がある相手かどうかを、全員がまだ測りかねている。
俺は椅子の背もたれに深く体を預け直した。これ以上、押しても崩れる相手じゃない。だが、崩れるかどうかは今回の目的じゃない。訊いたこと自体が、次に効く一手になる。相手の手の内を暴くための質問より、相手にこちらの姿勢が変わったと知らせるための質問の方が、時にはよほど重い。今日までの俺は、観測に徹すると自分で言った。その言葉を、自分から破ってみせた。この場にいる全員が、それを見た。
「――えと、話についていけてないんだけど、どういうことかにゃ?」
一之瀬が、こちらへ小さく首を傾けた。駆け引きで探りを入れてくる声じゃない。ただ、見たままを口にしただけの顔だ。
だが、この女も馬鹿ではない、いつまでも隠し切れるとは、最初から思っていない。ここから先は、隠すより速く動く方が勝つ。坂柳に一枚読まれた時とは、腹の据え方が違う。あそこは守りの一手だったが、ここは違う。損得だけで言えば、当てられて削られるのはうちのクラスの点だ。俺個人の懐は痛まねえ。それでも、この賭場での勘定の重さは、削られる額じゃ測らねえ。今日、俺は初めて、自分の名前が乗った側に回った。だったら、それに見合う出方をするだけだ。
「坂柳の言い方が、気に食わなかっただけだ」
嘘じゃない。事実の一部を、事実の全部として差し出しただけだ。
「そうなんだ」
「ああ。それだけだ」
一之瀬は、まだ何か言いたそうな目をしていたが、それ以上は重ねなかった。押せば効く場面と、押さない方が効く場面を、この女も自分なりに見分けている。それでも――今の理由で、どこまで納得しているかは分からない。
話し合いは、まだ続いていた。優待者を今すぐ当てにいくべきか、様子を見るべきか――伊吹が「まだ早い」と切り捨て、Aクラスの新顔が反論し、一之瀬がまた「全員一致」を繰り返す。今日聞いた話の焼き直しだ。誰も本気で結論を出す気はない。
俺はその間、ほとんど口を挟まなかった。挟む必要がない。この場にいる全員が、今日、少しずつ札を出した。誰がどれだけ本気で出したかは、また別の話だ。
隣で、堀北が声を落とした。
「あなたが自分から誰かに突っかかるのは、珍しいわね」
「気になるなら、そう言えばいいだろ」
「気になるわ。……何か思いついたことでもあったのかしら」
「今はまだ、言うつもりはねえ」
信用していねえわけじゃない。この女には、もっとみっともねえところまで見せてる。ただ、今回のは分けたくねえ。4ヶ月ぶりに、丸ごと自分だけのものが手に入った。理屈じゃねえ。渡す気になるまで、まだしばらくかかる。
「そう」
それだけで、堀北は視線を前へ戻した。理由を追わない判断は、この女がずっとやってきたことだ。踏み込んでいい場所と、踏み込まれたくない場所の境界を、他の誰よりも正確に読む。5/8の夜からずっと、そうだった。
話し合いは、まだ終わっていない。だが、俺はもう聞いていなかった。端末を、もう一度開く。
「個別のお知らせ」――さっき見つけたばかりの、その一枠を、もう一度確かめる。
二度見ても、文面は変わらない。当たり前だ。変わるのは文面じゃなく、こっちの側の勘定だ。
「俺は今回、外から探る側だ」――最初の通知を読んだ日、俺はそう結論した。翌日には坂柳にも「誰が優待者かを探るんじゃねえ」と言い切った。自分の声が、今になって耳の奥で笑って聞こえる。探る必要なんて、端から無かった。答えはとっくに、俺自身の名前の欄に書いてあった。
誰が優待者を当てるかを、俺自身は最後まで自分の手で決められない。決めるのは、他の12人だ。どれだけ正しく卓を読んでも、最後のカードを切るのは俺の手じゃねえ。それでも構わない。賭けられている側に、ようやく戻ってきた。
――配牌の並べ方くらい、自分の頭で考えな
あの時の一言は、これのことだったわけだ。もっとも、あの男自身がどこまで正確に読んでいたかは知らねえ。ただ挑発しただけかもしれねえ。それでも構わない。挑発の中身が正しかったかどうかより、こっちがどう受け取るかの方が、卓の上では重い。
卓が動くまで、この情報は誰にも渡さない。渡した瞬間、俺は材料から駒に変わる。材料でいる方が、まだ動ける。
坂柳は今日、こっちの顔色から何かを拾った。伊吹と一之瀬も、多かれ少なかれ何かを見た。隠し通せるとは思っていない。隠し通す必要もない。大事なのは、いつまで誰に何を渡さずにいられるかだけだ。
配牌は、揃っていた。並べ方も、わかった。
あとは、この手を、いつ、どう切るかだけだ。
窓の外はもう暗く、遠くの水平線だけが、かすかに白い。
この物語に恋愛要素をいれるべきか
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必要
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一切不用
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少しみたい